J.J.ジョンソン北欧ツアー秘話

無題.png 今週の土曜日、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は”J.J. Johnson Live in Sweden 1957″が登場!レギュラー・バンドの演奏の緻密さ、すごさと共に、トミー・フラナガン・ファンにとっては、『OVERSEAS』録音直前の貴重な記録でもあり、講座にあたって、このヨーロッパ・ツアーのことを調べていると、色々面白い事実を発見したので、ここに書き留めておきます。
<初めてのヨーロッパ・ツアー!>
 このツアーは、スウェーデン政府の招聘によるもので、J.J.ジョンソン初めてのヨーロッパ・ツアーでした。故郷インディアナポリスの新聞“The Indianapolice Recorder “(’57 6/22付)には「地元出身トロンボニスト、スウェーデンを席巻!」と大見出しで報道されています。当時、J.J.はジャズ史上最悪の条例、NYキャバレー法のトラブルで、正式なNYでのクラブ出演に制約があったのですが、素晴らしいミュージシャンであることを海外が認めてくれたわけで、J.J.も「よっしゃ!」と気合が入ったに違いありません。何事も緻密に計画するJ.J.はツアーの前年に、まずエルヴィン・ジョーンズを誘い、エルヴィンが、タイリー・グレン(tb, vib)のバンドで一緒だったトミー・フラナガンを誘い、J.J.のバンドに参入。”J Is for Jazz”や”Dial JJ5″など、レコーディングを重ね、出発直前にはカフェ・ボヘミアに出演し、レギュラーとして体裁が十分に整ってからツアーに臨みました。トミー・フラナガンが、スウェーデンからNYに派遣されていたプロデューサー、ダールグレン氏に録音の要請を受けた後、「OVERSEAS」のアイデアを練る時間も十分あったのかも知れません。
<豪華客船の旅と新兵器!>
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 1957年6月、J.J.ジョンソン、ボビー・ジャスパー、トミー・フラナガン、ウィルバー・リトル、エルヴィン・ジョーンズ一行はNY港から船で北欧に向かいました。アルバム・ライナーでは「6月13日首都ストックホルムに到着後、翌日の14日にさっそくラジオ出演(本作1~5の演奏)」と書かれていますが、国立アメリカ歴史博物館所蔵のエルヴィン・ジョーンズの証言では「コペンハーゲンからツアーをスタートし、数日後ストックホルムへ向かった。」 とありました。とにかく、昔のことなので記憶があいまいなのかも知れません、でも、はっきりとエルヴィンが覚えているのは船旅の快適さ!数日の船旅の間はごちそう三昧で、「ヨーロッパ旅行は船に限る!」と思ったとか。
cbf5c97e6727066b97bbe8f21d397107.jpg また、このアルバムでは、トロンボニウムという耳慣れない名前の楽器が使われています。これは、J.J.の言葉を借りれば、「バリトン・ホーンとフリューゲル・ホーン、あるいはユーフォニウムとかメロフォンを足して二で割ったような楽器。」。ツアーの前年に、カイ・ウィンディングと、金管楽器メーカー「KING」の工房を訪問した際、ひょんなことから「これ持ってって使ってみなよ。」ということになり、二人で一生懸命練習して、ツアー前年にJ & Kaiで”Piece For Two Tromboniums”をレコーディングしています。スライド・トロンボーン主体で、元々ヴァルヴ楽器奏者でなかったJ.J.にとって、トロンボニウムを吹きこなし、まして自由にアドリブをするというのは「かなりの根性と稽古が必要だった。」と言いますから、折角自分の思いのままに動くようになった楽器を、このツアーで使ってみようと思っても不思議はないかも知れませんね。それとも、何らかの事情で、スライド・トロンボーンよりも使い勝手が良かったのかも知れません。
<ジャズの巨人 蚊に泣く>
 ツアーは、デンマーク、スウェーデン、フランス、オランダ、それにボビー・ジャスパーの故国、ベルギーと約3か月の長期にわたって各国を回るものでした。当時のダウンビート誌には、どこに行っても景観ばかりで、J.J.ジョンソンが「バンドのメンバーが皆で使えるように3台のカメラを購入し、毎日フィルム10本分パシャパシャと撮影し、イーストマン・コダック社(!)の利益に貢献した。」と書かれていて、時代を感じます。今なら、TwitterやFacebookのJJのアカウントに、沢山観光やグルメの写真がアップされていたかも知れませんね!
kungsan.jpg マシュマロ・レコードの上不三雄氏から、スウェーデンの公演は、ほとんどが野外だったと教えていただきました。エルヴィン・ジョーンズの証言では、スウェーデンでは、どの町にも必ず大きな公園があり、いろんなイベントが公園で開催されていたそうです。北欧の短い夏でもやはり蚊はいるようで、メンバーはどこに行っても蚊の襲撃に悩まされ続けたそうですが、どこも満員の大盛況!ストックホルムのヴぇニューは、”Kungstrad garden”(王様の公園)というところで、J.J.ジョンソンクインテットの単独公演に、なんと2万人の聴衆が詰めかけました。大群衆を前にしたエルヴィン・ジョーンズは「今夜ばかりは、スティックを落っことしちゃいけない…」と肝に銘じたそうです。
 当時J.J.ジョンソン33才、ボビー・ジャスパー31才、エルヴィン・ジョーンズ、ウィルバー・リトル29才、トミー・フラナガン27才、皆若いですから、コンサートがハネるとジャム・セッションで盛り上がりたいところ…でもストックホルムにはジャズクラブがなく、現地のミュージシャンが待つレストランでセッションが行われたそうです。ですからシンデレラのように、閉店時間の零時には解散し、NYで蓄積した睡眠不足の解消に役立ったとか…J.J.ジョンソンはその時、印象に残ったミュージシャンにスウェーデンのトロンボーン奏者、オキ・ペルソンを挙げています。
 一行は更に各地を回り、アムステルダムの名ホール、”コンセルトヘボウ”の音響の素晴らしさにJ.J.は感動!ステージで囁くと、最後部で同じように聞こえる。マイクなんて必要ない!と絶賛しました。そのコンサートの模様も、最近リリースされたので、来月の講座で解説予定です。
<クビになったエルヴィンとソニー・ロリンズの名盤>
 J.J.ジョンソンとトミー・フラナガンのファンなら、ボビー・ジャスパーとエルヴィン・ジョーンズを擁する、バランスのよいこのクインテットと、その後『J. J. in Person 』などで聴ける、弾けるようなナット・アダレイ(cor)とアルバート”トゥティ”ヒース(ds)のクインテットと、どちらが好きかで話題が盛り上がりますよね。
 寺井尚之はかねてからこんな風に断言していました。
 「J.J.みたいなきっちりしたタイプやったら、エルヴィンのドラムはリズムが流れるところがあるから、絶対アル・ヒースの方が好みやと思う。今やったらルイス・ナッシュ(ds)が好みやろうな。」これをぴったり裏付ける事実をエルヴィン・ジョーンズのインタビューに発見してびっくり仰天!
 J.J.ジョンソンは、この輝かしい楽旅が終わった途端、アルバート”トゥティ”ヒースに共演を約束し、エルヴィンにはクビを言い渡したというのです。その理由は「君はタイムキープができない。」というもので、激怒したエルヴィンは、帰国後フィラデルフィアとNJのクラブ”Red Hill Inn”のギグを消化した後、さっさと辞めてしまうのです。
 恐るべし寺井尚之!ジャズ講座の実績はダテじゃない!
sonnyrollinsvillagevanguard.jpg 1957年11月3日、「君はタイムキープができない。」ドラマーにとって最悪の言葉でクビにされたエルヴィンがNYに戻り、兄のトム(9人兄弟です)と一緒に昼間からダウンタウンでヤケ酒を飲んでいると、ベースのウィルバー・ウエアがやって来て「ソニー・ロリンズがお前のことを捜してるぞ!」と告げます。
 誘われるままヴィレッジ・ヴァンガードに行くと、ロリンズが出演中、誘われるまま、丸一日遊びで一緒に演奏してしまいました。そうしたら、その日はなんとBlue Noteのライブ・レコーディングの日だった!本来のドラマー、ピート・ラロッカではなんとなくサマにならなかったので、エルヴィンを捜していたんです。出来上がったのが、なんと、古典と謳われる『A Night At The Village Vanguard』でも、エルヴィンは遊んだだけなのでギャラは1セントもなし!
ロリンズは“Oh, man thank you.”とお礼を言っただけ、エルヴィンは“Oh, man shit!”って悪態をついただけだったんですって!
 エルヴィンがJ.J.にクビにされていなければ、ロリンズの人気アルバムも生まれてなかったというウソのような話ですが、スミソニアン歴史博物館にしっかり所蔵されています。同じアーカイブにあるJ.J.ジョンソンのインタビューや、以前ジャズ史家アイラ・ギトラーさんに教えていただいた、J.J.ジョンソンの評伝「The Musical World Of J.J. Johnson」などから、色んなことを根掘り葉掘り・・・
 というわけで、今回のLive in Swedenの後にライブ録音された『Live in Amsterdam』や『OVERSEAS』のこぼれ話は、また機会を改めて!
 土曜日は「トミー・フラナガンの足跡を辿る」にお待ちしています!
 おすすめ料理は「チキンの春野菜ソース」にします!
CU

