ルイ・アームストロング -フォーバス知事のもうひとつの寓話

 Jazz Club OverSeasで好評開催中、「映像で辿るジャズの巨人」、秋のプログラムにルイ・アームストロングが登場!
 先日、大学で「マンガ」について講義をしている先輩が嘆くには、まんがを勉強しよういう学生が、あの手塚治虫を知らないのだとか。ジャズの世界でも状況は一緒かも・・・。とはいえ、ルイ・アームストロング(1901-’71)という名前は知らなくても、「この素晴らしき世界」のしわがれ声は知ってるでしょう。ニューオリンズで生まれ、万人が楽しめるジャズを広め、世界中で愛されました。「ジャズの王様」「ミスター・ジャズ」「Pops」「サッチモ」…ニックネームの数もハンパではありません。
louis-armstrong-2_vert-7ccbdb8e36bf6071771850214a5a631ce2d5e3ee-s51.jpg
 ハンカチ―フで汗をぬぐいながら、まん丸な目(ポップス)と大きな口(サッチモ)で表情豊かに歌い、笑わせ、圧倒的なトランペットを聴かせる姿は、一度見たら忘れられません。世界中の人々が、ジャズよりもビートルズを愛する時代になっても、「ハロー・ドーリー」はヒットチャートのトップに留まり続けました。
 難しい顔つきで腕組みして聴く難解なジャズとは真逆、楽しい楽しいジャズだ、サッチモだ!その反面「ルイ・アームストロングは楽しいだけの音楽家、昔の音楽構造は単純だし、芸術性は浅いんだ。白人に媚を売るさもしい黒人(アンクル・トム)芸人」などと批判する人もいたらしい。
louis-armstrong-house.jpg 同じように、ルイ・アームストロングはビバップを嫌い、ビバップのジャズメンが彼を過去の遺物としていたというのは全くのデマです! 私が寺井尚之と初めてNYに行った時、勿体なくも、車で観光案内を買って出てくれたのがビバップの巨匠ジミー・ヒース(ts)、愛車Volvoを駆ってまず最初に連れて行ってくれたのがクイーンズにあるルイ・アームストロングの自宅でした。(現在はルイ・アームストロング博物館) この赤レンガ作りの建物の前で、彼がいかに偉大な人間であり芸術家であったか、ディジー・ガレスピーがどれほど彼を尊敬していて、折あればこの家を訪ねたか・・・ということを話してくれました。
<リトルロック発言>
 黒人アーティストの例に漏れず、ルイ・アームストロング自身、人種差別の現実に日々直面していました。世界中どこに行っても外国に行けば、どこでもVIP待遇であったのに
公民権法以前の時代は、母国の超一流ホテルに出演しても、そこに宿泊することはできないし、ツアー中は、トイレを借りるにも苦労していたんです。
 公民権運動を金銭的に支援した黒人アーティストは、デューク・エリントンを始め、数多いですが、歴史上初めて公然と強い発言を行ったのは、なんとルイ・アームストロングなんです。
cn_image.size.poar01_littlerock0709.jpg それは1957年にアーカンソー州のリトルロックという街にあるセントラル高校で起った事件が発端でした。チャーリー・ミンガスの”フォーバス知事の寓話”という曲も、この事件へのプロテストです。南部の諸州は19世紀から、所謂ジム・クロウ法に基づいて人種隔離政策を取っていました。有色人種(日本人も有色人種ですよ)は、白人と公共施設を共有することを禁止するという法律です。病院、学校、ホテル、交通機関から、小さいところはレストラン、トイレ、水飲み場に至るまで。どこでも”Colored”という表示のある場所しか入れないし、人種混合の結婚はもちろん御法度、学校も別々でした。ところが、最高裁は「黒人に白人専用のリトルロック高校への入学を許可する」という画期的な裁定を下し、それに従って9人の黒人学生が登校を試みたのですが、反対派VS賛成派の対立で大騒ぎになります。当時のフォーバス州知事は「暴動を阻止するため」という口実で州軍を派兵、彼らを高校からシャットアウトするという異常な状況が3週間続きました。通学を試みる男女の黒人学生は、毎日怒号を浴びせられ、校門に待機する兵隊に阻止されるという考えられない光景に対して、全米の世論も真っ二つ、アイゼンハウワー大統領は、世論に配慮する形で、当初、不干渉の姿勢を取っていました。
<大統領には意気地がない!>
Louis-ArmstrongUSElayers.jpg
 そんなビミョーな状況下、ルイ・アームストロングは、ツアー中に行われた記者会見できっぱり発言!
「南部にいる私の同胞に対する仕打ち、政府は地獄に堕ちて当然だ。」
 おまけに、アイクという愛称で親しまれる大統領を、「意気地なしだ!the President has No guts!」と一刀両断!ジャズに造形深い政治ジャーナリスト、ナット・ヘントフは「ルイ・アームストロングの発言が、全米の一流各紙の一面を飾ったのはこれが初めてだったはず。」と回想しています。
 一黒人芸能人が政府と大統領を批判するとは、なんちゅうことをやってくれたんや!と、ジョー・グレーザーを始めとするアームストロングの事務所は真っ青!なんとか謝罪させて、穏便に済ませようとするのですが、サッチモは頑として意見を撤回することを拒否。それまで、「笑顔が売り物の金持ち芸人」と思い込んでいた世間の度肝を抜きました。
 それどころか、国務省の依頼で親善使節として決まっていたソビエト連邦への楽旅をキャンセルすることによって、政府に抗議したのです。なんたる根性、なんたるガッツだ!そんなことをすれば、どれほどバッシングがあるか、仕事を失うだけでなく、下手したら殺されるかもしれないのに、ルイ・アームストロングは意思貫徹!
LSA-P-LouisArmstrong-mainpic-071511.jpg 彼の発言が世論を後押しする形となり、アイゼンハウアー大統領は、陸軍第101空挺師団を派遣、9名の生徒は空挺師団のエスコートで初登校に成功しました。ただし、この黒人学生たちへのいやがらせはさらに続き、公民権法の成立までは何年もかかります。
 その8年後、キング牧師がアラバマ州で「行進」という平和的デモを行ない、警察の妨害を受けます。コペンハーゲンに楽旅中のルイ・アームストロングは再び名言で援護しました。
「もしもイエス・キリストが黒い肌で行進をなされば、やはり彼らは殴打するのだろうな。」
 笑顔とハンカチがトレードマークの黒い天使、ルイ・アームストロング、彼が勇気ある正義の人であったことは、日本では余り語られていないけど、米国の小学校では、人種統合が行われた60年代から、学校の授業で習うそうです。
オウ、イエ~ズ!

