数年前の春、私はガラにもなく病気で療養していました。私が休むことで沢山の人に迷惑をかけて辛かったけど、あれほどゆっくり読書できた時期はありません。その時出会ったのが、ホイットニー・バリエットというNYのジャズ評論家が書いた “American Musicians Ⅱ”で、”71人のミュージシャンのポートレート集”という副題が付いています。
ホイットニー・バリエットのこなれた文章には、月並みな形容詞や、決まりきったフレーズは皆無、「ジャズ評論家」と呼ぶには余りに詩的で文学的、とはいえ決して感性だけで書くのでなく、NYの街の地の利を生かし、過去の偉人や現在の巨匠本人だけでなく、親戚縁者に至るまでしっかりした取材の裏づけがあり、色んな角度からミュージシャンを眺め、文字通り一枚の肖像画に描き上げる独特なスタイルにすっかり魅了されました。
バリエットの奥さんはナンシー・バリエットという画家で、それがバリエットのスタイルに影響したのかも知れません。バリエット夫妻とフラナガン夫妻は親しい間柄で、フラナガン家には、ナンシーがペンで描いたトミーの肖像が飾ってあります。
バリエットは生粋のニューヨーカー、名門コーネル大出身、学生時代はデキシーランド・ジャズのドラマーとして活動し、’54から’01の長期に渡りThe New Yorkerでジャズや書評のコラムを持っていました。ネット時代以前には、紀伊国屋で立ち読みするThe New Yorkerのタウン情報にWBの署名を見つけると嬉しかったものです。
フラナガンが亡くなってからも、ダイアナはバリエットと仲良しで、一緒に色んなジャズクラブに行っていました。2007年に癌で死去しましたが、その後も日本では紹介されないのがとっても残念です。
トミー・フラナガン・ファンにとって、ホイットニー・バリエットは「珠玉のピアニスト」(’57 The New Yorker サクソフォン・コロッサスのレコード評)や、「ジャズポエット」(’86 The New Yorker トミー・フラナガンについてのコラムのタイトル)の名付け親としても有名ですね!
トミー・フラナガンのポートレート”Poet”は、以前ジャズ講座で配布したので、フラナガン・ファンが先入観を持たずに読めるポートレートをひとつ選んで来週の休日に連載しようと思ってます。
では明日の鉄人デュオでHush-A-Bye を楽しみにしましょう!CU
月: 2009年4月
光と影のスプリング・ソング:Spring Can Really Hang You Up the Most
寺井珠重の対訳ノート(15)
皆さん、ゴールデン・ウィークのプランは立てましたか?OverSeasは4/29(水)と、5/5(火),6(水)はお休み、それ以外は通常営業です。大阪にいらっしゃるなら、ぜひお立ち寄りくださいませ!
実を言うと、私の連休はゴールドじゃなくてブルーです。講座本の次号に掲載する対訳の整理など、今まで先送りにして来たタスクが山積み… そんな私には、先週、The Mainstemが聴かせてくれたバラード、『Spring Can Really Hang You Up the Most』が胸に沁みました。
講座と違いライブでは殆ど何もおしゃべりしない寺井尚之がボソボソ紹介した”スプリング・キャン・リアリー・ハング・ユー・アップ・ザ・モスト”というタイトルは、よく聞こえなかったかも…逆に演奏はボソボソどころか、三人の音色がクリアで気持ちがよかった!
日本人の私には長たらしく意味不明のタイトルが憂鬱!“Hang ~ up”というのは、「いやな気持ちにさせる」とか「気を滅入らせる」と言う時のインフォーマルな表現なんです。
そこで、日本語で説明を試みるが、やっぱり長たらしくなっちゃう…
「(一般的に楽しい季節とされている)春は、状況次第で、最も滅入り、打ちのめされた気分になる場合もある。」 ほらねっ。
<ビートニク系作詞家 フラン・ランズマン>
ピアノの前に座っているのがTウルフ、ピアノの上に座っているのがFランズマン
作曲はトミー・ウルフ(’25~’79)、作詞はフラン・ランズマン(’27~)、ジャズ講座対訳係りにとっては、むしろこの歌詞の方が「気が滅入り打ちのめされる」悩ましいものです。ランズマンはNYのアッパー・ウエスト・サイドの都会育ち、結婚後移り住んだ街セント・ルイスで、NYのセンスを生かし、夫の一族とキャバレー経営をして成功しました。作曲者のウルフは、ランズマンのキャバレー”クリスタル・パレス”でピアニストとして演奏する傍ら、せっせと曲を共作し、店の演目にして人気を博したそうです。”クリスタル・パレス”には、ウディ・アレンやバーブラ・ストライザンドなどNYの一流エンタテイナーが出演し、客席にはジャック・ケルロアックやアレン・ギンズバーグといった、ビートニク詩人達や映画スターなどセレブが集う、ポップ・カルチャー最前線のナイトスポットでした。
ランズマンはその後、英国に渡り作詞家、詩人、歌手、タレントとして長年活躍。アルコールやドラッグに浸るビート的私生活を暴露した息子の本も話題に。
<それはシアリングのクチコミから始まった>
この曲をNYのジャズ・シーンに広めたのは、寺井尚之のセカンド・アイドル、ジョージ・シアリング(p)でした。彼が”クリスタル・パレス”に出演した際、この曲をすっかり気に入ってテープに録り持ち帰り、「ヒップなネタがある」と、NYの仲間にせっせと聴かせた結果、都会派の”ジャッキー&ロイ”やボブ・ドローといった白人アーティストたちがこぞってレパートリーに加えました。’59年にはブロードウェイの『ザ・ナーバス・セット』というショウに、この曲がフィーチュアされました。その時演奏に参加していたギタリストがなんとケニー・バレルです。ショウはあっという間にコケましたが、この曲はスタンダードとして残り、ケニー・バレルのコンサートで聴いたことを覚えています。
<T.S.エリオット、ビートニク風味?>