ミステリー作家のライナーノート:Sunset & The Mocking Bird

 春のトミー・フラナガン・トリビュート3月17日(土)に!
 今日は先日の第100回記念足跡講座に登場した名盤『Sunset and The Mocking Bird: Birthday Concert』のライナーノートを和訳をしてみました。
 ジャズやジャズメンの登場するミステリーを得意とする小説家ピーター・ストラウブの書き下ろし。多分、フラナガン夫人、ダイアナの希望だったんでしょう。ダイアナは読書が大好きですからね。ストラウブの著作は”Pork Pie Hat”とか”If You Could See Me Now”といったタイトルがずらり。このライナーもジャズ・ライターとは一味違う味わいです。
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 トミー・フラナガン、 67才の誕生日の夜、彼がヴィレッジ・ヴァンガードへ続く階段を下りる時の思いは、7年間に渡るルイス・ナッシュ、ピーター・ワシントンとのトリオで最高の演奏を、という、大変だが楽しい仕事以外の事はなかったろう。だが、トミー・フラナガンは思いに耽り時間を浪費するような事はしない。彼のトリオのメンバーは、常に良く反応し合い、独創性とウイットに富み、非の打ち所がなくパワフルだ。 ピアノトリオという形態を、完璧な姿で具現してみせるのである。
 その夜のフラナガンの演奏が、我々の期待を遥かに上回ったのは、次の要因が考えられる。ヴィレッジ・ヴァンガードの素晴らしい音響と、由緒ある歴史:トミーはここで演奏するのが大好きだ。だがフラナガンは年表など無意味とでも言うように無関心な態度をとる。つまるところ、たまたま誕生日に、気が付くと、巨匠として長年認められてきた者に相応しい、溢れる活力で演奏していただけの話、ということになる。
 トミー・フラナガンが現在の名声へ至る道程と業績は、しばしば誤解されているので、簡単に述べておいてもいいだろう。
  フラナガンはデトロイト近郊、コナント・ガーデンズに生まれた。そして、彼の言を借りるなら、「ピアノの椅子によじ上ることができるようになるや否や、ピアノを”いじくり”始めた。」その後、クラリネットとしばし浮気した後、小学生の時にピアノのレッスンを始める。すでにファッツ・ウォーラー、テディ・ウイルソン、アート・テイタムに馴染んでおり、ハイスクールに入学すると、ナット・コールやバド・パウエルを聴きながら、’40~’50年代にデトロイトで開花する大量のジャズの才能の一翼を担う準備を進めていた。
 やがて成長したフラナガンは、ケニー・バレル、ぺッパー・アダムス、エルビン・ジョーンズ、ジョー・ヘンダースンなど、ジャズ界に大きな変化をもたらす宿命のデトロイト・ミュージシャン達と共演する。NY進出後、僅か数週間、1956年3月に、サド・ジョーンズのアルバムでレコーディング・デビュー、3日後にはマイルス・デイビス、ソニー・ロリンズと録音。真夏にはJ.J.ジョンソン・ クインテットの一員として再びスタジオ入りし、1958年迄にコールマン・ホーキンスと共演した。
 ’50年代後半と’60年代の大部分、フラナガンは、おびただしい数のレコーディングに参加。家へ帰るより、ルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオのソファで寝泊まりした方が良かったと思うほどだ。それらのレコードは全て賞賛に値し、中にはそれ以上に価値ある作品もある。発表されたその日から「古典」となった名盤、『ソニー・ロリンズ/ サクソフォン・コロッサス(’56)』衆目一致のジャズ史上記念碑的作品『ジョン・コルトレーン- ジャイアント・ステップス(’59) 、ジーン・アモンズ作品の内、もっとも優れたアルバム『ボス・テナー(’60)』、ローランド・カークの『 アウト・オブ・ジ・アフタヌーン(’62)』 などで必要不可欠な役割を演じ、30代前半までに、ジャズピアノの伝統と音楽の発展に活発に貢献していたわけだ。
 エラ・フィッツジェラルドも彼を聴いた時、すぐにその長所を見抜き、1962~65年の間共演、3年後にはミュージカル・ディレクターとして再び彼を迎えた。以降10年間エラの所に留まり、フラナガンは、理想の伴奏者の代表であると同時に、ジャズミュージシャンといえば、ルイ・アームストロング以外聴いたことのないというような何百万のファンに愛される偉大なボーカリストの後ろに控える「2番手」として再定義され、或る種、精神的に複雑な恩恵をもこうむることになった。
  過去20余年、フラナガンの実力が目覚しい進化を遂げるのに対して、彼について書かれた評論は、その真価とはあまりにもかけ離れた、おかど違いのものであった。「エレガント」「垢抜けた」「詩的」、「控え目」「抑制の利いた」というような形容詞が余りにも頻繁に登場するせいで、チャーミングなフラナガン氏が供する音楽とはマラルメの詩のように毒にも薬にもならないもので、サロンに漂う紫煙の如きBGMと言わんばかりである。そういう固定観念は、言わせてもらえば“お笑い草”である!
 実際のフラナガンは情熱的で、途方もなく力強いピアニストだ。そのフレーズの一つ一つにこもる気迫に気付かぬ虚けたサイドメンは、バンドスタンドから吹き飛ばされてしまう程だ。明瞭な表現や、霊感が移り変わる時の凛とした冷静さには、たしかに「エレガント」という形容があてはまるかもしれないし、「エレガント」であるならば「垢抜けて」いるのが必然とはいえ、彼の音楽は、モハメド・アリの左手と同じ位デリケートである。
  ピーター・ワシントンとルイス・ナッシュの殆どテレパシーのような助けを借り、フラナガンは自分のトリオを、彼自身のスタイルで、見事に発展させ膨らませる。トリオは気合いに溢れ、観客の注意を否やが応にも引きつけて、うねり、流れに浮揚し、しばし躊躇したかと思えば、また流れ出す。引用やほのめかしを紡ぎ出し、突然フェイントを仕掛け、情に流されず、優雅に、ひらりとかわしていく。このトリオを聴けば、他の殆どのバンドは決まり切ったことしか演っていないようにさえ思えてしまう。
 彼のトリオはどんな瞬間にも、100万分の1秒単位で動く、3人は全く同時に、寸分たがわぬ方向にターン出来るし、各人のパートがトリオのサウンドとして、コンパクトにがっちりと組み合わさっている。
tommy__flanagan.jpg 1997年3月16日、トミー・フラナガンは、隅々まで知り尽くし、意のままに操ることのできる、ハイパワー大型「ピアノトリオ」というマシンの操縦席に座ってハンドルを握り、アクセルを床まで踏み込んだ。
  サド・ジョーンズの” バード・ソング” は、チャーリー・パーカーの”バルバドス”を想起させる。フラナガンは漫画のウッドペッカーが木をつついている様なウイットで始め、ルイス・ナッシュがアート・ブレイキー的なドラムの返礼をしている間に、モンクの引用へとスムーズに移行していく。ピーター・ワシントンはベースでテナーの如く雄弁なソロをとり、ルイス・ナッシュはバースチェンジで、優れたドラマーがメロディをどれほど素晴らしく展開するのかを証明して見せる。
  トム・マッキントッシュの賛美歌的な“ウイズ・マリス・トワード・ノン” は安定感があり強烈なフラナガンのソロを導く。そのソロはテーマのメロディからダイレクトに出てきたもので、霊感を与えられたピーター・ワシントンはピアノがソロを終える前に「サンクス・フォア・ザ・メモリー」を即座に引用、あたかもビッグバンドが雄叫びを上げるような効果を生み出す。エンディングはゴスペルの聖歌隊が唄いかけてくるようだ。
  さらにトム・マッキントッシュ作品が2曲メドレーで。恐らくこれが本作のハイライトだろう。フラナガンは “バランスド・スケール” を、ルバートから始め、音符のひとつひとつの意味に輝きを与えようと、ハーモニーを探る一方、この美しいメロデイに呼吸する間を与えてやる。鐘のようなフレーズは悔恨の念へと移り変わると、音楽が自らを語り始め、ドラマの幕が開く。下降していくメロディが短いアドリブへなめらかに移行し、次に何が起こるかと緊張した空気が流れたと思いきや、突如『戦闘準備!』の号令がかかり、切れ目なく”カップベアラーズ” へと鮮やかに展開する。その緊張感は、歯切れ良く強烈なスイング感へと変化する。フラナガンのソロがハっとするようなフレーズから始まる。まるで『準備はいいかい? これから話す事があるんだよ。』と語りかけているようだ。バンドのメンバーの完璧なサポートに『神の子は皆踊る』という名文句を思い出した。
 ピーター・ワシントンがベースで語るエッセイはまるでオスカー・ペティフォードとスタン・ゲッツに同時にチャネリングしているようで、文節毎に往きつ戻りつする。トミーはルイス・ナッシュと4バースと8バース・チェンジを設定。ナッシュは当夜のライブでずっとそうなのだが、ここでも現存するスモールグループ・ドラマーのナンバー1であることを、実証してみせる。
  ラストナンバー“グッドナイト・マイ・ラブ” はシャーリー・テンプルの1936年の映画 <ストウアウェイ>の為に、ハリー・レベルとマック・ゴードンが書いた曲。フラナガンはソロでヴァースとテーマを1コーラス、シンプルに演奏する。それは彼の美点である豊かな洞察力を通して、この古臭く可愛らしい曲を高度に仕立て直し、偉大なミュージシャンだけが発見することが出来る深い感情を注入することで、この曲を芸術にまで高めた。
 聴衆に謝辞を述べた後、フラナガンは妻に向かって「どこにいるんだい? マイラブ!」と尋ね、この非常に感動的な演奏が実は、妻に対するメッセージであったことを吐露する。
 するとクラブの後ろの方から、ダイアナ・フラナガンが彼に呼びかける。「ここよっ、バード!」、それはトミーのデトロイト、ノーザン高校時代の同窓生、シーラ・ジョーダンが、チャーリー・パーカーのバルバドスにつけた歌詞、「マイルスはどこ?」という問いかけに対する答えであった。 (了)
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祝100回「トミー・フラナガンの足跡を辿る」

