ジャズクラブの片隅から:Unusualな或る夜の情景

 デトロイト・バップの聖地として知られるOverSeasは、通常バンドスタンドも客席もきわめて硬派。でも、こんな華やかな夜もあります。
スーパーフレッシュ・トリオ寺井+田中裕太(b)+今北有俊(ds)
 客席は殆ど女性、それも美女ばっかり!寺井尚之(p)と共にバップの道に進もうとする勇敢かつハンサムな若武者達、田中裕太(b)くんと今北有俊(ds)くんのおかげみたい!スーパー・フレッシュ・トリオ、略してSFTと呼ばれてます。硬派といえど、華やかな賑わいに寺井尚之もニッコニコ。
スーパー・フレッシュ・トリオ スーパーフレッシュな田中裕太(b)と今北有俊(ds)と!
 私の幼なじみでジャズ初体験の友達も来てくれました。「ほんまに楽しかったわー!生演奏てええね。拍手するとこがよう判らへんけど、あの子らええ感じ!また来るわ。」とすごく喜んでもらえて私もハッピーやわ!
   中にはこんな美少女も!
Mayuちゃんと
 当店最年少常連様のMayuちゃんはまだ小学4年生のバレリーナ。ママは美貌の元タカラジェンヌ、パパは元アメフト選手、パノニカことヤマグチ・マダムのお孫さんです。一番のお気に入りは寺井尚之の弾くStar Eyesで、Mayuちゃんのテーマ・ソングになっている。
   ベビーカーでOverSeasのライブに来ていたMayuちゃんは、生後数ヶ月でトミー・フラナガンの最後の来訪に遭遇、その時は、ダイアナにあやされながら、トミーのピアノをニコニコ聴いていた。そんなプリティ・ベイビーも現在身長165センチ!(清原でも、この年には160センチしかなかったのに・・・)私は後1センチで追い越される…やばい!でも月日の経つのは楽しい!
tommy531.jpg’00 3月:後ろに小さく写っている赤ちゃんがMayuちゃんとご両親。
  昨夜は、宮本在浩にいさんや、若手の坂田慶冶君も、ライブをチェックしにやってきて、ベーシスト同士でエール交換!
ザ・ボトムラインズ  意気揚々のベーシスト達です!左から坂田慶冶、田中裕太、宮本在浩
 毎晩それぞれに楽しいOverSeasの情景…
今晩は、ベテラン倉橋幸久(b)と菅一平(ds)、渋目の夜になりそうです。
CU

巨匠達のDear Old Osaka


 左から:ルーファス、メインステム:菅一平(ds)、宮本在浩(b)、そして今年NYに行く田中裕太(b)、スタンリー、寺井尚之
 27日に大阪御堂会館で、チャールズ・トリヴァー・オールスター・ビッグバンドのコンサートが!うちの常連様たちが大勢行っておられて、皆さん、ビリー・ハーパー(ts)達、実力派が揃った白熱のプレイに感動しておられました。東京で充実のコンサートに行った仲間も、HPの掲示板のためにレポートしてくれました。私はお店があるので行けなくて残念・・・
ルーファス&ベーシストたち    左から、宮本在浩、ルーファス、田中裕太、
ルーファス・リードはいつも若いベーシストたちへの指導や励ましを怠らない心優しき巨匠です。

   コンサートがハネた後、久しぶりに大阪に来たスタンリー・カウエル(p)ルーファス・リード(b)を迎えて、二人をこよなく愛する常連様や寺井尚之ジャズピアノ教室の生徒達、ミュージシャン達が集まり、深夜、ささやかな歓迎会を催しました。
NYアップステイトのゴルフ・コースで その昔NYで、アップステイトまでドライブで連れて行ってもらったことも。(’89)

 ルーファスとは10年ぶり、スタンリーとは15年ぶり!本当に久しぶり!大学の大先生になるまでは、頻繁に来日し、殆ど毎年OverSeasでコンサートをやったり、アフターアワーズに遊びに来たり・・・スタンリーは自宅に泊りに来たこともあります。浴衣を貸してあげたら、膝丈になってびっくりしたのを覚えてます。あれから10数年…テンパス・フュジット、月日の経つのは速い。
 でもOverSeasの長年の常連様は、二人がOverSeasで聴かせてくれた名演の数々を決して忘れてはいなかった!
 寺井尚之The Mainstemは歓迎に、二人を迎えられた喜びを表して、タッド・ダメロンのOur Delight と、スタンリーのおハコだった超速のJust One of Those Thingsを演奏!私は、特製スパイシー・スペアリブや地鶏のローストを心を込めて作った。それにパノニカ・マダムが差し入れてくださった中央卸売市場のお寿司に舌鼓。15年前のマダムとのツーショット写真を見てウルウルしたり、マイクを持った寺井尚之の思い出話にうなずいたり笑ったり・・・何よりも、皆の笑顔と温かい歓迎に、二人は大喜び!
「スタンリーは昔はもっと大きかったけど、年とって縮みはった。(ルーファスが“シーッ”とジェスチュアで最高のオブリガード)・・・しやけど、わしも髭と頭が真っ白になってしもた。わしらみんな同じように年取りました・・・(爆笑の歓迎スピーチで。)…
 スタンリー・カウエルは、フラナガン師匠やハナさんと同じように10th ボイシングを駆使し、ブラック・ミュージックならではの重厚な威厳のあるサウンドを聴かせることの出来る最後の巨匠や!(寺井尚之)
 