ランズマンが語るところによれば、”Spring Can~”は大詩人、T.S.エリオットの代表作「荒地」に出てくる極めて有名なフレーズ「四月は最も残酷な月(April is the cruelest month)」のヒップな解釈とあります。確かに、「冬」を「死」のメタファーとして使ったりするところは、そうなのかもしれませんが、同じポップ畑のリチャード・ロジャーズ+ロレンツ・ハートの名曲、”Spring Is Here”(これも先週The Mainstemが演りました。)を引き合いにするよりも、セントルイスから英国に渡り、文豪となったT.S.エリオットの方が、ずっと「付加価値」が付くと計算したのかも…
<サムライ、ビート詞を斬る>
ランズマンの歌詞は、ヴァースの後にたっぷり2コーラス、たしかに都会的だしウィットもあるけど、歌詞だけだと、ヴィレッジ・ヴォイスに載ってるエッセーみたいに「喋りすぎ」の感じがします。でもそこにトミー・ウルフのメロディとハーモニーが加わると、春の陽光と影がうつろう極上のバラードになるのが、「詩」でなく「詞」のいいところですよね。
The Mainstemはヴァースからテーマを1コーラス、聴く者の心をわし掴みにしたままアドリブに入ってサビの途中からエンディングまで2コーラス!ほんとに息を呑む仕上がりでした。
その基になっているのが『サンタモニカ・シヴィック』の名演。ここでエラ&トミーは、上等の鮨屋さんが天然鯛をさばくように、歌詞の無駄をバッサリ切り捨て、エラのサウンドがさらに良くなるよう、言葉を大幅にデフォルメしています。最初私は、ライブ音源なので、「エラはまた歌詞を忘れちゃった!」と思ったのですが、Youtubeにあったオランダのコンサート(’74)でも全く同じ歌詞で歌っているので確信犯だった。その結果、春の陽光と心の影の対比が一層はっきり浮き彫りになる。
エラ流の斬新な歌詞は講座本次号に掲載するとして、ここはオリジナル詞に四苦八苦しながら訳をつけてみました。原詞はだいたいこんな感じ。
『Spring Can Really Hang You Up the Most』
ヴァース
どこにもいるような多感な女の子だった頃、
春は恋の季節で、
私も心を燃やしたもの。
でも今年は違う、
春のロマンスなんてありえない。
実らぬ相手と契りを結んだその挙句、
すぐに壊れた恋の破片が心にささり、
春の季節が巡って来たの…
コーラス①
今年の春の気分は、
出走できない競走馬みたい!
私は寝転がり、
ぼうーっと天井を眺めるだけ、
春って最悪な季節!
そよ吹く風は、
新緑や花のつぼみに、
お目覚めのキスを送る。
そんな自然に乾杯!
私は公園を散歩して、
独りぼっちの時間をつぶす。
春が一番辛い人もいるの!
午後はずっと、
小鳥がさえずるラブ・ソング、
この歌は知っている:
「これぞ真実の愛!」と歌っているのよ。
私も聴いたことがある。
だけどこの歌には裏がある!
だから私は春がつくづくいやなのよ!
一月は恋が実ると信じていた。
四月の今、恋はユーレイ同然。
春はちゃんと巡ってきたけれど、
これほど辛い季節もない!
コーラス②
間違いなく春が来た!
至る所でコマドリが愛の巣作り、
私の心も春を謳歌しようと努力する、
歌えば心の傷も悟られまいと。
春は本当に居心地悪い。
学生達は「甘い情熱」にかられ
一心不乱に詩の創作、
それが春というものね。
だけど私は去年のイースター帽と一緒、
埃だらけの放ったらかし。
春っていやな季節なの。
あの時私は恋をした、
「いつまでもこのままで」と願いながら、
あの人と最高の時を過ごした…
もう昔話だけど…
そして春がやってきた。
春な甘い約束の歌で溢れる、
でも私の場合は、
何か違う!
お医者様は元気がつくように、、
「サルファ剤と黒蜜」を処方してくれた。
何の効き目もなかったわ。
きっと慢性的な病気よね。
こんな私にとって
春はほんとにいやな季節!
恋の痛手を負った人だけでなく、花粉症や黄砂アレルギーに悩む寺井尚之にとっても、この季節は、Really Hang You Up the Most!
それでは、楽しいゴールデン・ウィークを!
CU
ウォルター・ノリス先生、静養中
ベルリンの巨匠、ウォルター・ノリスさんは5月に、名声の殿堂入りしている故郷アーカンソー州で、映画のプレミアやコンサートなど、様々な行事を予定していましたが、2週間前に奥様と散歩中、軽い心臓発作に襲われ、全てのツアー予定のキャンセルを余儀なくされました。
現在自宅療養中のノリス先生からいただいたメールによれば、手術はせずに投薬治療をし、体力は現在充分回復しておられるようです。
でも、心臓に負担をかけぬために、長時間、飛行機に乗ることは、お医者様から固く禁じられているそうです。それはノリス先生にとっての念願だった、再来日を果たすことができなくなったということでもあります。
ノリス先生のメールは、「数年前にOverSeasで行った演奏は、私の人生で特別のものだった。あの最高の時を与えてくれた皆に心から感謝している。」と結ばれていました。
トミー・フラナガンもノリスさんも、ハナさんも、大きな感情のうねりをピアノに託し、同時にピアノが喜んで倍音を膨らませてくれるようなソフトタッチの演奏家は、心臓に大きな負担がかかるのかもしれません・・・トミーがお医者さんが止めるのも聞かず、世界中で演奏を続けてあんなに早く逝ってしまったことを考えれば、ノリスさんの決断は、ちっともさびしいことでなく、むしろ喜ばしいことだと思います。
ノリス先生は、現在も自宅で執筆活動をし、しばらくすれば、ピアノ・ルームで練習を始められることでしょう。もう二度と日本にお迎えすることはないにしても、ベルリンに行きさえすれば、ノリス先生のあのサウンドをいつでも聴けるのですから、ちっとも悲しいことはありません。
ウォルター・ノリスさんへのお見舞いメッセージは、英文なら彼のサイトへ、日本語なら、OverSeas宛てに送ってくだされば、英訳してお送りいたします。
5月になったら、ノリスさん宅の美しい庭に色んなバラが咲くでしょう。ノリスさん、心からお大事に!
