年の瀬 雑感

Nice E-Meeting You
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左:今年のパーティ料理のごく一部!皆のおいしい顔が、私のごちそう!    右:寺井尚之とパーティを盛り上げてくれたスター達!皆ピアニストですよ。 
 年末恒例パーティも終わり、本年度のOverSeasのライブも今夜が最終、歳を取ると一年が経つのが速い!今年も平坦な道のりではなかったけれど、どうにか新年を迎えることができそうです。
 クリスマス・ラッシュであたふたしているところに、オスカー・ピーターソンの訃報。中学時代から何度もコンサート・ホールやTVで見た巨匠。体躯もプレイも全て大きくてベーゼンドルファー・インペリアルが小さく見えた。好き?嫌い?…そんなことを超越したスーパースターでした…
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 今年の私のささやかなNewsはひょんなことから、このblog『寺井珠重のInterlude』を開設したこと!「ただでさえ時間がないくせに、何と無謀な!」と言われましたが、意外な人が意外なところで読んでくれていて、励まされたり、びっくりしたり、嬉しかったり。
 Interludeをご訪問下さった皆さま、実際にOverSeasをご訪問下さった皆様、どうもありがとうございました!
 10月にOverSeasでジョージ・ムラーツの至芸が聴けたのは、今年のGood News! 偶然ムラーツも、このブログと同時期に公式HPを開設、私が彼のサイトのbio(ムラーツ伝)の和訳を、日本のファンの為にbioのページに採用してくれました。(すったもんだの末、彼のWebデザイナー、ジャックが、日本語の活字を扱いかね、私の作ったページにリンクを貼ってます。)
 最近、ムラーツのHPのフォト・ギャラリーには、在りし日のサー・ローランド・ハナや、パーシー・ヒースとの写真が追加されていて一見の価値あり!
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ムラーツ公式サイト、フォト・ギャラリーより、パーシー・ヒース、ジョージ・ムラーツ=二人の巨匠の釣り旅行風景。
 それが縁で、ムラーツの共演者イヴァ・ビトヴァから、「私にも日本語のバイオを作って!」とメールがあり、彼女の公式HPにも私の訳が載ってます。イヴァちゃん(私が勝手にこう呼んでいる。)はチェコでは演劇、音楽の大スターで今年春から米国在住、創造の妨げになると、自宅にはTVやラジオは一切なし。NY郊外で自然に囲まれた生活を送っています。Eメール上の彼女はスターぶらず、とっても魅力的な女性でした。珍しくムラーツが「凄いキャリアのパフォーマーと共演することになった。」と録音前にこっそり教えてくれたのも納得の経歴、ぜひご一読を。英語のbiographyから日本語にリンクしてます。
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 ジョージ・ムラーツ&イヴァ・ビトヴァは、新年にプラハ、ウィーンとスロヴァキアで公演予定、冬休みに彼の地に行かれる方はぜひどうぞ!写真はIva Bittovaフォトギャラリーより。
 また、イヴァちゃんの翻訳を請け負う過程で、日本の前衛芸術家たちとも交流がありました。彼女が以前プラハで共演した日本の舞踏家達の連絡先を探して欲しいと頼んできたのです。探していたのは田中泯(たなか みん)氏。俳優としても活躍していて、山田洋二の名画『たそがれ清兵衛』で、日本アカデミー賞助演男優賞を受賞しているから、ご存知の方も多いかも。真田広之扮する清兵衛が、意に反して果し合いをしなければならない不条理な敵役が印象的でしたね。
 なんという幸運!連絡をした時、ちょうど田中氏の舞踏グループはNYで公演中で、めでたくイヴァちゃんと再会!ひょっとしたら、イヴァちゃんの来日が果たされるかも知れません。スターというものは強運ですね。
 またイヴァちゃんと特に親しい田中氏のマネジャーは木幡和枝氏で、東京芸大教授、ブラックパンサー運動のエキスパートとして著名な文化人でしら。ちょうど11月のジャズ講座でブラックパンサーの女性リーダー、エレイン・ブラウンのアルバムを取り上げた直後のことでした。偶然は重なります。
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 本ブログでCafe Bohemia探索中に、私に色んな事を教えてくれたピアノの巨匠、ディック・カッツさんの紹介で、著名なジャズ史家、プロデューサー、アイラ・ギトラー氏からは、J.J.ジョンソンの関連書籍などについてアドヴァイスのメールをいただきました。ギトラー氏の著書、『Swing to Bop』は、BeBopの誕生と栄枯盛衰を語るミュージシャンの証言集で私の愛読書、嬉しかった!
 そして横浜からは、A.T.やCafe Bohemiaにまつわるブログを読んで下さった、マシュマロ・レコードのオーナー、上不三雄氏が、来阪の折、若き日のトミー・フラナガンの貴重な写真を携えて立ち寄ってくださって下さいました。
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上不氏が寄贈して下さった写真です。素敵でしょ!トミーの笑顔に似合うフレームを物色中。ありがとうございました。
 マシュマロ・レコードは、貴重な音源や映像の再発や、ヨーロッパやカナダのミュージシャンの新録音を丁寧に製作する良心的なレコード・レーベル。マシュマロ・サイトの上不さんのコラムでは、デューク・ジョーダンの墓参やカフェ・ボヘミアなどの興味深いエピソードも読めます。
 近くから、遠くから、ブログを通じて、OverSeasにやって来て下さった沢山の新しい皆さん、どうもありがとうございました。来年も毎週、(流行と無関係でアンタイムリーな)色んなトピックをお届けします。
 