オバンになった私を二人に見られるのが恥ずかしかったけど、再会できた喜びはそれ以上!口では言えないくらい嬉しかった!歳を取るのはいいもんだ!
 翌日、移動で忙しい中、二人からお礼のメールが来ました。昔の仲間が集まって、温かなメッセージをくれた事に二人とも感激したと書いてありました。
  あれほどの巨匠達を感動させた皆のホスピタリティはすごいね!OverSeasは、自慢じゃないが豪華なものは何一つないけど、お客様たちのヒップな心意気が、うちの誇りです。
 ぜひいつか、スタンリーやルーファスのコンサートをやりたいものです。その時はぜひ皆さんも来て下さい。
 今夜の東京でも沢山の皆さんが、スタンリーの圧倒的なピアノと、包み込まれるようなルーファスのパルスと音色を楽しんでくださるように祈ります。
CU
 

速報:第16回寺井尚之ジャズピアノ教室発表会


 いつも大阪女子マラソンと同じ日に開催する、「寺井尚之ジャズピアノ教室」冬の発表会!
 初出場の新人たちから、10年選手で努力賞&最優秀賞殿堂入りのあやめ会長まで、それぞれのすごいプレイが一杯聴けました。
 花束  今回もこんなに豪華なお花がパノニカマダムから贈られて、コンサートの雰囲気も盛り上がります。
けんちゃんと司会スズコちゃん  司会進行も生徒で皆やっちゃう手作りコンサート!
鷲見和広さんありがとう 今北君ありがとう!
 今回もタキシードで友情出演の鷲見和広(b)さん(写真は私服で応援中のところです)や、若手ドラマー、今北有俊さん(右)も、応援団!
 審査委員長、寺井尚之は全身全霊でプレイを聴いて、細かく解説。面白くて、演奏者でなくても、とってもためになります!

 今回のパフォーマンス賞、マーシー君!

 賞をもらった人も、もらわなかった人も、私には皆すごかった!かっこよかった!

各賞受賞者 (次点は省略)
*新人賞: マーシー、ユータ
*努力賞:サポートしてくれた宮本在浩(b)、菅一平(ds)
*パフォーマンス賞:マーシー
*構成賞、*アドリブ賞、* タッチ賞、*スイング賞:全てあやめ会長
*最優秀賞 :預かり 

 写真家
You-non氏の名ショット満載の発表会レポートは近日HPにUPします!乞うご期待
皆様、お疲れ様でした!!
CU

楽しみな発表会!

リハーサルにて
 明日は「寺井尚之ジャズピアノ教室」の発表会。もう16回目になりました。寺井尚之は、皆のプレイを全身全霊込めて聴き細かく講評。こんな発表会は珍しいと、教室外の方も楽しみにして聴きに来てくれます。
   レッスンには笑い声や汗や涙が一杯。皆一生懸命やっているから、うまく行けば嬉しい!反対ならば悲しい!ザッツ・ライフ!ジャズ・ライフ!
 ピアノの道は山あり谷あり、色々あるけど、稽古の成果が発揮できればバット・ビューティフル!
リハーサルにて音楽っていいものだ!寺井尚之がレッスンをしてくれていてよかった! そう思わせてくれる発表会、明日開催。
 皆しっかり楽しんで!宮本在浩(b)さん、菅一平(ds)さんの心のこもったサポートを楽しんで!倍音弾けるピアノならではのサウンドを楽しんで!スイングしてね!
 フレー、フレー!私もしっかり応援します。(輝く皆の表情は、本番を控えたリハーサル&レッスン中)
 バップ・チューンや生徒たちが「大師匠」と呼ぶトミー・フラナガンの演目が並ぶプログラムはこちらです。
Enjoy!

パノニカに夢中:「三つの願い」を読みながら(その2)

