対訳ノート(43) クール・ジャパン-”Poor Butterfly”

at-ease-with-coleman-hawkins-cover.jpg  トミー・フラナガンはライブ命のアーティスト、だから、自分が参加した歴史的名盤には、レコードでフラナガンに親しむファンにとって、驚くほど無関心だった。「今の自分が最高なんだ!」という強烈な自負があったのだ。

 とはいえ、そんなフラナガンが終生誇りにしていたアルバムがある。それはコールマン・ホーキンスとの『At Ease』(Moodsville)で、LPのジャケットを居間に飾るほどのお気に入りだった。
  

mickey_mouse_10-834x1024.jpg だが、その録音セッションは、前もって入念な準備をしたわけでなく、スタジオで渡された市販の譜面で録音する日雇い仕事だった。スタジオでの限られた時間内で、凡人なら一生かけても到達不能の深い演奏解釈とアレンジを魔法のように作り上げ、1テイクで出来上がったトラックを集めたアルバムは、一生聴いても飽きない出来栄えだった。大魔法使い(ホーキンス)のリードで、それまで気付かなかった自分の魔力に目覚めるハリー・ポッターがフラナガンだ!

 ホーキンスの音楽的意図を瞬時に読み取り、そこしかないタイミングに、それしかないというフレーズを創造した瞬間の、フラナガンの鼓動が聴こえてくる。

 性を超越した師弟の大きな「愛」さえ感じる即興演奏-これがジャズの醍醐味だ!

「トミー・フラナガンの足跡を辿る」では、このアルバムを文字通り毎日愛聴する寺井尚之が、一瞬の合図さえも読み取って、最高の音楽解説をしてくれました。中でも皆で一番感動したのが日本女性の歌 “Poor Butterfly”

<歌のお里>

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 有名なプッチーニのオペラ『Madam Butterfly (蝶々夫人)』由来のポップソング- “Poor Butterfly”は、大正時代=1916年の古い歌。当時、NYで大盛況を博した’ヒッポドローム’という大劇場のドル箱レビュー-’ザ・ビッグ・ショウ’のために作られた作品だ。

 ’ザ・ビッグ・ショウ’はバレエやオペラなど様々なスターの出演が目玉で、伝説のバレリーナ、アンナ・パブロワが「眠れる森の美女」で登場したことさえあった。

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 その’ビッグ・ショウ’に、異国情緒溢れる日本のゲイシャ・ガールを出演させて歌わせたのが、この歌の初演。次に白人女性歌手が歌い大人気を博した。

 それでヴィクター軍楽隊がレコーディング(1916)、バイオリンのスター、フリッツ・クライスラー(1875-1962)もカヴァー(1917)するほどのヒット曲になりました。

  その後、朝鮮戦争が終わった’50年代後半、映画「サヨナラ」に象徴されるような日本ブームが起こり、それに便乗するかたちでリバイバル・ヒットした。フランク・シナトラ、そして決定版、サラ・ヴォーンの『Sarah Vaughan Sing Broadway』のおかげでジャズ・スタンダードになった。

 < 咲き続ける桜>

 a8a3d63806057a1c1cdab4b257a76f22.jpg   若い皆さんのために「蝶々夫人」のストーリーをちょっと説明しておきましょう。
 舞台は幕末の長崎、アメリカの軍艦に乗って入港したハンサムな海軍士官ピンカートンは、うら若き美貌の舞妓、「蝶々さん」に恋をする。二人は国際結婚し、長崎の地で家庭を持ち、子供にも恵まれた。
 
 やがて彼は「帰ってくる」と言い残し、再び船に乗って旅立った。貞淑な蝶々夫人は、桜の舞い散る屋敷で、来る日も来る日も、ひたすら夫を待ち続ける。

 3年後、長崎に戻ってきたピンカートンの傍らにはアメリカ人の妻が寄り添っていた!

