映像で観る Tommy Flanagan Trio!

gm30.jpg ムラーツのHPより 左からTommy Flanagan, George Mraz (b), Bobby Durham (ds)

 来る6月6日、Jazz Club OverSeasでトミー・フラナガン・トリオの貴重映像鑑賞会、「楽しいジャズ講座」を開催します。


Village_Voice_ad.jpg メンバーはジョージ・ムラーツ(b)、ボビー・ダーハム(ds)、場所は独ケルンの名門ジャズクラブ《Subway》。

  ムラーツは長年のレギュラー・ベーシスト、ダーハムは’70年代、エラ・フィッツジェラルドのバンドで長らく共演、’75年には、共にエラと来日ツアーを行い、その雪の京都公演の際に、寺井尚之は初めてフラナガンに弟子入り志願を直訴したのでした。’80年代後半、フラナガンはダーハムを擁したトリオでたびたび演奏していて、Village Voiceの切り抜きは’89年の春のものです。


  ダーハムの凄いところは、ギラギラとダイナミックでありながら、緩急自在!合わせるところは寸分違わず狂わない、フィラデルフィアらしい不良っぽさ、そのかっこよさは黄金のミドル級チャンピオン!

そこに、パルスとラインを兼ね備え、優美でありながらも骨太で強靭なムラーツのベース、鮮やかなコントラストを構成するリズム・チームを縦横無尽に操るフラナガンの凄さ、そのミュージシャンシップ!まさに豪華絢爛、圧倒的なピアノ・トリオの世界を、この目で観ることが出来ます。

トリビュート・コンサートでしか聴けない『デューク・エリントン・メドレー(Elligntonia)』は必見、必聴!

=演奏曲目=

 1. Raincheck (Billy Strayhorn)

2. Glad To Be Unhappy (Richard Rodgers)

3. Beyond The Bluebird  (Tommy Flanagan )

4. Verdandi /.Mean Streets  (Tommy Flanagan )

5 .Medley: Ellingtonia 

6.Bitty Ditty (Thad Jones)

7. Tin Tin Deo (Chano Pozo, Dizzy Gillespie, Gill Fuller)

 

 折しも寺井尚之の誕生日、記念すべき映像をぜひJazz Club OverSeasでご一緒に!

「楽しいジャズ講座」トミー・フラナガン・トリオ 

講師:寺井尚之

日時:6/6 (土) 7pm開講 
受講料2000円(税別)
関連サイト:http://jazzclub-overseas.com/jazz__event.html

 

クラーク・テリーの福音書: ‘Keep On Keepin’ On’ を観て

 2月に94才で天寿を全うされたトランペットの神様、CTことクラーク・テリー、その晩年を描いたドキュメンタリー映画が昨年、様々な映画祭で賞を取り話題になりました。残念なことに日本未公開なのですが、持つべきものは友!米国の友達が「必見!」とDVDを送ってきてくれました。

  

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Keep On Keepin’ On()

 監督:Alan Hicks

出演:クラーク・テリー、ジャスティン・カウフリン、クインシー・ジョーンズ、ビル・コスビー、ハービー・ハンコック、ダイアン・リーヴス

製作: クインシー・ジョーンズ

   ポーラ・デュプレ・ペズマン

 

<あらすじ>

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   この映画は、テリーの輝かしい名演が随所に配置されているものの、音楽伝記映画じゃない。90才を越え、糖尿病の合併症と闘いながら音楽と共に生きるCT(クラーク・テリー)と、彼の手厚い指導を受けながら、悩み、稽古し、成長していく20代の盲目のピアニスト、ジャスティン・コーフリン(Justin Kauflin)師弟の姿を4年間に渡って捉えたドキュメント。

