秋のトミー・フラナガン・トリビュート11/19(土)開催!

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  暑かった夏がやっと過ぎ、肌寒い季節になりました。皆様いかがお過ごしですか?

 OverSeasの年中行事、トミー・フラナガンを偲ぶ秋のトリビュート・コンサート“Tribute to Tommy Flanagan”、今年は11月19日(土)に開催します。

 名曲Dalarnaを始めとするオリジナル曲、フラナガンがこよなく愛したサド・ジョーンズやエリントンの楽曲、ビリー・ホリディのヒット曲、そして深いメドレーなどなど、レコードで、そしてライブやコンサートで感動を与えてくれた名演目の数々を、トミー・フラナガンの弟子として今もなお研鑽を重ねる寺井尚之率いる名トリオ、The Mainstem (宮本在浩-bass 菅一平-drums)の演奏でお聴かせします。

 長年のフラナガン・ファンから、日頃ジャズに馴染みのない方々も、来てよかった!と思って頂けるコンサートにいたします。

“Tribute to Tommy Flanagan”ぜひお越しください!

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 ”Tribute to Tommy Flanagan” トミー・フラナガン追悼コンサート

    演奏:寺井尚之メインステム(宮本在浩 bass 菅一平 drums)

 11/19(土) 7pm- / 8:30pm- (入れ替えなし)

 前売りチケット(3000円)は当店にて発売中。お早めにお求めください。

 

 

闘病中のGeorge Mraz を援助する寄付サイト

george14276579_1473211274.1474_funddescription.jpg  我らが兄貴、ベーシストのジョージ・ムラーツは、去る7月8日に膵臓嚢腫の除去手術を受けました。

 幸いに嚢腫は良性でしたが、術後に心臓発作を併発、その他の合併症のために現在も闘病中です。ジョージの妻、カミラさんが、ムラーツの快癒を祈念して、寄付サイトを立ち上げています。寄付の方法は簡単な英語ができて、クレジットカードをお持ちでしたら、比較的安易に、また安全に出来ます。

 これまでに、旧友のジョン・アバクロンビー、ジョン・スコフィールド達、これまでの共演者、アーマッド・ジャマル(p)、ケニー・バロン(p)、エミール・ヴィクリッキー(p)、ベニー・ウォレス(ts)ジョーイ・バロン(ds) etc…バスター・ウィリアムス、北欧のハンス・バッケンロスを始めとする先輩後輩のベーシスト、そしてクインシー・ジョーンズまでが、彼の才能を讃え寄付を行い、寺井尚之と私も些少ですが、このサイトを通じて御見舞いしました。現在3万ドル近い金額が集まっていますが、治療費、生活費を考えると、決して安心できる金額ではないと思います。

 ジョージ・ムラーツに御見舞しようという皆さまは、一度、このサイトをご覧になってみてください。

 

 

対訳生活アゲイン

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写真:エラ・フィッツジェラルド&ノーマン・グランツ 於 南仏アンティーブ’64

 寺井尚之が、トミー・フラナガンのディスコグラフィーを時系列に辿りながら解説する月例講座、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」が始まって早13年。解説の内容も、爆笑度もますますヴァージョン・アップして第二期に突入中。

 9月から第一期エラ・フィッツジェラルド共演時代が始まります。トミー・フラナガンとエラ・フィッツジェラルドのレギュラー共演は、2つの時代に大別され、第一期は1963年~65年、第二期は1968~78年、エラの元から独立した後、フラナガンの演奏は円熟期に入ります。

 チック・ウェッブ楽団で磨かれた天才バンド・シンガー、エラ・フィッツジェラルドの即興演奏芸術は、一般的な「歌手」の範疇を大きく超越したもので、「引用」フレーズを散りばめるアドリブ技法や、「転調」で3D的歌唱世界を作り上げる様子は、まるでピカソのキュビズム絵画のようです。

Ella_at_Juan_les_pins_1.jpg というわけで、今後しばらくは毎月エラのアルバムが解説されることになるので、私の「対訳生活」がまた始まります。まずは『Ella at Juan-Les-Pan』(’64)から。

 南仏のリゾート地の野外コンサートに併せて、歌詞はどんどんオリジナルから離れて、ほぼ原型をとどめない歌もあるほどです。だからといって、終始行き当たりばったりに変えているわけではなく、ジャズ・ミュージシャンと同じような思考回路で、無限にある音楽の引き出しから、「スイングしていて意味のある」言葉を選んでいるようにも思えます。

 その証拠に、現代のブルース研究の第一人者、メンフィス大学教授のデヴィッド・エヴァンスが編纂したブルースの研究所『Ramblin’ on My Mind/ New Perspectives on the Blues』では、エラの歌った”セント・ルイス・ブルース”について、彼女の歌詞やメロディーのどのフレーズが、どの時代の誰のブルースから引用されているかを研究した章があるくらいなのですから。

 尤も、歌詞というものは、歌唱要素の一部にすぎません。寺井尚之が私の対訳を使って、様々な角度からエラとフラナガンの芸術を浮き彫りにしてくれるのは、ほんとうに面白い!

