第12回Tribute to Tommy Flanagan
by Tamae Terai

【Encore】
トミー・フラナガンが目指した「ブラック・ミュージック」とは?

  With Malice Towards None ウィズ・マリス・トワーズ・ノン/ Tom McIntosh
 
賛美歌の「主イエス我を愛す」のメロディを基にした名曲でフラナガンが愛奏した作曲家、トム・マッキントッシュ(tb)の作品。マッキントッシュはビバップ後期からハード・バップ時代にかけて、ディジー・ガレスピー楽団や、ベニー・ゴルソン+アート・ファーマーの名コンボ『ジャズテット』に在籍し多くの作品やアレンジを提供した。マッキントッシュ作品の持つ“ブラック”な魅力を最大限に引き出して演奏したのは、トミー・フラナガンだ。
 「誰にも悪意を向けずに」と言う少し変ったタイトルはは、敬虔なクリスチャンで人道主義者の作曲家がエイブラハム・リンカーンの大統領就任演説の一節から引用したものだ。ワシントンDCにあるリンカーン記念館の壁面にこの言葉がレリーフ彫刻されている。
 フラナガンや寺井尚之が、この曲を演奏すると、本来の力強いメッセージと、繊細な響きの美しさが相まって、聴く者の心を突き動かす。
  晩年のトミー・フラナガンは、一箇所に滞在して身体的ストレスの少ない、ブルーノートの出演で来日することがたびたびあった。そんな時は、OverSeasの常連客が大挙してフラナガンを聴きに行った。そこで、フラナガンがこの曲をコールすると、OverSeasの仲間達が大歓声が巻き起こす。するとフラナガンは、皆の顔を良く覚えていて、ちょっと得意げに、鼻を膨らませ、魂を揺さぶるような名演奏を披露したものだ。

 フラナガンは《Ballads & Blues》('75)はデュオで、《The Birthday Concert》('98)ではトリオ、フランク・モーガン名義の《You Must Believe In Spring》('92)にはソロで,参加盤として《Dusty Blue / Howard McGhee》《Vibrations/Milt Jackson》('60)(Mallets Towards Noneというタイトルで) に収録。寺井は《AnaTommy》('93)に収録。
ELLINGTONIA エリントニア
  トミー・フラナガンが 子供の頃から親しんだエリントン楽団、
やがて、'57年にNYに進出してからは、エリントンのピアニストとしての力量を深く理解することになる。
 '57年にJ.J.ジョンソンと北欧ツアーに旅立つ前、偶然街で出会ったビリー・ストレイホーンから、彼の楽曲の譜面を直接手渡され、<Overseas>('57)や、<Tokyo Recita>('75)lなど、フラナガンならではのエリントニアへと結実していく。
 デトロイトとアフターアワー・クラブで、フラナガンは、彼の最も尊敬するピアニスト、アート・テイタムが、ピアノから向き直って、後輩達に告げた言葉が、後のフラナガンのスタンスにつながっているのだ。
 “デューク・エリントンこそがコードの達人だ。” −アート・テイタム


 
 

左:デューク・エリントン、右:ビリー・ストレイホーン
Chelsea Bridge チェルシーの橋/Billy Strayhorn
  フラナガンが《Overseas》('57)や、《Tokyo Ricital》('75)に録音している極めつけの名演目。ストレイホーンがホイッスラーの絵画に霊感を受け作曲したと言われている。
 若き日のフラナガンはOverseas録音直前に、偶然NYの街で憧れのストレイホーンに出会った。「私は今度、尊敬するあなたの作品をレコーディングさせて頂きます。」と自己紹介すると、ストレイホーンは楽譜出版社にフラナガンを伴い、自作品の譜面の束をごっそりと与えた。当時フラナガン27歳、ビリー・ストレイホーン42歳の運命的な出来事だ。
 
 フラナガン参加の他名義のアルバムには《The Master》Pepper Adams('80)《Bennie Wallace》Bennie Wallace('98)があり、それ以外に上記のAll Too Soon同様、ヤマハの自動ピアノ用に録音したデューク・エリントンメドレーにも含まれている。

エリントニアのアルバム
<トーキョー・リサイタル>は
5月のジャズ講座に登場。
Passion Flower パッション・フラワー/Billy Strayhorn
  内面に激しさを持つ神秘的なバラード、
 ストレイホーン作品には“花”に因んだものが多い。祖母の家の美しい庭で遊んだ幼い頃の記憶に起因していると伝えられる。パッション・フラワー('44作)は日本語ではトケイソウと言われ、欧米では磔刑のキリストに例えられる。この作品はストレイホーン自身が最も愛奏したものだ。差別の厳しかった時代に、黒人でゲイであり、エリントンの“影の存在”として、公の賞賛を受けることのなかった不遇の芸術家、ストレイホーンは、この花に自分自身の姿を見ていたのかもしれない。
 ジョージ・ムラーツ在籍時代のフラナガン・トリオでは、弓の妙技を披露するナンバーとして毎夜必ず演奏された。ムラーツ自身、リーダーとしてMy Foolish Heart('95)に収録し、独立してからも、常にOverSeasで、名演を聴かせてくれている。トリビュートの夜は宮本在浩(b)のフィーチュア・ナンバーで演奏された。

 フラナガンは《Positive Intensity》('75)に収録。
Black & Tan Fantasy 黒と茶の幻想/Duke Ellington
  エリントン初期の作品でフラナガニアトリオの極めつけの演目。
 晩年のフラナガンは、ファッツ・ウォーラーやアート・テイタムなど、ビバップ以前のナンバーを独自の演奏解釈で盛んに取り上げ、新境地を開拓中であった。今まで意識することのなかった、自分の中核を形成する要素を、60歳半ばを過ぎてから自覚したのだ。
 
 これはその代表的なもので、プリミティブでブラックな魅力に溢れた、非常にシンプルなスリー・コード・ブルースという形式だ。曲自体は'27年の作で'29年に短編映画化され大ヒットした。もう80年も前の楽曲なのだ…
 密かに心臓に動脈瘤を抱え、ステージで発作に襲われながら演奏した事もあるフラナガンがエンディングで葬送行進曲を弾くの聴くのは、私達にとっては、そのサウンドが素晴らしければ素晴らしいほど、胸が痛んだ。
 亡くなる前年、フラナガンがOverSeasに演奏を聴きに来てくれた時、寺井がエリントン楽団のアレンジをより多く取り入れたこのヴァージョンを披露すると、滅多に褒めない師匠が、珍しくその出来を褒めてくれた。その半年後サー・ローランド・ハナも寺井のこの演奏を絶賛してくれたが、ハナさんもまたフラナガンの死後丸一年2002年に、癌の為にこの世を去った。
 フラナガン・ミュージックの“ブラック”な本質を露にするこの演目、だがトミー・フラナガンは録音することなく終わってしまった。ぜひ、寺井尚之にレコーディングしてもらいたいものだ。

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寺井尚之のCD紹介


次回のトリビュート・トゥ・トミー・フラナガンは2008年11月!次回もぜひお越しください。