サキソフォン・コロッサスに押された「怒りの刻印」/ソニー・ロリンズ


 『サキソフォン・コロッサス』はモダン・ジャズのバイブル的名盤、どのトラックを聴いても、“モダン・ジャズ”の圧倒的なパワーと魅力に溢れている。“モリタート”“セント・トーマス”は、歌舞伎なら『勧進帳』、クラシック音楽なら『運命』同様、特にそのジャンルが好きでなくたって誰でも知ってるもんや…と思っていたけど、ジャズが、BGMとして“流れる”だけの時代になってからは、あながちそうでもないらしい… とはいえ、“サキコロなんかあんまり当たり前で耳にタコできて、もう聴く気もせんわ。”と言うジャズ通も多いのではないでしょうか?このセリフは、かつて私がミナミの中古レコード店に行くと、必ずハングアウトしていたネクタイ姿の常連さんの言葉です。
 それほどベーシックな名盤なのに、今まで我々はちゃんと聴いていなかった…と思い知らせてくれたのが、ジャズ講座だった。
  スイングジャーナルやダウンビート、どのジャズ雑誌でも星5つ、ガンサー・シュラーや、ラルフ・グリースンなどの大先生は、歴史的名演と口をそろえて誉めちぎる。おまけに『主題的即興演奏に於けるソニー・ロリンズの挑戦』と題するシュラーのエッセイまでが、ジャズ批評を代表する歴史的名文と評価される結果になった。ジャズ・ファンとグルメは、星の数にはめっぽう弱い。しかし、絶賛されるが故に、真実が見逃されるということもある。
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 講座では、このアルバムには、『ずれ』や、テンポの『揺らぎ』、バース・チェンジのミスが潜むことを、実際の音源を聴きながら確認し、その瞬間のソニー・ロリンズを始めとする各メンバーの心象風景まで、実際のプレイを聴きながら解き明かしていく。寺井尚之特製の進行表があれば、耳の肥えたプレイヤーでなくとも、自分達が今、この瞬間、曲のどの位置を聴いているのかが一目瞭然に判る。だから、寺井尚之と同じ目線で、演奏に現れる色んなシーンを一緒に楽しめるのです。
 中でも圧巻は、“ストロード・ロードの謎”と呼ばれるバース・チェンジの謎解き。
 ソニー・ロリンズのオリジナル、Strode Rodeは、ロリンズがシカゴ時代によく出演していたクラブ、ストロード・ラウンジにちなんだ曲で、講座以降、寺井尚之のレパートリーにもなり、ピアノトリオで楽しんでます。
 AABA形式のテーマは12+12+4+12と、少し変則になっている。寺井は、この録音から、ハーモニーが余り明確に伝わってこないことから、「メモ的な譜面をその場で渡して録音したのではないか…」と推測する。
 ここでのロリンズ-ローチのバース・チェンジは、試しに私が何度数えても何コーラスやってるのかさっぱり判らない。寺井尚之は何故、皆が判らないのかを、進行表を出して教えてくれる。実は「演ってるほうも判らなくなっているからだ。」と。結局、一瞬失った流れを、うまくアジャストして元に戻した結果、歴史的名演となったのです。
 
 バース・チェンジを迷子にさせた誘因はフラナガンがヒットさせたテンションのきつい一発のコードが原因だったことが明らかになっていく。サイドマンとして抜群の評価を受けているフラナガンが、確信犯的に「判らなくなるようなタイミング」のバッキング・コードを絶妙に入れたのだ。
 地道に仕事をする脇役フラナガン、メトロノームの様に正確無比なマックス・ローチ…ジャズ評論でお決まりのように出てくるキャッチフレーズが、講座ではどんどん崩されていきます。
 その経緯は、推理小説を読むようで、知的満足度たっぷり!『間違い探し』にありがちなセコいところがない。詳しいことは、講座の本第一巻をぜひとも読んでいただきたいと思います。
 夭折の天才ベーシスト、ダグ・ワトキンスはデトロイトの名門高専カス・テック出身、この学校の当時の音楽カリキュラムは並みの音大よりずっとハイレベル、教師陣はヨーロッパから亡命してきた一級のコンサート・アーティストが多かった。ダグはポール・チェンバースの従兄弟で一年間デトロイトで同居し、非常に仲良しだったと言う。晩年トミーのレギュラーだったピーター・ワシントン(b)にはダグの大きな影響を感じます。
 進行表を見ながら、フラナガンのヒットさせたキツいコードを自分の耳で確かめて、「ほんまや、これはわからんようになるわ。」と納得、あれあれ、ほんとだ。ダグ・ワトキンスの逡巡するビートや、ローチのドラムから送られるサインに戸惑うロリンズ、今度はロリンズをフォローして、カチンと歯車のかみ合うバッキングを送るフラナガン、皆のプレイに、字幕がついたように良く判ったし、このアルバムを一層楽しめることが出来るようになりました。
 
 フラナガンが、現場での「何か」にカッとしてガツンと押した『怒りの刻印』…でも、それは音楽を台無しにするどころか、却って、レイジーな浮揚感と、即興演奏に命を賭ける集中力との激しいせめぎ合いを生み、化学作用を引き起こしたのではないだろうか?
マックス・ローチが牽引した二つの大車輪クリフォード・ブラウン(tp)とソニー・ロリンズ。
ブラウニーは奇しくもこの作品が生まれた4日後に悲劇的な事故死を遂げた。

   
 色々な書物に遺されたトミー・フラナガンの発言を読むと、この名盤の謎解き講座に陰影が付き、一層興味深いのです。
 

NY的なるジャズについて:
  デトロイトから出てきた当時、NYのミュージシャン達は余りにもバド・パウエルとチャーリー・パーカーに、耽溺しすぎているように思えた。勿論、我々だって(デトロイトのピアニスト)パーカーやパウエルは好きだったが、我々にはもっと何か他のものがあると思っていた。例えば、NY派のドライブ感と同時に、我々にはもっとリリカルな要素があると。趣味の良さと、テクニックももう少しあると自負していた。まあ、それは私個人の意見だから間違っているかもしれないがね。
 Jazz Spoken here/ Waine Enstice & Paul Rubin, 1992
 “サクソフォン・コロッサス”参加の経緯について
 偶然!偶然だったんだ。大勢のミュージシャンがプレステッジで録音していて、僕も名簿に載っていただけだったんだ。振り返ってみると、その頃に録ったものが全て今は古典になっている。参加していたのは幸運だった。ソニーとはバンガードで何回か共演したがツアーに同行したりするというようなことはなかった。
Downbeat誌 ’82 7月号
サキソフォン・コロッサスについて
 