 蝶々夫人は、息子を彼に託し、名誉の自害で果てる。「一巻の終わり」-という美しくも哀しいお話。

 ピンカートンという名前がユーモラスに響き、私の子供の頃は落語や漫才のギャグになっていた。

 この物語の原作は、アメリカ人の弁護士、John Luther Longが書いた短編。色々リアリティ・ギャップはあるものの、満開の桜の花が咲き続ける情景には、シュールな美しさが漂います。

 歌詞のツボは『The Moon and I』のくだりと、一瞬が何時間に何年にもなる時間の経過感、サラ・ヴォーンもコールマン・ホーキンスも、いつまで経っても欠けることのないスーパームーンと桜吹雪が舞い散り続ける夢のような情景がサウンドに溢れます。

 名唱、名演を聴きながら目に浮かぶのは、日本の八千草薫さんが演じた蝶々さん(日伊合作映画 ”Madama Butterfly” 1955)の美しい姿・・・映画もぜひ観てみてくださいね。

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<Poor Buttterfly

詞John Golden/曲Raymond Hubbell (原歌詞はここに

Verse

桜の木の下に楚々と座る
小さな可愛い日本人の物語、
その名はミス・バタフライ。
彼女は愛らしく、無邪気な少女、
立派なアメリカの若者が、海を越え、彼女の庭にやって来るまでは…
満開の桜の下、二人は毎日逢う瀬を重ね、
彼は、アメリカ流の恋の作法を教えました。

それは全身全霊愛する事。

教わるのは簡単でした。
やがて若者は、きっと戻ると約束し、船に乗って行きました。

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Chorus
哀そうな蝶々さんは、桜の下で待っている。
ああ、蝶々さんはこんなに深く愛しているのに・・・

時は過ぎ、ひとときが数時間に、
そして何年も・・・
涙の中に微笑みをたたえ、
彼女はかすかにつぶやく。
お月様と私はあの方の誠実を存じております。 
きっといつかお帰りになる!
もし、お帰りにならなくても、
ため息をついたり、泣いたりなどいたしません。
この命、断つのみでございます!」
なんと哀れな蝶々夫人・・

 

 誠実で貞淑な日本女性、伝統的クール・ジャパンな世界がここに!

 ところが、古来からヴァースを導くイントロには、サラ・ヴォーンのヴァージョンを含め、ステレオタイプな中国のメロディーがくっついていた。

 その譜面を渡されたコールマン・ホーキンスは、即座にヴァース部分をカット! 日本人の魂に響く素晴らしいアレンジを瞬時に施した

 雑味を排し曲本来の良さだけを活かす調理法は和食だ!まさしくクール・ジャパン!

 このホーキンスの魔法を真近で観て学んだトミー・フラナガンどうやら、後年のトミー・フラナガンの名演目の秘密はこの辺りにあるようですがザッツ・アナザー・ストーリー!

 「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は毎月第2土曜日に開催中!是非一度覗いてみてくださいね。

CU

ジャズ大使たちの夏(2)プロデューサー、ゼヴ・フェルドマンのウルルン日本旅行

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 今年の夏、ゼヴ・フェルドマン(Zev Feldman)というレコード・プロデューサーが来日し大阪の下町と大都会、東京でジャズを愛する人達と交流を深めました。皆さんはゼヴ・フェルドマンさんをご存知ですか?彼の名前を知ったのは1年前、彼が共同プロデュースしたトミー・フラナガンとジャッキー・バイアードの痛快ピアノ・デュオ『The Magic of 2』がきっかけです。 制作は”Resonance レゾナンス”という非営利団体のレコード・レーベル、30年前に録音されたカセット・テープの音源を何年もの歳月をかけて丹念に修復したライブ1162.jpg盤は、当時の演奏写真や、大好きなジャズ評論家、ダン・モーガンスターンによる、知的で心のこもった解説文が付いていて、へえ、今どきこんな誠実なアルバム作りをするところがあるんだ! と驚きました。9月にレゾナンス・レコードが制作したジョン・コルトレーン最晩年のコンサート・ライブ『Offering : 魂の奉納』が、大阪の藤岡靖洋氏発掘の音源であったことから、私が日本語版ブックレットの翻訳をさせてもらうというご縁がありました。

ゼヴさんは、この夏、PRと市場調査を兼ねて来日、東京と大阪のレコード店やジャズ喫茶、ジャズ・クラブなどを訪問し、現場の皆さんと大いに交流を深めました。初めて訪れた国で、ジャズを愛する沢山の同志達と、一プロデューサーの立場を越えて交流したゼヴさんのウルルン日本ジャズ探訪記です。

 