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 トミー・フラナガンの全ディスコグラフィーを時系列に聴きながら、その人生と音楽を検証する大河シリーズ、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」、OverSeasで毎月第二土曜日に開催してきた恒例イベントが今週の土曜日で、第100回を迎えます。
 寺井尚之が足跡講座を企画したときは、「そんなんおもろない!」「終わるまで店があるかどうかわからん」「寺井さんが生きてる間に終了するんかい?」と反対噴出、喧々諤々(ケンケンガクガク)になりました。
 結局、「わしは師匠のためにやるんや!」と、寺井が強行突破、初回は2003年11月、最初に取り上げたのが”Kenny Burrell Vol.2″、以降、毎月第二土曜日に休講なし。
 「ジャズ名盤事典」に載ってる有名盤から、非売品の超稀少盤まで、傑作から凡作まで、時代背景や、録音のいきさつ、各ミュージシャンとフラナガンのかかわりといった状況証拠から、全収録曲のキーや構成、ソロのまわし方、歌詞のあるものは全て対訳を作り、「これぞ!」の聴きどころを仔細に解説し、足かけ9年。
 ここまで続けてこられたのは、ひとえに参加くださるお客様の応援と、ジャズ評論家、後藤誠氏の後方支援のおかげです。それがなければ、僅か数回で終わっていたでしょう。
 一般的にはB級評価でも、素晴らしいアルバムだと判ったり、超名盤でも、あっと驚くエラーを見つけたり、回を重ねるたびに楽しみも深くなって来ます。何よりも出席してくださるお客様と一緒に、音楽の深さを分かち合うのは、本当に楽しいです!
 講座の準備には途方もない時間と労力が必要ですが、それが寺井尚之のプレイの肥やしになっているように思います。生講座だけでなく、本も楽しみにしていただいているのも、ありがたいことです。
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default.jpeg 第100回記念「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、お日柄も良く(?)フラナガン・トリオのライブ盤、『Sunset & the Mockingbird – Birthday Concert 』が登場!
 1997年3月16日、67歳の誕生日を迎えるトミー・フラナガンは、ピーター・ワシントン、ルイス・ナッシュのトリオで、丁度NYのヴィレッジ・ヴァンガードに出演。最終セットが終了すると、小さなケーキがステージに運ばれ、客席がハッピー・バースデーの大合唱になり、円熟したプレイと、バースデーの和気藹々の雰囲気!
 アルバムの英文ライナーノートは、ジャズメンが登場するミステリー小説で有名なピーター・ストラウブ。講座が終わってから訳文を載せましょうか。
bp1-095c1.jpg 100回記念講座では、番外のお楽しみに、’89年夏にNYリンカーン・センター、アリス・タリー・ホールで開催した特別コンサート”バド・パウエルに捧ぐ”でのフラナガン・トリオ(ジョージ・ムラーツ、ケニー・ワシントン)の名演奏の解説を予定しています!
 このコンサートは、前半がジミー・ヒース(ts)+スライド・ハンプトン(tb)の10ピース楽団が、このコンサートの為の書き下ろしアレンジでパウエルの曲を演奏、後半はバド・パウエル直系と言われるバリー・ハリス(p)のソロ、ウオルター・デイヴィスJr.(p)&ジャッキー・マクリーン(as)のデュオ、そして、トミー・フラナガン+ジョージ・ムラーツ(b)+ケニー・ワシントン(ds)のトリオと、オールスターによるバド・パウエル三昧。よだれが出るようなコンサートですね!入場料僅か$25也。
 当時のNYタイムズに、コンサートを控えたフラナガンのコメントがあったので読んでおきましょう。
 「バド・パウエルは、アート・テイタム以降、モダン・ジャズ・ピアノに最大の影響を与えた。彼のプレイは非常に明快で、完璧にスイング感する。ゆえに、後のピアニストが学ぶべき規範となった。
 その演奏は、独特の感覚だ。バラードなら、たとえば”Polka Dots and Moonbeams”の深遠なムードは余人の追及を許さない。また彼のオリジナル作品は、真の傑作揃いだ。
 今回のコンサートで、私が演奏するのは ‘Celia,’ ‘So Sorry Please’ そして ‘Bouncing With Bud,’ 、それらは他の出演者が演奏しないということだったので選んだ。どれも非常に難しい曲ばかりだし、バド・パウエルならではの、他に例の見ない作品ばかりだ。バドのフレージング感は独特で、それが難曲の所以だ。彼の書く長尺のラインを弾き切るには、ラフマニノフを演奏するのと同じで、かなりの筋力を必要とする。
 彼のリズムセンスは、モンクと共通している。メロディにリズムの全てが内包されている。つまり、メロディのアクセントが必然的にリズムを生み出す。だから、聴けばすぐに、パウエルだとわかるのだ。」

