トミー・フラナガンのレパートリー考
NYにあった“ブラッドリーズ”というユニークなジャズクラブのオーナーの妻、ウェンディ・カニングハムが言っていましたが、ジャズクラブという仕事は、そこに従事する者の時間を容赦なく吸い取ってしまいます。
私の時間も、毎日あっと言う間になくなって、ゆっくりと小説を読む暇などないのが実情ですが、村上春樹の作品には寝る間を惜しんで読みたくなる魅力があります。なんと言っても文章がうまい!日本語がうまい!人間の心の奥底に隠れる“闇”のようなものを、ソフトタッチの文章と、小説ならではの奇抜なストーリーで開示していくところが魅力です。彼のペットフレーズ、“メタファー(隠喩)”がいたるところに隠された文章は、北欧ルネサンスの絵画のように思えるし、読み手の心を掴んだまま、ラストまでグイグイ引っ張っていくドライブ感は、優れたジャズ・ミュージシャンのプレイのようでもあります。
今年7月の電子版NYタイムズに掲載された彼のエッセイ、『Jazz Messenger』に、自分のスタイルは、チャーリー・パーカーの奔放なリフや、マイルス・デイヴィスの飽くなき自己革新の姿勢に大いに影響を受けている、というような事が述べられていて、大変興味深く思いました。
彼がかつて、ジャズ喫茶を営む間に文筆活動を始めた事は、きっと私よりも、これを読む皆さんの方がずっとよくご存知でしょうね。
最近文庫になった短編集、『東京奇譚集』のオープニング・ストーリー「偶然の旅人」の、枕というか、ヴァースの一部分になるのが、作者自身が体験した、トミー・フラナガン・トリオのライブにまつわる不思議な偶然のエピソードです。もうご存知の方が多いかも知れませんが、フラナガンに関する枕のあらすじはこんな感じ。
‘作者自身である“僕”は、’93-’95、ケンブリッジに住む間、一度だけトミー・フラナガン・トリオを聴きに行った。…お気に入りのピアニストのプレイに期待していたものの、その夜のフラナガンは、決して絶好調とは言えなかった。“僕”はレガッタ・バーでひとりワイングラスを傾けながら、「もし、彼に2曲リクエストをする権利が与えられたとしたら…」と思いを巡らせ、余り知られていない渋い2曲,“Star-Crossed Lovers(スター・クロスト・ラヴァーズ)”と“Barbados(バルバドス)”を選ぶ。すると、不思議にも、フラナガンはセットの最後に、この2曲を続けて演奏した!それは実にチャーミングで素晴らしい演奏だった。というのです。そして、彼はジャズの神様みたいなものがいるのかな…と思う…’
普通の人なら、世間話で終わってしまうような、「ちょっと不思議な」いい話を、押し付けがましくない絶妙の語り口で、一編のショートストーリーにしているところが流石です。このエピソードは、『やがて哀しき外国語』にまとめられた『新潮』のエッセイが元になっているから、余程、作者に霊感を与えた印象深い体験だったのかもしれない。
村上氏が不思議な体験をした“レガッタ・バー”は、ケンブリッジ、ハーバードスクエアのチャールズ・ホテルにあり、当時から、フラナガン以外にも、ジョージ・シアリング、ビリー・テイラー、アーマド・ジャマールなど、一流ピアニストが年間サーキットに組み入れていた店です。今年の年末はマッコイ・タイナー、来年の春にはジャマール出演と出ていました。私は行った事ありませんが、先日、ボストンに恩師ジョージ・ラッセルを訪ねた布施明仁氏(g)が、「ボストンのジャズクラブは、今はほとんどなくなってしまったけど、あそこは、まだなんとか健在やった。」と言ってました。
ノーベル文学賞候補と言われる村上春樹、この作品は『Chance traveler』という題名でハーパーズ・マガジン誌に掲載され、USAの春樹ファン達がネット上で、「僕もレガッタ・バーでフラナガンを聴いた!」「私もBarbadosを聴いた!」とか色々盛り上がっていたようです。それで、G先生に無理を言って図書館でコピーを取ってもらい、ダイアナ未亡人に読ませてあげたら、「ムラカミは、いい小説家ねえ!」と、とっても喜んでいました。
トミー・フラナガンが、この小説を読むことが出来れば喜んだろうな…因みに、フラナガンのアルバム『バースデイ・コンサート』のライナーを書いているのは、ピーター・ストラウブというジャズファンの作家で、自分の小説にコールマン・ホーキンスやレスター・ヤングの音楽を登場させているらしい。
ダイアナの証言によれば、トミー・フラナガンがレガッタ・バーに出演するのは、毎年主に、6-8月の夏時分だったそうです。上記の2曲は、どちらも渋い曲ですが、共にフラナガンの愛奏曲でした。フラナガンは季節感を意識してレパートリーを組む人ではあったけれど、どちらも特に季節に関係なく演奏していたはずだと言います。
Encounter! 11月のジャズ講座で大反響だった名盤です。
