ショーン・スミス(b)+寺井尚之(p)デュオ:Kindred Spirits

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 NYからやって来た実力派ベーシスト、ショーン・スミスと寺井尚之のデュオ・コンサート、遠くから近くから、沢山お越しくださってありがとうございました!
 サド・ジョーンズの悪魔的難曲「Elusive」の譜面が縁で始まったお付き合いも、早いものでもう10年を超えました。イタリアにルーツを持つショーンは物静かでにこやかな人。NYから日本に向かう飛行機で運命的な出会いをした安紀子さんと結婚してからは、見た目も含めて日本化しているみたい。料理上手な夫人のおかげで、今の好物は納豆やお好み焼き、お箸も完璧に使ってご飯粒ひとつ残さずに、何でもきれいに食べちゃったのにはびっくり!
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 今回のリハーサルはAt Ease! 通訳なしで瞬く間にサウンドがまとまってしまいました!でも、それはショーンが日本化したためではなく、二人ともが、この日のコンサートを大切に思って、しっかりと宿題をやっていたからだと思います。
 前回同様、ショーンは宮本在浩(b)さんのコルシーニとアンプを借りて演奏しましたが、弦高はかなり高くしてました。大事な楽器を快く提供してくれるミュージシャンシップに感激したショーンは、ザイコウさんが右手指切断寸前の大怪我を克服したこともちゃんと調べていて、ベーシスト同士の話題で盛り上がっていました。

《コンサート曲目》
<1st>
1.50-21(Thad Jones)
2.Lawn Ornament ローン・オーナメンツ(Sean Smith)
3.Poise ポイズ(Sean Smith)
4.Minor Mishap マイナー・ミスハップ(Tommy Flanagan)
<2nd>
1. Mean What You Say ミーン・ホワット・ユー・セイ(Thad Jones)
2. Strasbourg ストラスブール(Sean Smith)
3.If You Could See Me Now イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ (Tadd Dameron)
4, Blues for Beans ブルース・フォー・ビーンズ:父に捧ぐブルース(Sean Smith)
<3rd>
1. Bitty Ditty ビッティ・ディッティ (Thad Jones)
2. Minor Piece マイナー・ピース (Sean Smith)
3. もみじ~Japanese Maple ジャパニーズ・メイプル(Sean Smith)
4. You’d Be So Nice to Come Home to~Hitting Home ヒッティング・ホーム(Sean Smith)
Encore: Elusive イルーシブ (Thad Jones)

 作曲家としてグラミー賞にノミネートされたこともあるショーンさんのオリジナルは200を超えるほどあるそうですが、その中でも最高に難しい曲をセレクトして寺井に送ってきました。彼の譜面は音楽ソフトで作ったものではなく、寺井と同じ全て手書き、寺井尚之ジャズピアノ教室の初レッスンで教わるとおりの書き方で書かれています。
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 オリジナル曲中心のライブは難曲であればあるほど、時に難解で退屈になるものですが、仕込み充分の演奏は、さりげなく楽しい味わいになっていて「さすが!」と言った感じ。
 昨年も演奏してくれた「Japanese Maple」をコールすると客席から拍手が湧いたのにショーンがニコニコしていたのが印象的です。
sean_P1020848.JPG  セットを重ねるたびに、演奏は熱いものになっていきました。顔を紅潮させて、唸り声を上げながらプレイするショーンの姿は、オフの時の物静かな表情からは想像すらできません。
 一方、寺井尚之は対照的な涼しいポーカー・フェイスで対抗、だけどポーカー・フェイスのためには、「なんちゅうややこしい曲や・・・」とブツブツ言いながら、相当の稽古をしていたことを、こっそりここに書いておきます。
 ラスト・セットの「Japanese Maple(もみじ)」「Hitting Home」は、この夜のコンサートで特に好評でした。寺井はリハで、「イントロちょうだい」と言われて、普通にイントロを出していましたが、本番になると、「Japanese Maple」には文部省唱歌の「もみじ」を、「胸にグっと来る」と「お家に着く」のダブル・ミーニングがある「Hitting Home」には、ショーンさんがよく伴奏をしているヘレン・メリルのおハコ「You’d Be So Nice to Come Home to」を、何食わぬ顔でイントロに使い、ショーンはニンマリ。
 終演後、改めて「秋の夕日に、照る山もみじ~♪」と夫人に歌ってもらっていたので、今後ショーン・スミス・カルテットの定番になるかもしれません。
 アンコールは「出来るも出来ないも時の運ですが・・・」と、二人の記念すべきサド・ジョーンズ作品「イルーシブ」で大団円、1年半ぶりの共演と思えないほど、こなれたコンサートになりました。
 ショーン・スミスと寺井尚之、互いの演奏スタイルは違っても、気心の知れたキンドレッド・スピリッツ!それは、ザイコウさんが掲示板に書いていらっしゃったように、「二人が先人を尊敬してお互いに尊敬しあっているからこそできた演奏」だったからに違いありませんね。
 終演後は、エディ・ロックさん(ds)や、トミー・フラナガン、レッド・ミッチェルなど、尊敬する先人たちの話題で時間の経つのを忘れるひとときでした。エディさんに息子のように可愛がってもらったショーン・スミスは、兄弟分のビル・シャーラップ(p)やジョン・ゴードン(as)と一緒に、エディ・ロックゆかりの聖ピーターズ教会でトリビュート・コンサートを開催する計画を立てているそうです。11月末を予定しているそうなので、また決まったらお知らせします。
 おつかれさま、ショーン・スミス!来てくださった皆さま、重ねてありがとうございました。
 また来年のお彼岸辺りにコンサートができればいいなと思っています。その節はよろしく~! CU
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左から寺井、宮本在浩(b)、ショーン・スミス(b)、安紀子夫人

レッド・ミッチェル:発明家かジャズ・マンか?