 『リズムとメロディが必然的にぴったり結びつく特有の感覚』:トミー・フラナガンは、モンクやパウエルを語る際、この言葉をたびたび繰り返していました。果たしてそれがそんなものなのか?自分の耳で確かめてみませんか?
 ジャズ講座第100回は、2月11日 6:30pm開講。受講料 2,625円です。初めての方でも、お楽しみになれますよ。ぜひお待ちしています!
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Sea Changes登場!「トミー・フラナガンの足跡を辿る」

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 土曜日は月例「トミー・フラナガンの足跡を辿る」を開催!激動の2011年の締めくくりは『Sea Changes』一本勝負。トミーが、このアルバムを録音直後に、「ダラーナを演ったぞ!」と、寺井尚之に電話してきたというのは、OverSeasでは有名な話ですが、その際、電話に出た私には「“Sea changes”ちゅう意味、タマエはちゃんと分かってるんやろな。」と念を押されました。
 “Sea changes”は、「海の様相が一変する」→「大変換」というイディオムであります。それは、もちろん過去の名盤”Overseas”に引っかけたものですが、「単なるリメイクやパロディではなく、円熟した今の私を聴いてくれ!」というフラナガンの強い主張を感じますよね。
 『Sea Changes』は、OverSeasにとっても記念すべきアルバムです。録音の2か月後に来日、アルバムと同じトリオでOverSeasに出演し、このアルバムからも沢山演奏してくれました。当時のコンサートの模様は後藤誠氏の取材でジャズライフ誌1996年9月号に掲載されました。
SCN_0014.jpg 記事のタイトルは「円熟にして絶頂!」、下右の写真のキャプションには「なんと場内禁煙」なんて書いてあるのが20世紀ですね。
 トリオのメンバー、ピーター・ワシントン(b)、ルイス・ナッシュ(ds)は、先日も野々市のジャズ・ワークショップで来日したばかり。当時は新進気鋭の若手と言われた二人も、現在は巨匠の風格ですね。後藤誠氏により近影も、講座でご紹介します。
 土曜日の講座では、収録作品の隅々まで知る寺井尚之が、この一枚に絞って徹底解説。自ら録音した”Dlarana”では、その「構成」の秘密について、未公開音源を含め、様々な実例を検証しながら徹底解説いたします。トミー・フラナガンはOverseasが最高!というファンのみなさんやミュージシャンたちにもぜひぜひ参加していただきたいです。
 そして本年、講座をご贔屓頂いた皆様には、お歳暮代わりに、トミー・フラナガンの秘蔵音源を聴いていただきます。真の意味でのアーティストは、シンプルな題材からどのように霊感を得て、自分の音楽を創造していくのか?
 「ワーク・オブ・ゴッド」という表現が相応しい創造過程は、音楽だけでなく全ての芸術へのヒントになるかも知れません。
 「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は12月10日(土)6:30pmより。(受講料¥2,625)
 初めての客様も大歓迎ですよ。
 おすすめ料理は体がポカポカする「ハーレム風ポークビーンズ」の予定です。
CU!

「トミー・フラナガンの足跡を辿る」11/12 土曜日に!