若き日のパノニカ夫人パノニカ男爵夫人(1913 – 1988)
<20年前の謎>
 パノニカが亡くなったのは、今から20年前の12月のことです。今週から日本ツアーのスタンリー・カウエル(p)は、ちょうどその冬の日、J.J.ジョンソン(tb)クインテットで来日していた。大阪でスタンリーを迎えた時、開口一番彼が口にしたのがそのことでした。
   「タマエ、パノニカが手術の最中に亡くなったんだよ。そしてチャーリー・ラウズ(ts)も同じ日に逝ってしまった!ああ、何てことだ。ほとんど同じ時間に天に召されるなんて。ニカの本当のソウル・メイトは、いつもモンクのそばにいたラウズだったんだなあ、J.J.ジョンソンたちはそう言ってるんだ…」
  ごった返すホテルのロビーで、会話はそれきりだったのですが、それ以来、パノニカという女性は、私を魅了して止まない『謎』の人となりました。
チャーリー・パーカーチャーリー・パーカー(1920 – 1955)
<闘士は中傷に屈しない>
   パノニカ男爵夫人が有名になったのは’55年のことです。警察絡みの二つの事件に次々と巻き込まれ、「ジャズ男爵夫人」としてマスコミの餌食にされてしまったんです。
   まずチャーリー・パーカーの死:麻薬で体も心もボロボロになったチャーリー・パーカーが、入院を嫌いニカに助けを求め、彼女のホテルで静養中、突然吐血してそのまま亡くなったという事件。(当時のアメリカの人種差別体制での病院の黒人に対する扱いを考えると、入院を拒むのは不思議ではありません。)ビバップを生んだ天才チャーリー・パーカーを助けるのは、彼女には至極当然のことでした。でもスタンホープ・ホテルの医者は、黒人である故にパーカーの診療を拒み、マスコミは女性のホテルの部屋での「変死」「怪死」と大騒ぎしたんです。時代とはいえ、ひどい話です...
   そしてもうひとつは麻薬所持、ニカがロード・マネージャーとなり、セロニアス・モンクとチャーリー・ラウズをベントレーに乗せ、南部をドライブ中、警察に不審者として取調べを受けます。何しろ都会しか知らないイギリス貴族、南部がどれほどNYと違うかなんて彼女は知らなかった。ニカのバッグからマリワナが発見され、麻薬法違反で、留置場に繋がれ三年の禁固刑を言い渡されます。欝状態で尋問に答えないモンクは警棒で殴打された挙句キャバレー・カードを剥奪されました。結局ニカは多額の弁護費用を払い、兄や知識人達の運動で告訴を取り下げさせるのですが、彼女のジャズ嗜好は、タブロイド誌によってセックスとドラッグに結び付けられてしまいます。中傷にまみれたパノニカは、ジュール男爵の名誉を傷つけない為に離婚し、ロスチャイルドの親戚達からもうとまれることになりますが、彼女のジャズとジャズメンに対する友情は決してゆるがず、一生ジャズメンを援護し続けたんです。ドナ・カランやオメガ…’90年代、ジャズを援護した企業スポンサー達の逃げ足の速さをごらんあれ。これは並のパトロンやタニマチのレベルを遥かに超えたもので、凄い女傑です。
<兄に導かれたジャズ>
 元々ニカにジャズの楽しさを教えたのは、仲良しの兄、ヴィクター・ロスチャイルド男爵だった。クラシック・ピアノの素養がある兄は、戦前からジャズ好きで、ベニー・グッドマン楽団の大ファンだった。楽団がロンドンに来ると、自宅にテディ・ウイルソンを招いてはピアノ・レッスンを受け、ニカは横で兄のレッスンを見物、レッスンの後はテディ・ウイルソンのプレイを楽しんだそうです。
victor_rothchild.JPGニカの兄、ヴィクター・ロスチャイルド男爵23歳の時
   第二次大戦が始まると、ヴィクターは英国チャーチル首相の特使として渡米、ルーズベルト大統領とチャーチルの橋渡しをして、大戦を勝利に導く仕事をしながら、アート・テイタムやテディ・ウイルソンと親交を保ちました。このヴィクター卿は、20世紀を陰で動かしたロスチャイルド家の当主として非常に有名な人物です。IQ180以上の天才で、一説に英国秘密諜報員MI-5、また冷戦中は、ソ連KGBのスパイであったとも噂されている。銀行家の息子でありながら金融界に入らず、戦後はケンブリッジ大で動物学者として教鞭を取っていますが、その素顔は謎に満ちている。パノニカに負けないほど興味をそそられる人です。
<大使の妻として>
ケーニグスウォーター男爵レジスタンス時代の夫との写真をニカはずっと持ち歩いていたという。
  大戦後、パノニカは、大使となった夫や子供たちと、メキシコやノルウエイに赴任しました。庶民の私から見れば、レジスタンスに命を賭けて勝ち得た平和な外国暮らしは最高に思えるのですが、パノニカにとって大使夫人としての生活は、地獄のように退屈だったそうです。
 
 末息子のパトリックはNYタイムズにこう語っています。「母は芸術を愛し、性格的には大雑把、時間にルーズ。それに対して父はジュールは几帳面で厳格、母の趣味を受け容れようとしなかった。」
 ジュール男爵はジャズが大嫌いで、大使公邸ではジャズを聴くことも出来なかったとニカは言っている。戦時に、ぴったり一つだった夫婦の心が、平和になると離れていったのは皮肉ですね。
<ジャズ男爵夫人の誕生>
ニカと愛車ベントレーとモンク
 ’52年、ニカは長女を伴い夫と離れNYのど真ん中、五番街のスタンホープ・ホテルに居を構えます。兄のピアノの師匠、テディ・ウイルソンのアパートを訪ねた時に、聴かせてもらったレコードがセロニアス・モンクの『ラウンド・ミッドナイト』だった。彼女は感動の余り泣いたと言います。二年後、モンクが懐かしいパリでコンサートをすることを知ったニカは、自分もフランスに飛び、メアリー・ルー・ウィリアムズ(p)を通じて、モンクとの友情が始まります。ニカが41歳の時でした。
 