  シルバー・ウイークは楽しく過ごされましたか?寺井尚之は、土曜日のショーン・スミス(b)とのコンサートのレパートリーをプラクティス、プラクティス、ショーンの東京ライブ(守屋純子3)の模様はG先生のブログに載っていましたが、こちら大阪のライブは、一味違ったものになりそうです。 どうぞご期待ください!
 なお、当日は通常通りお食事も召し上がっていただけますのでご安心ください。お勧め料理は寺井尚之特製:「牛肉の赤ワイン煮込」です!
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  ところで、8月からジャズ講座で注目されているベーシスト、レッド・ミッチェル、チェロやヴァイオリンと同じ5度チューニングを使って、ホーン奏者やボーカリストのように歌うサウンドが心の中で響いています。来月10月10日のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」では、トミー・フラナガン+レッド・ミッチェルのデュオ名盤、“You’re Me”が登場しますので、ぜひ来てくださいね!
  レッド・ミッチェルさんには生前何度もお目にかかったことはあるのですが、タートル・ネック姿のにこやかな瞳の奥に一体何が隠れているのか、仙人のようで正体がさっぱり掴めません。ずーっと興味津津だったのですが、最近ネット上に、インタビュー記事を発見、直後にG先生の蔵書から、インタビューの元本("Cats of Any Color / The Return of Red Mitchell” Gene Lees 著)のコピーもちゃっかりゲットして、思いがけず連休中に、空気のきれいな屋外でゆっくりと読むことが出来ました。
 少年時代は発明家を志し、名門コーネル大に入学したものの、兵役後、ベーシストへと人生航路を舵取りし、ジュリアードで破門されてもへこたれず、独自の5度チューニングを開発したレッド・ミッチェルは結婚歴4回、スエーデンに移住し、米国に戻り没しました。ジーン・リースが晩年のミッチェルに訊いたインタビュー、「レッド・ミッチェルの帰還」から、類まれな巨匠、論客の足跡を少し辿ってみましょうか。
<レッド・ミッチェル、そのキャリア>
 レッド・ミッチェルこと、キース・ムーア・ミッチェルは1927年9月20日NY市に生まれ、川向うのニュージャージー州に新興住宅地として作られた町で育ちました。ミッチェルをあまりご存じない方の為に、初期の共演者をメモしておきます。
red_mitchell.jpg  ’48年、ジャッキー・パリス(vo)、マンデル・ロウ(g)と共演、’49年、チャビー・ジャクソン(b)楽団にピアノ兼ベース奏者として加入、’49-’51ウディ・ハーマン楽団に加入しレコーディングする。’52-’54人気ヴァイブ奏者レッド・ノーボのトリオに加入し、ビリー・ホリディ(vo)や、ジミー・レイニー(g)とレコーディングの後、ジェリー・マリガン(bs)4で活動、’57、ハンプトン・ホーズ(p)3で活動した後、自己カルテットを結成する。’59にはオーネット・コールマン(as,tp,vln)と共演。ジャズだけで生活するのが困難になった’50年代終盤からはハリウッドMGMのスタジオOrch.で主席ベース奏者として10年間勤務する傍ら、名指揮者、ピアニストであるアンドレ・プレヴィンのジャズ・トリオなど、西海岸で活動した後スエーデンに移住し、帰米前にはスエーデン王立アカデミーから勲章を授与。
<父の肖像>
 「貧富に関係なく、ジャズ・ミュージシャンの殆どは、大なり小なり、両親の応援のおかげで今の地位がある。」:レッド・ミッチェル
 こう語るレッド・ミッチェルの音楽性には、お父さんの影響が色濃く出ています。
Redbaby_father.jpg  そkっくりなお父さんに抱かれたBaby Red Mitchellhttp://www.redmitchell.com/より。
 ミッチェルの父、ウイリアム・ダグラス・ミッチェルは米国の大手電話会社、AT&T社の重役でした。技術畑の人でしたが、三度のごはんより好きだったのがクラシック音楽でリンカーン・センターのオペラハウスの特等席を50年近くの間、年間予約し、自らクワイヤーを設立し声楽をたしなみました。あらゆるオペラを正しく歌うために6ヶ国語を習得していたといいます。ステレオ以前の時代からオーディオ・マニアで、幼いレッド・ミッチェルにクラシック音楽を盛んに聴かせ、ピアノを習わせました。
 このお父さんが、一般的な音楽マニアと一線を画している点は、音響工学についての科学的な知識が豊富で、それを幼い息子に判り易く伝授したところです。レッドの証言によれば、自宅にパイプオルガンまで手作りして設置したほど凝り症で、その際にしたためた、「パイプオルガンのチューニング」に関する論文は、精度と詳細さで、音響工学の決定版とされ広く紹介されたそうです。ハンパじゃないですね。
 また、レッド・ミッチェルが後の五度チューニング奏法に向かう下地となるような父親とのエピソードが本に紹介されています。
heifetz.jpg ハイフェッツは20世紀を代表するヴァイオリニスト(1901- 87)
 レッド・ミッチェル:「私が、まだほんの子供の頃のことだ。ある日、父親がラジオでヤッシャ・ハイフェッツ(vln) の演奏を聴かせた。父は「ハイファイ」という言葉が出来る前から、高性能のオーディオ装置を持っていた。まだ’30年代初めで、モノラルだったけど、とても良い音質だった。ハイフェッツを聴きながら、父は言った。「これこそ最高だ。彼は巨匠だよ。」
「確かにいいとは思うよ、パパ、だけど、こう言っちゃなんだけど、この人ちょっと音程がはずれてところがあったよ。そこと、あそこと・・・」
父:「なるほど、それが判るとは嬉しいね。お前は平均律を基準にしてるいるからアウトして聴こえたんだよ。ハイフェッツは自然音階を使っているからね。」
「父さん、自然音階って何?」
  またもや僕はラッキーだった。だって父は自然音階と平均率の違いを説明することが出来たんだから。ハイフェッツの三度の音程は、その時、少し「いやらしい」ものに聴こえてしょうがなかったんだけどね。
