GW にバリエットはいかが? 連載”PRES” (第ニ回)

ホイットニー・バリエット著 『アメリカン・ミュージシャンズⅡ』より
《プレズ PRES》 (2)
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<キング・オリヴァーとの出会い>
armstrong_oliver.jpg  (右)Joe “King” Oliver (1885-1938) コルネット&バンドリーダー。深いブルース・フィーリングを持ち、ニューオリンズからシカゴで花開いた。キング・オリヴァーはルイ・アームストロング(左)以前のKing of Jazzだ。写真は’28年、Frank Driggs Cllectionより
 ヤングが家族の楽団、ヤング・ファミリーを辞めたのは18歳の時で、それ以降6~7年の間に、しばらくファミリーに戻った後”アート・ブロンソンのボストニアンズ”に参加、ミネアポリスの『ネストクラブ』でフランク・ハインズやエディ・ベアフィールド(saxes)と共演した。また「オリジナル・ブルーデビルズ」、ベニー・モートン(p)、クラレンス・ラブ、キング・オリヴァー(cor)と活動、そして1934年、カウント・べイシーの最初の楽団に入団した。
 ヤングは、ジャズ評論家ナット・ヘントフのインタビューで、50代でなお意気盛んだったキング・オリヴァーとの共演やオリヴァーの晩年について語っている。
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「ボストニアンズの後、キング・オリヴァーと一緒に演った。すごく良い楽団だったよ。僕はレギュラーとして、主にカンザスやミズーリ方面で1~2年共演した。
 キング・オリヴァーの楽団は金管3本、木管3本とリズム隊4人の編成だった。彼のプレイに衰えはなかったが、なにしろ年だから一晩中出ずっぱりではなかった。だが一旦吹けば、非常に豊かな音色だったよ。オリヴァーはショウのスターとして各セットに1曲か2曲だけ吹いた。
 ブルース?無論ごきげんなブルースを吹いたとも!人柄も良くて、明るいおっちゃんだった。若いメンバー全員を凄く可愛がってくれたよ。一緒に演って退屈なんてことは全くなかった。」

<第一のトラウマ:フレッチャー・ヘンダーソン楽団>
fletcher_henderson_hawk.jpgLヤング入団前のFヘンダーソン楽団、前列の囲みが若き日のホーキンス、右端:ヘンダーソン
 ベイシー楽団入団後間もなく、ヤングはコールマン・ホーキンスの後釜としてフレッチャー・ヘンダーソン楽団への移籍を要請された。気のすすまない事ではあったが、結局承諾する。それはレスター・ヤングの人生で、克服しがたい最初の苦難であった。ホーキンスはヘンダーソン楽団に10年在籍し、大海を思わせるようなホークの芳醇なトーンと、分厚い和声のアドリブが楽団の核となっていたのだ。通常ジャズ・ミュージシャンというものは、注意深く寛容な聴き手だが、テナーに転向したばかりで、まだアルト臭かったヤングの音色やふわふわした水平方向のソロは、同僚の楽団員達にとっては異端と受け止められた。やがて彼等はレスターの陰口を叩く様になり、フレッチャー・ヘンダーソンの妻は「こういう風に吹いてくれたら」と、彼にホーキンスのレコードを聴かせた。それでもヤングは3~4ヶ月持ちこたえたが、遂に 「自分は解雇されたのではない」という旨の手紙を書いてくれるようリーダーのヘンダーソンに頼んで退団。カンザスシティへと向かう。2年後にベイシー楽団に再加入、彼のキャリアはそこから始まった。
<カウント・ベイシー楽団>
 ピアニスト、ジョン・ルイスは当時のヤングを知っている。
john__Lewis.jpg  John Lewis(1920-2001) ニューメキシコ州アルバカーキ育ち、40年代NYでBeBop時代の頭角を表す。
 ジョン・ルイス:「私がまだアルバカーキに居て、まだ非常に若かった時、ヤング・ファミリーが町に逗留していると噂に聞いた。
 野外のテント・ショウで巡業に来たものの、金がもらえず立ち往生していたらしい。地元にセント・セシリアズ”という名のなかなか良い楽団があり、レスターはそこで演奏していた。街にはチェリーと言うスペイン人がいてね、ペンキ屋だったが、素晴らしいテナー奏者で、レスターは彼ととサックスで勝負したりした。当時のレスターのプレイ自体は殆ど覚えていないが、軽めの良い音色だったよ。しばらくしてヤング・ファミリーは街を離れミネアポリスに移った。
 次に会ったのは1934年頃で、彼が西海岸へ楽旅中にベイシー楽団のコーフィー・ロバーツというアルト奏者を迎えに町に戻ってきた時だ。その時代の彼はすでに1936年の初レコーデイングと同じサウンドだったよ。この地方は真鍮製のベッドが多くてね、レスターはいつもベッドの足元にテナーを吊るして寝ていた。夜中に何かアイデアが浮かぶと、サックスを手に取りすぐ音を確かめられるからだ。」