巨匠ジョージ・ムラーツ近況: NY & Prague
ジョージ・ムラーツ・ファンの皆様こんにちは!
我らのアニキは、この春、快調にハード・スケジュールをこなしてます。写真は3月、チェコ共和国トゥルトゥノフにて。 撮影Patrick Marek
<At Birdland, NY>
4月7日~10日まで、ムラーツはNYのど真ん中にある高級ジャズクラブ「バードランド」に出演。
メンバーは、ジョー・ロヴァーノ(ts)、ハンク・ジョーンズ(p)、そしてポール・モティアン(ds)のオールスターズ、ビル・エヴァンス3のドラマー、お久しぶりのモティアンはレギュラー・ドラマーのルイス・ナッシュの代役だったそうです。
NJ.comに載っていたジャズ・ライター、ザン・スチュワートの記事よれば、演奏は絶好調、ムラーツ兄さんが、チャンスがあると寺井尚之(p)と聴かせてくれるサド・ジョーンズの楽しい曲“Three in One”も演奏したらしい。
御年90歳のハンク・ジョーンズのフィーチュア・ナンバーは、勿論 “Oh, Look at Me Now”、いつもどおり会場を沸かせたそうです。
Maestro George Mraz and his assistant from Berklee Shota Ishikawa
昨年から、ムラーツのNYギグで楽器のセッティングや搬入出、マッサージに至るまで、優秀なアシスタントを務めているのが、バークリー音楽院の特待生、「しょうたん」こと石川翔太君(21才)、神戸出身のしょうたんは”エコーズ”の鷲見和広(b)さんの一番弟子でもあります。飛び入りを嫌う寺井尚之も「若いのに弾けるやん」と、機会があればセッションしていました。下の2枚は彼がバードランドで撮影してくれたショットです。
OverSeasのBBSは、海外のプロキシ・サーバーを受け付けないので、彼に直接NYレポートしてもらえないのが残念ですが、バードランドのギグでは、ジョージ・ムラーツの神業連発ソロの後の拍手は、誰よりも大きかったそうです。
数年前に、OverSeasで観たジョージ・ムラーツに心酔し、ムラーツをがむしゃらに研究する姿に共感した寺井と、師匠の鷲見さんが、兄さん本人にしょうたんをボウヤ&弟子にしてくれるようアピールしたのがきっかけ。何しろムラーツは、自分の愛器を任すなら、鷲見和広さんや宮本在浩さん、OverSeasのベーシスト達を一番信頼しているので、説得は簡単でした。以降、現場で、しょうたんの勤勉さと努力が功を奏し、今ではオフィシャルなボーヤとしてアンドレ・ザ・ジャイアントとそっくりな名物プロデューサー、トッド・バルカンたちフロント陣にも可愛がられているようです。嬉しいな!
ボストンからバスに何時間も揺られた末、師匠の楽器をセッティングして、深夜まで付きっ切りというのは、体力的に大変でしょうが、教室の授業の何倍も勉強になるよね。きっと、この世界でもマナーも身に付くでしょう。ムラーツ兄さんに言ったら、「そや!」と言うてはりました。
しょうたん、写真をどうもありがとう!帰国したら、ぜひ私たちに演奏を聴かせて下さいね!
<王宮コンサート, Prague Castle>
「Birdland」のギグ後、兄さんは故郷プラハに飛び、21日には世界遺産プラハ城のジャズ・コンサートに出演しました。このコンサート・シリーズは”Jazz in the Castle” (チェコ語でJazz Na Hrade)という名前で、クラウス大統領就任以来、ジャズ・ピアノをたしなむ大統領主催の年間イベントです。(ムラーツ兄さんは、先代のハヴェル大統領とも民主運動以来の飲み友達でした。)
コンサート会場は、日本語でスペイン・ホールと呼ばれるこんな場所!
今回の共演バンドは、”Kosvanec Jazz Orchestra”、チェコのトロンボーン奏者、スバルトップ・コズヴァネックがリーダーで、英米からもプレイヤーを招聘している国際チームのようです。コンサートは超豪華なボールルームで行われ、バックステージにはシャンパングラスと、よく冷えたドンペリが一杯おいてあり、楽屋見舞いも各界の著名人が一杯来るそうですよ・・・
OverSeasなら11番テーブルで、ファンたちと気軽におしゃべりしながら、桃谷商店街のコロッケや味噌汁でくつろいでいるムラーツ兄さん、いつもすんません。ほんまにごもったいないことです。
そんな巨匠ジョージ・ムラーツとトミー・フラナガンの傑作デュオ・アルバム、<Ballads & Blues>は、いよいよ5月9日(土)のジャズ講座に登場します。たぶん「トミー・フラナガンの足跡を辿る」のクライマックスのひとつになるでしょう。初めての人もぜひどうぞ!
追記:しょうたんの師匠、鷲見和広さんから、優しく謙虚なコメントをいただきました! 何故だかこのブログ・システムにバグがあり、このエントリーだけコメント欄に入力できない状況ですので、本文に追記させていただきます。鷲見さん、お世話かけてすみませんでした。
鷲見和広さんよりしょうたんへ:
しょうたん。
ムラーツ師匠の為に、毎回N.Y.へ通い、アシスタントをさせてもらっている事は素晴らしい事だと思います。
今や、ムラーツ氏を、世界のトップ・ベーシストとして誰もが疑わないでしょう。
そんな巨匠と、師弟とか友達のように語り合えるのはヨダレが出るくらい羨ましい限りです。
このキッカケを作ってくださった、OverSeasの寺井さん、珠重さんに感謝の気持ちは一生忘れてはならぬぞ!
また報告を楽しみにしています。
サザンの名付け親が復刻した北欧ジャズ『Jazz in Sweden』
土曜日のThe Mainstemは沢山のスプリング・ソングを一緒に聴けて、春の甘い香りにほろ酔い気分になりましたね!
今週の金曜日は、レパートリー総入れ替えで、もうひとつの「春」が堪能できそうです。ぜひ皆さん聴きに来て下さい!