<発明狂時代>
&nbsp子供の頃から、レッドは発明家を目指し様々な製品を発明しました。最大のヒット商品は、洋服のハンガーの針金で作ったゴム仕掛けの6連発拳銃で、1丁10¢払って近所の子供たちは全員購入したそうです。するとお父さんは、このゴム拳銃で特許を取得するための方法を色々伝授してくれて、レッドに製品化する為の材料やマーケティングを勉強させました。その煩雑さのおかげで、レッドは発明で一攫千金することの難しさを自覚したと告白しています。つまりお父さんは息子に「発明家」という職業の困難さを上手に教えたわけですが、やがてレッドはジャズの即興演奏を通じて、新たな「発明」の喜びを味わうことになります。
<ジャズとの出会い>
 幼い頃から9年間クラシック・ピアノの稽古を続けたレッドでしたが、ピアノの恩師が突然亡くなります。そんな時に出会ったのがジャズ!レッドは大きな衝撃を受けます。
 レッド・ミッチェル:「ラジオで偶然カウント・ベイシー楽団を聴いて、すっかりジャズの虜になってしまった。楽団全体から愛のメッセージが発信されているような音楽だったよ!ダンスなんて今でも出来ないけど、とにかく踊りだしちゃってね、居間で踊りまくった。そして「こういう音楽を演らなくちゃ!」とひそかに誓ったんだ。そして、テナー・ソロが聴こえて来た。その時は、それがテナーサックスかどうかも知らなかったんだけど、すぐにこれこそが世界最高の演奏者だと思った・・・レスター・ヤングだよ。人生の決定的瞬間だ、12才か14才かその辺りだ。
 ベースを演るようになったのは19才の時で、それまではクラリネットやアルトなど、色んな楽器をかじった。」
 その頃のレッドは、まだ発明と音楽の志が相半ばしていて、ホーボーケン(NJ)の工業高校から奨学金を取得し名門コーネル大学へと進学し、学業の傍らピアニストやクラリネット奏者としてジャズの仕事もしていました。
<兵役そして破門>
Red_Armywbass.jpghttp://www.redmitchell.com/より。
 コーネル大では、宿題はサボるものの、結構優秀な生徒であったミッチェルですが、2回生で徴兵されドイツに駐留、その間ピアノ兼ベースでアーミーバンドとはいえ、ジャズ専門の楽団で活動します。そのバンドはトニー・ベネットなどが在籍した名バンドで、レッド・ミッチェルの人生は急速にジャズ・ベーシストとして転換していくのですが、思わぬ難関に遭遇します。
レッド・ミッチェル: 「任期満了で帰国した1947年、私は両親にジャズ・ミュージシャンになるつもりだと話した。それは確かに風変わりな決意だったね。コーネル大に復学すれば奨学金とGI特典によって無料で卒業できることは判っていたのだが、復学するつもりはなかった。当然、家族、友人はこぞって忠告した。
 "もしも音楽家になりたいのなら、少なくともジュリアード音楽院に通って学位を取得しなさい。万一演奏家として成功しなくとも、教師として生活していけるように。"
 それでジュリアードには3ヶ月間通った。私は音楽鑑賞とベース演奏の二つのコースを選択した。私のすぐ後にフィル・ウッズ(as)が入学している。私の成績は音楽鑑賞で最高点のA、ベースでは最低のCだった。3ヶ月間師事したのはあいつだよ。NYでベースを勉強するならあいつしかない。誰かって?フレデリック・ジマーマンだ。ジマーマンはNYフィルの次席奏者で、彼はそのポジションを非常に不服に思っていた。巨匠コントラバス奏者、ヘルマン・ラインスハーゲンのスター格の弟子で、最初は首席奏者だったのに降格されたんだ。ヘルマンは文字通りNY中のベース奏者のボスで、NYフィルのトップ・プレイヤーだった。良い学生も、良い仕事も、全てが彼のものだったんだ。引退時、ヘルマンは自分が持つ全ての権力をジマーマンに譲ったんだ。ところがそれもつかの間で、上層部がフレデリック・ジマーマンを降格した。何故なら、彼にはセクションのリーダーシップがなかった。もちろん優れたベース奏者だったんだがね。私は彼のアパートで演奏を聴いた事がある。私なら彼が私にくれたのと同じCの点をやるよ。
1941_zimmerman-3rd_from_left.jpgミッチェルを破門したジマーマン先生は左から3人目です。
 ここで言っておかなければならないのは、当時私はジュリアード入学前、たった三ヶ月しかベースを練習していない初心者だったということだ。色んな楽器にトライしてみたけど、どれもうまく行かず、だんだんベースが一番向いていることが判ってきた程度だったんだ。単細胞で、常に事物の根底を掘り下げるタイプだからね。月並みに聴こえるかもしれないが、そういう事はとても深い関係があるんだよ。とにかく3ヶ月フレデリック・ジマーマンに師事し、挙句の果てに彼はこう言ったよ。
 「坊や、もう止めとけよ。世の中にベーシストは掃いて捨てるほどいるんだよ。この世界は厳しいぞ。ベースの他にやりたいことは何かね?」
 『発明家です。』私は答えた。
 「Yeah、そいつはいい!ベーシストより儲かるぞ。」
 名門音楽院のベース教師から破門されてから5年後、レッド・ミッチェルはプロのベーシストとして、人気ヴァイブ奏者レッド・ノーヴォ3で活動していました。
その事件はロサンジェルスのクラブで起こります。
<真のベース教師と出会う>
レッド・ミッチェル: 「私がノーヴォやタル・ファーロウと演奏していると、ロマンスグレーの年配の夫婦が現れた。1セット目が終わると、私は彼らに紹介された。なんとそれがベースの巨匠ヘルマン・ラインスハーゲンと奥さんのミュリエルだったのさ!二人は私の評判を聞いて、わざわざ聴きに来てくれたんだ。奥さんがとてもいい人で、僕の車の中でこんな風に耳打ちしてくれた。
 「ハーマンは引退していて、お弟子さんはもう取っていないの。でもね、あなたが頼めば、きっと教えてくれると思うわよ。」僕は、奥さんに礼を言って、そのとおりにした。そして、僕は6ヶ月間に師事することになったんだ。全く素晴らしい先生だった。」
 ジュリアード音楽院でジマーマンに冷たく破門を宣告されたレッド・ミッチェルの才能を一瞬に看破し、弟子に迎えたのは、そのジマーマンの師匠だったんです。人生ってほんとに不思議ですね!
続きは次回!CU