 現在のレコード製作では、気にいらないところは編集してしまうが、昔の録音は、ミスも何もかもそのままだ。だが、私はその方が好きだな。…“サキソフォン・コロッサス”の収録曲がエクサイティングだったどうかは知らないが、なによりロリンズと共演することが私にはエクサイティングだった。何故ならコールマン・ホーキンスを別にすれば、ロリンズは私が当時最も好きだったサックス奏者だったから。
Jazz Spoken here/ Waine Enstice & Paul Rubin, 1992
 まあ、ロリンズはあれほど素晴らしいミュージシャンなのだから、<ブルー・セブン>が絶賛されたこと位どうってことはない。 実際の彼はあれよりずっと良いよ。
Jazz Spoken here/ Waine Enstice & Paul Rubin, 1992
ソニー・ロリンズについて
 ロリンズはフラナガンにとって、いつもお気に入りのミュージシャンであり、”優しいスイートな男”だ。ロリンズは、スターであるプレッシャーに打ち勝つために、わざと近寄りがたい人物像を演じているのだとフラナガンは言う。フラナガンがロリンズと初めて出会ったのはデトロイト時代で、かの有名なローチ-ブラウン・クインテットが町に来た時だ。
 “ロリンズは自分自身をどれくらい面白いと知っているのだろう?”という質問に、フラナガンはこう答えた 。
「彼は真剣そのものなんだけど、真剣なところがおかしいんだ。意識的におかしくプレイしようとしてるかどうかは知らない。でも僕にはおかしく聞こえてしまう。例えば“If Ever I Would Leave You” 初めて聴いた時には、もう床にぶっ倒れる程笑いこけたよ。だが、同時に、彼は真剣そのものだとも思えた。彼はあのスタイルでなくとも、色々なやり方でプレイできるんだ。しかし、その時は、彼のルーツである西インド諸島風に演ってるとは、知らなかった。凄く細かいビブラートで、殆ど初心者のような音色だよ。全く音にならないようなところまでホーンをオーバー・ブロウさせてね。でも、あのようなアプローチで、あれほど音楽的に出来る演奏家を私は他に知らない。」
Jazz Lives/Michel Ullman New Republic Books, 1977

“サキソフォン・コロッサス”の緊張感に満ちた名演は、天才音楽家集団を生んだ二つの街、ハーレム・ストリーツとデトロイトとのせめぎあいで実った果実なのかも知れない。
 “サックスの巨人”の初期の代表作、やっぱりBGMとして流すのでなく、こっちも正座して真剣に聴きます!
CU
 

寺井珠重の対訳ノート(7)

所変われば『彼氏』も変わる
The Man I Love (私の彼氏)/エラ・フィッツジェラルド

’98年、AMEXのPRでのエラ・フィッツジェラルドアニー・.リーボヴィッツ撮影 ©2008 artnet
 トリビュートが終わったら、あっという間に桜が咲き、今週の土曜日はもうジャズ講座…年を取ると月日の経つのがどんどん速くなります。
 寺井尚之がトミー・フラナガンのプレイを年代順に解説して行く『足跡』ジャズ講座、今週の登場アルバムはエラ&トミーの唯一のスタジオ録音盤『Fine and Mellow』と、ロンドンっ子達が大いに盛り上がるライブ盤『エラ・イン・ロンドン』、この両方に収録されているのがこの曲、“The Man I Love (私の彼氏)”、エラ・フィッツジェラルドは、長年の間、様々な公演地やスタジオで、たくさんの「彼氏」のことを歌って聴かせてくれた。それぞれ、とっても楽しいのです。
 
  《元カレ from Songbook》
 “The Man I Love”は、エラの金字塔、『ガーシュイン・ソング・ブック』(’58)に収録されています。
このアルバムを聴いたアイラ・ガーシュインは「エラに歌ってもらうまで、自分達の作品がこれほど良いとは思わなかった。」と言ったとか。
後に出てくる2ヴァージョンを、アイラが何と言うか訊いてみたかった。
 まだ見ぬ恋人を夢見る乙女ので歌詞のあらすじはこんな感じ。
☆原詞はこちらに。

<私の彼氏>
原詩(’24作):アイラ・ガーシュイン
いつか、私の恋人が現れる。
きっと強くて逞しい人。
私を愛し続けてもらえるように、
精一杯尽くす。
彼は私と出会ったら、
微笑みかけるはず、
だから運命の人だと判る。
しばらくしたら、彼は私の手を取るわ。
馬鹿な事と思うでしょうけど、
言葉を交わさなくたって、
二人は恋に落ちるの。
巡り会う日は日曜?月曜?
それとも火曜日?
彼は私達の住む、
小さなお家を建ててくれる。
そうしたら、私はもう出歩かない。
愛の巣から離れたい人なんているかしら!
私が一番待ち望むのは
愛する彼氏!

《彼氏 in U.S.A》
☆講座で取り上げる『ファイン&メロウ』は、ズート・シムス(ts)やクラーク・テリー(tp)、エディ・ロックジョウ・デイヴィス(ts)達の個性が聴けるのがお楽しみ。

 ガーシュイン・ブックから25年以上経ち50歳半ばを過ぎても、1コーラス目のエラの清純無垢な歌唱には一層磨きがかかっている。トミー・フラナガンのピアノをバックにルバートで歌い上げるエラは最高に美しい声と完璧なアクセントで、初々しささえ感じさせる!
 恋愛に言葉なんかいらない!汚れを知らぬ乙女は、心眼で愛する男性を見分ける。彼氏に対して、打算的なことなんて考えない。前もって「あのー、私の彼氏さん、年収いくらですか?学歴は?星座は?IQは?」なんて一切審査しないのだ!ロマンチックやわあ・・・
 と、思うのもつかの間、リズムに乗ってスイングする次のコーラスからは、殆ど同じ歌詞なのに、ガラっと変る。魔法のマスクをつけたジム・キャリーのように、ほうれん草を食べたポパイのように、秘薬を飲んだ底抜け大学教授のように、パワフルに大変身して見せます。

『Fine & Mellow』(’74)
<私の彼氏>対訳から編集

とにかく『彼氏』を見つけたら、
愛し続けてもらえるようにベストを尽くそう!
彼氏はマイホームを建ててくれる!
そうなったらシメたもの!
もう、金輪際ほっつき歩くもんか!
レギュラーのポジションを守り抜く!
彼氏をつなぎとめるために
ガンバろう!