  以来、彼女のパトロンとしての生活が始まりました。コールマン・ホーキンス、トミー・フラナガン、バリー・ハリス、ライオネル・ハンプトンなど名だたるミュージシャンが彼女のベントレーに乗り込み、共にジャズクラブを梯子し、クラブが閉店すると、彼女のスイート・ルームでジャム・セッションが始まります。
 ジャズメンから仲間として迎え入れられたニカは、彼らの生き様を観ながら憤懣を感じます。
パノニカ:あれほど素晴らしく才能豊かでクリエイティヴな芸術家であるジャズメン達が、なぜいつも職がなく、困窮しているのか?私には全く理解しがたいことでした。 (Live at the Village Vanguard/ Max Gordonより)
 そして、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの為に、自らミュージシャン組合に加盟、上等のブルーのタキシード8着を誂え、エージェントとして働こうとするのですが、結果は惨憺たるものだったとニカは告白しています。ジャズメンが芸術家として活動できるようと試行錯誤の末、彼女はマネージャーよりも、パトロンとしてジャズメンを支援する道を選んだんです。パトロンというものは、モーツァルトの昔から、往々にして芸術の真髄を理解せず、自分の趣味を押し付けたりするものですが、、ニカは懐が深かった。ゴマをすることが一番嫌いなトミー・フラナガンが彼女にあれほど素晴らしい曲を献上しているのが一番の証拠です。
<パノニカの功績> 
 マスコミに叩かれ中傷されてもニカのジャズメン援護の信念がゆらぐことは決してありませんでした。
 ジャズ・クラブの出演者に義務付けられていた指紋押捺の条例を市長にかけあって廃止させたのも、ニカの功績だし、南部の事件で剥奪されたモンクのキャバレー・カードを再発行させて、モンクのカルテットが”ファイブ・スポット”で開花させたのも、ニカのおかげなんです。
 ニカのミュージシャンへの支援は単に金銭的なものだけでなく、心のこもったものだった、晩年のコールマン・ホーキンスが病で倒れた時、彼のアパートの冷蔵庫を常に食料で満たし、電話を至る所に据えて緊急連絡が出来るようにしたのもニカです。貴夫人でありながら、近所のおばちゃんみたいに気が利いていますよね。
<セロニアスとニカ>
ボリヴァー・ホテルから
 セロニアス・モンクは、自宅が焼失した後、家族全員でニカのホテルに移り住みました。ニカはモンクのために、スタインウエイのグランドを調達し、ツアーで街を離れるときは国内外に関わらず、ニカと長女のジェンカ、モンクの妻ネリーが同行しました。 
  ニカとモンクの間は純粋にプラトニックなものだったそうです。モンクの妻、ネリーはニカのことを、自分と夫の数少ない親友のひとりで、掛け替えのない人と言っています。
 ’60年代、ニカは居心地の悪いホテル住まいを止め、マンハッタンの川向、ウィーホーケンと呼ばれる郊外に、ハドソン川と摩天楼が一望できる邸宅を購入しました。「3つの願い」に載っているミュージシャンのくつろいだ写真の大部分はキャットハウスと呼ばれるその屋敷でニカが撮影したものです。キャットハウスという名前は、ジャズ・ミュージシャン(cat)が集まるだけでなく、動物愛護家のニカが飼っていた100匹以上の猫に由来しています。モンクは晩年、’73からキャットハウスに住み、そこで息を引き取りました。ニカ亡き後、現在その屋敷にはバリー・ハリス(p)が住んでいます。
 そこで、初めのスタンリー・カウエルが発した言葉に私は立ち返ります。・・・「ニカのソウルメイトはモンクではなくラウズだったんだ…」
 彼女の親族で昨年BBC放送でニカのドキュメンタリーを制作したハナ・ロスチャイルドのタイムズへのコメントに、私の謎を解くひとつの鍵が載っていました。

「ニカには、愛する父親が自らの命を絶つほど苦しんでいるのを見ながら、幼い自分には助けることが出来なかったったという原体験がある。精神を病み苦しむモンクの姿に父のイメージを重ね合わせ、今度は助けたいと強く思っていたのではないだろうか。」

 ニカは父を助けられず、その後多くの親族や友人をホロコーストで亡くしました。そして、セロニアス・モンクは、チャーリー・パーカーやバド・パウエルを始めとする多くの同志達を、暴力や麻薬で失っています。モンクの心の底にある深い悲しみを誰よりも理解したのはニカであったのかもしれません。
 チャーリー・ラウズ&セロニアス・モンク  
 「三つの願い」の表紙も、モンクとラウズのツーショットです。様々なモンクが遺したカルテットのレコーディングや映像を観るにつけ、チャーリー・ラウズ(ts)のプレイが、モンク・ミュージックを完璧に理解する最高の共演者であったことは、寺井尚之も昔からよく言っていることでした。批評の世界では、モンク・カルテットのフロント奏者として賛美されるのはジョン・コルトレーンやジョニー・グリフィンですが、ミュージシャン達の意見は違うんです。ラウズは共演者としてモンクを深く理解し支えた。ニカは友人として経済的にも精神的にもモンクを支えた。二人の間に、不思議な運命の相似点があったのかも知れません。
○ ○ ○ ○
 たった5ページほどのナディーヌの序文でしたが、庶民の私が説明するとまた長くなっちゃったね。寺井尚之ジャズピアノ教室の発表会が終わったら、ミュージシャン達がニカに告白した切ない「3つの願い」について書こう。
 トミー・フラナガンの名盤『セロニカ』

