Ready to Swing! Tribute to Tommy Flanagan

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 明日のトリビュート・コンサートのために名調律師、川端さんにお願いしてピアノのチューン・アップ。調律だけでなく、サウンドの調整もみっちりやるので、普段は一日仕事になることも・・・でも、トリビュート本番を控えてピアノも気合が入っており、いつもの半分の時間で研ぎ澄まされたサウンドに仕上がりました。たった2時間余り、OverSeas開店以来、記録的最短時間!川端調律師と寺井尚之の満足そうな笑顔と、得意気なピアノのオーラをご覧ください。
 明日は一番気温の低い春のトリビュート・コンサートになりそうですね。桜も思わず満開になるようなプレイが聴けるでしょう。
 明日のおすすめメニューは、寺井尚之特製”黒毛和牛の赤ワイン煮”と、”カリカリ・チキン&菜の花パスタ・サラダ”をお作りしてお待ちしています!
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 どうぞお楽しみに!
CU

Years Come and Go

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 12月26日(土)のThe Mainstem(上の写真:寺井尚之、宮本在浩(b)、菅一平(ds))で締めくくりとなった2009年OverSeas、今年もいろいろとお世話になり、ありがとうございました。不況の風が吹き荒れた年を何とか乗り切れたのは、皆さまのおかげと心から感謝しています。
 OverSeasにとって2009年の大収穫は、何といってもThe Mainstemの成長ぶり!レギュラー・トリオならではのタイトなサウンドとダイナミクスが演奏を重ねるごとに大きくなるのを、片隅から楽しめるのはInterlude冥利に尽きました。いつも何か新しいことを目指す寺井尚之に負けない熱意で、しっかりと着いてきてくれた宮本在浩さんと菅一平さん、二人とも音楽的に大きくなりました!手を合わせて拝むのみ。
 演奏を聴いて下さって「楽しかった!」「元気が出たよ!」と喜んで下さったり「おいしかったよ!」とにっこりしてくださった皆さま、御恩は一生忘れません。いつも思うことなのですが、皆さんと同じだけ、あるいはそれ以上にOverSeasも楽しさや元気を頂いています。
 今年こそは「ゆとり」年末をと思っていましたがさにあらず・・・私はやっぱり除夜の鐘までドタバタ・・・It’s Just Another New Year’s Eve、ジャズ講座新刊とトリビュートCDのご案内もまだちゃんと出来ていないテータラクですが、新年にしっかりいたしますので、どうぞよろしく~
 新年初ライブは1月5日(火)より、寺井尚之ジャズピアノ教室は1月4日より始まります。(発表会1月31日)
 2010年は新しい風が吹く予感!
CU

サザンの名付け親が復刻した北欧ジャズ『Jazz in Sweden』

 土曜日のThe Mainstemは沢山のスプリング・ソングを一緒に聴けて、春の甘い香りにほろ酔い気分になりましたね!
 今週の金曜日は、レパートリー総入れ替えで、もうひとつの「春」が堪能できそうです。ぜひ皆さん聴きに来て下さい!
 ところで、今年1月、ジャズの「権威」としてジャズ講座の常連様にお馴染みのG先生こと後藤誠氏が、東京のお友達を同伴しておられました。お友達のお名前は宮治淳一さん、洋楽レコードのプロデューサーの方でした。聞く所によれば湘南ボーイで、桑田佳祐さんの親友として、「サザン・オールスターズ」の名付け親として、その方面では非常に有名な方です。
  宮治さんはとってもにこやかな紳士!ジャズ講座も終始笑顔で聴いてくださってました。昔はフラナガンに対して無理解なプロデュースをし、現在はフラナガンの名盤を廃盤にしておくジャズ・レコード界に向けて毒舌マシンガンを炸裂する講座を「文化性とエンタテインメントが共存している」と楽しんでくださって、ほんまにありがとうございました!
 そんな宮路さんはジャズ畑ではないのですが、自社のワーナー・ミュージック・ジャパンが、その昔(1993年)編纂した、スエーデンのメトロノーム・レコードの録音群の歴史的価値と内容に心を打たれ、この度、更にグレードアップしたボックス・セットの再発を実現されました。
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booka0107397_16535554.jpg 元々EPレコードだった音源をリマスタリングして、美術展の図録を思わせる豪華なブックレットが付いています。そこには、当時のオリジナル・ジャケットのカラー写真や、レーベルの成り立ちや当時の北欧ジャズ界の状況が一望できる丁寧な解説が後藤誠氏のものです。
overseas0107397_16514413.jpg  メトロノームといえば 私たちが一番良く知っているのはOverseas! この「Jazz in Sweden」には、”チェルシー・ブリッジ”と”リラクシン・アット・カマリロ”の2曲が収録されています。
   その他にテディ・ウイルソン(p)、スタン・ゲッツ(ts)、クリフォード・ブラウン(tp)など、ジャズ・ジャイアンツの興味深い音源が一杯。
 