では、良いお年を! CU

ショーン・スミスという真面目なベーシストのこと。

 
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 ショーン・スミスはN.Yを地盤にコツコツという感じでキャリアを重ねる実力派ベーシストだ。自己リーダー作や、ビル・シャーラップ(p)の初期の録音、アニタ・オデイ(vo)のラスト・レコーディングなどに参加。人柄は、喰うか喰われるかのNYシーンでやっているミュージシャンにしては、控えめでガツガツしたところがありません。それが、何度も来日しているのに、日本でも知名度がない一因かも知れない…彼の曲がグラミー賞の候補になった事すら、今回の記事を書くに当たって初めて知りました。
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 ショーン・スミスは1965年生まれ、’87~’90マンハッタン・スクール・オブ・ミュージックでベースを学び、NYを本拠に、今やトップ・ピアニスト、ビル・シャーラップや、実力派ドン・フリードマン(p)、巨匠ジェリー・マリガン(bs)達と共演を重ね、’94年から自己カルテットで活動する傍ら、完璧な音程と、安定したビート、アレンジの才能で、ペギー・リー、ローズマリー・クルーニー、ヘレン・メリル等、スター歌手達に重宝されます。1997年に、ショーンのオリジナル曲がマーク・マーフィーのアルバムのタイトル曲になり、グラミー賞にノミネートされました。
 ショーンのプレイは、彼の尊敬するジョージ・ムラーツ、レッド・ミッチェル、マイケル・ムーアのエッセンスをうまくミックスした感じで、ランニングの音使いのうまさには、いつも舌を巻きます。
 <それは一枚の譜面から始まった。>
 寺井尚之とショーンの出会いは、一枚の譜面から始まりました。話は’90年代に遡ります。ジェド・レヴィーというテナーサックス奏者が、NYから大阪の重鎮、西山満(b)氏の招聘で、寺井尚之と一緒にコンサートをしました。
 トミー・フラナガンはジェドのアイドルですが、フラナガンの演奏曲は譜面のないものが殆どで、寺井尚之の譜面帳は、ジェドには宝の山でした。その中あった“Elusive イルーシヴ”を見つけた時のジェドの嬉しそうだったこと!
 “イルーシヴ”はサド・ジョーンズが作った難曲、どれほど難しいかと言うと、数学に例えれば“ポワンカレ予想”に近い。前回ブログで紹介したペッパー・アダムスの『Encounter!』にも収録されています。その当時、脂の乗り切ったトミー・フラナガン3がNYのジャズシーンで、バリバリ演奏をしていました。elusiveとは「雲を掴むような、捉えどころのない」という意味で、その通り、何がなんだか全く判らないけど、滅茶苦茶かっこいいのです。サドの曲名は、悪魔的な茶目っ気に溢れている。例えば、Bitty Ditty(ちょっとした小唄)とかCompulsory(規定演技)とか…これも、サド・ジョーンズらしいネーミングですね。
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 フラナガンのサド・ジョーンズ集、『Let’s』のリリースは、それからまだ3年後のことでした。共演者へのみやげとして、寺井はその譜面を気前良くプレゼントしたのです。
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Jed Levy