ところで、今年1月、ジャズの「権威」としてジャズ講座の常連様にお馴染みのG先生こと後藤誠氏が、東京のお友達を同伴しておられました。お友達のお名前は宮治淳一さん、洋楽レコードのプロデューサーの方でした。聞く所によれば湘南ボーイで、桑田佳祐さんの親友として、「サザン・オールスターズ」の名付け親として、その方面では非常に有名な方です。
宮治さんはとってもにこやかな紳士!ジャズ講座も終始笑顔で聴いてくださってました。昔はフラナガンに対して無理解なプロデュースをし、現在はフラナガンの名盤を廃盤にしておくジャズ・レコード界に向けて毒舌マシンガンを炸裂する講座を「文化性とエンタテインメントが共存している」と楽しんでくださって、ほんまにありがとうございました!
そんな宮路さんはジャズ畑ではないのですが、自社のワーナー・ミュージック・ジャパンが、その昔(1993年)編纂した、スエーデンのメトロノーム・レコードの録音群の歴史的価値と内容に心を打たれ、この度、更にグレードアップしたボックス・セットの再発を実現されました。
元々EPレコードだった音源をリマスタリングして、美術展の図録を思わせる豪華なブックレットが付いています。そこには、当時のオリジナル・ジャケットのカラー写真や、レーベルの成り立ちや当時の北欧ジャズ界の状況が一望できる丁寧な解説が後藤誠氏のものです。
メトロノームといえば 私たちが一番良く知っているのはOverseas! この「Jazz in Sweden」には、”チェルシー・ブリッジ”と”リラクシン・アット・カマリロ”の2曲が収録されています。
その他にテディ・ウイルソン(p)、スタン・ゲッツ(ts)、クリフォード・ブラウン(tp)など、ジャズ・ジャイアンツの興味深い音源が一杯。
アメリカにはモザイクという歴史的価値を持ったジャズ音源を再発する専門レーベルがありますが、トミー・フラナガンの名盤は廃盤だらけで危機的な状況です。宮治さんには、これからもジャズの大きな遺産を守るため、これからも尽力していただきたいものです。
OverSeasに『Jazz in Sweden』の現物がありますから、閲覧ご希望の方はご来店の際、お気軽にお申し付けください。お求めは、大阪梅田の「ジャズの専門店ミムラ」さんや、「ワルティ堂島」さんでぜひどうぞ!
4月21日発売!
『Jazz in Sweden』の詳細は後藤誠氏のブログやワーナー・ミュージックのサイトに。
“A Sleepin’ Bee” スプリング・ソングが教える「本当の恋」
寺井珠重の対訳ノート(14)
『Plays the Music of Harold Arlen 』 ①Between the Devil and the Deep Blue Sea ②Over the Rainbow ③A Sleepin’ Bee④Ill Wind ⑤Out of This World ⑥One for My Baby ⑦Get Happy ⑧My Shining Hour
⑨Last Night When We Were Young w/ Helen Merrill(vo)
Personell:Tommy Flanagan(p) George Mraz(b) Connie Kay(ds)
Harold Arlen 1905-86
作曲だけでなく歌手、ピアニストだったアーレンは、コットン・クラブのショウからハリウッドに進出した国民的作曲家、”Over the Raibow”を知らないアメリカ人はいないかも・・・
土曜日に一緒に聴いたトミー・フラナガン・トリオのハロルド・アーレン集…昔からずーっと好きなアルバムなのに、新たな感動が生まれるのが、ジャズ講座の不思議なところですね。
寺井尚之は講座のために、このアルバムと対峙していくうち、新たな霊感を得たようで、土曜日の”The Mainstem”のライブに、上の太字の4曲を演奏すると異例の予告。
どれも大好きな曲ですが、今日は、ちょっと風変わりなスプリング・ソング、“A Sleepin’ Bee”のエキゾチックなおとぎ話について書きたくなりました。『眠るミツバチ』って変なタイトルですよね!
<カポーティとアーレンが組んだミュージカル:A House of Flowers>
“A Sleepin’ Bee”は、トルーマン・カポーティの短編、A House of Flowersを基にしたブロードウェイ・ミュージカルの劇中歌なんです。
Truman Capote (1924-84)
トルーマン・カポーティは”ティファニーで朝食を”や”冷血”の作者として有名ですね。後年はおネエ的タレントとしてTVや映画出演したから観た事ある人も多いかも・・・
“ティファニーで朝食を”のホリー・ゴライトリーもそうですが、カポーティの小説に登場する『無垢な娼婦』的ヒロインたちは、ほんとに素敵!このA House of Flowers:花咲く館は、カリブ海の島、ハイチの首都ポルトー・プランスを舞台に、オティリーという愛らしい娼婦が本当の恋人探しをする物語です。
< おはなし>
西インド諸島のハイチの山にある村で、不遇な子供時代を過ごしたオティリーは褐色の肌の美女に成長し、ポルトープランスの町にある売春宿で一番稼ぐナンバー1.、自分は町一番の幸せ者と満足している。お客からは、高価なアクセサリーやドレスが貢がれて、食べ物やお酒にも不自由しない。仲間の娼婦には妹のように可愛がられて楽しく暮らしている。唯一ないものは、姉貴分が話す「恋」という不思議なものだけ。「ひょっとしたら、私のところに贈り物を持って通ってくるアメリカ人が本当の恋人かしら?」と彼女は考えます。だけど、よくわからない。
とうとう思い余って、丘の上のヴードゥー教の祈祷師に相談に行く。すると祈祷師はひょうたんを鳴らし、精霊と会話してからこう言いました。
“野生のミツバチをつかまえて手の中に握ってみるがよい。ハチがお前を刺さなければ、恋を見つけた証拠じゃ!“
祈祷の帰り道、オティリーは、アメリカ人のお客のことを考えながら、スイカズラに群れるハチを捕まえるのだけど、思い切り刺されて痛い思いをしてしまう。
やがて3月のカーニバルで、オティリーは山から闘鶏に降りて来た素足の美青年、ロイヤル・バナパルトと出会う。彼に言われるまま、手に手を取って森の中を散歩しているうち、オティリーは懐かしい山の空気が漂う彼のキスと香りに包まれて、今まで知らなかった気持ちに捉われます。小説のラブ・シーンは詩情に溢れていて本当にロマンチックです。カポーティはコテコテの外見と裏腹に、えげつない描写なしに、色んなものの香りや質感を埋め込んで、行間に官能的な雰囲気を漂わせる天才だ。
丁度、ロイヤルがオティリーの胸の上で眠っている時、一匹のミツバチが現れます。オティリーがそっと捕まえると、祈祷師の予言どおり、彼女の掌の中でハチはじっと眠っていて、オティリーは本当の恋と確信します。
その時にオティリーが歌うのがA Sleepin’ Beeです。
A Sleepin’ Bee
Truman Capote/ Harold Arlen
<ヴァース>
あなたの恋は本物?
