第10回Tribute to Tommy Flanagan

<ENCORE>

これぞデトロイト・バップ!

Medley:Come SundayWith Malice Towards None
メドレー:カム・サンデイ/Duke Ellington〜ウィズ・マリス・トワード・ノン/Tom McIntosh
 寺井尚之がフラナガン音楽のキーワードである『ブラック・ミュージック』を具体化したスピリチュアルなメドレー。
 デューク・エリントンとトム・マッキントッシュは『ブラックであるから』という理由で、フラナガンが特に愛した作曲家だ。
 
 <カム・サンデイ>は組曲“ブラック、ブラウン&ベージュ”の中の作品、'58年にゴスペルの皇后と讃えられるマヘリア・ジャクソンが無伴奏の歌唱で大ヒットした。魂も肉体も安らかになれる「真の日曜日」を願う黒人奴隷達の祈りの歌は、大きな感動を与える。
  フラナガン'60年録音の初期のリーダー作『ザ・トミー・フラナガ ン・トリオ』(Moodsville9 -Prestige)、後の'93年に日本でライブ録音した『富士通100ゴールドフィンガーズ』に収録。
 

デューク・エリントン
 続く<ウィズ・マリス…>は、OverSeasで最も愛されている曲。賛美歌の「主イエス我を愛す」のメロディを基にした作品。タイトルは「誰にも悪意を向けず」と言う意味で、エイブラハム・リンカーンの大統領就任演説の一節として、ワシントンDCにあるリンカーン記念館の壁面にレリーフ彫刻されている。
 OverSeasだけでなく、他の大阪の演奏地で、フラナガンがこの曲をコールすると、OverSeasの常連達から大歓声が巻き起こった。するとフラナガンは、少しだけ鼻を膨らませて、魂を揺さぶるような名演奏を披露したものだ。
  フラナガンは《Ballads & Blues》('75)はデュオ、《The Birthday Concert》('98)ではトリオ、フランク・モーガン名義の《You Must Believe In Spring》('92)にはソロで収録。寺井は《AnaTommy》('93)に収録。

トム・マッキントッシュ(comp.arr.tb)


Ellingtonia
エリントン・メドレー

 1984年、OverSeasに於けるフラナガン・トリオ(アーサー・テイラー(ds)ジョージ・ムラーツ(b))の初コンサートで、寺井は初めてセロニアス・モンクとエリントンに捧げた2つのメドレーを聴き大きな衝撃を受ける。それは単に同じ作曲家の作品を順番に演奏するのでなく、作曲家達と作品に対する深い愛情と造詣の溢れる壮大な音楽作品だった。
 音楽史上燦然と輝くエリントン作品のメドレー、エリントニアはトリビュートならではの聴きものだ。

左:デューク・エリントン、右:ビリー・ストレイホーン

I Got It Bad
アイ・ガット・イット・バッド/Duke Ellington, Carl Sigman

  白人主体のアメリカ芸能界では、いわゆるアンクル・トム的な白人の添え者的な地位しか与えられていなかった'41年に、時代を先駆けて上演された、オール・スター、オール・ブラックの革新的ミュージカル・レヴュー 《Jump for Joy》で歌われた名バラード。
 エリントン楽団では、花形アルトサックスのジョニー・ホッジスのフィーチュア・ナンバー。寺井尚之の浮揚感とブルースに溢れるプレイは、ホッジスを思い起こさせた。

ジョニー・ホッジス(as)


Chelsea Bridge
チェルシーの橋/Billy Strayhorn
 
 フラナガンの言葉を借りるなら、終生デューク・エリントンの“書生”であった天才音楽家:ビリー・ストレイホーン作、極めつけの名演目。
 '75、京都での来日コンサートで、<チェルシーの橋>が始まった途端に湧き上がった怒涛の様な歓声は忘れる事が出来ない。
 若き日のフラナガンは《Overseas》にこの曲を収録する直前、偶然NYの街で憧れのストレイホーンに出会った。「私は今度、尊敬するあなたの作品をレコーディングさせて頂きます。」と自己紹介すると、ストレイホーンは楽譜出版社にフラナガンを伴い、自作品の譜面の束をごっそりと与えたと言う。当時フラナガン27歳、ストレイホーン42歳であった。
 18年後、フラナガンは、「スタンダードのアルバムを」という日本側レコード会社の要望を押し切り、ストレイホーン集の名盤《Tokyo Ricital》('75)を発表し、ストレイホーンの恩義に報いた。


ビリー・ストレイホーン
Passion Flower パッション・フラワー/Billy Strayhorn
 
 内面の激しさを感じさせる神秘的なバラード、ストレイホーン作品には“花”に因んだものが多い。それは幼い頃に遊んだ祖母の家の美しい庭の記憶に起因していると伝えられる。パッション・フラワー('44作)は日本語ではトケイソウと言われ、一風変わった幾何学的な形から、欧米では磔刑のキリストに例えられる。ストレイホーン自身が最も愛奏した作品で、この花に自分自身の姿を見ていたのかもしれない。フラナガン・トリオではジョージ・ムラーツ在籍時代、弓の妙技を披露するナンバーとして毎夜必ず演奏された。ムラーツ自身、リーダーとしてMy Foolish Heart('95)に収録し、昨年6月のOverSeasのライブでも、名演を聴かせた。
 今夜はトリビュート初出演の宮本在浩(b)の弓の妙技をフィーチュア。ラストに河原達人が供したベビー・シンバルが美しく響いた。。
フラナガンは《Positive Intensity》('75)に収録。


George Mraz
2006年6月7日於OverSeas

Black & Tan Fantasy 黒と茶の幻想/Duke Ellington
 
  遠くから聴こえる太鼓のようなイントロから始まるのは、エリントン初期の作品、今やフラナガニアトリオ極めつけの演目でもある。
 晩年のフラナガンは、ビバップ期以前の、子供の頃に親しんだ曲を 独自の演奏解釈で盛んに取り上げ、新境地を開拓中であった。本作品はその代表的なもので、プリミティブでブラックな魅力に溢れている。'27年作で'29年に短編映画化され大ヒットした。密かに心臓に動脈瘤を抱え、ステージで人知れず発作に襲われながら演奏した事もあるフラナガンがエンディングの葬送行進曲に入るの聴くたびに、いつも自分を引き合いに出しては笑い飛ばしていたトミー一流のブラックユーモアを痛いほど感じた。
 生前最後にフラナガンがOverSeasに演奏を聴きに来てくれた2000年5月に、寺井がエリントン楽団のアレンジをより多く取り入れた独自のヴァージョンを披露すると、滅多に褒めない師匠が、珍しくその出来を褒めてくれた思い出の曲。
 その半年後サー・ローランド・ハナも寺井のこの演奏を絶賛してくれたが、ハナさんもまたフラナガンの死後丸一年の2002年、癌の為にこの世を去った。


トミー・フラナガン
OverSeasにて
'91 or '92

 

予告:第11回Tribute to Tommy Flanagan
2007年11月17日(土)
In Memory of Tommy Flanagan

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関連書籍:「トミー・フラナガンの足跡を辿る」