最初のコーラスの純情可憐なイメージはどこへ?
しっかり気合を入れて、彼氏をゲットしよう!「ファイトー!一発」 エネルギーが溢れます。だけど、決して下品にならないのがエラのエラたるところ!この辺りがエラのサポーターだったマリリン・モンローの芸風に共通するものがあるなあ。以前話題にした“The Lady Is the Tramp”同様、上品ぶらない魅力が爆発する。こんな歌唱解釈の出来る歌手はいないね!スイングする楽しさ、ジャズの醍醐味がストレートに伝わってきます。
 エンディングでのレイ・ブラウン(b)とのへヴィー級の掛け合いがまた最高なんです。

ヘイ、カモン、マン、
私は彼氏を待っている、
あっ、あそこにいい男がいるじゃない!
きっと彼氏だ!
(レイ・ブラウンのベースに向かって)
ねえ、あの男はどんな奴?
彼氏の話をしてってば。
私は、彼氏を
ずーっと待ってるってのに・・・



  こんな感じで、“強くてたくましい”レイ・ブラウンの音と会話をするエラが最高!レイ・ブラウンとエラがかつて夫婦であったことを知っているファンには、また別の感慨を誘いますね。多分このインタープレイにヒントを得て、さらに発展したものがロンドンのライブ盤で楽しめるんです。
《彼氏 in UK》

 同じ’74年録音のライブ、『In London』のベーシストはレイ・ブラウンの薦めでエラのバックを長年勤めるキーター・ベッツ、エラは良く歌うベースに向かって『彼氏の事を教えてよ』と聴きながら、ミス・マープルのように『彼氏』がどんな人か探っていく。
 彼氏はどこの出身かしら? 北イングランド、シェフィールドの人なのか、はたまた南東のブライトン?身近な地名が出るたびに大喝采が上がります。結局、キーターのベースに、『彼氏はロンドンの男だよ』、と教えてもらうと、もうロンドンっ子たちが、ヤンヤの歓声!そしてその彼氏はダイヤの指輪を持っている大金持ちだと判ると、エラははりきって『ダイヤは淑女の一番の友達♪』と歌いだす。でも、ダイヤをちらつかせる男が誠実とは限らない。”結局、彼氏はとんでもない男だった…Fine and Mellow”や、”My Man”を引用し、男が金持ちだと、女はどんな目に会うかの教訓を示唆しながら更にスイングする。結局、「男は、どこでも皆いっしょ、男は皆おんなじだ。」とオチが来る、ほんま、エラは落語以上に面白い!
えっ?ベースの音とそんな掛け合いできるわけないって?
じゃあ、この映像を見てください。そしてジャズ講座でOHP観ながら聴いてみてください。ほんとに面白いよ、未婚の方には将来の、既婚の方にはまさかの時の参考になります!?

 
《彼氏 in Japan》
  このアルバムを録音した翌年(’75)、エラ&トミー・フラナガン3が来日した。『Ella in London』は来日記念盤です。当時、ラジオで放送された東京、中野サンプラザでの公演を聴くと『私の彼氏』は日本人、江戸っ子だい!なんとホテル・オークラの持ち主で、日本の特産、真珠を一杯持っている。おまけに『あ、そう』とか言うので、ひょっとしたら高貴な血筋かもしれない。
 一方大阪では、『彼氏』は浪花の男になっていた。

 おそらくパリでも、ベルリンでも、ブリュッセルでも、『彼氏』はその土地の男になり、大観衆を沸かしていたのでしょうね!
 トミー・フラナガンが音楽監督を務めた’70代のエラのおハコの代表的なものは『私の彼氏』以外にも、色んなジャンルの音楽をスキャットとバックのトリオが機関銃のように繰り出す『スイングしなくちゃ意味ないよ』、’60年の『エラ・イン・ベルリン』以降、目覚しく進化して、月面着陸までしちゃう『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』、ボサノバやサンバが、玉手箱みたいにどんどん出てくる『ボサノバ・メドレー』など枚挙にいとまがありません。これらのレパートリーを寺井尚之は’75年、京都と大阪で生を見たのです。うらやましいネ。
 私のブログよか、ずっと音楽的で、エラの歌に負けないくらい、おもろしくて為になる寺井尚之のジャズ講座は今週土曜日、Jazz Club OverSeasにて。
CU
 

トリビュート曲目説明できました!

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 先日のトリビュート・コンサートは、凄く沢山のお客様が来て下さって、サービスが行き届かず、失礼しました。開演後に、玄関口で佇む人がいるのを、テーブル席のお客様に教えていただいたり、いつもながらとはいえ、ほんとにすみません!
 そんなわけで、終わってみたら、バタバタと駆け回って、ほとんど写真を撮れなかったことに気づきました…。
 トリビュートが終わった翌日からは、歌詞や、講座の本のための翻訳の仕事が山のように溜まっていましたが、さきほどどうにか、トリビュートの曲目説明をHPにUPしました。
 「曲目説明」は、いつも頭の痛いことです。よくジャズのレコードのライナーを読むと、「○○は、コール・ポーターの作曲、19××年に、ブロードウエイのミュージカル○○の中の歌われたラブソングだ。」とかなんとか、書いてありますが、スタンダードナンバーは、ほとんどがラブソングだし、「それでどないやねん?」と思ってしまうことがある。
 何か、演奏者がその曲を選んだ必然性というか、聴き所のようなものを書きたいのですが、文章にするのはムズカシイ…
 とにかく、今回も軽めの脳みそを絞って一生懸命作りました。
 とはいえ、結局、つまるところは『百文は一聴にしかず』であります。トリビュートの演奏曲をトミー・フラナガンで聴けるアルバムは紹介しておきました。
 また、当夜の演奏を聴きたい方はCDRがありますので、Jazz Club OverSeasにお問い合わせください。
 寺井尚之(p)、宮本在浩(b)、河原達人(ds)のフラナガニアトリオの皆さん、私に曲説を書く力をお与えくださってありがとうございました。
 CU
 
 
 

トリビュート・コンサート速報

昨日は、ありがとうございました!!日本の色んな場所から、沢山お客様が駆けつけてくださって、12回目のトリビュート・コンサートを開催することが出来ました!
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<1st><2nd>
1. Oblivion (Bud Powell)

 ~Bouncing with Bud (Bud Powell)

 オブリヴィオン~ビッティ・デッティ
1. That Tired Routine Called Love (Matt Dennis)

 ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラヴ
2. Out of the Past  (Benny Golson)

 アウト・オブ・ザ・パスト

2. They Say It’s Spring (Marty Clark/Bob Haymes)

 スムーズ・アズ・ザ・ウィンド
3. Minor Mishap (Tommy Flanagan)

  マイナー・ミスハップ
3. Beyond the Bluebird (Tommy Flanagan)

 ビヨンド・ザ・ブルーバード
4. Embraceable You(Ira& George Gershwin)

  ~Quasimodo(Charlie Parker)

 エンブレイサブル・ユー~カジモド
4. Thelonica(Tommy Flanagan)

 ~Mean Streets (Tommy Flanagan)

 セロニカ~ミーン・ストリーツ

 
5. Lament (J.J. Johnson)

  ラメント
5. Good Morning Heartache (Irene Higginbotham)