村上氏が選んだ2曲のうち、バラードの“Star-Crossed Lovers”は、デューク・エリントンの片腕で、フラナガンが愛してやまないビリー・ストレイホーンの作品です。“Pretty Girl”というタイトルでしたが、改題されて、シェイクスピア組曲《Such Sweet Thunder》に組み込れました。星のまたたく夜の冴え冴えとした空気が漂うような曲で、小説に書いてあるとおり、ペッパー・アダムスのアルバム、《Encounter!》に名演があります。余談ながら、寺井尚之は、シェークスピアが作った造語と言われる“星巡りの悪い恋人達”を、織姫-彦星の七夕に見立て、好んで7月に演奏します。
一方、Barbadosは、チャーリー・パーカーのルーツ、カリブ海の島国の名前で、ラテンリズムの軽快なFのブルースです。作者お気に入り、OverSeasの常連なら皆大好きな名盤《Dial J.J.5》に収録されている他、リーダー作、《Beyond the Bluebird》で再演しました。
名盤!Dial J.J.5 (’57 1/31録音)
実はこの2曲とも、《Tommy Flanagan Trio, Montreux ’77》というアルバムに収録されているのです。スイス、モントルー・ジャズフェスティヴァルで、エラ・フィッツジェラルドが登場する前の、「前座」というには凄すぎるトリオ演奏のライブ盤で、演奏日は’77年7月13日です。ひょっとしたら、氏がレガッタ・バーでワイングラスを傾けたのと同じ季節であったかも知れません。
参考までに、このレコードの録音順は以下のとおり
Barbados
Medley: Some Other Spring / Easy Living –
Medley: Star Crossed Lovers / Jump For Joy
Woody’n You –
Blue Bossa –
Heat Wave
耳の肥えた村上氏が、その夜、この2曲を心に思い浮かべたのには、なにか、それを連想させるような曲をフラナガンが聴かせたからではないのかしら?ステレオタイプに毒されて、ガチガチに凝り固まった自称ジャズ通ならいざ知らず、イマジネイティブな彼なら、耳に聞えるサウンドに刺激され、リクエストの問いを自分に投げかけたのではないかしら?
寺井尚之に訊いてみよう…
私:「かくかくしかじかの短編があるねんけど…
この2曲がフラナガンのセットリストに入っていたとしたら、後にどんな曲を入れたと思う? 1st 7:30pm-/ 2st 10pm-の、一晩2セットで、多分1stで演ってはんねん。それで、この2曲は最後の方に入っていて、Star- Crossed Lovers~Barbadosの順やて。」
寺井尚之:「バルバドスがラスト・チューン!? それはフラナガンやったら、絶対にあり得へんな。その後まだラストに続くはずや。
エリントンの曲はトランプで言うたらジョーカーみたいなもんやから、前後何を持ってきてもええねん。そやけど、スター・クロスト…持って来たんやったら、ラストは、ほぼ100%エリントンの曲に決まってるわ。
そういう話なら、最初の方に、“Mean Streets:ミーン・ストリーツ”とか、間に“That Tired Routine Called Love:ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラヴ”なんぞを、演らはったんちゃうか?」
私:「えーっ? “Mean Streets”なんか最初の方に持ってくるのん?ラスト・チューンじゃなくて…?」
寺井尚之:「そうや!この演奏の時期やったら、ピーター・ワシントン(b)、ルイス・ナッシュ(ds)のトリオや。ケニー・ワシントン(ds)やったら、“Mean Streets”は、絶対ラスト・チューンやけど、ルイスやったら、最初の方に演る可能性の方が大や。」
寺井尚之が挙げた、Mean Streets(ミーン・ストリーツ)は、昔はVerdandi(ヴァーダンディ)という名前のフラナガンのオリジナルで、《Overseas》や、“Star- Crossed…”と同じ《Encounter!》に入っているドラム・フィーチュアのハードな曲だ。そして、“That Tired…”という長いユーモラスな名前の名歌は、’80年代後半からトミー・フラナガンの愛奏曲で、そのルーツは、J.J.ジョンソンの、もうひとつの秀作《First Place》だ。
ひょっとしたら、それらの曲を耳にして、例の2曲が心に浮かんだのではないかしら?ジャズ通の村上春樹であったからこそ、ごく自然に、ほとんど無意識に…。
ダイアナも言っていたのですが、「私がやって欲しいと思っていた曲をズバリ演ってくれた、なんて素晴らしい偶然なんだろう!」とフラナガンが言われることは、世界中どこで演奏しても、実に頻繁にあったんです。
