或るクリスマスの情景 Christmas Waltz

こんにちは!師走の日々、いかがお過ごしですか?Twitterしていらっしゃるお客様方も、12月に入ってからめっきりつぶやきが減っているみたい。お仕事だけでなく”二日酔いなう“なのかもね。
 楽しいはずのクリスマス・シーズンなのに、今年は暗いニュースが多く「厭な渡世だな~」とつくづく思います。そんな世の中に拘らず、昨日は「楽しい講座&ライブの夕べ」に沢山お集まりいただき、心からお礼申し上げます。
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 昨日のテーマは「ジャズ・スタンダード」、”As Time Goes By”や”ホワイトクリスマス”など、皆さんよくご存知のものばかり、でも今まで気づかなかった曲の背景や、歌詞のニュアンス、名演奏家のこだわりなど、意外な切り口の解説と、心に染みる演奏が大好評!ご参加くださった皆様、ありがとうございました!山中湖からはるばる来て下さった「トミー・フラナガン愛好会」石井会長ご夫妻も、もう無事に帰宅されたでしょうか?
 取り上げた楽曲は寺井尚之The Mainstemがダウンロード用に製作したアルバム『Evergreen』の収録曲です。せっかく旬な”ホワイトクリスマス”を録音したのに、著作権の取得が遅れていてまだ市場に出ていないのですが、23日(祝)に発表記念講座&ライブを開催しますので、ぜひこの機会にお越しくださいね!
uptown.jpg  クリスマスソングといえば、土曜日のジャズ講座にもぜひどうぞ!トミー・フラナガンのソロ・ピアノで”クリスマス・ワルツ”が登場するので、楽しいクリスマスの気分を味わうことが出来ます。
 このアルバムが出た翌年、トミー・フラナガンは、ジョージ・ムラーツ(b)、ケニー・ワシントン(ds)のトリオで大阪ミナミのキリンプラザの「X’masという名のジャズクラブ」というディナーショー出演のため、1週間大阪ステイをしていたことがありました。ケニー・ワシントンにとっては、トミーのレギュラーとして最後の仕事でした。ずいぶん昔の’89年のことで、OverSeasにとっては、最高のクリスマスだったかも知れません。
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 トリオのメンバーとマネージャー役のダイアナは、OverSeasから徒歩5分のコクサイホテル(現シティプラザ大阪)に宿泊してOverSeasを食堂兼リビングルームに、朝昼晩+夜食を食べにやって来ます。キリンプラザのショーがハネるのは、OverSeasがクローズした後で、夜中からは毎晩パーティというタイム・スケジュール、当時は午前10時開店でモーニング・サービスやランチもやっていましたから、彼らの滞在中は殆ど寝る時間がなかったような気がします。
 思いがけなくもらったクリスマス・プレゼント、毎日何度も繰り返すキスの挨拶、深夜のプレイや、キリンプラザの演奏、今も懐かしく思い出すクリスマスの思い出です。
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 でも当時はインターネットもないし、トミーたちがOverSeasに一日中いることは、ご近所のサラリーマンやOLの方しか知らないので、皆ゆっくりした時間を過ごしていました。
 寺井尚之にとって、トミーと過ごしたこの一週間は、何年も音楽学校に通う以上の勉強になったのではないかなと思います。
 逆にトミーも寺井に相談していたことがありました。クリスマスのショーに相応しく、MCで「My name is Saint Nicholas(私の名前はサンタです」とジョークを言ってもウケないし「Merry Christmas」と客席に言っても誰も返事してくれないと言うのです。それは、トミーの英語が通じないせいだった。そこで、寺井が、和製英語として通じるように、「サンタクロース」と「メリークリスマス」の語尾にアクセントをつけて母音付きの「SU」が言えるよう特訓。サンタクロー、クリスマと日本式に発音できるようになった翌晩からは、お客様の反応がグンと良くなって、ご機嫌でした。
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 キリンプラザのディナーショウで毎晩演奏していたのが『クリスマス・ワルツ』、皆さんご存知ですか?『ホワイト・クリスマス』に比べてずっと知名度の低い曲なので、フランク・シナトラの歌詞を日本語にしてみました。土曜日のトミーのソロ・ピアノから、こんな歌詞が聴こえてきますよ!

The Christmas Waltz
作詞 Sammy Cahn /  作曲 Jule Styne
原詞はこちらに
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霜に煙る窓ガラス、
部屋の中にはロウソクが輝き、
クリスマスツリーを飾るのは、
色とりどりの杖型のキャンディ。
プレゼントを一杯積んだソリで、
サンタクがもうすぐやって来る、
あなたの家にも、私の家にも!
世界中が恋をする時期が
やって来たよ!
どんな歌もこんな風に聴こえる。
「メリークリスマス、新年には願いが叶うようにね!」
だから私は三拍子のこの歌に、
皆さんのために願いを込めて歌います。
「メリークリスマス、
新年にあなたの願いが叶いますように!」

 私は、キリスト教の幼稚園だったので、子供時代のクリスマスイブは教会の礼拝や聖歌隊、大学時代のクリスマスは稼ぎ時、「彼氏とお泊り」なんて滅相もない。ロマンチックな思いではありません。でもOverSeasに来てからは、クリスマスをジャズで楽しむお客様や生徒さんたちの笑顔に幸せをもらっています。
 皆さまに幸せなクリスマスが訪れますように!
CU