basie_lester.jpg      ヤングの初レコーデイングは、ベイシー楽団選抜のスモールグループだ。メロディの浮揚感は、フランキー・トランバウワーやジミー・ドーシーを想起させる。
 ヤングが以後15年間使用する上向きのグリスや急上昇するフレージングはコルネット奏者ビックス・バイダーベックの影響を暗示している。ヤングには深いブルース・フィーリングがあった。それはキング・オリヴァーのセンスを自分の一部として取り込んだのに違いない。淡い音色と最小限に抑制するヴィブラート、「間」のセンス、息の長いフレージング、そして容易くリズムを操る柔軟性を併せ持っていた。
 彼の登場まで、大部分のソロイスト達はオン・ビートでリズムに乗り、垂直的で短いフレージングに終始するため、リズムの波は途切れがちになった。ヤングはこのようなバウンスするアタックを滑らかにして、バーラインを越える長いフレーズとレガートを駆使した。(フレッチャー・ヘンダーソン楽団時代、同僚だったトランペット奏者レッド・アレンと同じ手法である。)さらに彼は、しばしばコードからアウトする音を使った。奇妙な音符こそが、彼のソロで耳を惹きつけるものであり、沈黙は強調の為に使われた。
カウント・ベイシー楽団のベーシスト、ジーン・ラミーはこう回想する。
gene_ramey.jpg  「ヤングは33年の終わりには、非常に間のあるサウンドを手中にしていた。あるフレーズから次の新しいフレーズを始めるのに最低三拍の間を置いた。」
 真正面から胸倉をわし掴みにするようなコールマン・ホーキンスと反対に、ヤングのソロはわざとそっぽを向いて人をはぐらかすようにさえ聴こえる。ヤングのアドリブは非常に論理的に動き、滑らかで耳に優しい。彼は装飾音符の達人であり完璧な即興演奏家であった。
 “Willow Weep for Me”や”The Man I Love”といったおなじみの曲を、一瞬そうと判らないほど鮮烈に仕立てた。頭の中に原曲のメロディをしっかり持ちながら繰り出すサウンドは、曲に対して抱く「夢」であり、彼の紡ぐソロは「幻想」だ。-叙情性がありソフトで滑らか―それは演奏だけでなく、恐らくは彼の人生もそうだったのではないだろうか?
 ハミングにさえ思える気楽なソロ、だがそれは見せかけだ。音の動きは急速で、不意にホールドしたと思えばガクっとビートを落とす。リズムのギアチェンジで大胆に変化を付け、ソロは絶え間なく変化を続ける。繰り出すメロディは時に非常に美しい。スロウな演奏は優しい子守唄のようだが、テンポが速まるにつれ、彼のトーンは荒々しくなった。同時にヤングは随一無比のクラリネット奏者でもあった。30年代後半に、メタル・クラリネットを吹き、心に訴えかけるような澄み切った音色を手中にしていた。(しかし、クラリネットが盗まれたので、ヤングはいとも簡単に楽器を諦めてしまった。)
(明日につづく)
 

GW にバリエットはいかが? 連載 ”PRES” (第一回)

ホイットニー・バリエット著 『アメリカン・ミュージシャンズⅡ』より
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《プレズ PRES》 (1)
lester-young.jpg サックス奏者レスター・ヤングが独創性に欠ける点はほぼ皆無だ。腫れぼったい瞼と飛び出し気味の目、少し東洋的で角ばった顔、飛び切り小さな口髭、歯の隙間が見える笑顔。彼は内股で軽やかに歩き、話し声はソフト、何かしらダンディなところがあった。スーツとニット・タイにカラー・ピン、踝(くるぶし)丈のレインコート、それにトレードマークのポークパイ・ハットを、若い時には後頭部に軽くのせ、年を取ると目深にかぶった。性格は内気、話し掛けられた場合に限り、しばしば自分も話す。演奏中は前方斜め45°にサックスを構え、まるで水中に櫂(かい)を漕ぎ入れるカヌー乗りの様に見えた。その音色は空気の様に軽くしなやか、それまで耳にした事もないようなフレーズは、何とも言えず抒情的で捉えどころのないものだった。
  サックス奏者がこぞってコールマン・ホーキンスに追従した時代、ヤングは二人の白人奏者を模範とした:Cメロディのサックス奏者フランキー・トランバウアーとアルトサックスのジミー・ドーシー、両者とも一流ジャズ・プレイヤーではない。だが1959年にレスター・ヤングが没した時、彼は白人黒人両方の無数のサックス奏者の模範となっていた。優しく親切な男で、人をけなした事はない。

ftrumbouer.jpgjimmy_dorsey.jpg  左から:Frankie Trumbauer(1901-56), Jimmy Dorsey (1904-57)
 そして彼は暗号のような言葉を使った。
<レスター・ヤング的言語について>
 レスター・ヤングの暗号化された言語についてジミー・ロウルズ(p)はこう語る。
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 「彼の言う事を理解するためには、暗号の解読が必要だった。それは辞書を暗記するようなもので、私の場合は判るようになるまで約3ヶ月はかかったと思う。」
 ヤングの言語は大部分が消滅してしまったが以下はその一例である。

  • ビング(クロスビー)とボブ(ホープ)= 警察 
  • 帽子(Hat)= 女性 中折れ帽 orソンブレロ= 女性のタイプを表す。
         

  • パウンドケーキ = 若く魅力的な女性 
  • グレーの男の子 = 白人男性 
  • オクスフォードグレイ= 肌の白い黒人、つまりレスター自身も意味する。
         

  • 「目玉が飛び出る」=「賛成する。」
  • カタリナの目orワッツの目 =どちらも非常に感嘆した時の表現
  • 「左の人たち」 =ピアニストの左手の指
  • 「召集令状が来る気分だ。」= 人種偏見を持った奴が間近にいる。
         

  • 「お代わりを召し上がれ。」=(バンドスタンドでメンバーに対して)「もう1コーラス演れ。」
  • One long, Two long = 1コーラス、2コーラス
  • 「耳元がざわざわする」=人が彼の陰口を言っている。
  • 「ちょいパチをもらう。」= 喝采を受ける。
  • ブンブンちゃん = たかり屋
         

  • ニードル・ダンサー = へロイン中毒者
  • アザを作る =失敗する。
  • 種族=楽団
         

  • トロリー・バス =リハーサル
  • マダムは燃やせるかい? =お前の奥さんは料理が上手か?
  • あの人たちは12月に来る。=2人目の子供が12月に出来る。(因みに彼は3回結婚し2人の子供を持った。)
  • あっと驚くメスが2時。 =美女が客席右手”2時”の方角に座っている。

<旅芸人>
LesterYoungonaltoJoJones.jpg 奇人変人は往々にして、混雑しつつ秩序ある場所に棲息する。ヤングが人生の大半を過ごしたのは、バスや鉄道の中、ホテル、楽屋、車の中やバンドスタンドであった。
  彼は1909年ミシシッピー州ウッドヴィルに生まれ、生後すぐに家族でニュ―オリンズの川向こうの街、アルジャーズに移った。10歳の時に両親が離別、レスターは、弟のリー、妹のイルマと共に父に引き取られ、メンフィスからミネアポリスへと移り住む。父親はどんな楽器でも演奏することが出来、家族で楽団を結成し、中西部や南西部をテント・ショウの一座として巡業した。ヤングは最初ドラムを演奏し、後にアルトサックスに転向した。初期の写真を見ると、彼のサックスの構えは後年と同様非常にヴォードヴィル的なものだ。
 「自分は譜面を読める様になるのが人より遅かった。…」かつて彼は語った。
 