 師匠(mentor)と愛弟子(protégé )が、お互いの苦難に打ち克つエナジーになる、双方向のベクトルを、とても自然に描いていて感動しました。

 師弟の周りには、献身的な看護に明け暮れるテリーの妻、遺伝的な疾患で幼い時に全盲に成った息子を思いやるジャスティンの母親、けなげで表情豊かなジャスティンの盲導犬がいて、映画の中程から13才の時にCTに師事し、現在は音楽シーンのドンとなった’Q’ことクインシ―・ジョーンズが大きな役割を受持ちます。 CTの手厚い指導にも関わらず、弟子のジャスティンは、盲目28SUB-SNAPSHOT-superJumbo.jpgというハンディキャップがあり、経済的にも、日常生活の面でも、NYで生活できなくなって、ヴァージニアに帰郷します。そんな彼に「モンク・コンペの準決勝に来られたし」と連絡が入ります。CTは、練習がうまく進まずナーバスになる彼を、自宅から様々な手段で励まし続けるのですが、現実は甘くない。結局敗退…「CTに一体なんと言えばいいだろう…」と深く悩むものの、師匠は「それも勉強だ。」と一笑に付します。或る日、彼がアーカンソーの自宅にCTを見舞うと、偶然か、或いは生き神様の思し召しか、折しもQことクインシ―・ジョーンズが自分で車を運転し、みかんのいっぱい入ったビニール袋を片手にフラッとやって来た。チャンス到来!すかさずCTはジャスティンに演奏させてQに聴かせる。つまり最初の弟子と現在の弟子がCTの元で出会うのです。 Qはジャスティンの演奏を気に入って自分のツアー・バンドに加入させます。バンドでモントルー・ジャズフェスティバルに出演したジャスティンは、CTに捧げるオリジナルを演奏し、満員の聴衆から大喝采を受ける。”For Clark”とMCするクインシーの言葉は、曲目紹介でもあり、「CTへの義理は果たしたぞ!」、という独白のようにも聞こえるのです。

<弟子が撮影した!>

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 クラーク・テリーがジャズの生き神様とは知らない人も、ジャズさえ知らない人でも、大変見応えのある映画になっていて、多くの映画祭で賞に輝きました。

 意外だったのは、愛弟子のピアニスト、ジャスティンが、どうやら日本人の血を引いているらしいこと。お母さんのインタビュー場面で後ろに日本人形が飾ってあって、調べてみたら彼女は東京生まれ、そのお母さんは広島出身の日系の方のようです。アジアの血を引くミュージシャンが偉大なるCTの愛弟子とは嬉しいですね!


    CTの偉大さを知っていると、病院で主治医に両足切断を勧められ絶望する様子や、朝の4時半までベッドから稽古をつけている姿など、よくもまあここまでプライベートな撮影を許したものだと、半ば呆れ、驚愕するほどでした。映画の後で、付録に付いていた監督のインタビュー(聴き手は往年の二枚目スター、アレック・ボールドウィン)を観て、やっと納得しました。この映画はほとんど初心者の手作り、撮影、監督、制作すべてアラン・ヒックスというオーストラリア人の男の子の作品。なんとこのヒックス青年、ジャスティンの先輩格に当たるCTの愛弟子ドラマーだったんです!オージー・イングリッシュで爆笑連発のこのインタビューによると、ヒックスはジャスティンが入門する数年前からCTに師事し、CTは彼を自分のバンドに加え、世界中のギグで共演していて、ツアーの付き人として身の回りの世話もさせていた人だったんです。だから、CTの家族同然、身内として自宅でしょっちゅう寝泊まりしていたわけで、深夜のレッスンや病室も、自由に撮影するお許しをもらえたわけ。映画ファンではあったけど、作る方は全く素人だったから、「誰でも出来る映画作り」みたいなマニュアル本を読んで、バイトして資金を貯めては撮影し、お金がなくなるとオーストラリアに帰り、CTの弟子という肩書でギグを取り、またお金が貯まると渡米して撮影した。

 「照明器具はウォールマートで買いました。」と言うのでまた爆笑!そのうちクインシ―・ジョーンズがCTの自宅に来て撮影を知り、プロデューサー役を買って出ててくれた。おかげで、サウンドトラックの著作権など、もろもろの問題が解決して、公開に至ったというわけ。 それどころか、ロバート・デ・ニーロが協賛するNYトライベッカ映画祭の新人監督賞までゲットした。何もかも、生き神様CTのシナリオだったのかも・・・