 アメリカにはモザイクという歴史的価値を持ったジャズ音源を再発する専門レーベルがありますが、トミー・フラナガンの名盤は廃盤だらけで危機的な状況です。宮治さんには、これからもジャズの大きな遺産を守るため、これからも尽力していただきたいものです。
 OverSeasに『Jazz in Sweden』の現物がありますから、閲覧ご希望の方はご来店の際、お気軽にお申し付けください。お求めは、大阪梅田の「ジャズの専門店ミムラ」さんや、「ワルティ堂島」さんでぜひどうぞ!
 4月21日発売!
『Jazz in Sweden』の詳細は後藤誠氏のブログワーナー・ミュージックのサイトに。

春のトリビュート:特別メニュー

spring_cuisineP1020140.JPG  現在、寺井尚之 The Mainstemはリハーサル中:
 私は、おいしい地鶏で、春のトリビュートらしいお料理を仕込みました。
アスパラガスやこごみ、セロリやなす、色んな野菜とトマトで作った、春野菜のラタトゥイユと、ミラノのパスタでいただきます。
スプリング・ソングを聴きながら召し上がれ!
ボナペティ!

トリビュートの前に「青い鳥」の話をしよう:The Blue Bird Inn

     “ビヨンド・ザ・ブルーバード&ジャケットにあった”ブルーバード・イン”の写真
 春のトリビュート・コンサートが間近になり、今も寺井尚之が稽古するピアノの音色がキラキラと響いています。毎週必ず演奏を聴きに来て下さる山口マダムも、すぐ気づかれて「すごいわねえ!力強い音やねえ...ピアノにも超常現象っていうのがあるのかしら・・・」と少女のように目をクリクリされていました。お客様の耳って本当に鋭いですね!
 世界中を回って演奏していたトミー・フラナガンは、「オマエたちのクラブは良いお客さんが一杯いるなあ。デトロイトの“ブルーバード・イン”にもこんな温かさがあったんだ・・・」とよく言ってました。
 トミー・フラナガンが「その頃」を懐かしみ一枚のアルバムまで作ってしまった”ブルーバード・イン”ってどんなクラブだったのでしょう?1950年代のデトロイトにちょっとタイムスリップしてみませんか?
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<タイヤマン5021番地にジャズを聴きに行こうか?>
 トミー・フラナガンの少年時代、デトロイトは活況を呈する自動車産業に従事する黒人の人口が急激の増加し、’50年代には街の総人口の60%を占めて、黒人のコミュニティが確立していたそうで、黒人の経営する商店や会社も何百とあったそうです。
50^old_photo_from_detroit.jpg  パラダイス・シアター左:1950年のデトロイトの街、右:パラダイス・シアター
 上右のパラダイス・シアターは、デトロイト銀座とでも言うべきウッドワード・ストリートにあり、黒人が入れる数少ない劇場&映画館、フラナガンがビリー・ホリディやディジー・ガレスピー、ビリー・エクスタイン楽団を観に行っていた場所です。“ブルーバード・イン”は、このウッドワードからずっと西の方で、黒人街のウエスト・サイドTiremanの5021番地にありました。サド・ジョーンズの”50-21″は、この番地なんです。「タイヤマン」とはいかにも自動車の街:モーターシティらしい地名ですよね!
<黒人の経営する黒人のためのジャズクラブ>
 “ブルーバード”の玄関にて:歴代オーナーの一人、クラレンス・エディンス

