アキラ・タナ Live at OverSeas!

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左から:David Flores(ds), Zaiko Miyamoto(b),Akira Tana(ds),Hisayuki Terai (p)

 この夏、日系米人オールスター・バンド”音の輪”を率い、東日本大震災被災地の応援ツアーを敢行、各地で感動の渦を巻き起こした巨匠ドラマー、アキラ・タナさん、そのときに「ぜひ今度はOverSeasで寺井尚之(p)と一緒に!」というお願いが叶い、10月27日(月)、寺井と宮本在浩(b)とのトリオでライブが実現!素晴らしいゲストの参加、素晴らしいお客様達のおかげで、忘れられない思い出になりました!
忙しい週明けにも関わらず、コンサートに駆けつけてくださった皆様に感謝あるのみ!

 寺井との共演、 「どんな曲を演ったの?」「どんなライブだった?」と興味を持ってメッセージを下さった皆様もありがとうございます。次回はぜひOverSeasに!

=演奏プログラム=

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 <1st>
1. Beats Up (Tommy Flanagan)
2. Out of the Past (Benny Golson)
3. Mean What You Say ( Thad Jones )
4. Pannonica (Thelonious Monk )
5. Our Delight ( Tadd Dameron )

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 <2nd>
1. Almost Like Being in Love (Frederick Loewe )
2. Smooth as the Wind  ( Tadd Dameron )
3. Elora ( J.J.Johnson )
4. Lament  ( J.J.Johnson )
5. Commutation  ( J.J.Johnson )

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 <3rd>
1. Bouncing with Bud ( Bud Powell )
2. With Malice Towards None ( Tom McIntosh )
3. For Minors Only ( Jimmy Heath )
4. Ellington’s Strayhorn  ( Jimmy Heath )
5. A Sassy Samba   ( Jimmy Heath )
(with Special Guest: drummer David Flores )

 Encore 

 どんぐりころころ (Dongri- Bebop)

 

   アキラさんは、ジャズの歴史的巨匠が魅了された「超一流」日系ミュージシャンのパイオニア的存在。名門ニュー・イングランド音楽大学在籍中すでに、レナード・バーンスタインからにソニー・スティットまで、あらゆる分野の音楽家との共演歴がありました。ジミー・ヒースやJ.J.ジョンソン、アート・ファーマーといった巨匠達が、こぞって彼をレギュラーに迎え入れた。そして、彼に音楽的、人間的に大きな信頼を寄せたことが、後進の日本人に大きな門戸を開く結果になりました。
 一方、旧友アキラさんとの共演を待ち望む寺井尚之(p)、久々の顔合わせだからといって、スタンダード曲で安全策を取るつもりは全くなし。お互いの持ち味を爆発させてOverSeasでしか聴けないプレイにしたる!と虎視眈々。寺井流「三本の矢」のプログラムを練っていました。結果は世界レベルの巨匠ドラマーのプレイ、それに心意気の良さが最高に堪能できるセッションに。

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 会場にはドラマー達もたくさん来ていて、この夜は、店内に5つのスネア・ドラムが鎮座。丁度休暇で京都旅行を楽しむ友人のドラマー、デヴィッド・フローレス夫妻がアキラさんに同行し、やっぱりスネア持参!皆がアキラさんに自分のドラムを叩いて欲しいんですよね。結局、スネアはフローレスさん持参の「Brooks」のものを、その他のセットは菅一平さんの所蔵品で演奏することになりました。メキシコ系アメリカ人のフローレスさんは小柄でボクサーみたいに精悍な人、西海岸ベイエリアを拠点に、ランディ・ブレッカーからドナ・サマー・・・、ジャズ、ソウル、R&B、ヒップ・ホップとあらゆる分野で活躍中です。サウンドチェックは、テーマとエンディングの打ち合わせで、僅か10分。この辺りが超一流!

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<やめられないとまらない♪>

 1セット目は寺井ならではのトミー・フラナガン愛奏曲集で、アキラさんにとって初めての曲も!オープニングは超速の”Beats UP”、ドラムはにこやかに悠然とスイング、お客様達が気持ちよさそうにカウントを取っていますが、どうやら一番気持ち良かったのはピアノの寺井尚之で、最初3コーラスと予定していたのに、アキラさんのドラムが余りにもスイングして、気持ちよくなってアドリブがどうにも止められない!結局倍の6コーラス弾いてしまったそうです。
 フラナガンの演目は、どれも仕掛けが沢山あるのですが、アキラさんは瞬時に合わせます。仕掛けをクリアするのがとても楽しそう!どんな凄技も笑顔でやってのけます。トリオのボリューム・バランスも最高、グルーヴもダイナミクスが三位一体!寺井が入れるちょっとしたフレーズにすぐ反応してピッタリ合わせるののは、音楽をよく知っていて、引き出しが多くて、全体の構成を読み取る力がすごいからですね!