楽しい連休を!

 巷はシルバー・ウィーク・・・OverSeasも明日22日(火)、23日(水)は休業させていただきます。

 25日(金)はSuper Fresh Trio :寺井尚之(p)、坂田慶治(b)、今北有俊(ds)、7pm~/8pm~/9pm~(Liveチャージ 1,890yen)
 26日(土)は、いよいよスペシャル・ライブショーン・スミス(b)+寺井尚之(p)デュオ 7pm~/8pm~/9pm~(当日 6,300yen)
CU on 週末~!

 

Autumn Kisses:George Mraz 叙勲!

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 秋深し、ショーン・スミス&寺井尚之デュオも近づき、スミス夫妻が楽しみにしている「たこやき」を、余りにたこやき屋さんが多くすぎて、どこで調達しようかと思い悩む今日この頃です。
 そういえば、ショーンが「モンスター」と畏敬をこめて呼ぶ巨匠、ジョージ・ムラーツ兄さん、今年はどうしているのでしょう?以前なら、フーテンの寅さんの妹のように心配したものですが、今は公式HPにスケジュールが出ているし、東海岸のギグには必ず付き人のしょうたんがお世話してくれているので、とても安心です。
<しょうたんのムラーツ情報>
 しょうたんによれば、先月はNYのジャズクラブ、「バードランド」で、リッチー・バイラーク(p)5とハンク・ジョーンズ(p)・グレート・ジャズ・トリオに立て続けに出演し、相変わらずの凄腕を発揮、会場をどよめかせたらしい。
 ドイツ在住の旧友、バイラークとのリユニオン・ギグでは、長年のファンの皆さんにはお馴染みの、イタリア製の楽器を久々に弾いたそうです。”カナリア”と呼ばれる、あの明るく饒舌なサウンドは健在だったらしい。ドラムはビリー・ハート、旧店舗のOverSeasでやった時と同じメンバー、あのコンサートも凄かったですね。聴きたかった~!