 また色々こぼれ話を書いていこうと思っています。ご興味があれば、講座にも足を運んでみてくださいね。

 「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」毎月第二土曜日 18:30- 開講
    参加料2500(学割チャージ半額)

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オータム・コンサート(2)中井幸一(tb)クインテット

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 残暑に台風、皆様いかがお過ごしですか?

 7月に開催した『Dial J.J.5』特集コンサート、ベテラン・トロンボーン奏者、J.J.ジョンソンの世界を知り尽くす中井幸一による渾身の編曲と、盟友ホーン奏者、中務敦彦をフロントに、これまたJ.J.ジョンソン+トミー・フラナガンのコラボを知り尽くす、寺井尚之トリオ”The Mainstem”がリズム・セクションを務める夢のクインテット、大変ご好評いただき、ありがとうございました。再演のご希望に応えて、来る10月1日(土)、さらにヴァージョン・アップしたコンサートを開催します!

p-nakaikoichi-200.jpg リーダーの中井幸一さんは、関西大学軽音楽部在籍中から、並外れたプレイと耳の良さで、プロとして引っ張りだこの存在でした。これまで様々なコンボや、アロー・ジャズ・オーケストラ、ニュー・ソニック・ジャズ・オーケストラなどのビッグバンドで活動、リーダーとして、ホズク・オーケストラを主宰しています。そして、ビッグバンドからポップスまで、幅広い編曲で定評ある名アレンジャーでもあります。

 

 

 

atsuhiko nakatsukasa.jpg 中井さんと共にフロントを務める中務敦彦さんは岡山を拠点に活動するマルチ・リード奏者、ソプラノ、アルト、テナー、バリトンをこなし、「ジャズに軸足を置きつつも、近年、ヴォーカリストとのバンドやポップスのサポートも密かに楽しんでいる。」と仰っています。

 中井さんと中務さんを強力にバックアップするのはご存知、寺井尚之メインステム(宮本在浩 bass 菅一平 drums)、J.J.ジョンソン達先人の音楽への深い愛情と尊敬が満ち溢れる演奏を聴くのはほんとうに気持ちが良いです。上っ面だけの懐メロジャズとは、桁の違うクインテットのプレイ、ぜひ聴きに来て欲しいです!

“中井幸一(tb) 5 Plays J.J.Johnson”

日時:10月1日(土) Music 7pm-/ 8pm-/ 9pm- (入替なし)
メンバー:中井幸一(tb,arr.)、中務敦彦(ts), 寺井尚之(p)、 宮本在浩(b)、菅一平(ds)
Live Charge3000 (学割チャージ半額)

 

 =予定演奏曲=

Barbados (Charlie Parker)
Our Love Is Here To Stay (George Gershwin )
What Is This Thing Called Love (Cole Porter)
Walkin’ (Miles Davis) etc…

 

 

オータム・コンサート(1)アキラ・タナ

 

akira_tana_2016.jpg Good News!

 今年の秋も、私達が大尊敬するお友達であり、ジャズ界を代表する巨匠ドラマー、アキラ・タナ(ds)さんがOverSeasにやって来ます!

 アキラさんは今回も「音の輪」を率いて、震災復興支援のために、東北各地で無料コンサートを敢行する他に、「音の輪」としてギグやコンサートも行う予定。

 OverSeasにアキラさんが出演する日は、奇しくもアキラ・タナの知名度を世界レベルに押し上げたジミー・ヒース90才の誕生日とあって、アキラさんと同様、ジミーを敬愛する寺井尚之(p)がスペシャルなプログラムをご用意いたします。

 OverSeasでは、アキラさん大好きなファン増殖中。皆さんも10月25日はぜひぜひ、お越しください!絶対に楽しい演奏になりますよ!