迷ったときには、
恋人探しが終わったことを知るための
昔からの言い伝えがあるの。
「ミツバチを捕まえろ。」
捕えたハチに刺されなきゃ、
愛の魔法が始ったしるし。
一生涯の保証つき、
本当の恋人ができたのよ。
<コーラス>
ハチがおまえ手の中で、
すやすや眠るとき、
おまえは魔法に守られて、
愛の世界でずっと暮らせる。
そこはいつでも上天気、
愛の神様の思し召し
いついつまでも幸せに。
お願い、ハチさん、
目を覚まさずに眠っておくれ。
恋人は私のもの!
なんて素敵なことでしょう、
やっと幸せがやって来た。
夢かもしれない、
ハチは金ピカで、
王冠みたいに愛らしい。
眠るハチが教えてくれた
本当の恋を見つけたら、
自分の人生を歩めると。
歌手によって歌詞が微妙に違っていてオリジナルの歌詞は、はっきりしないのですが、ネット上に女性歌手バーブラ・ストライザンドのものがあったのでそこから日本語にしてみました。ジャズ講座にずっとこられている方は、ビル・ヘンダーソン(vo)のVeeJay盤に収録されていますから、よくご存知かも知れません。
ブロードウェイでは、これでデビューを飾ったダイアン・キャロルが、オティリー役で歌いました。トミー・フラナガンも可愛いキャロルが好きなのか、OverSeasで演った時も、MCでそのことを話してくれたっけ。
この曲はカポーティに原作のシーンを朗読してもらって、アーレンが曲を作り、そこに再びカポーティが詞をつけたものだそうです。アーレン作品は曲だけでも素晴らしいけど、歌うと、とっても自然に響きますよね。
ミュージカルはカポーティがハロルド・アーレンと組んで作詞も担当した初ミュージカルとして話題を呼びましたが、ブロードウェイ的なストーリーへと変更を余儀なくされ、大モメにもめた挙句、興行的には不成功に終わったそうです。
余談ですが、数年後オフ・ブロードウェイで再演されたとき、主役を演じたのは、ヴォーカリーズのジャズコーラス・グループ、”ランバート・ヘンドリクス・ベヴァン”のインド系美女、ヨランダ・ベヴァンでした。
苔や花の香り漂うカリブの愛の島、ヴードゥーの不思議なお告げ、褐色の青年と新たな人生を歩みだす無垢な心を持った娼婦…トミー・フラナガンの演奏には、ときめきや未来への確信をしっかり感じることが出来ます。
それから二人はどうなったかって?
きっと土曜日のThe Mainstemの演奏を聴くと判るはずですよ!
もしも判らなかったら私が直接教えてあげますから大丈夫。
CU
ジャズ講座こぼれ話:NYの名所、ジャズ教会&ジャズ牧師の話
土曜日のジャズ講座は、名演、名盤の二本立てで、すごく楽しかったですね!
その夜、皆で楽しんだのは、OverSeasが大好きなドラマー、エディ・ロックさんの『Eddie Locke(ds)&Friends Live at St. Peter’s Church』と、トミー・フラナガン・リーダー作『Tommy Flanagan Trio Plays the Music of Harold Arlen』! 寺井尚之の弁舌は滑らかで一瞬たりとも聞き逃せない面白さ、でも「名古屋のお客様が最終新幹線に乗り遅れはったらどないしょう…」と私はハラハラしてました。
今回はOHP映写機がチューン・アップされていて、構成表や対訳が見やすかったでしょう? 先月は長年酷使した疲れが出たマシンが「マッチ売りの少女」状態、すぐにライトが消えちゃって、皆で氷で冷やしたり、ウチワで扇いだり大変だったんです。土曜日に間に合うように修理してくださったダラーナ氏、ありがとうございました!
<エディ・ロック(ds)が燃えた聖ピーターズ教会>
講座前半のハイライトは、何と言ってもエディ・ロック(ds)の世界遺産的ドラム・ソロ=Caravan!オーディオ・マニアならきっと顔をしかめるほど録音状態が悪いし、ピアノの調律も最悪なのですが、演奏内容は悪条件を吹っ飛ばす!
サー・ローランド・ハナ(p)トリオで、OverSeasが店ごと歓声で揺れた興奮がそのまま甦りました。
自己のブログにこの日のレポートをしてくださっているG先生が、ジャズ史家ダン・モーガンスターンに照会し、解説して下さったように、元々このアルバムは、AFSという非営利文化団体の資金集めのコンサートの録音で、アルバムも会員向けの非売品だったそうです。
講座翌日の日曜日に、当時のNew YorkerやNY Timesのコンサート欄をしらみつぶしに探したのですが、コンサートの宣伝記事は載っていなかったので、本当にプライベートなコンサートだったんですね。因みにこの前日、トミー・フラナガンは、
エラ・フィッツジェラルドの伴奏者として、エイブリー・フィッシャー・ホールに助っ人出演しています。
寺井尚之の迫真の実況解説は、まるで教会のホールのど真ん中で見てきた人みたい!調律の悪いピアノが、フラナガンの神業でうまくサウンドしていく様子も実感できました。(「どんなひどいピアノでも鍵盤のツボを瞬時に見つけて、そこをヒットさせなイカん。」とフラナガンは寺井に言っていたっけ。)
Caravanのドラム・ソロにはダンスがあって詩がある。エディ・ロックという人間の全てが伝わってくるような魂のドラムソロ!師匠のジョー・ジョーンズやロイ・ヘインズなど偉大なドラマーの多くがそうであったように、彼が元ダンサーであったことを強く感じます。クライマックスでは、エディさんのダンスに併せて、ドラムビートを繰り出している感じさえします。丁度、歌舞伎で「附け打ち」と言って拍子木が、役者さんの動きにピタリと併せ、絶妙の間合いでテンポをUPしながら見せ場を作るあの感じ!激しいドラムソロがブレイクする瞬間には私の血が騒ぎ、思わず「日本一!」と掛け声をかけたくなってしまいました!