maestro_george_mraz_shota_ishikawa.jpgNYジャズ業界で、ムラーツの公認アシスタントとして名を馳せるしょうたん、冬休みの年末には、OverSeasに帰って来る予定。土産話と師匠直伝のプレイを楽しみにしよう!
 次のハンク・ジョーンズ、グレイト・ジャズ・トリオのギグには、フランク・ウエス(ts)、ジミー・ヒース(ts)、バリー・ハリス(p)など著名ミュージシャンが多数駆けつけ、会場は超豪華ジャムセッションなったらしい。でも、そういうのが余り好きじゃないアニキは、しょうたん坊やに、ベースを渡そうとして、あわや、《しょうたん、NYデビュー!》の歴史的事件になりそうだったのですが、「ムラーツをはずしてなるものか!」と間髪入れずウイントン・マルサリスが吹き始めたので、タイミングを逃しちゃったらしい・・・でも、しょうたん、またチャンスはきっと巡ってくるからね!
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 永遠の不良少年だったアニキも、9月9日で65歳(!)。愛娘サルカちゃんも結婚したそうで、ムラーツ兄さんがムラーツじいちゃんになる日も近いのか・・・
 そんな中、アニキからビッグ・ニュースが来ました。チェコ共和国のクラウス大統領から直々に、65歳になったジョージ・ムラーツに勲章を贈呈するという知らせが届いたそうです。この賞は、チェコ語で”Zlatou plaketu prezidenta republiky“日本語にすると「大統領黄金名誉賞」というところでしょうか。
 色々調べてみたら、日本なら芸術部門の文化勲章に匹敵する賞で、チェコ共和国の芸術に貢献したパフォーマンス・アーティストに、大統領権限で叙勲するもののようです。
 今回の受賞者は、僅か三名、ムラーツ兄さん以外の受賞者は、ドヴォルザークの曾孫にあたる、「ボヘミアの森の音色」で名高いヴァイオリンの巨匠、ヨセフ・スーク(80歳)と、チェコ演劇界を代表する女優(75歳)ということで、ムラーツは快挙!最年少受賞者でした。
 ムラーツのオリジナルに「Autumn Kisses」というのがあるけれど、今年は大統領からのビッグなキスをもらえるようで、私も誇りに思います。
 OverSeasで商店街のコロッケを頬張るアニキは仮の姿、本国では民主化されたチェコ文化を代表する大文化人であることを、しっかり肝に銘じることにしよう・・・
 ジョージ・ムラーツは10月2日はマサチューセッツ州アムハーストにて、イヴァ・ビットヴァ(vo,vln)とデュオ・コンサート、その後、ハンク・ジョーンズ3で渡欧し、フランス、トルコ、ドイツ、ポルトガルなどをツアーする模様です。
 アニキ、おめでとう!むさくるしいところですが、またいつかOverSeasで演奏してください。
CU
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Sean Smith Live 情報


 9月26日のショーン・スミス(b)との共演を控えて、寺井尚之は稽古に余念がありません。秋に相応しいよいコンサートになりそうです。
 チケットは残りわずかになってきましたので、ぜひお早めにお買い求めください。
 なお、ショーン・スミスを聴きたいけど、大阪は遠すぎて・・・と言う皆様。ショーン・スミスは、東京と岡山で演奏を予定しております。お近くの方はぜひどうぞ!
《ショーン・スミス公演日程》

  • 9月21日(祝) 東京 

Tokyo TUC ”Special Event/守屋純子 Special Trio”
メンバー: 守屋純子(p)
、ショーン・スミス(b), 小山太郎(ds)
開場 4:00pm 開演 4:30pm  (終演予定 7:00pm)
Music Charge: \3,500
(ご予約 3,000yen   学生 2,000yen 消費税込み、その他のチャージ一切なし)

  • 9月26日(土) 大阪

 jazz club OverSeas ”Sean Smith Duo with 寺井尚之”
前売りチケット 5,775yen (座席指定、消費税込み)

  • 9月27日(日) 岡山

  ルネスホール 開場 7:00pm   開演7:30pm
メンバー 松本和将(p), ショーン・スミス(b), 北村吉彦(ds)
全席自由  一般前売り 4,500 yen  一般当日 5,000yen  学生前売り 3,000 yen 学生当日 3,500yen
Check It!
 

忘れられない微笑み <Too Late Now> 対訳ノート(20) 

