トミー・フラナガンはライブ命のアーティスト、だから、自分が参加した歴史的名盤には、レコードでフラナガンに親しむファンにとって、驚くほど無関心だった。「今の自分が最高なんだ!」という強烈な自負があったのだ。
とはいえ、そんなフラナガンが終生誇りにしていたアルバムがある。それはコールマン・ホーキンスとの『At Ease』(Moodsville)で、LPのジャケットを居間に飾るほどのお気に入りだった。
だが、その録音セッションは、前もって入念な準備をしたわけでなく、スタジオで渡された市販の譜面で録音する日雇い仕事だった。スタジオでの限られた時間内で、凡人なら一生かけても到達不能の深い演奏解釈とアレンジを魔法のように作り上げ、1テイクで出来上がったトラックを集めたアルバムは、一生聴いても飽きない出来栄えだった。大魔法使い(ホーキンス)のリードで、それまで気付かなかった自分の魔力に目覚めるハリー・ポッターがフラナガンだ!
ホーキンスの音楽的意図を瞬時に読み取り、そこしかないタイミングに、それしかないというフレーズを創造した瞬間の、フラナガンの鼓動が聴こえてくる。
性を超越した師弟の大きな「愛」さえ感じる即興演奏-これがジャズの醍醐味だ!
「トミー・フラナガンの足跡を辿る」では、このアルバムを文字通り毎日愛聴する寺井尚之が、一瞬の合図さえも読み取って、最高の音楽解説をしてくれました。中でも皆で一番感動したのが日本女性の歌 “Poor Butterfly”。
<歌のお里>
有名なプッチーニのオペラ『Madam Butterfly (蝶々夫人)』由来のポップソング- “Poor Butterfly”は、大正時代=1916年の古い歌。当時、NYで大盛況を博した’ヒッポドローム’という大劇場のドル箱レビュー-’ザ・ビッグ・ショウ’のために作られた作品だ。
’ザ・ビッグ・ショウ’はバレエやオペラなど様々なスターの出演が目玉で、伝説のバレリーナ、アンナ・パブロワが「眠れる森の美女」で登場したことさえあった。
その’ビッグ・ショウ’に、異国情緒溢れる日本のゲイシャ・ガールを出演させて歌わせたのが、この歌の初演。次に白人女性歌手が歌い大人気を博した。
それでヴィクター軍楽隊がレコーディング(1916)、バイオリンのスター、フリッツ・クライスラー(1875-1962)もカヴァー(1917)するほどのヒット曲になりました。
その後、朝鮮戦争が終わった’50年代後半、映画「サヨナラ」に象徴されるような日本ブームが起こり、それに便乗するかたちでリバイバル・ヒットした。フランク・シナトラ、そして決定版、サラ・ヴォーンの『Sarah Vaughan Sing Broadway』のおかげでジャズ・スタンダードになった。
< 咲き続ける桜>
若い皆さんのために「蝶々夫人」のストーリーをちょっと説明しておきましょう。
舞台は幕末の長崎、アメリカの軍艦に乗って入港したハンサムな海軍士官ピンカートンは、うら若き美貌の舞妓、「蝶々さん」に恋をする。二人は国際結婚し、長崎の地で家庭を持ち、子供にも恵まれた。
やがて彼は「帰ってくる」と言い残し、再び船に乗って旅立った。貞淑な蝶々夫人は、桜の舞い散る屋敷で、来る日も来る日も、ひたすら夫を待ち続ける。
3年後、長崎に戻ってきたピンカートンの傍らにはアメリカ人の妻が寄り添っていた!
蝶々夫人は、息子を彼に託し、名誉の自害で果てる。「一巻の終わり」-という美しくも哀しいお話。
ピンカートンという名前がユーモラスに響き、私の子供の頃は落語や漫才のギャグになっていた。
この物語の原作は、アメリカ人の弁護士、John Luther Longが書いた短編。色々リアリティ・ギャップはあるものの、満開の桜の花が咲き続ける情景には、シュールな美しさが漂います。
歌詞のツボは『The Moon and I』のくだりと、一瞬が何時間に何年にもなる時間の経過感、サラ・ヴォーンもコールマン・ホーキンスも、いつまで経っても欠けることのないスーパームーンと桜吹雪が舞い散り続ける夢のような情景がサウンドに溢れます。
名唱、名演を聴きながら目に浮かぶのは、日本の八千草薫さんが演じた蝶々さん(日伊合作映画 ”Madama Butterfly” 1955)の美しい姿・・・映画もぜひ観てみてくださいね。
<Poor Buttterfly>
詞John Golden/曲Raymond Hubbell (原歌詞はここに)
Verse
桜の木の下に楚々と座る
小さな可愛い日本人の物語、
その名はミス・バタフライ。
彼女は愛らしく、無邪気な少女、
立派なアメリカの若者が、海を越え、彼女の庭にやって来るまでは…
満開の桜の下、二人は毎日逢う瀬を重ね、
彼は、アメリカ流の恋の作法を教えました。
それは全身全霊愛する事。
教わるのは簡単でした。
やがて若者は、きっと戻ると約束し、船に乗って行きました。
Chorus
哀そうな蝶々さんは、桜の下で待っている。
ああ、蝶々さんはこんなに深く愛しているのに・・・
時は過ぎ、ひとときが数時間に、
そして何年も・・・
涙の中に微笑みをたたえ、
彼女はかすかにつぶやく。
「お月様と私はあの方の誠実を存じております。
きっといつかお帰りになる!
もし、お帰りにならなくても、
ため息をついたり、泣いたりなどいたしません。
この命、断つのみでございます!」
なんと哀れな蝶々夫人・・
誠実で貞淑な日本女性、伝統的クール・ジャパンな世界がここに!
ところが、古来からヴァースを導くイントロには、サラ・ヴォーンのヴァージョンを含め、ステレオタイプな中国のメロディーがくっついていた。
その譜面を渡されたコールマン・ホーキンスは、即座にヴァース部分をカット! 日本人の魂に響く素晴らしいアレンジを瞬時に施した。
雑味を排し曲本来の良さだけを活かす調理法は和食だ!まさしくクール・ジャパン!
このホーキンスの魔法を真近で観て学んだトミー・フラナガンどうやら、後年のトミー・フラナガンの名演目の秘密はこの辺りにあるようですがザッツ・アナザー・ストーリー!
「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は毎月第2土曜日に開催中!是非一度覗いてみてくださいね。
CU