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 それから約5年後、丁度ジャズ講座を開講し、寺井尚之がその準備であたふたし始めた頃です。講座が近づくと、寺井尚之は午後は調理場から出てきて、毎日、譜面や原稿書きに夕方まで没頭していました。
 ある日の午後、細身の白人青年が、入り口のレジのところで佇んでいます。道に迷ったのかと思うと、オーナーと話がしたいと言います。
(セールスにしては内気そうな人やなあ…)
 寺井尚之は「あかーん!今忙しいねん。タマちゃん、適当に相手して追い返してくれ。」とにべもない。私が、「今忙しくて手が離せないんです。私が代わって話を聞きます。」と言っても「どうしても直接話したい。」と言って引き下がりません。
(内気そうな割には、押しの強い人やわ…)
 押し問答になり、結局「5分だけ」と言って、10番テーブルに案内しましたが、寺井尚之は最高の仏頂面です。
 青年は、真面目な顔つきで小さな声で話しかけました。
「OverSeasのオーナーですね。私はあなたにお礼を言いにやって来ました。
 僕は、ベースを弾いてるショーン・スミスと言う者です。昨日へレン・メリルと大阪に来ました。トミー・フラナガンとジョージ・ムラーツを尊敬しています。“Elusive”を弾きたいと思っても譜面を持っている者はいないし、あの曲をコピーするのは絶対無理でした。
 ところが、あるバンド仲間を通じて譜面を手に入れたんです。その譜面を書いたのが、日本のピアニストだと聞いていました。おかげで僕たちも、今はこの曲をプレイしています。日本に行くことがあったら、ぜひあなたに会いたいと思っていたんです。やっとOverSeasを探して来ました。ミスター・テライ、どうもありがとう!」
 寺井の仏頂面はどこかに消え、二人は夕方まで楽しく話をしていました。
 それ以来、ショーンは日本に来たらOverSeasに寄って、時間があれば、寺井とセッションをして行きます。未だに、ヒサユキと言わずにミスター・テライと呼ぶ生真面目なミュージシャンです。
別にメル友でもないけれど、彼からライブ告知があれば出来るだけOverSeasの掲示板に載せてます。
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 トミー・フラナガンが亡くなった翌年の初春、アイルランド系の人々のお祭り、セント・パトリック・デイの直後にNYを訪れた時のこと。
 出不精のダイアナが、アイリッシュ・レストランでジャズを演っているところがあるから行こうと言うので、ヴィレッジの南の方にある“Walker’s”に行ったら、バンドスタンドで、こっちを見て目をまん丸にしていたのがショーンだった。とかく不思議な縁のある人です。
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“Walker’s”はNY最古のバーと言われている。ここはミュージック・ルームで静かですが、表はジュークボックスやTVがあって、相当ザワザワしてます。当夜のギタリストはピーター・リーチ、二人はこの夜、ダイアナの為に“エクリプソ”を弾いてくれた。
 
 そんなショーン・スミスと寺井尚之のコンサート、どんな音楽が聴けるのだろう? 演奏の上では、敬称略の、「腹を割った」音楽の会話を聴かせてくれるはず! 真剣勝負の聴き応えある一夜になると思います!
 2月8日(金)演奏時間は通常のライブと同じ7pm-/8pm-/9pm  前売りチケットは¥5,500(座席指定:税込¥5,775)です。チケットはOverSeasでのみ販売中。
席に限りがありますので、どうぞお早めに!詳しくはこちら。 CU
 