 “ブルーバード・イン”がいつ頃オープンしたのかは、私の集めた資料ではよく判りませんが、戦中の1940年頃にはもう営業していたようです。タイヤマンは中流の黒人層の住宅地のはずれにあり、オーナーも黒人、客層も殆ど黒人という、アメリカでも特異なジャズクラブでした。お客さんたちも通ぞろいで、ジャズのことをよく知っていたそうです。
 NYのメジャーなジャズクラブは、客席の7-8割が観光客、地元の人は少ないし、ミュージシャンでない黒人も少ない。それに経営者は昔から白人ばかりです。”ブルーバード”はかなり違った雰囲気だったんでしょうね!
pepper_adams_detroit.gif“カシモド”のエントリーにも登場した私の愛するミュージシャン&コメンテイター、ペッパー・アダムス(bs)の”ブルーバード”評をちょっと読んでみましょう。
 

 “ザ・ブルーバード・イン”は素晴らしいクラブだった。ある意味、特異なジャズクラブだ。絶頂期には、理想のジャズクラブだったと思うよ。
 すごい店だった!雰囲気が良かった。気取りが全然なくてさ。
 見掛け倒しでなく、本当にスイングする音楽があった。クレインズ・ショウ・バー(デトロイトにあった別のジャズクラブ)もちょっと似た感じだったけど、あっちの方が少し高級だったなあ。… ”ブルーバード”のお客さんは99.5%が黒人で、純黒人向けジャズクラブだった。だけど白人の僕でも、居心地が悪いなんて事は全くなかった。
 【デトロイトのジャズ史、Before Motown より】

 フラナガンが出演していた頃の”ブルーバード”は、一番上の写真の小窓の内側がバンドスタンドで、入店できない未成年の少年達は、この窓にへばりついて生演奏を必死で聴いたそうです。その後改装して小さな円形のバンドスタンドに変わったのですが、ピアノはグランド・ピアノでなく小さなスピネット型のピアノでした(!)それでも、フラナガンが最も愛したクラブであったというのは、演奏と125あった客席に座る方々がよほど良かったに違いありません。
“ブルーバード”の向かうはNY
 トミー・フラナガンが”ブルーバード・イン”のハウス・バンドとして出演していたのは、1951年の終わり頃から約2年間のことです。バンド・マスターはビリー・ミッチェル(ts)、そしてサド・ジョーンズ(cor)をフロントに、ベースはアリ・ジャクソン、またポール・チェンバース(b)やダグ・ワトキンス(b)たち、そしてドラムはエルヴィン・ジョーンズ(ds)というドリーム・バンド、ピアノはフラナガンの他に、やはりNYに進出したテリー・ポラード(p)やバリー・ハリス(p)が出演していました。
ビリー・ミッチェルとサド・ジョーンズ ビリー・ミッチェルとサド・ジョーンズ(’56) Francis Wolff撮影
 ビリー・ミッチェル(ts)は15歳でプロデビューし、映画に出演したほどの男前で、当時は、デトロイト・ビバップ・シーンの”最高幹部=エグゼクティブ”と呼ばれていました。フラナガンのアルバム、『Let’s』や、『Detroit-New York Junction』に収録されている”Zec”という軽快な作品は、EXecutiveのヒップな略語なんだよとトミーが教えてくれました。余談ですが、ミッチェルはジャズ以降のモータウンで、スティーヴィー・ワンダーの音楽監督を務めていたこともあります。
 ハウスバンドに加えて、このお店は常にNYで活躍する全国区のゲスト・ミュージシャンが入れ替わり立ち替わりハウスバンドとセッションを繰り広げていました。上のチラシはマイルス・デイヴィス(tp)とソニー・スティット(ts,as)のダブル・ビルになっているでしょう!聴いてみたいですね!マイルス・デイヴィスは、麻薬中毒から立ち直る為にしばらくデトロイトで住み、”ブルーバード”に出演していたので、NYに出て来たフラナガンを即戦力としてすぐに雇ったんです。
 それ以外にデトロイトからディジー・ガレスピーにスカウトされてNYで成功した、「デトロイト・ジャズ界のイチロー」とも言えるミルト・ジャクソン(vib)やJ.J.ジョンソン(tb)、アート・ブレイキー(ds)など数え切れないほどのジャズメンがゲスト出演していました。同時に、ツアー中で他の劇場に出演しているミュージシャンも、必ず”ブルーバード”に立ち寄り、演奏をチェックして、使えそうなミュージシャンには電話番号を教えてコネをつけて行きました。
“ブルーバード・イン”は文字通り、デトロイト-NY・ジャンクション(合流点)だったんです!
 円形ステージで演奏するソニー・スティット、白いTシャツで恥ずかしそうにしている青年は、未来の巨匠チャールス・マクファーソン(as)!
 デトロイトの他のクラブでは、ミュージシャンに服装規定があったり、演奏レパートリーもお店から指定があったりしたそうですが、”ブルーバード・イン”では、店の方から音楽に干渉されることは一切なかったそうです。何故ならお客様たちが、バップをこよなく愛し、演奏者を応援して良い音楽が育つように見守ってくれていたからなんです!
なんとなく親近感を感じるなあ・・・
<トミー・フラナガンの証言>
 トミー・フラナガンは’66年にダウンビート誌のインタビューで”ブルーバード・イン”について、映画『オズの魔法使い』で、ドロシーがオズの国に飛んできた時に口にする名台詞を使いながら、こんな風に語っています。

