トリビュートの前にトミー・フラナガン・インタビューを読もう!

 大阪も寒くなりました!来週末はいよいよトリビュート・コンサート、日々稽古、寺井尚之の指先はパンパンに弾け、ピアノにも気合が入ってきたのか、音色もさらに研ぎ澄まされてきました。
 トリビュート・コンサートの回数を重ねるにつれ、トミー・フラナガンを「生」で聴いたことのないお客様の割合が増えてきて、演奏する寺井尚之The Mainstemの責任も大きくなってます。
 トミー・フラナガンってどんな人なんやろう?と興味を持つ皆さんのために、米ジャズ月刊誌、「Jazz Times」のサイトに掲載されているトミー・フラナガン・インタビューを日本語にしてみました。
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 聴き手はジャズライター、ジャック・ロウ、NYの自宅を訪問して話を聞いています。スター・インタビューみたいに一般的な話題が多くて、質問によっては、えー!?っていう答えをしているのが却って面白い。(たとえば趣味がカメラとか・・・フイルムの入れ方も知らなかったのに・・・)
 2001年1~2月掲載、最後にOverSeasを訪問する半年ほど前のインタビューです。どうぞ!
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JazzTimes
January/February 2001
Tommy Flanagan Interview
聴き手Jacques Lowe
  トミー・フラナガンとダイアナ夫人は、マンハッタンのアッパー・イーストサイド(本当はアッパー・ウエストサイド)にある、居心地の良いアパートメントに住んでいる。そこは、訪問する者を迎える温かい心づくしと、長年の幸せな結婚生活の香りに満ちた住まいだ。アパートの壁一面にある本棚に本があふれ、棚やテーブルには、世界中の楽旅の思い出の品々といくつかのフラワーアレンジが、そして、居間にはグランドピアノがでんと鎮座している。
  70歳で未だにスリムな体型を保つトミーは、自分を吹聴することを好まない控え目な人柄だ。それに対してダイアナ夫人は、夫の寡黙さを、熱っぽくに讃美することを厭わない。エラ・フィッツジェラルドとの長年に渡る忘れ難い名演の数々や、ジャズ・ピアノのパイオニアとしての業績は、過去の膨大な書籍や譜面を含め、語り尽くすことはできない。
 私が彼に、コンピューターや最新のオーディオ機器について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
 「私は昔風の人間でね、シンプルが一番という信念を持っているんだ。いまだにダイヤル式電話機を使っているくらいだから。」
 トミーは車も持っていないし、運転すらしない。だがダイアナは運転好きだ。海外にツアーしたときには、レンタカーで地方をドライブすることもあるという。
 「私たちは二人ともフランスが大好きで、何度かドライブ旅行したことがある。シャトーに泊まって、ワインのテイスティングをしながら、土地のおいしい料理を楽しんだり、歴史を辿ったりするのが好きでね。ヨーロッパ・ツアーの時は、フランスを旅行できるよう日程を調整するんだ。アイルランドも好きで、楽旅のついでに観光したことがある。」
  NYの街をこよなく愛するトミーは、NYという大都市の機能を満喫している。美術館通いをして、芸術を楽しむ。メトロポリタン美術館では古典芸術に、MOMA(NY近代美術館)では、印象派の作品に心奪われる。観劇も大好きで、一番最近観た”For Colored Girls Who Have Considered Suicide/When the Rainbow Is Enuf.”を今も絶賛している。 それに、セントラル・パークの散歩は欠かさない。
for_colored_girls_who_have_considered.jpg  “For Colored Girls・・・”(虹にうんざりしたとき/自殺を考えたことのある有色人種の女の子たちの為に/)は、オール黒人キャスト、7人の有色人種の女性たちが21篇の詩の朗誦し音楽やダンスをコラボさせたミュージカルでトニー賞を受賞した。来年、ハル・ベリーやアンジェラ・バセット主演の映画が公開されるらしいから、私も観ようっと!
   海外ツアー中も、暇を見つけては美術館めぐりをする。なかでもゴッホの名作を多数所蔵するオランダ・アムステルダム国立美術館がお気に入りだという。
  さて、本業の音楽では、’50年代のジャズの巨人たちがトミー・フラナガンのヒーローだ。コールマン・ホーキンス(ts)、デューク・エリントン、ディジー・ガレスピー(tp)、アート・テイタム(p)、ベン・ウェブスター(ts)、チャーリー・パーカー(as)、テディ・ウイルソン(p)と言った人たちである。ごく最近、ルイ・アームストロング(tp,vo)の良さがやっと判ってきたと言う。ジャズだけでなく、ショパン、ラヴェル、バッハ、ベートーベンなども好む。
 滅多にない休暇は、ニューイングランドのリゾート、ケープ・コッドや、カリフォルニアでは孫たちと過ごす。「やんちゃで、ヘトヘトになる」と言いながら、孫たちをレドンド・ビーチや野球観戦に連れていくことにしている。野球も好きで、贔屓チームはオークランド・アスレチックス。ありとあらゆるスポーツをTV観戦し、しばしば生でも楽しんでいる。「ひょっとしたら、陸上の長距離選手になればいい線行っていたかも知れないが、今はもっぱら長距離散歩だ。」と、彼は言う。(訳注:トミーは、スポーツのことは全然詳しくなかったです。私がアトランティック・シティのバスケチームのキャップをかぶってたら、「どこの野球チームのんや?」と訊いてはりました。)
 トミーの生活は多忙だ。もうすぐ日本やミラノのブルーノートでの公演を控えているし、ビリー・ストレイホーン集アルバムを準備中だ。行ってみたい場所はギリシャの古代神殿やキューバ、それに、ローマを再訪して、古代美術への尽きせぬ興味を満たしたいとも思っている。
 そんなトミー・フラナガンの思い出の品は、ロレックスのゴールド・オイスターと純金のIDブレスレット、どちらもエラ・フィッツジェラルドからの贈り物だ。(トミーは、いつも左手にロレックス、右手にブレスをはめていました。因みにジョージ・ムラーツはホワイト・ゴールドのオイスターを愛用しています。)
<トミー・フラナガン・パーソナル・ファイル>
Q:服装のポリシーは?
A: ずっと上品なものが好きで、今はツアー中に服を買うことにしている。フランスで上着、イタリアでセーター、といった具合にね。
Q:好きな食べ物?
A: フレンチとイタリアン。
Q:好きな飲み物?
A:ライム入りのウォッカ・ソーダだが、今はフランス・ワイン、赤でも白でも飲んでいる。(訳注:この頃からほとんどお酒は飲まなくなっていました。でも体調が悪いことは話したくなかったのでしょう。)
Q:一番最近読んだ本は?
A: ビリー・ストレイホーンの伝記、「Lush Life」(デヴィッド・ハジュ著)(訳注:伝記を読んでいたのなら、本当にストレイホーン集を録音するつもりだったんでしょうね!「Tokyo Ricital」から20数年ぶりの演奏解釈をレコードにしておいてほしかったのに!)lush_life_book.jpg
Q:好きな本?
A:聖書
Q:一番最近観た映画?
A:エリン・ブロコビッチ (2000年 ジュリア・ロバーツ主演、スティーブン・ソダーバーグ監督作品: 実在した社会活動家の痛快映画)
Q: 趣味は?
A: 写真が好きで、ライカのカメラを持っている。
Q: ペットは?
A: 犬が好きだ。昔、アイリッシュ・セッターを飼っていたが、NYでペットを飼うと面倒がいっぱいなのでね。
Q: 都会で暮らすのと、田舎暮らしではどちらが好きですか?
A: このNYと、街にある色々なものが大好きだよ。(訳注:トミーは、「本当は田舎で暮らしたい。植物を育てる天性の才能があるので、庭いじりをして暮らしたい。」と、よく言っていた。でもジャズクラブは田舎にはないし、ダイアナはNY至上主義でした。トミーは引退したら、子どもたちがいるカリフォルニアに住みたかったようです。)
(了)