息子アール・ジョン・パウエルが語る『The Scene Changes 』

  こんにちは!お休み明けいかがお過ごしですか?
 暗いニュースが多くてMood Indigoですね。でも、こんなご時世だからこそ、いつもより頑張らなくては!
 土曜日のトリビュート・コンサートに向けてOverSeasではただ今、調律のマエストロ、川端さんがしっかりとピアノを調律調整しています!トリビュート前はピアノの状態が非常に良くなるので、今日の調律はすぐに終わりそうです。それまでに、早くこのブログを仕上げなくちゃ!
 ところで、本日発売のJazz Japan 12月号の表紙に、我らがバド・パウエルと可愛い坊やの写真が!バド・パウエルの名盤、『The Scene Changes』の録音が12月であったことを記念し、当時三歳だった坊や:今は成長してNY郊外でプロモーターの仕事をしているアール・ジョン・パウエル氏のインタビュー記事を中心にバド・パウエル特集が組まれてます。
BudMe.jpg 今回のインタビュー記事はジャズ評論家で呉服屋さんでもある藤岡靖洋さんがパウエル氏に行ったもの。不肖私が和訳をお手伝いさせていただいて、名写真家フランシス・ウルフのパウエル親子を撮影した数々のショットと共に掲載されています。(p.73-75)
 あのアルバム・タイトル:『The Scene Changes』(舞台のシーン転換)の由来や、バド・パウエル、バターカップという両親とのパリの生活など、息子さんの視点から色々興味深いことが語られていますので、ぜひご一読を!
 パリでクラブ経営もしていた、当時のバド・パウエルの奥さん、”バターカップ”は、一説に悪妻と言われているのですが、この翻訳にあたって当時の雑誌記事などを検索してみたら、「パリで暮らすアメリカ人ミュージシャンを庇護したり、皆の相談相手になってくれる、寛容で面倒見のよい女性」として、米国の女性週刊誌「Ebony」に大々的に掲載されているのを発見したり、とても面白かったです。
 当時の共演者A.Tことアーサー・テイラー(ds)は、「バド・パウエルは脳の病気だったので、パリでは挨拶を含めて、ただの一言も話をしたことがなかった。」と言っていたし、マシュマロ・レコードの上不さんに頂いたジョージ・デュヴィヴィエ(b)のインタビューでも同様の証言がありました。
 それでは一体、後期バド・パウエルのレコーディングはどのように行われていたのでしょう?
 スタジオで黙々と演奏するパウエルのテーマやコード進行を、デュヴィヴィエは即メモして、自分用の譜面を作ってフォローしたのだそうです。そのような状態でAmazing Bud Powellの名盤群が生まれたというのは、本当にアメイジング!ですね!
 トミー・フラナガンが愛奏した至高のバド・パウエル作品は、その流儀を引き継いで寺井尚之がお聴かせしています。多分土曜日のトリビュート・コンサートでもお聴きになれると思います。
 寺井尚之によるバド・パウエル自身の奏法及び、アドリブ解説の教本もありますので、バド・パウエル、Bebopの演奏方法についてご興味のある方はぜひどうぞ!
CU

ガーシュインやスタンダード・ソングのことなど・・・

 景気にも政治にも暗雲が立ち込め、国会中継に目をそむけたくなる今日この頃、活況なのは風邪のウイルスだけに思えることも・・・でも江戸のお客様が送って下さった美しい箱根の風景写真を眺めると少し気持ちが晴れました!・・・皆様はいかがお過ごしですか?
 告白すると、私の気が滅入っていたのは、今週のジャズ講座で使う“But Not for Me/キャロル・スローン(vo)”の対訳がはかどらないためでもありました。
niights_at_vv.jpg 今回はトミー・フラナガン・トリオのライブ盤、“Nights at the Vanguard”が何と言って目玉なので、いくら一生懸命に作っても所詮は添え物という無力感に加え、スローンは歌詞のフェイクが多く、注意深く聴き取らなければならない・・・(先月のロレツ・アレキサンドリアはその点、とっても楽だった。)静かな場所に隠遁したいけど、なかなかそうも行かず悶々としていました。キャロルはダイアナ・フラナガンの親友でもあるのですが、’70年代に生で観たときのキュートさは当然ながら失せていて、正直うんざり・・・スローンの不定期ブログ(Sloan View)の野球談義(彼女は親の代から熱狂的ボストン・レッドソックス狂)の方がよほどイケてると思ったほどです。スローンという人はトークも上手で、ラジオ番組を持っていたこともある。ライブ盤で聴くジョークもなかなかのものですが、言葉の通じない日本では、却ってイラつくのか、判らないとタカをくくってかなり辛らつなので少々鼻白むことも・・・。
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carol.jpg ところが聴き取りが終わり、日本語をつける作業に取り掛かった辺りから、がぜん楽しくなってきた・・・
 “But Not for Me”は、ガーシュイン作品集で、オリジナル歌詞を調べるにつれ、スローンが、自分のヴァージョンを創るのにかなりの努力を払っているのが判ってきたからです。
<スタンダード温故知新>
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左がジョージ・ガーシュイン(1898 -1937)、右がアイラ(1896- 1983)
 タイトル曲”バット・ノット・フォー・ミー”や”エンブレイサブル・ユー”など、ここでキャロルの歌うのはスタンダード・ソングとしてよく知られているものばかり。でもスローンは、余り歌われないヴァースをつけたり、歌詞も必ずいじる。前のパートナー、ジミー・ロウルズ(p)の指導だったのだろうか?野球に例えれば、直球勝負でなく、変化球で打たせて取る感じです。レッドソックスなら往年のフィル・ニークロかな?
 さて、ご存知のようにジョージ・ガーシュインは、アメリカの代表的作曲家、音大も出ていないのに若くから頭角を現し、映画、ミュージカル、クラシック音楽、あらゆるジャンルで名作を残し、38歳の若さ亡くなりました。
 一方、作詞家のアイラは比較的遅咲きで、若い頃はサウナ風呂のレジ係りや、デパートの店員、写真家の助手など、色んな仕事をしながら詞を書いていました。ジョージの兄と知られるのを嫌い、’24年に兄弟コンビを組むまではペン・ネームで創作していたそうです。ジョージの死後は様々な大作曲家とコラボし”My Ship”など、名曲を生み続けました。
 二人の両親はロシア系ユダヤ移民、前回対訳ノート(30)で紹介した作詞家ガス・カーンはドイツ生まれですし、映画監督、脚本家のビリー・ワイルダーはオーストリア人…完璧な英語ネイティブでない人たちが米国の言語文化に貢献しているのは、英語を母国語としない私たちにとって、大変興味深いことですね。
 このアルバムの作品は、殆どが1920~30年代、つまり大正時代から昭和初期に、NYでミュージカルやレビューなど舞台芸術用に、あるいはハリウッドで映画音楽として書かれたものです。例えば、“Isn’t It a Pity?”“How Long Has This Been Going On?”などは、ラブ・シーンの歌として、男優、女優の独唱、デュエット、など何通りものヴァースとリフレインがあり、「聴かせどころ」が点在している。キャロル・スローンは、そういうところをしっかり読み通し、自分の歌作りに一番合ったサウンドや歌詞をコラージュしているんです。
 ただし、“Oh, レディ・ビー・グッド”だけは、エラ・フィッツジェラルドのガーシュイン集のテキストに準拠していました。元々男性の歌を、敢えてエラが歌ってヒットしたのですが、録音にあたってアイラ・ガーシュインが女性用に監修しており、いじくる余地がなかったのかも。
gershwin_songbook.jpg ついでにエラのガーシュイン・ソングブックを紐解き、オリジナルLPの曲説を読んでみると、またこれが凄く面白かった!著者はローレンス・D・スチュワートという大学の先生でガーシュイン研究家。ガーシュインが好きで好きで、アイラ・ガーシュインの親交を持ち、兄弟のプライベートな草稿などを整理していた人らしく、曲説は簡潔にして新鮮!例えば、1曲目の”Nice Work If You Can Get It”のところには、“スコット・フィッツジェラルドが”ラスト・タイクーン”のアイデアを得たのは、ハリウッドでこの歌を聴いたから”とか、”皆笑った(The All Laughet)のメロディは、元来、ジョージがハリウッドのクラブでフレッド・アステアのダンスの伴奏として即興で弾いたもの”とか、ジャズエイジの栄華に興味ある人はぜひ一度読んで見てください。(ただしCDのブックレットは虫眼鏡が必要でした。)現在のジャズ界ではなおのこと、こういう面白い曲説を書いて欲しいものです。
George+Gershwin+Fred+Astaire++I.jpg フレッド・アステア(名優、天才ダンサー、名歌手)はガーシュイン兄弟を語るとき、絶対にハズせない。アステアとガーシュイン兄弟がコラボした数多くのミュージカルは先日破産申請したMGM映画の製作。