レスター・ヤング : 「ある日、父がバンドのメンバー全員に各自のパートを吹くよう言った。父は僕が出来ない事を百も承知で、わざとそう言ったんだ。僕の小さなハートは張り裂け、オイオイ泣きながら思った。家出して腕を磨こう!あいつらを追い抜かして帰ってきてやる…帰って欲しけりゃな。覚えてろ!そして僕は家を出て、たった一人で音楽を学んだ。」
(明日につづく)

フランス的贅沢な大人の時間、鉄人Duo

akihiko_nakajima_1.JPG  OverSeas第一金曜日のお楽しみは、寺井尚之+中嶋明彦(b)の鉄人デュオ!(写真提供:後藤誠氏
 鉄人コンビを組んでから何年になるのか判らない・・・(25年くらいかな?:寺井尚之)
 中嶋明彦(b)さんは、北海道生まれで、立命館大学時代から京都を中心に活動。プロ入りした動機が、’75年のエラ・フィッツジェラルド+トミー・フラナガン3の伝説的来日コンサートだったことが、寺井尚之と一緒。(あのときはプロになったら、いつでもエラ+フラナガンみたいな超満員のお客さんの前で演奏できると思てたんや・・・寺井尚之)
 フリー・ジャズから歌伴まで何でもこなすヴァーサタイルな中嶋さんですが、OverSeasではベテラン同士、肩の力を抜いたプレイで主にスタンダード曲を聴かせてくれます。
 日頃は滅多に聴けない寺井尚之のMistyや即興演奏の醍醐味一杯で、どこまで転調していくのかわからないブルース、それに中嶋さんの十八番、Hush Abyeや「朝日の如く爽やかに」など、聴きなれた曲での大人の会話を楽しみました。
 山口マダムが来られていたので、鉄人は敬意を表して弾丸スピードのJust One of Those Thingsを披露。わざと、ハアハア言いながら手をブルブル運動させて見せる中嶋さんのお茶目な表情が素敵だった。GWにも関わらず、音楽をよく知っている素敵なお客様たちが、大きな拍手や歓声を送ってくださったので、二人併せて(?)才の鉄人たちも燃えました!
 昨夜は、昔よく聴きに来てくれていた寺井ファンが、殆ど10年ぶりにご両親と一緒に来てくれて嬉しかった~!その頃は小麦色の肌が綺麗で、無口だけどいつもニコニコしている神秘的な美少女、とても印象に残っていました。
tetujin_duo_yuko_sonoda.JPG  エキゾチックな美女訪問に鉄人もフニャフニャ
 寺井尚之やトミー・フラナガンのピアノを愛する園田由子さんはクラシック・ピアニスト、姿を見せなくなったと思っていたら、ピアノ修業で渡欧し、現在はパリでコンサート・ピアニストとして活動しています。
 運命は不思議だ!由子さんがパリで知り合った年上のお友達夫妻のお宅を訪問したら、そこにはトミー・フラナガンの写真が一杯!驚いたことに、トミー・フラナガンの大ファンで友人だったんです。奥さんがルイ・ヴィトン本店のディレクターをしていたとき、フラナガンのライブを盛んに企画していたのでした。フラナガンの思い出話を色々聞いた由子さんは、パリから飛んできて報告しに来てくれたのでした。ヴィトンの熱烈なフラナガン・ファンの噂は聞いていたけど、まさか、彼女がその人たちと現在仲良しだとは・・・絶句です。
 お話を伺っている途中に、昔トミーがまだ元気だった頃、梅田のリッツ・カールトンに迎えにいったら、黒の丸いBeBopサングラスで、全身ヴィトンに身を包み、私に腕をさし出して「どや、わしってカッコイイやろう! タマエにも今度バッグをあげるよ。」と鼻高々だった姿が懐かしく甦って来ました。(バッグはもらってないけど・・・)
 美少女から、シックで洗練された美女に成長していた由子さんは明日パリに帰国するそうです。
 コンサート活動頑張って!帰国したらOverSeasに来て下さいね!
Bon Voyage!

GWはホイットニー・バリエットでも読もうか・・・

American_Musicians.jpg  数年前の春、私はガラにもなく病気で療養していました。私が休むことで沢山の人に迷惑をかけて辛かったけど、あれほどゆっくり読書できた時期はありません。その時出会ったのが、ホイットニー・バリエットというNYのジャズ評論家が書いた “American Musicians Ⅱ”で、”71人のミュージシャンのポートレート集”という副題が付いています。
 ホイットニー・バリエットのこなれた文章には、月並みな形容詞や、決まりきったフレーズは皆無、「ジャズ評論家」と呼ぶには余りに詩的で文学的、とはいえ決して感性だけで書くのでなく、NYの街の地の利を生かし、過去の偉人や現在の巨匠本人だけでなく、親戚縁者に至るまでしっかりした取材の裏づけがあり、色んな角度からミュージシャンを眺め、文字通り一枚の肖像画に描き上げる独特なスタイルにすっかり魅了されました。
 バリエットの奥さんはナンシー・バリエットという画家で、それがバリエットのスタイルに影響したのかも知れません。バリエット夫妻とフラナガン夫妻は親しい間柄で、フラナガン家には、ナンシーがペンで描いたトミーの肖像が飾ってあります。
Balliett.jpg  バリエットは生粋のニューヨーカー、名門コーネル大出身、学生時代はデキシーランド・ジャズのドラマーとして活動し、’54から’01の長期に渡りThe New Yorkerでジャズや書評のコラムを持っていました。ネット時代以前には、紀伊国屋で立ち読みするThe New Yorkerのタウン情報にWBの署名を見つけると嬉しかったものです。
 フラナガンが亡くなってからも、ダイアナはバリエットと仲良しで、一緒に色んなジャズクラブに行っていました。2007年に癌で死去しましたが、その後も日本では紹介されないのがとっても残念です。
Jazz_Poet.JPG トミー・フラナガン・ファンにとって、ホイットニー・バリエットは「珠玉のピアニスト」(’57 The New Yorker サクソフォン・コロッサスのレコード評)や、「ジャズポエット」(’86 The New Yorker トミー・フラナガンについてのコラムのタイトル)の名付け親としても有名ですね!
 トミー・フラナガンのポートレート”Poet”は、以前ジャズ講座で配布したので、フラナガン・ファンが先入観を持たずに読めるポートレートをひとつ選んで来週の休日に連載しようと思ってます。
 では明日の鉄人デュオでHush-A-Bye を楽しみにしましょう!CU

