寺井尚之ジャズピアノ教室 第23回発表会

 寺井尚之ジャズピアノ教室第23回発表会、日曜日に無事終了。初出場のnaoさんの初々しさ一杯のAnother Youから、大トリあやめ会長のLotus Blossomまで。演奏者達が日ごろの成果を発揮して、素晴らしい演奏を楽しむことが出来ました。
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 あやめ会長に続くライブ予備軍ピアニストたちも着々と育っています。楽器の習得は、何と言ってもコツコツと日々の練習が不可欠なもの。弾く、聴く、読む、書くと言った様々な練習を「楽しむ」ことが上達への一番の近道のように思えます。
 様々な楽曲を、自分だけのアレンジで仕上げた出演者たちを尊敬するのみ!
hamo.JPG また、今回は、ピアノ教室と併設のジャズ理論教室から、クロマチック・ハーモニカ奏者、はもかなさんが記念すべき初出場!寺井門下の可能性がさらに大きく広がっています。
 演奏者をサポートしてくれたThe Mainstemのベーシスト:宮本在浩、ドラマー:菅一平のお二人。発表会の写真撮影や録音のお世話をしてくださったYou-non氏、生徒たちのピアノの悩みを解決し、記念品提供してくださった名調律師 川端さん、同じく極上スイーツを差し入れてくださった常連、山口さま、ご協力いただいた皆さまに心より感謝です。
 今回、やむを得ない事情で欠場した生徒会副会長、むなぞう君の演奏も、近いうちに聴きたいです!
 発表会レポートをHPにUPしました。寺井尚之ジャズピアノ教室にご興味のある方はぜひどうぞ!
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ルイ・アームストロング -フォーバス知事のもうひとつの寓話