 最近、スタンダード曲について興味が沸いてきて、色んなことを調べています。ガーシュインの歌曲は、決してジャズ歌手のために書かれたものではありませんし、原型は想像とかなり違うかも知れない。でも、ジャズメンはジョージ・ガーシュインの死後、“I Got Rhythm”のコード・チェンジで様々なバップの名曲を創ったし、エラやサラの名唱は次の世紀も色褪せないでしょう。
 対訳係りにとってアイラ・ガーシュインの歌詞は、コール・ポーターのような毒がなく、色っぽい歌もあくまで健康的で元気の良い国民的アイドルって感じ。その韻律は斬新で、当時革新的だったスラングや口語も注目なのですがザッツ・アナザー・ストーリー。
 公私に渡り詳しく当時の状況を知る寺井尚之の名解説が楽しみ!”トミー・フラナガン3の“Nights at the Vauguard”のサイドディッシュとして、キャロル・スローンの“But Not for Me”もお楽しみいただければ嬉しいです。(先月予告していたロレツ・アレキサンドリアの写真も展示予定!)
 お勧め料理は、Jフロスト・ポテトをチキンと一緒に蒸し焼きにした”ボン・ファム”なるフレンチを作ろう!皆さん、お待ちしています。
 週末のJazz Club OverSeasにお越しいただければ最高の幸せ!アイラの歌詞に何度も登場する名文句ご存知でしょ!“Who Could Ask for Anything More?”ってね!
CU