<ジャズ牧師、ジョン・ゲンセル>
さて、このコンサートの会場となった聖ピーターズ教会は、宗派を超えた「ジャズ教会」として非常に有名なジャズの聖地です。それは、デューク・エリントンからレスター・ヤング、セロニアス・モンクに至るまで多くのジャズ・ミュージシャンの相談役で、ルーテル教会から正式にジャズ・コミュニティを管轄する牧師として認められ、礼拝にジャズを取り入れたNYの名物、ジョン・ガルシア・ゲンセル師のおかげです。
ゲンセル牧師のことで私が一番印象に残っているエピソードは、末期がんで苦しむビリー・ストレイホーンを頻繁に見舞い、彼の最後を看取ったエピソードです。デューク・エリントンも同様で、彼を羊飼いに例えた“Shepherd(羊飼い)”という作品を献上しています。
師は、自分自身の人間としての内側を表現する本当のジャズは、聴くものの内面にしっかりと到達するものであるとして、礼拝に最適な音楽と考えていて、この教会では、フランク・フォスター(ts)などビッグバンドの演奏会が定期的行われていました。
Youtubeでは、ゲンセル師が、教会に出演する歌手ボブ・スチュワートとメル・ルイスOrch.を紹介してからコンサートを中継した映像があるので、エデイ・ロック&フレンズの会場を観ることが出来ますよ。ピアノは若き日のハロルド・ダンコ、ベースはハナさんとも共演していたジョン・バーですね。
チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、パノニカ…数え切れないほど多くのジャズの聖人たちの告別式、結婚式がゲンセル牧師によって行われました。以前ビリー・ストレイホーンの伝記で紹介した告別式の映像にも、壮年時代のゲンセル師が映っています。
トミー・フラナガンが亡くなる前にゲンセル師は他界されましたが、告別式はやはり聖ピーターズ教会で行われ、YAS竹田(b)が大きな献花と共に、寺井尚之の代参をしてくれました。
うちの実家は禅宗で、お坊さんはフリー・ジャズのプロデューサーをしておられるのですが、少し雰囲気が違うかな・・・
次回は、講座のもうひとつのハイライト、トミー・フラナガン3のハロルド・アーレン集からジャズにゆかり深いもう一つの宗教、カリブのヴードゥー教と南国の花の香りが一杯のハロルド・アーレンのラブ・ソング、A Sleepin’ Beeについて紹介したいと思います。
今週末のThe MainstemのライブまでにぜひUPしておきますね。お楽しみに~!
CU
転送メール:贈る言葉
OverSeasが愛する「ベルリンの巨匠」ウォルター・ノリス先生は、来月、故郷(米アーカンソー州)で開催されるコンサートやクリントン元大統領主催のリトル・ロック映画祭に自分のドキュメンタリーフィルムが上映されるなど、渡米の準備で超多忙のはず。なのに「このスピーチを皆に回覧せよ!」とミッションが来ました!
それはボストン音楽院(Boston Conservatory)の新入生の父兄に対しての歓迎スピーチ。ボストン音楽院は、MLBレッドソックスの本拠地フェンウエイ・パークのすぐ近くの学校で、クラシック主流、講演者のカール・ポールネック先生は当学院の主任教授でありクラシック・ピアニストです。
「音楽」の価値や意義は何なのか?子供を「音楽学校」という非実用的な場所に送り出していいのだろうか?そんな不安を持つ父兄達に、古代ギリシャの音楽認識や、ナチ収容所で作曲されたメシアンの四重奏、そして講演者自身の神秘的な音楽体験を通し、「音楽の意義」を伝える誠実なスピーチは、ノリス先生の語り口を思い出すものでした。
ただ、フラナガン達を育んだデトロイト公立校の音楽教育が、「職業選択肢が限定された黒人の子弟に、社会で困らないような専門職を身につけさせる」という理念であったことを知るInterludeとしては、お金持ちの子弟が集まる私学は世界が違うな、という感じは否めません。でも、音楽のルーツを考える上では、「寺井尚之ジャズピアノ教室」に入門した時に行う理論講習と同様、誰にでも興味深いスピーチなので、英文メールを誰彼なしに転送するより、和訳してInterludeに公開することにしました。
ネット上で調べてみたら、このポールネック先生のスピーチは2003年秋のものでしたが、この3月に同校のサイトに公開されて以来、大反響を呼んでいるようで、多くのブログや、ジャズ系ブログ、”ダグ・ラムゼイのRifftide“にも取り上げられています。
原文はここに。
下のエントリーに全訳を載せておきます。長文ですがご興味があればどうぞ!