パノニカに夢中:「三つの願い」を読みながら(その1)

 寺井尚之のピアノ教室の発表会が25日に迫り、生徒達は稽古に明け暮れています。教室のピアニスト達の心意気をよしとして、発表会に激励の花束を届けて下さる長年の常連様がいらっしゃいます。私が二十代の頃からご贔屓に頂いていて、当店が世界に誇る常連様!美術、スポーツ、芸能全般に造詣深く、その夜のプレイの好不調関係なく受け容れて、若手ミュージシャンの成長を見守ってくれる度量の深さと、滲み出る上品さに、いつの頃からか、「パノニカ・マダム」とニックネームがついていました。パノニカ男爵夫人って知っていますか? ジャズ史上最も有名なパトロンとして圧倒的な異彩を放つ女性で、彼女に献上された曲はジャズ・スタンダード多数、トミー・フラナガンの名曲セロニカは、セロニアス・モンクとパノニカの友情に捧げられた曲です。
ニカとモンク豹柄は大阪のおばちゃんのトレードマークだけどニカはちょっと違うね。セロニアス・モンクと。
 私が昔ヴィレッジ・ヴァンガードで見かけたパノニカ夫人は多分70歳位だったはずですが、老婦人とは程遠いあでやかさ、満員の店の隅にいた彼女はまるでスポットライトが当たっているように目立っていた。「美貌」とか「センスの良さ」を超越する不思議なパワーを放っていた。その源は何なのか?路地裏インタールードの想像力は掻き立てられるばかり。パノニカが遺した大人の絵本、「Three Wishes :三つの願い」を片手に、パノニカ夫人を読み解いていこう。
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<パノニカ的品格とは>
   ヴィレッジ・ヴァンガードのオーナー、マックス・ゴードンの回想録にはパノニカ夫人の章があります。そこでゴードンはパノニカを「イギリス生まれの彼女は余りに上品で、彼女と会話をすると、思わず自分の言葉遣いに気をつけようという気になる。」と書いていますが、その後に引用される彼女の言葉はジャズ・ミュージシャン並のべらんめえ調、決してエリザベス女王や、NYの山の手イングリッシュみたいな言葉使いでは決してありません。
 ギタリストのジョシュア・ブレイクストーンから、彼女の言葉に関する武勇伝を聴いた事があります。
   NYの”ブラッドリーズ”というクラブにトミー・フラナガンが出演していた時、例によってニカ夫人が聴きに来ていた。不幸にも、演奏中に、酔っぱらいのおじさんが大声でしゃべるので雰囲気は最低…すると休憩中にニカ夫人が、その酔っ払いに近づいてにこやかに話しかけた。
「わたくしね、あなたの為に、ただ今詩を書きましたのよ。」
酔っ払いは嬉しそうに「ほう!どんな詩を?」と聞き返した。
 するとパノニカは詩を吟唱し始めた。
『空は青く、花は香る…』
おっさんは懸命に耳を傾ける。すると彼女は、
『お前なんかクソくらえ!
Fu○k You, Fu○k You, Fu○k You!』と結んだそうです。ジャズ・ファンのお客さんはヤンヤの喝采で、酔っ払いはすっかり酔いが醒め、スゴスゴ帰っていったとか…
このウルトラ技は私には無理やわ!ダイアナ・フラナガンでも絶対できないだろう!
 三島由紀夫の小説を引き合いに出すまでもなく、本当に高貴な人は庶民の物差しを超越したエレガンスがあるんだろうな…
   漆黒の髪に引き立つ色白の顔、真っ赤なルージュとシガレットホルダー、鮮やかなドレスとパノニカ夫人の興味深い生い立ちは、「三つの願い」の序文として、ナディーヌが、孫娘の視線を通して書いている。
バド・パウエルとニカ彼女の自宅キャット・ハウスにて。バド・パウエルと。
<ニカの生い立ち>
 ニカは1913年というから、徳川慶喜が亡くなった大正2年、ロンドンで、キャスリーン・アニー・パノニカ・ロスチャイルド:Kathleen Annie Pannonica Rothschildとして、ユダヤ系財閥ロスチャイルド家に生まれた。
   父は英国貴族、大銀行の頭取のチャールズ・ロスチャイルド男爵。どれほど華麗なる一族かは庶民には知る由もありませんが、日露戦争に日本が勝てたのは、この父上が昆虫採集(!)で来日経験があり、それがきっかけで日本政府が彼の銀行から莫大な資金供与を受けたからだと聞けば、なんとなく想像は出来る… ところが、この父上は投資の仕事や華やかな社交界には興味がなく、昆虫学が好きな趣味人で、新種の蝶を求めて世界行脚。(ニカの姉、長女のミリアム・ロスチャイルドも、世界的な動物学者です。)妻の故郷ハンガリーで彼が発見した新種の美しい蝶の名前、「パノニカ」をそのまま末っ子に与えたんです。
laun.jpgチャールズ・ロスチャイルド卿、イギリスの色んな場所に彼の名を冠したコテージがある
   パノニカの母君ロジツカ・ワルトハイムシュタインは、世界史上最初のユダヤ貴族の血筋で黒髪と不思議な色の瞳で社交界の名花と謳われた正真正銘のお姫さま!つまりパノニカはおとぎ話に出てくるような両親から生まれた四人兄弟の末娘なんです。
 幼い頃から美術の才を発揮し、18歳でパウル・クレーやカンディンスキーを輩出したドイツ、ミュンヘン美術学校に留学、生涯、趣味として抽象画を書き続けました。彼女の一族に音楽家は見当たりませんが、トミー・フラナガンのアルバム”セロニカや、”ビヨンド・ザ・ブルーバード”のカヴァー・デザインを担当した娘のベリットや、序文の著者ナディーヌも美術系のDNAを持っている。
<富豪の光と影:父の死とホロコーストのはざまで>
 お姫様パノニカが最初に出会った悲劇は父の死だ。それはまだニカが10歳の時に起こった。父、チャールズ卿は脳炎に苦しんだ結果うつ病となり、46歳の若さで自殺したのだ。莫大な財産と、知性や教養を備えた父の病と自殺がニカに教えたものは何だったのだろう?
   ニカは美術学校卒業後、ヨーロッパを旅行してからロンドン社交界の花として上流生活に戻るが、上流サロンやリゾート地だけでなく、飛行機を自分で操縦しようとする活動的な女性だった。’35年に飛行術の習得で訪れたフランスの空港でユダヤ系フランス貴族、ジュール・ケーニグスウォーター男爵と運命的な出会いをし結婚、フランスに家庭を持ち五人の子供の母となった。彼女が家庭を守る間、大戦の足音が近づく。
 