 Jazz Club OverSeasで好評開催中、「映像で辿るジャズの巨人」、秋のプログラムにルイ・アームストロングが登場!
 先日、大学で「マンガ」について講義をしている先輩が嘆くには、まんがを勉強しよういう学生が、あの手塚治虫を知らないのだとか。ジャズの世界でも状況は一緒かも・・・。とはいえ、ルイ・アームストロング(1901-’71)という名前は知らなくても、「この素晴らしき世界」のしわがれ声は知ってるでしょう。ニューオリンズで生まれ、万人が楽しめるジャズを広め、世界中で愛されました。「ジャズの王様」「ミスター・ジャズ」「Pops」「サッチモ」…ニックネームの数もハンパではありません。
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 ハンカチ―フで汗をぬぐいながら、まん丸な目(ポップス)と大きな口(サッチモ)で表情豊かに歌い、笑わせ、圧倒的なトランペットを聴かせる姿は、一度見たら忘れられません。世界中の人々が、ジャズよりもビートルズを愛する時代になっても、「ハロー・ドーリー」はヒットチャートのトップに留まり続けました。
 難しい顔つきで腕組みして聴く難解なジャズとは真逆、楽しい楽しいジャズだ、サッチモだ!その反面「ルイ・アームストロングは楽しいだけの音楽家、昔の音楽構造は単純だし、芸術性は浅いんだ。白人に媚を売るさもしい黒人(アンクル・トム)芸人」などと批判する人もいたらしい。
louis-armstrong-house.jpg 同じように、ルイ・アームストロングはビバップを嫌い、ビバップのジャズメンが彼を過去の遺物としていたというのは全くのデマです! 私が寺井尚之と初めてNYに行った時、勿体なくも、車で観光案内を買って出てくれたのがビバップの巨匠ジミー・ヒース(ts)、愛車Volvoを駆ってまず最初に連れて行ってくれたのがクイーンズにあるルイ・アームストロングの自宅でした。(現在はルイ・アームストロング博物館) この赤レンガ作りの建物の前で、彼がいかに偉大な人間であり芸術家であったか、ディジー・ガレスピーがどれほど彼を尊敬していて、折あればこの家を訪ねたか・・・ということを話してくれました。
<リトルロック発言>
 黒人アーティストの例に漏れず、ルイ・アームストロング自身、人種差別の現実に日々直面していました。世界中どこに行っても外国に行けば、どこでもVIP待遇であったのに
公民権法以前の時代は、母国の超一流ホテルに出演しても、そこに宿泊することはできないし、ツアー中は、トイレを借りるにも苦労していたんです。
 公民権運動を金銭的に支援した黒人アーティストは、デューク・エリントンを始め、数多いですが、歴史上初めて公然と強い発言を行ったのは、なんとルイ・アームストロングなんです。
cn_image.size.poar01_littlerock0709.jpg それは1957年にアーカンソー州のリトルロックという街にあるセントラル高校で起った事件が発端でした。チャーリー・ミンガスの”フォーバス知事の寓話”という曲も、この事件へのプロテストです。南部の諸州は19世紀から、所謂ジム・クロウ法に基づいて人種隔離政策を取っていました。有色人種(日本人も有色人種ですよ)は、白人と公共施設を共有することを禁止するという法律です。病院、学校、ホテル、交通機関から、小さいところはレストラン、トイレ、水飲み場に至るまで。どこでも”Colored”という表示のある場所しか入れないし、人種混合の結婚はもちろん御法度、学校も別々でした。ところが、最高裁は「黒人に白人専用のリトルロック高校への入学を許可する」という画期的な裁定を下し、それに従って9人の黒人学生が登校を試みたのですが、反対派VS賛成派の対立で大騒ぎになります。当時のフォーバス州知事は「暴動を阻止するため」という口実で州軍を派兵、彼らを高校からシャットアウトするという異常な状況が3週間続きました。通学を試みる男女の黒人学生は、毎日怒号を浴びせられ、校門に待機する兵隊に阻止されるという考えられない光景に対して、全米の世論も真っ二つ、アイゼンハウワー大統領は、世論に配慮する形で、当初、不干渉の姿勢を取っていました。
<大統領には意気地がない!>
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 そんなビミョーな状況下、ルイ・アームストロングは、ツアー中に行われた記者会見できっぱり発言!
「南部にいる私の同胞に対する仕打ち、政府は地獄に堕ちて当然だ。」
 おまけに、アイクという愛称で親しまれる大統領を、「意気地なしだ!the President has No guts!」と一刀両断!ジャズに造形深い政治ジャーナリスト、ナット・ヘントフは「ルイ・アームストロングの発言が、全米の一流各紙の一面を飾ったのはこれが初めてだったはず。」と回想しています。
 一黒人芸能人が政府と大統領を批判するとは、なんちゅうことをやってくれたんや!と、ジョー・グレーザーを始めとするアームストロングの事務所は真っ青!なんとか謝罪させて、穏便に済ませようとするのですが、サッチモは頑として意見を撤回することを拒否。それまで、「笑顔が売り物の金持ち芸人」と思い込んでいた世間の度肝を抜きました。
 それどころか、国務省の依頼で親善使節として決まっていたソビエト連邦への楽旅をキャンセルすることによって、政府に抗議したのです。なんたる根性、なんたるガッツだ!そんなことをすれば、どれほどバッシングがあるか、仕事を失うだけでなく、下手したら殺されるかもしれないのに、ルイ・アームストロングは意思貫徹!
LSA-P-LouisArmstrong-mainpic-071511.jpg 彼の発言が世論を後押しする形となり、アイゼンハウアー大統領は、陸軍第101空挺師団を派遣、9名の生徒は空挺師団のエスコートで初登校に成功しました。ただし、この黒人学生たちへのいやがらせはさらに続き、公民権法の成立までは何年もかかります。
 その8年後、キング牧師がアラバマ州で「行進」という平和的デモを行ない、警察の妨害を受けます。コペンハーゲンに楽旅中のルイ・アームストロングは再び名言で援護しました。
「もしもイエス・キリストが黒い肌で行進をなされば、やはり彼らは殴打するのだろうな。」
 笑顔とハンカチがトレードマークの黒い天使、ルイ・アームストロング、彼が勇気ある正義の人であったことは、日本では余り語られていないけど、米国の小学校では、人種統合が行われた60年代から、学校の授業で習うそうです。
オウ、イエ~ズ!