 大阪の町の片隅にもコオロギが鳴き始め、秋の気配を感じます。皆さん、寝冷えしていませんか?
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 今週土曜日のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」 は、ヘヴィー級作品、“Super Session”が登場します。’80年当時盛んに共演したベースの異才、レッド・ミッチェル、フラナガンが十代から共演した兄弟分ドラマー、エルヴィン・ジョーンズ!横綱級のミュージシャンの三つ巴で、『Minor Mishap』、『Rachel’s Rondo』などフラナガンの代表的オリジナルを含め選曲もヘヴィー級。
 その中で、今日吹く風のように爽やかな余韻を残してくれるバラードが、『Too Late Now』、一昨日のOverSeasでの演奏があまりに素敵だったので、この曲のことを書きたくなりました。
<歌のお里>
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 バートン・レイン作曲、アラン・ジェイ・ラーナー作詞のバラード、『Too Late Now』は歌って踊って恋をするミュージカル映画《Royal Wedding (邦題:恋愛準決勝戦 )》(’51)のサブ・テーマでした。主演フレッド・アステア、ジェーン・パウエル、アメリカで活躍する兄妹ダンス・デュオ・チームがエリザベス現女王のご成婚に湧くイギリスに渡って繰り広げるロマンチック・コメディです。主演のアステアは事実、妹のアデールとコンビで売り出し、妹はイギリス貴族と結婚したという実生活を連想させる映画でもあります。
 なぜ邦題が《恋愛準決勝戦》なのかというと、兄妹二人のロマンス故、人員が計4名なので「準決勝」になったというシンプルな理由が最高!気色の悪いカタカナの羅列ばかりの最近の洋画にも、素敵な邦題を付けてほしいな。
 作曲のバートン・レインは『カシモド』の名引用句としてOverSeasで人気高い『How About You?』や、寺井尚之が大好きなビリー・エクスタイン(vo)のオハコ『Everything I Have Is Yours』などで有名ですね!一方、アラン・ジェイ・ラーナーは脚本家と作詞家の二刀流で筋の通ったミュージカルを作る巨匠、《マイ・フェア・レディ》が余りにも有名です。
 《Royal Wedding》を観たいと思った方は、インターネット・アーカイブというサイトで、最初から最後まで観れます。(ただし字幕はないけど、あまり気にならないかも・・・)ネット社会恐るべし…
 『Too Late Now』はオープニング・タイトルの後半にも使われていますし、上のアーカイブで57分35秒くらいから、妹のエヴァに扮するジェーン・パウエルが歌うオリジナルを観ることができます。  ジャズで演るサイズより最後のA-3部分が2小節多い34小節で歌われています。
 それだけでなく、壁や天井をフレッド・アステアがダンスするシーンや、船上のジムの中のタップは、後のハリウッド映画で何度もリメイクされた歴史的名シーン、ダンサブルなソロを目指すドラマーは必見(16分すぎからは、ジムの中でのダンスシーンが。1時間6分くらいのところからは、壁や天井で踊る圧巻のアステアが。)。
<微笑みを忘れるにはもう・・・>
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 『Too Late Now』は、妹のエヴァと英国貴族、ジョン・ブリンデイル卿の愛のテーマとして、繰り返し流れます。人気ダンサーのエヴァは、アメリカでは次から次へとボーイフレンドをとっかえひっかえしている無邪気な天然プレイガール、でもロンドンに来て、今まで会ったことのない誠実で上品な貴族の青年と恋に落ち、奔放だったエヴァが一途な愛に目覚めたことを告白する歌だったんです。アレック・ワイルダーは著書「American Popular Song」の中で、”シンプルなA部と対照的なサビのB部は驚嘆に値する発明だが、決して小賢さはなく、一度聴くと、これ以外にはない!と思うほど完璧なものだ。”と論評しています。

<Too Late Now トゥ・レイト・ナウ>
Alan Jay Lerner / Burton Lane

あなたの微笑みを
忘れるには遅すぎる。
抱き合い踊ったひととき、
それを忘れて、
誰ともダンスは出来ないの。

忘れるには遅すぎる、
一言で私を喜びで満たす
あなたの声を。
あなたのいない私など、
思うことすら出来ないの。

離れている間は、
二人でしたことを、
指折り数えて思い出す、
優しく楽しい思い出が、
心の中にずっとある。

心の扉を閉じれない。
昔の私に戻れない。
だってもう遅すぎるから。

 作詞者が脚本も同時に担当しているだけあって、歌詞もストーリーに沿ったものになっています。とはいえ、対訳を作っていると、恥ずかしくなるほど甘い甘い歌詞です。ジャズ・ヴォーカルで演っているものは案外少ないし、決定版と言えるものを私はまだ聴いたことがありません。器楽奏者がうまく演ると、却って歌詞の良いところだけが抽出されるのかも知れません。
 歌詞のパンチラインは、冒頭2小節(2行)の”Too late now to forget your smile”に尽きると思う。このインパクトをずっと引っ張って、最後まで持っていくところが凄い。
 一瞬の微笑みで人生がガラリと変わる、そんなことがあるんだ・・・
 土曜日の講座は、人生を色々想いながら、楽しい解説でフラナガンの足跡を辿ろう。
 秋が深まりそうなので、私はチキンと茸を色々使ってクリーム煮を作ります。
 ジャズ講座は9月12日(土)6:30pm~ 受講料:2,500yen (ご予約はOverSeasまで。)
CU

さよなら EDDIE LOCKE (1930-2009)


 私たちが心から愛するドラマー、エディ・ロックさんが昨日逝去されたそうです。
 18歳の時からエディさんを尊敬し親交深かったショーン・スミス(b)(26日にOverSeasで演奏します。)から訃報が来ました。数日前にショーンがエディさんをお見舞いに行った時には、もうほとんど口がきけない状態であったとメールには書いてありました。
 寺井尚之を始めとしてOverSeasのミュージシャン達がエディさんから身をもって教えてもらったことはどれほどあるでしょう。デトロイト出身、パパ・ジョー・ジョーンズの弟子として叩き上げたあのドラミングが今も熱く鳴っています。
 頑固一徹で音楽に対する愛情が溢れていた巨匠、エディさんが初めてOverSeasに来た日のことは一生忘れません。コールマン・ホーキンスのことを熱く語ってくれたエディさん、心からありがとう!もしもジャズ講座の本第5巻をお持ちなら、巻末に彼のインタビューが載っています。

 エディさん、さようなら。そしてありがとう。心からご冥福を祈ります。

生徒会セミナー 満員御礼!