 グッドモーニング・ハートエイク
6. Rachel’s Rondo (Tommy Flanagan)

 レイチェルのロンド
6. Our Delight (Tadd Dameron)

  アワ・デライト
7. I’ll Keep Loving You (Bud Powell)

 アイル・キープ・ラヴィング・ユー
7.Dalarna (Tommy Flanagan)

  ダラーナ
8. Tin Tin Deo (Chano Pozo,Gill Fuller,Dizzy Gillespie)

 ティン・ティン・デオ
8.Eclypso (Tommy Flanagan)

  エクリプソ
<Encore:>
With Malice Towards None (Tom McIntosh)

 ウィズ・マリス・トワード・ノン



Ellingtonia: エリントニア

 Chelsea Bridge (Billy Strayhorn)

  ~Passion Flower (Billy Strayhorn)

  ~Black & Tan Fantasy (Duke Ellington)

メドレー:

チェルシーの橋~パッション・フラワー~黒と茶の幻想

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 大人たちに混じって、ベイビーだった頃から、ご家族で埼玉からずっと来てくれている可愛いお嬢ちゃんも、小学校高学年になって、一際プレイを楽しんでくれました。なんとお行儀の良いお嬢ちゃんでしょう!演奏を聴くキラキラした瞳、食事のマナーの良さ…私の今までの悪辣な行儀を反省しつつ、も今後見習います。ダイアナにその話をしたら、「まあ、なんて素敵なんでしょう!!将来はミュージシャンかしら…」なーんて喜んでいました。
 フラナガニアトリオの演奏は骨太で、軽やかだったり、重厚だったり、トリビュートならではのサウンドに、レジの前では「感動しました!」と、嬉しい笑顔が見れて、元気を沢山いただき、ありがとうございました。
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ミーティング中のフラナガニアトリオ、宮本在浩(b),河原達人(ds),寺井尚之(p)
 ご来店くださったお客様、激励メッセージを下さった皆様、ほんまにおおきに!ありがとうございます!
これからも、身を引き締めて努力します。
 曲目説明はHPに近日UP!
CU

トリビュート・フィンガーズ

  ’75京都にて、トミー・フラナガン&寺井尚之 

 「白魚のようなピアニストの指…」というのは真っ赤な嘘です。
 明日のトリビュートに向けて、稽古を重ねた寺井尚之の指先は、子供の頃のおやつだった『爆弾あられ』のようにツヤツヤで弾けています。
fingers.JPG 寺井尚之の指先 
 ピアノの方は、川端名調律師が、優しく厳しいチューンナップを5時間ほど施して下さったら、明るい春の音色になって、明日の本番を待ちかねている様子。
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 当夜の演奏はフラナガニアトリオ
ドラムスは、トミー・フラナガン3を何度も生で見て、アーサー・テイラー、ケニー・ワシントン、ルイス・ナッシュたち代々のドラマーのサポートぶりや、演奏曲の隅々まで知っている長年のパートナー、河原達人、ベースは、伸び盛りベーシスト、宮本在浩。スイングしていて意味のあるプレイをしてくれます!
zaiko.JPG    tatsuto-1.JPG
 トミー・フラナガンを想う沢山のお客様に、「思い出の種」を沢山蒔いて欲しい。
 トミーは子供のときに、植物の世話がうまくて、「良く育つ」緑の指を持った子だと言われたそうです。明日は弾けた指で、トミー・フラナガンの音楽の芽をどんどん育てて欲しいです!
 明日のコンサートが楽しいイベントになるように、私も、スタッフ達もOverSeasの片隅で精一杯働きます。
 開場6pm-、開演は7pm-
 CU
 
 
 
 

トリビュート・コンサートの前にスプリング・ソングスの話をしよう。(2) They Say It’s Spring

 先週お話したビターなスプリング・ソングと違い、<They Say It’s Spring>はパステルカラーの春の歌、ブロッサム・ディアリーという歌手のおハコでした。
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 フラナガンによれば、名盤<Ballads & Blues>を録音した’78当時には、NYのクラブで彼女が歌うのをよく聴いていたらしい。

 ディアリーの歌はこんな感じです。 
 もし英語がよく判らなくても、歌詞に頻繁に出てくる、”L”とか”M”とか”F”の可愛い響きを、ディアリーはとってもうまく表現して、恋する女の可愛らしさに仕立てているのがわかりますよね。英語の歌詞はこちらにありました。

They Say It’s Spring
Marty Clark/Bob Haymes

<ヴァース>
夢見る少女だった頃、
ありそうもない伝説やおとぎ話、
私は想像の世界で暮らしてた。
正直言えば、
大人になった今でも、
現代人が声高に叫ぶ皮肉っぽい意見には、
どうも疑問を感じるの…
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<コーラス>
春だってね、
だから、羽のように
浮き浮きするんだって。
春だってね、
私たちがかかった魔法も
この季節はよくあることなんだって。

五月のせいなんだって、
ヒナゲシみたいに
チリチリ熱く燃えるのは。
五月はね、
世の中をクレイジーにして、
ぼんやりさせるんだって、

今の私は、
空を舞うヒバリや、
チカチカ光って踊る蛍みたいな気分、
だけど、私には、
この気持ちが、
単なる季節の産物とは
決して思えない。

春のせいだってね、
ウエディングベルが聞こえるのは。
そりゃ、今は春でしょうよ、
だけど、コマドリがさえずりを止め
この季節が終わっても、
私はずっとあなたと一緒。
皆は春のせいだって言うけど、
本当は、愛するあなたのおかげなの。…

 どうですか?春らしい可愛い歌詞でしょう!

bobby_jaspar1.jpg トミー・フラナガンが演奏するときには、必ず「ボブ・ヘイムズの曲…ゼイ・セイ・イッツ・スプリングを」>とアナウンスして演奏していました。
 ところで、若い皆さん、ブロッサム・ディアリーって知ってます?
  白人女性ジャズヴォーカルの一人ですが、Interludeを読んで下さっている方には、J.J.ジョンソン5のテナーサックス、フルート奏者、ボビー・ジャスパーの奥さんと言った方が判りやすいかも知れません。旧友の未亡人だから、フラナガンもディアリーの歌を良く聴きに行っていたのかも知れない。
   好き嫌いは別として、一度聴いたら忘れられない声をしてますよね。だから今でもカルト的な人気があるシンガーなんだそうです。

’70年代のNYの香りがプンプンする、ウッディ・アレンの恋愛コメディ『アニー・ホール』という映画を見たことがありますか?