 akira_tana_at_overseas2.JPG寺井尚之(p)トリオ featuring Akira Tana (ds)

with 宮本在浩(b)

【日時】2016年10月25日(火) 開場:18:00~
MUSIC: 1st set 19:00- /2nd set 20:00- /3rd set 21:00- (入替なし)
チケット制:前売り ¥3500(税抜)
当日 ¥4000(税抜)

 

対訳ノート(48)You’d Be So Nice to Come Home To

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Cole Porter (1891-1964)

=歌のお里=

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  “You’d Be So Nice to Come Home To” は言わずと知れた超セレブソングライター、コール・ポーターの作詞作曲。ブロードウェイの舞台裏を描くコメディ-映画『Something to Shout About』(’43)の劇中歌で、主役、ドン・アメチーが、この歌でヒロインを口説くものの、「プレイボーイのあなたは、女の子を見れば誰でも追いかけまわしているのでしょ。」と軽くいなされる。映画はコケたけど、この歌はオスカーにノミネートされ、多くの歌手や楽団がカヴァーした。中でも映画と同年にリリースされたダイナ・ショア&ポール・ウェストン楽団のレコード(メリルのヴァージョン同様、ヴァースなし)は、ヒットチャートに18週間ランクイン、ソングライターとして最大のライバル、アーヴィング・バーリンの<ホワイト・クリスマス>を追い抜き、ポーターは大いに溜飲を下げた。ジャズ・ファンに愛され続けるヘレン・メリルのヴァージョンはそれから10年以上後に録音されたものです。

 当時、この歌がヒットした理由は?
 -「歌詞哀愁を帯びたメロディーが、戦争のため、愛する人と離れて暮らす何百万という男女の共感を呼んだから。」- 伝記《Cole Porter/ A Biography (Charles Schwartz著)より。

 それなら、やっぱり歌詞を調べよう!コール・ポーター詞の特徴は、クラシックでエレガントなことばと、口語や新語が絶妙のさじ加減で混ざり合い、独特のリズムと洒落た味わいを生み出すところ。だから英語を母国語としない私たちには難しい!

=エイゴの話=

 最大の難関は、巨泉さんでさえ誤ったタイトル・フレーズ、You’d Be So Nice to Come Home Toこのことばで歌(Refrain)が始まり、終わる。当初、歌のタイトルには、いくつか候補があり、結果的に、このフレーズを題名とした。歌の肝!英語の意味をチェックしてみよう。

 (1) You’d は、ご存知のようにYou wouldの略、ここでの wouldは、現実と異なる空想や願望を表す。

 (2) You’d Be So Nice to Come Home Toの末尾の ‘To’は目的語を導く前置詞、なのに目的語自体がないのは、それが主語と同じだから。こういう場合は、目的語を入れてはだめ。受験英語サイトを見ると、そういうのは「欠落構文」と呼ぶらしい。先月見かけた、英デイリー・テレグラフ電子版の見出しが欠落構文だった。”This is the kind of music you should listen To at work. (仕事の能率向上に役立つ音楽ジャンルはこれ!) 

(3) 次によくわからないのが ’Come Home To You‘ということばの意味。‘come home’なら’家に帰る’だけど、そこに‘To you’が付くとどうなるの?私が調べた英和辞書には、イディオムとしての適切な説明はなかった。そこで、ネイティブ用の便利な無料辞書サイト、The Free Dictionary.com を調べてみる。すると、以下のような記述が!

come home to someone or something

to arrive home and find someone or something there.( 帰宅して、’to’以下の人、あるいはそれ以外の何かを見つけること) 

  これだ!‘Come Home To You’とは、「自分の家に帰ると、あなたが居る。」という意味だったのだ。つまりYou’d Be So Nice to Come Home Toは、「僕が家に帰ったとき、もしも、誰かが僕の家に居てくれるとするなら、そして、その誰かが、もしも君なら、すごく素敵だろうなあ…」となり、直訳すると、詩的と言うには程遠い、やたらと回りくどい愛の表現になるのだった。

  巨泉さんは、この題名の正しい意味は『あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ』としていた。そして、大戦下でヒットしたのは、『戦争のために、愛する人と離れ離れで暮らす何百万という男女の心にアピールした』から。どうやら、ずいぶん近づいてきたみたい。

 それでは、この言葉は、映画のように、男から女への口説き文句であり、「早く戦争が終わって、恋人の待つ故郷へ、或いは妻の待つ家に戻りたい!」という男たちの気持ちを語る歌なのだろうか?十年ほど前、私はそう確信し、『Ella at Juan Les Pain』でエラが快唱するこの歌の対訳を作ったのだけど…もう一度しっかり確かめておこう。 