光と影のスプリング・ソング:Spring Can Really Hang You Up the Most

寺井珠重の対訳ノート(15)
 皆さん、ゴールデン・ウィークのプランは立てましたか?OverSeasは4/29(水)と、5/5(火),6(水)はお休み、それ以外は通常営業です。大阪にいらっしゃるなら、ぜひお立ち寄りくださいませ!
 実を言うと、私の連休はゴールドじゃなくてブルーです。講座本の次号に掲載する対訳の整理など、今まで先送りにして来たタスクが山積み… そんな私には、先週、The Mainstemが聴かせてくれたバラード、『Spring Can Really Hang You Up the Most』が胸に沁みました。
 講座と違いライブでは殆ど何もおしゃべりしない寺井尚之がボソボソ紹介した”スプリング・キャン・リアリー・ハング・ユー・アップ・ザ・モスト”というタイトルは、よく聞こえなかったかも…逆に演奏はボソボソどころか、三人の音色がクリアで気持ちがよかった!
 日本人の私には長たらしく意味不明のタイトルが憂鬱!“Hang ~ up”というのは、「いやな気持ちにさせる」とか「気を滅入らせる」と言う時のインフォーマルな表現なんです。
   そこで、日本語で説明を試みるが、やっぱり長たらしくなっちゃう…
「(一般的に楽しい季節とされている)春は、状況次第で、最も滅入り、打ちのめされた気分になる場合もある。」 ほらねっ。
<ビートニク系作詞家 フラン・ランズマン>
franhag.jpgピアノの前に座っているのがTウルフ、ピアノの上に座っているのがFランズマン
 作曲はトミー・ウルフ(’25~’79)、作詞はフラン・ランズマン(’27~)、ジャズ講座対訳係りにとっては、むしろこの歌詞の方が「気が滅入り打ちのめされる」悩ましいものです。ランズマンはNYのアッパー・ウエスト・サイドの都会育ち、結婚後移り住んだ街セント・ルイスで、NYのセンスを生かし、夫の一族とキャバレー経営をして成功しました。作曲者のウルフは、ランズマンのキャバレー”クリスタル・パレス”でピアニストとして演奏する傍ら、せっせと曲を共作し、店の演目にして人気を博したそうです。”クリスタル・パレス”には、ウディ・アレンやバーブラ・ストライザンドなどNYの一流エンタテイナーが出演し、客席にはジャック・ケルロアックやアレン・ギンズバーグといった、ビートニク詩人達や映画スターなどセレブが集う、ポップ・カルチャー最前線のナイトスポットでした。
Fran_landesman.jpgランズマンはその後、英国に渡り作詞家、詩人、歌手、タレントとして長年活躍。アルコールやドラッグに浸るビート的私生活を暴露した息子の本も話題に。
<それはシアリングのクチコミから始まった>
george_shearing.jpeg  この曲をNYのジャズ・シーンに広めたのは、寺井尚之のセカンド・アイドル、ジョージ・シアリング(p)でした。彼が”クリスタル・パレス”に出演した際、この曲をすっかり気に入ってテープに録り持ち帰り、「ヒップなネタがある」と、NYの仲間にせっせと聴かせた結果、都会派の”ジャッキー&ロイ”やボブ・ドローといった白人アーティストたちがこぞってレパートリーに加えました。’59年にはブロードウェイの『ザ・ナーバス・セット』というショウに、この曲がフィーチュアされました。その時演奏に参加していたギタリストがなんとケニー・バレルです。ショウはあっという間にコケましたが、この曲はスタンダードとして残り、ケニー・バレルのコンサートで聴いたことを覚えています。
<T.S.エリオット、ビートニク風味?>
 ランズマンが語るところによれば、”Spring Can~”は大詩人、T.S.エリオットの代表作「荒地」に出てくる極めて有名なフレーズ「四月は最も残酷な月(April is the cruelest month)」のヒップな解釈とあります。確かに、「冬」を「死」のメタファーとして使ったりするところは、そうなのかもしれませんが、同じポップ畑のリチャード・ロジャーズ+ロレンツ・ハートの名曲、”Spring Is Here”(これも先週The Mainstemが演りました。)を引き合いにするよりも、セントルイスから英国に渡り、文豪となったT.S.エリオットの方が、ずっと「付加価値」が付くと計算したのかも…

<サムライ、ビート詞を斬る>
 ランズマンの歌詞は、ヴァースの後にたっぷり2コーラス、たしかに都会的だしウィットもあるけど、歌詞だけだと、ヴィレッジ・ヴォイスに載ってるエッセーみたいに「喋りすぎ」の感じがします。でもそこにトミー・ウルフのメロディとハーモニーが加わると、春の陽光と影がうつろう極上のバラードになるのが、「詩」でなく「詞」のいいところですよね。
 The Mainstemはヴァースからテーマを1コーラス、聴く者の心をわし掴みにしたままアドリブに入ってサビの途中からエンディングまで2コーラス!ほんとに息を呑む仕上がりでした。
 その基になっているのが『サンタモニカ・シヴィック』の名演。ここでエラ&トミーは、上等の鮨屋さんが天然鯛をさばくように、歌詞の無駄をバッサリ切り捨て、エラのサウンドがさらに良くなるよう、言葉を大幅にデフォルメしています。最初私は、ライブ音源なので、「エラはまた歌詞を忘れちゃった!」と思ったのですが、Youtubeにあったオランダのコンサート(’74)でも全く同じ歌詞で歌っているので確信犯だった。その結果、春の陽光と心の影の対比が一層はっきり浮き彫りになる。
  エラ流の斬新な歌詞は講座本次号に掲載するとして、ここはオリジナル詞に四苦八苦しながら訳をつけてみました。原詞はだいたいこんな感じ