 “ブルーバード・イン”は素敵なクラブだった!何ともいえない良い雰囲気でね、『もうここはデトロイトじゃないみたいね・・・』みたいな場所だった。というか、アメリカ中探しても、あんなクラブは他になかったろう。NYにもないなあ・・・近所同士の親しさや、ジャズクラブにはなくてはならない『応援してやろう』という温かさがあった。デトロイトの街でジャズが好きな人なら、皆が聴きに来てくれた。そこでやっている音楽は非常に先鋭的なもので、演奏者がケタはずれに良かった。
 “ブルーバード・イン”では、我々が演りたい音楽を演奏することができたし、それを、お客さんが心から楽しんでくれたんだ!

  カウント・ベイシーにスカウトされる前のサド・ジョーンズの凄さにはメジャーなジャズメンが圧倒されました。マイルス・デイヴィスは店の片隅で涙を流し、チャーリー・ミンガス(b)は、「やっと天才を見つけた!」興奮してナット・ヘントフに手紙を書きました。
 デトロイト1の若手ピアニストとして”ブルーバード・イン”で演奏した期間はせいぜい2年ほどですが、そこで得たものは計り知れません。そんな頃に朝鮮戦争への召集礼状が来て、フラナガンと「青い鳥」は決別します。
 “ブルーバード・イン”はタイヤマンの5021番地で業態を変えながら営業を続け、1990年代にもフラナガンは何度か里帰り公演を行いましたが、現在のFlicker.comに、人気のない様子の写真が載っていました。でもかつて演奏が漏れ聴こえた窓はそのままです。
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 やっぱりジャズクラブというものは、お客様の応援がなければ「良いクラブ」になれないんだと、改めて思います。
 サド・ジョーンズが、”ブルーバード・イン”の住所から名前をつけた“50-21”や、フラナガンの“ビヨンド・ザ・ブルーバード”・・・幾多の名曲を生んだ”ブルーバード・イン”で生まれた様々なドラマに思いを馳せながらトリビュートの演奏を楽しみたいですね!
 CU

ジョージ・ムラーツ、ヨーロッパ・ツアー中

 
 現在、ジョージ・ムラーツ(b)はピアノのニュー・スター、リン・アリエールのカルテット、“ニュアンス”に参加してヨーロッパ各地をツアー中。
  ムラーツ兄さんに加え、ランディ・ブレッカー(tp)を擁したニュアンスという名前のカルテットを組むリン・アリエールは、今年、大きく注目されそうな存在です。
Lynne_Arriale.jpg 赤毛と青い瞳でプレス写真もとっても魅力的な熟女リン・アリエールさん・・・どっかで観たことあるなあ・・・と思ったら、1990年頃に富士通100GOLD FINGERSでトミー・フラナガンと一緒に来日していた、リン・バーンスタインだった!当時は全く無名で、マリアン・マクパートランドが腰痛で降板し急遽代理で出演したはず...私と同い年だったと思います。あれから20年たって、大学で教鞭を取りながらデビューとはやるなあ・・・ 
 “ニュアンス”はすでにレコーディングを済ませており、5月発売予定。ツアーは、オランダ、ドイツ、イタリアなど、3月19日からヨーロッパ各地を回り、4月にはフロリダに出演予定だそうです。
 往年のジョアン・ブラッキーンをシックにしたような感じのプロモーションヴィデオがネット上にありました。ムラーツ兄さんの深遠なる賛辞も聞けますよ!いずれ日本にも来るかもしれませんね!
 明日はお店がお休みなので、フラナガンの遺した名演目、Embraceable You-Quasimodoについてちょっと書いてみる予定です。
CU