    元々ジャスティンをCTに内弟子として紹介したのもこのヒックス、理由はもちろん映画を撮るためではありません。

「CTの病状が悪化して失明の危機があると聞いたので、きっと、盲目のジャスティンが一緒に居れば、彼の力になってくれると思ったんです。」 

TERRY-master675-v2.jpg さらに、全サウンドトラックは、全てCTが日常口ずさむ歌の録音ヴァージョンだった。

「CTはいつも歌っていました。音楽はどんな時も彼と共に在ります。苦しい時ほど彼は歌うんです。病気で全身激痛に襲われると、ベッドでいつも”Don’t Worry About Me”(僕のことは心配ないよ)を歌っている。彼自身が「音楽」なんだ。映画の挿入曲は、彼が歌うメロディーを検索してレコードを見つけ、それを使っただけ。」

   当初、彼の撮影プランは、CTだけがテーマだった。ところが、撮影時も、そうでなくても、ジャスティンがいつも一緒で稽古を付けてもらっている。それなら二人共、テーマにしちゃえ!ということになり、結局、それが作品として成功する鍵になった。

<金言の宝庫>

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  テリーは、病床から様々な弟子達に愛情の籠った指導を続けます。それは、アカデミックなレッスンではなく、シンプルな16分音符のフレーズを口移しで伝え、自分と同じようにスキャットさせてから、各々の楽器で演奏させ、そのフレーズを発展させていく、その繰り返しによって、スイングするアクセントや、和声の展開が自然に身についていきます。彼は、夜を徹して行うそれらの個人レッスンに授業料を請求することはただの一度もなかった。それどころか、奥さんの心の籠る夜食付き!

 お弟子さん達はラッキーであると同時に、彼の恩義に一生かけて報いる御役目を仰せつかった事になります。この映画が捉えたCTの言葉は、ジャズに関わる人間にとって正に福音書、ジャズの生き神様からの金言だ!この映画のタイトル”Keep On Keepin’ On (しっかりコツコツやり続けなさい)”もそのひとつ。映画通でもない私が、映画を紹介したのは、これが書きたかったから。

・   「シンプルこそ、最も複雑な形式だ。私はそのことをデューク・エリントンに教わった。デュークは実にビューティフルな人間だった。あれほど誠実な人に出会ったことがない。」

・   私は老いて醜い。だから、せめて魂だけは美しくありたいと思う。

 ・   ジャスティンへのメッセージ人生には挑戦がつきものだ。判っているだろうけど、君の心が大きな力になる。その心を前向きにするのが大事だ。そうすれば、私が学んで来たことを、君自身が学べる。私は君の才能を信じる。君を信じているよ。それだけは覚えておいて欲しい。

 *CTは同様のメッセージを、何百という後輩たちに書き送ったと、奥さんが証言していました。

・   私の夢の大部分は叶えられた。この年になって夢は変わるものだと気がついたんだ。今の夢は、若いミュージシャン達の夢をかなえる手伝いをすることだ。それが至上の喜びであり、野望でもある。

・   名手と素人の違いはどこにあるのか?と聞かれて:

  一つは「向上心」、より上を目指す気持ちのあるなしだ。他の誰よりもうまくなりたいという強い思い、最善を尽くしたい、という心があるかどうか。そんなことに無頓着な連中も多い。そういう人間は稽古をしない。しっかり勉強しない。それと同時に、自分自身を研究しない。そういう連中は自分の欠点に気づかない。

 まずは自分を知ることが大切。何よりも自分の欠点を知る事。そうすれば、それを克服するために何をすべきか、どんな努力をするべきかがわかる。そこが名手と素人の分かれ道だ。

   このドキュメンタリー映画が日本未公開なのは、製作者の中に『The Cove』(和歌山太地町伝統のイルカ漁をテーマにしたドキュメンタリー)を扱った ポーラ・デュプレが名を連ねていることが、ややこしい原因になっているのかもしれない。
 映画の主人公の一人、ジャスティン・コーフリンが日本にゆかりのあるアーティストであるのですから、何とか多くの人に観て欲しい。クラーク・テリーの信者として切に思っています。

 