「偶然の旅人」:村上春樹を読みながら…

トミー・フラナガンのレパートリー考
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 NYにあった“ブラッドリーズ”というユニークなジャズクラブのオーナーの妻、ウェンディ・カニングハムが言っていましたが、ジャズクラブという仕事は、そこに従事する者の時間を容赦なく吸い取ってしまいます。
 私の時間も、毎日あっと言う間になくなって、ゆっくりと小説を読む暇などないのが実情ですが、村上春樹の作品には寝る間を惜しんで読みたくなる魅力があります。なんと言っても文章がうまい!日本語がうまい!人間の心の奥底に隠れる“闇”のようなものを、ソフトタッチの文章と、小説ならではの奇抜なストーリーで開示していくところが魅力です。彼のペットフレーズ、“メタファー(隠喩)”がいたるところに隠された文章は、北欧ルネサンスの絵画のように思えるし、読み手の心を掴んだまま、ラストまでグイグイ引っ張っていくドライブ感は、優れたジャズ・ミュージシャンのプレイのようでもあります。
 今年7月の電子版NYタイムズに掲載された彼のエッセイ、『Jazz Messenger』に、自分のスタイルは、チャーリー・パーカーの奔放なリフや、マイルス・デイヴィスの飽くなき自己革新の姿勢に大いに影響を受けている、というような事が述べられていて、大変興味深く思いました。
 彼がかつて、ジャズ喫茶を営む間に文筆活動を始めた事は、きっと私よりも、これを読む皆さんの方がずっとよくご存知でしょうね。
 最近文庫になった短編集、『東京奇譚集』のオープニング・ストーリー「偶然の旅人」の、枕というか、ヴァースの一部分になるのが、作者自身が体験した、トミー・フラナガン・トリオのライブにまつわる不思議な偶然のエピソードです。もうご存知の方が多いかも知れませんが、フラナガンに関する枕のあらすじはこんな感じ。
 ‘作者自身である“僕”は、’93-’95、ケンブリッジに住む間、一度だけトミー・フラナガン・トリオを聴きに行った。…お気に入りのピアニストのプレイに期待していたものの、その夜のフラナガンは、決して絶好調とは言えなかった。“僕”はレガッタ・バーでひとりワイングラスを傾けながら、「もし、彼に2曲リクエストをする権利が与えられたとしたら…」と思いを巡らせ、余り知られていない渋い2曲,“Star-Crossed Lovers(スター・クロスト・ラヴァーズ)”と“Barbados(バルバドス)”を選ぶ。すると、不思議にも、フラナガンはセットの最後に、この2曲を続けて演奏した!それは実にチャーミングで素晴らしい演奏だった。というのです。そして、彼はジャズの神様みたいなものがいるのかな…と思う…’
 普通の人なら、世間話で終わってしまうような、「ちょっと不思議な」いい話を、押し付けがましくない絶妙の語り口で、一編のショートストーリーにしているところが流石です。このエピソードは、『やがて哀しき外国語』にまとめられた『新潮』のエッセイが元になっているから、余程、作者に霊感を与えた印象深い体験だったのかもしれない。
 村上氏が不思議な体験をした“レガッタ・バー”は、ケンブリッジ、ハーバードスクエアのチャールズ・ホテルにあり、当時から、フラナガン以外にも、ジョージ・シアリング、ビリー・テイラー、アーマド・ジャマールなど、一流ピアニストが年間サーキットに組み入れていた店です。今年の年末はマッコイ・タイナー、来年の春にはジャマール出演と出ていました。私は行った事ありませんが、先日、ボストンに恩師ジョージ・ラッセルを訪ねた布施明仁氏(g)が、「ボストンのジャズクラブは、今はほとんどなくなってしまったけど、あそこは、まだなんとか健在やった。」と言ってました。
 ノーベル文学賞候補と言われる村上春樹、この作品は『Chance traveler』という題名でハーパーズ・マガジン誌に掲載され、USAの春樹ファン達がネット上で、「僕もレガッタ・バーでフラナガンを聴いた!」「私もBarbadosを聴いた!」とか色々盛り上がっていたようです。それで、G先生に無理を言って図書館でコピーを取ってもらい、ダイアナ未亡人に読ませてあげたら、「ムラカミは、いい小説家ねえ!」と、とっても喜んでいました。