  

  お笑い芸人と歌手、どちらも余り売れてない二人の、私小説的なラブ・ストーリーなんですが、ヒロインの歌手、アニーの歌を、もっと可愛く、うまく、洗練させたら、ブロッサム・ディアリーになるように思いました。アニー・ホールを演じるダイアン・キートン(実はキートンの本名がアニー・ホールなんだけど…)もディアリーがよく出演していたNYのキャバレー、『レノ・スウィーニーズ』に歌手として出演していました。
 

  ディアリーは、歌手に留まらず、この声と演技力で、アニメの声優をしたり、CMソングでヒットを飛ばしたりしました。ジャズというよりは、むしろシャンソン的な味わい深い詞の語り方で、NYではとっても評価が高いシンガーなんです。
 とはいえ、彼女の歌うThey Say It’s Springは、アメリカのケーキみたいにお砂糖を固めたアイシングがべったり付いた感じで、私にはちょっと甘すぎる。一方、フラナガンのプレイには、彼女の歌に滲み出る無邪気さや可愛さはそのままに、甘さを抑え、曲と歌唱解釈のエッセンスだけが抽出されているように感じるのです。「素材の持つ一番良いところを見抜き、最大限に引き出す。」のがトミー・フラナガン流なのだ!(エヘン)

   先週からお話してきたスプリング・ソングス、フラナガンが、その年に演奏した春の歌は、もっと色々あっただろうけど、これらの曲を聴くと、フラナガンと過ごしたNYの春の香りが甦ります。

   心臓に爆弾を抱えたトミーは、「後何回、自分は春を迎えられるだろうか…」と思いながら渾身のプレイを、毎年披露したのだろうか…

 追憶に浸る私とは違い、寺井尚之は、あの春にフラナガンから盗んだものを、20年近く熟成発酵させ、自分自身のものにしている。そして、毎年、春になると上の曲に加えて、<How High the Moon>とか<All the Things You Are>など、寺井的な色々なスプリング・ソングを聴かせてくれます。だって、春に2週間しかライブをしないトミーと違って、寺井尚之は春夏秋冬毎週4日演奏しなければならないんですから、色んな春のレパートリーが出来ました。

 土曜日はトリビュート・コンサート!フラナガンの雄姿を心に思い浮かべながら、「春」を満喫しよう!

 CU

トリビュート・コンサートの前に、スプリング・ソングスの話をしよう!(1)

 恒例、「トミー・フラナガンに捧ぐ」=春のトリビュート・コンサートがいよいよ来週に迫りました。
 寺井尚之は、他の仕事を極端にセーブし、フラナガンの演目を磨くために一日中ピアノの前。私は本番はハードだから、なるべくスタミナが付くように、香辛料たっぷりのジューシーなスペアリブやカツレツを作ってます。春の野菜と一緒に供すると、日頃あっさり和食が好きなピアニストも、この時期はおいしいと言って食べてくれる。
  何故、春にトリビュートをするかというと、トミー・フラナガンの誕生日が3月16日だから。年2回のトリビュートは、ダイアナ未亡人の要望でもあります。仏教では命日から数えて法事をするけど、西洋では「生誕○年」と誕生日から数えるんですね。先週の誕生日には、ダイアナ未亡人から電話がかかってきて、「ヒサユキに私からハグを!しっかり演奏するように!」と激を飛ばされました。
scrap_from_the_apple.JPG  私の<ヴィレッジ・ヴォイス>スクラップブックは、新聞紙の色が風化してます。
  この時期に欠かせないのが『スプリング・ソングス』とトミーが呼んだ春にちなむ一連の曲。’80年代後半から、フラナガンは、毎年春になると、地元NYのジャズ・クラブにトリオで出演するローテーションを組んでいた。この時期のギグは世界中から出演交渉にやって来るプロデューサー達と、夏期のジャズフェスティバル・シーズンの仕事について交渉するショーケースであったのです。出演場所は、移り変わりの激しいクラブ・シーンで、その時期、最も隆盛でソリッドなプレイを聴かすクラブ、<ヴィレッジ・ヴァンガード>、<ファット・チューズデイズ>、<スイート・ベイジル>、<イリディアム>など、店は年によって色々でした。私達は’91年の4月、<スイート・ベイジル>で、2週間の出演中、ほぼ全セットを聴き、スプリングソングを味わえて幸せだった。
sweetbasil-1.JPGスイート・ベイジルにて。
   NYの春、昼間はポカポカ陽気で、レストランやカフェはどこも屋外にテーブルを出して、街の人々は半袖姿、でも日没後は4月でも毛皮のコートが要るほど寒かった。
    ダイアナは、自分達のアパートから少し南に降りたリンカーン・センターの向かいにある、こじんまりした『エンパイア・ホテル』(左の写真)を予約してくれ、近所の行きつけのレストランも何軒か教えてくれた。車社会のアメリカで、トミーとダイアナにはマイカーがなかったから(それどころか、アパートには食器洗い機も、携帯電話のない頃にミュージシャンが仕事を取るのに必携のファックスすらなかった。)ハイヤーで店に出勤する途中で、私たちをピックアップしてくれた。ミッドタウンからダウンタウンまで、ずーっと皆で歌を歌いながら行くこともあったなあ。
   トリオの中で、毎晩、若手のルイス・ナッシュ(ds)が一番先に店に入って、きちっとセッティングを終えている。当時のジョージ・ムラーツ(b)はクイーンズの自宅から、釣竿やバケツと一緒にイタリア製のベースを積んだスズキのセルボでマイカー通勤していた。
   フラナガン3は、通常1週間で出し物が変わるジャズ・クラブで、異例の2週間の連続出演と決まっていた。トップ・ピアノ・トリオの出演に、他店もビッグスターをぶつける。この時期、<ヴィレッジ・ヴァンガード>はマッコイ・タイナー3、<コンドンズ>ではテイラーズ・ウエイラーズと、最高のラインナップだったけど、他店に行く余裕はありませんでした。
   2週間の間に、フラナガンのレパートリーは、一定することなく、毎晩目まぐるしく変わった。バド・パウエル、エリントニア、モンク・チューン、サド・ジョーンズ…そして、さまざまなメドレー、2週間で、のべ100曲は演ったように記憶してます。ある晩演奏したビリー・ストレイホーンの晩年の名曲、<ブラッドカウント>が余りに素晴らしく、滞在中、街中のピアニストの間でずっと話題になっていた。殆ど固定の演目で通す期間もあるのだけど、毎晩、五線紙を鉛筆を持ちながら必死で聴きこむ寺井尚之に、トミーはありったけのレパートリーを聴かしてやろうと思ったのではないかと思う。
 