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 寺井尚之ジャズピアノ教室生徒会主催の日曜セミナーが、昨日華々しく開催されました。先週は発表会、今週はセミナーと、寺井門下のエネルギーはすごいです。
 「スタンダード曲をトミー・フラナガンの味わいにするには?」というテーマは講師陣には大変手ごわいものであったと思います。なぜなら、トミー・フラナガンという人は、誰でもがこぞって演るようなスタンダードを好んで弾く人ではなかったからです。
 それでもなお、スタンダード曲をテーマに選んだのはひとえにジャズ初心者の後輩たち想いの心からで、あやめ会長、むなぞう副会長はBeautifulでした。
munazou_lecture.JPG  トミー・フラナガンと個人的に接する貴重な経験を演奏に活かすむなぞう副会長は、アービング・バーリンの永遠の名曲“How Deep Is the Ocean”を取り上げて、フラナガンのピアノは、しっかりと曲の意味を伝えていることを教えてくれました。「音楽は特殊言語」であるということの証明ですね!英語に堪能でスタンダードの歌詞に憧憬深いむなぞうくんの個性が溢れ、後輩たちにも判りやすいレクチュアが大好評でした。
ayame_lecture.JPG  発表会「最優秀賞殿堂入り」の理論派、あやめ会長は、歌詞のあるガーシュインのスタンダード曲“Isn’t It a Pity?”と歌詞のないモンク・チューン、“Ruby, My Dear”を取り上げ、エラ・フィッツジェラルドよりも歌詞をよく覚えていたフラナガンのピアノ的音韻の踏み方や、セロニアス・モンクとトミー・フラナガンのアドリブ・コンセプトの違いを、譜例を出して専門的に解説してくれました。初心者にはかなり難しい理論解説もあったけれど、皆一生懸命に耳を傾けノートを取っている姿も印象的でしたね!充実した内容のレクチュアをありがとうございました。私も勉強になりました。
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 今回一番ノリノリで準備をしていたのが真打 寺井尚之で、いつも自分が演奏しないくせに“ベサメ・ムーチョ”“サテン・ドール”“枯葉”を徹底研究したので解説は舌好調!シンプルで楽しいトークの中に、音楽への愛が溢れていて「今日のテライさんて淀川長治みたいやなあ・・・」ってお客様が笑ってました。
 愛が溢れると、寺井尚之は毒舌もあふれます。ハイブロウなトークの中に、いかりや長助やバキューム・カーも登場して、皆笑い転げてました。
 楽しいセミナーでピアニストたちが学んだことは、「誰でも出来るトミー・フラナガン」みたいなマニュアルはないということです。毎日努力をコツコツと積み重ねるのみ。それを楽しいと思える人、You Are Lucky!
 OverSeas常連の皆様、生徒会にお付き合いくださって、ほんとにほんとにありがとうございます!生徒ではない皆さんがお越しになると、いっそう張り切りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
CU

対訳ノート(19)  東西「枯葉」事情

ph_feuille_jaune_ver_ptp.jpg    発表会が無事終わり、9月6日(日)は生徒会セミナー!教室外のお客様も多数ご予約いただき、生徒会に代わりまして心より感謝します!
 今回のテーマは「スタンダード曲」とあり、日ごろOverSeasでは滅多に聴かない超スタンダード曲、「枯葉」の対訳を色々作るうち、世界中でヒットしたこの曲の歌詞のイメージも、それぞれの文化によってかなり変化することが判って、今までとは違う親近感を持ちました。
<日本の「枯葉」:もののあはれ>
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 日本の「枯葉」は戦後のシャンソン・ブームの代表曲で、その時代の代表歌手、高英夫のシングル盤は、当時破格の10万枚セールスを記録したそうです。さすがに私も、リアルタイムのことは知りませんが、それから数10年後の私の小学生の頃ですら、秋になると「笑点」などのTV寄席で、必ず「枯葉よ~♪ 枯葉よ~♪」と、東西の漫才師や落語家が必ずネタにしているのを、夕御飯を食べながら笑ってました。ジャズ・ファンでなくとも、「枯葉」は超有名な曲だった。
 日本語詞は、イラストレーターとして余りに有名な中原淳一作、高英夫さんの歌唱を聴きとりしたらだいたいこんな感じ。