さよなら、ディック・カッツさん (1924-2009)

 11月はトリビュートの月、トミー・フラナガンは2001年11月16日に亡くなった。これまで11月には沢山の別れがあったから、もう悲しいニュースは聞きたくない。
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 そう思っていた矢先、昨日、G先生からディック・カッツ(p)さんの訃報が届きました。
 数か月前から、入退院を繰り返されている噂を聞いていて、先週ダイアナにお見舞いメッセージを託した直後のことでした。85歳という高齢で天寿をまっとうされたわけですが、やっぱりとても寂しい・・・さっきダイアナに電話したのですが、お亡くなりになったのが8日だったのか10日だったのかも、告別式がいつなのかも、まだよく分からないと言っていました。ダイアナとは歌手時代に伴奏してもらっていた20代からの友人で、夫のトミーよりもずっと長いお付き合いだったんです。
NewmanReigBasie.jpg若き日のカッツさんは左から二人目。左隣はジョー・ニューマン(tp)、右端はカウント・ベイシー(p)
 ピアノの巨匠、批評界屈指のジャズ・ライター、プロデューサー、教育者、作編曲家、ディック・カッツの本名は、Richard Aaron Katz、メリーランド州ボルチモア生、トミーや私と同じうお座で、誕生日は1924年3月13日。いくつかの大学を卒業しているけれど、ジュリアード音楽院ではテディ・ウイルソン(p)に師事し、美しいタッチ、趣味の良いプレイと、既成価値に捉われない広い見識を受け継いだ。ジャズ界へのメジャー・デビューは24歳、ベン・ウェブスター(ts)のバンドで、マンハッタン・スクール・オブ・ミュージック在籍中’48年の大晦日のことだったらしい。
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 J.J.ジョンソン(tb)がカイ・ウィンディング(tb)とコンビを組んでいた時代のレギュラー・ピアニストで、トミー・フラナガンはカッツさんの後任としてJJのバンドに参加した。パパ・ジョー・ジョーンズ(ds)、ケニー・ド-ハム(tp)、オスカー・ペティフォード(b)など多くの巨匠たちのバンドで活動しているけど、カッツさんが一番誇りにしていたのは、ベニー・カーター(as, tp, etc)のレギュラー・ピアニストだったこと。歌伴の名手として、カーメン・マクレエやヘレン・メリルと何枚もレコーディングしている。
 ’70年代に一度だけ、リー・コニッツと来日したことがあり、大阪の宿泊先リーガ・ロイヤルホテルのラウンジで、和服の女性にお抹茶のサービスをしてもらったのがいい思い出になったそうです。
katz_merrill026.jpgヘレン・メリルは昔から伴奏陣のセレクションがすごい!左からロン・カーター(b)、ジム・ホール(g)、ディック・カッツ、ヘレン・メリル、サド・ジョーンズ(cor)
 レコード業界では、オリン・キープニュースと共に「Milestone Records」を設立、良心的なプロデューサーとしても知られているし、ミュージシャンならではの切り口と音楽への愛情にあふれる卓越した文章でも、グラミー賞にノミネートされた。
 ダイアナはディックを「ジャズ界で最も過小評価されているピアニスト」と言う。一説によれば、富裕な一族の人なので、ガツガツ仕事をするより、フリーランスでいることを選んだとも噂されている。なるほど、演奏も人柄もほんとに品がいい。だからと言って偉ぶらず、都会的だけど、ガサガサしたところや社交辞令がなく、話していてほんとに気持のよい楽しい人だった。ああいうのをHipって言うのかな?WNYCの追悼文には彼のことを「根っからのヒップスター」と書いてあった。
 “Sweet”という言葉がぴったりなカッツさんの人生も、辛いことは沢山あったらしい。ジャズ界で、”White Boy”と揶揄され、白人ミュージシャンの悲哀を味わったことも問わず語りに聞いたことがあるけれど、だからといってカッツさんのフェアな視点がゆがむことはなかった。
 カッツさんは、ジャズの色んな知識を分け与えてくれたけど、中でも印象的なのは、こんなセリフだ。「今でも上手いミュージシャンは沢山いるが、一番売れている何某の20コーラスのソロを聴いても、終われば何も残らない。だがね、何十年も前に聴いたレスター・ヤングのたった2小節のフレーズは、ずーっと私の心の中で響き続けているんだ。」その言葉には「いまどきの人」に対する意地悪な感情は微塵も感じられない。ただ、カッツさんがすごく大切にしている宝物を見せてもらったような気持ちになったのだった。
 今日はカッツさんが昔プレゼントしてくれたブルーのマフラーを巻いてきました。カッツ夫妻は、ことあるごとに、本や人形や、ゼリービーンズやキャンディーや、息子さんのロックCDや、ヨガ瞑想用のテープまで、あるとあらゆるものを贈ってくれたけど、一番大切なものは、心の中に宝物としてしまってあります。
Ev’ry time we say goodbye
I die a little
Ev’ry time we say goodbye
I wonder why a little…
Goodbye Dick Katz