   そんな中で、毎夜、一曲か二曲必ず演奏するのが、スプリング・ソングだったのです。フラナガンは必ず、「では、スプリング・ソングを一曲」と言ってからおもむろに演る。軽やかなプレイは、新緑のように爽やかで、春野菜のように精気に溢れていながら、アクが抜けていた。決して、ラスト・チューンにするような大ネタではないのだけど、忘れられないNYの思い出だ。
 この時期にフラナガンが演ったスプリング・ソングは、ビリー・ホリディのおハコ、<Some Other Spring>そして<Spring Is Here>、そして、フラナガン・ファンなら、名盤『Ballads & Blues』での名演が忘れられない<They Say It’s Spring>だ。
最初の2曲は、ふきのとうみたいに、ほろ苦い春の歌。
 
<サム・アザー・スプリング>は、テディ・ウイルソンの妻であったアイリーン・ウイルソン、後のアイリーン・キッチングスが作曲した。もう一つのホリデーのおハコ、<グッドモーニング・ハートエイク>を作曲したアイリーン・ヒギンボサムと同じ人だとずっと思っていたのですが、アイラ・ギトラー達が別人であると証言しているいます。知らなかった…
 ピアニスト、作編曲家のアイリーンはテディより年上で、先に名声を獲得していて、夫の出世に大いに貢献した。ところがテディは自分が有名になると、妻を捨て他の女性と駆け落ちしてしまう。傷心のアイリーンは、ある日、レストランで、離婚の嘆きを親友達に聞いて貰っていた。奇しくも、悩みの聞き役は、フラナガンの崇拝するビリー・ホリディ(vo)とコールマン・ホーキンス(ts)だった。その時、テーブル脇のエアコンがブンブン言う音にインスピレーションを得て、この歌が出来あがったと言われている。まあ、天才というのは、凡人にとって非音楽的極まりないものも、名曲の元にしてしまうものなんですね。真っ暗な絶望の中で、小さな小さな希望がほのかに光る、稀有な名歌はテディ・ウイルソンの裏切りのおかげ(?)で生まれたのだった。

<サム・アザー・スプリング>

Irene Kitchings(写真):曲 / Arthur Herzog Jr.:詞
いつか春が来たら、
また恋でもしてみよう、
今は終わりと知りながら、
枯れそうな花に惨めたらしく
しがみつく。
咲き誇ったその途端、
踏みつけにされた花は、
私の恋と同じ。
いつか春が来て、
黄昏が夜に変るとき
新しい恋人に出会えるかしら?
もしもそうなら、
あなたのような人でないように、
「恋は盲目」と言うけれど、
もう私には通用しない。
暖かい日光が降り注いでも、
氷のように凍てつくこの心、
恋よ、お前は一度、
私を救ってくれたけど、
新しい物語は
始まるのかしら?
いつか春が来たなら、
私の心も目覚めるの?
そして、恋の魔法の音楽を
熱く歌えるようになるかしら?
昔のデュエットを忘れ、
新しい恋人と出会うかしら?
いつか、春が来たら。

 <Spring Is Here>は、私のお気に入り、リチャード・ロジャーズ=ロレンツ・ハート作品で、春というのに、失恋に沈む気持ちを、浮揚感のあるメロディに託すバラードです。エヴァンス派が好んで演奏するスタンダードで、リッチー・バイラーク(p)を擁するジョージ・ムラーツ・カルテットがOverSeasで演奏してくれたことがある。
 上の2曲と違って、NYの洒落っ気溢れる春らしい歌が、<They Say It’s Spring>、ブロッサム・ディアリーのキュートな歌唱を聴いてレパートリーにしたとトミーが言っていました。
 ああ…また長くなっちゃった。極めつけのスプリング・ソング、<They Say It’s Spring>のことは来週の前半にお話しましょう。
CU
 

氏より育ちか?:トミー・フラナガンの幼年時代

 我らのトミー・フラナガンの幼年時代はどうだったのだろう?

 旧ページで体裁が読みにくいので、別ページに改定しました。ぜひどうぞ!

http://jazzclub-overseas.com/blog/tamae/2015/10/post-220.html

寺井珠重の対訳ノート(6)

もうひとつの”奇妙な果実”
What’s Going On / エラ・フィッツジェラルド


 今週のジャズ講座には、いよいよエラ・フィッツジェラルドの『Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall』が登場します。さきほど、やっと、当日にお見せする対訳や構成シートが出来上がりました。寺井尚之に何度もダメ出しされて校正をしたものです。MCまで訳したので、物凄い数のOHPシートになっちゃった…
 日本の評論では、何故かエラのライブ盤は「エラ・イン・ベルリン」と相場が決まっているようです。レコードを素直に聴けば、成熟を極めた’70年代のライブアルバム群に軍配が上がるのが自然なのになあ… 中でも、前作の『Jazz At The Santa Monica Civic ’72』と本作はコンサートのスケール自体が凄い。
 カーネギー・ホールのコンサートには、これまで毎日世界中を飛び回っていたエラが、糖尿病の合併症で視力を損い、不本意ながら取った休養中、じっくりと自分の歌を見つめ、熟成発酵させた後がありあり判る。
 詳細は、ぜひジャス講座で寺井尚之の名解説をお聞き下さるか、後に出る講座本をお待ちください。
 愛のゆくえ 今回、私がブッ飛んだこの歌は、オリジナルの2枚組LPではボツになっていた演目です。ヴェトナム戦争終盤の’71年に、マーヴィン・ゲイが大ヒットさせた反戦歌だけど、リリース時の日本名は「愛のゆくえ」だった。当時の洋楽ディレクターはとてもクレバーですね。この歌の社会性を前面に出さずにプロモートしたかったのでしょう。
 マーヴィン・ゲイやこの歌については、Interlude読者の皆さんの中に、私よりずーっと詳しい方々がおいでになると思います。トミー・フラナガン達がNYに去った後のデトロイトで、黒人が黒人音楽をビジネスにして大成功した稀有な会社、モータウン・レコードの看板スター、マーヴィン・ゲイが、モータウンの総帥、ベリー・ゴーディの反対を押し切り’71年にリリースした反戦歌です。
 ゴーディが反対したのは、売れないからではなく、反戦フォークソングがビッグ・ビジネスになった’70年代でさえ、まだまだ「黒人は政治問題にタッチするべからず。」という不文律があったからこそ、反対したのだ。
 それでもゲイ自らプロデュースし、リリースにこぎつけた<What’s Going On>はモータウン創立以来の大ヒットを記録し、批評家からも絶賛される。でも、マーヴィン・ゲイはアメリカ国税庁にマークされ、一時は破産状態となり、「薬物中毒、情緒不安定」というレッテルを貼られ、45歳の誕生日、「情緒不安定な父親」に銃殺されてしまった。
 その昔には、ジャズの世界でも似たようなことがあった。合衆国で人種の差別や区別が行われていた頃の話、’30年代のNYには、出演者もお客様も、人種の分け隔てをせず、最高のエンタテイメントを提供することで人気を博した<カフェ・ソサエティ>という革新的なナイトクラブがあった。その店のスターだったビリー・ホリディが歌って、大センセーションを巻き起こしたのが、南部でリンチによって木に吊るされる残酷な人種問題の歌「奇妙な果実」だ。これがホリディの歌の真髄かどうかは判らないけれど、彼女のレコードの内で最高のセールスを記録し絶賛された。しかし、その結果どうなったか?<カフェ・ソサエティ>の来店者は、FBIに監視され、名オーナー、バーニー・ジョセフソンは、「共産主義者で、しかも薬物中毒」であると、芸能レポーター達にバッシングされた挙句、店は閉店、ホリディ自身は麻薬所持現行犯で逮捕され、NYクラブ出演のライセンスを剥奪され、マーヴィン・ゲイより一才若く、僅か44才で亡くなった。
 本作で、エラはビリー・ホリディに捧げ、<Good Morning Heartache>の名唱を披露している。これもぜひ聴いて見てください。
カフェソサエティ
カフェ・ソサエティで歌うビリー・ホリディ
○   ○   ○   ○   ○
 ’73年当時、ジャズ・ソングの女王、エラ・フィッツジェラルドにとっても、<What’s Going On>は「取り扱い注意」であったことは明白だ。ビートルズやバカラックのヒット・ソングとは違う社会性の強い演目は、エラのマネージャー、ノーマン・グランツが薦めたとは到底思えない。浮世離れしたスター、エラは、この作品を単にヒット・ソングのうちの一つとして歌ったのだろうか?
 答えはNO! 絶対違います。 歌詞を拾って行くと、泥沼化したヴェトナム戦争終盤の’72年、<サンタモニカ・シヴィック>でのライブと、米軍がベトナム完全撤退した直後の本作では、歌詞をガラリと変え、スキャットに至るまで、真正面から楽曲と向き合って、誠心誠意、歌ってるのがよく判るのです。
 <サンタモニカ・シヴィック>のヴァージョンでは、きちんとフルバンのアレンジが出来ており、歌詞はほとんどマーヴィン・ゲイのオリジナルと同じだ。
『Jazz At The Santa Monica Civic ’72』より抄訳
サンタモニカ・シヴィック
マザー、マザー、
こんなに大勢の母親が泣いている、
ブラザー、ブラザー、
こんなに多くの兄弟達が死んでいく、
何か方法を見つけなくちゃ、
愛ってものを、ここに、
持ってくる方法を、今見つけよう!
母さん、母さん、
髪が長いって、皆はなぜ文句を言うの?
兄弟、兄弟、
なぜ、私達が間違っていると言うの?