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歓迎の挨拶:カール・ポールナック:ボストン音楽院
<音楽の効用とは>
私が音大に入学した時、両親は私の将来について非常に心配いたしました。「うちの息子は社会に音楽家と認められるのだろうか?」「売れない音楽家で終わるのではないだろうか?」ということです。私は理数系が得意でしたので、両親は、医者や科学者になることを期待していました。私が音楽科に進むと言うと、「自分の偏差値をドブに捨てるつもりか!」と母に言われたのを覚えています。多分、私の両親は「音楽の価値」や「音楽の目的」というものを今ひとつよく理解していなかった。二人とも音楽好きで、一日中クラシックを聴いて過ごしていたのですが、「音楽の働き」については定かでなかったのです。
ですから、今日は皆さんに、音楽の機能について少し語ってみたいと思います。というのも、現在の社会では、音楽を”娯楽-芸術”の枠組みで定義しています。新聞の記事が良い例ですね。しかし子供たちが習うような音楽は「シリアスな」音楽で、「娯楽」とは何の関係もないことを考えれば、娯楽-芸術というくくりは矛盾しているように見えます。
そこで、私は音楽の効用について語ろうと思います。それを歴史上初めて認知したのは、古代ギリシャの人々でした。これはなかなか惹き付けられる考え方です。古代ギリシャでは、音楽と占星術が、同じコインの表と裏であると理解されていました。占星術は可視的で永劫な外的世界の星の関係についての学問であり、音楽は不可視で内面的な隠されたものの関係を探求する学問と考えられていました。音楽は、我々の心と魂の中にある、目に見えない様々な大きな物体の動きを感知し、それらの位置関係を定めるものであるとみなされていたのです。判りやすい実例をお話いたしましょう。
<生きるための音楽>
歴史上もっとも深遠な音楽作品のひとつに、フランスの作曲家メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」があります。メシアンはナチの仏侵攻時に31歳でした。’40年、ドイツ軍に拉致され家畜運搬車に乗せられ収容所に連行されました。幸運にも、温情ある看守に出会い、作曲が出来る場所と紙を与えられたのです。その収容所には、彼以外に3人の音楽家がおりました。チェロ、バイオリン、クラリネットの奏者たちです。メシアンは自分も含め、各々の演奏家をイメージしながら四重奏曲を書いたのです。’41年、その作品は、収容所内でに4000人の囚人と看守達の前で演奏されました。現在、作品は傑作として非常に有名です。
収容所は生き延びるだけで精一杯の場所であります。それなら、何故、まともな人間が、音楽に貴重な時間と労力を費やすのでしょう? そこに居る人々のエネルギーは、水や食料を見つけ、怪我から逃れ、暖かな場所に安住することだけで一杯のはずなのに、わざわざ音楽に労力を注ぐのは何故なのでしょう?収容所のような厳しい場所でも、我々は詩や音楽や絵画を創ろうとするのです。決して熱狂的なメシアンだけに限ったことではありません。極めて多くの人間達が芸術活動をしたのです。それは何故なのか?
生きることで精一杯、最低限のものしかない場所でも、やはり、芸術は不可欠なものなのです。収容所は金もない、希望もない、商業もない、息抜きも、基本的な尊厳すらない場所であります。それでもなお、芸術は不可欠なものなのです。芸術活動とは「生き残る」こと、精神の一部、自分が誰であるかを表現するという押さえ難い衝動なのです。つまり芸術とは、「私は生きている、そして私の生には意味がある!」と言う手段なのであります。
「911-アメリカ同時多発テロ事件」の翌朝のことです。当時私はマンハッタンに住んでおりました。あの朝、私は自分の芸術や社会とのかかわりについて、新しい理解を得ました。午前10時、いつものように練習のためにピアノの前に座りました。何も考えず習慣的に、ピアノの蓋を開け譜面を出し、鍵盤に指をおいたのです。が、ふと思いました。
「今ピアノを弾くことに、いったい何の意義があるのだろう?、この街に昨日起こったことを考えてみろ。ピアノなど、馬鹿げた無意味なことなのではないだろうか? 私などここに存在する意味があるのだろうか?」
私は途方に暮れたまま、その週を送りました。
「一体自分は再びピアノを弾きたいと思っているのだろうか?」私は悩みました。
近所を見ても、その週はいつものバスケットボールで遊ぶ人たちもいない、トランプもしない、TVも見ない、買い物にも行かないといった有様でした。そんな状況の中で、私が見たものは、セントラルパークの消防署の周りで「We Shall Overcome」や「America the Beautiful」を唄っている人々の姿だったのです。やがて、週末にリンカーン・センターで、NYフィルがブラームスのレクイエムを演奏したのを覚えています。つまり、歴史上初の公式な悲嘆の表現は音楽であったのです。その夜から、社会全体が息を吹き返しました。
この二つの経験から、私は音楽が単なる「芸術と娯楽」ではないことを実感しました。音楽とは決して贅沢なものではありませんし、暇つぶしや趣味などではないのです。
音楽とは人間が生き残りを求める産物なのです。音楽とは、我々の生に意味を与える術であります。我々が悲惨な体験をして言葉をなくす時、代弁してくれるのは音楽なのです。
皆さんの中には、サミュエル・バーバー作曲の、心をかきむしられるように美しい「弦楽のためのアダージョ」をご存知の方もおられるでしょう。映画「プラトーン」で使用されていた音楽だといえば判るかもしれません。「プラトーン」はヴェトナム戦争の悲惨さを訴えた映画ですが、観た方なら、音楽がいかに我々の心を開くことが出来るかよくお解かりに成ると思います。
音楽はあなたの意識下に滑り込み、最高のセラピストのように、心の深い所で起こっている動きに到達することが出来るのです。
<音楽の役割>
皆さんは今まで様々な結婚式に招待されておられるでしょうが、どんな結婚式でも、音楽の良し悪しに関係なく多少は音楽が流れているはずです。結婚式では、様々な感情の発露があります。そういう時にには決まって、唄やフルート演奏といったものが引き金になるものです。下手くそであったり、良い音楽でなくとも、結婚式で音楽が流れると、何割かの人が涙を流します。何故か?ギリシャ人の言うとおり、音楽は我々の内部の目に見えぬものを動かすことが出来るからなのです。