足跡講座で映画イングリッシュ (The Blues Brothers)

 お盆休みも今日までという方が多いようですね!今年は、夏休みを利用してOverSeasに来られるお客様が多かったです。懐かしい再会♪ 新しいお客様♪ お客様のおかげで、毎日楽しく仕事をすることができました。
 一方、本ブログ、「寺井珠重のInterlude」開設以来早5年!!貯金は貯まらないのに、コンテンツが貯まり過ぎ、ここ数か月間、個々のエントリーをアーカイブできなくなってしまいました。検索しても見つからないとお叱りを頂き申し訳ありません。
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 さて、今回はジャズでなく英語のお話を。先日「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で番外鑑賞した『Blues Brothers』のアレサ・フランクリンやキャブ・キャロウエイの名シーン、文句なしに楽しかったですね!監督のジョン・ランディスはマイケル・ジャクソンのPV「スリラー」も監督していて「音楽を見せる」達人!映画の舞台になったシカゴの出身だから、荒唐無稽なストーリーにリアルな街のムードが出ています。
 私が印象に残ったのは、ソウルフード食堂のおかみさん(Mrs.マーフィー)役のアレサが、お客を装い亭主をバンドに勧誘して、自分たちを育ててくれた孤児院を救済するためにやって来たジェイク&エルウッド(ブルース・ブラザーズ)の注文を取る短いシーン、”Think”の名唱直前のとても短い会話です。私自身ウエイトレスですから、レストランの会話はいつも興味津々。『Blues Brothers』って、ゴキゲンな音楽の聴けるドタバタ喜劇のように思われているけど、人種のるつぼであるアメリカとその文化を理解するのにうってつけの教材なんですよ。
blues_brothers_aretha.jpg 前半のエルウッドのご注文はこんな感じ。
Mrs.マーフィー: May I help you boys? (お二人さん、ご注文は?)
エルウッド: You got any white bread? (白パンあります?)
Mrs.マーフィー: Yes.
エルウッド: I’ll have some toasted white bread please. (じゃあ、白パンをトーストで)
Mrs.マーフィー: You want butter or jam on that toast, honey? (お兄さん、バター?それともジャム・トースト?)
エルウッド: No ma’am, dry. (いいえ、何もつけずドライでお願いします。)

 和訳も不要な簡単イングリッシュ。アメリカのベーカリーで注文する時に役立ちそうです。でも、ここには寓意があります。「白パン (White Bread)」は、中流階級の普通の白人やWASPを表現する隠語なんです。そしてジャムもバターもない「ドライ」は「退屈」っていう意味。ヒップな黒人の経営するソウル・フード食堂にやってきた無骨な白人、エルウッドを食べ物に象徴しているんですね。
 一方、兄貴分のジェイクはムショ帰り、言葉は汚いわ、ムサクルシイ肥満体、でもダンスがめちゃくちゃ上手!ヒップなジェイクは、黒人の家庭料理の代名詞、フライド・チキンを注文するんですが、これは日本人の私たちに、「数詞」の面白さを教えてくれる英語教材です。
ジェイク: Got any fried chicken? (フライドチキンある?)
Mrs.マーフィー: Best damn chicken in the state. (うちのチキンは、この州じゃあ一番よ。)
ジェイク: Bring me four fried chickens and a Coke. (それじゃフライトチキンを4つとコークをくれ。)
Mrs.マーフィー: You want chicken wings or chicken legs? (4つって…ウイング?モモ?どの部位にしましょうか?)
ジェイク: Four fried chickens and a Coke. (丸ごと4羽分のフライとコーク。)
エルウッド: And some dry white toast please. (それと白パンのドライ・トーストね。)
・・・
Mrs.マーフィー: Be up in a minute.(すぐにご用意します。)

 日本語には、名詞に冠詞も付かないし、単複形もないし、不加算名詞、可算名詞の区別もありません。それは、日本語と英語の「数」に対する意識が根本的に違うせいで、思わぬドツボにはまることも。たとえば、犬が好き、猫ちゃんが好きと言うつもりで、”I like dog!””I like cat!”と冠詞なしの単数形を使うと「犬の肉」「猫の肉」を意味してしまい、思わぬゲテモノ好きと思われるのでご注意ください。
 フライド・チキンは、KFCでも1ピース、2ピースと書いてあるでしょう。冠詞のないchikenは、もちろん鶏肉の意味です。なのに”four fried chickens”と複数形で注文するところがオモシロイんです。ジェイクにそう注文されたアレサ、最初は、”four fried chicken wings”や”four fried chicken legs”のつもりだと思うんですが、実は「ニワトリ4羽分丸ごと揚げろ」というとんでもない注文!このやりとり、英語を母国語とする人たちには、最高に笑える会話で、この映画の中でも、最も有名な名台詞で、”Four fried chickens and a Coke”というロックン・ロールバンドもあるらしいです。 映画のシーンを観てない方はこちらをdouzo