 やっと肌寒くなりましたね。今日は故ウォルター・ノリスさんに頂いたスカーフを巻いて出勤しました。皆様はいかがお過ごしですか?
 日曜日は「映像で辿るピアノ・スタイル」に多数ご参加ありがとうございました!好評につき、近々再び動画鑑賞のイベントを開催しようと思っています。今週は土曜日の「足跡講座」の準備に追われ怒涛の一日。日暮にやっと何とか目鼻がつきました。
 今回は’94-’96年にかけてのフラナガン参加アルバム4枚を寺井尚之の解説と共にお楽しみいただきます。
 この時期のフラナガンは、「名伴奏者」ではなく、自己トリオで世界中を演奏地を満員にしていましたから、どのアルバムもサイドメンというより「スペシャルゲスト」として参加する形になっています。こんかいのラインナップはこんな感じになりました。
<Hi-Fly / The Riverside Reunion Band>
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 モンクやウエス、キャノンボールやエバンスなどの歴史的名盤で有名な”Riverside”レコードに因むヒット曲を、レーベルゆかりのオールスターバンドが、フィンランドの”ポリ・ジャズ”で繰り広げた演奏です。
2011_NEA_Jazz_Master_Orrin_Keepnews_is_presented_his_Award_by_fellow_Jazz_Master_Jimmy_Heath_Credit_Frank_Stewart_depth1.jpg トミー・フラナガンはRiversideの専属ピアニストではなかったものの、’58年の”Blues for Dracula”/Philly Joe Jones(ds)を皮切りに、”Incredible Jazz Guitar”/Wes Montgomery(g), “Smooth As the Wind”/Blue Mitchell(tp)、それに今回も共演しているジミー・ヒースの名盤、”Really Big” など6枚のレコーディングに参加しています。
 オリン・キープニュースの回顧録,”The View from Within”には、「当初800枚しか売れなかった」ビル・エヴァンス、スタジオに連れて行ってピアノの前に座ってもらうことだけでもほとんど不可能なセロニアス・モンクなど、プロデューサー時代の苦労話が沢山。なによりも「低予算と限られた時間で高内容のアルバム作り」が一番大変だったと書いてありました。
 ジミー・ヒースが、麻薬の罪で刑期を終えた直後にRiversideで録音したリーダー作、”Really Big”は、アダレイ兄弟やクラーク・テリー達が「ギャラは幾らでもよいから、とにかく俺が一緒に演る!」と志願者続出、キープニュースは「Riversideのファミリー的要素」と胸を張りますが、それよりもジミー・ヒースの人望の厚さと言えるかもしれません。ジミー・ヒースはトゥティと共に、東京のコットンクラブに今月出演予定ですから、お江戸の皆様はぜひ応援に行ってください!
<Sonny Rollins + 3>
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 これは、キープニューズとディック・カッツ(p)さんが創設したレーベル、Milestoneのアルバムです。フラナガンはゲスト扱いで5曲に参加しています。”Mona Lisa”などおなじみのスタンダード曲のモダンアートな演奏解釈にマルセル・デュシャンのモナリザを連想してしまいます。フラナガン絶妙のバッキングとともにお楽しみください!
 晩年のトミー・フラナガンはソニー・ロリンズとしばしばリユニオンをしていました。ジミー・ヒース曰く「ソニーには僕らの動向がすべてわかっているけど、ソニーが今どこにいるかは誰も知らない。」
 トミーが心臓発作で入院した時、真っ先にお見舞いに来て下さったのがロリンズさんでした!
<Music Is Forever/ Annie Ross>
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 トミー・フラナガンと同じ’30年生まれのロンドンっ子、アニー・ロスは驚異のヴォーカリーズ・グループ、”ランバート、ヘンドリクス&ロス(LH&R)”(’57-’62)で一世を風靡しました。独特の高音と早口でワーデル・グレイのソロをそのまま唄った”Twisted”は今でも大好きです・グループ退団後はロンドンでジャズクラブ「アニーの部屋」を経営、LH&Rで築いた人脈を生かし、ジョー・ウィリアムスやエロール・ガーナーなど一流アーティストを招へいし、アニー自身も出演していました。アニーは女優としても長年活躍し、ロバート・アルトマンの名作「ショートカッツ」では、老いたジャズ歌手の役を演じ、ティム・ロビンスやジュリアン・ムーアなど多くのスターに交じって異彩を放ちました。レイモンド・カーヴァーの複数の作品を基に、沢山の物語が一度に語られるという斬新な映画ですからカーヴァーのファンの方はぜひ!また映画の話に脱線してしまいましたが、このアルバムは、「ショートカッツ」でアニーが演じた、テスというジャズ歌手のイメージで製作された感があります。
 アニーとフラナガン夫人のダイアナが仲良しということで2曲ゲスト参加。沢山のミュージシャンの名前が出てくるタイトル曲”Music Is Forever”ですが、このアルバムのアニーに色濃く感じられるカーメン・マクレエの名前が登場しないのが不思議です。
<Stomp, Look & Listen / Chuck Redd>
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 これは寺井尚之の友人で、ヴァイブとドラムの名手、チャック・レッドの初リーダー作です。何度もJazz Club OverSeasに遊びに来ているからご存じのお客様も多いはずです。このアルバムが発売された時は今は亡き「ジャズの専門店ミムラ」さんにかなりの枚数を売っていただきました。
 チャックは現在コンコード・ジャズフェスティバルでツアー中の美女ベーシスト、ニッキ・パロットや、ケン・ペプロウスキ(as,cl)とワシントンDCを拠点にレギュラー活動しています。
 講座では彼のひととなりをよく知る寺井尚之が楽しい録音秘話を沢山話してくれる予定。素晴らしい演奏と共にぜひご期待ください!
 講座は11月12日(土)6:30pm開講です。
bonne_femme-2.JPG お勧めメニューは、摩周湖川湯天然温泉のジャック・フロスト氏が今年も送ってくださった、五つ星ポテト「きたあかり」をチキンと一緒にシンプルな蒸し焼きににして素材のおいしさをご堪能いただきます。大阪ではめったに味わえないおいしいジャガイモですよ!Jフロスト氏に感謝をこめて!
講座でCU!

頂上対決:トミー・フラナガンVSハンク・ジョーンズ Live in Marciac

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 酷い台風が日本列島を襲った後の秋風はマイナー・ムード。
 9月10日(土)のジャズ講座は、トミー・フラナガンとハンク・ジョーンズの火花の散るように激しいライブ・セッション、『Live in Marciac』が登場します。
4147650906_1c30d09c46.jpg マルシアックは南仏の小さな村、フォアグラやワインの産地として有名でしたが、1977年に、ジャズのイベントを開催したのが大成功、以来”Jazz in Marciac”はバカンス・シーズンのお祭りとなり、現在では一年中定期的にコンサートを開催しています。
 左はこのアルバムが録音された’93年、第16回Jazz in Marciacのポスター。ジェリー・マリガンやチック・コリア、クリントン大統領のアイデアで結成されたベテラン・ジャズメンのバンド、”The Golden Men of Jazz”の名前も見えますね。ウィントン・マルサリスはこのフェスティバルのレギュラー格。今年の目玉はアーマッド・ジャマール(p)、それに日本の上原ひろみさん(p)も人気を博したようです。
 トミー・フラナガンもダイアナ夫人も南仏が大好き!友人のフランス人ピアニスト、マーシャル・ソラールが関係していたこともあり、’80年代は何度も出演し、同時開催するアマチュア・コンペの審査員も務めました。
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<An Evening with Two Pianists>
 この歴史的セッションが行われたのは、1993年8月12日、場所はJazz in Marciacの特設会場、“An Evening with Two Pianists:二人のピアニストの夕べ”と銘打ったコンサートでした。ハンク・ジョーンズはこのフェスティヴァルの間に仏政府から叙勲してマスコミにも大きく取り上げられました。

 
<マルシアック頂上決戦>
 二人は「端正なスタイルと美しいタッチのデトロイト派」として同じカテゴリーでくくられることが多いですが、ハンク・ジョーンズはフラナガンより12歳年上で早くからNYに進出していた。弟たち、エルヴィンやサド・ジョーンズとは親しかったけれど、デトロイト時代は殆ど面識がなく、主にレコードで聴いたアイドルの一人だったそうです。
 『Our Delight』(’78)から『Jazz in Marciac』(’93)まで、断続的にデュオ活動した二大巨匠ですが、プライドの高い二人を一緒にピアノの椅子に座らせるのは難しかったのではないでしょうか? 100Gold Fingersでも、何度か一緒に日本ツアーしているけど、この二人のデュオというのは一度も聴いたことがありません。(どこかの公演地でデュオをしたことがあったら教えてください。)
jacque_muyal-ts9.jpg それを実現したのはプロデューサーであるジャック・ミュヤールなのかも知れません。彼はフランス系スイス人で、先月の講座に登場した”Lady Be Good for Ella”のプロデュースもしています。ヨーロッパでは、ノーマン・グランツ主催のJATPの公演のプロモーターとして有名。上品な紳士であり、業界の酸いも甘いも噛み分けたやり手であるという噂です。
 左の写真は「Round Midnight Watch」のPR写真、セロニアス・モンクの子息、TSモンクと。
  コンサートはトミーとハンクがトリオでそれぞれ演奏した後、デュオ、デュオ+リズムという構成になっています。リズム・チームはドイツの名手、ハイン・ヴァン・デ・ゲイン(b)と米国のアイドリース・ムハマッド(ds)、この夜だけの共演というのが、演る方も聴く方もドキドキ!寺井尚之の解説と共に、ワン・ナイターのスリルを楽しんでくださいね!
 フラナガンの熱いプレイの後に登場するハンク・ジョーンズのMCは、この後の展開を予想させるものです。
hankPAR97085.jpg「みなさんは完璧なピアノ演奏をお聞きなりましたね。あんなものすごい演奏の後に、私は何をやってよいのか・・・もう弾くべき音がないという感じですが、まあ何か、残りものを探して演ってみようと思ってます。(笑)」
 先輩らしい温和な語り口とは裏腹にハンクさんの強烈な闘志が隠されているのをヒシヒシと感じます。
 最後の二人のピアノ・デュオは「楽しい和気藹々のセッション」なんかではありません。温厚な巨匠と言われる二人の凄まじい闘志のぶつかり合いです。ハリー・ポッターよりもっと凄い、総合格闘技なんてメじゃない!これはジャズの魔法対決と言ってよい位のド迫力です。品格溢れるピアノ・スタイルを汚すことない真剣勝負の美しいこと華麗なこと。南仏の町だからこれほどガチンコで出来たのかもしれません。Our DelightからRelaxin’ at Camarilloまで、歴史に残る名勝負を寺井尚之が実況中継いたします。
ジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
9月10日(土)6:30pm-
受講料:2,625yen
於:Jazz Club OverSeas