足跡講座で映画イングリッシュ (The Blues Brothers)

 お盆休みも今日までという方が多いようですね!今年は、夏休みを利用してOverSeasに来られるお客様が多かったです。懐かしい再会♪ 新しいお客様♪ お客様のおかげで、毎日楽しく仕事をすることができました。
 一方、本ブログ、「寺井珠重のInterlude」開設以来早5年!!貯金は貯まらないのに、コンテンツが貯まり過ぎ、ここ数か月間、個々のエントリーをアーカイブできなくなってしまいました。検索しても見つからないとお叱りを頂き申し訳ありません。
arethablues9q.jpg
 さて、今回はジャズでなく英語のお話を。先日「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で番外鑑賞した『Blues Brothers』のアレサ・フランクリンやキャブ・キャロウエイの名シーン、文句なしに楽しかったですね!監督のジョン・ランディスはマイケル・ジャクソンのPV「スリラー」も監督していて「音楽を見せる」達人!映画の舞台になったシカゴの出身だから、荒唐無稽なストーリーにリアルな街のムードが出ています。
 私が印象に残ったのは、ソウルフード食堂のおかみさん(Mrs.マーフィー)役のアレサが、お客を装い亭主をバンドに勧誘して、自分たちを育ててくれた孤児院を救済するためにやって来たジェイク&エルウッド(ブルース・ブラザーズ)の注文を取る短いシーン、”Think”の名唱直前のとても短い会話です。私自身ウエイトレスですから、レストランの会話はいつも興味津々。『Blues Brothers』って、ゴキゲンな音楽の聴けるドタバタ喜劇のように思われているけど、人種のるつぼであるアメリカとその文化を理解するのにうってつけの教材なんですよ。
blues_brothers_aretha.jpg 前半のエルウッドのご注文はこんな感じ。
Mrs.マーフィー: May I help you boys? (お二人さん、ご注文は?)
エルウッド: You got any white bread? (白パンあります?)
Mrs.マーフィー: Yes.
エルウッド: I’ll have some toasted white bread please. (じゃあ、白パンをトーストで)
Mrs.マーフィー: You want butter or jam on that toast, honey? (お兄さん、バター?それともジャム・トースト?)
エルウッド: No ma’am, dry. (いいえ、何もつけずドライでお願いします。)

 和訳も不要な簡単イングリッシュ。アメリカのベーカリーで注文する時に役立ちそうです。でも、ここには寓意があります。「白パン (White Bread)」は、中流階級の普通の白人やWASPを表現する隠語なんです。そしてジャムもバターもない「ドライ」は「退屈」っていう意味。ヒップな黒人の経営するソウル・フード食堂にやってきた無骨な白人、エルウッドを食べ物に象徴しているんですね。
 一方、兄貴分のジェイクはムショ帰り、言葉は汚いわ、ムサクルシイ肥満体、でもダンスがめちゃくちゃ上手!ヒップなジェイクは、黒人の家庭料理の代名詞、フライド・チキンを注文するんですが、これは日本人の私たちに、「数詞」の面白さを教えてくれる英語教材です。
ジェイク: Got any fried chicken? (フライドチキンある?)
Mrs.マーフィー: Best damn chicken in the state. (うちのチキンは、この州じゃあ一番よ。)
ジェイク: Bring me four fried chickens and a Coke. (それじゃフライトチキンを4つとコークをくれ。)
Mrs.マーフィー: You want chicken wings or chicken legs? (4つって…ウイング?モモ?どの部位にしましょうか?)
ジェイク: Four fried chickens and a Coke. (丸ごと4羽分のフライとコーク。)
エルウッド: And some dry white toast please. (それと白パンのドライ・トーストね。)
・・・
Mrs.マーフィー: Be up in a minute.(すぐにご用意します。)

 日本語には、名詞に冠詞も付かないし、単複形もないし、不加算名詞、可算名詞の区別もありません。それは、日本語と英語の「数」に対する意識が根本的に違うせいで、思わぬドツボにはまることも。たとえば、犬が好き、猫ちゃんが好きと言うつもりで、”I like dog!””I like cat!”と冠詞なしの単数形を使うと「犬の肉」「猫の肉」を意味してしまい、思わぬゲテモノ好きと思われるのでご注意ください。
 フライド・チキンは、KFCでも1ピース、2ピースと書いてあるでしょう。冠詞のないchikenは、もちろん鶏肉の意味です。なのに”four fried chickens”と複数形で注文するところがオモシロイんです。ジェイクにそう注文されたアレサ、最初は、”four fried chicken wings”や”four fried chicken legs”のつもりだと思うんですが、実は「ニワトリ4羽分丸ごと揚げろ」というとんでもない注文!このやりとり、英語を母国語とする人たちには、最高に笑える会話で、この映画の中でも、最も有名な名台詞で、”Four fried chickens and a Coke”というロックン・ロールバンドもあるらしいです。 映画のシーンを観てない方はこちらをdouzo
!
 ジャズ歌詞の対訳を作る時も、冠詞や数詞をはっきり解釈して、正しいニュアンスを出す訳文を作ることが肝要です。逆に英訳をする場合は、単複のない日本語の単語を、原文作者に確認しないと、とんでもない英訳になる危険も・・・
 というわけで、夏休みの英語講座でした。
 夏休みが終わっても、OverSeasのライブ、引き続き宜しくお願い申し上げます。
CU