例えば、OverSeasでも、フラナガン3が、レコーディングもしていない’Round Midnightを演った時には、「僕のテレパシーが通じた!」と大喜びするお客さまがおられました。それは、そのセットの前に別のモンク・チューンを演ったからだったと記憶しています。
“偶然の旅人”当時のレギュラー・トリオ。左からトミー・フラナガン、ピーター・ワシントン(b)、ルイス・ナッシュ(ds):ピーターの画像はhttp://www.jazznow.com/1004/Newport2004.htmlより拝借、ルイスの画像はwww.drummerworld.com/ drummers/Lewis_Nash.htmlより拝借。
フラナガンという人は、唐突なリクエストは絶対に受けないアーティストでした。それは、単に愛想が悪い、客に迎合しない、という訳でなく、1夜の曲目を、フルコースや懐石料理のように、最初から最後まで、最高のしつらえで聴かそうと考えていたからなのです。とはいえ「選りすぐりの曲順で演ってるのじゃ!」みたいな大仰な態度ではなく、さりげない風情を崩しません。だからこそ、メリハリが効き、一生忘れられないような、自由奔放な演奏になったのですね。
「これが聴きたかった!」と思わせる演奏、「自分が願ったから演ってくれた!」と思ってもらえる演奏は、プレイヤー冥利に尽きます。最近は、寺井尚之も同じことを言ってもらえる時があるのですが、フラナガン流なのか?「偶然の旅人」効果なのか?
全く同様に、読者の潜在願望に応えるのが村上文学のキーではないのかな、と私は思う。例えば、この『偶然の旅人」に出てくる、「アウトレット・モールの書店の一角にある居心地の良いカフェ」や、『海辺のカフカ』に登場する「甲村記念図書館」などは、読書好きなら、「こんな所で本を読みたいなあ…」と、漠然と求めていた理想郷が、そのまま描かれている。
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「偶然の旅人」以降、フラナガンとジョージ・ムラーツを深く愛する東京の友人S君も、自分の不思議な体験を教えてくれました。彼は学生時代、ベーシストとして寺井について修行していて、生真面目で少年然とした性格から、お店の人たちから常連様、果てはジョージ・ムラーツに至るまで、皆から、弟のように可愛がられていました。数年後、彼が東京で離婚し、子供と暮らしていると聞いた時は、ちょっと信じられない気持ちになったものです。
その後、S君はある女性と知り合い、初めて彼女の自宅を訪問した、その瞬間に流れていたのが、S君が好きなMoodsvill-フラナガン3の、“In a Sentimental Mood”だった!彼がフラナガン・ファンだとか言うことは全く知らないはずなのに…S君は腰を抜かすほど驚いたのだけど、彼女は、ジャズが好きと言う彼のために、100円ショップで売っているような、海賊盤の寄せ集めのCDをかけていただけだった。エリントンのこの曲に不思議な啓示を受け、二人は再婚し、現在、お互いの子供さんと共に、とっても幸せな家庭を作って暮らしている。
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私自身の個人的な体験もついでに書いておこうっと。ここ数年間、ビリー・ホリディをジャズ講座などで取り上げるにつれ、私は心ひそかに確信していたのです。ホリディの歌の本質は「男の不実を赦し、自分の悪癖を赦し、聴く者のあらゆる罪を赦す観音様だ。」と。そして、「これは私だけが知っている秘密の真実だ!」と人知れず得意になっていたのですが、彼の本を読むと、似たような事を、いとも簡単にスパっと書いてあって、「ええっ、なんで知ってるの?!」度肝を抜かれたことがありました。村上流ジャズ論に、全て賛同はできないのですが、例え世界的文豪であっても、彼になら、「村上さん、ここ、違うよ」と言っても、無視したり、気を悪くせず「なんで?」と耳を貸してもらえそうな幻想を与えてくれるのが、村上スタイルですね。
この「偶然の旅人」に登場するフラナガンのエピソードこそ、“僕”こと村上春樹の小説作法のメタファーであるのだと、私には思えてならなりません。だからこそ、村上作品は、その夜のフラナガンの2曲のプレイと同様、実にチャーミングで素晴らしいのです。
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“CAPTAIN BILLY”後日談
INTERLUDE 増刊号
8月に、私に英語特訓してくれたビリー・ルーニーと美人妻ジュリーのことを書き、チック・コリアのHPを覗いてみたら、写真を配信するプレス担当のメルアドがジュリーになっていた。それで、本ブログに書いたことをメールしたら、自分と娘さんの写真を送ってきてくれました。
左が長女エミー、右がママのジュリーです:念のため
化粧っ気のない美貌もスリムな肢体もぜんぜん変わってません。美人は得だネ!