=ネイティブに訊いてみた

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 持つべきものは友!米国に進出する日本企業のために、膨大な和英翻訳をこなすプロ中のプロフェッショナルであり、サックスでジャズ、ヴァイオリンでクラシックと幅広い音楽活動を続ける私の翻訳パートナー、ジョーイ・スティールさん(在サウス・カロライナ)は、私の疑問をいつも解決してくれる魔法使い。日英の比較言語とジャズの両方に精通するジョーイさんに、歌詞の本当の意味を訊いてみた。日本語検定一級の彼でも、英語のニュアンスを伝えるのは英語。驚いたことに、これは「プロポーズの言葉」だと、教えてもらいました。以下は要約。 

1.要するに、プロポーズの歌だよ。 

2.この歌の時代は、男性が外に出て働き、女性は主婦、というのが一般的だった。’仕事で疲れて家に帰った僕を、君が迎えてくれれば、どんなにいいだろう!’言い換えれば‘一緒になろう、結婚して!’ってこと。明らかに、男性から女性に向けた歌詞だよ。もちろん女性が歌っても問題ないけどね。 

3.結婚したカップルの間で、夫が妻にこのセリフを言う?それは、絶対あり得ない。例え離れ離れの夫婦でも考えられない。勿論、夫が戦地に居る夫婦がこの歌詞にグッとくるというのは、十分納得できるけどね。あくまで、「日常の夫婦生活に戻る」という意味じゃない。一緒に住もう、結婚しよう、という意味。

 *英語に関する質問サイトに日本人が投稿した同様の質問に対して、英国人女性がやはり「プロポーズ」という言葉で説明していたから、一般論として間違いないでしょう。

=リアリティ・ギャップ=

 結局のところ、「帰ってくれたら嬉しいわ」よりも「あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ」の方が正しいけれど、英語を母国語とする人々の意味するところよりも広義だった。言語のリアリティ・ギャップは至る所にある。状況証拠に気を取られずに、謙虚にならなければと自戒。

515332000.jpg 一方、戦時中の男女の心をわしづかみにした歌の陰には、コール・ポーターの秘められたリアリティがあった。ポーターはバーリンと並ぶほどの愛国者として知られているけど、自分が戦地に居たわけじゃない。ポーターはすでに50才を過ぎ、落馬事故によって両足の自由を奪われて5年の歳月が経っていた。それどころか、真珠湾攻撃が勃発したのは、左足の再度の大手術とリハビリからようやく退院した翌月だった。

 今の言葉で言うとLGBTだったポーターの奔放な男性遍歴の中でも、最愛の恋人(の一人)とされるネルソン・バークリフト(右写真 Getty Imagesより)は、この歌は’僕たちの歌’、つまり二人のロマンスを基に作られたと証言している。

 ダンサー、俳優、振付師であったバークリフト(1917-1993)は、ポーターより二回り年下だ。二十歳そこそこで俳優を目指しヴァージニア州からNYにやって来た。ポーターと親密になったのは、ブロードウェイで役が付き始めた’41年頃だ。芸能界の超大物で大金持ちのポーターは、彼にとって、願ってもない後ろ盾だったはず。

 ポーターは、この若者に夢中になった。足の自由を奪われ、合併症に苦しむポーターの目に、若く健康でしなやかな肉体を持つ美青年は、愛らしく眩しいものだったに違いない。ポーターから彼に送られた膨大な手紙や電報は、デート場所を記した走り書きのメモに至るまで、ポーターの死後公表されていて、一部を伝記で読むことができる。 

f99014b379ebfe6154dc5746f952adf7.jpg 1942年、バークリフトはポーターの元を離れて、陸軍に入隊した。耐え難い寂しさを味わうのは専らポーターだった。逞しい若者がわんさか居る軍隊、勿論、軍隊にはゲイも居る。いろいろ浮名を流す年下の恋人の帰りを待つポーターは、僕My可愛いlittle兵隊soldierさんboy“に宛てて、残された寂しさや、臆面もない愛の言葉、時には嫉妬や非難の言葉を書き送っている。ポーターはLAとNYに複数の屋敷を所有し(戦前はパリにも)、ビヴァリーヒルズに近いブレントウッドの邸宅には、バークリフト専用の部屋が用意されていた。