台詞だけで音楽のない「インディ・ジョーンズ」「スーパーマン」や「スター・ウオーズ」なんて想像できますか?「ET」を映画館で観ていると、クライマクスで音楽が大きくなると、涙もろい人が同時にすすり泣くでしょう?同じ映画を音楽なしで観ると、同じ現象は起こらないはずです。
<私の最高の演奏体験>
もうひとつ、私の人生で最も重要なコンサートのお話をいたしましょう。
私は今までに1000本近いコンサートを行ってきました。その中には大舞台もありました。カーネギー・ホールで演奏するのも好きですし、パリでコンサートをするのも楽しいものです。ペテルスブルグの批評家達に満足してもらえたことも、嬉しい体験でした。高名な批評家や大新聞、外交官達などVIPの前で演奏もしてきました。しかし私の音楽人生のうちで最も貴重なものは、4年前にノースダコタ州、ファーゴの老人ホームで行ったコンサートでした。親友のバイオリニストと共にアーロン・コープランドのソナタを演奏したのです。その曲はコープランドが青年時代の友で、戦死したパイロットに捧げたものです。コンサートでは、プログラムに演奏曲の説明を書くよりも、出来るだけその場で語ることにしています。しかし、この曲はコンサートの最初の曲でしたので、説明を後にして、先に演奏をすることにしました。
演奏の途中で、一人の車椅子に座った老人がすすり泣きを始めたのです。後から、その男性は70歳半ばでも、しっかりした顎や物腰から、長年軍隊で過ごした元兵士だと察せられました。私には、この作品中のフレーズが涙を誘うことに、不思議な気持ちを覚えましたが、この曲の演奏中に何度かすすり泣きが聞こえました。次の曲を演奏する前に、今の曲はコープランドが戦死したパイロットに捧げたものであると説明したのです。すると前列のその男性は非常にバツが悪そうで、今にも退席しそうな様子でした。ですから、私は二度とこの男性に会うことはあるまいと思っていました。しかし彼はコンサートの後、楽屋にやってきて、涙の理由や自分自身について語ってくれたのです。
「戦争中、私はパイロットでした。ある空中戦で、自分の飛行隊の一機が撃墜されたのです。私は戦友がパラシュートで脱出するのを見たのですが、戻ってきた日本軍が彼のパラシュートの命綱をマシンガンで撃ち、彼は海に堕ちて行きました。 私は、友人が戦死して行く様子を、自分の戦闘機から一部始終目撃していたのです。あなた達のさきほどの演奏を聴いていると、昔の思い出がまざまざと甦り、まるで、あの体験を再び繰り返したような気持ちに襲われました。それが何故なのか全然判らなかったのですが、戦死したパイロットに捧げた曲だと、あなたが説明をされ、もう何とも言えない気持ちになりました。一体、音楽はそういうものなのでしょうか?これはどういうことなのでしょう?何故私の昔の気持ちが呼び覚まされたのでしょう?」
皆さん、古代ギリシャ人が音楽を、内的要素を関連付ける学問であると定義していたことを、もう一度思い出してください。ファーゴの老人ホームでの演奏は私の音楽人生にとって、最も大事なコンサートになりました。私の演奏が、コープランドの曲を通じて、老兵士の失われた友人の思い出を甦らせたのです。ここに音楽の意義があります。
<音楽家は救命士だ>
さて、数日後、新入生の皆さんに贈る祝辞の一部を、前もって父兄の皆様にもお聞きいただきたいと思います。私は皆さんのご子弟達に、次のような責任を課すつもりです。
「例えば、本校が医科大学で、新入生の皆さんが盲腸の手術をするような医学生であれば、新入生諸君は自分の仕事に真摯に取り組まねばなりません。午前二時にあなたのいる救急室に病人が担ぎこまれ、その命を救わなければならないのですから。でもこれだけは心に留めて置いてください。皆さんも、いつか自分の出演するコンサートの開演時間に、心も気持ちも、打ちのめされて動転し、疲れ果てた魂を持つ人がやって来ることになるのです。その人の心を立て直せるかどうかは、皆さんの腕次第なのです。
諸君はエンタテイナーになるためにここに入学したのではありません。自分の技量で金儲けをするために入学したのではありません。本当は、諸君には売るものなどありません。音楽家であることは、中古のシボレーのような商品を販売するのとは違います。私はエンタテイナーではありません。私の仕事は、むしろ救急医療員や消防士や救命士に近いのです。あなた方は、人間の魂のセラピストになるためにここに入学されたのです。つまり、精神の整体師、理学療法士であり、私達の心の内面を見通し、調和が取れるよう、健康で幸せになれるよう、心を整える方法を学ぶのです。
率直に申し上げましょう。諸君は、ただ音楽を習得するのではなく、地球を救ってくれる事を私は期待します。
もしも地球に平和が訪れ、戦争が終結し、人類に相互理解や平等と公平がもたらされる日が訪れるとしたら、それは、政府や軍事力や軍事協定によるものではないと私は思います。無論、宗教のおかげでもないでしょう。それらは皆今まで平和よりも争いを多く産みました。将来の地球に平和が来るとすれば、我々の眼に見えない内なるものが平穏になる日が来るとすれば、それは芸術家がもたらすものであると、私は思っています。何故なら、我々がやっていることは、そういうことのなのですから。
今までお話した収容所や同時多発テロの体験が教えるように、芸術家とは、我々人類の「内なる生命」を救う大きな役目を授かっているのです。
(了)
トリビュート・コンサート曲目解説できました!
こちらは雨模様の大阪です。
今日は寺井-田中裕太(b)-菅一平(ds)のトリオ、初顔合わせでどんな演奏が聴けるか楽しみ!
トリビュート以降、ピアニストの骨密度を高めるために、鰯や鯖の骨が入った削り節でお昼ごはんのおでんを炊きながら、やっとトリビュート・コンサートの曲目説明が完成しました。
チーム・ワークを最優先事項にし稽古を重ね、その結果、個人の美技が際立ったのは、WBCのみならず、今回のトリビュート・コンサートも同じでした。
あかげで書きたいことがいっぱいありすぎ、削っているうちに早一週間経ちました。スローですみません。
トリビュートの客席から、魔法を使って名演を引き出してくださったお客様、残念ながら来れなかった皆様、トリビュート・コンサートのCDRを聴きながら静養中のトミー・フラナガン愛好会石井会長、どうぞ覗いてみてください!
第14回トリビュート・コンサートの曲目紹介はこちらです。
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