『Spring Can Really Hang You Up the Most』
ヴァース
どこにもいるような多感な女の子だった頃、
春は恋の季節で、
私も心を燃やしたもの。
でも今年は違う、
春のロマンスなんてありえない。
実らぬ相手と契りを結んだその挙句、
すぐに壊れた恋の破片が心にささり、
春の季節が巡って来たの…
コーラス①
今年の春の気分は、
出走できない競走馬みたい!
私は寝転がり、
ぼうーっと天井を眺めるだけ、
春って最悪な季節!
そよ吹く風は、
新緑や花のつぼみに、
お目覚めのキスを送る。
そんな自然に乾杯!
私は公園を散歩して、
独りぼっちの時間をつぶす。
春が一番辛い人もいるの!
午後はずっと、
小鳥がさえずるラブ・ソング、
この歌は知っている:
「これぞ真実の愛!」と歌っているのよ。
私も聴いたことがある。
だけどこの歌には裏がある!
だから私は春がつくづくいやなのよ!
一月は恋が実ると信じていた。
四月の今、恋はユーレイ同然。
春はちゃんと巡ってきたけれど、
これほど辛い季節もない!
コーラス②
間違いなく春が来た!
至る所でコマドリが愛の巣作り、
私の心も春を謳歌しようと努力する、
歌えば心の傷も悟られまいと。
春は本当に居心地悪い。
学生達は「甘い情熱」にかられ
一心不乱に詩の創作、
それが春というものね。
だけど私は去年のイースター帽と一緒、
埃だらけの放ったらかし。
春っていやな季節なの。
あの時私は恋をした、
「いつまでもこのままで」と願いながら、
あの人と最高の時を過ごした…
もう昔話だけど…
そして春がやってきた。
春な甘い約束の歌で溢れる、
でも私の場合は、
何か違う!
お医者様は元気がつくように、、
「サルファ剤と黒蜜」を処方してくれた。
何の効き目もなかったわ。
きっと慢性的な病気よね。
こんな私にとって
春はほんとにいやな季節!

 恋の痛手を負った人だけでなく、花粉症や黄砂アレルギーに悩む寺井尚之にとっても、この季節は、Really Hang You Up the Most!
   それでは、楽しいゴールデン・ウィークを!
CU

ウォルター・ノリス先生、静養中

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 ベルリンの巨匠、ウォルター・ノリスさんは5月に、名声の殿堂入りしている故郷アーカンソー州で、映画のプレミアやコンサートなど、様々な行事を予定していましたが、2週間前に奥様と散歩中、軽い心臓発作に襲われ、全てのツアー予定のキャンセルを余儀なくされました。
 現在自宅療養中のノリス先生からいただいたメールによれば、手術はせずに投薬治療をし、体力は現在充分回復しておられるようです。
 でも、心臓に負担をかけぬために、長時間、飛行機に乗ることは、お医者様から固く禁じられているそうです。それはノリス先生にとっての念願だった、再来日を果たすことができなくなったということでもあります。
 ノリス先生のメールは、「数年前にOverSeasで行った演奏は、私の人生で特別のものだった。あの最高の時を与えてくれた皆に心から感謝している。」と結ばれていました。
 トミー・フラナガンもノリスさんも、ハナさんも、大きな感情のうねりをピアノに託し、同時にピアノが喜んで倍音を膨らませてくれるようなソフトタッチの演奏家は、心臓に大きな負担がかかるのかもしれません・・・トミーがお医者さんが止めるのも聞かず、世界中で演奏を続けてあんなに早く逝ってしまったことを考えれば、ノリスさんの決断は、ちっともさびしいことでなく、むしろ喜ばしいことだと思います。
 ノリス先生は、現在も自宅で執筆活動をし、しばらくすれば、ピアノ・ルームで練習を始められることでしょう。もう二度と日本にお迎えすることはないにしても、ベルリンに行きさえすれば、ノリス先生のあのサウンドをいつでも聴けるのですから、ちっとも悲しいことはありません。
 ウォルター・ノリスさんへのお見舞いメッセージは、英文なら彼のサイトへ、日本語なら、OverSeas宛てに送ってくだされば、英訳してお送りいたします。
 5月になったら、ノリスさん宅の美しい庭に色んなバラが咲くでしょう。ノリスさん、心からお大事に!

巨匠ジョージ・ムラーツ近況: NY & Prague

george_mraz_09_march.jpg  ジョージ・ムラーツ・ファンの皆様こんにちは!
  我らのアニキは、この春、快調にハード・スケジュールをこなしてます。写真は3月、チェコ共和国トゥルトゥノフにて。 撮影Patrick Marek
<At Birdland, NY>
  4月7日~10日まで、ムラーツはNYのど真ん中にある高級ジャズクラブ「バードランド」に出演。
birdland.JPG      メンバーは、ジョー・ロヴァーノ(ts)、ハンク・ジョーンズ(p)、そしてポール・モティアン(ds)のオールスターズ、ビル・エヴァンス3のドラマー、お久しぶりのモティアンはレギュラー・ドラマーのルイス・ナッシュの代役だったそうです。
 NJ.comに載っていたジャズ・ライター、ザン・スチュワートの記事よれば、演奏は絶好調、ムラーツ兄さんが、チャンスがあると寺井尚之(p)と聴かせてくれるサド・ジョーンズの楽しい曲“Three in One”も演奏したらしい。
  御年90歳のハンク・ジョーンズのフィーチュア・ナンバーは、勿論 “Oh, Look at Me Now”、いつもどおり会場を沸かせたそうです。
maestro_george_mraz_shota_ishikawa.jpg Maestro George Mraz and his assistant from Berklee Shota Ishikawa
  昨年から、ムラーツのNYギグで楽器のセッティングや搬入出、マッサージに至るまで、優秀なアシスタントを務めているのが、バークリー音楽院の特待生、「しょうたん」こと石川翔太君(21才)、神戸出身のしょうたんは”エコーズ”の鷲見和広(b)さんの一番弟子でもあります。飛び入りを嫌う寺井尚之も「若いのに弾けるやん」と、機会があればセッションしていました。下の2枚は彼がバードランドで撮影してくれたショットです。
mraz175915036.jpg    mraz30606071_594346490.jpg  OverSeasのBBSは、海外のプロキシ・サーバーを受け付けないので、彼に直接NYレポートしてもらえないのが残念ですが、バードランドのギグでは、ジョージ・ムラーツの神業連発ソロの後の拍手は、誰よりも大きかったそうです。
 数年前に、OverSeasで観たジョージ・ムラーツに心酔し、ムラーツをがむしゃらに研究する姿に共感した寺井と、師匠の鷲見さんが、兄さん本人にしょうたんをボウヤ&弟子にしてくれるようアピールしたのがきっかけ。何しろムラーツは、自分の愛器を任すなら、鷲見和広さんや宮本在浩さん、OverSeasのベーシスト達を一番信頼しているので、説得は簡単でした。以降、現場で、しょうたんの勤勉さと努力が功を奏し、今ではオフィシャルなボーヤとしてアンドレ・ザ・ジャイアントとそっくりな名物プロデューサー、トッド・バルカンたちフロント陣にも可愛がられているようです。嬉しいな!
 ボストンからバスに何時間も揺られた末、師匠の楽器をセッティングして、深夜まで付きっ切りというのは、体力的に大変でしょうが、教室の授業の何倍も勉強になるよね。きっと、この世界でもマナーも身に付くでしょう。ムラーツ兄さんに言ったら、「そや!」と言うてはりました。
しょうたん、写真をどうもありがとう!帰国したら、ぜひ私たちに演奏を聴かせて下さいね!
<王宮コンサート, Prague Castle>
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logo_jazz_84x84.jpg   「Birdland」のギグ後、兄さんは故郷プラハに飛び、21日には世界遺産プラハ城のジャズ・コンサートに出演しました。このコンサート・シリーズは”Jazz in the Castle” (チェコ語でJazz Na Hrade)という名前で、クラウス大統領就任以来、ジャズ・ピアノをたしなむ大統領主催の年間イベントです。(ムラーツ兄さんは、先代のハヴェル大統領とも民主運動以来の飲み友達でした。)
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 コンサート会場は、日本語でスペイン・ホールと呼ばれるこんな場所!
 今回の共演バンドは、”Kosvanec Jazz Orchestra”、チェコのトロンボーン奏者、スバルトップ・コズヴァネックがリーダーで、英米からもプレイヤーを招聘している国際チームのようです。コンサートは超豪華なボールルームで行われ、バックステージにはシャンパングラスと、よく冷えたドンペリが一杯おいてあり、楽屋見舞いも各界の著名人が一杯来るそうですよ・・・
OverSeasなら11番テーブルで、ファンたちと気軽におしゃべりしながら、桃谷商店街のコロッケや味噌汁でくつろいでいるムラーツ兄さん、いつもすんません。ほんまにごもったいないことです。
 そんな巨匠ジョージ・ムラーツとトミー・フラナガンの傑作デュオ・アルバム、<Ballads & Blues>は、いよいよ5月9日(土)のジャズ講座に登場します。たぶん「トミー・フラナガンの足跡を辿る」のクライマックスのひとつになるでしょう。初めての人もぜひどうぞ!
追記:しょうたんの師匠、鷲見和広さんから、優しく謙虚なコメントをいただきました! 何故だかこのブログ・システムにバグがあり、このエントリーだけコメント欄に入力できない状況ですので、本文に追記させていただきます。鷲見さん、お世話かけてすみませんでした。