アレサ・フランクリン礼賛

aretha-franklin-2.png
 土曜日の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に”クイーン・オブ・ソウル”ことアレサ・フランクリン登場!イェーイ!
何で?と不思議に思われる皆さん、トミー・フラナガンとアレサ・フランクリンは、’60年代、コロンビア時代と’90年代に映画音楽で2度も共演しているんです。
まだ信じられないの?そんなら、土曜の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に来てみてください。
 でも気品溢れる珠玉のピアノがお好きな方は、ひょっとしたら、アレサのことをあまりご存じないかも…というわけでちょっと紹介。
<デトロイト私立ノーザン高校 2年B組>
Franklin New Bethel.JPG
 フラナガンとフランクリンの共通キーワードはデトロイト。フラナガン(1930-2001)はデトロイトに生まれのデトロイト育ち、アレサ(1942-)はメンフィス生まれですが5歳でデトロイトに移り住み、現在もデトロイト市民です。フラナガンと年齢一回り違いますが、二人とも市立ノーザン・ハイスクールの卒業生です。ご存じのように、サー・ローランド・ハナ(p)やシーラ・ジョーダン、モータウンの重鎮、スモーキー・ロビンソンも同じノーザン高卒業生でした。
aretha-franklin-c-l-franklin-1040kc032111.jpg アレサの父親は米国では歴史に残るバプティスト教の宣教師、C.L.フランクリンで、デトロイトの人種差別撤廃に貢献し、キング牧師と共に公民権運動を推進した偉人でで、講話の達人としても有名です。ダイナミックに呼びかける強烈な説法は、英語が判らなくても感動できる音楽的な魅力に溢れており、何と75枚もの講和のレコードを遺しました。最初の一音から瞬時に聴く者の心を掴むアレサの歌声は、この父から受け継がれたものに違いありません。
 幼いころ両親は別居、子供たちは父のフランクリン師に育てられました。小学校のときから、師がデトロイトに建立したベセル・バプティスト教会で讃美歌を歌い、あの圧倒的な歌声が育まれていきました。黒人社会を代表する名士を持つアレサの環境は、貧しい家庭で、幼いころから売春宿の使い走りをしたビリー・ホリディやエラ・フィッツジェラルドとは少し違います。ただしフランクリン師はキリスト者でありながら、娘たちが世俗的な音楽を楽しむことには寛容で、街で聴こえてくる流行歌を、自宅のピアノで弾き語りしても怒られるどころか、内外からやって来る客人たちの耳を楽しませる役割を務めていました。その中には、マーティン・ルーサー・キング牧師や、ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソン、サム・クックなど著名人が沢山おり、やがてデトロイトのフランクリン師の歌の上手い娘さんの評判が広まって、コロンビア・レコードの大プロデューサー、ジョン・ハモンドに目に留まり、コロンビアの初期の一連のアルバムで一挙スターダムに乗ります。マネージメントは父のフランクリン師でした。
<シビれる歌声>
the-electrifying-aretha-franklin-aretha-franklin-jpeg-1000c3971000.jpeg
tedtime_m24.jpg
 その時代の代表作が『The Electrifying Aretha Franklin』 (1962) で、フラナガンは、マンデル・ロウ(g)やジョー・ワイルダー(tp)とともにスタジオ・ミュージシャンとして参加しています。 Electrifyingとは、感電したみたいにシビレルことです。まだ18才の若さでどこまでもワープするパワフルな歌声と、清らかな歌詞解釈が素晴らしく、無限の伸びしろを感じさせてくれます。
 ちょうど、このレコーディングの頃、アレサは父の反対を押し切って最初の結婚をし、夫がマネージャーとなります。ところが私生活では、彼女に暴力をふるい、女遊びを繰り返す典型的なひどい夫であったようす。そのことを売り物にせず隠し続けていたアレサはエライね。でも、この試練が彼女の歌唱に深みを与えたと言う人も多い。事実、その夫の勧めで移籍したアトランティック・レコードで、アレサは本格的な”クイーン・オブ・ソウル”として大きく開花します。
 公民権法を勝ち取った黒人のパワーを代弁するかのようなオーティス・レディングの作品”Respect”(’68)から、バート・バカラックの”小さな祈り”(’68)、南アフリカでアパルトヘイトに苦しむ人々にとって文字通りゴスペルとなった”明日に架ける橋”(’70)まで、アレサ・フランクリンでしか表現できない音楽世界、ヒットソングが山のように生まれました。ちょうど、私がアレサを好きになったのもこの頃です。まず歌声にシビれ、簡単な単語だけ聞き取れれば、アレサの全てが理解できたように感じられる歌唱は、まさに、お父さんの説教と同じような説得力があるのかも知れません。
<映画二本立て>
arethablues9q.jpg
 やがて時代はディスコ・ミュージックへと移り変わり、アレサに新たな試練が訪れます。父のフランクリン師は’79年に強盗に銃撃され、5年間も続くこん睡状態に、アレサは父を見守るためにデトロイトに定住しますが、どっこい、1980年の映画『ブルース・ブラザーズ』にカメオ出演し、”Think”の名唱で、新しいファン層をわしづかみ!アメリカ白人の黒人文化への憧憬一杯の名作映画、名場面の数々は土曜日にしっかりお見せしますよ!
 米国ブラック・ミュージックを代表するアレサの歌声の魅力は、その色合いの多様さです!勿論、エラ、サラ、ビリー・ホリディと言う我らがジャズ界の大歌手も、ヴォイスのカラーパレットは負けずに大きいのですが、色合いが違っていて、ソウル系の明確な転調したときの色彩変化が強烈です。
White_men_cant_jump.jpg 土曜日もう一つ登場するのは、1992年の映画『ハードプレイ』(原題White Men Can’t Jump)の挿入歌、”If I Lose”、これがまた素晴らしい!『サヨナラゲーム』や『タイカップ』など、ひねりの効いたスポーツ映画を得意とする監督、ロン・シェルトン作品、音楽担当がテナー奏者ベニー・ウォレスという面白い映画です。
 テーマになるのはストリート・バスケットボール、1対1あるいは2対2でやる賭けバスケット・ボールのプレイヤーの話で、黒人達が「白人にはまともなバスケはできない(White Men Can’t Jump)という逆人種的偏見を逆手にとって、稼ぐ白人と黒人の二人のプレイヤーたちの泣き笑い物語。そのストーリーにぴったりの歌詞とメロディ、ウォレス作曲、監督のシェルトン作詞、もちろん映画のための書き下ろしで、アレサのふくよかなヴォイスとフレージングが堪能できます。
 というわけで、土曜日はアレサの名唱や、映画の名場面集、それに、クラーク・テリー(tp, flg)の『One on One』では、フラナガンと共に、サー・ローランド・ハナ、モンティ・アレキサンダーとの名演奏も紹介します!