<枯葉 ジョセフ・コズマ曲/中原淳一詞>
(Verse)
風の中のともしび
消えていった幸せ
底知れぬ闇の中
 
はかなくも呼び返す
・・・
(Chorus)
枯葉よ~ 絶え間なく,
散りゆく 枯葉よ、
風に散る 落ち葉のごと 
冷たい土に・・・ 

 万葉の時代から紅葉狩りを愛でる大和民族の「枯葉」観がここにある。秋風に吹かれる枯葉の散りざまに、恋の終わりを重ね会わせた奇麗な詞ですね。祇園精舎の鐘の声に 諸行無常の響きを聴く私たち日本人にはすごく判りやすい!
<祖国フランスは「死せる葉」>
 それでは、元祖のシャンソンの「枯葉」はどうなんだろう?この曲は元来ジョセフ・コズマ作のバレー音楽で、大戦直後のフランス映画「夜の門」(’45)の挿入歌に使うため、脚本を担当していたジャック・プレヴェールが歌詞を後付けしたもの。この映画で主役に抜擢されデビューを飾ったイヴ・モンタンが歌ったものの映画も歌もヒットせず、後にジュリエット・グレコが歌い世界的にヒットしたそうです。「夜の門」の枯葉のシーンはYoutubeで観ることが出来ますが、円熟期の歌唱とは比較にならない青臭いものです。
prevert.jpgJacques Prevert (00-’77)
 フランス映画が殆どロードショーされない現在ではジャック・プレヴェールを知る人も少ないかも知れない。ピカソ、マチス、シャガールなど20世紀美術の旗手たちと交わり多くの美術書を編纂したプレヴェールは、詩人であるだけでなく仏映画史上を代表する脚本家、ピカソの「青の時代」を彷彿とさせるような映像と名セリフに溢れる名画「天井桟敷の人々」や、OverSeasでは皆が知ってるあのカシモドの「ノートルダム・ド・パリ」の脚本家でもあります。
  詩人としてのプレヴェールの視線は、階級社会にありがちな「上から目線」ではなく、常に庶民と共にあるストリート系。
 原題は「Les Feuilles Mortes」、直訳すれば「死んだ葉」の複数形。日本の「枯葉」というネーミングは、この題名のニュアンスをうまく表現していますよね。でもプレヴェールの書いた「枯葉」は「散りゆく葉」ではなく、ゴミとしてシャベルで集められた落ち葉の塊。普通ならイケていない情景を一遍の詩に仕立て上げた非凡なものだった。原詩はこちら。

<Les Feuilles Mort by Jacques Prevert>
Verse
どうか君よ、覚えていておくれ、
僕たちが恋していた幸せな日々を。
あの頃の人生は美しく、
太陽はもっと輝いていた。
死んでしまった落ち葉がシャベルで積まれ、
道の片隅に捨てられている。
積もる枯葉は、
僕の追憶と後悔の姿(後略)・・・

 歌詞の中の過去の情景には色彩と光が溢れている。逆に、シャベルで積まれた現実の落ち葉には、紅葉の鮮やかさなど無縁なモノクロの風景しか聞こえてこないのです。日本人なら、色のない「枯葉」はまず詩にはしないでしょう。
 私のフランス人の友は、かねてからパリの男は絶対に浮気をするからケシからんと言い、ベルギー人の誠実な男性と結婚しました。それが本当だとすると、この詞に登場する「追憶」も「後悔」も「あんたが悪いんでしょ!」と言いたくなるけど、セミナーで聴く円熟期のイヴ・モンタンの歌唱を聴くと、そんな批判力が吹っ飛ぶ位説得力がありますから、どうかセミナーではトイレに行かず聴いてね。
<マーケティング重視の米国版>
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 生徒会セミナーで、色んなヴァージョンが聴けるアメリカ版の「枯葉」の詞は、偉大なるジョニー・マーサーの作詞。セミナーでは、マーサーがやはり歌詞を後付けして大ヒットした「サテン・ドール」も登場します。
 英語のタイトルは「Autumn Leaves (秋の葉)」と改題し、原作のヴァースの部分は大胆にカットして、コーラスの部分だけにして、ビング・クロスビーやナット・キング・コールでヒット(’52)!数年後、ポピュラー・ピアニストのロジャー・ウィリアムスが、はらはら落ちる葉っぱのイメージのイントロをつけて爆発的にヒットして、ジャズの世界でも大いに演奏されたんですね。

Autumn Leaves by Johnny Mercer>
落ち葉が窓辺を漂う。
赤や黄金に染まる秋の木の葉。
僕は君を想う、
夏の日に交したキスや、
僕がいつも握っていた
陽焼けした君の手を。
(中略)
でも君がいないことが何よりつらい、
枯葉の落ちる季節になると。

johnny_mercer.jpgJohnny Mercer(09-76)  自らうまい歌手だったマーサーの歌詞は、歌い手に実力があれば最高の素材。
 ここで懐かしむ「恋」はひと夏の情事、上の2作に比べて、秋の葉がとてもカラフルに表現され「つらさ」もほどほどといった感じ。
 ゆえに、シャンソン派からは、英語詞はヴァースを一刀両断にし、プレヴェールに比べ芸術性が低い、感傷的に過ぎると厳しく批判されているけれど、J.マーサーらしい自然で丸いサウンドと、実力のある歌手なら歌い上げるのに便利な長い詩節で、なかなか良い歌詞だと思います。
 ヴァースを削り原作のニュアンスを変えたのは、あくまでキャピトル・レコードの重役としてのマーサーの判断かも・・・収益第一のハリウッド映画と同じ発想かな?
 と、言う訳で秋の枯葉の色は、お国柄で色々違う、そしてジャズの演奏歌唱はそれ以上に十人十色です。対訳は、もっとちゃんとしたものを作ってあるので当日お楽しみください!
日曜日の生徒会セミナー、ほとんど満席ですが、参加ご希望の方はOverSeasまでお問い合わせください。(TEL 06-6262-3940)
 なお、牛すじは前回以上の上物を入手したので、給食のカレーもさらにおいしく出来そうです!
CU