   第二次大戦が勃発し、ナチのフランス侵攻が近づくと、ユダヤ人であるジュールとニカは、フランスを離れ、シャルル・ドゴール将軍率いるレジスタンス運動に身を投じる。夫がドゴール将軍が統括するアフリカに派遣されると、ニカは夫の後を追い、暗号官としてコンゴやガーナのネットワークを保持ししただけでなく、運動員たちを運ぶ女性運転手として命を賭けたのだ。この辺りが、ただのお姫様とは違うところだ。
 「ニカのアフリカ系文化、すなわちジャズへの嗜好は、このアフリカでの活動が元になったのでは?」とナディーヌは序文で語っている。
  夫妻がアフリカでレジスタンスとして活動中、上流のユダヤ人たちの殆どがヒトラーの挫折を確信し、「自分たちにあれほど良くしてくれたドイツ人やフランス人が私達を迫害することは決してない。」と疑わなかった。そして、フランスからの避難を息子に強く勧められていた夫の母親や、ニカの親戚達の大部分が自分の親しんだ場所から動かず、結果的にアウシュビッツで亡くなったのだ。
   使い切れないほどの富も、知性も、高貴な血筋も・・・人間が欲する全てのものが、戦争の前には全く無力だった。ダイヤもドレスも取り上げられ丸坊主にされてガス室に送られた親戚の女性達・・・それらの不条理とアフリカでの体験が、その後、ニカの人生を決定したのだろうか?
 ジャズ芸術の中に彼女のそれまでの悲劇を浄化してくれる何かがあったのだろうか?ジャズ音楽家の宿命に決定的な同志愛を感じたのだろうか?愛する芸術家達を守る為、世間の非難を省みず行った様々な行動は、彼女のそれまでの体験と、絡み合っているように思えてしかたがありません。
次回はアメリカに渡ったパノニカのジャズライフや、ミュージシャンたちが告白した「3つの願い」は何だったのか眺めてみよう。
 17日のメインステムでCU!