 「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
 日時:8/11 (土) 6:30pm-
 受講料:¥2,625

 おすすめ料理は、ソウルフルな名唱に相応しく、グレービー一杯のビーフ・カツレツをお作りします。
CU

作曲家のキモチ: ベニー・ゴルソン

 暑中お見舞い申し上げます♪
 先週からOverSeasのライブを聴きに来日されていたフィオナさん、寺井尚之の演奏と大阪の街を満喫したウルルンな滞在でした。来日中、寺井尚之のデュオやトリオ、全ライブを心の底から楽しんで、共演ミュージシャン達にも最高の応援をいただきました。
 お忙しい中、はるばる来てくれた彼女にHelloと挨拶に来てくださったお客様、ほんとにありがとうございます。彼女も大喜び!その分別れはさびしかったですね。本日早朝、無事帰国、「夢のような一週間だった」とメッセージを頂きました。私も初めてNYに行った時、トミー・フラナガンやジミー・ヒースといった巨匠の奥さんたちに、たいへんお世話になったので、少しでも同じようにしてあげられたのだったら、最高です。
Benny-Golson-12.jpg
 さて、ヘッポコ観光ガイドがお払い箱になり、私も再び日常の業務に。コルトレーン評論家の藤岡靖洋氏とのプロジェクトで、フィラデルフィア時代のジョン・コルトレーンの仲間、ベニー・ゴルソン(ts)の原稿がやっとのことで仕上がりました。ベニー・ゴルソンと面識はありませんが、Five Spot After Darkは高校時代から好きだったし、寺井尚之の愛奏曲も多いし、フラナガン参加の『Blues-Ette』はピアノ教室の必聴盤だし、とても身近な存在です。藤岡氏も何度かインタビューをされていますが、書物やネット上にも膨大な肉声の証言があるので、それらを網羅するのに時間がかかりました。とはいえ、ゴルソンは、演奏に負けないほど話が上手く、どれもこれも面白くてためになるものばかり!それにゴルソンを調べ始めたら、DVD講座でも登場する機会が多くなり、寺井尚之の解説が大変役立ちました。
 明日の「映像で辿るジャズの巨人」ジャズ・ドキュメンタリー、A Great Day Harlem でもベニー・ゴルソンの証言が沢山登場しますから、ぜひチェックしてみてくださいね。ゴルソンは、ホレス・シルヴァーとのトーク場面の冒頭に、こんな面白い話をしています。
 「僕は、よく名曲を作曲する夢を見るんだ。だが翌朝目覚めると、どんな曲だったかすっかり忘れてる。でも或る夜、そんな夢を見た途端に目が覚めた。それで、夜中に慌てて五線紙に走り書きして、それかたまた寝たんだ。次の朝一番に、その曲を弾いてみたら、何となくどこかで聞いたことがあるなと思って…よく考えてみたら”スターダスト”だったよ・・・(笑)」
front1041.jpg “アイ・リメンバー・クリフォード” ”アウト・オブ・ザ・パスト” ”ウィスパー・ノット” ”ステイブルメイツ”…ゴルソンの曲は、どれもメロディが覚えやすいし、口づさみ易い。ところが、長調なのにマイナー・コードから始まったり、基本的な和声進行のルールとは違うものが多いし、コーラスのサイズも変則的なものが多いのですが、聴き手にはとても自然に響きます。
 ゴルソン自身、作曲するうえで一番の基本は和声でなく「メロディ」と言い切っているのも、なるほどと頷けますし、実際に歌詞が付いて沢山の歌手に歌われている曲もあります。
 例えば“アイ・リメンバー・クリフォード”は、ジョン・ヘンドリクスが歌詞を後付して、ダイナ・ワシントンやヘレン・メリル、それにイタリアの歌手、リリアン・テリーがフラナガンの名演と共に録音していますよね。Whisper Notは大評論家レナード・フェザーが歌詞を後付けし、メル・トーメ、アニタ・オデイ、エラ・フィッツジェラルド達が名唱を残しています。この2曲はゴルソン自身が歌詞を付けることを承諾したのですが、基本的に自分の曲に歌詞は不要という主義。『Freddie Hubbard & Benny Golson』の中のドラマチックな作品”Sad to Say”は、大歌手トニー・ベネットが、あの有名なビル・エヴァンスとのデュオ・アルバムを録音する際に「歌詞を付けて歌いたい」と頼んだそうですが、「エヴァンスはイメージに合わん!」と一蹴したそうです。
 それどころか、男性ジャズ・ヴォーカリスト、ケヴィン・マホガニーが”ファイブ・スポット・アフター・ダーク”に無断で歌詞を付けて録音したときには、出来上がったCDを市場から回収させたというから、ハンパじゃありません。トミー・フラナガンもそうでしたが、納得のいかないことは絶対に許さないというのがハード・バッパーなんですね。
 すでに芸術として完結している作品には、余計な付属品は不要なのでしょう。ゴルソンは自作以外のジャズのオリジナルに歌詞がついたのも好きじゃないし、何よりも嫌いなのは、ジャズのアドリブに歌詞を付けるヴォーカリーズなんだそうです。
 とにかく、「向こうは歌詞をつけて歌ってもらって名誉なことだろ。」と言う人も多いけど、ゴルソン自身はまっぴらごめん。熟年になってからは、どうしても必要ならと、自分で作詞作曲しています。
great_day_harlem.jpg
 というわけで、明日の「映像で辿るジャズの巨人:A Great Day In Harlem」は真夏のハーレムで撮影されたジャズメンの写真を基に作られたとても面白いドキュメンタリー!ぜひお越しください!
 おすすめ料理は「ビーフのパイ包み焼」です!CU