北国からの贈り物:Super Potato!

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 トリビュート・コンサートが近くなり、寺井尚之は稽古、稽古の毎日です。The Mainstemの宮本在浩(b)さんは一層スリムに、菅一平(ds)さんは禁酒して稽古に励んでいるようです。
 私だけ何にも切磋琢磨してなくて申し訳ないなあ・・・そんな中、摩周湖のフラナガン・ファン、寺井ファン、ジャック・フロスト氏から大きな段ボールが届きました。
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 昨年、私のジャガイモ観が一変した黄金色のじゃがいもがどっさり!
Mr.ジャック・フロスト、北国のハーベストのお供えをありがとうございます!トミーの写真にも、ジャガイモを見せてあげました。
 今週(土)のジャズ講座には、このジャガイモを揚げたり蒸したりして、おいしさを閉じ込めて、スぺシャル・メニューを作ろう!地鶏と合わせて、できるだけシンプルな味付けにしよう!おいしい料理を作ろう!
bonne_femme-2.JPG  で、週末のジャズ講座のお薦めにはフランスの田舎料理、「ボン・ファム」(”おばちゃん”という意味です。)を作ることにしました。
 今日はポテト・サラダにしてみたけど、水分が多いからあっと言う間に茹であがってクリーミー、甘くて最高!
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 今週の講座は、トリビュート・コンサートを聴くと思いだすデトロイトのクラブ”ブルーバード・イン“でレギュラー共演していたテナー奏者、ビリー・ミッチェルとのリユニオン・アルバム『De Lawd’s Blues』(Xanadu)、同じく”ブルーバード・イン”時代から、『Overseas』を経て公私ともに、フラナガンが大好きだったドラマー、エルヴィン・ジョーンズ、リチャード・デイヴィス(b)との超ヘヴィー級アルバム、数か月前に再発された『Heart to Heart』(Denon)など、スーパー・ポテトに相応しいラインナップです。
 ジャズ講座は、11月14日(土)6:30pm開講、受講料2,500yen ご予約はOverSeasまで。(tel 06-6262-3940)
CU

対訳ノート(22):Polka Dots and Moonbeams

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 先週のThe Mainstemには、遠くから近くから、沢山のお客様が駆けつけてくださって、改めてお礼申し上げます。あの晩は、驚くほど黄色く明るい月の夜、月を愛でながら思わずお酒を飲みすぎてしまいました。あの月は十三夜の「栗名月」、前の月の十五夜に対して「後の月」と呼ばれる特別な月だったんです。確かに色も形も「栗」みたい!英語だったら、十三夜は「Waxing Gibbous Moon (背むしのような形で満ちる月)」と情緒なさすぎ!日本人でよかった~!名月に因んで作った「お月見ストロガノフ」は、沢山のお客様に「おいしかった!」と言っていただけて、調理場も大喜びでした!
 この日の2nd セットは、10月のメインステムPart 1と対を成す「お月さまづくし」!中でも素敵だったのは〝Polka Dots and Moonbeams”!前回の“Moonlight Becomes You”と同じJimmy Van Heusen(曲)、Johnny Burke(詞)コンビの1940年作品、元々はトミー・ドーシー楽団の歌手としてデビューしたフランク・シナトラの初ヒット曲でした。
 〝Polka Dots and Moonbeams(水玉模様と月光)”・・・私自身は高校時代に衝撃的だった『インクレディブル・ジャズ・ギター』/ウエス・モンゴメリー(g)で聴いたのが最初です。まもなく誰でもが演る超スタンダードと知りました。緊張感なく演っていて、いつのまにかよく似た〝My One & Only Love〝になっちゃった迷場面に何度か遭遇したこともあります。ヴォーカルでは余り聴く機会がなかったのですが、昨年、ジャズ講座のためにエラ・フィッツジェラルドの歌詞対訳を作って、驚くほど「可愛い」歌詞だったことを知りました。
<20世紀のお伽噺>
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水玉模様のこの人は往年の美人女優、マーナ・ロイ
 この歌の舞台はNYみたいに洗練された都会でなく、アメリカのどこかの田舎町、豪華なジャズバンドやシャンパンもなく、町内会バンドで踊るカントリーダンスのパーティ、ビールにバーベキューやホットドッグの香りが漂ってきます。そんなザワザワしたところで、「僕」は恋をする。相手はパグ・ノーズ(pug-nosed):例えばメグ・ライアンみたいな可愛い女の子、上向きの鼻は日本じゃブサイクみたいだけど、あちらではチャーミングな条件で、ファッション・モデルのプロフィールにも「pug-nose」ってよく書いてあります。その娘のドレスは水玉模様、僕は、彼女の顔と、「お月様」が舞うような水玉模様と、月の光がスパークした一瞬に恋に落ちる。ディズニー的魔法の世界は、12月になったらきっと聴ける「コートにスミレを」と共通していて、デトロイト・ハードバップ・ロマン派を標榜する寺井尚之に打ってつけの素材でした。
 この歌がヒットしたのは真珠湾攻撃の前年ですから、戦争の不安が世の中に影を落とし始めた頃です。戦地に行かずに、愛する人とこのまま幸せに暮らせればどんなにいいだろう・・・そんな人々の想いが、お伽噺のように可愛いバラードを生んだのでしょうか?
 対訳にはヴァースもつけておきました。原歌詞はこちら