<歌うドラムス>

 2セット目は、’90年代にはアキラさんがレギュラーを務めたトロンボーンの神様、J.J.ジョンソンのオリジナル中心。緻密で蟻の這い出る隙もないJ.J.のバンドの決め事は、アキラさんの頭にちゃんとメモリーされていた。ご存知のように、フラナガンは’50年代にJ.J.のバンド在籍しています。2-1はフラナガン時代からの演目で、寺井が同時代に他の曲で使われたセカンドリフを入れると、アキラさんはすぐさま答えます。ツーカーだ!その瞬間、寺井に満面の笑み、客席からは「ほうっ」っと歓声!やっぱりフラナガン通ですね!そして宮本在浩(b)さんのフィル・インが決まると今度はアキラさんがワ~オ!寺井尚之の軽妙なMCと共に、音楽の楽しさが増していきます。

 2-2″Smooth As the Wind”では、ベース・ソロでザイコウさんが”Gone with the Wind”を引用すると、ドラム・ソロからザイコウさんと同じメロディーが聞こえてきて、客席はさらに笑顔と歓声!美バップっていいな。
 一方、奥の席でフローレスさんが立ち上がって真剣にトリオの動きを凝視。皆のリズムの捉え方を観察しているみたい。これは何か起こりそうな雰囲気です。

 休憩中は、CDにサインしてもらおうとお客様が大行列。アキラさんと知り合った頃、彼は英語しか話さなかったけれど、それから勉強して今はバイリンガル、親切で温かい彼の人柄に皆が魅了されていくのがわかりました。

 <ゲスト登場~どんぐりビバップ>

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 3セット目は、アキラさんがブレイクするきっかけになったザ・ヒース・ブラザーズのリーダー、ジミー・ヒースの作品を中心に。ジミーさんはこのコンサートの2日前が88才の誕生日で、お祝いの気持ちもありました。 

sassyP1080640.JPG 3-3でのトリオの疾走感が素晴らしく、今も心に響いています。ラスト・ナンバーは、ジミーがサラ・ヴォーンに捧げたA Sassy Samba! アキラさんが参加したヒース・ブラザーズの名盤、『Live at the Public Theater』(’80)のオープニング・ナンバーです。アルバムでは、名優、テッド・ロスのごきげんなMCで導かれるこの曲、初めて聴いた時は、「世の中に、こんなかっこいい音楽あったんだ!」と度肝を抜かれました。アキラさんのコールでバンドスタンドに登場したデヴィッド・フローレスさん、2人で一台のドラム・セットをシェアするといいます。サッシー・サンバのヒップなテーマから、クライマクスはアキラ+デヴィッド・チームによるリズムの饗宴!立ち上がって歓声を上げるお客様たち!ジミー・ヒースの誕生祝いは2人のドラマーがおいしいところをごっそりと持って行きました。

 鳴り止まない歓声にアキラさんがご挨拶してからアンコールに!

 この夏、「音の輪」ツアーでは、日本のポップスや童謡をジャズっぽくアレンジした演目が東北で大好評でした。ツアー後OverSeasに立ち寄った彼が「ヒサユキさん、『どんぐりころころ』をリズムチェンジで演るとカッコイイよ~!」って何気なく言ったんだそうです。それを覚えていた寺井が打ち合わせなしにルバートで弾き始めた「どんぐりコロコロ」にアキラさんはにんまり!テーマが終わると”Rhythm Change!“と掛け声をかけアドリブに入ろうとしますが、その瞬間、寺井がポーカーフェイスでおもむろにストップ、再びマイクを握りました。
「どんぐりころころ、このメロディーは標準語ですわ。大阪人はこんなイントネーションで言いません。僕は大阪人やからこう歌います。“どんぐりころころどんぶりこ、お池にはまってエラいこっちゃ!…ぼん、一緒に遊びまひょ♪” 」って詠唱、そのまま、ピアノで大阪編「どんぐりコロコロ」を弾き始めたから、もう大笑い!テーマが終わるや否や、そのままビバップのリズム・チェンジに変身して強烈にスイング!みんな大喜び!沢山の「楽しい気持ち」が一つになりました。

 アキラ・タナ@OverSeas、「音楽は皆を幸せにする!」という一番大切なことを、身を持って教えてもらいました!