南十字星の国から

 天神祭も終わり、大阪の街は本格的な夏休みモード。
suvenir69.jpg
 昨日から、長年、寺井尚之のCDを愛聴し、ゴールド・コーストのFM局で流してくださっているフィオナさんが休暇を取って遠路はるばる南半球からライブを聴きに来阪中。今日は、ミナミの街へと、ミニミニ大阪ツアーに行って来ました。
 ご両親は英国人、UKの従兄弟たちもジャズ・ソサエティを主宰しているというロイヤル・ジャズ・ファミリー!何のPRもしないのに、フラナガニアのCDをどこかで聴いて、いっぺんにファンになってくださったというから、ありがたいです!
 今回、フィオナさんが日本で一番買いたいものは、意外にもタオルケット!オーストラリアには、こんな気持ち良い寝具は入手できないというので、デパートでゆったりお買いもの。店員さんのサービスの良さに驚いてました。大丸百貨店さんありがとう!
 そして第二希望はユニクロ・ツアー!開店と同時に入店して、約一時間、時さえ忘れて、あれもこれもとお買いもの、ふと周囲を見回すと、アジア系の旅行者のお客さん観光客さんばかり・Jazz Club OverSeasのライブ・スケジュール配ればよかったなあ・・・大阪知らずのへっぽこガイドであります。
fionaP1050166.jpg 丁度ランチ・タイムになったので、心斎橋を南下し、かに道楽を横目で観ながら、法善寺横丁の浪速割烹で、大阪の地野菜を使った日本料理に舌鼓。カウンター席なので、皆が大吟醸を悠然と飲み干す彼女に、色々フレンドリーに話しかけてくださって、いかにも大阪やね~って感じでした。
 明日から、坂田慶治(b)とのデュオ、メインステム・トリオ、宮本在浩(b)との火曜日名物デュオなど、寺井尚之のピアノで心行くまで楽しんで頂く予定。ここは、ひとつ盛り上がりたいものです。Jazz Club OverSeasのためにも、寺井尚之のためにも、どうぞ、ここはひとつライブにお越しくださいますよう、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
CU

Rahsaan Roland Kirk ローランド・カーク (1936-77)

99edb89164484ef44d556b9d84cee.jpg
 猛暑到来!どんなに暑くても、若いときは街歩き大好きだったのですが、今はとにかく時間が取れません。来週はオーストラリアから、寺井尚之ファン、Fionaさんが遠路はるばる来られるので、今日は観光案内の下見にミナミの街へ行って来ました。
 「かに道楽」や「グリコ」、パチンコ屋さんの喧騒や、食べ物の香り一杯のコテコテで暑いナニワの繁華街には、ローランド・カークの「カッコーのセレナーデ」が似合うなあ・・・
 というわけで、8月5日(日)正午より、「映像で観るジャズの巨人」DVD講座にローランド・カーク (Rahsaan Roland Kirk)登場!
 若いファンのみなさんは、ローランド・カークなんて言っても知らないかも・・・沢山の楽器をガブっとくわえる上の写真を観て「アクロバットか」と横向く人、ちょっと待って!ローランド・カークは、正真正銘、本物のメインストリームです。そんな方こそ、ぜひ8月5日に来てくださいね。
<マルチ・リード>
 カークは1936年8月7日、オハイオ州コロンバスの蒸し暑い夏の日に生まれました。2歳の時に失明、盲学校でトランペットを習得し、15歳ですでに2管の楽器を同時に演奏する技を会得していたといいます。
rahsaan-roland-kirk-1-lee-santa.jpg カークの演奏楽器は多種多様!テナーサックス、クラリネット、フルート(鼻で吹くときも)、そして、トランペットにサックスのリードを付けたものや、マンゼロ、ストリッチというカークのオリジナル・ホーンがあります。
 左のモノクロ写真で左端のホーンが「Manzello(マンゼロ)」、真ん中の長いのが「Stritch (ストリッチ)」と言う楽器で、どちらもカークが名付けた名前です。前者は H. N. White 社製のサクセロというB♭のソプラノサックスに、メロフォンという金管楽器のベルを付けたもの。後者は、ブッシャー社製の直管のアルトサックスのキーを改造して片手で演奏できるようにしたものです。
 盲目のカークが、一体どうやって、いろんな楽器を開発したかというと、NYロウワーイーストサイドに馴染みの質屋があって、質流れ品の楽器で気に入ったものを、更にカスタマイズして使ったのだそうです。その他にも「サウンドツリー」と名付けられたスタンドには、ゴングやベル、タンバリンといった小道具が色々つりさげられて、その都度必要に応じて使ってました。
 ロータリー式呼吸法を駆使し、ノンストップで、複数の楽器を演奏するというと、「体力勝負」のサーカスと思われるかも知れませんが、キーの異なる楽器でハーモニーやリフを付けて演奏するには、それ以上に大脳を駆使しなければなりません。まして、そのプレイがソウルフルで、即興演奏をガンガン聴かせるのですから、カークが多くのミュージシャンに尊敬され、愛されるのは当然!子供の頃にNHKの音楽番組で観た
カークはほんとにカッコイイ!と思いました。その迫力は、カークがNYに出てきたとき、まっさきに起用した恩人、チャーリー・ミンガスや、ミンガス一派のジョージ・アダムス&ドン・プーレンのバンドに通じるものがあります。
<ライブの迫力!>
vanguardgordon_MED.jpg ヴィレッジ・ヴァンガードの店主、故マックス・ゴードンの回想記”Live at the Village Vanguard”を読むと、カークはヴィレッジ・ヴァンガードに出演するのが好きで、年間3-4週間は演奏していたと言い、いかにもNYっぽいライブの様子がリアルに描かれています。
 「ラシャーンは黒いベレー帽とサングラス姿で杖を持っていたが、不思議なことに、ヴァンガードの店内のトイレも電話もバーも、全てどこにあるのか判っていて、狭いテーブルの間をかいくぐって辿りつくことが出来た。」
 「彼は、自分を聴きに来るファンのことを”信者(believer)”と呼び、たまに”不信心者(Unbeliever)”が客席にいるのを感知すると、間違いなくその席に降りて行き、そのお客の首根っこを摑まえて追い出した。」
 「興が乗ると、カデンツァにクラリネットで”聖者の行進”を吹きながら、客席に下りて行進し、そのままドアを開け、地下から上に上がり、再び吹きながら戻ってくるのだった。」