年の瀬 雑感 2008

 今年のラストを飾る名演は“コートにスミレを”、会場に花の香りが…
   あと数時間で暮れて行く2008年、今年も色々あったけど、おせち料理も作ったし、皆様のおかげで、何とかOverSeasも年を越せました。
 大掃除でお店をぴかぴかにする時、ここで、あそこで、ゆっくり座って音楽を聴いてくださった、皆さんの笑顔、スイングする様子が心に浮かんで楽しくなります。
 OverSeas今年一番の収穫は、なんと言っても寺井尚之の新トリオ、The Mainstemの誕生だった。 若手の宮本在浩(b)、菅一平(ds)の成長ぶりは、ライブを重ねる度に、目を見張る者がありました。ライブの季節や、その頃のOverSeasに因んだ新曲をどんどんこなした二人は、私たちの知らないところで、きっと血のにじむような努力をしているでしょうね。 そんなことは一言も口にしないところが男だなあ!かっこいいなあ!!
宮本在浩 菅一平
宮本在浩(b)と菅一平(ds)
 それを寺井尚之の求心力と言う人もいるけれど、逆に、寺井自身も、この二人から大いにインスピレーションを得て、新境地を開いた。 ”La Ronde Suites ラ・ロンド・スイーツ”を始め、様々なモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)の名曲や、“チャーリー・パーカー・ウイズ・ストリングス”の決定的な名演がある“Repetition レペティション”を、目くるめくようなピアノ・トリオ・ヴァージョンに仕立て上げたのだ。このトリオの持ち味である緊密なチーム・プレイは、シングル・ヒットを、大技、小技で大量点に結びつける走塁野球みたいな面白さ。選曲とアレンジの妙で生まれた爽快さは、この曲を聴いた事もない、若いお客様たちのハートも掴んで、「楽しい!」と言ってもらえて、嬉しかった~!

 私の方は、今年一年、ジャズ講座の歌詞対訳に始まり対訳に終わる年となりました。エラ・フィッツジェラルド&トミー・フラナガン・コラボ集のほぼ全ての歌詞を日本語にしたけど、何曲なのか数える暇もなかった… 「今までボーカルもんは苦手だったけど、歌詞が判ると結構面白いね。」 ジャズ講座に来てくれるお客様の一言で、孫悟空みたいにヘッドフォン漬けになった辛さが吹っ飛びます。
 歌詞、歌詞、歌詞を突き詰めたおかげで、よせばいいのに、今年はアメリカ詩も色々読みました。英語の詩も、日本の俳句や短歌に極めて近いものがあることも発見。エラさんのおかげで、ほんまに色々勉強できたもんだなあ。
 今も、1月のジャズ講座のために、ドラマー、エディ・ロックが唄うJive Songs (ジャイブ。ソング)の日本語化に追われてます。
エディ・ロックのジャイブ・ソング・アルバム  『Jivin’ with Refugees from Hastings Street』このアルバムにはキング・コールやファッツ・ウォーラーたちの作った楽しいジャイブ・ソングが一杯! デトロイト出身の名ドラマー、エディ・ロックのインタビューはジャズ講座の本、第五巻の付録に!
 そもそもジャイブ・ソングとは何なのか? 一言で言えば、「浅草的ジャズ・ソング」、ヴォードヴィルというか、寄席っぽいというか、とんでもなく面白い歌のことです。 
  キャブ・キャロウエィのミニー・ザ・ムーチャーとか知ってますか?「ハレハレハー」とか「ハイデハイデ・ホー」とか、わけの判らない言葉で、わけもなく盛り上がっちゃう、あの強烈なスイング感がジャイブです!
ナット・キング・コール  ナット・キング・コール
 とはいえ、ジャイブで売れたファッツ・ウォーラー(p)もナット・キング・コール(p)も、超弩級の天才音楽家、トミー・フラナガンに多大な影響を与えたんです。その意味で、このエディ・ロックのレコードには、「フラナガンの音楽は何で面白いのか?寺井尚之はジャズ講座で何でいつもわけの判らん漫才師のネタを引用するのか?」の秘密が隠されている!
 このレコードには「今日もコロッケ、明日もコロッケ」みたいな、古い日本のユーモア・ソングとそっくりな歌も入ってます。(え?知らない?お正月に、おじいちゃんやおばあちゃんにきいてみてね。)
だけど、コメディー映画の字幕が実際の台詞と違うように、冗談って対訳作るのがとってもムズカシイ!! 
 と、いうわけで、紅白、K-1、リーブ・ミー・アローン、私はジャイブで年越しです。
Happy Jiving New Year!
CU
 