このメールが来たのは数週間前だけど、奇しくも12日に皮膚ガンの為、故国オーストリアで他界したジョー・ザヴィヌルとのスリー・ショットも送られて来た。
左からビリー、チック・コリア、故ジョー・ザヴィヌル
ザヴィヌルは、フュージョンの旗手として有名だけど、彼のルーツはBeBopだったことを知っていて欲しい。キャノンボール・アダレイ(as)5でデビューしアレサ・フランクリンの初期の作品などにも、ファンキーなバックを聴かせている。
テナーサックスの父:コールマン・ホーキンス
忘れてならないのは、フラナガンやハナさん同様、コールマン・ホーキンスを尊敬する若手ミュージシャンの一人であったこと。
ウィーン音楽院を卒業しNYに来たサヴィヌルはホークのアパートに集い、彼のヨーロッパ仕込みの手料理をごちそうになった後は、ホークに乞われるまま、ショパンやブラームスを弾いて食後のひとときを過ごしていたのだった。
合掌
次回は、ジャズ講座名場面集、トロンボーンの神様J.J.ジョンソンの『ダイアルJJ5』『ライブ・アット・カフェ・ボヘミア』を聴きながら、’57当時、グリニッジ・ヴィレッジで盛況を極めたカフェ・ボヘミアをInterlude的に探索してみます。
CU
ブログ始めました。tamae teraiの自己紹介
私の名前はtamae terai、父は関東育ち、母は根っからの大阪人、母方の曾祖母は、「雀のお松」と呼ばれ、口八丁手八丁を活かし、大阪天満で鮪(まぐろ)屋を営み、昭和初期には、大きな鮪問屋となりました。おまつさんは三度のご飯より歌舞伎が好き、芝居小屋の大向こうから女だてらに掛け声をかけるのを得意とし、大阪の三女傑の一人と謳われたそうです。鮪問屋は、第二次大戦前の経済統制で廃業を余儀なくされ、私が生れた時には影も形もありませんでしたが、子供の時から、ライブやコンサートを聴いたり、市場に行くと何故か血が騒ぎます。
私自身はごく普通の家庭に育ちました。父も弟もカタギのサラリーマンですが、縁あって、ジャズピアニスト寺井尚之と結婚し四半世紀以上、ふと我が道を振り返ってみれば、人生の半分以上をOverSeasというジャズクラブの片隅で過ごしていました。生活は楽ではないけれど、今もこうして、毎日主人のピアノを聴けるのは、誰にも味わえない私だけの幸せです。また仕事柄、たくさんの方々と知り合い、有形無形に、貴重なことを学ばせてもらっています。
NYに、ナット・ヘントフという、政治ジャーナリスト兼、ジャズ評論家がいます。彼は回想録で、「これまでワシントンDCで数多くの政治家達に出会ったが、ジャズ・ミュージシャンは、彼らよりよっぽど、博学で賢明だ。」というようなことを述べています。私は政治家には会ったことはありませんが、優れたジャズメンとは、数多くの出会いや別れがありました。
さて、ひょんなことから、この度ブログを作ることになりました。雀のお松の血が騒ぐ!そんなこんなの『誰にも奪えぬ思い出』や、OverSeasと、その周辺で体験した色々なことを記して行こうと思います。どうぞよろしく!