トミー・フラナガンが、この小説を読むことが出来れば喜んだろうな…因みに、フラナガンのアルバム『バースデイ・コンサート』のライナーを書いているのは、ピーター・ストラウブというジャズファンの作家で、自分の小説にコールマン・ホーキンスやレスター・ヤングの音楽を登場させているらしい。
 ダイアナの証言によれば、トミー・フラナガンがレガッタ・バーに出演するのは、毎年主に、6-8月の夏時分だったそうです。上記の2曲は、どちらも渋い曲ですが、共にフラナガンの愛奏曲でした。フラナガンは季節感を意識してレパートリーを組む人ではあったけれど、どちらも特に季節に関係なく演奏していたはずだと言います。
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Encounter! 11月のジャズ講座で大反響だった名盤です。
 村上氏が選んだ2曲のうち、バラードの“Star-Crossed Lovers”は、デューク・エリントンの片腕で、フラナガンが愛してやまないビリー・ストレイホーンの作品です。“Pretty Girl”というタイトルでしたが、改題されて、シェイクスピア組曲《Such Sweet Thunder》に組み込れました。星のまたたく夜の冴え冴えとした空気が漂うような曲で、小説に書いてあるとおり、ペッパー・アダムスのアルバム、《Encounter!》に名演があります。余談ながら、寺井尚之は、シェークスピアが作った造語と言われる“星巡りの悪い恋人達”を、織姫-彦星の七夕に見立て、好んで7月に演奏します。
 一方、Barbadosは、チャーリー・パーカーのルーツ、カリブ海の島国の名前で、ラテンリズムの軽快なFのブルースです。作者お気に入り、OverSeasの常連なら皆大好きな名盤《Dial J.J.5》に収録されている他、リーダー作、《Beyond the Bluebird》で再演しました。
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名盤!Dial J.J.5 (’57 1/31録音)
 実はこの2曲とも、《Tommy Flanagan Trio, Montreux ’77》というアルバムに収録されているのです。スイス、モントルー・ジャズフェスティヴァルで、エラ・フィッツジェラルドが登場する前の、「前座」というには凄すぎるトリオ演奏のライブ盤で、演奏日は’77年7月13日です。ひょっとしたら、氏がレガッタ・バーでワイングラスを傾けたのと同じ季節であったかも知れません。
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参考までに、このレコードの録音順は以下のとおり
Barbados
Medley: Some Other Spring / Easy Living –
Medley: Star Crossed Lovers / Jump For Joy
Woody’n You –
Blue Bossa –
Heat Wave
 耳の肥えた村上氏が、その夜、この2曲を心に思い浮かべたのには、なにか、それを連想させるような曲をフラナガンが聴かせたからではないのかしら?ステレオタイプに毒されて、ガチガチに凝り固まった自称ジャズ通ならいざ知らず、イマジネイティブな彼なら、耳に聞えるサウンドに刺激され、リクエストの問いを自分に投げかけたのではないかしら?
 寺井尚之に訊いてみよう…
私:「かくかくしかじかの短編があるねんけど…
 この2曲がフラナガンのセットリストに入っていたとしたら、後にどんな曲を入れたと思う? 1st 7:30pm-/ 2st 10pm-の、一晩2セットで、多分1stで演ってはんねん。それで、この2曲は最後の方に入っていて、Star- Crossed Lovers~Barbadosの順やて。」
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寺井尚之:「バルバドスがラスト・チューン!? それはフラナガンやったら、絶対にあり得へんな。その後まだラストに続くはずや。
 