<ポルカドッツ&ムーンビームズ:水玉模様と月光>
作詞 Johnny Burke/ 作曲 Jimmy Van Heusen

=Verse=
あり得ないと思うかも知れないけど、
不思議な話を聞いてくれるかい?
こんな映画のシーンを見たら
「ウソに決まってる」と言われるだろうね・・・

=Refrain=
近所の庭でカントリー・ダンスパーティがあったんだ、
不意に誰かがぶつかって、
「まあ、ごめんなさい」と声がした。
突然目に入ったのは、
水玉模様と月光、
照らし出された君は
ツンと上を向いた鼻の女の子、
僕は夢かと思った。

音楽が始まり、
ちょっとまごついたけど、
僕は思い切って、君を誘った、
「次に踊っていただけますか?」
緊張でこわばる僕の腕の中で、
水玉模様と月光が、
君のツンとした鼻先に輝く。

ダンスする他の人達は、
不思議そうな顔で
滑るように踊る僕達を眺める。
皆にとっては疑問でも、
僕は答えを知ってたし、
多分、それ以上のことも判ってたんだ。

今は君と一緒、
ライラックが咲き、笑い溢れる小さな家で、
「ずっと幸せに暮らしましたとさ」、
そんなおとぎ話の文句を実感してる。
これからもずうっと、
水玉と月光が見えるだろうな、
夢みたいに素敵な人
ツンとした鼻の君に
キスするときはいつも。

 私の母は大阪、天満の”こいさん”として生まれた。その頃は何人も女中さんがいたらしい。しかし、戦争で家業は廃業となり、大阪大空襲で実家は全焼した。焼け出された一家は、十代で病死した姉の療養に使っていた浜寺の海辺の別荘に移り住み、母はその町のダンスパーティで父と出会い恋におち、両親の猛反対を押し切って結婚した。”こいさん”から平均的サラリーマン家庭の主婦になり、自分の両親宅の家事まで引き受けていた母の新婚生活がライラックの咲き乱れるものであったかどうかは判らない。でも、The Mainstemの「ポルカドッツ」を聴くと、座敷でビング・クロスビーをかけながらダンスしていた若かりし両親の楽しそうな姿がふと蘇りました。
 21世紀の現在、この歌をそのまま歌っても、当時の共感を客席から得ることは難しいかもしれないけれど、「お伽噺」と同じように、忘れかけている大切なものを思いださせてくれます。
 明日は鉄人デュオ!明日もスタンダード曲に新しい息吹を感じさせてくれることでしょう!一緒に聴こうね!
 水玉バラードと月夜に乾杯!
CU

ジョージ・ムラーツ ニュース (その2:Maestro and B21)

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 こんにちは!休日はゆっくりお過ごしですか?私は「文化の日」ではなく「雑務の日」でおわりそうです。
 今回は、我らのジョージ・ムラーツ(b)が最近購入した新しい愛器についてご紹介したいと思います。
mraz_bass.jpg ジョージ・ムラーツのように世界中を飛び回るベーシストの頭痛のタネは図体の大きな「楽器」!ピアニストなら余程の大物でないかぎり、演奏会場のピアノを使わなければならないので楽器不要だし、ドラマーならシンバルとスティック以外は現地手配が普通。でも、ベースは現地に任せると、どんなひどい楽器が待っているかわかりません。だから、飛行機に積む時はツタンカーメンの棺桶のようなハードケースに格納して運びますが、それでも、クレーンで搬出された時、ネックがポキっと折れちゃって、保険に入っていてもヨーロッパのマエストロにしか治せないので、修理代に全然足りなかったりします。到着地の気温や湿度も心配だし、タキシードやスーツが入った大きな旅行バッグとベースを抱えバスや列車を乗り継ぐのは本当に大変そう。ヨーロッパ諸国の大ホールをワンナイターで駆け抜ける楽旅が多いので、OverSeasみたいに、ムラーツを神と崇める若い衆が、各国どこにでもしっかり待機しているとは限りません。
 そんなムラーツ兄さんにぴったりのベースが見つかったらしいです。
<21世紀のコントラバス>
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 それはフランスの絃楽器製作者、パトリック・シャルトンという名匠が開発した『21世紀のベース』と呼ばれる作品で、『B21』という名前です。B29爆撃機みたいで、日本人には余り気持の良い名前じゃないけど、21世紀のassということなんですね。ネックが着脱可能になっていて、小さなケースに収納出来てしまう画期的なベースで、鳴りも良く音色も弾き心地も素晴らしいらしい。
 ベーシスト系の掲示板サイトで何年か前から話題になっていてとても評判がいいみたい。
 シャルトンは、ジョージ・ムラーツのために、ベースアンプとの相性もよくて、多分彼の愛器で「カナリア」と呼ばれるオールドのイタリアン・ベースを模倣した特別仕様のB21を製作してくれて、その音色は正に「Incredible!」「シャルトンは天才や!」と、珍しく兄さんは口をきわめて誉めちぎっています。
 ベースの運搬に苦労しているベーシストの方、一台いかがですか?因みにスタンダード仕様のB21は、日本円にして430万円位、シャルトンのアトリエは注文が殺到しているらしく、ウエイティング・リストに登録してから出来上がるまで3年くらいはかかるらしいです。
 ネックと本体の着脱は簡単で、着装すると非常にしっかり固定され、ジョージ・ムラーツのようなハイポジションでもノーブロブレム、持ち運びの時はあっと驚くコンパクトパッキングです。シャルトンのサイトにはハードケースも掲載されていましたが、これがまたおしゃれなケースでした。ジョージが持ち歩けば、数年前に起こったOverSeasのiPhoneブームのような現象が世界で頻発するかも・・・(私は携帯もベースも今のところ使ってないけど。)
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 9月のNYでは、久々に「カナリア」を携えて明るい音色のベースサウンドを聴かせたそうですが、今週末からベルリンを皮切りに始まるハンク・ジョーンズ(p)3とのツアーでは、きっとこのB21の音色が聴けることでしょう!近いうちにOverSeasでも聴けるといいな!
CU