対訳ノート(46)Until the Real Thing Comes Along

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 月例「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に今月、来月にまたがって登場するケニー・バレburelld0d0eb87.jpgルの弾き語りアルバム『Weaver of Dreams』、名ギタリスト、バレルの歌うスタンダード・ナンバーは、どれもミュージシャンならではの音選び、正確無比な音程、それにミュージシャンらしくない男性的な甘い声は、ジャケットの姿に相応しいハンサム。バレルとフラナガンが若かりし頃、デトロイトで人気だったナット・キング・コール・スタイルの演奏活動の延長線上にあることでも意義深いこのアルバムの収録曲 “Until the Real Thing Comes Along”も、キング・コールの演目です。この歌には、「本当のことがわかるまで」という邦題もついているのですが、講座で映写する対訳作りでは、歌詞の肝心要になる英語のシンプルな言い回しをどう訳せばいいか、ほとほと困りました。

<歌のお里>

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  この歌のお里は『ラプソディ・イン・ブラック』(1931)というブロードウェイのレヴュー、ハーレム・ルネサンスの華、エセル・ウォーターズが唄った。当時の時の曲名は”Till the Real Thing Comes Along”で、おしどりコンビ、アルバータ・ニコルス(曲)、マン・ホリナーRhapsody-in-Black-05-31-1.jpg(詞)の作と記載されている。5年後、この曲はリニューアルされ”(It Will Have to do) Until the Real Thing Comes Along”と改題、サミー・カーンやソール・チャップリンといった3人の共作者の名前がドドっと付け加えられた。歌の中身に、どれほどの改訂がなされたのか?あるいは版権の分配先が増えただけなのか、全く不明。とにかく、リメイクされた1936年、アンディ・カーク楽団で大ヒット!以来、ファッツ・ウォーラー、ビリー・ホリディ、デクスター・ゴードン、ソニー・クリス、アレサ・フランクリン、そしてケニー・バレルなどなど…ジャンルを問わず多くの音楽家に愛奏された。因みにアンディ・カーク楽団は、チャーリー・パーカーやファッツ・ナヴァロが在籍した名門バンドで、ビバップ誕生のゆりかごとされる楽団です。

<ちょっと英語の話>

 けっこうな有名曲にもかかわらず、日本の対訳サイトにほとんど紹介されないのは、私も手こずった肝心要の複文パンチライン “It will have to do until the real thing comes along”の意味が、イマイチ釈然としないせいかも…

 英語を母国語としない私たちにとって、DoGetと並ぶ厄介者、「ソレハスベキデアロウ」って何だろう… 謎解きのために、まずは、このフレーズからHave toを省き更にシンプルにして、It will do. の意味を考える。これはスラングでもなんでもない、とても英語らしい一般的な表現。英語学習者には非常に重宝なBBC放送のポドキャストに紹介されています。使い勝手のある多様な言葉ですが、歌詞のwill doは、satisfactory, or acceptableと言い換えられる。ここでのwill doは「必要な要件を満たしていること、許容範囲内であること」なのでした。

 例えば、週末のデートのために、デパートでとびきり可愛くてセクシーなピンクの口紅を見つけたら”It will do!”とほくそ笑む。或いは、区役所や郵便局で「身分を証明する物を提示してください。」と言われた時、「運転免許証でいいですか?」と言ったとします。窓口の人が「はい、いいですよ」という言葉に当たる英語がwill doです。

  じゃあ”It will have to do“となるとどうなるの?

 前述のデートの当日、勝負服を着て、そのリップをつけてみた。そしたら、リップの香りが、今吹きかけたシャネル#19とはずいぶん違う。しまった!でも、そんなに強い香りじゃないし、きっと彼はそんなところまで気にしないはず。このリップで大丈夫、と自分に言い聞かせる。こういう場合の女心が”It will have to do“。つまり、100%完璧とはいえないまでも、「これで大丈夫でしょう。」という意味なんです。大阪弁なら「まあ、いけるやろ」って感じ。

 この歌のヴァースを読むと判るように、主人公は、自分がどれほど愛しているかを、いろいろ説明するけど、相手には納得してもらえない。それで、「本当のことがわかるまで(つまり、自分の愛を納得してもらえる時がきっと来るから)、それまでは、私の説明でよしとしておいてくださいな。」という歌なんです。

 この「当座しのぎ」の言い回しが、奥深い音楽表現につながることから、長らく愛奏、愛唄されているのかも。バレルのハンサムな歌を聴けば、こんな風に告白されたいと思うだろうし、ビリー・ホリディの歌を聴くと、色んな男を相手にしてきた商売女が命を賭けたラブストーリーになっている。