 アキラさん、デヴィッドさん、素晴らしい音楽をありがとうございました。また会える日を楽しみにしています。OverSeas

ジャズ批評「これがビバップだ」

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 隔月刊:ジャズ批評誌、最新号「これがビバップだ!」特集記事、アルバム100選のうち、5枚を紹介させてもらいました。「ジャズ批評」なんておこがましいですが、初めて雑誌用に書いた短文は、頂いた本を読み返すと、とってもゆるキャラになっていましたが、紹介したアルバム達は、長年聴いても飽きない人生の友ばかりです。

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「ジャズ批評」によれば、巷でビバップ・ブームが再燃しているとか。ビバップを聴くならぜひ当店OverSeasにお越しください!

 

ウエスとフラナガンをつなぐピアニスト

 10月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で聴いた『The Incredible Jazz Guitar』、寺井尚之ならではの音楽の道案内で、この大名盤が示すプレイヤー達の心のやりとりを、皆で楽しみました。

  エロール・ガーナー同様、「譜面の読めない」天才と謳われたウエス・モンゴメリー、でもこのアルバムの”Mr. Walker”はウェスのオリジナルで、しかも細かい仕掛けが細部に施されている。本当は読譜力があるのではないか?と、前々から寺井尚之は疑問を投げかけてていました。

 ところが、寺井への答えは意外にも、最近ネットで公開された1994年のラジオ・インタビューの中にありました。共演作についての談話でなく、「子供の時のお気に入りピアニスト」を語るうちに、ポロリと落ちた言葉の中に答えがあった!こういうところがフラナガンらしい・・・

<アール・ヴァン・ライパーというピアニスト>

graystone-earlvanriper-300x300.jpg Earl Van Riper (1922-2002)

 少年時代(12-13才)のフラナガンは、ラジオやレコードでアート・テイタム、ナット・キング・コール、テディ・ウイルソンを夢中になって聴いていた。時はビバップ以前、豊穣なデトロイトの街にも名ピアニストは多くいて、中でも感動した地元の2大ピアニスト、一人はウィリー・アンダーソン、キング・コールばりの洒落たテイストと完璧なテクニックで、ベニー・グッドマン楽団に誘われたほどの名手でしたが、文盲であることを恥じて、終生地元に留まった。そしてもう一人が上のアール・ヴァン・ライパーという人。

フラナガン:「もう一人、近所に住んでいたEarl Van Riperも素晴らしいピアニストだった。すっきりした芸風で、よりテディ・ウイルソン的で明快なスタイルだった。彼は、やがてクーティ・ウィリアムズやR & B系のクリーンヘッド・ヴィンソンの楽団に入り街を出て、インディアナポリスに落ち着いた。 ウエスの初期の演目は彼が譜面にしたんだろう。ウエスは譜面の読み書きをせず、他の誰かに採譜させて、共演者に渡していたんだ。だから彼が初めてNYにやって来た時も、ちゃんと譜面を持ってきた。あのレコーディング(『The Incredible Jazz Guitar』)に参加できたのは幸運だった。それにしても、この世界は狭いね。生まれて初めて生で真近に見たピアニスト、正真正銘のプロ、Earl Van Riperが譜面を書いていたんだから・・・」

 子供時代の憧れのピアニストが採譜した譜面を元にウエスと初共演したフラナガン、その感慨はどれほど深いものだったでしょう!

incredible20090917155711ca5.jpg このアルバムをプロデュースしたオリン・キープニュースの著書『The View from Within』の中には、このレコーディングの経緯が詳しく書かれています。キープニュースのアドヴァイザーだったキャノンボール・アダレイがインディアナポリスから帰ってくるなり、「どえらいギター弾きが居るから一刻も早く契約しなくちゃ!」と興奮して駆け込んできた。キープニュースは数日後、現地に趣き録音の契約を取り付け、大急ぎでアルバム制作のお膳立てしたそうです。一方NYでは、評判高いウエスがやって来たら、ジャムセッションでボカボカにしてやろうと、腕利き達が手くすね引いて待っていた。でも、ウエスは極端なほど自分の腕を過小評価していて、謙遜深く丁寧な人間だったので、皆の戦闘意欲が萎えてしまうほどだったとか…