 エリントンの曲はトランプで言うたらジョーカーみたいなもんやから、前後何を持ってきてもええねん。そやけど、スター・クロスト…持って来たんやったら、ラストは、ほぼ100%エリントンの曲に決まってるわ。
 
 そういう話なら、最初の方に、“Mean Streets:ミーン・ストリーツ”とか、間に“That Tired Routine Called Love:ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラヴ”なんぞを、演らはったんちゃうか?」
私:「えーっ? “Mean Streets”なんか最初の方に持ってくるのん?ラスト・チューンじゃなくて…?」
寺井尚之:「そうや!この演奏の時期やったら、ピーター・ワシントン(b)、ルイス・ナッシュ(ds)のトリオや。ケニー・ワシントン(ds)やったら、“Mean Streets”は、絶対ラスト・チューンやけど、ルイスやったら、最初の方に演る可能性の方が大や。」
 寺井尚之が挙げた、Mean Streets(ミーン・ストリーツ)は、昔はVerdandi(ヴァーダンディ)という名前のフラナガンのオリジナルで、《Overseas》や、“Star- Crossed…”と同じ《Encounter!》に入っているドラム・フィーチュアのハードな曲だ。そして、“That Tired…”という長いユーモラスな名前の名歌は、’80年代後半からトミー・フラナガンの愛奏曲で、そのルーツは、J.J.ジョンソンの、もうひとつの秀作《First Place》だ。
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 ひょっとしたら、それらの曲を耳にして、例の2曲が心に浮かんだのではないかしら?ジャズ通の村上春樹であったからこそ、ごく自然に、ほとんど無意識に…。
 ダイアナも言っていたのですが、「私がやって欲しいと思っていた曲をズバリ演ってくれた、なんて素晴らしい偶然なんだろう!」とフラナガンが言われることは、世界中どこで演奏しても、実に頻繁にあったんです。
 例えば、OverSeasでも、フラナガン3が、レコーディングもしていない’Round Midnightを演った時には、「僕のテレパシーが通じた!」と大喜びするお客さまがおられました。それは、そのセットの前に別のモンク・チューンを演ったからだったと記憶しています。
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“偶然の旅人”当時のレギュラー・トリオ。左からトミー・フラナガン、ピーター・ワシントン(b)、ルイス・ナッシュ(ds):ピーターの画像はhttp://www.jazznow.com/1004/Newport2004.htmlより拝借、ルイスの画像はwww.drummerworld.com/ drummers/Lewis_Nash.htmlより拝借。
 フラナガンという人は、唐突なリクエストは絶対に受けないアーティストでした。それは、単に愛想が悪い、客に迎合しない、という訳でなく、1夜の曲目を、フルコースや懐石料理のように、最初から最後まで、最高のしつらえで聴かそうと考えていたからなのです。とはいえ「選りすぐりの曲順で演ってるのじゃ!」みたいな大仰な態度ではなく、さりげない風情を崩しません。だからこそ、メリハリが効き、一生忘れられないような、自由奔放な演奏になったのですね。
 「これが聴きたかった!」と思わせる演奏、「自分が願ったから演ってくれた!」と思ってもらえる演奏は、プレイヤー冥利に尽きます。最近は、寺井尚之も同じことを言ってもらえる時があるのですが、フラナガン流なのか?「偶然の旅人」効果なのか?
 全く同様に、読者の潜在願望に応えるのが村上文学のキーではないのかな、と私は思う。例えば、この『偶然の旅人」に出てくる、「アウトレット・モールの書店の一角にある居心地の良いカフェ」や、『海辺のカフカ』に登場する「甲村記念図書館」などは、読書好きなら、「こんな所で本を読みたいなあ…」と、漠然と求めていた理想郷が、そのまま描かれている。
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 「偶然の旅人」以降、フラナガンとジョージ・ムラーツを深く愛する東京の友人S君も、自分の不思議な体験を教えてくれました。彼は学生時代、ベーシストとして寺井について修行していて、生真面目で少年然とした性格から、お店の人たちから常連様、果てはジョージ・ムラーツに至るまで、皆から、弟のように可愛がられていました。数年後、彼が東京で離婚し、子供と暮らしていると聞いた時は、ちょっと信じられない気持ちになったものです。
 その後、S君はある女性と知り合い、初めて彼女の自宅を訪問した、その瞬間に流れていたのが、S君が好きなMoodsvill-フラナガン3の、“In a Sentimental Mood”だった!彼がフラナガン・ファンだとか言うことは全く知らないはずなのに…S君は腰を抜かすほど驚いたのだけど、彼女は、ジャズが好きと言う彼のために、100円ショップで売っているような、海賊盤の寄せ集めのCDをかけていただけだった。エリントンのこの曲に不思議な啓示を受け、二人は再婚し、現在、お互いの子供さんと共に、とっても幸せな家庭を作って暮らしている。
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 私自身の個人的な体験もついでに書いておこうっと。ここ数年間、ビリー・ホリディをジャズ講座などで取り上げるにつれ、私は心ひそかに確信していたのです。ホリディの歌の本質は「男の不実を赦し、自分の悪癖を赦し、聴く者のあらゆる罪を赦す観音様だ。」と。そして、「これは私だけが知っている秘密の真実だ!」と人知れず得意になっていたのですが、彼の本を読むと、似たような事を、いとも簡単にスパっと書いてあって、「ええっ、なんで知ってるの?!」度肝を抜かれたことがありました。村上流ジャズ論に、全て賛同はできないのですが、例え世界的文豪であっても、彼になら、「村上さん、ここ、違うよ」と言っても、無視したり、気を悪くせず「なんで?」と耳を貸してもらえそうな幻想を与えてくれるのが、村上スタイルですね。
 この「偶然の旅人」に登場するフラナガンのエピソードこそ、“僕”こと村上春樹の小説作法のメタファーであるのだと、私には思えてならなりません。だからこそ、村上作品は、その夜のフラナガンの2曲のプレイと同様、実にチャーミングで素晴らしいのです。