追伸:着流しのジョージ・ムラーツ

 深夜にジョージ・ムラーツの叙勲ニュースを探索していたら、下のエントリーで紹介した、在外(在米)チェコ人のポータルサイト、Krajane.orgのトップに、昨年OverSeasで、寺井尚之と一緒に撮影したキモノ姿のジョージ・ムラーツの写真が出ていてびっくり!
 実は、昨日このサイトをチェックしたときに、「ジョージ・ムラーツさんは、日本で最も愛されるジャズ・ベーシストです。」と、この写真を添えてお祝いメッセージを送信したのです。Mr.Tamae Teraiになっているのがご愛嬌。
 まさか、トップに載るとは思いませんでした。アニキに叱られたらどうしよう・・・どうか見つかりませんように・・・
 すぐに他のニュースに変わると思いますので、今のうちに紹介しておきます!
http://www.krajane.org/en/
CU

ジョージ・ムラーツ ニュース (その1:大統領栄誉賞)

 お元気ですか?11月のトリビュート・コンサートが近づくと、ダイアナから頻繁に激励電話がかかってくるので、慌ただしい一週間でした。ダイアナの生活リズムは、「一日24時間」のバーラインを無視したBeBop的「謎」なので、日本が真夜中でも、調理場で必死に仕込みをしている時もお構いなし。なのに、こっちが時差を考えて常識的な時刻に電話すると、だいたい寝ぼけ声なので困ります。
 そんな中、我らのアニキ、ジョージ・ムラーツからは、近況報告と、東欧の報道通信社、メデイアファクスからのニュースが送られてきました。
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<ムラーツ兄さん、受勲おめでとう!>
 というのも、先日Interludeでお伝えしていた勲章を、10月6日に大統領から直接渡してもらったそうです。アニキ、おめでとう!!
 兄さんは親切にも、ニュースページをグーグル和訳したファイルを送ってきてくれたのですがチンプンカンプン、英訳してみてもも同程度のものでした。サルカちゃんが、まともな英語に翻訳中だそうですが、とりあえず、在外チェコ人の為のサイトのニュースではこんな風に報道されています。
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[10月6日付文化ニュース/ クラウス大統領、ジャズマン、ジョージ・ムラーツに栄誉賞を授与。]
&nbspヴァーツラフ・クラウスチェコ共和国大統領は、ジャズ・ベーシスト:ジョージ・ムラーツ氏に対し、彼の65歳の誕生日を記念して、「共和国大統領ゴールド・プラック栄誉賞」を授与した。
 ムラーツ氏は米国在住、世界最高のジャズ・ベーシストとして内外で活躍しており、何百というレコーディングを行ってきた。この大統領栄誉賞は、世界的に活躍し、チェコ共和国に貢献する各界の著名人に授与されている。
 今回の受賞にあたり、ムラーツ氏は大統領への深い感謝と名誉を受けた感動を表明している。叙勲決定の際には、「ジャズ・ミュージシャンとして受賞したことは、私だけでなく、ジャズ界のためにも素晴らしいこと」と述べていた。
 プラハ音楽院出身、ソ連軍のチェコ侵攻で、国外移住を決意、ボストンの名門音楽校バークリー音楽院への奨学金を取得し渡米、40年以上米国在住。クラーク・テリー、ハービー・ハンコック、ジョー・ウィリアムズ達と共演を重ねた。1968年、NYでディジー・ガレスピー・クインテットに参加後、オスカー・ピーターソン・トリオやエラ・フィッツジェラルドのトリオに加入、それ以外にも、チャーリー・ミンガス、トミー・フラナガン、スタン・ゲッツなど、超一流のミュージシャンと活動を続けている。

 祖国を離れ、米国市民として、アメリカ生まれの芸術であるジャズを演奏する音楽家が初叙勲したことが、大きな話題になっているようですね。
 チェコ国営TV局のニュース専門チャンネル「CT24」では、スタジオのニュースキャスターがプラハ城大統領執務室前のジョージ・ムラーツに独占インタビューしている映像を見ることができます。楽器を持ってなくて、チェコ語を話す兄さんは、ブルガリア国営TVに出ている琴欧州よりかっこいい!

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 動画は上の矢印をクリックすると観れます。(プラグインが特殊ですが、FirefoxやIEなら観れるはずです。)ムラーツ兄さんによれば、チェコ語で上品に話している内容は以下のとおり。
 「大統領は非常にお忙しいのに、予定より長くお話させていただきました。賞を頂けるとは夢にも思っていなかったし、非常に光栄です。」
 「私がジャズを始めたのは、高校時代のキャンプにあったジャズバンドがきっかけです。それ以来学校の始業時間前に練習していました。元々の楽器はサックスだったのですが、休憩時間にちょっとベースを弾いてみたら、音色が気に入ってしまって、そのまま音楽学校で勉強しました。
 最後の質問は、「なぜ海外でJiriでなくGeorgeと名乗っているのか?」やはり本名を使って欲しいと思うのは、チェコ国民の自然な感想でしょうね。
 それに対してムラーツは自然体で答えています。
 「アメリカの人たちが、Jiriという名前を聴き取ることも発音することもできないので、ジョージならよくわかると、アメリカ流の名前をつけたのです。公式の書類などで色々ややこしいことがあったので、それに従ったんです。」