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ジャズの専門店ミムラ 閉店セールのお知らせ

terai_01Lecture.jpg  先日のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」、寺井尚之は先日急逝された三村晃夫さんを偲ぶ談話から始めました。ワルツ堂時代は、寺井尚之のジャズ講座にも、欠かせない存在だった三村さん、その人となりや、ジャズ界への貢献、彼を失ったことが、私たちにとってどれほど大きな損失なのかなど・・・勿論、客席にはミムラさんの長年のお得意さまが沢山おられ、それぞれが思いにふける感慨深いひとときでした。
 偶然にも、この日の講座で最初に取り上げたのが、三村さんが一番お好きだったソニー・ロリンズ、不思議な偶然です。
 「ジャズの専門店ミムラ」さんの閉店セールが来週から始まりますので、三村さんのブログ より転載しておきます。
<閉店セールのお知らせ>
8月23日~28日
11:00~19:00

閉店セール(委託、客注以外)
(ご注意)現金のみのお支払いでお願いいたします。誠に申し訳ありませんが、カードは使用できません。

mimura_symbol_small.gif 閉店に伴う在庫整理など大変な作業は、私の知る限りでお名前を挙げますと、生前の三村さんの盟友、大阪駅前第一ビル≪Waltyクラシカル≫のオーナー、中岡教夫氏や、ジョン・コルトレーン研究家、藤岡靖洋、当店のジャズ講座を通じて交流を深めたドラマーの河原達人氏などの皆さんが、多忙中な中、ひと肌もふた肌も脱いで協力されているとのことです。三村さんのお人柄のおかげと存じますが、本当にごくろうさまです。
 大阪のジャズ文化の愛すべき史跡も、もうすぐ閉店。この機会に初めて行って見ようと思われる方、いっぱい買い物してください!アクセスなどは<a href="“>「ジャズの専門店ミムラ」さんのHPでどうぞ。
 もしOverSeasが同じように閉店になったとしても、セールで売るものすらありません。どうぞ今のうちに、我らが寺井尚之の演奏を聴きに来てくださいね!
CU

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エラに宛てたラヴ・レター 『Lady, Be Good… for Ella』

 残暑お見舞い!明日から夏休みという方もいらっしゃるのでしょうね。うらやましいな!
 13日の土曜日はジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」開催です!
 寺井尚之の解説アルバムは先月から続くソニー・ロリンズとのリユニオン盤、『Old Flames』とエラ・フィッツジェラルドへのトリビュート盤、『Lady, Be Good… for Ella』の2枚なので、映写用ファイルは楽勝!とタカをくくっていたら、エラによるオリジナル盤の対訳など作成資料リストを沢山もらって、世間様の夏休みモードと裏腹に慌てふためく週になってしまいました。
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&nbsp;『Lady, Be Good… for Ella』は、トミー・フラナガンがスイスのプロデューサー、ジャック・ムイヨールに「あなたの好みで何なりとアルバムを作って欲しい。」と乞われ、レギュラー・トリオ(ピーター・ワシントン、ルイス・ナッシュ)の布陣で、闘病中のエラ・フィッツジェラルドに捧げた作品です。エラは糖尿病が悪化し、膝下両足切断の大手術をして入院中でした。病床のエラは、このお見舞いを、大変喜んで、このCDを病室のサイドテーブルにずっと飾っていたそうです。トミー・フラナガンのプレイを誰よりも理解していたエラには、トミーのプレイの一音、一音がメッセージとして聞こえていたに違いありません。
Lady_be_good_for_Ella.jpg またオリジナル盤にはライナー・ノートの代わりに、エラ・フィッツジェラルドに宛てたフラナガンの手紙が添えられています。
 「親愛なるエラ、僕が初めてあなたを伴奏したのは1956年の夏でした・・・」という書き出しで始まる短い公開書簡は、トミーらしい言葉遣いで、病床のエラに対する温かい気持ちが溢れ、行間から、二人が大観衆の前で繰り広げた、数え切れない名演や歓声の残響が漏れ聞こえてくるような名文です。トミーの話し方や書き方に親しんだ不肖私が日本語にしました。名演のサイド・ディッシュになれば嬉しいな!
EllaGershwin.jpg 『Lady, Be Good… for Ella』はガーシュインナンバー、スローな“Oh, Lady Be Good”で始まり、ファースト・テンポの“Oh, Lady Be Good”で終わります。ガーシュインの権威 Lawrence D. Stewartの冊子『Words Upon Music』には、ガーシュインがこの曲に設定したテンポは”(ユーモラスに)やや遅く”でした。ところが、1947年に大ヒットしたエラのスキャット入りヴァージョンは急速で、『ソング・ブック』は指定よりずっとスローで歌っています。当初、ソング・ブックを監修したアイラ・ガーシュインは「余りスローで歌うと歌詞の流れが悪くなる」と反対したのですが、プレイバックを聴いて大満足し、すぐ反対を取り下げたという逸話が書かれています。
 “Oh, Lady Be Good”は、恋人を募集するサビしい紳士の歌、それを女性のエラが歌うとどんな意味になるのでしょう?以前「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に登場したキャロル・スローンのバージョンは、どこまでも「女が歌う男の歌」でしたが、土曜日お聞かせするエラの歌は、ある意味スローンよりずっとモダンな新しい歌詞の世界が見えてきます。
 レコーディングしたトミー&エラのコラボからの選曲でなく、あくまでエラの音楽性にこだわってセレクトした『Lady, Be Good for Ella』は、数多ある「トリビュートと銘打つアルバム」とは一線を画す趣味の良さとクオリティがありますね!
 余談ですが、このアルバム録音直後、まだ20代の若手だったトミーのベーシスト、ピーター・ワシントンが、寺井尚之にこのアルバムの○○は、自分の演っていたコード進行で良かったのか?と訊きにきたことがありました。何て真摯なミュージシャンなんでしょう!寺井は「あいつは今にエラいモンになるで!」と言っていたけど、本当に現在は巨匠になりましたね!
 通の方に、ジャズを聴き始めた方に、ジャズを志す若い方、ぜひぜひ、最高の音楽と、寺井尚之の解説を聞いてくださいね!面白くてためになりますよ。
寺井尚之のジャズ講座:「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
8月13日(土) 6:30pm-
受講料 ¥2,625
於:Jazz Club OverSeas

 お勧め料理は「加茂なすグラタン」を作る予定です。
CU

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トミー・フラナガン・インタビューを読もう!