<輝く星>
jzveutacglxrzjel.jpg
 カークは、夢のお告げで本名のRonaldのNとLを入れ替え、アラビア語で「輝く星」を意味する”Rahsaan”を冠しました。
 沢山の楽器を持つ姿はなかなかヤヤコシイ感じがしますが、気性はまっすぐ!歯に衣着ぬ弁論家で、サックスにエレキを使ったり、ロックやフュージョン(’70s当時はクロスオーバー)に走るミュージシャンたちを、はっきりと一刀両断にバッサリ切り捨てています。
 僅か41歳という短い一生で、幼い時に失明、晩年は脳溢血で右半身付随という不幸に見舞われましたが、それでもテナーサックスを改造し、片手で演奏活動を続けた「輝く星」ローランド・カーク!偉大なジャズ・ミュージシャンに乾杯!
 「オースティン・パワーズ・デラックス」しか知らない皆さん、ぜひ一緒にDVD観ながらランチして、寺井尚之の解説を聴いてみてください!講座のサイトはこちらです。
<映像で辿るジャズの巨人>
8/5(日) 正午- 2pm 「 マルチリードの醍醐味!Rahsaan” Roland Kirk」
受講料 2,625yen (要予約)

CU

対訳ノート(35) 虹色 Misty

 九州は未曾有の大雨、いつもは穏やかで美しい白川が氾濫、熊本市でトミー・フラナガン特集ライブの快挙を行ったベーシスト、古荘昇龍さんのご近所も水害に見舞われていると伺いました。心よりお見舞い申し上げます。
rainbow183463-1322185264-4.jpg
 大阪のJazz Club OverSeas、土曜日は「トミー・フラナガンの足跡を辿る」開催!『Ella in Japan』佳境に入ってきました。
 解説用の構成表や対訳もやっと一揃い出来上がって、ほっと一息… 今回作った対訳は全15曲。『パーディド』や『A列車で行こう』など、有名スタンダード曲でも、全く違う歌詞を歌ってから、スキャット(エラは”Bop”と呼びます。)で聴かせたりするので、全て一から聞き取りです。
6a00e008dca1f08834014e8835dcb4970d-250wi.jpg
 東京オリンピック・イヤー、1964年お正月の来日公演、一番大きな拍手があったのは”ミスティ”でした。”ミスティ”は、OverSeasでもリクエストが多く、プログラムの都合でお応えできない時の為に、寺井尚之とThe Mainstemがダウンロード用CD、『Evergreen 2』に収録しているので、ぜひ一度聴いてみてくださいね!
 皆さんご存知のように、“Misty”は、天才ピアニスト、エロール・ガーナーの1954年の作品。2年後に”ポルカドッツ&ムーンビームズ”や”バット・ビューティフル”などでおなじみの作詞家、ジョニー・バークが歌詞を後付けし、人気歌手ジョニー・マチスのレコードで大ヒット、ジャズの世界ではサラ・ヴォーンの十八番として世界的に有名になりました。”Misty”は、日本語では、よく「霧の中」的に訳されるけれど、「霧」は”Fog”で、”Mist”は「靄(もや」。”Mist”の語感の方が、潤いと透明感があります。米国の国語辞典サイトを読むと「甘美で感傷的な気分に満たされる」という語意があるのが判ります。エイゴはムズカシイ!
 ★左の公演ポスターは、ジャズ評論家で「Ella In Japan」のリリースに尽力された後藤誠氏の提供です。
<飛行機から観た虹の曲>
 ただし、エロール・ガーナー自身は、もっとシンプルな理由から、『Misty』と名付けたのでした。作曲の経緯については諸説あるけど、アーサー・テイラー(ds)のインタビュー集、”Notes and Tones“には、ガーナ―自身の決定的な証言が載ってます。ガーナ―の言う『Misty』は、水滴で潤む飛行機の窓ごしに観た虹のことだったんです。ガーナ―はこんな風に語ってます。
Garner3.jpg
 「”Misty”は、サンフランシスコーシカゴを飛行中、美しい虹に出会って作った曲なんだ。まだジェット機がない時代で、フライトはデンバー経由だった。デンバー空港に向かって高度を下げて行くと、きれいな虹が出た。それは見事な虹だった。長さは短めく幅広だったので、あらゆる色彩が見えた。飛行機の窓は雨で濡れていたので、虹は潤んで(misty)いた。それで、”Misty”と名付けたのさ。僕は自分の膝をピアノに見立てて、必死で思い浮かんだ曲を弾いていた。目を閉じてハミングしながらね。すると隣に座っていたおばあさんが、てっきり僕の具合が悪くなったと思い込み、客室乗務員を呼んでくれた。シカゴに着くころには、曲は出来上がっていた。うまいことに、目前にレコーディングが控えていたので、そこで録音したんだ。つまり、その飛行機で僕の隣に座っていたおばあさんが、”Misty”の初演を聴いた人なんだ!」
 譜面が読めないことで有名なガーナーですが、作った曲は、写真のような形で脳内に記憶することが出来たのでしょう。
 ジャズの世界では、クインシ―・ジョーンズのアレンジで壮大に歌い上げるサラ・ヴォーンの名唱が有名ですが、『Ella in Japan』のヴァージョンも素晴らしい!
 たたき上げのバンドシンガーであったエラ・フィッツジェラルドは、全然関係のないレパートリーで、何かのトラブルがあったとき、で、この“Misty”の冒頭フレーズを、秘密の暗号コードとして時々使ってました。アドリブで、いろんなフレーズを挿入しすぎて、コーラス中のどこに居るのか判らなくなってしまった時、冒頭のフレーズを歌詞のないメロディ・スキャットで繰り返すんです。“Look at me! look at me!” つまり「私を見て!首振りするから、ちゃんと見て、コーラスの頭に戻ってね!」そうすると、ビシっとうまく収まります。あの有名な『Ella in Berlin』でも聴けますよ。
Misty
Eroll Garner/ Johnny Burk
ねえ、私ったら、
木の上で途方に暮れてる子猫みたい、
雲につかまるように頼りな気。
何が何だかわからない、
うっとり、ぼんやり、
あなたと手をつなぐだけで。
ねえ、私のところに歩いて来て、
すると、沢山のヴァイオリンが音楽を奏でる、
それは、あなたのハローの声かも。
うっとり、恋の気分、
あなたといっしょにいるだけで。
だまされていてもいいの、
あなたになら、だまされたい。
私はおろおろするだけで、
あなたについて行くだけ。
一人では、
この不思議な世界は歩けない。
右も左も、
何がどうだか判らない、
あんまり、うっとり、
恋の気分に浸りすぎ。