 ところが、本作では、トミー・フラナガン3+ジョー・パス(g)をバックに、表面上は終結した戦争について疑問符を投げかける歌に仕立てている。
『Ella Fitzgerald/The Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall』より抄訳

マザー、マザー、
余りにも多くの母親が泣いた、
ブラザー、ブラザー、
大勢の兄弟が死んで行った、
何とかよい方法を、見つけなくてはならなかったのに。
愛があればこんなことにはならなかったのに。


だから私は言ったのに。
さあ、兄弟達、
私にちゃんと話してよ、


お父さん、お父さん、
戦争が唯一の解決策でないと
もう判ったでしょ。
愛だけが憎しみに打ち勝つの、
暴力でなく、愛で解決する方法を
考えるべきだったのよ。

 マーヴィン・ゲイの、クールな感情表現と違って、「ヘイ、ダディ、何が起こったのか、ちゃんと話しなさいよ!」としっかり相手の目を覗き込む心でエラは歌いかける。これはCover Versionというより、お砂糖がかかった甘い薄皮を引っ剥がして曲の真髄をそのままドンと聴かすUncover-Version なのだ!
 かつてガーシュインもエラのガーシュイン集を聴いて驚いたといいます。『僕の曲が、あれほど良いものとは知らなかった!」と。楽曲の真髄を見抜き、最大限に表出するのがエラとフラナガンの音楽的な共通点なんですね!
 さらに圧倒的なスキャットで、ジャズの曲を引用しながら、畳み掛けるように歌いかける。”I’m Beginning to See the Light (だんだん真実が見えてきた)”、そして”I Cover the Waterfront(波止場にたたずみ)”を引用する。これは、第二次大戦中に、引き裂かれた恋人や家族のシグネイチャー・ソングだ!ジャズ歌手がコンテンポラリーな歌で聴かすスキャットの内で、これを凌ぐものがあるだろうか? 
 でも、当初リリースされた2枚組LPでは、このトラックは収録されていなかったし、当時のNYの批評は、大変醒めたものでした。エラ・フィッツジェラルドが、こういう社会派の歌唱で売れるのは、筋ではなかったのだ。
 
 だけどエラさん、ちゃんと判ってますからね! この歌に取り組んだあなたは真剣だった! あなたはビューティフル、あなたはアメイジングです!!
 土曜日のジャズ講座は、寺井尚之の強い要請で、MCから大向こうの掛け声に至るまで完全対訳付き。歌詞を拾うたび、エラにぶっ飛び、フラナガン達のプレイに涙して、体が揺れて総力を使い果たす私ってアホやわあ。
 
今は、ひたすら講座の解説を楽しみにするのみ!明日は、おいしいポーク・ビーンズを仕込もう。
土曜日は全員集合!
CU

寺井珠重の対訳ノート(5)

淑女の一分(いちぶん):Miss Otis Regrets (Cole Porter)

 最近のOverSeasのライブは、とっても充実していて、一昨日は、各方面で引っ張りだこ、長年OverSeasで根強い人気を持つベーシスト、鷲見和広さんの41歳のバースデイ・ライブで、大変充実した演奏が聴けました。(彼は20代初めからOverSeasで寺井とプレイして、フラナガンやムラーツにも注目されていたし、ピアノの巨匠ウォルター・ノリスとも共演した。)
 OverSeaでは、3月末に寺井尚之フラナガニアトリオにより、トミー・フラナガンへのトリビュート・コンサートも控えているし、のんびりできない日々です。
 店を開けてお客様をお迎えするまでは、仕込みや掃除に加え、来週、3月8日のジャズ講座のために、エラ・フィッツジェラルド屈指のライブ盤、『Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall』の対訳作りで、楽しい悲鳴をあげています。
 でも、自分が作った日本語を読みながら、エラの天才を楽しんでもらえるってスゴい!すごく光栄です。
 
 日曜になると、対訳を使う寺井尚之と近所の喫茶店で進捗状況の報告会。「(私)あの歌、エラはなぜチョイスしたんやろ?」「(私)この歌、この間のサンタモニカ・シヴィックのヴァージョンと歌詞全部変わってるねん、よういわんわ…(私)」「(寺井)この曲は、えらい変則小節や… あのナンバーでドジ踏んどる奴がおるねん…(寺井尚之)」などと、詳細なミーティング(?)を行うのが又楽しい。
 