<ジャズ・オタク、ゼヴ・フェルドマン> 

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 ゼヴ・フェルドマンさんは’70年代生まれのロック世代にですが、ご先祖さまにジャズやクラシック音楽家が沢山いて、赤ん坊の時からジャズを聴いて育った。なにしろ、叔父さんがAlvin ‘Abe ‘Aaronというサックス奏者で、レナード・フェザーの初版「エンサイクロペディア・オブ・ジャズ(ジャズ百科joe_sonny964077_10201501417881178_1395526792_o.jpg事典)」人名欄の最初の欄に載っていて、大叔父さんがミルウォーキーを代表するサックス奏者Jodeph Aaron(左:ソニー・ロリンズと)、大叔母さんが、ジャズ創世期に活躍したギタリストという家系。子供の頃から勤勉なゼヴさんも、自らトランペットをたしなむミュージシャン系プロデューサーです。ロック全盛の高校時代には完全なモダンジャズ・オタクとなり、女の子に見向きもせずジャズに浸り、ハリウッド青春映画でよく見る「プロム」にさえも行かなかったというから相当重症だわ。 

<ジャズ大国ニッポン>

  その頃、ゼヴさんは、音質、芸術性、カヴァー・デザインなどあらゆる面でクオリティの高いBlue Noteレーベルのコレクターとなりました。気がつけばBlue Noteコレクションの大半が日本からの輸入盤だった!日本盤には、他の国に見られない「帯」というものがついていて、今でも大切に保管しているそうで、すでにプロデューサー的な視点を持っていたみたいです。同時に、日本人トランペット奏者、日野皓正さんをラジオで聴いて感動、遠い日本への興味がますます湧きました。そんなゼヴさんがバイブルとして大切にしている本が「ジャズ批評」刊行の「The Complete Blue Note Book Tribute to Alfred Lion」と (image enclosed) 「The Prestige Book」の2冊ですから、私の周りにもいらっしゃるコレクター達と一緒! 

<メールボーイからプロデューサーへ!>

boyhood_zev1618284_10203301220115109_313561516_o.jpg  大学に進学して大学FM局のパーソナリティになり、インターンシップでポリグラム・レコードへ。レコード会社の郵便室が彼の出発点でした。ゼヴさんの働き方は、昭和のモーレツ社員とまったく同じで勤勉!どんな仕事も喜んでこなし、上司に「もう家に帰れ」と言われるまで働いた。モーレツ・ポリシーは現在に至るまで不変!だからUS時間の深夜、とんでもない時間にしょっちゅうメールが来ます。

  当然ながら正規採用されたゼヴさんは、営業畑の敏腕マネージャーとなり、ポリグラム、ユニバーサル・ミュージック、コンコード・レコードで手腕を発揮、タワー・レコードなどのメガストアを得意先に抱え、若くして営業部長の座に就きましたが、時代の波が大きく変わりレコード店に行かなくてもCDはネットで買えるように…そして2007年遂にタワー・レコード倒産。ゼヴさんはその影響でレイオフされますが、この挫折があったからこそ、プロデューサーという天職に就くことができた。サム&デイヴやバディ・ガイで名高いR&B系”FUEL 2000″レコードの営業部長と共に、レコーディング・エンジニア兼プロデューサーのジョージ・クラビン創設のNPO法人、レゾナンス・レコードで本格的にプロデューサーとして、ジャズの巨人たちの歴史的レコーディングを発掘しレコードとして保存する仕事に従事しています。最初に手がけた『Bill Evans Live at Art D’Lugoff’s Top of The Gate』、ウエス・モンゴメリーの『Echoes of Indiana Avenue』の2作が併せて6万枚のヒットになり、その後に作ってくれたのがトミー・フラナガン&ジャキー・バイアードの『The Magic of 2』で、今回の日本出張が楽しみで仕方なかった!もう今年の初めから興奮していました。

  彼の膨大な日本探訪日記の断片をここに掲載!

=大阪編=

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藤岡さん邸

 

大阪では、コンコード時代からお付き合いの藤岡靖洋氏のコルトレーン・ハウスに滞在。回転寿司や串かつを楽しんだ後、大阪の老舗ジャズ・クラブ、ロイヤル・ホースさんへ。

sawano20140826_203246-2.jpg澤野工房さん

 

 新世界のジャズの名所「澤野工房」さんでは、伝説の澤野由明、稔兄弟とご対面!履物屋さんで特大サイズの下駄もゲットして、CDともに大感激!

 夕方は下駄と作務衣でばっちりドレスアップしてOverSeasにご来店でした。

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ライトハウスさん

 日本橋、老舗レコード店「ライトハウス」さんを訪問、自分のプロデュースした作品が沢山店頭に並んでいるのを観て大感激!コレクター魂を刺激され CDを買い込むうちに、いつのまにかゼヴさんを囲んで大宴会に!杯を重ねるうちに沢山の友達ができたそうです。ジャズに乾杯!