 コール・ポーターの時代のアメリカでは、同性愛は違法、だから彼の嗜好はひた隠しにされた。リンダという妻を娶り、妻との「友情」は美化され語り継がれているけど、真相は本人しかわからない。彼はしばしば夫婦旅行にボーイフレンドを同行させることもあった。お気に入りのボーイフレンドを自宅近所のアパートに囲ったり、セレブ達で共同経営する高級クラブの支配人に据え、そこで別の男の子とデートしたり・・・毎日昼間から、プールサイドで男だけのパーティ三昧…私のような庶民には、面倒臭いとしか思えないけど、セレブだけに許されるゴージャスな享楽を謳歌した。実際のとこと、24時間介護してくれる使用人なしでは、トイレや着替えも難しいことも、ひた隠しにした。

 彼の恋の相手は、このバークリフトだけでなく、ロシア人建築家からトラック運転手まで、数え切れないほどいたけれど、一生を共にする相手には恵まれず、孤独な死を迎えている。

 戦時下の大多数の男女と、コール・ポーターの事情には、少しばかりのギャップがあるけれど、<You’d Be So Nice to Come Home To>が、大きな共感を巻き起こしたのは、ドロドロの愛憎を上手にクローゼットにしまい込み、美しいところだけを見せるという、プロフェッショナルなソングライターとしての手腕の賜物だったのか?或いは、戦地に行った愛する人への想いは、誰でも同じということなのだろうか?

=暖炉のメタファー=

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 コール・ポーターの権威、ロバート・キンボールの解説に、この疑問に対するヒントがあった。〝当初、この曲には複数の仮題が付けられていて、その中の一つが<Something to Keep Me Warm (僕を温め続けてくれるもの)>である。”というのです。恐らく、このタイトルがボツになったのは、アーヴィング・バーリンによる’30年代のヒット曲、<I’ve Got My Love To Keep Me Warm >を連想させるからでしょう。もしも、このタイトルだったら、歌手たちは、二行目の“You’d be so nice by the fire”を強調して歌ってたかも。この言葉、単純に訳せば「暖炉のそばの君は素敵だろうな。」になる。でも、この歌が「プロポーズの言葉」であるからには、「暖炉のそばの君」の意味はとても深い。

 寒い冬の夜、一人暮らしの我が家に帰ると、家の中は暗くて寒い。でも「君」と一緒になれば、明かりが灯り、暖炉で温まった家が「僕」を待っていてくれる。

 赤々と燃える暖炉は、仕事の疲れを癒し、すさんだ心を温めてくれる「君」の象徴、コール・ポーターが、いくつ屋敷を所有し、どれほど恋をしようとも、母親以外の誰に求めても得られなかった、「ぬくもり」の象徴ではなかったのかな?

=You’d be So Nice to Come Home To=
作詞作曲 Cole Porter (1943)

You’d be so nice to come home to,
You’d be so nice by the fire,
While the breeze, on high, sang a lullaby,
You’d be all that I could desire,

Under stars, chilled by the winter,
Under an August moon, burning above
You’d be so nice,
You’d be paradise to come home to and love.
 

家に帰って、君が出迎えてくれたなら、とても素敵だろうな。

暖まった暖炉のそばに君が居れば、もう最高だろうな。

心地良く吹くそよ風が子守歌を歌ってくれても、

僕の願いは君と一緒になることだけ。

凍てつく冬の星の下、

8月の燃える月の下、

いつも君と一緒なら、素敵だろうな、

最高に幸せだろうな、

僕を待つ、愛する伴侶が君ならば。

 戦争を体験した昭和の文化人、大橋巨泉さんは、「遊び」を、トコトン真面目に追及する楽しさを教えてくれました。この対訳ノートを、大橋巨泉さんに捧げます。合掌

  • 参考文献 

    COLE PORTER / A Biography by William McBrien / Alfred A. Knopf 1998刊
    The Complete Lyrics of Cole Porter by Robert Kimball / Da Capo Press 1992刊
    Cole Porter: A Biography by Charles Schwartz / Da Capo Press 1979刊

 

巨泉さんを偲ぶ/対訳ノート(48)You’d Be So Nice to Come Home To

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 大橋巨泉さんが亡くなった。「野球は巨人、司会は巨泉」…巨人は別として、11PMは、勉強するふりをして観ていた教養番組でした。クイズダービーなど、それ以降の人気番組は、こっそり見る必要がなくなったので、あまり印象にありません。