 ジャズ歌詞の対訳を作る時も、冠詞や数詞をはっきり解釈して、正しいニュアンスを出す訳文を作ることが肝要です。逆に英訳をする場合は、単複のない日本語の単語を、原文作者に確認しないと、とんでもない英訳になる危険も・・・
 というわけで、夏休みの英語講座でした。
 夏休みが終わっても、OverSeasのライブ、引き続き宜しくお願い申し上げます。
CU

アレサ・フランクリン礼賛

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 土曜日の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に”クイーン・オブ・ソウル”ことアレサ・フランクリン登場!イェーイ!
何で?と不思議に思われる皆さん、トミー・フラナガンとアレサ・フランクリンは、’60年代、コロンビア時代と’90年代に映画音楽で2度も共演しているんです。
まだ信じられないの?そんなら、土曜の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に来てみてください。
 でも気品溢れる珠玉のピアノがお好きな方は、ひょっとしたら、アレサのことをあまりご存じないかも…というわけでちょっと紹介。
<デトロイト私立ノーザン高校 2年B組>
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 フラナガンとフランクリンの共通キーワードはデトロイト。フラナガン(1930-2001)はデトロイトに生まれのデトロイト育ち、アレサ(1942-)はメンフィス生まれですが5歳でデトロイトに移り住み、現在もデトロイト市民です。フラナガンと年齢一回り違いますが、二人とも市立ノーザン・ハイスクールの卒業生です。ご存じのように、サー・ローランド・ハナ(p)やシーラ・ジョーダン、モータウンの重鎮、スモーキー・ロビンソンも同じノーザン高卒業生でした。
aretha-franklin-c-l-franklin-1040kc032111.jpg アレサの父親は米国では歴史に残るバプティスト教の宣教師、C.L.フランクリンで、デトロイトの人種差別撤廃に貢献し、キング牧師と共に公民権運動を推進した偉人でで、講話の達人としても有名です。ダイナミックに呼びかける強烈な説法は、英語が判らなくても感動できる音楽的な魅力に溢れており、何と75枚もの講和のレコードを遺しました。最初の一音から瞬時に聴く者の心を掴むアレサの歌声は、この父から受け継がれたものに違いありません。
 幼いころ両親は別居、子供たちは父のフランクリン師に育てられました。小学校のときから、師がデトロイトに建立したベセル・バプティスト教会で讃美歌を歌い、あの圧倒的な歌声が育まれていきました。黒人社会を代表する名士を持つアレサの環境は、貧しい家庭で、幼いころから売春宿の使い走りをしたビリー・ホリディやエラ・フィッツジェラルドとは少し違います。ただしフランクリン師はキリスト者でありながら、娘たちが世俗的な音楽を楽しむことには寛容で、街で聴こえてくる流行歌を、自宅のピアノで弾き語りしても怒られるどころか、内外からやって来る客人たちの耳を楽しませる役割を務めていました。その中には、マーティン・ルーサー・キング牧師や、ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソン、サム・クックなど著名人が沢山おり、やがてデトロイトのフランクリン師の歌の上手い娘さんの評判が広まって、コロンビア・レコードの大プロデューサー、ジョン・ハモンドに目に留まり、コロンビアの初期の一連のアルバムで一挙スターダムに乗ります。マネージメントは父のフランクリン師でした。
<シビれる歌声>