 鷲見和広さんよりしょうたんへ:
しょうたん。
ムラーツ師匠の為に、毎回N.Y.へ通い、アシスタントをさせてもらっている事は素晴らしい事だと思います。
今や、ムラーツ氏を、世界のトップ・ベーシストとして誰もが疑わないでしょう。
そんな巨匠と、師弟とか友達のように語り合えるのはヨダレが出るくらい羨ましい限りです。
このキッカケを作ってくださった、OverSeasの寺井さん、珠重さんに感謝の気持ちは一生忘れてはならぬぞ!
また報告を楽しみにしています。

 

サザンの名付け親が復刻した北欧ジャズ『Jazz in Sweden』

 土曜日のThe Mainstemは沢山のスプリング・ソングを一緒に聴けて、春の甘い香りにほろ酔い気分になりましたね!
 今週の金曜日は、レパートリー総入れ替えで、もうひとつの「春」が堪能できそうです。ぜひ皆さん聴きに来て下さい!
 ところで、今年1月、ジャズの「権威」としてジャズ講座の常連様にお馴染みのG先生こと後藤誠氏が、東京のお友達を同伴しておられました。お友達のお名前は宮治淳一さん、洋楽レコードのプロデューサーの方でした。聞く所によれば湘南ボーイで、桑田佳祐さんの親友として、「サザン・オールスターズ」の名付け親として、その方面では非常に有名な方です。
  宮治さんはとってもにこやかな紳士!ジャズ講座も終始笑顔で聴いてくださってました。昔はフラナガンに対して無理解なプロデュースをし、現在はフラナガンの名盤を廃盤にしておくジャズ・レコード界に向けて毒舌マシンガンを炸裂する講座を「文化性とエンタテインメントが共存している」と楽しんでくださって、ほんまにありがとうございました!
 そんな宮路さんはジャズ畑ではないのですが、自社のワーナー・ミュージック・ジャパンが、その昔(1993年)編纂した、スエーデンのメトロノーム・レコードの録音群の歴史的価値と内容に心を打たれ、この度、更にグレードアップしたボックス・セットの再発を実現されました。
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booka0107397_16535554.jpg 元々EPレコードだった音源をリマスタリングして、美術展の図録を思わせる豪華なブックレットが付いています。そこには、当時のオリジナル・ジャケットのカラー写真や、レーベルの成り立ちや当時の北欧ジャズ界の状況が一望できる丁寧な解説が後藤誠氏のものです。
overseas0107397_16514413.jpg  メトロノームといえば 私たちが一番良く知っているのはOverseas! この「Jazz in Sweden」には、”チェルシー・ブリッジ”と”リラクシン・アット・カマリロ”の2曲が収録されています。
   その他にテディ・ウイルソン(p)、スタン・ゲッツ(ts)、クリフォード・ブラウン(tp)など、ジャズ・ジャイアンツの興味深い音源が一杯。
 
 アメリカにはモザイクという歴史的価値を持ったジャズ音源を再発する専門レーベルがありますが、トミー・フラナガンの名盤は廃盤だらけで危機的な状況です。宮治さんには、これからもジャズの大きな遺産を守るため、これからも尽力していただきたいものです。
 OverSeasに『Jazz in Sweden』の現物がありますから、閲覧ご希望の方はご来店の際、お気軽にお申し付けください。お求めは、大阪梅田の「ジャズの専門店ミムラ」さんや、「ワルティ堂島」さんでぜひどうぞ!
 4月21日発売!
『Jazz in Sweden』の詳細は後藤誠氏のブログワーナー・ミュージックのサイトに。

“A Sleepin’ Bee”  スプリング・ソングが教える「本当の恋」

寺井珠重の対訳ノート(14)
  『Plays the Music of Harold Arlen 』 ①Between the Devil and the Deep Blue Sea ②Over the Rainbow ③A Sleepin’ Bee④Ill Wind ⑤Out of This World ⑥One for My Baby ⑦Get Happy ⑧My Shining Hour
⑨Last Night When We Were Young w/ Helen Merrill(vo)
Personell:Tommy Flanagan(p) George Mraz(b) Connie Kay(ds)
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Harold Arlen 1905-86
作曲だけでなく歌手、ピアニストだったアーレンは、コットン・クラブのショウからハリウッドに進出した国民的作曲家、”Over the Raibow”を知らないアメリカ人はいないかも・・・