対訳ノート(30) I’m Through with Love

 こんにちは!一週間の始まり、マンデイ・モーニング・ブルーズになっていませんか?個人的に本年度野球シーズンは昨日でお終い。It’s Only a Ball Game!でも胸痛い…巨人ファン、中日ファンの皆様、がんばって下さい!
 今月のジャズ講座、そして土曜日のThe Mainstem”のアンコールでも、胸が痛くなるしんみりした曲、”I’m Through with Love”が聴けました。For I must have you or no one~♪少しひんやりする秋風の中、ずっと鼻歌で歌ってます。これは私がジャズ・ファンになる前から知っていた歌、小汚い女子中学生の頃から何度繰り返し観ても飽きない大好きな映画の名シーンの歌だから。
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<お熱いのがお好き>
 『お熱いのがお好き』(Some Like It Hot)は、ナチ台頭を期に、ドイツ映画界からハリウッドに移った巨匠、ビリー・ワイルダー監督の名作コメディーのひとつ。『サンセット大通り』『情婦』『アパートの鍵貸します』『フロントページ』etc…ジャズの名盤同様、毎日観ても飽きない映画たち。中学生でも笑って泣けるし、大人になると「笑い」の奥底ある「苦さ」に、シリアスな映画では、人間の「どうしようもなさ」が深く心にささります。落語が好きで、ジャズも好きな人は、間違いなくビリー・ワイルダーにハマるでしょう。ワイルダーはネイティブな英語人でないのに、私に英語の面白さを教えてくれました。作品の凄さについて書き出せばどうにも止まらないので慎まなければ。ここでは『お熱いのがお好き』のあらすじを説明するだけにしておきます。日本語の映画予告編がYoutubeにあったよ。
josephone_daphne.jpg 時はギャング全盛の禁酒法時代、ジャズ・ミュージシャンのジョー(ts)とジェリー(b)は演奏中のキャバレーの中でマフィアの抗争を目撃してしまう。それはマフィア抗争史で有名な「ヴァレンタイン・デーの虐殺」事件!不幸にもそのおかげで二人はマフィアに狙われることに…。追っ手の目をくらますため、二人とも女装し、バンド・マンならぬバンド・ウーマンとして女性ばかりのビッグ・バンドに紛れ込み、フロリダの高級ホテルで演奏することに。楽団にいるウクレレ(!)兼ヴォーカルがグラマー美人、気はいいけど男運の悪いマリリン・モンロー、役名はシュガー・ケイン(日本語にするとサトウ・キビ子か・・・)、ジョセフィンと名乗るジョーはマリリンにひと目惚れし、ダフネに変身したジェリーは、石油富豪のお目にとまり婚約するはめに。そのうち、二人を追うマフィア一味がそのホテルで開催される「イタリア・オペラ愛好会」にやって来て、話は限りなくややこしく、オカシクなって行きます。禁酒法時代に発展したジャズの歴史に興味ある人も必見の名画といえるでしょう。
some_like_it_hot_1.jpg   ジョーは億万長者になりすまし、シュガーとねんごろになるのですが、ギャングがいるから、ずっと男の姿ではいられない。てっきりフラれたと思い込んだシュガーが、ボロボロになった心で歌うのが”I’m Through with Love”なんです。
 「男性の女装を天然色で撮影すると倫理団体から抗議が殺到する」時代ゆえ、敢えて白黒になった映画。シュガーのまとうシースルーのブラック・ドレスは映画史上最高にイヤラシく、また可愛い!当時妊娠中だったモンローの白い肌と、豊満な胸、筋トレなんか全然関係ないポニョポニョのボディと、少し人工的顔な美貌、着崩したドレスやヘアメイク、全てが計算された完璧な役作り、吹き替えでない歌唱も完璧です!余り技巧的だったりパワフルだとシーンにそぐわないし、さりとて下手ならNGですが、歌唱自体が役にぴったり合っている。モンローの模倣者は数え切れないほどいるけれど、モンローの前にも後にもこんな女優はいない!彼女のアクトには計算し尽された「型」があり「スタイル」がある。つくづく凄い女優です。因みに歌唱指導はトミー・フラナガンやジョージ・ムラーツの友達だった名伴奏者、ジミー・ロウルズ(p)だった。
 名セリフや裏話など書きたいことは山ほどあるのですが、あかん!ザッツ・アナザー・ストーリー!歌について書かなくちゃ!とにかくラストのオチをご覧になって、爆笑できなかった方がおられるとすれば、余程深刻な心的問題がおありになるではと危惧する次第です。
<さり気ないからこそ悲しい歌>
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 “I’m Through with Love”は映画で出てくる「ヴァレンタインデーの虐殺」と同年、1929年の流行歌、作曲:J.A.リビングストン&マット・マルネック、作詞:ガス・カーン。ガス・カーンは”It Had to be You”や”I’ll See You In My Dream”など、ジャズ通の方なら良くご存知の歌曲を沢山作っています。その詞は自然な語呂で鼻歌としてとても歌いやすい。大作詞家、ジョニー・マーサーは”It Had to be You”を『ベスト・アメリカン・ポピュラー・ソング!』と評しているし、「歌詞の権威」ロバート・キンボールはカーンの作風を、『気取らず、きばらず、それでいて忘れがたい(unpretentious, un-selfconscious and unforgettable)』と評している。つまり”粋”なんです。この歌も、いわゆる「大ネタ」ではないけれど、ずっと心に残ります。
 内容はごく平凡な失恋ソング、”心を尽くして愛したのに、あなたは新しい恋人を作って私を捨てた。もう恋なんかしない。”おきまりのAABA形式、それなのに非凡で忘れられなくなるのはA部後半のさり気ない反復にある。”For I must have you or no one、And so I’m through with love.”日本人がここのラインをそのまま口づさんでも、ほんとに自然に発音できて、少し得意になれるでしょ!それにA部の歌詞の切れ目の全てが「ため息」とよく似合う。「一筋だった相手に捨てられた悲哀」が、32小節の間に少しずつリアルになって、大声で主張しなくても、ターンバックでは、すっかり胸がキュンとなってしまう。関西弁で言うと”じんわり”胸に染みてくる。モンローは、そういうところをとてもよく判った上で歌っているから素敵です。
 このシーンをご存じない方はYoutubeでどうぞ。
 そう言えばビリー・ワイルダーは女優マリリン・モンローを評してこう言ったそうです。「モンローの凄さはオッパイではない、耳だ。彼女は話の達人だ。誰よりもコメディを読み取る力がある」 確かに歌詞を読み取る力も並外れている!
<さり気なさが失われる時>
lorez_image112.jpg 偉大な音楽家なら誰でもそうだろうけど、トミー・フラナガンは映画や舞台、楽曲に関することなら、とにかくなんでも知っていた。来日するとホテルで深夜映画をよく観てました。おまけにマリリン・モンローが大好きで、彼女の伝記が自宅の本棚の一番良い場所に陳列してあったっけ。
 先日のジャズ講座で聴いたロレツ・アレキサンドリアのバージョンは、どこがモンローと違うかと言うと、上のパンチラインを、”For I must have you or no one、NOBODY“と反復する手法をとっている事。この歌にこだわりのある聴き手なら、さり気ない歌の良さが損なわれるような気がしてしまう。ライブならこれで良いかも知れないけれど、レコードで聴くと気になって仕方ない。まるで教会か政治集会のシュプレヒコールみたいに思えてしまいます。フラナガンは「そこはNo oneにしなくっちゃ、粋にならないよ」と、最高に歌詞にぴったりのソロを弾いて見せている。そういう風にしか聴こえない。
my_melancholy_baby_matt_dennis.jpg 女子専用の歌に聴こえるけれど、元々ビング・クロスビーが歌い、女性ファンをシビレさせました。男性でもマット・デニスならいい感じ。歌も間奏のピアノも、押し付けがましくなく、それでいて情感がこもってる。じーんと来ます。
 ストレート・アヘッドな硬派のバラードや、華々しい超難曲もいいけど、こんなさり気ない歌が、深まる秋に染みます。特に昨日のゲームを観た後は・・・

I’m Through with Love
アイム・スルー・ウィズ・ラヴ:原歌詞はこちらに
Gus Kahn /Joseph A. Livingstone, Matt Malneek
<Verse>
真心を捧げたのに、
あなたは、新しい恋人を作った。
どうすればいいの?
もう私はお払い箱、
あなたは新しい恋に夢中
捨てられた私が言えるのはこれだけ…
<Chorus>
恋はおしまい、
二度と恋はしない、
サヨナラ、恋よ
もう声をかけないでね、
あなたでなければだめだから、 For I must have you or no one
もう恋はしない。   And so I’m through with love.

心に固く鍵をかけ、
気持ちはそこにしまっておこう、
心は氷詰めにしておいた。
決して誰も愛さない、 And I mean to care for no one
もう恋はこりごり。  Because I’m through with love.

なんで気のある素振りをしたの?
どうでもよかったはずなのに。
あなたに夢中な女達に、
取り囲まれていたくせに。
春よ、さよなら、
もう元には戻れない。
私にはあなただけしかいなかった。For I must have you or no one
だからもう、  And so
恋はしない。 I’m through with love.