トリビュート・コンサートでTUNE-UP

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   本番に備え、OverSeasのピアノはピアニッシモからフォルテッシモまで、寺井尚之の思いのまま。
   その陰には、川端調律師と二人三脚でのチューン・アップが…
   川端さんによれば、「ピアノの下で聴く寺井さんのプレイは最高とか…」ペダルからほんの僅かに漏れるノイズの場所を探る為には、上等のワイシャツが埃だらけになってもなんのその!
 今夜のピアノの音色には、もうひとりの貢献者がいるのです。
 ENJOY!!
 

寺井珠重のJazz News “Tiddy Bitty” 秋の号


①エクリプソ講座は土曜日開催
今週のジャズ講座には、いよいよ『エクリプソ』が登場しますよ。
私自身も発売時からリアルタイムで聴いたアルバム。すぐに買った(というか、先輩に買わされた…)それだけでなく、どこのジャズ喫茶に行っても『エクリプソ』がかかっていたのを覚えています。
 バンドの人達とジャズ喫茶で聴きながら、「ここどないなってんねん?」、「ムラーツなんでこんなん弾けんねん?!ベースの弦足らんがな!?」とか、小声でワイワイ言っていたのが昨日のことのようですが、もう30年前のことだっなんだ…
 土曜日は、若い皆さんにも、大人の皆さんにも、そんな興奮を味わってほしいものです。初めてでも大丈夫!ぜひお越しください!
② NY特派員 Yas竹田のこと。

 ここ数ヶ月間、NYで活躍するベーシスト、Yas竹田の音信が全く途絶えていました。ネットで調べると、NYのライブ情報で名前は見つかるので、生きていることは判っていたのですけど、常連さま方に「YAS竹田帰国ライブはいつですか?」そして、アメリカ在住の方々から「今度NYに行くけど、Yasさんに会えますか?」と、お問い合わせを頂く度に、またサブプライム・ローン関連のニュースを見る度に「一体どないしてんねん!?」と心配が募りました。結局、四方八方手を尽くし、やっと無事を確認。
 
 Yasちゃんの奥さんが病気で寝込んでいて、中学生の息子さんの世話など、色々大変だったようです。
 音楽活動の方は快調で、最近はライターとして有名なビル・クロウ(b)のトラなどもやっているらしい。
 NY生活も20年のYasちゃんも、ご家族が病気だとそりゃ大変だ!!これから寒くなるし、私は何もしてあげられないけど、彼が愛読する週刊文春でも送りますから、お大事にしてあげてください!
③トミーの親戚!
 ジャズ講座の準備で、トミー・フラナガンをGoogle検索していたら、ずっと前に読んだ、Musician Biographyサイトのトミー・フラナガンのページに、ステファン・L・ジャクソンなる人物のコメントが入っているのを発見!
 
 

Stephan L. Jackson (Carl Anthony Flanagan)
トミー・フラナガンは私の大叔父です。私はデトロイト生まれで、生後すぐに、ジャクソン夫妻(二人とも教育者)の養子となりましたが、生みの母は、モニカ・フラナガン・ルイス、彼女の父、つまり私の祖父にあたる人が、トミーの兄となります。
 成人するまで、私は自分の出生について知りませんでしたが、子供の頃から音楽が好きで、学校時代も音楽を副専攻しまし、パーカッションやヴォーカル、役者の勉強もしました。3人の息子も皆音楽をやっています。遺伝子って本当にあるんですね!
 トミー叔父さんに敬意を!あなたの遺産は今も受け継がれていますよ!
 