 土曜日に一緒に聴いたトミー・フラナガン・トリオのハロルド・アーレン集…昔からずーっと好きなアルバムなのに、新たな感動が生まれるのが、ジャズ講座の不思議なところですね。
 寺井尚之は講座のために、このアルバムと対峙していくうち、新たな霊感を得たようで、土曜日の”The Mainstem”のライブに、上の太字の4曲を演奏すると異例の予告。
 どれも大好きな曲ですが、今日は、ちょっと風変わりなスプリング・ソング、“A Sleepin’ Bee”のエキゾチックなおとぎ話について書きたくなりました。『眠るミツバチ』って変なタイトルですよね!
<カポーティとアーレンが組んだミュージカル:A House of Flowers>
house_of_flowers.jpg  “A Sleepin’ Bee”は、トルーマン・カポーティの短編、A House of Flowersを基にしたブロードウェイ・ミュージカルの劇中歌なんです。
truman-capote-.jpg    Truman Capote (1924-84)
 トルーマン・カポーティは”ティファニーで朝食を”や”冷血”の作者として有名ですね。後年はおネエ的タレントとしてTVや映画出演したから観た事ある人も多いかも・・・

 “ティファニーで朝食を”のホリー・ゴライトリーもそうですが、カポーティの小説に登場する『無垢な娼婦』的ヒロインたちは、ほんとに素敵!このA House of Flowers:花咲く館は、カリブ海の島、ハイチの首都ポルトー・プランスを舞台に、オティリーという愛らしい娼婦が本当の恋人探しをする物語です。
< おはなし> 
 西インド諸島のハイチの山にある村で、不遇な子供時代を過ごしたオティリーは褐色の肌の美女に成長し、ポルトープランスの町にある売春宿で一番稼ぐナンバー1.、自分は町一番の幸せ者と満足している。お客からは、高価なアクセサリーやドレスが貢がれて、食べ物やお酒にも不自由しない。仲間の娼婦には妹のように可愛がられて楽しく暮らしている。唯一ないものは、姉貴分が話す「恋」という不思議なものだけ。「ひょっとしたら、私のところに贈り物を持って通ってくるアメリカ人が本当の恋人かしら?」と彼女は考えます。だけど、よくわからない。
   とうとう思い余って、丘の上のヴードゥー教の祈祷師に相談に行く。すると祈祷師はひょうたんを鳴らし、精霊と会話してからこう言いました。
 野生のミツバチをつかまえて手の中に握ってみるがよい。ハチがお前を刺さなければ、恋を見つけた証拠じゃ!
 祈祷の帰り道、オティリーは、アメリカ人のお客のことを考えながら、スイカズラに群れるハチを捕まえるのだけど、思い切り刺されて痛い思いをしてしまう。
  やがて3月のカーニバルで、オティリーは山から闘鶏に降りて来た素足の美青年、ロイヤル・バナパルトと出会う。彼に言われるまま、手に手を取って森の中を散歩しているうち、オティリーは懐かしい山の空気が漂う彼のキスと香りに包まれて、今まで知らなかった気持ちに捉われます。小説のラブ・シーンは詩情に溢れていて本当にロマンチックです。カポーティはコテコテの外見と裏腹に、えげつない描写なしに、色んなものの香りや質感を埋め込んで、行間に官能的な雰囲気を漂わせる天才だ。
 丁度、ロイヤルがオティリーの胸の上で眠っている時、一匹のミツバチが現れます。オティリーがそっと捕まえると、祈祷師の予言どおり、彼女の掌の中でハチはじっと眠っていて、オティリーは本当の恋と確信します。
 その時にオティリーが歌うのがA Sleepin’ Beeです。

A Sleepin’ Bee
Truman Capote/ Harold Arlen

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<ヴァース>
あなたの恋は本物?
迷ったときには、
恋人探しが終わったことを知るための
昔からの言い伝えがあるの。
「ミツバチを捕まえろ。」
捕えたハチに刺されなきゃ、
愛の魔法が始ったしるし。
一生涯の保証つき、
本当の恋人ができたのよ。
<コーラス>
ハチがおまえ手の中で、
すやすや眠るとき、
おまえは魔法に守られて、
愛の世界でずっと暮らせる。
そこはいつでも上天気、
愛の神様の思し召し
いついつまでも幸せに。
お願い、ハチさん、 
目を覚まさずに眠っておくれ。
恋人は私のもの!
なんて素敵なことでしょう、
やっと幸せがやって来た。
夢かもしれない、
ハチは金ピカで、
王冠みたいに愛らしい。
眠るハチが教えてくれた
本当の恋を見つけたら、
自分の人生を歩めると。
 

 歌手によって歌詞が微妙に違っていてオリジナルの歌詞は、はっきりしないのですが、ネット上に女性歌手バーブラ・ストライザンドのものがあったのでそこから日本語にしてみました。ジャズ講座にずっとこられている方は、ビル・ヘンダーソン(vo)のVeeJay盤に収録されていますから、よくご存知かも知れません。
diahann_caroll.jpg ブロードウェイでは、これでデビューを飾ったダイアン・キャロルが、オティリー役で歌いました。トミー・フラナガンも可愛いキャロルが好きなのか、OverSeasで演った時も、MCでそのことを話してくれたっけ。
 この曲はカポーティに原作のシーンを朗読してもらって、アーレンが曲を作り、そこに再びカポーティが詞をつけたものだそうです。アーレン作品は曲だけでも素晴らしいけど、歌うと、とっても自然に響きますよね。
 ミュージカルはカポーティがハロルド・アーレンと組んで作詞も担当した初ミュージカルとして話題を呼びましたが、ブロードウェイ的なストーリーへと変更を余儀なくされ、大モメにもめた挙句、興行的には不成功に終わったそうです。
 余談ですが、数年後オフ・ブロードウェイで再演されたとき、主役を演じたのは、ヴォーカリーズのジャズコーラス・グループ、”ランバート・ヘンドリクス・ベヴァン”のインド系美女、ヨランダ・ベヴァンでした。
 苔や花の香り漂うカリブの愛の島、ヴードゥーの不思議なお告げ、褐色の青年と新たな人生を歩みだす無垢な心を持った娼婦…トミー・フラナガンの演奏には、ときめきや未来への確信をしっかり感じることが出来ます。
 それから二人はどうなったかって?
 きっと土曜日のThe Mainstemの演奏を聴くと判るはずですよ!
もしも判らなかったら私が直接教えてあげますから大丈夫。
CU