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 その時代の代表作が『The Electrifying Aretha Franklin』 (1962) で、フラナガンは、マンデル・ロウ(g)やジョー・ワイルダー(tp)とともにスタジオ・ミュージシャンとして参加しています。 Electrifyingとは、感電したみたいにシビレルことです。まだ18才の若さでどこまでもワープするパワフルな歌声と、清らかな歌詞解釈が素晴らしく、無限の伸びしろを感じさせてくれます。
 ちょうど、このレコーディングの頃、アレサは父の反対を押し切って最初の結婚をし、夫がマネージャーとなります。ところが私生活では、彼女に暴力をふるい、女遊びを繰り返す典型的なひどい夫であったようす。そのことを売り物にせず隠し続けていたアレサはエライね。でも、この試練が彼女の歌唱に深みを与えたと言う人も多い。事実、その夫の勧めで移籍したアトランティック・レコードで、アレサは本格的な”クイーン・オブ・ソウル”として大きく開花します。
 公民権法を勝ち取った黒人のパワーを代弁するかのようなオーティス・レディングの作品”Respect”(’68)から、バート・バカラックの”小さな祈り”(’68)、南アフリカでアパルトヘイトに苦しむ人々にとって文字通りゴスペルとなった”明日に架ける橋”(’70)まで、アレサ・フランクリンでしか表現できない音楽世界、ヒットソングが山のように生まれました。ちょうど、私がアレサを好きになったのもこの頃です。まず歌声にシビれ、簡単な単語だけ聞き取れれば、アレサの全てが理解できたように感じられる歌唱は、まさに、お父さんの説教と同じような説得力があるのかも知れません。
<映画二本立て>
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 やがて時代はディスコ・ミュージックへと移り変わり、アレサに新たな試練が訪れます。父のフランクリン師は’79年に強盗に銃撃され、5年間も続くこん睡状態に、アレサは父を見守るためにデトロイトに定住しますが、どっこい、1980年の映画『ブルース・ブラザーズ』にカメオ出演し、”Think”の名唱で、新しいファン層をわしづかみ!アメリカ白人の黒人文化への憧憬一杯の名作映画、名場面の数々は土曜日にしっかりお見せしますよ!
 米国ブラック・ミュージックを代表するアレサの歌声の魅力は、その色合いの多様さです!勿論、エラ、サラ、ビリー・ホリディと言う我らがジャズ界の大歌手も、ヴォイスのカラーパレットは負けずに大きいのですが、色合いが違っていて、ソウル系の明確な転調したときの色彩変化が強烈です。
White_men_cant_jump.jpg 土曜日もう一つ登場するのは、1992年の映画『ハードプレイ』(原題White Men Can’t Jump)の挿入歌、”If I Lose”、これがまた素晴らしい!『サヨナラゲーム』や『タイカップ』など、ひねりの効いたスポーツ映画を得意とする監督、ロン・シェルトン作品、音楽担当がテナー奏者ベニー・ウォレスという面白い映画です。
 テーマになるのはストリート・バスケットボール、1対1あるいは2対2でやる賭けバスケット・ボールのプレイヤーの話で、黒人達が「白人にはまともなバスケはできない(White Men Can’t Jump)という逆人種的偏見を逆手にとって、稼ぐ白人と黒人の二人のプレイヤーたちの泣き笑い物語。そのストーリーにぴったりの歌詞とメロディ、ウォレス作曲、監督のシェルトン作詞、もちろん映画のための書き下ろしで、アレサのふくよかなヴォイスとフレージングが堪能できます。
 というわけで、土曜日はアレサの名唱や、映画の名場面集、それに、クラーク・テリー(tp, flg)の『One on One』では、フラナガンと共に、サー・ローランド・ハナ、モンティ・アレキサンダーとの名演奏も紹介します!