トミーには、現在少なくともお孫さんが6人いるし、7人兄弟だから、デトロイトやアトランタに親戚は沢山いる。
 トミーのお兄さん、ピアニストのジョンソン・フラナガンJr.の孫にあたる、スコット君は、10年ほど前に、広島の中学校で英語教師をしている間、OverSeasを訪ねて来てくれたことがあります。とっても好青年だったけど、ジャズに余り興味はなかったみたい。
 私は早速、ステファン・ジャクソンさんに、日本でトミー・フラナガンを尊敬する寺井尚之が、自分のクラブ、OverSeasでフラナガンへのトリビュート・コンサートをするよと、メールを送りました。
 そうしたらステファンさんから、すぐに返事が来て、自分の生い立ちなどが詳細に書かれてあった。驚いたのは、彼が海軍時代に、岩国で4年間を過ごしていたことだ。それも、彼の従兄弟にあたるスコットが広島で教鞭を取っていたのと同じ時期というのが不思議です。
 彼は現在ニュージャージーのアトランティック・シティで市長の私設秘書をする傍ら、自分の人生経験や、音楽や演技の技術を活かして自己啓発的カウンセラーのような仕事をしているらしい。 
 「経済的な余裕が出来たら、ぜひOverSeasに来たい」と書いてあったので、いつかステファンさんに会うこともあるかも知れません。
④ジョージ・ムラーツ(b)ヨーロッパ・ツアー
 ジョージ・ムラーツ兄さんは早くも来週にヨーロッパに旅立つそうです。イタリア、モナコ、スイス、イギリス、ポーランド、オーストリア、スペイン、ポルトガル…、ハンク・ジョーンズ(p)やジャズ・アコーディオンのリシャール・ガリアーノさんと大ホールばかりのツアー、もしヨーロッパ在住でご近所の方がいらっしゃったら、ぜひ行ってみてください。コンサート・スケジュールはこちら
 
 不思議なことですが、毎回トリビュート・コンサートが近づくと、OverSeasに向かって風が吹く。世界中から色んなニュースが来て何となく慌しい。
 今夜も、ブリュッセルに住む琥珀色の肌の私の妹分が請け負う翻訳仕事の助っ人です。チェコやタヒチの血を引くハイブリッドな彼女は現在妊娠5ヶ月、助太刀せねば!こんなとき、インターネットは便利だけど眠いよー。
 土曜日のジャズ講座トリビュート・コンサートのチケットお申し込みは、どうぞお早めに!
 CU
 