 「足跡講座」今回のおすすめ料理は「賀茂なすスペシャル」
 「トミー・フラナガンの足跡を辿る」Ella in Japanは、今週土曜日6:30pm開講!(チャージ 2,625yen) 学割チャージ半額です。
 「足跡講座」 ぜひぜひ Look At Me!

CU

Jazz Club OverSeasのご感想いただきました。

 一昨日、はるばる名古屋からご来店くださったお客様が、ご自身のフェイスブックにレポートを書いてくださっていました。
 とても、とても嬉しく励みになったので、ここに転載させていただきます!
 ご来店ありがとうございました。
P1050124.JPG
Jazz Club Overseasで撮ってくださった一枚です。
 私の横がジャズ​ピアノのジャイアンツ、故トミー・フラナガンの弟子となられたオ​ーナー寺井尚之さんです。
  目の前でピアノ・ベースのデュオを拝見しましたが、ピアノのタッ​チが滑るように・・・軽やかなタッチだけど、音がズシンと届きま​す。これがジャズピアノの真髄なんでしょうね。美しかった。強く​叩くジャズピアニストが結構多いのですが、正直疲れる私。
  私は曲がどうのこうのよりも、音を楽しむというタイプです。音楽​だもん。またジャズは偏屈な理屈を物申す御仁が多いから、とっつ​きにくいかもしれませんが、シンプルに音を聴かせてくれるこのお​店なら好きになれるかもしれませんよー。
  レコード・CDよりも生音がやはり一番。ジャズのライブハウスと​言いながら、ポップス、ロックもやったりする店だらけの昨今です​が、Jazz Club Overseasは硬派のジャズライブハウス。私の仕事と通じるところがある。「木造しかやらない」​「元請けしかやらない」「会社から1時間圏内オンリー」などなど​・・・「ジャズオンリー」「生演奏」「アコースティックオンリー​」・・・職人っぽさが魅力的です。
  3ステージを全て聴かせてもらいましたが、あっという間でした。
ベースの鷲見和広さん、彼のベースも走ってました。ベースはなく​てはならないパーツと改めて感じています。ベースなけりゃジャズ​と言えんね。
 大阪の安土町という都心に隠れるようにあるお店。それがまた隠れ​家的で最高にいいです。オーナーのピアノが聴けるお店。奥様が店​の舞台裏を切り盛り。ピアノが最高の状態で届けれるよう最善を尽​くされているのもすごく感じます。最後に・・・ライブ終わり、ピ​アノを片付ける際に、丁寧にタオルで拭かれててたオーナーの姿に​ズシンときました。道具は職人と一心同体。ピアノが私の道具と重​なりました。そんなお店です。ぜひ大阪に行かれたら足を運んでく​ださい。
 至福の時間が我が物になります★

夏休みはOverSeasでJAZZ三昧!

 お天気もニュースもどんよりしている昨今、皆さま、お元気ですか?
P1050115.JPG 毎回レパートリーを入れ替えながら、月2回のライブを続ける寺井尚之トリオ、The Mainstem(宮本在浩bass 菅一平drums)は、地味でひたむきな稽古の成果が、底力になって来た感あり。
 トリオ3名の息遣いが一体になった時、ハーモニーとリズムが大きく膨らみます。そうすると、何故か、心の中の雲が晴れて、文字通り心が躍ります。どんな素晴らしいオーディオも、生音の周波数を全てを再現することはできないそうで、生音の凄さ、ライブの楽しさは、その辺りと関係しているのかもしれません。
 OverSeasの私たちには、なかなか縁のないものですが、大多数の皆さまは、これから夏の休暇シーズン、大阪観光のおりに、ぜひ太閤路地にあるOverSeasで、寺井尚之の芳醇なサウンドをお楽しみください!大人も子供も大歓迎!学生証ご持参の方はライブ・チャージ半額です。(あくまでも学生支援のためですので、英会話スクールなど立派な大人のみなさんは適用外です。)
fiona226022_10150344937987489_7890231_n.jpg
 昨日は、名古屋のお客様が、ご夫妻で、初OverSeas体験!お昼は難波花月、夜はOverSeasで、ナニワの色んな側面を楽しんで頂けてよかった!
 7月末には、大阪観光を兼ねて、オーストラリアのゴールドコーストから、長年の寺井尚之ファンが来られる予定です。
 ひょんなことで、寺井尚之のCDを耳にしてから、通信販売やダウンロードで長年ご贔屓いただいてる、ありがたいお客様、美しい街、ゴールドコーストからフィオナ・ローレンスさんが、初OverSeasの予定です。
27日(金)の寺井尚之+坂田慶治(b)デュオ、28日(土) の寺井尚之The Mainstem、31日(火)、宮本在浩(b)との火曜日デュオと、ご来店予定。
 日本のジャズ・ファンのみなさんとぜひ交流したいと希望されています。英語の出来るお客様はぜひジャズ事情を語り合ってくださいね!
 英語の苦手な皆さんも、不肖私が通訳させていただきます。日豪の国際親善のためにも、ぜひご来店お願いいたします!
 日曜日は正午からDVD講座!OverSeasは休みなしで皆さまをお待ちしています!ライブ&ジャズ講座スケジュールはこちらです。
 G’Day!