フラナガンの隠し味:ジャイブ音楽

  新春ジャズ講座の前日に、ジャイブ音楽とエディ・ロックさんについて書いたのですが、エントリーを修正しようと思ったら、ドジを踏んで大部分を消してしまい、ほんとのジャイブになっちゃった・・・、皆さん、どうもすいません。
 十日戎の昨日のジャズ講座、ほんとに楽しかったですね!サザン・オールスターズの名付け親という、ポップス界のVIPまで参加してくださって、お客様の盛り上がりも「繁盛亭」か「鈴本演芸場」かというくらい…新春にふさわしく、笑う角には福来る!
 楽しい余韻が残っているうちに修正版を書いておこう。
エディ・ロックのアルバム:Jivin' With the Refugees From Hastings Street    
右から:Jivin’ With the Refugees From Hastings Street, Alone Too Long:ジャケットだけでも水と油、一見無関係に見えるけど・・・
 昨日は、トミー・フラナガンの、硬派のソロ・ピアノ作品2枚、『アローン・トゥー・ロング』と>『ディグニファイド・アペアランス』、ドラマー、エディ・ロックさんのお笑い系アルバム、『ジャイヴィン・ウイズ・ザ・リフュジーズ・フロム・ヘイスティングス・ストリート』他一枚が登場!
  私は専ら、ロックさんのアルバムのジャイブな対訳に専念していて、ソロ・ピアノのレコードは、ほんとに久々に、昨夜皆さんと一緒に聴きました。実は、ひょんなことから、あの2枚のソロ・アルバムを制作した方から数年前にお話を伺ったことがありますが、企画自体にさほど長い打ち合わせはなかったそうです。でも、あの2枚のアルバムは、それまでのフラナガンの音楽人生を振り返るような壮大な内容であったんですね。制作者の方は、そのことはご存じなかったようです。昨日の解説で、「そうか!」と大納得しました。あの2枚はアート・テイタム(p)やビリー・ホリディ(vo)、コールマン・ホーキンス(ts)・・・、フラナガンの心に生きる偉人達の肖像画が並ぶ美術館のような作品だったこと、そして、フラナガンのプレイは、「偉大な人たちのレパートリーを上手にカバーしました」というレベルを遥かに超えたものだった・・・ダ・ビンチ・コードみたい!芸術家が作品に秘めた凄い秘密を知り、興奮しました。
 中でも、印象的だったのが、アート・テイタムへのオマージュ、”Like a Butterfly”。フラナガンが生まれる前にヒットしたポップ・チューン(’27)で、テイタムのおハコです。本当のタイトルは”Lust Like a Buttterfly that’s Caught in the Rain” (雨中をさ迷う蝶のように) 
 これをフラナガンは、(テイタムみたいに華麗に弾こうと思えば弾けるのに)音数を絞り込み、見事に表現しています。ひらひらとさ迷う蝶の羽の鮮やかな色彩、雨粒がしっとり落ちる様子、そして雨が呼ぶ埃の匂い・・・羽が濡れると飛べなくなり、命もなくなる...そんな蝶のはかなさ、美しさが、ピアノの音色やフレーズに凝縮されています。質感、色彩、香りから、哲学的な死生観までを、簡潔な表現の中に凝縮する・・・それって俳句でしょ!日本文化でしょ!美しくはかない蝶を描き出すトミーのピアノに感動しながら、「日本人でよかった」と何故か思う・・・
 昨日のアルバムは、シリアスな作品なんだけど、決して「芸術祭参加」みたいに四角四面にならないのがトミー・フラナガン。それは何故?その答えが次のジャイブ・アルバムの中にあった!
<ヘイスティングス通りからの避難民とジャイブろう!>
   “Jivin’ With the Refugees From Hastings Street “はLPしかないので、お聴きになった方はほんの僅かと思います。歌手(!)エディ・ロック(ds)さんを盛り上げるのは、若い頃コンビを組んでいた、オリヴァー・ジャクソン(ds)と、コールマン・ホーキンス・カルテットの盟友たち、やはり美声の持ち主メジャー・ホリー(b)と、フラナガン(p)で全員がデトロイト出身!加えて、ジャズ史家、ダン・モーガンスターンさんがサイレンを鳴らす係で出演! 
 これだけ書けば、「ハハーン、単なる珍盤か!色もんやな・・・」とソッポを向く人が多いでしょう。おまけに、「ルート66」など、キング・コールやファッツ・ウォーラーなどの往年のヒット曲が一杯・・・最後にトミー・フラナガンはエレクトリック・ピアノを弾いていると来れば、殆ど聴かずにパスするかも・・・
左からフラナガン、コールマン・ホーキンス、メジャー・ホリー(b)、エディ・ロック(ds)
  加えて、我々日本人ファンが更に敬遠するのはタイトルが長いこと!ジャケットは可愛いのですが、タイトルが長い!日本語にするならば、“ヘイスティングス・ストリートからの難民とジャイブを!”、「それなんやねん?」て感じだもんね。だけど、このタイトルは怖い怖いブラック・ユーモアです。 ヘイスティング・ストリートというのは、フラナガン達が育ったデトロイトの歓楽街にある通りの名前。モータウン・レコードの総帥、ベリー・ゴーディも、若いときこの辺りのジャズクラブを本拠としていました。その反面、ヘイスティングス・ストリートはアメリカ史の人種抗争のマイル・ストーンです。自動車産業の街、昔のデトロイトは非常に激しい人種隔離政策で知られる土地でした。 ’43年に、白人労働者がブラック・ワーカーの急激な増加に猛反発して起こしたヘイト・ストライキがきっかけで、大規模な人種暴動が起こり、商店が略奪され、街は破壊され、多数の死傷者を出したことがあります。暴動を鎮圧するはずの警察は、黒人たちを滅多打ちにし、多数の死傷者を出しました。中でも、最も沢山の人が亡くなったのが、「ヘイスティングス・ストリート」だったんです。余談ですが、ダン・モーガンスターンさんはホロコーストからの避難民です。
 デトロイター達が繰り広げる愉快なジャイブ音楽、ジャイブはただの冗談音楽じゃなくってブラック・ミュージックのエッセンスが一杯!そして裏には、黒人の「負」の遺産が隠れていることをタイトルで表している。これがほんまのブラック・ユーモア!
 聴いてみると、今は超一流のモダン・ジャズのプレイヤーに成長したミュージシャンたちが、若い頃親しんだ音楽を、最高のグルーヴで楽しく演っている。すごくきっちりした演奏で、ユルいところが全くない!遊び心一杯で粋なんです!!
detroit_riot-43fire.gif  ’43のデトロイト人種暴動で街は破壊された
<エディ・ロックさんのジャイブ人生>

