ルイ・アームストロング -フォーバス知事のもうひとつの寓話

 Jazz Club OverSeasで好評開催中、「映像で辿るジャズの巨人」、秋のプログラムにルイ・アームストロングが登場!
 先日、大学で「マンガ」について講義をしている先輩が嘆くには、まんがを勉強しよういう学生が、あの手塚治虫を知らないのだとか。ジャズの世界でも状況は一緒かも・・・。とはいえ、ルイ・アームストロング(1901-’71)という名前は知らなくても、「この素晴らしき世界」のしわがれ声は知ってるでしょう。ニューオリンズで生まれ、万人が楽しめるジャズを広め、世界中で愛されました。「ジャズの王様」「ミスター・ジャズ」「Pops」「サッチモ」…ニックネームの数もハンパではありません。
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 ハンカチ―フで汗をぬぐいながら、まん丸な目(ポップス)と大きな口(サッチモ)で表情豊かに歌い、笑わせ、圧倒的なトランペットを聴かせる姿は、一度見たら忘れられません。世界中の人々が、ジャズよりもビートルズを愛する時代になっても、「ハロー・ドーリー」はヒットチャートのトップに留まり続けました。
 難しい顔つきで腕組みして聴く難解なジャズとは真逆、楽しい楽しいジャズだ、サッチモだ!その反面「ルイ・アームストロングは楽しいだけの音楽家、昔の音楽構造は単純だし、芸術性は浅いんだ。白人に媚を売るさもしい黒人(アンクル・トム)芸人」などと批判する人もいたらしい。
louis-armstrong-house.jpg 同じように、ルイ・アームストロングはビバップを嫌い、ビバップのジャズメンが彼を過去の遺物としていたというのは全くのデマです! 私が寺井尚之と初めてNYに行った時、勿体なくも、車で観光案内を買って出てくれたのがビバップの巨匠ジミー・ヒース(ts)、愛車Volvoを駆ってまず最初に連れて行ってくれたのがクイーンズにあるルイ・アームストロングの自宅でした。(現在はルイ・アームストロング博物館) この赤レンガ作りの建物の前で、彼がいかに偉大な人間であり芸術家であったか、ディジー・ガレスピーがどれほど彼を尊敬していて、折あればこの家を訪ねたか・・・ということを話してくれました。
<リトルロック発言>
 黒人アーティストの例に漏れず、ルイ・アームストロング自身、人種差別の現実に日々直面していました。世界中どこに行っても外国に行けば、どこでもVIP待遇であったのに
公民権法以前の時代は、母国の超一流ホテルに出演しても、そこに宿泊することはできないし、ツアー中は、トイレを借りるにも苦労していたんです。
 公民権運動を金銭的に支援した黒人アーティストは、デューク・エリントンを始め、数多いですが、歴史上初めて公然と強い発言を行ったのは、なんとルイ・アームストロングなんです。
cn_image.size.poar01_littlerock0709.jpg それは1957年にアーカンソー州のリトルロックという街にあるセントラル高校で起った事件が発端でした。チャーリー・ミンガスの”フォーバス知事の寓話”という曲も、この事件へのプロテストです。南部の諸州は19世紀から、所謂ジム・クロウ法に基づいて人種隔離政策を取っていました。有色人種(日本人も有色人種ですよ)は、白人と公共施設を共有することを禁止するという法律です。病院、学校、ホテル、交通機関から、小さいところはレストラン、トイレ、水飲み場に至るまで。どこでも”Colored”という表示のある場所しか入れないし、人種混合の結婚はもちろん御法度、学校も別々でした。ところが、最高裁は「黒人に白人専用のリトルロック高校への入学を許可する」という画期的な裁定を下し、それに従って9人の黒人学生が登校を試みたのですが、反対派VS賛成派の対立で大騒ぎになります。当時のフォーバス州知事は「暴動を阻止するため」という口実で州軍を派兵、彼らを高校からシャットアウトするという異常な状況が3週間続きました。通学を試みる男女の黒人学生は、毎日怒号を浴びせられ、校門に待機する兵隊に阻止されるという考えられない光景に対して、全米の世論も真っ二つ、アイゼンハウワー大統領は、世論に配慮する形で、当初、不干渉の姿勢を取っていました。
<大統領には意気地がない!>
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 そんなビミョーな状況下、ルイ・アームストロングは、ツアー中に行われた記者会見できっぱり発言!
「南部にいる私の同胞に対する仕打ち、政府は地獄に堕ちて当然だ。」
 おまけに、アイクという愛称で親しまれる大統領を、「意気地なしだ!the President has No guts!」と一刀両断!ジャズに造形深い政治ジャーナリスト、ナット・ヘントフは「ルイ・アームストロングの発言が、全米の一流各紙の一面を飾ったのはこれが初めてだったはず。」と回想しています。
 一黒人芸能人が政府と大統領を批判するとは、なんちゅうことをやってくれたんや!と、ジョー・グレーザーを始めとするアームストロングの事務所は真っ青!なんとか謝罪させて、穏便に済ませようとするのですが、サッチモは頑として意見を撤回することを拒否。それまで、「笑顔が売り物の金持ち芸人」と思い込んでいた世間の度肝を抜きました。
 それどころか、国務省の依頼で親善使節として決まっていたソビエト連邦への楽旅をキャンセルすることによって、政府に抗議したのです。なんたる根性、なんたるガッツだ!そんなことをすれば、どれほどバッシングがあるか、仕事を失うだけでなく、下手したら殺されるかもしれないのに、ルイ・アームストロングは意思貫徹!
LSA-P-LouisArmstrong-mainpic-071511.jpg 彼の発言が世論を後押しする形となり、アイゼンハウアー大統領は、陸軍第101空挺師団を派遣、9名の生徒は空挺師団のエスコートで初登校に成功しました。ただし、この黒人学生たちへのいやがらせはさらに続き、公民権法の成立までは何年もかかります。
 その8年後、キング牧師がアラバマ州で「行進」という平和的デモを行ない、警察の妨害を受けます。コペンハーゲンに楽旅中のルイ・アームストロングは再び名言で援護しました。
「もしもイエス・キリストが黒い肌で行進をなされば、やはり彼らは殴打するのだろうな。」
 笑顔とハンカチがトレードマークの黒い天使、ルイ・アームストロング、彼が勇気ある正義の人であったことは、日本では余り語られていないけど、米国の小学校では、人種統合が行われた60年代から、学校の授業で習うそうです。
オウ、イエ~ズ!

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