 暑中お見舞い申し上げます。
 「節電のお願い」CMが流れる大阪、電車に乗ると照明は薄暗いのに、冷房は寒いほど効いていて、不条理感は募るばかり・・・。
 トミー・フラナガンを愛する皆さんが暑さをしのげるよう、日本未公開のインタビューを連載したいと思います。
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 タイトルは「At the Top of His Game」、”ゲームのトップ”とは、「絶好調、絶頂」という意味、カナダのジャズ誌「Jazz Times」1989年8月号に掲載されたインタビュー、聴き手はケン・フランクリング。
 ジョージ・ムラーツ(b)、ケニー・ワシントン(ds)との黄金トリオで録音した“Jazz Poet”が世界中で評価され、「名脇役」から「主役」として真価が認められた時代。あの頃のトミー・フラナガンならではの深い言葉をお楽しみください。
「ただ今絶好調!トミー・フラナガン」(インタビュー:Ken Frankling)
Jazz Times ’89年8月号より 訳:寺井珠重
 トミー・フラナガンは、ピアノの妙技を磨くための練習をあえてする必要はないと感じている。毎晩仕事がある時はなおさらだ。彼は、練習しない理由として十の根拠を挙げる。彼の指先は鍵盤上を縦横無尽に疾走する為、硬いタコが出来て、爪は割れている。
 「こういうのが治るには時間がかかるんだ・・・」
 フラナガンは自分の両手をまじまじ眺めながら言う。
 「深夜帰宅し、翌朝起きてこうつぶやく。『ああ、また指に血が逆流してる!』これが痛いんだな!両手に休みをやりたいくらいだよ。私は時々、必要以上に力強く弾いてしまうんだ。それでまた痛くなる。」
 指の損傷は、最近のフラナガンの気合いと、引っ張り凧の仕事ぶりの証明である。彼は現在、ジャズ・ピアニストの最先端だ。ビル・エヴァンス、セロニアス・モンク、バド・パウエル、メアリー・ルー・ウィリアムズ、アール・ハインズというシングル・ノート・スタイルの系譜において、第一人者として安定した地位を保っている。
 1978年、16年間の長期に渡るエラ・フィッツジェラルドとの実り多き共演時代の後、フラナガンは伴奏者の役を辞すことを選んだ。以来、ソロ活動、ジョージ・ムラーツ(b)とのデュオ、ここ2年間のレギュラードラマーであるケニー・ワシントン(ds)を加えたトリオに仕事を絞り込んでいる。
 フラナガンは、どの編成も同等にやりがいがあると語る。
 「ソロ、デュオ、トリオという編成は、どれも気に入っている。私はこれらのフォーマットを交代でやるのが好きなんだ。ミュージシャンは腕が上がれば、それに見合うレベルの高い相手との共演を楽しむべきだ。」
 「我々ミュージシャンは皆、最初は一人で演奏する事から始める。そして、グループで演奏し始めると、音楽的な責任は減少し、共演者と相互に影響し合えるようになる。そしてソロに戻ると、何かが足りないように感じる。そうすると、、自分自身のプレイを、自分で聴く感覚を取り戻して、ソロという形態に自分を落ち着けなくてはならない。例えば、左手でどの位ベースノートを弾くべきかを判断する能力を取り戻さねばならないんだ。」
<ジョージ・ムラーツのこと>
gallery11.jpg 「今の私には現在ジャズ界最高のベーシスト、ジョージ・ムラーツがいる。彼と演る時には、ベース・ノートにあれこれ心を煩わせる必要はない。我々が良い領域、つまり、今迄我々が到達した事の無い高みに上る道筋は色々だ。音楽と言うものはすぐに鮮度が落ちてしまうので、注意しなくてはならない。」
  「ジョージ(ムラーツ)はオスカー・ピーターソンの所を辞めた後、しばらくエラの伴奏をしていた。そこで私は彼がどれほど良いプレイヤーなのかを知ったわけだ。彼は非常に音楽的だ。ベース奏者は、ビートを“感じさせる”のと同時に、ベース・ラインやメロディを含めたプレイを“聴かせる”ことが必要だ。彼は、そういうことを、全く苦にしない数少ないベーシストの一人だ。彼のビートの鼓動は、同時に”聴く”価値がある。また彼のイントネーションは、他の弦楽器遜色のない完璧さを備えている。」
<ジャズの詩人>
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  謙虚で穏やかな、この『ピアノの詩人』は、かつてカウント・ベイシーがシングル・ノート・スタイルのピアニストについて述べた如く、水晶の様に透明なサウンドを持っている。彼のプレイはクリアで活き活きと輝き、リリカルでありながら力強いフレーズは、強烈なバップのアクセントと、微妙なダイナミクス、思いがけなく湧き出るメロディが混ざり合ったものだ。
jackson_eric_600x200.jpg 彼がボストン地方に出演する時は、派手な広告をしなくとも常に満員の盛況だ。ラジオ番組を持つエリック・ジャクソンがWGBH-FMの自分のラジオ番組(Jazz with Eric in the Evening) のオープニングテーマ曲に、フラナガンの演奏する”ピース”を使用しているからだ。
 憂いを含んだその演奏は、フラナガン1978年録音のアルバム、(ギャラクシー)での、キーター・ベッツ(b),ジミー・スミス(ds)とのトリオのアルバムのものである。だからニュー・イングランド地方では、毎夜フラナガンの演奏がオンエアされ、作曲者ホレス・シルバーは著作料を儲けるという訳である。
(つづく)
 インタビューで「強く引きすぎて爪が割れている」という記述がありますね。Jazz Club OverSeasでも、「神様が降りてきた」ようにハードなプレイで爪を浮かせていたのを見たことがあります。でも、それは決してガンガン弾いたためではなく、最高のタッチで弾くからこそ、指に負荷がかかって爪を傷めていたのです。どんなに長時間弾きまくっても、演奏後のピアノが傷んだことはありませんでしたよ!
 追記 by 寺井尚之
 誤解をまねかいないように、4点付け加えることがあります。
(1) 誰よりもよく練習していました。
(2)指先は柔らかく、タコはありません。
(3)必要以上に「強く弾く」など、感情に左右されることはありません。常にコントロールされていました。
(4)トリオが好み。デュオ、ソロは好みでなかった。
おわり

 さて、7月16日(土)は、寺井尚之The Mainstemトリオ出演!ぜひ皆さんお越しください!
 なおメインステムのDL用新譜『Evergreen2』新発売!ダウンロードよろしくお願いいたします♪
CU

” Let’s” by Tommy Flanagan Trio 余談

let's.jpg (p) Tommy Flanagan
(b) Jesper Lundgaard
(ds)Lewis Nash
’93 4/4 録音 (Enja)
 大阪も凄い雨です。皆様のところは大丈夫ですか?先日は「トミー・フラナガンの足跡を辿る」『Let’s』講座に沢山お越しいただきありがとうございました!プロジェクターも発起人ダラーナ氏のおかげで、新しいものになって心機一転!北海道からグリーン・アスパラの差し入れもいただき、心もお腹もおいしい講座になって、とても嬉しかったです!
 トミー・フラナガンが自分で録音費用を払って制作した思い入れのあるサド・ジョーンズ曲集『Let’s』(正確には”Let’s” Play the Music of Thad Jones)、気品と威厳と疾走感、ユーモア、ブルースの心…ピアノ・トリオによるデトロイト・ハードバップの理想型といえるかも知れません。これっきりになるのが名残惜しい。サド・ジョーンズ作品は曲説が少ないので書いて置きたいと思います。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 
1.Let’s  レッツ
magnificent.jpg タイトル・チューンのLet’sは、ブルーノート盤『The Magnificent Thad Jones Vol.3』(’57)でフラナガンが共演したのが最初、月日は流れ、’90年代にフラナガン・トリオがライブで頻繁に演奏し、やんやの喝采を浴びていた十八番です。通常のAABA形式(32小節)に、あっと驚くファンファーレのようなインタールード(16小節)がついているのがお楽しみ!手に汗握って最後までドキドキしながら聴いてしまいます。
2.Mean What You Say ミーン・ホワット・ユー・セイ
 ルイス・ナッシュのドラム・ソロがタップダンスのように楽しい!なかなか鼻歌にはならないLet’sと対照的に、犬と散歩しながら歌える。”Mean What You Say”はサド・ジョーンズの口癖、「相手にはっきり判るように言え」ってこと。多分プレイヤー達を鼓舞する言葉たったんでしょうね。サドメルOrch.創設時、楽団でも演奏し、楽団員ペッパー・アダムスとの双頭アルバム『Pepper Adams-Thad Jones Quintet』(’66)にも録音しています。
 この作品は、ほぼ同時期に録音されたハンク・ジョーンズ3のサド・ジョーンズ集『Upon Reflection』と重複しています。サドメルで録音した時のピアニストがハンクさんでした。
 ちなみに寺井尚之は、鷲見和広(b)とのデュオ、『エコーズ』に収録。印象的な左手のオブリガードは、ハンク・ジョーンズ盤でジョージ・ムラーツ(b)が使ったラインです。
CountBasieMeetsDukeFirstTime1961.jpg3.To You  トゥ・ユー
 トミー・フラナガンは「サドのバラードは完成度が高くアドリブする必要がない。」とコメントしていましたが、これは気品ある賛美歌のようです。ベイシー楽団時代の作品であり、ベイシー+エリントン二大楽団夢の共演盤『First Time』に収録されています。最近の講座ではマンハッタン・トランスファーのものも聴きました。最初のフレーズは歌詞がなくても”To You”にしか聴こえない。澄み切ったハーモニー、ピアノトリオでもビッグバンドに負けない厚みのあるサウンドに清められるような気がします。
mad_thad.jpg 4.Bird Song バード・ソング
 