<Until the Real Thing Comes Along>

原歌詞はこちら

Mann Holiner, Sammy Cahn, Alberta Nichols, Saul Chaplin, L.E. Freeman

=Verse=

あなたは私にとってこの世の天国、

それをうまく説明できないの。

だって愛や、愛の深さは言葉にできないものだから、

でも本当よ、

あなたはたった一人の恋人・・・・

 

Chorus

あなたに仕え、

身を粉にして働くわ。

物乞い、悪行してみせる、

それがあなたのためならば。

それは違うと言われても、

それほど違いはないはずだから、

どうぞ愛だと思っておいて、

本当の事が判るまで。

 

愛の証になるのなら、

大地を動かすのも厭わない、

それが愛ではないにせよ、

大して変わりはないはずだから、

愛だと思って受け入れて、

本当の事が判るまで。

 

言葉を尽くして説得しても、

どうにも判ってもらえない。

たとえ何が起ころうと、

いつでも愛しているのにさ、

私の心はあなたのもの!

この上、何を言えばいい?

 

あなたに焦がれため息ついて、

あなたを思い涙する、

空の星さえ取って来る。

それが愛ではないにせよ、

ほとんど変わりはないでしょう、

だから思いを受け入れて、

本当だと判るその日まで。

 

 えっ?私のような者に、英語の意味について講釈されても納得出来ないって?そんな事言わずに、まあ、これでよしとしておいてくださいな。本当のことが判るまで、ねっ!

対訳ノート(45) Skylark : 禁じられた恋の鳥

 お久しぶりです!

  連休は楽しく過ごされましたか? こちらは4夜連続36周年記念ライブが無事終わりほっと一息。沢山のご来店、心から感謝しています。

 それぞれ趣向を凝らしてお届けしたプログラムは、各ミュージシャン達の音楽に対する見方や立ち位置が反映されていて楽しかった!

  連休前、寺井尚之メインステム・トリオがアンコールで演奏した”スカイラーク”はそよ風が吹き抜けるようで、爽やかな春の日にぴったり!ぜひ紹介したいと思っていました。

  空を舞い、美しい声で春を謳歌するスカイラーク( 雲 雀 ヒバリ)に語りかけるこの曲、アレック・ワイルダーは名著『American Popular Song』の中で、「これほど素晴らしいブリッジ(サビ)のある曲は聴いたことがない!」と絶賛しています。確かに、この間の演奏も、サビの部分で、雲雀の飛ぶ大空が、青空から燃えるような夕焼けへと鮮やかに変化していく感動にとらわれました。

<歌のお里>

johnny_mercer.jpgJohnny Mercer (1909 -76)
 

304221_actual.jpg  “Skylark”は”Star Dust”でおなじみのホーギー・カーマイケル作曲(左写真)、作詞はアメリカ・ポピュラー・ソング史上最高の作詞家とされるジョニー・マーサー、歌の誕生は、太平洋戦争直前の1941年。元々、曲が先にあり、歌詞は後付け。曲は、カーマイケルの盟友であった夭折のトランペッター、ビックス・バイダーベックの生涯をミュージカル化する企画で生まれたものです。ビックスのバンドで学生時代共演していたカーマイケルは、生前ビックスが吹いたフレーズを元に作曲したのですが、企画が流れたために、マーサBix-Beiderbecke-1924.jpgーに「詞を付けてみて」と曲を渡し、そのままこの曲のことは忘れてしまっていた。余談ですが、10年後、流れた企画はハリウッド映画に生まれ変わり、カーク・ダグラスがビックス役で、様々なジャズ・スタンダードを散りばめた『Young Man with the Horn(’50) 』としてヒットしました。この映画で、カーマイケルは音楽担当ではなく、ピアニスト役で出演。日本では『情熱の狂詩曲』というタイトルで上映され、私もTVの深夜映画で観た記憶があります。