年の瀬 雑感

Nice E-Meeting You
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左:今年のパーティ料理のごく一部!皆のおいしい顔が、私のごちそう!    右:寺井尚之とパーティを盛り上げてくれたスター達!皆ピアニストですよ。 
 年末恒例パーティも終わり、本年度のOverSeasのライブも今夜が最終、歳を取ると一年が経つのが速い!今年も平坦な道のりではなかったけれど、どうにか新年を迎えることができそうです。
 クリスマス・ラッシュであたふたしているところに、オスカー・ピーターソンの訃報。中学時代から何度もコンサート・ホールやTVで見た巨匠。体躯もプレイも全て大きくてベーゼンドルファー・インペリアルが小さく見えた。好き?嫌い?…そんなことを超越したスーパースターでした…
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 
 今年の私のささやかなNewsはひょんなことから、このblog『寺井珠重のInterlude』を開設したこと!「ただでさえ時間がないくせに、何と無謀な!」と言われましたが、意外な人が意外なところで読んでくれていて、励まされたり、びっくりしたり、嬉しかったり。
 Interludeをご訪問下さった皆さま、実際にOverSeasをご訪問下さった皆様、どうもありがとうございました!
 10月にOverSeasでジョージ・ムラーツの至芸が聴けたのは、今年のGood News! 偶然ムラーツも、このブログと同時期に公式HPを開設、私が彼のサイトのbio(ムラーツ伝)の和訳を、日本のファンの為にbioのページに採用してくれました。(すったもんだの末、彼のWebデザイナー、ジャックが、日本語の活字を扱いかね、私の作ったページにリンクを貼ってます。)
 最近、ムラーツのHPのフォト・ギャラリーには、在りし日のサー・ローランド・ハナや、パーシー・ヒースとの写真が追加されていて一見の価値あり!
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ムラーツ公式サイト、フォト・ギャラリーより、パーシー・ヒース、ジョージ・ムラーツ=二人の巨匠の釣り旅行風景。
 それが縁で、ムラーツの共演者イヴァ・ビトヴァから、「私にも日本語のバイオを作って!」とメールがあり、彼女の公式HPにも私の訳が載ってます。イヴァちゃん(私が勝手にこう呼んでいる。)はチェコでは演劇、音楽の大スターで今年春から米国在住、創造の妨げになると、自宅にはTVやラジオは一切なし。NY郊外で自然に囲まれた生活を送っています。Eメール上の彼女はスターぶらず、とっても魅力的な女性でした。珍しくムラーツが「凄いキャリアのパフォーマーと共演することになった。」と録音前にこっそり教えてくれたのも納得の経歴、ぜひご一読を。英語のbiographyから日本語にリンクしてます。
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 ジョージ・ムラーツ&イヴァ・ビトヴァは、新年にプラハ、ウィーンとスロヴァキアで公演予定、冬休みに彼の地に行かれる方はぜひどうぞ!写真はIva Bittovaフォトギャラリーより。
 また、イヴァちゃんの翻訳を請け負う過程で、日本の前衛芸術家たちとも交流がありました。彼女が以前プラハで共演した日本の舞踏家達の連絡先を探して欲しいと頼んできたのです。探していたのは田中泯(たなか みん)氏。俳優としても活躍していて、山田洋二の名画『たそがれ清兵衛』で、日本アカデミー賞助演男優賞を受賞しているから、ご存知の方も多いかも。真田広之扮する清兵衛が、意に反して果し合いをしなければならない不条理な敵役が印象的でしたね。
 なんという幸運!連絡をした時、ちょうど田中氏の舞踏グループはNYで公演中で、めでたくイヴァちゃんと再会!ひょっとしたら、イヴァちゃんの来日が果たされるかも知れません。スターというものは強運ですね。
 またイヴァちゃんと特に親しい田中氏のマネジャーは木幡和枝氏で、東京芸大教授、ブラックパンサー運動のエキスパートとして著名な文化人でしら。ちょうど11月のジャズ講座でブラックパンサーの女性リーダー、エレイン・ブラウンのアルバムを取り上げた直後のことでした。偶然は重なります。
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 本ブログでCafe Bohemia探索中に、私に色んな事を教えてくれたピアノの巨匠、ディック・カッツさんの紹介で、著名なジャズ史家、プロデューサー、アイラ・ギトラー氏からは、J.J.ジョンソンの関連書籍などについてアドヴァイスのメールをいただきました。ギトラー氏の著書、『Swing to Bop』は、BeBopの誕生と栄枯盛衰を語るミュージシャンの証言集で私の愛読書、嬉しかった!
 そして横浜からは、A.T.やCafe Bohemiaにまつわるブログを読んで下さった、マシュマロ・レコードのオーナー、上不三雄氏が、来阪の折、若き日のトミー・フラナガンの貴重な写真を携えて立ち寄ってくださって下さいました。
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上不氏が寄贈して下さった写真です。素敵でしょ!トミーの笑顔に似合うフレームを物色中。ありがとうございました。
 マシュマロ・レコードは、貴重な音源や映像の再発や、ヨーロッパやカナダのミュージシャンの新録音を丁寧に製作する良心的なレコード・レーベル。マシュマロ・サイトの上不さんのコラムでは、デューク・ジョーダンの墓参やカフェ・ボヘミアなどの興味深いエピソードも読めます。
 近くから、遠くから、ブログを通じて、OverSeasにやって来て下さった沢山の新しい皆さん、どうもありがとうございました。来年も毎週、(流行と無関係でアンタイムリーな)色んなトピックをお届けします。
 
では、良いお年を! CU