対訳ノート(29)波止場に佇み:I Cover the Waterfront

 「残暑お見舞い」には、あまりにも暑い毎日、シャワーを浴びないと一日は始まりません。皆様いかがお過ごしですか?
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 今日はメインステムが土曜日に演奏予定の名曲“波止場にたたずみ”について書いてみたいと思います。
<歌のお里>
 ジョニー・グリーン作曲、エドワード・ヘイマン作詞、ポップ・ソングとして“I Cover the Waterfront”が書かれたのは1933年のこと。このコンビの最大のヒットはビング・クロスビーが歌った”Out of Nowhere”ですが、Interludeを読んで下さる方なら“Body & Soul”の作者であることはもうご存知かもしれませんね。
 この歌は当時のベストセラー小説のタイトルにあやかって作られました。小説の“I Cover the  Waterfront”は、文字通り”沿岸警備”で、新聞記者出身の作家、マックス・ミラーが書いたロマンチック・ミステリー、中国系移民の密航事件を追う新聞記者が、犯人の美しい娘と恋に落ちながらも、果敢に真実を追及していくというストーリー、ミラー自身が長年港湾関係の取材で鳴らしたジャーナリストだったので、リアルな描写と歯切れの良い文章が受け、すぐに映画化されこれも大ヒット。歌はストーリーとは余り関係ないけど、先行ヒットしていたために、映画の中でも使われています。深夜映画のないこの時代、ネットでこの映画も観ることが出来ます。ただし字幕はなし。
<帰還兵を待つ歌として>
Image-BillieHoliday.jpg この歌が再び愛され、小説や映画より長く記憶に残るようになったのは第二次大戦後のことです。波止場に佇み待ちわびるのは、外地に出征した恋人や夫でなくとも、息子や兄弟、友人であったかも知れません。日本にも『岸壁の母』という歌謡曲がありましたが、戦争の勝ち負けは別にして、戦争に巻き込まれた人々の心は同じであったでしょう。ビリー・ホリディのカーネギー・ホールでのコンサート(’47)で”I Cover the Waterfront!”と大きな掛け声がかかるのが思い出されますね。
 ちょうど現在ジミー・ヒース(ts)の自伝を読んでいるのですが、大戦直後ジミーが所属していた楽団の歌手も、頻繁に“I Cover the Waterfront”を歌っていて、それをふざけて物真似したジミーが、当の歌手にあやうく撃ち殺されそうになったという、イチビリな私にとって非常に恐ろしいエピソードが書かれていました。
 かつて”水辺にたたずみ”とも邦題表記されていましたが、この歌の舞台が「水辺」ではなく「波止場」であることは、ヴァースを読めば明らかですよね。そして、歌詞を読めば”Cover”という動詞が決して、沿岸警備隊や警察のように、波止場の周辺をくまなく捜査するというニュアンスでなく、ひっそりとした夜の港にじっと立ち続け、海の向こうにいる大切な人に語りかけている歌であることがわかると思います。

I Cover the Waterfront
波止場に佇み

原詞はこちらに
Edward Heyman詞、Johnny Green曲
(Verse)
人を傷つけ嘲る都会を離れ、
ひっそりした凍てつく夜、
荒涼とした波止場に独り佇む。
見えるのはどこまでも続く水平線だけ。
心は痛み、石のように重苦しい。
日が昇ると、少しは軽くなるかしら?
(Chorus)
私は波止場に佇み、
海に目を凝らす。
愛する人は
帰って来るの?

波止場に佇み、
恋人を捜す、
見上げれば
星のない夜空。

私はここよ、
辛抱強く待ちわびる

はかない希望に全てを託し、
あなたを想って待っている。
なんと切ないことでしょう!
あなたは今どこ?
私のことなど忘れたの?
どうぞ覚えていてほしい。
戻ってくるの?戻って来てよ。

私は波止場に佇んで、
ひたすら海を見つめてる。
愛する人が戻って来ないかと。
どうぞ戻ってきて…

 切ないな!
 アレック・ワイルダーは、この歌を「切々と感情に訴えかける佳作」と書いていた。
「待てば海路の日和あり」と言うけれど、待つのは本当に辛い。恋人を待つのも、OverSeasでお客様を待つのもご同様。でもロマン派=寺井尚之がこの曲を料理すると、希望の星がひとつ、ふたつと灯って、心が癒されるかも知れません。
 土曜日のメインステム、どうぞご期待ください。
 お勧め料理は、ちょっぴりエスニックに、生春巻きと熱い春巻きの盛り合わせにしようと思ってます。
CU