 フラナガンとウエスをつなぐピアニスト、Earl Van Riperについて調べてみると、’89年代のヴィデオ・インタビューがYoutubeにありました。

 編集がされていないので、70才のライパーさんの話は、話が前後に飛んで何度も聞き直さなければなりませんでしたが、なんと「日本から帰ってきたばかり・・・」とおっしゃていました。1989年、日本のどこで演っていたんでしょう?ご存じの方、教えてください。

 50分近い彼の話によれば、音楽教師の母の元できっちりとした音楽教育を受けたライパー、最初は演奏よりも読譜力に優れ、ブルースからビバップまで、実に様々人たちと仕事をした。ダイナ・ワシントンの伴奏者を経て、インディアナポリスに9年ほど居住する間にウエス・モンゴメリーやその兄弟達と共演。ところが、デューク・エリントン楽団で歌いたいという歌手志望の白人美女に利用され、彼女の夫に脅されて、ウエスのバンドを辞めなければならなくなった。

 そしてウエスについては、やはりエロール・ガーナー同様、忘我の状態でただただ演奏するという神がかりなものだった。一緒に演っているうちに、そのやり方を自然に会得したように思う、と語っています。でも、彼がウエスのレパートリーを採譜したということははっきり名言していませんが、ウエスのために、バンド全体のコードを整えることに努力し、「バンドのアレンジを置いていくから私が辞めてもなんとかなるだろう。」と言い残して辞めたと発言しています。「ウエスの譜面を自分が書いた」と言わないのは、この時代のプロとしての礼節なのかも知れません。

 このEarl Van Riperの演奏は、最近Resonance Recordsが復刻したインディアナポリス時代の初期ウェスの未発表ライブ『Echoes of Indiana Avenue』に収録されています。このアルバム、夏に来店されたお友達のプロデューサー、Zev Feldmanさんが送ってきてくれたものだったので一層不思議なご縁を感じました。

 トミー・フラナガンの言ったとおり。それにしても、この世界は狭いね!

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Wes Montgomery/Echoes of Indiana Avenue

 

 

 

 誰も言わない名盤の本当の醍醐味、寺井尚之の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は毎月第ニ土曜6:30pmより開催、どうぞOverSeasに来てください!

10/11(土)足跡講座のお楽しみ

あっと言う間に10月突入!エクリプスの赤い月はご覧になりましたか?その夜、OverSeasでは、メインステム・トリオがトミー・フラナガンの”Eclypso”を演奏して、最高の気分が味わえました。  OverSeasが長年開催している「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は’60年に突入。30才になるかならないフラナガンが、長年ジャズの第一線で活躍する絶対的個性を持つ先人達のレコーディングに連日付き合いながら、個性を輝かせ、自分の進む道を見つけていくフラナガンの姿!寺井尚之のリアルな解説で、その時代にワープできるのが足跡講座の醍醐味です。  昨年ネット上に公開されたフラナガンのラジオ・インタビュー(’94)で、次々と大先輩たち録音に付き合う秘訣は「まず、自分の耳を彼らの音楽にチューニングしてから、両手を耳に連動させるようにすること」だとフラナガンは語っています。

<ウエスとフラナガンを結ぶ点と線>

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 今回の足跡講座は鉄板アルバム、ウエス・モンゴメリーの『Incredible Jazz Guitar』(後編)から!フラナガンは上のインタビューで、ウエスと共演できたことを「名誉だった」と語ってる。ウエスは譜面の読み書きができない、言わばギターのエロール・ガーナーのような天才で、レコーディングする以前から、「親指だけで演奏し、コーラス毎に次々とコードを変えていくギタリスト」として、まさにIncredibleな伝説的存在だったそうです。ところが、スタジオで一緒になったウエスはとてもシャイなミュージシャンだったらしい。

トミー・フラナガン「彼はおかしな奴だった。譜面が読めないから、自分のことを良いミュージシャンではないと思っていたんだなあ。彼はその分野の第一人者なのに!殆どの音楽家が一度は学ぶアカデミックな教義に縛られていないのだから。」(『Jazz Spoke Here/Waine Enstice & Paul Rubin著』より)