 11PMの巨泉さんは、ジャズや麻雀、釣り、北欧のフリーセックス事情だけでなく、歌舞伎や落語にもやたらに詳しかった。黒縁メガネのぽっちゃり顔とハイカラーのワイシャツ、ほどの良い毒舌…今思えば、巨泉さんのロール・モデルは、米国のTVタレント、スティーヴ・アレンだったのかもしれない。

Steve_Allen_-_press_photo.JPG 全米ネットワーク番組<The Tonight Show><The Steve Allen Show>で人気を博したアレンは、ジャズにも造詣深く、レイ・ブラウン(b)の十八番”グレーヴィー・ワルツ”の作曲者としてグラミー賞までもらっている。一方、巨泉さんがジャズ評論を辞めたのはコルトレーンの出現のためだった、と言われている。でも、亡くなる前に出演された関口宏のインタビュー番組「人生の詩」で、「ジャズ評論より、TVの放送作家のギャラは桁違いだった…」というようなことを仰っていたから、コルトレーン云々は江戸っ子の見栄だったのかもしれない… 合掌。

helen_1.jpg 巨泉さんが亡くなって一週間ほど経った7月21日は、ヘレン・メリルの生誕86周年らしく、ネット上で<You’d Be So Nice to Come Home To>が盛んに紹介されていた。昔見た大橋巨泉さんのジャズ番組で、こんなことを言っていたのを思い出す。

 「<帰ってくれたら嬉しいわ>という邦題があるけど、あれはゴ・ヤ・ク!ほんとうは、<君の元に帰っていけたら幸せ>って意味なんだよ。まったくバカがいるね。」

 後で夫に、この誤訳の主が大橋巨泉その人であることを教えてもらった。調べてみると、お嬢さんでジャズヴォーカリストの大橋美加さんが、自著エッセイで、父上が自分の誤りを正すために、さまざまなメディアで発信していたということが書かれている。

「この歌に、当時≪帰ってくれたらうれしいわ≫という邦題をつけた私の父は、最近テレビや文章の中で、しきりにそれが若かった自分の誤訳で、正しい訳は『あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ』という意味であると伝えている。・・・」(『唇にジャズ・ソング』(’98,7月刊)より 

 ともあれ、「NYのため息」と言われたスモーキーなヘレン・メリルの歌声とクリフォード・ブラウンの艶やかなトランペットのコントラストによって、この歌は<帰ってくれたら嬉しいわ>として日本で大ヒットした。私を大人のお楽しみと、ジャズの世界に導いてくれた巨泉さんを偲び、この歌を調べてみることにしました。(つづく)

翻訳ノート:フレッド・ハーシュ『サンデイ・ナイト・アット・ザ・ヴァンガード』

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  ピアニスト、Fred Herschは、寺井尚之の盟友、ドラマー、Akira Tanaさんや、ジョージ・ラッセルの愛弟子であったギタリスト、布施 明仁さん(在マレーシア)と同じ、ニューイングランド音楽院出身。ハーシュさんを初めて聴いたのは1970年代終盤、六本木のクラブにRed Mitchell(b)と出演した若手時代ですから随分昔のことです。

FH.jpg フレッド・ハーシュは1955年、コネチカット州シンシナティ生まれのシンシナティ育ち。アイオワ州きっての名門、グリネル・カレッジ在学中、ジャズに傾倒し、中退してニューイングランド音楽院に入学、ジャッキー・バイアード(p)に師事しました。

 ジャズ・シーンでトップ・ランナーとして輝かしい経歴を誇るハーシュは’90年代、その当時、死に至る病とされていたHIV(エイズ)に感染、、2008年には、関連疾患のために、演奏活動はおろか、2ヶ月間昏睡状態に陥り、生死の境をさまよいました。しかし、周囲の献身的な努力もあり、死の床から生還し、見事にカムバックを果たします。独自の音楽世界に一層の磨きをかけると同時に、エイズ撲滅の闘志として、様々なチャリティー活動を行っています。その一環として、ハーシュが昏睡状態の中で観た夢を舞台化した『My Coma Dreams』(2014)や、闘病経験をテーマにしたドキュメンタリー『The Ballad of Fred Hersch』も発表されているようで、一度見てみたいものです。

  そんなフレッド・ハーシュの最新盤は、特別な思い入れのあるジャズクラブ、<ヴィレッジ・ヴァンガード>でのライブ録音。彼自身が書いた誠実さ溢れるライナー・ノートを、ご縁があって翻訳させてもらいました。レギュラー・トリオならではの良さが溢れる、素晴らしいアルバムで、日本語解説書には、彼がライブ録音を行った週の、完全セットリストが付記されていて、日本語版ディレクターの熱意もまざまざと伝わってきます。

 ぜひご一聴を!