 

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OverSeas

 作務衣と下駄でドレスアップしたZevさん、ホスト役の藤岡さんと共に、OverSeasにご来店! 寺井尚之と宮本在浩(b)によるトミー・フラナガンゆかりの音楽をゆっくり楽しんでくれました。フラナガンやサー・ローランド・ハナが今も生きるジャズ・スポット、当店の様子をフェイスブックを見て、ずっと来たかったらしい。音楽を真剣に聴いて下さってありがとうございました。初対面なのに、長年の友人みたいな人でした。

 

 =東京編=

 

koyama_kiyosi_zev.jpg Zevさんは、児山さんとこれからもぜひお付き合いしたい、とのことでしたので、児山さんと懇意な方がおられたら、どうぞ伝えてくださいね。

東京でのハイライトは、NHK-FMのジャズ番組「ジャズ・トゥナイト」にゲスト出演したこと!

 長年尊敬する児山紀芳さんの番組ですから歓びもひとしお!児山さんが制作したサラ・ヴォーンやローランド・カークなどのコンプリート・ボックス盤はゼヴさんがポリグラム時代に営業を担当した作品です。尊敬する児山さんと一緒にラジオ出演できて本当に光栄だと興奮気味。

 ON AIRは11/1(土)23時~です。NHKFM 『JAZZ Tonight』Check it!

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タワー・レコード

 東京でのもう一つの感動が日本のタワー・レコード!少年時代のゼヴさんには宝の山、業界で働くようになってからは、親しい上得意さまで、弟さんの職場でもありました。それだけに、2006年に米国のタワーが倒産した時のショックは計り知れないものがありました。あれから10年近く経った今でも、タワー新宿店の賑いぶりは、タイムスリップしたようだった。ゼヴさんは、タワーよ、米国に復活を!と強く願っております。

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東京が世界に誇るディスクユニオンJazz Tokyo、そしてタワー・レコードではCD大人買い!
 現場の方々とも親交を深めました。

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shopping20140829_220208-2.jpg 日本でのお買い物のごく一部!

 盟友、キングインターナショナルの関口滋子さんのご案内で念願の「ジャズ喫茶」デビュー!ジャズ通のゼヴさんも知らなかったアート・ペッパー&ソニー・スティットのアトラス盤に感動。ひたすら無言で鑑賞するという「日本流」もめちゃくちゃ馴染めたそうです。

 

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「足跡講座」でお馴染みの後藤誠氏の案内で、神保町のジャズ喫茶「The Adirondack Cafe」さんでは、ジャズ界の名士、滝沢理さんと親交を深め、名物のハンバーガーに舌鼓!

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 最終日はキングインターナショナルの仲間たちと東京ドームで千葉ロッテ+日ハムの野球観戦、日本野球の熱い応援にびっくり!

 疲れもみせず次の寄港地香港に旅立って行きました。

 

 MI0002075955.jpg目下、ゼヴさんは、レッド・ガーランドの未発表レコーディングと、名プロデューサー、ドン・シュリッテンが’70年代に主催したザナドゥ・レコード(Xanadu)の再発プロジェクトに東奔西走中です。私達が大好きなジミー・ヒースの名盤『Picture of Heath』が再発されるとは嬉しい限りです!

 「来年も日本に行けるよう、モーレツに仕事するから待っててね!」ビヴァリーヒルズに優雅な事務所を構えながらも、ゼヴ・フェルドマンはなぜか昭和の香りのするプロデューサーでした!

CU

寺井門下、きんちゃんのベニー・ゴルソン・ライブ・レポート

00_RQT_0251.JPG 関学ジャズ研の伝説的学生ピアニストで寺井門下、サー・ローランド・ハナの演目を大学時代ガンガン弾いていた金ちゃんは、OverSeas長年のお客様ならどなたもご存知の好青年!現在は東京で敏腕営業マンですが、当ブログの「軍師ゴルソン」に興味を覚え、先日東京ブルーノートに出演したTHE QUARTET LEGEND featuring KENNY BARRON, RON CARTER, BENNY GOLSON & LENNY WHITEに行ったよ!とライブ・レポートを送ってきてくれました。

 さすがは寺井門下生、なかなか面白いレポートで私も一緒に聴きに行きたかった!