寺井珠重の対訳ノート(2)

エラ流The Lady Is a Tramp 
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In Budapest

 米公共放送の「Piano Jazz」というラジオ番組にゲスト出演したトミー・フラナガンは、エラ・フィッツジェラルドとのコラボ時代を回想し、「彼女がヴァース(本コーラスに入る前の、歌の前置きの部分)を歌う時が、特に楽しかった。」と語った。(番組のインタビュー全文は講座本Ⅲに載ってます。)

 “The Lady Is a Tramp“は’70年代のおハコの一つだ。この歌のヴァースだけで、エラ&トミーは、なんと6パターン持っていたという。歌伴なのに飽きない仕事、これが根っからのバッパーであるフラナガンをエラの伴奏者の位置に引き止めた最大の理由だと思う。
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 今週のジャズ講座に登場する、《Ella in Budapest》のアルバム中、一番対訳に苦労したのがこの曲。(オリジナル歌詞はこちら。)寺井尚之がエラの講座をやるのは、初めてではないので、今まで何度もこの対訳を作っていますが、その度に少しずつ手直ししています。
 余り対訳が説明的になると、エラの楽しさが表現できない。だけど、意味をなおざりにして、何となくやりすごすと、やっぱり楽しさが出ない。

 この曲はロレンツ・ハート(作詞)&リチャード・ロジャーズ(作曲)の名コンビによる作品、1937年というから昭和12年の作品です。”Babes in Arms”というミュージカルで、当時17歳の子役スター、ミッチ・グリーンが歌いヒットしたといいます。

 ブロードウエイで芝居見物するのに、精一杯着飾り、目立ちたいから、わざと開演時間に遅れて劇場に入ったり、ハーレムで夜遊びし、口先だけの社交辞令ばっかりのNYの上流レイディ達、取り澄まして、いけ好かない気風を皮肉った歌詞は、エラのヴァージョンでなく、オリジナル歌詞を読むだけでも充分楽しめる。

 この歌を書いた夭折の作詞家、ロレンツ・ハートは同時代の大ソングライター、コール・ポーターや、この曲のヴァースにも登場するマルチタレント、ノエル・カワードと同じくゲイであったそうだ。この歌にも、ゲイの人特有の、お洒落で鋭い風刺のセンスが感じられる。それが70年経った現在も、古臭く感じない理由かも知れない。私の対訳サポーター、ダイアナ・フラナガンは、この歌詞の視点から、ずっとポーターの歌と思いこんでいたそうだ。

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 左からリチャード・ロジャーズ、ロレンツ・ハート、コール・ポーター、そしてノエル・カワード、カワードは日本では後の二人に比べて有名じゃないけど、劇作家、作詞作曲家、歌手、役者と様々な肩書きを持つイギリス人で、スパイという説があり、007ジェームズ・ボンドのモデルと言われている興味深い人です。

 
 対訳係りとしては、そのお洒落なところを何とか日本語にしたいのだけど…

だけど、”ザ・レイディ・イズ・ア・トランプ”のトランプは、日本語で何と言ったらよいのだろう? 辞書をひいてみようか…(因みに、ポーカーやババ抜きをするトランプはtrampでなくtrumpです。)
  ● 研究社「カレッジ・ライトハウス英和辞典」で名詞の”tramp”の項には、①【主に英】浮浪者、放浪者、④【主に米】〔軽べつ的〕ふしだらな女 :と書いてある。
  ●Merriam-Webster Dictionaryに書いてあることを日本語にすると、①徒歩で旅行する人 ②浮浪者、放浪者、③不道徳な女性、売春婦…と続く。