日曜セミナー:カーメン・マクレエを聴く

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 酷暑の毎日、心より暑中お見舞い申し上げます。ビールを沢山飲んでから、熟睡できずに夜明けに目覚めると汗ぐっしょり・・・グッドモーニング・ハートエイクというより、グッドモーニング・ナイトスエットって感じです。
 日曜日に開催された寺井尚之ジャズピアノ教室生徒会主催セミナーで聴いたカーメン・マクレエは、哀しい歌でも不思議にメソメソした趣がなく、それ故怖くもあります。でも寺井尚之の解説と共に、皆さんと一緒に聴けるのはほんとうに幸せなことですね!
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 寺井尚之はマクレエの歌唱に於ける「温度」の低さと、年齢を重ねるにつれて男性へと変化していく「セクシュアリティ」を強調していましたね。
gardenia.jpg ビリー・ホリディを「理想の歌い手」として、彼女の芸風を学び尽くし、自分の「個性」を作り上げたことへの共感にはとても納得。寺井はセミナー終了後、今回紹介した34の歌唱のうち、一番良かったのは、晩年のアルバム、”For Lady Day”からのトーチソング・メドレー(If You Were Mine~It’s Like Reaching for the Moon)だったと述懐してました。
 セミナーの付録として訳した、アーサー・テイラー(ds)著”Notes and Tones”のインタビューの中で、当時48歳の彼女は、スタンダード曲の歌詞が「月と星と恋愛」ばかりでうんざりしていると語っています。ところが、このメドレーはどちらも「月+星+実らない恋愛」の歌、それ以外には何もない、シンプルなトーチソングでした。模索を続け、結局、最初に戻るというのはマクレエのみならず、トミー・フラナガンもそうだった。アーティストの変遷を考える上で非常に興味をそそられます。なお、このインタビューは、現在カーメン・マクレエのサイトにフルテキストが掲載されています。和訳をご希望の方はどうぞ。
 不思議なことに、マクレエ・セミナーの直前はトラブル続き、寺井尚之が指を怪我したり、製氷機が故障したり、挙句の果てにセミナーで対訳を映写するプロジェクターのランプが開講30分前に切れてしまったり・・・一方、対訳を作っている私は、愛を失うこと=「死」であるような、壮年以降の瀬戸際的な歌詞解釈と、自分の母親が抱えている哀しさが、奇妙に相互リンクを張ってしまい、胸が痛くて壊れそうになりながら仕事してました。
 何はともあれ、セミナーで皆さんとご一緒にカーメン・マクレエ芸術を鑑賞することで、禊(みそぎ)になったような気がしています。
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 参加してくださった皆様、心よりありがとうございました。
 音源や情報を提供して下さったG先生は、セミナー前日に元マクレエの伴奏者だったウラジミール・シャフラノフ(p)さんにお会いして、色んな裏話を仕入れてくださっていたので、また別の機会にゆっくり皆でお話聞きたいです。おやつのさしいれもありがとうございました。
 メインステムの宮本在浩(b)、菅一平(ds)両氏もありがとう!
 またジャズ講座発起人、ダラーナさま、来週(土)のジャズ講座の為に大急ぎでプロジェクター・ランプ調達してくださってありがとうございました!
 参加してくださった京都のKMさん、ダグのライブはベーシストのピーター・ワシントンが良いアルバムと言っていたそうですので、元気出してください!
 そして生徒会あやめ会長、むなぞう副会長、セミナーのプロデュースありがとう!土壇場のコピーなど、大変お疲れ様でした!
 なお、セミナーの模様は後日冊子になる予定です。どうぞお楽しみに!
 明日は鉄人デュオ!皆で聴きましょうね!
CU

カーメン・マクレエ・セミナー対訳準備中

macrae_seminar.JPG 今週は大荒れのお天気でしたね。昨日は通勤時に物凄い雨が降ったようです。夜中に大雨が降るので熟睡できないし、皆様バテバテになっていませんか?
 8月1日の日曜セミナーの為に、講師:寺井尚之が厳選したカーメン・マクレエの歌唱は若き日のディック・カッツ(p)さんが伴奏する『By Special Request』(’55)から、晩年のビリー・ホリディ集『For Lady Day』まで、カワイコちゃんシンガー(a girl singer)と言われていた時期から、”おっさん”と間違えられる時代まで、今のところ、全34曲。「いつ対訳くれるねん?」というドスの効いた取立てに泣きながら、さきほどようやく初稿の紙出しが終わったところです。
sammy_carmen.JPG 寺井尚之が解説しやすいように、草稿に加筆していくので、対訳作業はここからがやっとスタート地点。初期のレコーディングには、サミー・デイヴィスJr.との漫才みたいに楽しい掛け合いが聞ける「お目にかかれてうれしいね」など明るいものもあるのですが、マクレエの本領は、やはりトーチソングの悲劇性。何でもなさそうな「一言」に、強い痛みや、皮肉を込めるのがカーメンの必殺技なので、対訳を作っていると、私まで失恋したみたいな気持ちになって胸が痛~くなってしまうのです。
 仕事や勉強以外で毎日2時間以上インターネットを使っていると、ネット依存症(Digital Addiction)になってしまうそうですが、このまま毎日何時間もマクレエの歌詞を翻訳していると「失恋依存症」になってしまいそう・・・
 マクレエが歌を一生の仕事に選んだきっかけは、譜面がだめなビリー・ホリディの為に、新曲を歌って聞かせる「下歌い」をしたことから、弟子として、友人として彼女の一挙一動を見習ったことだったそうです。ところが、ビリー・ホリディの十八番を歌う時でさえ、ホリディ・フレーズのコピーはどこにも見つかりません。逆に、8月のジャズ講座で取り上げる阿川泰子さんのアルバムでは、慣れ親しんだホリデイの節回しがモロに出てくるので、二つの講座で聞き比べると面白いかも知れません。ホリディに心酔して、身も心もどっぷり浸かったカーメン・マクレエの歌には、表面的なスタイルでなく、そのエッセンスが昇華されているように思えます。
 寺井尚之のプレイにも、フラナガンのコピー・フレーズはほとんどないですから、その辺りもたいへん興味深い。
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 カーメン・マクレエの歌詞解釈が判っていただけるような対訳を目指して、これからさらに磨きをかけていく予定です。
 ぜひ、日曜講座にお越しください!
<Carmen McRae講座>
日時:2010年8月1日(日)
時間:正午~3:30予定
受講料:2,500円

 今週土曜日は寺井尚之メインステム3!お勧め料理は「蒸豚&チヂミの盛り合わせ」を!
CU
 
 

対訳ノート(28) 「あめりか物語」とIndian Summer

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 梅雨と言えない豪雨、大阪も暑いけどNYは記録的猛暑とか…皆様いかがお過ごしですか? ライブだけでなく発表会や講座の予定が一杯でアップアップですが、なんとか達者に暮らしております。
 今週のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」では、ザ・マスター・トリオ:『Blues in the Closet』のほかに、講座本第7巻収録の超名盤、Jazz at Santa Monica Civic ’72の未発表テイクで、エラ・フィッツジェラルドの最強の歌声が花火のように炸裂しますので乞ご期待!
 その中に”Indian Summer”という名曲があります。インデアン・サマーは夏じゃない。日本語訳すれば「小春日和」ということになっているけど、カウント・ベイシー楽団をバックに歌い上げるエラの歌唱は壮大で、私達日本人が持つ「小春日和」のイメージとは、なかなかつながりませんね。
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Indian Summerって何ですか?>
 ウィキペディアで調べてみたらこんな感じでした。
 Indian Summerは18世紀に作られた北米の言葉:北半球で通常10月下旬~11月上旬の間の短い温暖な時期、「初霜と紅葉の後、初雪の前」で、温度は21℃以上。
 何故「インディアンの夏」なのか?は諸説あるようです。
「ヨーロッパからの開拓者に対するネイティブ・インディアンの襲撃が、春と夏に限定されており、秋の温暖な気候にインディアンの脅威を感じるため。」とか、「”Indian”という言葉自体に”偽の、いつわりの”という意味があるから」とか言われているらしい。白人が勝手にインディアン(インド人)と呼んだだけなのに、”ニセモノ”と言われるのも迷惑な話ですね。
 夏の一番暑い時期を”Indian Summer”という地方もあるらしいけど、歌には余り関係ないですね。
 というわけで、歌を楽しむという視点からは、Wiki諸情報はSo What?なものが多かった。一番上の写真はエラの壮大な歌に似つかわしいと思うのですが、対訳を作る際に参考になったとは言い難い。
<昔の日本人は偉かった!>
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 そんな時はやはり書物です!最近読んだ永井荷風の紀行文的短編小説集「あめりか物
語」に、季節に敏感な日本人の感性でインディアン・サマーを端的に捉えた記述がありました。