 日本盤<キングインターナショナル>のサイトはこちら。

 

近況報告&中井幸一Plays『Dial J.J.5』のお知らせ

p-nakaikoichi-200.jpg 皆様お久しぶりです!いかがお過ごしですか?

 ここ最近、珍しいお客様や懐かしいお客様が相次いでOverSeasに来てくれました。一人はジョージ・ムラーツ兄さんの義弟、ラデックさん、チェコでヘアーメイク・アーティストとして一流ホテルにサロンを持ち、気が向くと格安航空券で世界を旅するボヘミアン。大阪でカプセルホテル(!)を楽しむついでに、ムラーツさんゆかりの当店を訪ねてくれました。もう一人は、遥か22年前、香港からの政府交換留学生として大阪大学で勉強していた頃、よくライブを聴きに来てくれた青年チャンさん、現在は、香港中文大学の副学部長になり、学会で来日した際、「寺井さんのピアノを聴かせたい!」と海外の仲間を大勢連れて、滞在先の京都から、メインステムのライブに来てくれました。皆、マナーが良くて、すごく熱心に聴き、生のジャズ・ピアノ・トリオを楽しんでくださった!長い間、ジャズクラブの片隅に居ると楽しいこともあるなあ・・・としみじみ思います。

 さて、どんなに世の中が変わっても、J.J.ジョンソンはトロンボーンの神様で、『Dial J.J.5』が永遠の名盤であることは変わらない。と、いうわけで新企画登場!7月2日にOverSeasでは、トロンボーン奏者であり、ジャズからポップスまで、アレンジャーとして定評のある中井幸一さん、そして岡山のテナー奏者、中務敦彦(なかつかさ あつひこ)さんをお迎えし、中井さん書き下ろしのスコアで、J.J.ジョンソンの名演目をお聴かせします。リズムセクションは、もちろん寺井尚之メインステム(宮本在浩 bass 菅一平 drums)、メインステムにとっては演り慣れたJ.J.の演目、そこに実力派フロント二管が入ると想像するだけでわくわくします。 

=予定演奏曲=
Barbados (Charlie Parker)
Our Love Is Here To Stay (George Gershwin )
Bird Song (Thad Jones)
Old Devil Moon (Burton Lane) etc…

 

中井幸一(tb) 5 Plays J.J.Johnson 

日時:7月2日(土)
メンバー:中井幸一(tb,arr.)中務敦彦(ts),
 寺井尚之(p)、 宮本在浩(b)、菅一平(ds)
Live Charge3000 (学割チャージ半額)

首尾よくJ.J.Johnsonの音霊が蘇りますように。ぜひ一緒に聴きましょう!

 

コールマン・ホーキンス達の”ルート66″ (2)

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 ここでお話する『ルート66』は、1960-64年に放映されたTVドラマ、LAとシカゴを結ぶルート66を、バズ&トッドという二人の若者(上の写真左:バズ/ジョージ・マハリス、右:トッド/マーティン・ミルナー)が、コルベット・スティングレーに乗って旅するロード・ムービー。日本でもNHKでも放映され大ヒットした。余談ですが、トッドの吹き替えを担当した愛川欽也は、このドラマを下敷きにして『トラック野郎』の企画を作ったのだそうです。

<Season2/ Episode No.3 ”Goodnight, Sweet Blues”>

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 『ルート66』、シーズン2の第三話<グッドナイト・スイート・ブルース>はシリーズ中でも最もジャズ色の濃いもので、往年の名歌手エセル・ウォーターズを中心に、コールマン・ホーキンス、ジョー・ジョーンズ、ロイ・エルドリッジという錚々たるジャズメンがゲスト出演するというもの。このエピソードの監督ジャック・スマイトの代表作は、ビリー・ホリディ、レスター・ヤングからモンクまで、現存するスター達のスタジオ・セッションを記録した歴史的ジャズ番組『The Sound of Jazz』ですから、なるほどという感じです。

 【あらすじ】 

 ストーリーは愛と涙の人情話。ピッツバーグに近いRoute 66のどこか、老女Ethel-Waters.jpgジェニー(エセル.ウォーターズ)は運転中に心臓発作を起こし、トッド&バズの運転するコルベットと接触事故を起こす。トッド&バズに救助され、医師の診察を受けたものの、ジェニーの心臓は手の施しようがないほど悪化しており、余命いくばくもない。