ということで、本人の許しを得てここに転記させていただきます。

kin-chan.JPG<きんちゃんのライブ・レポート>

・・・先日のInterludeで軍師ゴルソンの功績を紹介されてましたが、
とてもタイムリーでこれは行かねばということで1st&2ndセット通しで楽しんできました。

1. Stablemates
2. Sonia Braga (featuring K.B.)
3. Someday, My prince Will Come (piano trio)
4. L’s bop (featuring Lenny White)
5. You’re My Sunshine (featuring Ron Carter)
6. Cut and Paste (R.Carter作のrhythm change)
7. Whisper Not
Encore. Blues March

 これが1stの演目でしたが、2ndはまさかの1stと全く同じ!!というオチ(笑)
さすがに2ndのアンコールでI’ll Remember Cliffordが出てくるかと期待しましたが、そんな期待をよそに、Blues marchで大団円を迎えたのでした。
 でも、考えてみれば一晩に作曲者本人による1管でのBlues marchを2回も聞けることなんて有り難いなぁとの思いも湧いてきて、85歳を迎えてもゴキゲンに吹きまくるゴルソンの姿を見れて楽しかったです。

 1st&2nd共にほぼ満席で、客層も30代-70代の男女が幅広く駆けつけて大盛り上がりでした。
 (ゴルソンによる次曲のコールで湧き起こる拍手や、各プレーヤーのソロ後にすぐに起こる拍手は、オーバーシーズに匹敵していたと思います!!)

  そして何より、ゴルソンのステージでの立ち居振る舞いが見れたのはとても勉強になりました。
MCのうまさ、ソロ後のバンドメンバーを労う姿には、名バンマス、名マネージャーとしての風格が滲み出ていて、人望の厚さを如実にうかがえました。

 ゴルソンが完全に休んだのは、3と5。2はK.B.をイントロでフィーチャーしといてテーマから加わってました。

 3を始める前のMCでは、「客席のみんなには、マイルスや&コルトレーンの演奏が印象的だろうけども、
このステージにいるメンバーも負けちゃいないよ。聞かせてあげよう! でもワシ抜きのピアノトリオでね。」と言って笑わせてました。

それと、ブルースマーチのイントロではドラムのフィルに合わせて、客席に敬礼をして茶目っ気たっぷりでした。

 あの元気な姿を見てると来年も来日してくれないかなと期待しております。

ところで、オーバーシーズでは田井中さんを迎えられてのライブが凄かったようですね。ブログを読んだだけで、シビれました。無理やり大阪に仕事を作って見に行こうと試みたのですが叶いませんでした(泣)
目下、今度の西の横綱 アキラ・タナさんを迎えられてのライブに行けないか画策中です。

それと、銀太も元気な姿を見せたんですね。(銀太は在NYのベーシスト、田中裕太君、きんちゃんの後輩で、きんちゃん、ぎんちゃんコンビでした。)もう随分彼のプレーを聞いてないので、今どれだけ化けてるのかとても興味深いです。

 長くなりましたが、今年はまだ一度もそちらに顔を出せてないので、年末までになんとか伺いたいです。
季節の変わり目でも何があってもバッパーは体を壊さないでしょうから心配はしておりませんが、お体ご自愛ください。

14.jpgきんちゃん、名レポートどうもありがとう!ご家族と一緒にまた遊びに来てね!寺井尚之ライブのレポートも今度来た時は頼みます!何よりも金ちゃんのプレイがまた聴きたいです。

Big News! Akira Tana 10月ライブ決定!

akira_tana_hisayuki_terai.jpg 先週、ジャズ大使、アキラ・タナさんのお話をブログに書きました。ツアー中、当店のお客様がお世話になったり、色々ご縁もあったり・・・色々あって、「いつかOverSeasに来てください」というお願いが叶うことになりました。

ついさきほど決まったところです!

 10月27日(月)に寺井尚之との夢の共演が実現します

寺井尚之(p)トリオ featuring Akira Tana (ds)
with 宮本在浩(b)

【日時】10月27日(月) 開場:18:00~
MUSIC: 1st set 19:00- /2nd set 20:00- /3rd set 21:00- (入替なし)
チケット制:前売り ¥3,000(税抜)
当日 ¥3,500(税抜) 

今年の夏にNYからやって来て素晴らしいドラミングを聴かせてくれた田井中福司さんが、日系ジャズメンの東の横綱なら、アキラ・タナさんサンフランシスコ在住ですから西の横綱!

 巨匠の貫禄あふれるカラフルで歯切れの良いアキラ・タナさんのプレイ、OverSeasに来て実感してください!

関連サイトはこちらです。

CU!