 「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
 日時:8/11 (土) 6:30pm-
 受講料:¥2,625

 おすすめ料理は、ソウルフルな名唱に相応しく、グレービー一杯のビーフ・カツレツをお作りします。
CU

作曲家のキモチ: ベニー・ゴルソン

 暑中お見舞い申し上げます♪
 先週からOverSeasのライブを聴きに来日されていたフィオナさん、寺井尚之の演奏と大阪の街を満喫したウルルンな滞在でした。来日中、寺井尚之のデュオやトリオ、全ライブを心の底から楽しんで、共演ミュージシャン達にも最高の応援をいただきました。
 お忙しい中、はるばる来てくれた彼女にHelloと挨拶に来てくださったお客様、ほんとにありがとうございます。彼女も大喜び!その分別れはさびしかったですね。本日早朝、無事帰国、「夢のような一週間だった」とメッセージを頂きました。私も初めてNYに行った時、トミー・フラナガンやジミー・ヒースといった巨匠の奥さんたちに、たいへんお世話になったので、少しでも同じようにしてあげられたのだったら、最高です。
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 さて、ヘッポコ観光ガイドがお払い箱になり、私も再び日常の業務に。コルトレーン評論家の藤岡靖洋氏とのプロジェクトで、フィラデルフィア時代のジョン・コルトレーンの仲間、ベニー・ゴルソン(ts)の原稿がやっとのことで仕上がりました。ベニー・ゴルソンと面識はありませんが、Five Spot After Darkは高校時代から好きだったし、寺井尚之の愛奏曲も多いし、フラナガン参加の『Blues-Ette』はピアノ教室の必聴盤だし、とても身近な存在です。藤岡氏も何度かインタビューをされていますが、書物やネット上にも膨大な肉声の証言があるので、それらを網羅するのに時間がかかりました。とはいえ、ゴルソンは、演奏に負けないほど話が上手く、どれもこれも面白くてためになるものばかり!それにゴルソンを調べ始めたら、DVD講座でも登場する機会が多くなり、寺井尚之の解説が大変役立ちました。
 明日の「映像で辿るジャズの巨人」ジャズ・ドキュメンタリー、A Great Day Harlem でもベニー・ゴルソンの証言が沢山登場しますから、ぜひチェックしてみてくださいね。ゴルソンは、ホレス・シルヴァーとのトーク場面の冒頭に、こんな面白い話をしています。
 「僕は、よく名曲を作曲する夢を見るんだ。だが翌朝目覚めると、どんな曲だったかすっかり忘れてる。でも或る夜、そんな夢を見た途端に目が覚めた。それで、夜中に慌てて五線紙に走り書きして、それかたまた寝たんだ。次の朝一番に、その曲を弾いてみたら、何となくどこかで聞いたことがあるなと思って…よく考えてみたら”スターダスト”だったよ・・・(笑)」
front1041.jpg “アイ・リメンバー・クリフォード” ”アウト・オブ・ザ・パスト” ”ウィスパー・ノット” ”ステイブルメイツ”…ゴルソンの曲は、どれもメロディが覚えやすいし、口づさみ易い。ところが、長調なのにマイナー・コードから始まったり、基本的な和声進行のルールとは違うものが多いし、コーラスのサイズも変則的なものが多いのですが、聴き手にはとても自然に響きます。
 ゴルソン自身、作曲するうえで一番の基本は和声でなく「メロディ」と言い切っているのも、なるほどと頷けますし、実際に歌詞が付いて沢山の歌手に歌われている曲もあります。
 例えば“アイ・リメンバー・クリフォード”は、ジョン・ヘンドリクスが歌詞を後付して、ダイナ・ワシントンやヘレン・メリル、それにイタリアの歌手、リリアン・テリーがフラナガンの名演と共に録音していますよね。Whisper Notは大評論家レナード・フェザーが歌詞を後付けし、メル・トーメ、アニタ・オデイ、エラ・フィッツジェラルド達が名唱を残しています。この2曲はゴルソン自身が歌詞を付けることを承諾したのですが、基本的に自分の曲に歌詞は不要という主義。『Freddie Hubbard & Benny Golson』の中のドラマチックな作品”Sad to Say”は、大歌手トニー・ベネットが、あの有名なビル・エヴァンスとのデュオ・アルバムを録音する際に「歌詞を付けて歌いたい」と頼んだそうですが、「エヴァンスはイメージに合わん!」と一蹴したそうです。
 それどころか、男性ジャズ・ヴォーカリスト、ケヴィン・マホガニーが”ファイブ・スポット・アフター・ダーク”に無断で歌詞を付けて録音したときには、出来上がったCDを市場から回収させたというから、ハンパじゃありません。トミー・フラナガンもそうでしたが、納得のいかないことは絶対に許さないというのがハード・バッパーなんですね。
 すでに芸術として完結している作品には、余計な付属品は不要なのでしょう。ゴルソンは自作以外のジャズのオリジナルに歌詞がついたのも好きじゃないし、何よりも嫌いなのは、ジャズのアドリブに歌詞を付けるヴォーカリーズなんだそうです。
 とにかく、「向こうは歌詞をつけて歌ってもらって名誉なことだろ。」と言う人も多いけど、ゴルソン自身はまっぴらごめん。熟年になってからは、どうしても必要ならと、自分で作詞作曲しています。
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 というわけで、明日の「映像で辿るジャズの巨人:A Great Day In Harlem」は真夏のハーレムで撮影されたジャズメンの写真を基に作られたとても面白いドキュメンタリー!ぜひお越しください!
 おすすめ料理は「ビーフのパイ包み焼」です!CU