  OverSeasでエディさんと言えば、サー・ローランド・ハナ3でのCaravanのドラムソロが伝説ですね!NYのジャズ・ミュージシャンの間ではエディさんの「キャラヴァン」は極めて有名で、知らない人はいないんじゃないかしら?なのに、批評界では過小評価もいいところ。頑固な職人気質が原因なのかも知れません。
 エディさんはその昔、デトロイト、ミラー高校の後輩ドラマー、オリヴァー・ジャクソン(ds)と、ボードヴィルのコンビを結成して、唄って踊ってドラムを叩くショウで人気を博しました。トントン拍子にNYのアポロ劇場に進出したまではよかったんですが、丁度ロック&ロールが台頭。ボードビルは流行遅れとなり、二人は落ち目に。NYで宿代が払えなくなり、あわやホームレスになりかかります。

  その二人を救ったのがドラムの神様、ジョー・ジョーンズ、二人を自分の常宿に居候させてくれた。エディさんは、靴磨きなどをしながら、ジョー・ジョーンズの内弟子として、師匠のカバン持ち、荷物運びをしながら修業した苦労人なんです。大劇場のスターだったエディさんが靴磨きするには、相当の苦渋を飲んだことでしょう。それを、「株で人を騙して儲けた金も、靴磨きで稼いだ金も、金に違いはない。それで飯を食うのが先決だ。」と師匠パパ・ジョーに諭されて、目からうろこが取れたとか。だからエディさんの芸には、なんともいえない味わいがあるんですね!
  おかげで、ロイ・エルドリッジ(tp)に気に入られて、エディさんはドラマーとして超多忙になり、コールマン・ホーキンスのコンボでフラナガンたちとチームを組むのですが、ザッツ・アナザー・ストーリー。講座本第5巻の付録を読んでみてください。
 エディさんの修行生活が、ドラムに味わいを与えるように、このアルバムで、最高のブギウギ・ソロや、爆笑もののホイッスルを入れるトミー・フラナガンのジャイブ・スピリットは、シリアスな作品をやっても、決して退屈になったり尊大にならないフラナガン音楽の隠し味だったんですね!
CU

新春エコーズ:ベーシスト・パーティ!

new_year_bassists.JPG 左から宮本在浩、寺井尚之、鷲見和広、石川翔太、クラシックの浅野くん
あけましておめでとうございます!
 大掃除&正月行事が終わってから、ずーっとジャズ講座の対訳に追われ続け、やっとブログ書初めです。
 メールを頂いている方々に、返事もしない不義理者、ほんとに申し訳ありません!今まで全く時間がありませんでした!
 5日からOverSeasのライブが始まり、昨夜は新春初エコーズの弾き初め!冬休みでバークリーから一時帰国している、鷲見和広(b)さんの一番弟子、しょうたんやクラシックのコントラバス奏者のお弟子さん、メンステムの宮本在浩(b)さんも駆けつけて、エコーズの弾き初め鑑賞!
エコーズ何度聴いても飽きない「エコーズ」
 今日まで私が必死で作っていた対訳は、「ジャイブ・ソング」と呼ばれるもので、ブロードウェイ発祥のスタンダードと全く異なる、“粋な”ものなんです。めっちゃくちゃ技量のあるミュージシャンが、ボードビル的な爆笑プレイを展開するところが、寺井尚之+鷲見和広の“エコーズ”に、とっても似ています。音楽的なギャグも、お笑い芸と同じで技術がなければ「スベる」だけ。
 昨夜のエコーズも、いつものレパートリーなのに、「門松を立て」たり、「独楽を回し」、「落ち葉で焚き火」をしていたかと思ったら、ネコとねずみが、カルメンと闘牛士に変身するスゴいストーリー。昨日のお客さんは、音楽とユーモアの両方解る粋な方ばかり、反応がよくて、歓声や笑い声が一杯!最高でした。
寺井尚之としょうたんデュオはっとするようなところが鷲見さんとそっくりの石川君。
 そして、今夜のもうひとつのお楽しみは、鷲見さんの一番弟子で、昨年から、エコーズの二人の強力プッシュと、本人の熱意が買われ、巨匠ジョージ・ムラーツのアシスタントとして修行中の「しょうたん」こと石川翔太くんの飛び入り参加。昨年プレイしたときよりもずっと腕を上げていて、バークリー派というよりは、ずっとムラーツ~鷲見和広の潮流のベーシストに成長していました。いやいや、もっとうまくなって欲しいから、誉めすぎてはいけないな・・・
 演奏中は真摯に、インターミッションは楽しそうにエールを交換するベーシストたちのミュージシャンシップがとっても素敵でした!
 エコーズは毎週水曜日に演奏しています。ぜひ一度来てみて下さい。楽しくて大笑いするけど、ちょっと切ないプレイで泣かせてくれます。
 明日元気があったら、このエコーズとも共通する、エディ・ロックさんの、ジャイブな人生や、講座で取り上げるジャイブの話を書くつもりです!
CU