<ジョニー・マーサー>

   “Come Rain or Come Shine””酒とバラの日々””I’m Old Fashioned”…ジャズ・スタンダードとされるジョニー・マーサーの作品を挙げるときりがない。上述のホーギー・カーマイケル、ハロルド・アーレン、ジェローム・カーンはじめ当代随一の作曲者とコラボし、”Satin Doll”など、エリントンなど黒人アーティスト達のビッグバンド曲にぴったりの歌詞を後付けした。15才の頃から作詞作曲を独学で始め、トミー・ドーシー楽団の専属歌手としても人気を博した。シンガー・ソングライター(こんな言葉は、その時代にはなかったけれど)の先駆者とも言えます。

 マーサーの言霊は、一言で言えば「ナチュラル」!トレンディな新語を作り、大都会のシックを強調するような、コピーライター的手法とは無縁な作家。それでいながら歌の空気感を鮮やかに紡ぐ歌詞は、ぽっちゃりした丸みと詩情に溢れ、耳に心地いい。アメリカ人は 「南部的」 southern) と評し、北部の水で育ったヤンキー・リリシスト達には、逆立ちしても真似が出来なかった。
 それは、マーサーがジョージアの美しい港町サヴァナ出身であるだけでなく、なにより優れた歌手であり作曲家であったからかもしれません。

 生まれは南部に代々続く指折りの名家ですが、大恐慌で家は没落、一家でNYに落ち延びた。そこでボードヴィル芸人から叩き上げ、ビング・クロスビーの後釜としてトミー・ドーシー楽団でブレイクした後、さらにハリウッドで作詞作曲家として成功、キャピトル・レコードの創始者となった音楽家です。

<国民的美少女との禁断の恋>

j_garland.jpg(Judy Garland 1922-66)

 マーサーのキャリアは、晩年に至るまで順風満帆そのもの、そんな彼が果たせなかった夢が二つ、一つはブロードウェイのヒット・ミュージカルを書く夢、もう一つは運命の女性と結ばれる夢だった。その女性とは『オズの魔法使い』のドロシー役で映画史に残る女優、エンタテイナー、ジュディ・ガーランドでした。
 二人が恋に堕ちた時、すでにガーランドは、『オズの魔法使い』で国民的美少女、まだ18才の若さでした。一方マーサーは30才、年の差はともかく、れっきとした妻帯者。清純少女スターと30男の不倫は、いくら自由奔放なハリウッドでも都合の悪い真実、この不倫はアカン!業界だけでなく、友人たちも口を揃えて猛反対!だけど、恋は理屈じゃないんですよね。

 結局、お互いのためと、引き離されたものの未練は募るばかり。マーサーは家庭を守り酒に溺れた。ガーランドは結婚離婚を繰り返し薬に溺れた。二人はそれからもしのび逢い、ガーランドが亡くなるまで、二人の密やかな炎は消えることがなかったのだそうです。

 マーサーの名歌の数々は、断ち切れない恋のカタルシスと言われ、しみじみと心に染み入る言霊に、叶わなかった恋への静かな炎が見え隠れしています。

 中でもガーランドへの慕情が最も直接的に語られているのは GWに末宗俊郎+The Mainstem も演奏していた”I Remember You”だと言われていて、マーサーの死後に出た伝記には、未亡人、ジーン・マーサーの強い希望で、この曲についての言及は一切ありません。

  ”Skylark”は、二人の出会いの翌年に作られた詞、小さな体で空を舞い、歌う雲雀が誰なのかは、もうお分かりですよね!

 うつくしや雲雀の鳴し迹の空 小林一茶

<Skylark>

Hoagy Carmichael/ Johnny Mercer (原歌詞はこちら

雲雀よ、
何かいいたいことがあるのかい?
恋人はどこにいるの?教えてくれないか。
霧に煙る草原で、
愛のくちづけを待っているのかな?

雲雀よ、
泉に潤う緑の谷を見たことがあるかい?
そこは僕の心の旅の先、
暗くても、雨が降っても、負けずに進む、
そうすりゃ花咲く小道に辿り着く。

一人ぼっちで飛ぶ間、
夜の調べを聴いたことはない?
それは素敵な音楽なんだ、
鬼火のようにひそやかで、
水鳥みたいに狂おしく、
月夜のジプシー音楽みたいに切ないよ。

雲雀よ、
ほんとにそれが見つかるかどうかは分からない。
でもね、君の翼に乗って僕の心も旅をする。
だからね、もしも旅の途中で僕の心の風景を見ることがあったら、
どうか一緒に連れて行ってくれないか?