ダイアナ・フラナガンは、「a trampとは、a hoboであり、同時にa woman (who) sleeps aroundである。」と教えてくれたから、やはり辞書と一緒だ。でも、「寝まわる」なんて…、英語はオモシロイね。

 何故、浮浪者と不道徳な女が、同じ言葉なんだろう?
 ややこしいやん、どないなってんねん?対訳係の心は千路に乱れる。

 ”a tramp”で、思い出すのは、20世紀米文学を代表するJ.D.サリンジャーの初期(’48)の短編”A Perfect Day for Bananafish(バナナフィッシュにうってつけの日)”だ。ケッタイな題名は、ここでは気にしないでください。
 この短編の主人公は、第二次大戦中、戦地で精神を病み、戦後帰還するものの、「戦争なんてアタシにはカンケーない」と、ノー天気でチャランポランな妻を『1948年度のMiss Spiritual Tramp』と呼び、自分がエラい目に会った戦争に無関心な周囲とのギャップを埋められず、ピストル自殺してしまう。この小説の翻訳者の人たちも、”Tramp”の日本語には手こずっているようで、”1948年度ミス精神的るんぺん”とか”放浪者”とか”あばずれ”とか、本によって色々変わっているようです。

 だいたい、日本には、放浪者と性的にふしだらな女をひとくくりにして、一つの言葉で表す文化がないのです。となると、翻訳者は辛い。”Tramp”はステディな相手を定めず、男から男へと放浪する女を軽蔑する英語なのですね。

 この曲のヴァースの、“メイン州からアルバカーキまでヒッチハイクしてたから、大きな舞踏会に出損ねた”、”Hobohemiaこそが、私の居場所”のくだりの“Tramp”なら「放浪者」でしょ。

 1番の歌詞に入り、”嫌いな連中とは付き合わない”つまり、口先だけの社交生活をしないという“Tramp”は、”あばずれ”であるかも知れないけど、”浮浪者”じゃない。

 2番に入ると、エラ流の歌詞となり本領発揮、上流とは程遠く、男にだらしない、いわゆる「あばずれ」の面を、歌詞を変えてわざと強調し、歌の書かれた時代でなく、”現代”のタッチと、歌の楽しさを前面に出して、圧倒的にスイングして行く。

 シナトラの青い目にシビレて見せた後、オリジナル詞の“I’m all alone when I lower my lamp=ランプを暗くして寝る時、私はひとりぼっち”のラインを、エラは、意図的に、こう変える。
“I’m always happy when I lower my lamp. =私がランプを暗くする時は、いつでもハッピーよ。” わざと男性との情事を匂わせて、「あばずれ度」をアップしてから、そういう手合いは”tramp”って言うの!なんか文句ある?と高らかに「寝まわる女」! こう言う歌詞を歌って、品を失わず、楽しくて、スカっと胸のすく印象を与えるのは、エラのキャラクターと歌唱力とのなせる業。これがアニタ・オデイとか、正真正銘のトランプっぽい姐さんだと、こういう風にはいきません。

 サビになると、バンドと一緒にエラは歌全体のカラーを一層すがすがしくさせる。とりすました世間に”Tramp”と軽蔑される女は、髪を風になびかせたり、顔に雨が降りかかるのが気持いい、なんてホザく。ヘアメイクで自分を作りこまない自然体、風が吹いても、ヘアスタイルは崩れないし、雨が降ってもマスカラが落ちてタヌキのような顔にはならないから、気持ちがいいのです。“Tramp”とは、「周囲や既成概念に左右されず、自分に正直な女のこと。」というオチが一層明確になる。だから、平成の時代に聴いても充分共感できる歌になっている。

 
 エラの歌を聴いていると、日本女性でThe Lady Is a Trampと言えば、「男はつらいよ、フーテンの寅」に登場するマドンナ、日本中を旅回りするクラブ歌手、リリーさんが思い浮かびます。(ちょっとメイクはキツいですが、心根が似てます。)
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  エラ・フィッツジェラルドは、歌っている言葉の意味が判らなくとも、充分楽しめる超一流の大歌手だけど、歌の意味だけでなく、歌詞解釈が判って来るとさらに楽しいものですね。

ジャズ講座:Ella in Budapestは12月8日(土) 6:30開講、寺井尚之の名解説に乞うご期待!CU