トミー・フラナガンとベニー・ウォレス

bennie_wallace.jpg
  毎月第二土曜日に開催している「トミー・フラナガンの足跡を辿る」も、いよいよ終盤、5月と6月に登場したテナーサックス奏者、ベニー・ウォレスのワン・ホーン・アルバム、『Bennie Wallace』(’98)がとても印象に残りました。フラナガン68才、この時期、トミー・フラナガンをゲストに迎えて録音したアルバムには、どれも「尊敬するトミーと共演できて良かった。」というリーダーのコメントが出るのですが、それが、どのくらいの「尊敬」なのかは千差万別。「ジャイアント馬場を尊敬してる。」と言っても、私と寺井尚之では、言葉の深さも、必殺技の理解も雲泥の差。でも『Bennie Wallace』を聴いていると、「この人、フラナガンのことが好きなんだ…」ということがヒシヒシと伝わって来て、気持ちが洗われます。
  ベニー・ウォレスは、この作品の18年前にも、『Free Will』でも、フラナガンと共演していますが、その時は、ソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンとアーチ―・シェップを足して三で割ったような印象だし、山下洋輔(p)さんとの共演盤など、アヴァンギャルドなイメージが強いですね。でも、フラナガン夫妻が口をそろえて「あの子は良い子だ。」と誉めていたし、興味をそそられて、フラナガンへの想いを直接質問してみました。
artists_bennie_wallace_9720.jpg ベニー・ウォレスは1946年生まれ、南部のテネシー州出身、中学時代からジャズが大好き、白人には危険区域と言われる黒人地区のクラブに入り浸り、セッションを重ね、黒人のミュージシャンたちに可愛がられたというのは、ペッパー・アダムスと似ています。大学入学前にすでにプロとして活動。テネシー州立大卒業後はNYでモンティ・アレキサンダーなどと共演。エリック・ドルフィーやオーネット・コールマン以来の逸材と絶賛されました。
 80年代から、映画音楽に携わり、ポール・ニューマン主演の『Blaze』、『ハード・プレイ』、その他多くのTVドラマなど、数々の音楽を担当。『ハード・プレイ』では、トミー・フラナガンとアレサ・フランクリンのコラボを実現し、短編作品、『Little Surprize』ではオスカーにノミネートされるなど非凡なキャリアを築きます。
 ウォレスさんは、映画音楽とジャズの仕事の二足のわらじがディレンマどころか、相乗効果をもたらすという幸運な人。昔懐かしいアニメ、ベティさんこと“Betty Boop”のリメイクで一緒に仕事をしたジミー・ロウルズ(p)から、多くを学んだそうです。それ以来演奏解釈が一変。ひたすら歌詞を覚え、歌う作業を繰り返してからテナーで演奏するようになったと言います。フラナガンの真価を掴んだきっかけは、ロウルズだったのかもしれません。
 フラナガンのどんな所が好きなのか? それは、ピアノのタッチ、そしてハーモニーのセンスだと彼は言います。このアルバムではフラナガンが愛して止まなかったエリントン―ストレイホーン作品が何曲か収録されていますが、それについて大変興味深い意見をメールしてくれました。
「トミーは私のヒーローであり師であり、大好きなピアニストです。多くを学び、ライブに感動し、今もレコードを愛聴しています。
 彼は完璧な伴奏者ですが、勿論、それ以上の人です。例えばトミーの”Sunset And The Mockingbird”と、エリントン楽団の演奏を聴き比べてみてください。エリントンですら創造し得なかったハーモニーを実現していますよね。」
「録音前に、”Prelude To A Kiss”(エリントン作) のコード進行を打ち合わせるためにトミーのアパートに行ったときのことです。彼は、むかし自分がエリントン楽団でこの曲を聴いたという話をしてくれました。サビのメロディの各音に、それぞれ違うクロマチック・コードが付いて演奏されていたのだそうです。トミーは感動して、家に帰ると、すぐさまピアノに向かって、そのサウンドを思い出しながら、辿って行ったんだと言うんです。その話をしながら、実際にハーモニーの変化を弾いてみせてくれました!
  音楽的記憶を再生するプロセスは、単なるレコードのコピーより、はるかにクリエイティブな行為なんだと、僕は感動しました。
 トミーはエリントンのアイデアに、自分自身の創意工夫を重ね、更にすごい音楽を構築した。僕はその姿を目の当たりにしたのです。
  それから、ダイアナが現れ一曲トミーの伴奏で歌ってくれました。彼女はすごく上手だった!」

 何食わぬ顔でピアノを弾いているトミーと、奇跡を観た少年のように、目をまん丸にして、茫然とするウォレスさん、NYアッパー・ウエストサイドのピアノ・ルームの情景が目に浮かびます。寺井尚之も私も、同じように、フラナガンのアンビリーバブルな創造行為を何度か目のあたりにしていますから、とても共感が持てました。
White_men_cant_jump.jpg 映画音楽家としてのウォレスさんは、トミー・フラナガンとソウルの女王、アレサ・フランクリンの共演を実現させた功労者です。彼を映画界に引っ張ったロン・シェルトン監督作品、『ハードプレイ(White Men Can’t Jump) 』は、、ストリートバスケットを通じて、人種の軋轢や男のロマンを描く快作です。その劇中歌として、”If I Lose (もしも私が負けたなら)”というきれいなバラードを作詞作曲、編曲、この1曲のためだけに、フラナガンをラガーディアから飛行機に乗せ、デトロイトのスタジオで録音、グラディ・テイト(ds)やウォレス自身もテナーで参加し、何時間もかけて録音したそうです。
aretha-franklin.jpgアレサ・フランクリンはデトロイト出身、なんと高校までフラナガンと同じノーザン・ハイスクール出身で、この後、NYのカフェ・カーライルで共演したそうです。聴きたかった!
 なお、このコラボは、8月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に登場する予定。
 他にも色々と、フラナガンへの想いを何通かのメールに分けて教えてくださったウォレスさん、現在はコネチカット在住、現地の非営利ジャズ組織の音楽監督としてジャズフェスティバルや教育プログラムなどに関っているようです。My同志、Mr. Wallace、来日することがあれば、ぜひOverSeasで寺井尚之と一緒に演奏してくださいね!
CU