 レコーディングで初顔合わせしたウエスとフラナガン、この2人の間にはあっと驚く接点があったことを寺井尚之が発見!講座でじっくりとお伝えします。

<ハリー”スイーツ”エジソンの専売特許> 

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カウント・ベイシー楽団時代から、シンプルなのに誰にも真似の出来ないフレーズを専売特許としたハリー”スイーツ”エジソンがフリーランスとなって録音したリーダー作は、その名も『エジソン特許=Patented by Edison』 。“スイーツ”というニックネームは、レスター・ヤングから頂戴したらしい。エディソンさんは、’80年代に神戸のホテルでハンク・ジョーンズやジョージ・ムラーツとのコンサートがあった時に、お目にかかったことがあります。写真よりもずっと長身で分厚い胸板の逞しい方、子供の時に見た「ひょっこりひょうたん島」のブル元帥とそっくりでした。

harry sweets edison.jpg ジョージ・ムラーツが寺井尚之を「フラナガンの弟子です。」と紹介すると、「おお、トミーか!あいつが若い頃、ギグやレコーディングによく使ってやったもんだ。」とおっしゃったので、寺井は思わず「サンキュー!」って言ってました。何よりも印象的だったのが、いかにも上等そうな真っ赤なレザーのトランペット・ケース、そして真近で見せてもらった腕時計!images.jpg

 「スイス製だよ!本物だよ!」って、中にダイヤの粒が、文字通りスイーツな砂糖菓子みたいにコロコロと入っていて、そのお金持ちぶりにも驚いたものでした。

 簡潔な構成に輝く、スイーツの専売特許と、ダイヤの粒のようなフラナガンのプレイ!楽しみです。

<Hipster フランク・ミニヨンのジャイヴな歌詞>

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 さて、これが今回最大の問題作、ヴォーカリーズを得意としたフランク・ミニオンは、『バードランド』などNYのクラブの人気者だったらしい。声はさほど魅力的でなく、この後役者を志したといいますから、ジャマイカン・イングリッシュを売り物にしたヒップなトークが売り物だったのかもしれません。今ならラッパーとして大成功していたかも…  「黒アヘンの街」という叙事詩的な組曲は、NYのストリートの魅力を怪しい魔女にたとえたもの。ヒップな歌詞の面白さをお伝えするため、初版に更に修正を加えました。ヒップな歌詞の魅力が伝わるかな・・・?

 というわけで、足跡講座は10月11日(土) 18:30より開催。

講師: 寺井尚之

受講料:2,500円(税抜)

初めてのお客様も歓迎いたします。

トミー・フラナガン・トリビュート 11/15(土)開催

tf-84_2SCN_0051.jpg この写真は、1984年12月14日、OverSeasで行った初トミー・フラナガン・コンサートのものです。来日時は、大ホールかジャズフェスティバル、あるいは超豪華ディナー・ショウが公演場所だったフラナガン・トリオが初めて小さなジャズ・クラブに出演した歴史的な夜でした。寺井尚之にとっては、「自分の腕を磨くのに精一杯」と弟子入りを断られた時から10年、ようやく弟子入りを許された悲願達成の日でした。

 あれから30年(!) フラナガンが亡くなって13年、年は取っても「トミー・フラナガンの音楽を伝えたい!」寺井尚之の熱意は高まるばかり!

 トミー・フラナガン(1930 3/16- 2001 11/16)の亡くなった11月恒例のトリビュート・コンサート、今年は命日の前日11月15日(土)に開催いたします。

 生前のトミー・フラナガンの名演目をフラナガンから受け継ぐアレンジで!演奏は、もちろん寺井尚之のレギュラー・トリオ、宮本在浩(b)、菅一平(ds)を擁するメインステム!

 フラナガンが遺したデトロイト・ハードバップでジャズ・ピアノの醍醐味を!

皆様のお越しをぜひお待ちしています!

第25回Tribute to Tommy Flanagan

演奏:寺井尚之メインステム・トリオ:宮本在浩(b)、菅一平(ds)

【日時】11月15日(土)

【会場】Jazz Club OverSeas アクセス

(開場:18:00~) MUSIC: 1st set 19:00- /2nd set 20:30- (入替なし)
チケット制:前売り ¥3,000(税抜 座席指定)
当日 ¥3,500(税抜)