 ジョージ・ムラーツは、来週から再びヨーロッパに渡り、ハンク・ジョーンズ(p)とトルコやポルトガルをツアーする予定。次回のジョージ・ムラーツ・ニュースでは、彼が今とても気に入っている新しい楽器についてご紹介します!
 お兄ちゃん、おめでとう!これからも、体に十分気をつけて演奏活動を続けてください!日本にもたくさんファンが待ってるからね~!
 さて明日は寺井尚之ピアノトリオ:The Mainstem、十三夜の秋の宵、一緒に聴きましょうね!お勧め料理はビーフストロガノフを作っておきます。
CU

ほのめかしの美学 < It’s All Right with Me > 対訳ノート(21)

 日ごとに秋が深まって、夜空もきれいです。オリオン座のスターダストは見えましたか?音楽と文学の秋、今日は先日のジャズ講座や、寺井尚之3”The Mainstem”で楽しんだコール・ポーター作品、< It’s All Right with Me >について書こうかな。
<コール・ポーター的世界>
cole-porter.jpg  コール・ポーター(1891ー 1964)
ファッション界の大御所フォトグラファー、リチャード・アヴェドンが撮影したコール・ポーターは「都会的洗練」が上等のスーツを着て煙草をくゆらせているみたい。

 < It’s All Right with Me >の作者コール・ポーターは、作詞作曲の両方をやってのける数少ない音楽家。高校時代、すでに「歌詞と曲は分かち難く一体でなくてはならない。」という信念を持っていたといいます。
 ポーター作品の特徴は、都会的で垢ぬけていて、ビタースイートなところ。そして、歌詞については、「ほのめかし( insinuation)」「 ダブル・ミーニング(double-entendre)」の妙です。都会的でビタースイートな作詞家なら、他にMy Funny Valentineなどを書いたロレンツ・ハートがいるけれど、ポーターの書く詞は、もっときらびやかで甘さは控え目です。
 米国中西部インディアナ州ペルー出身、スコットランドに祖先を持つコール・ポーターは、お母さまに溺愛された甘やかされっ子。母方の祖父は、一代で財を成した街一番の富豪、ポーターの養育費、学費などを援助しました。厳格な祖父は孫が将来法律家になり、家督を相続して欲しいと願っていたのですが、母の助けで祖父を欺きながらエール大やハーバード大時代から作曲に勤しみ、卒業後すぐブロードウェイで活躍します。第一次大戦中の1917年に渡仏、パリ社交界で、政界財界のセレブ達とパーティ三昧の享楽的生活を送りながら、表向きは、フランスの外人部隊に参加していた戦争の勇者と偽っていました。
 28歳のとき、ポーターはパリで知り合った、アメリカ人の富豪リンダと結婚します。でもそれは、業界の「公然の秘密」であった彼のホモセクシュアリティを承知の上の、ちょっと変わった結婚であったそうです。まだアメリカでは、多くの州で同性愛が犯罪行為とされていた時代のこと、その辺りは、「五線紙のラブレター」(2004)というコール・ポーターの伝記映画でハリウッド的に美化されて描かれています。コール・ポーターの愛人の男性たちは、振付師、建築家など職業も色々ですが、皆大柄で逞しい男性であったそうで、ポーター作品の版権は全て最後の愛人とその遺族に帰属しています。
 フランス帰りのトップ・ソングライター、見た目も中身も徹底的に洗練された「粋」の権化、コール・ポーターの悲劇は46歳の時に起こります。’37年、落馬事故で両足骨折し、34回の手術の挙句、片足を切断、死ぬまで激痛と闘いながら創作活動を続けました。誰よりも「ルックス」にこだわっていたポーターの辛さはどれほどだったでしょう。その苦しみが、享楽の「報い」と思えることがあっても、不思議ではないかも知れない。でも、享楽も苦しみも、誰も知らない悲しみも、溢れる想いは、いつも「ほのめかし」と「ダブル・ミーニング」に隠されていて、野暮天には一生分からないようになっている。
<危険なラブ・ソングに隠されるコード>
 とりあえず<It’s All Right with Me>の歌詞を読んでみましょうか。元歌詞はこちら。
 元々はパリ生まれのお色気たっぷりのレビュー、フレンチ・カン・カンを題材にしたミュージカル”Can Can”の挿入曲、映画ではフランク・シナトラが歌いヒットしました。
 私が聴きなれているエラ・フィッツジェラルドの歌は、「Montreux ’75」と、「Jazz At The Santa Monica Civic 」に収録されています。道ならぬ恋の歌だけど、いやらしくなくて、粋で色っぽい歌詞が、エラの明るさとマッチして、強烈なスイング感と共に独特な魅力を発散し、グッと来ます。コール・ポーター自身もエラが歌う自作品を非常に気に入っていたそうです。 年末に発行予定の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」第7巻には、他にも、エラ・フィッツジェラルドの歌うコール・ポーターがたくさん載っているのでぜひ読みながら聴いてみてくださいね。

<イッツ・オーライト・ウィズ・ミー:sung by エラ・フィッツジェラルド>
Cole Porter (’53作)
A-1
いけない時間に、いけない場所で会った人、
あなたの顔は魅力的、でも、いけない顔ね。
彼の顔ではないけれど、あんまり素敵な顔だから、
私は別にかまわない。
A-2
いけない歌だし、歌い方もいけないわ。
あなたの微笑は素敵だけど、それはいけない笑顔でしょ。
彼の微笑じゃないけれど、ほんとに素敵な笑顔だから、
私は別にかまわない。
B
出会えて私がどれほど幸せか、あなたは分からないでしょ。
不思議にあなたに魅かれてる。
私には忘れたい人がいるんだけど、
実はあなたもそうじゃない?
A-3
いけないゲームに、いけないものを賭けている。
いけないことと知りながら、あなたの唇にうっとりしてる。
彼とは違うけど、うっとりするようなキスだから、
もしも特別な夜にあなたが自由なら、
ねえ、私は別にかまわないのよ。

 詞だけ読んでいるとかなりヤバい、いやらしいなあ・・・ところが、あの軽快なメロディと一緒だと、不思議にサラリとして、粋になるのが、メロディと詞を合体させてやっと味が出るというコール・ポーターらしさですね!
<ほのめかしはどこに?>
 エラの歌も映画のシナトラ・ヴァージョンも、道ならぬ恋に、どうしようもなく堕ちていく歌ですが、本当のところ、コール・ポーターがこの歌詞に託したのは、自分が住む男同士の恋の世界に思えて仕方ありません。
 上のエラの歌詞は女性だから彼女 に変えているけど、A-1部分の元々の歌詞はこうなっている。
It’s the wrong time, and the wrong place,
Though your face is charming, it’s the wrong face,
It’s not her face, but such a charming face
That it’s all right with me・・.