 チャーリー・パーカーではなく、小鳥がビバップ・フレーズをさえずるとこんな風になるのかと思わせるほど軽やかな曲は、’57年サドが『Mad Sad 』で録音、同年、弟のエルヴィン・ジョーンズ(ds)とフラナガンが参加した名盤、J.J.ジョンソン(tb)の『Dial J.J.5』にも入っていて、ボビー・ジャスパーの一糸乱れぬユニゾンに親しみがあります。本作では、もう少しハードなスインガーで、また違う魅力が感じられます。
tj_detroitny.JPG5.Scratch スクラッチ
 寺井尚之がいつも「めっちゃ難しいわ~」とブルドッグみたいに唸る曲、どこがそんなに難しいのかと尋ねると「なにもかも難しいんやけど、メロディがまず難しい・・・」そうです。トミーは「Easy Song!」と言ってましたけど、反語です。Scratchというのは、「ざっとメモ書きしただけ」という意味だと思いますが、分厚いハーモニーの塊が転がりながらどんどん形を変えて行く、ゆったりしてるのに、スピード感がある不思議な曲です。聴いている方は難しそうに聴こえないので素敵なところ!サド・ジョーンズの初期の名盤『Detroit-New York Junction』に収録されています。
6.Thadrack  サドラック
 1.Let’s と同じ、『The Magnificent Thad Jones Vol.3』で初演されていますが、おそらくデトロイト時代に作られた作品でしょう。黒人霊歌”Shadrack”をもじったタイトルで、フラナガンは”Shadrack”のフレーズを引用して印象的なヴァージョンに仕立てています。
Roland_Hanna_87.jpg7.A Child Is Born  チャイルド・イズ・ボーン
  サド・ジョーンズ作品のうちでも、最も多くのミュージシャンに演奏される美しいバラード。作曲家、文筆家アレック・ワイルダーはサドメルの演奏を聴いて深く感動し、自ら歌詞を書いて献上しました。
 ところが、当時サドメルのピアニストであったサー・ローランド・ハナさんが言うには、実はハナさんが作った曲であったのに、サドが勝手に自分の名前にしてしまったということです。ハナさんは憤慨していましたが、演奏を続けるうちに、ハナさんの作品にサド・ジョーンズ音楽の美が融合して、さらに素晴らしい作品になったのかも知れません。

TheJonesBrothers.jpg8.Three In One   スリー・イン・ワン
 元来”Three And One”というタイトルで、ハンク、サド、エルヴィンのジョーンズ兄弟に、同姓でも他人のベーシスト、エディ・ジョーンズが参加したカルテットが、サド・ジョーンズとアイシャム・ジョーンズの作品ばかりを収録したジョーンズずくしのアルバム『 Keepin’ Up With The Joneses 』(’58)で初演された作品です。”Three And One”つまり”三兄弟&他一名”という冗談っぽいタイトルでした。その後、サドメル楽団もよく演奏していました。でも、フラナガンはずっと”Three In One “とタイトルをつけて演奏しています。自分がジョーンズじゃないからかも知れませんね。
thaddeus-joseph-thad-jones.jpg9.Quietude クワイエチュード
 なんて素敵なタイトルでしょう!ヴィレッジ・ヴァンガードのマンデイ・ナイトで、オープニング・チューンとしてよく演奏さ、繰り返し録音されているから、サドメル・ファンならご存知ですね。元はグレン・ミラーOrch.のナンバーで、バディ・デフランコ(cl)がリーダーをしていた時代に、ジョーンズが依頼されて書いたものです。サド・メルでは、デフランコのクラリネット・パートをサドがコルネットで吹いていました。

billy_mitchell.jpg10.Zec ゼック
 これは、デトロイト時代の作品。トミー・フラナガンにとっても思い出の曲。Zecは”Executive”の略、日本語ならエグゼか・・・。”ブルーバード”のレギュラー・バンドで、サドの「上司」だったビリー・ミッチェル(ts)のために書いた曲、『Detroit-New York Junction』にも収録されています。デトロイトを離れて後、ミッチェルは再びカウント・ベイシー楽団でサドの先輩メンバーでした。
fabulus6004.jpg11.Elusive   イルーシブ
 タイトルどおりまさに「つかみ所のない」ウナギみたいな曲、呆気に取られていると、サド・ジョーンズの高笑いが聴こえてきそう。何とも知れない超モダンなこの作品もデトロイトの”ブルーバード・イン”で頻繁に演奏されていたそうです。サド・ジョーンズはDebut盤『Fabulous』に、デトロイトの盟友かつサドメルのスター奏者ペッパー・アダムス(bs)は名盤『Encounter』に、そして寺井尚之は『エコーズ』に録音しています。色々聞き比べるのもまた楽しいですね。
mdavis_mjackson.jpg12.Bitty Ditty ビティ・ディティ
 音質が全く異なる日本盤のみ収録のボーナス・トラック。
 トミーがこの曲を紹介すると、「ビディディディ」にしか聞こえず呪文みたい。「すごくシンプルな歌」という意味ですが、これまた反語。41小節、奇数の変則サイズはいかにもサド・ジョーンズ!故に実はすごく難しい。だからサド・ジョーンズの作品は、ジャムセッションで愛奏されることもないし知名度が低くB級扱いされるわけですね。ところが聴いていると、楽しくてスイングして難しいなんて思いもしないのが素敵なところ!
 マイルズ・デイヴィス(tp)は、ひょっとするとデトロイトに長期滞在中に聴き覚えたのか、『MILES DAVIS AND MILT JACKSON QUINTET – SEXTET』(’55)に収録。でもキーもコードも少し違っているように聞こえます。
 トミー・フラナガンはドナルド・バード(tp)+ペッパー・アダムス(bs)の『Motor City Scene』、自己トリオで『Nights At The Vanguard』と計3回録音を残しています。
 というわけで、自分の覚書として、古い資料をあれこれ引っ張り出してScratchしてみました。
 18日(土)の寺井尚之メインステム・トリオで、サド・ジョーンズの明るく楽しいデトロイト・ハードバップ沢山お聞かせいたしますので、存分にお楽しみください!

CU