 今回のテーマ、コール・ポーターが作った、ちょっと風変わりな歌、Miss Otis Regrets も、勿論このコンサートの収録曲。かつてElla Fitzgerald Sings The Cole Porter Songbook(’56)でもピアノとデュオで歌っているのだけれど、言うまでもなく17年後のエラの歌作りは、トミー・フラナガンの力も手伝って、何倍もスケールアップしている。
 
 昔から、なんか気になる歌だった。
 ミス・オーティスと昼食を共にするために訪問した貴婦人に、屋敷の執事が”マダム”と何度も呼びかけながら、女主人を襲った悲劇を徐々に伝えるドラマ仕立て。ビリー・ワイルダーの傑作古典映画「サンセット大通り」を想起させるコワさがあります。
porter-cole21.jpg コール・ポーター(1891~1964)
 
 下の歌詞は、講座用に製作中のものを一部出しました。完成版は来週のジャズ講座でゆっくりご覧ください!
Miss Otis Regrets 詞曲 コール・ポーター


Miss Otis regrets,

  she’s unable to lunch today, madam,

Miss Otis regrets, she’s unable to lunch today.

She is sorry to be delayed,

But last evening down in Lover’s Lane

     she strayed, madam,

Miss Otis regrets, she’s unable to lunch today.



When she woke up and found that her dream

 of love was gone, madam,

She ran to the man who had led her so far astray,

And from under her velvet gown,

She drew a gun and shot her lover down, madam,

Miss Otis regrets, she’s unable to lunch today.



When the mob came and got her

and dragged her from the jail, madam,

They strung her upon the old willow

across the way, far away

And the moment before she died,

She lifted up her lovely head and cried, madam

"Miss Otis regrets, she’s unable to lunch today."

残念なことに、ミス・オーティスは、

本日のお昼をご一緒できません、奥様、

お約束を延期にし、申し訳わけないと

申しております、奥様、

実は、あの方は、昨日の夕方、

恋人の小道で道に迷いました、奥様、

残念ですが、ミス・オーティスは、本日、お昼をご一緒できません。



あの方は、うたかたの夢から目覚め、

恋の終わりに気づかれました、奥様、

そして、自分を絶望させた相手に駆け寄り、

ベルヴットのドレスの下に隠した拳銃で、

恋人を撃ったのです。

ミス・オーティスは、残念なことに

本日のお昼をご一緒できなくなりました。



荒れ狂った群集が

あの方を留置場から引きずり出し、

道のずっと向こうの

あの柳の木に吊るしました、

息絶えるその時、あの方は美しいお顔を上げ、

泣きながらおっしゃいました。

「残念ながら、ミス・オーティスは、

今日のお昼をご一緒できない。」と…



 平明な言葉ばかりで、和訳がなくとも、なんとなく判るでしょう? 瀟洒なお屋敷のロビーで、使用人が穏やかな口調でマダムに語りかけます。ラストの断末魔で、昼食が出来ないことを詫びる顛末は、演劇的に過ぎて…色々揶揄する向きもあるけれど、エラが歌うと、ストーリーを損なわずに、全く自然に聴こえてしまう。
 恋に破れた淑女、ミス・オーティスは恋人を撃ち殺す。純潔を汚された淑女の一分(いちぶん)だ。寺井尚之の大好きな曲、Poor Butterflyで、帰らぬ男性を待ち続け最後に自害する蝶々夫人の悲劇が日本の淑女の一分なら、ミス・オーティスは西洋のカウンターパートだ。女性が男性を殺すと、その逆よりも、ずっと大罪だったその昔、それを知った土地の民衆が暴徒と化し、留置場のミス・オーティスを引きずり出し、町外れの柳の木に吊るして処刑しようとする。ミス・オーティスは息絶える前に、凛と顔を上げてこう言う。「残念だけど、今日の昼食は出来ないの。」
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 この歌は「西部」の感じがすると言う書物もあるけれど、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラが着るグリーンのベルベット・ガウンや、「奇妙な果実」のリンチの歌で育った私には、どうもウエスタンの『ハイヨー・シルヴァー!」の世界と言うよりは、「南部」の感じがする。
 
『コール・ポーター・ソングブック』のライナー・ノートによれば、ポーターがレストランで食事をしているとき、他のテーブルから聞えて来たウエイターの応対にピンと来て書いた曲だと言われている。
 「恐れ入りますが、ミス○○はランチにお越しになれないそうです、マダム。」の一言から、こんな刃傷沙汰(にんじょうざた)を連想するコール・ポーターは、第一次大戦中に徴兵を逃れ、パリでジャズエイジに享楽の日々を送った。 自分の生活態度は、アメリカの地方に行けば処刑に値するのではないかという、潜在的な自覚があったのだろうか?
 また、この曲は、ポーターのパリ時代に親交深かったエンタテイナー、ダンサー、シンガー、クラブ・ママでパリ社交界の華と呼ばれたアダ・ブリックトップがショウで歌う為に書かれた。
 
 昨年の秋、英国のTVドラマ、<ミス・マープル:アガサ・クリスティー>の「バートラム・ホテルにて」というエピソードの冒頭シーンに、この歌詞が使われて少し話題になった。1960年代のロンドンで、30年代のエドワード朝時代の懐古的な雰囲気で人気のホテルを舞台にした、おなじみのミステリーなのだけど、ホテルのフロント係りが、電話口で「恐れ入りますが、ミス・オーティスは本日、昼食にお越しになれません。」と話すことで、そんな時代がかったムードを表現したのだった。イギリス人らしいウィットですね!
 この曲本来の姿を探し、「最高のコール・ポーターの歌い手」と賞賛されるボビー・ショートのヴァージョンを聴くととても参考になりました。
 カーネギー・ホールでのエラの歌唱は、おそらくコール・ポーター自身も想像しなかったほど高潔だ。
 「ちょっとソフトな歌を…」と前置きしてから”Miss Otis regrets…” と歌い出すと大拍手が沸く。それほど有名スタンダードではないはずなのだけど、通の多いNYの土地柄を表しているのだろうか?
 エラは、高貴で堂々としていて、決して執事にも女中頭のようにも聴こえない。彼女がベルベットのガウン…と歌うとき、そのドレスの色は、「風と共に去りぬ」のグリーンではなく、深いブルー以外にはないと思えてしまう。私にはMiss Otisの悲劇を語るエラ・フィッツジェラルドは、女中の姿に身を変えたミス・オーティス自身の幻のように聴こえてならないのです。
 寺井尚之のジャズ講座:『Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall』は3月8日、来週土曜日、お近くの方はぜひどうぞ! 遠くの方はジャズ講座の本で!
 
 CU