 ジェニーは、昔大活躍した往年のブルース歌手だった。彼女の夢は、30年前に、共に活動した仲間“メンフィス・ナチュラルズ”ともう一度一緒に歌うこと。それを冥途の土産として天国に召されたい。

そこでジェニーは、トッド&バズに、「私の有り金全部使ってくれていいから、昔の仲間に会いたいの。彼らの演奏が聴きたいの。お願い!」と頼みます。 

 バズが大のジャズファンであったことから、二人は往年のディーヴァのために一肌脱ぐことを決意。手分けしてメンバー達を捜しにアメリカ中を飛び回る。.あの人はいま・・・LAやシカゴ、メンフィス、NY、かつての人気ミュージシャンは明暗分かれるそれぞれの人生を歩んでいた。現役バリバリのミュージシャンやスタジオ・ミュージシャンとして第二の人生を歩む者、、亡くなったり、刑務所で服役中だったり、音楽ときっぱり縁を切って靴磨きで生活している者まで、人生いろいろ。ともあれ、トッド&バズは、死を目前にするジェニーの病床で、約束通り“メンフィス・ナチュラルズ”のリユニオン・セッションを実現させる。

 元気をもらったジェニーは昔の仲間の演奏で、かつてのヒット・ナンバー、<Goodnight, Sweet Blues>を歌うと、幸せの笑みを浮かべながら天国に召されるのだった。

 黒人女優として初めてエミー賞にノミネートされたエセル・ウォーターズの演技もさることながら、コールマン・ホーキンスとパパ・ジョーとロイ・エルドリッジがドラマに出てるのがすごい!それにまだまだ人種差別があった’60年代始めに、白人青年が黒人女性の願いで、色々努力すというプロットも珍しい。

 コールマン・ホーキンス扮するスヌーズ・モブレーは、昔はクラリネット、今はテナーに転向して、大人気を誇るモダン・ジャズ・ジャイアントという役どころ、でも、実際のところ、セリフもほとんどなくて、芝居しているというよりも「素」のままです。芸達者な役者さん達も一緒にミュージシャン役を演じているのですが、ジョー・ジョーンズとロイ・エルドリッジは彼らと対等にしっかり芝居をしています。ところが、役柄の設定にびっくり!

<トランペットを吹くジョー・ジョーンズ>

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左から:ジョー・ジョーンズ(tp)、actor ウィリアム・ガン(banjo)、actor フレデリック・オニール(b)、ロイ・エルドリッジ(ds)一人おいてコールマン・ホーキンス(cl)


 このドラマでは、ジョー・ジョーンズとロイ・エルドリッジの楽器が入れ替わっているんです。刑務所に服役中で、判事の温情によって一時的に釈放してもらうトランペット奏者がジョー・ジョーンズ、NYのスタジオ・ミュージシャンとして引っ張りだこのドラマーがロイ・エルドリッジ!勿論、セッション・シーンもそのとおりで、パパ・ジョーの吹き替えをロイ・エルドリッジがやっている・・・

 なんでこんなややこしいことになったの??JazzWaxのサイトに、ジャズメンの友人である評論家、ダン・モーガンスターンが納得のいく説明をしていました。

 特別出演の3人のミュージシャンの役柄のうち、一番重要で出演シーンの多いのがトランペット奏者、Lover Brownだった。そこで、パパ・ジョーは、「この役やりたい!」ともくろんで、誰よりも早く撮影スタジオに入り、「私、トランペットも出来るんです。芝居も出来るんです!」と、監督に直訴したのだとか・・・身のこなしも滑らかで、トランペットも実際に吹けるジョーンズの方が、カメラ映りがいいと思われたのかもしれません。

 後からやってきたロイ・エルドリッジは、パパジョーの抜け駆けに激怒したものの、後の祭り、ドラマー役をやるしかなかった。なんたってエルドリッジは十代の頃はドラマーとして稼いでいたのだから、演奏するのには何の問題もなかったんです。

 上のスチール写真を観ると、ロイ・エルドリッジが何となくブスっとしているように見えなくもない。

ともあれ、歴史的なドラマ画像、セリフも短いし、ストーリーもシンプルで判りやすい。音楽はネルソン・リドル、残念ながら、ナット・キング・コールで有名な、あの<ルート66>の歌は登場しません。