岩波文庫:あめりか物語 「春と秋」より抜粋。p.104
「11月の第2日曜の頃・・・この国では、インデアン、サンマーともいうべく、空は限りなく晴れ、午後の日光(ひかげ)はきらきら輝きわたっていたけれど、しかし野面(のもせ)を渡る風は、静かながらに、もう何となく冷たい。裏手の小山から、処々に風車の立っている村のほうを観ると、樫(オーク)の森が一帯に紅葉していて、その間から見える農家の高い屋根には、無数の渡り鳥が群れを成して、時々一団、一団に空高く舞い上がる。程なく来るべき冬を予知して、南の暖かい地方に帰って行くつもりなのであろう。…」

 「インデアン、サンマー」というのが発音そのまんまでええ感じ!「あめりか物語」は明治41年(1908年)の短編小説集で、インディアン・サマーの日本文学にデビューの書かも。短編 「春と秋」は、ミシガン州南部の神学校に留学した日本人学生が、異国という特殊な状況で織り成す物語。
 「あめりか物語」は、荷風が実際に米国に洋行した経験を元に書かれた作品で、海外旅行など不可能で、TVもなかった明治時代に大好評を博したそうです。あちらの気候風土だけでなく、当時のブロードウェイや、娼館の様子などもリアルに描かれていて、今読んでもすごく面白い。現在のアメリカを扱った紀行文やTV番組より面白いかもしれない。何しろ、書物でしか知らない異国の地に渡った荷風の興奮や驚きが、よく伝わってきます。ジャズ・スタンダード曲も明治時代に作られたものが多いし、対訳作るのにとても参考になりました。 娼婦が歌う唄(ブルース)の歌詞が英語で記述されてる箇所もありました。温故知新!昔の日本人は凄いね!
<歌の空気>
 荷風の文章を読むと、歌の空気がよく判る。初夏に「わたし」は失恋する、傷心を抱え季節は冬へと向かい、木々の葉は赤く色づき風は冷たい。そんな物悲しい晩秋に訪れる暖かなインディアン・サマーの青空と輝く太陽に、失われた恋が甦る。厳寒の冬に向かう暗い心に、優しく灯される一条の光のような短い季節インディアン・サマー・・・エラの歌唱を聴くと、たとえ2コーラス目に歌詞を間違えようと、ワインレッドの樫の森や青い空、紅葉を照らす日光や、美しい風景を映す湖の情景、失恋の痛手から立ち直り、厳寒の冬に立ち向かおうとする心情がしっかりと現れます。こういうのを「音楽的真実」というのでしょうか?
インディアン・サマー
(Al Dubin/ Victor Herbert)
懐かしのインディアン・サマー、
お前は6月の笑顔の後に
やって来る涙、
お前は幾多の夢を観る。
私とあの人の叶わぬ夢、
二人で夏の始めに観た夢を。
大事な言葉を言われぬままに、
終わった恋の心の傷を
見守る為に来たんだね。
お前は、はかなく消えた6月の恋の亡霊、
だから私は呼びかける、
「さようなら、インディアン・サマー」と。

 エラの歌うIndian Summerを土曜日のジャズ講座で、寺井尚之の解説で、ご一緒に聴きませんか?
 お勧め料理はジンジャーやワイン・ヴィネカーを利かせて、暑い季節にぴったりの、ビーフストロガノフにします。
CU