ジャズ大使の夏(1) Akira Tana

akira.jpgtomoP1080324 (2).jpg 今年の夏も、初めての出会いや再会が沢山ありました。その中には「HPやブログを観てます。やっと寺井さんを聴きに来れました!」という方々も!夏季休暇を利用して、東京から来てくださったスワさん、タナカさん、それに名古屋や甲府からお越しくださったお客様、皆さん、お元気ですか?

 7月末には田井中福司(ds)さんをお招きして寺井尚之、宮本在浩と手に汗握るセッションが楽しめました。それに、かつてスーパー・フレッシュ・トリオの「銀太」としておなじみのベーシスト、現NY在住の田中裕太(b)君が一時帰国、大きな成長ぶりを、嬉しく確かめることもできました。

familyP1080293.JPG 常連様達も、この季節は日焼けしてちょっと違った雰囲気です。 夏休みのない当店も、皆さんに楽しい気分を分けてもらいました!

 一番上の写真は、7月末の猛暑日に、久々にOverSeasを訪問してくれた巨匠ドラマー、アキラ・タナさん。

 アキラさんとのお付き合いはもう30年以上!OverSeasでの初演奏は、確か’80年代中盤、ウォルター・ビショップJr.(p)のトリオでしたが、すでに私達は”Heath Brothers”の一連のアルバムでの、カラフルで歯切れのいいプレイを聴いて、すっかり大ファンになっていました。

 アキラさんはカリフォルニア生まれの日系2世、お父さんは、北海道からカリフォルニアに渡り、の日系人のために仏教寺院を建立した偉いお坊さん、お母さんは、皇室の歌会始に招かれたほどの歌人です。

 米国人として英語で育ったアキラさんは、ハーバード大学と、ニューイングランド音大打楽器科で学位を修め、流暢な日本語は大人になってから習得したという秀才です。在学中からボストンのクラブで、ソニー・スティットを始めとする一流ミュージシャンと活躍!寺井の盟友で、同じ頃ニューイングランドでジョージ・ラッセルに指示していた布施明仁さん(g)から噂は聞いていました。

 The-Heath-Brothers-Brotherly-Love-532355.jpg卒業後、アキラさんはNYに進出、その才能をいち早く見抜いたのがテナーの巨匠ジミー・ヒースでした。“Heath Brothers”のレギュラー・ドラマーに抜擢されてからは、J.J.ジョンソンを始め多くの一流ジャズメンと共演、その後、ルーファス・リード(b)との双頭コンボ、TanaReidを結成、ドラマーとして、またプロデューサーとして大活躍。日本のFM局のパーソナリティとしても人気を博しました。

 ジミー・ヒースやジュニア・マンス達が好んで日系、アジア系のプレイヤーを起用するようになったきっかけは、アキラさんの実力と共に「和を尊ぶ」人間性に惹かれたのではないでしょうか?

MI0001983223.jpg  ここ最近は西海岸のアジア系音楽シーンのリーダーとして、古巣のサンフランシスコを拠点に国際的な演奏活動と後進の指導を続けています。

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 今年の夏、アキラさんは、東日本大震災被災地支援の為に日系人の名手達を集めたバンド「Otonowa=音の輪」を率いて東北の被災地を中心に全国ツアーを敢行。ジャズに無縁な全ての方々に喜んでもらうために「ふるさと」など日本のメロディーをアレンジしたプログラムを用意して、岩手県陸前高田や大槌町など被災地を周り、公演したり学生達とワークショップを開催。最終日には海外特派員協会でも公演し、アキラ・タナとして単独公演もこなすというハードな日程でした。

 OverSeasにやって来たアキラさんは、野外の仮設会場での演奏が多かったせいか、日焼けして一層逞しく、かっこよく見えました。

 「僕達が日本の歌を演奏したらね!地元のお年寄り達が涙を流して聴いてくれたんだよ!!それから一緒に歌ってくれたの!本当に感動した!だから僕のほうが一杯涙を流しちゃった!」と、様々な場所での演奏風景や、地元の皆さんに歓待してもらった沢山の写真と、アキラさんの非日常的な演奏体験に私も感動、涙が出そうになりました。

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 バンドスタンドのアキラさんには近寄りがたい巨匠の風格がありますが、その素顔は本当に気さくで、威張らない人、大切な長年のお友達です。

 

 アキラさん、久々に来てくれてありがとうございました!次回はコンサート・アーティストとしてOverSeasで演奏してくださいね!

 Hi, Akira-san, we are so happy you were here! We are all waiting for you coming back to Japan!