 「いけない時間といけない場所」というのが、パリ時代にコール・ポーターがよく開いたという男だけのゲイ・パーティを暗示しているとしたら、チャーミングな顔やどうしようもなく魅力的な笑顔も、唇も、それらが「いけない」わけは、「同性のものだから」ではないのかな?
 その証拠が3行目にほのめかされている。
It’s not her face, but such a charming face that it’s all right with me・・.
 つまり、「それは女性の顔じゃないけど、あんまりチャーミングだから、(男でも)僕は構わない。」と読めてしまうんです。
 ではB節の「忘れたい誰かさん」とはコール・ポーターにとって誰なんでしょう?別居中だった奥さんのリンダなのか?ゲイに否定的だった当時のアメリカの教会や司法なのかしら?私には、厳格な祖父、OJ・ポーターの顔が見えます。
 ゲイの世界には全然縁がないけれど、<イッツ・オーライト・ウィズ・ミー>には、コール・ポーター的な「ほのめかし」と「ダブル・ミーニング」がたくさんあって、わくわくします。
 それにしても、快楽的なこの歌が、片足を失い辛い痛みと闘っていた人が書いたものとは、とても思えません。苦しみや悲しみはすべて、上等なスーツの内ポケットに隠していたんですね。壮絶なるええかっこしい・・・極限のダンディと言えるかもしれない。
 コール・ポーター的「ほのめかし」のウィットをよく理解するトミー・フラナガンだからこそ、『The Standard』に敢えてこの曲を収録したのかな?歌詞の聴こえるプレイが身上のピアニストですから、歌詞を観ながら演奏を聴けば、フラナガンの「ほのめかし」と「ダブル・ミーニング」がお分かりになるかも・・・分からなければ、講座本「トミー・フラナガンの足跡を辿る」にそのうち載りますよ!
CU

秋深し Moonlight Becomes “メインステム”

ms_10_17_09.JPGサウンドも引き締まってきました!寺井尚之(p)、宮本在浩(b)、菅一平(ds)

  土曜日の寺井尚之トリオ”The Mainstem”、沢山お越しくださってどうもありがとうございました。トリビュート・コンサート(11/28)が近づき、日本の美徳「折り目正しさ」を身上とするトリオのサウンドが、さらに引き締まってきた感がします。
 この夜は、お月見の10月に倣い、「月」に因んだ名曲がすらりと2nd Setに並びました。オープニング Setではレッド・ミッチェル(b)のオリジナルなど今月のジャズ講座で強い印象を受けた曲を、ラスト・セットはバップの芳香がOverSeasに充満して大満足!
  「月」は、昔から人や動物を操り、「クレイジー」にする魔力を持っているとされています。下手するとヴァンパイヤに変身することも・・・月に因んだ美しい名曲の後に、「きちがい音楽」と揶揄されたBeBopが来るのは理に叶っているのかも!
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<1>
1. You’re Me ユー・アー・ミー (Red Mitchell)
2. All the Things You Are  オール・ザ・シングス・ユー・アー (Jerome Kern)
3. Whisper Not ウィスパー・ノット (Benny Golson)
4. When I Have You  ホエン・アイ・ハヴ・ユー (Red Mitchell)
5. It’s All Right with Me イッツ・オーライト・ウィズ・ミー  (Cole Porter)

<2>
1. Fly Me to the Moon  フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン (Bart Howard)
2. (East of the Sun,) and West of the Moon 太陽の東、月の西  (Brooks Bowman)
3. How High the Moon ハウ・ハイ・ザ・ムーン  (Morgan Lewis)
4. Moonlight Becomes You ムーンライト・ビカムズ・ユー  (Jimmy Van Heusen)
5. Old Devil Moon オールド・デヴィル・ムーン (Burton Lane)

1. Ladybird レディバード (Tadd Dameron)
2. The Scene Is Clean  ザ・シーン・イズ・クリーン (Tadd Dameron)
3. Sid’s Delight シッズ・デライト  (Tadd Dameron)
4. Soultrane  ソウルトレーン(Tadd Dameron)
5. La Ronde Suite ラ・ロンド・スイート (John Lewis)
Encore: Stardust スターダスト (Hoagy Carmichael )

   一部で聴けたレッド・ミッチェルのオリジナル、”You’re Me”は平日もしばしば聴けますが、バラードの“When I Have You”は久しぶりに聴けました。愛する人と過ごす満ち足りた時間が、そのままプレイのタイムになった極上のプレイ、まだ聞いたことのない歌詞が聴こえてくるように思えました。その前に演った“Whisper Not”は、トリオの息がひとつになってギア・チェンジして、ハードバップの「けじめ」みたいなものを感じさせる爽快なプレイに、客席も気持ちよさそう!
 ラストのコール・ポーター、弾丸スピードの” It’s Alright with Me”は、問題作スーパー・ジャズ・トリオ「The Standard」に収録された奥深い演奏(いろんな意味で)を講座で聴いたので、次回の「対訳ノート」に書こうと思ってます。
 OverSeasならではのお月見が楽しめた二部のオープニングは“Fly Me to the Moon”、先月の「枯葉」もそうでしたが、The Mainstemのスタンダードは、いつも垢抜けていますね。
east_o_the_sun.jpg      ビリー・ホリディのおハコでもある2曲目は、寺井尚之が「ウエスト・オブ・ザ・ムーン」と曲目紹介して、客席をにんまりさせました。元来「East of the Sun, and West of the Moon / 太陽の東、月の西」はノルウエイ民話の名前。魔法で白熊に変えられ、魔女と結婚させられそうになる恋人の王子を探し求め、果敢に北の国を冒険する娘の物語です。愛する王子様が幽閉されている場所の唯一の手がかりが「太陽の東、月の西」というわけなんです。
 うっとりするほどロマンティックなバラード“Moonlight Becomes You”「月光は君に似合うね」という意味です。
“月光に照らされる君の美しさは息をのむほど。
月明かりが君にすごく似合うから、
僕はどうしようもなくロマンティックな気分。
もしも僕が今愛を告白したとしても、
それは月のせいじゃない。
月明かりが、あんまり君に似合うから。”