ジャズ講座こぼれ話:NYの名所、ジャズ教会&ジャズ牧師の話

 土曜日のジャズ講座は、名演、名盤の二本立てで、すごく楽しかったですね!
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 その夜、皆で楽しんだのは、OverSeasが大好きなドラマー、エディ・ロックさんの『Eddie Locke(ds)&Friends Live at St. Peter’s Church』と、トミー・フラナガン・リーダー作『Tommy Flanagan Trio Plays the Music of Harold Arlen』! 寺井尚之の弁舌は滑らかで一瞬たりとも聞き逃せない面白さ、でも「名古屋のお客様が最終新幹線に乗り遅れはったらどないしょう…」と私はハラハラしてました。
 
  今回はOHP映写機がチューン・アップされていて、構成表や対訳が見やすかったでしょう? 先月は長年酷使した疲れが出たマシンが「マッチ売りの少女」状態、すぐにライトが消えちゃって、皆で氷で冷やしたり、ウチワで扇いだり大変だったんです。土曜日に間に合うように修理してくださったダラーナ氏、ありがとうございました!
<エディ・ロック(ds)が燃えた聖ピーターズ教会>
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 講座前半のハイライトは、何と言ってもエディ・ロック(ds)の世界遺産的ドラム・ソロ=Caravan!オーディオ・マニアならきっと顔をしかめるほど録音状態が悪いし、ピアノの調律も最悪なのですが、演奏内容は悪条件を吹っ飛ばす!
 サー・ローランド・ハナ(p)トリオで、OverSeasが店ごと歓声で揺れた興奮がそのまま甦りました。
 自己のブログにこの日のレポートをしてくださっているG先生が、ジャズ史家ダン・モーガンスターンに照会し、解説して下さったように、元々このアルバムは、AFSという非営利文化団体の資金集めのコンサートの録音で、アルバムも会員向けの非売品だったそうです。
 講座翌日の日曜日に、当時のNew YorkerやNY Timesのコンサート欄をしらみつぶしに探したのですが、コンサートの宣伝記事は載っていなかったので、本当にプライベートなコンサートだったんですね。因みにこの前日、トミー・フラナガンは、
エラ・フィッツジェラルドの伴奏者として、エイブリー・フィッシャー・ホールに助っ人出演しています。
  寺井尚之の迫真の実況解説は、まるで教会のホールのど真ん中で見てきた人みたい!調律の悪いピアノが、フラナガンの神業でうまくサウンドしていく様子も実感できました。(「どんなひどいピアノでも鍵盤のツボを瞬時に見つけて、そこをヒットさせなイカん。」とフラナガンは寺井に言っていたっけ。)
 Caravanのドラム・ソロにはダンスがあって詩がある。エディ・ロックという人間の全てが伝わってくるような魂のドラムソロ!師匠のジョー・ジョーンズやロイ・ヘインズなど偉大なドラマーの多くがそうであったように、彼が元ダンサーであったことを強く感じます。クライマックスでは、エディさんのダンスに併せて、ドラムビートを繰り出している感じさえします。丁度、歌舞伎で「附け打ち」と言って拍子木が、役者さんの動きにピタリと併せ、絶妙の間合いでテンポをUPしながら見せ場を作るあの感じ!激しいドラムソロがブレイクする瞬間には私の血が騒ぎ、思わず「日本一!」と掛け声をかけたくなってしまいました!
<ジャズ牧師、ジョン・ゲンセル>
聖ピーターズ教会  さて、このコンサートの会場となった聖ピーターズ教会は、宗派を超えた「ジャズ教会」として非常に有名なジャズの聖地です。それは、デューク・エリントンからレスター・ヤング、セロニアス・モンクに至るまで多くのジャズ・ミュージシャンの相談役で、ルーテル教会から正式にジャズ・コミュニティを管轄する牧師として認められ、礼拝にジャズを取り入れたNYの名物、ジョン・ガルシア・ゲンセル師のおかげです。
ゲンセル牧師
 ゲンセル牧師のことで私が一番印象に残っているエピソードは、末期がんで苦しむビリー・ストレイホーンを頻繁に見舞い、彼の最後を看取ったエピソードです。デューク・エリントンも同様で、彼を羊飼いに例えた“Shepherd(羊飼い)”という作品を献上しています。
 師は、自分自身の人間としての内側を表現する本当のジャズは、聴くものの内面にしっかりと到達するものであるとして、礼拝に最適な音楽と考えていて、この教会では、フランク・フォスター(ts)などビッグバンドの演奏会が定期的行われていました。
 Youtubeでは、ゲンセル師が、教会に出演する歌手ボブ・スチュワートとメル・ルイスOrch.を紹介してからコンサートを中継した映像があるので、エデイ・ロック&フレンズの会場を観ることが出来ますよ。ピアノは若き日のハロルド・ダンコ、ベースはハナさんとも共演していたジョン・バーですね。
 チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、パノニカ…数え切れないほど多くのジャズの聖人たちの告別式、結婚式がゲンセル牧師によって行われました。以前ビリー・ストレイホーンの伝記で紹介した告別式の映像にも、壮年時代のゲンセル師が映っています。
 トミー・フラナガンが亡くなる前にゲンセル師は他界されましたが、告別式はやはり聖ピーターズ教会で行われ、YAS竹田(b)が大きな献花と共に、寺井尚之の代参をしてくれました。
 うちの実家は禅宗で、お坊さんはフリー・ジャズのプロデューサーをしておられるのですが、少し雰囲気が違うかな・・・
 次回は、講座のもうひとつのハイライト、トミー・フラナガン3のハロルド・アーレン集からジャズにゆかり深いもう一つの宗教、カリブのヴードゥー教と南国の花の香りが一杯のハロルド・アーレンのラブ・ソング、A Sleepin’ Beeについて紹介したいと思います。
 今週末のThe MainstemのライブまでにぜひUPしておきますね。お楽しみに~!
CU