 いいなあ!・・・作詞はジョニー・バーク、とろけるように甘いロマンティックな歌詞なら右に出るものなし!この歌は、But Beautufulなどと同様、ビング・クロスビー、ボブ・ホープ主演の「珍道中シリーズ」の挿入歌で、これはモロッコでのドタバタ・コメディー『the Road to Morocco』の中でクロスビーがソフトな声でハーレムのバルコニーの奥にいる美女に歌いかけます。
 三部はバップ・チューンで真っ向勝負、日本広しと言えど、「タッド・ダメロンが聴けるのはOverSeasだけ」と言われるだけあって、タイトなサウンドを堪能させてくれます。その中で、ダメロンがジョン・コルトレーンに捧げたという“Soultrane “は「バップ・バラードとは、こういうもんや!」という気迫がビシビシ伝わってきました。
 ラストの“La Ronde Suite”はリズムと色合いの変化でジェットコースターに乗っているような心躍る曲、ジョン・ルイス(p)作曲、モダン・ジャズ・カルテットやディジー・ガレスピーOrch.の名演が心に残ります。このトリオがNew Trioという名前でスタートした当時から、寺井が最強のピアノ・トリオ・ヴァージョンに編曲して愛奏していました。在浩さんのベースライン、一平さんのフィル・イン、全てしっくりまとまって、ここぞという時に爆発するダイナミクスが最高でした!いつかレコーディングしてほしいと願います。
 そしてアンコール!再び夜空に戻って“Stardust”の聴きなれたメロディにバップ魂の星屑が舞い散りました。
 1st Setの”Whisper Not”を作曲したベニー・ゴルソン(ts)が、ドキュメンタリー映画、『A Great Day in Harlem 』で、こんな事を話していたのを思い出しました。
benny_golson7.jpg “僕は良い曲を書きたいといつも思っていてね。ある夜、夢の中で素晴らしいメロディが聴こえてきた。目が覚めた時、僕はすぐに起き上がって、必死で五線紙にメロディを書き留めたよ。すると夢に観た曲は、なんと“Stardust”だったのさ!(笑)”

 スタンダードからバップ・チューンまで、The Mainstemの守備範囲はますますボーダーレスなものになってきました。名曲であっても名演じゃないと面白くない。スタンダードでも手垢のついたものは聴きたくない。それなら、ぜひ寺井尚之The Mainstemを聴きに来てください。バップの魂とサムライの折り目正しさを持つ、気持ちの良いピアノ・トリオです。
 次回は10月30日(金)、ぜひお待ちしています!
CU

11/28(土) トリビュート・コンサート開催!

15th_tommy_tribute.JPG
 第15回追悼コンサート:Tribute to Tommy Flanagan
 日時:2009年11月28日(土) 1部 7pm-/2部 8:30- (入替なし)
 於:Jazz Club OverSeas 
 前売りチケット: ¥3,150(税込 座席指定)

 秋も深まり、夜になると爽やかな風に吹かれて帰るのが心地良い季節になりました。インフルエンザ流行で学級閉鎖などのニュースを聞きますが、皆さん、いかがお過ごしですか?
 11月は、トミー・フラナガンが亡くなった月ですので、28日には、OverSeas恒例追悼コンサート、Tribute to Tommy Flanaganを開催いたします。
 演奏は、もちろん寺井尚之(p)The Mainstem 宮本在浩(b)、菅一平(ds)。そろそろ、トリオもトリビュート・モードに入ってきました。これから、寺井尚之の指もお稽古で、いつもに増して筋肉がついてパンパンにはち切れて来ます。
 トリビュートの夜は、生前のトミー・フラナガンがライブで聴かせてくれた名演目の数々が甦る楽しい一夜になるでしょう!当然のことながら、前回3月のトリビュート・コンサートと全く違うプログラムでお聴かせする予定ですが、何を演るのは私も全然知りません。
 トミー・フラナガンの音楽の不思議なところは、いつまでも新鮮で色褪せないこと。先日のジャズ講座で聴いた「The Standard」は、自分から好んで聴くことのないアルバムでしたが、”It’s All Right with Me”や”Angel Eyes”の歌詞の中に隠されたトミーの強烈なメッセージを聴きとることが出来ました。名人の落語は「1週間経ってやっとオチが判る」ことがあると言いますが、フラナガンのオチは29年経ってから判ったのだった・・・
 フラナガンが亡くなった2001年以来、11月は私にとってブルーな月でしたが、最近はトリビュート・コンサートに集まってくださる皆さんにお目にかかれるのが楽しみです。
 トリビュート・コンサートは初めてという方もどうぞお越しください。これをきっかけにトミー・フラナガンを好きになっていただければ最高です。
 OverSeasの席数は限られているので、チケットの販売は当店のみ。ぜひお待ちしています!
tommy_apartment.jpg最晩年のトミー・フラナガン、NYの自宅にて:たぶん、今もこのスタインウエイは、蓋を開けたままで主が再び弾いてくれるをずっと待っているはず。JazzTimes
CU