対訳ノート(27) I’m a Fool to Want You

 4月に似合わない冷たい雨が降っていますが、皆さんお元気ですか?
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 火曜と水曜は、山中湖からトミー・フラナガン愛好会の石井ご夫妻が来て下さって、インターミッションは寺井尚之と久々に話が盛り上がっていました。もう山梨県にお帰りになりましたか?ダイアナ・フラナガンが愛好会の皆様によろしくと言ってましたよ!
 昨日は三週間ぶりに聴く”エコーズ”、そのせいか客席も賑やか!全員が輪になって熱心に寺井尚之+鷲見和広のインタープレイを観戦、じゃなくて鑑賞してくれたので、セットを重ねるごとに演奏も熱くなっていきました。エコーズ初体験で少なからず衝撃を受けた人もいたみたい。エコーズのレパートリーの中でも、特に拍手が多かったのが“I’m a Fool to Want You”。「初めて聴いた」という人も何人かいらっしゃったので、今日はこの歌について書いてみようと思います。
<パパラッチ的「歌のお里」>
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 私には何と言ってもビリー・ホリディの歌唱が極めつけですが、もともとはフランク・シナトラのヒット曲。自分の音楽出版会社の作品の歌詞に手を入れて、’51年と’57年にレコーディングしています。愛唱していたかどうかはよく判りませんが、フランク・シナトラ自身の私生活を想起させる内容がファンの心にアピールしたというのは、ビリー・ホリディの歌づくりと酷似していますよね。
 この歌が作られた時期、シナトラはハリウッド一の美人女優と言われていたエヴァ・ガードナーとの結婚が騒がれていました。当時のシナトラは、大スターとはいえ、40年代の人気に翳りが出て来た頃で、役者として再ブレイクする直前の難しい時代です。既婚者であったシナトラへの風当たりは強く、映画会社は結婚に反対し、マスコミやカトリック教会に批判され、自殺未遂までしたと言われています。シナトラの女性関係や、「子供を作れない」というエヴァと映画会社の契約で結婚生活は7年でピリオドを打ちました。アメリカ芸能界のドン、シナトラにも、こんな苦難の時期があったんですね。
 シナトラが’51年にこの歌を初録音した時は、自分自身と歌の境目が付かないほど落ち込み、録音するや否やスタジオを飛び出してどこかに消えてしまったと言われているらしい。
 後にシナトラが愛した名アレンジャー、ネルソン・リドルはいみじくも「フランク・シナトラにトーチ・ソングの歌い方を本当に教えたのはエヴァ・ガードナーだ。」と述懐していたそうです。
<Lady in Satin>
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 トーチ・ソングは「実らぬ恋」の歌。心に燃える悲しい炎の歌です。ビリー・ホリディ晩年の名盤<Lady in Satin>は、トーチ・ソング芸術の白眉と言ってもいいかも知れない。恋の悲しさ、哀れさ、未練…日本の艶歌に通じるエッセンスを、ビリー・ホリディが見事に自分の中で昇華させて、悲しくなるけど何度も聴きたくなってしまうし、何度聴いても飽きません。
 ビリー・ホリディの伝記「Wishing on the Moon」 には、<Lady in Satin>の編曲、指揮を担当したレイ・エリスのインタビューが載っています。それを読むと、録音当時、亡くなる前年のビリー・ホリディは精神的にも体力的にも衰えが隠せない状態で、アルバム制作のアポイントをすっぽかされたこと20数回、スタジオに入っても曲が覚えられない、音程をはずす・・・40ピースのストリングスが休憩している間に、ハンク・ジョーンズと曲のおさらいをして、ストレートのジンで喉を潤しながら何とか本番をこなし、プレイバックを聴いては、自分の出来に不満で涙を流すという状況だったそうです。ホリディに振り回されたレイ・エリスはうんざりしてしまい、ミキシングにも付き合わず、絶対にレコードを聴かない!と宣言していたそうですが、後で出来上がったアルバムを聴いてみると、何十という音程のミスも気にならない仕上がりになっていたと告白しています。
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 芸術家もスポーツマンも心・技・体が原則ですが、天才はそのバランスがめちゃくちゃになっていても、あんなすごい歌唱を残すことが出来るんですね・・・レイ・エリスの証言とは裏腹に、アルバムを聴いていると、ビリー・ホリディの選曲の意図も、歌詞解釈も、全てが的を得ていて、「コートにスミレを」をトーチ・ソングに仕立た狙いはほんまにすごいと思ってしまいます。
 “I’m a Fool to Want You”には「恋は愚かというけれど」という邦題がついているらしいけど、ちょっとイメージとは違うような…ビリー・ホリディを聴いて連想する歌のヒロインは、私の大好きな映画『アパートの鍵貸します』のシャーリー・マクレーンかな。
ここには抄訳を載せておきますが、対訳は寺井尚之ジャズピアノ教室生徒会のテキストに掲載しています。
昨年9月のスタンダード講座のテキストも出来上がりましたのでご希望の方は当店にお問い合わせください。
<I’m a Fool to Want You>
私の恋焦がれるあなたには他にも女性がいる。
どうしたって本物でない愛を求めるなんて
なんて私は馬鹿なのかしら。
何度別れようとしたことか…
でもやっぱり舞い戻ってしまう。
愚かなことと判っているけど、
あなたを求めずにはいられない。
どうか哀れな女と思って、
もう一度やり直して。
間違いは承知のうえ、
だけど、そんなの関係ない。
あなたなしでは生きられない…

 もし「あなた」というのが「愛する人」でなく、アルコールやドラッグを意味するのであったとしても、ビリー・ホリディの歌唱は、愛しく哀しい。でも「壮絶」というには品格がありすぎます。エコーズのプレイは可愛くて哀しい。お客様が多いときと少ないときで、「可愛さ」と「哀しさ」の比率が変動するような気がするのは私だけでしょうか…
 明日はスーパー・フレッシュ・トリオ!土曜日の林宏樹(ds)先輩ライブはかなり混んでますので必ずご予約ください!
CU

あなたの中のビリー・ホリディ(1)

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 例えばもしも、恋人の心変わりに気づいたとき、あなたなら、別れようと言われる前に潔く身を引く事ができるだろうか?夫のワイシャツに口紅がついていても「言い訳しないで」と赦すことができるだろうか?帰って来ない恋人を人気のない夜の港で待ち続けることができるだろうか?
 先週のジャズ講座で聴いたリリアン・テリー(vo)+トミー・フラナガン3の“You’ve Changed”、主役の座をさらうトミー・フラナガンの間奏に、ビリー・ホリディの精髄を感じて、今までなかなか書けなかったレディ・デイのことを少し書いてみたくなりました。
Image-BillieHoliday.jpgBillie Holiday (1915-’59)
 トミー・フラナガンの青春時代のアイドル且つ音楽的ルーツ、それだけでなく器楽奏者であるバッパー達がこぞって崇拝する歌手、ビリー・ホリディ。一般的には、ヘロイン中毒、男性遍歴、レズビアン・・・などスキャンダラスなタグラインか、「奇妙な果実」が象徴する社会派のイメージが強調され、チャーリー・パーカー同様、破滅型の天才ということになっていますよね。でもバッパーを虜にするのは、レディ・デイの音楽表現の素晴らしさ。器楽奏者にこれほど影響を与えた歌い手は、ビリー・ホリディの他にはちょっと思いつきません。彼女が譜面を読めない音楽家であったことを考えると、とても興味深いのですが、それは次のお楽しみとして、今日は、ジャズ講座対訳係りの立場からお話してみます。
<レディ・ディ:虚像と実像の間で>
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 対訳を作る時、歌詞解釈がちゃんと出来ている歌唱は訳も作りやすい。だって何を言いたいのかはっきりしているから、そこを日本語にすればいいのです。この間のリリアン・テリーの対訳もAt Easeでした。“Lover Man”“You’ve Changed”でも32小節ドラマのシナリオと絵コンテをリリアンが作っていて、それを実現できるようにフラナガンが「伴奏」というより、むしろリードしたという印象です。
 ホリデイは完全な女優型歌手、聴き手にとって、歌い手と歌の主人公の区切りが判らなくなるような歌手です。ですからエラ・フィッツジェラルドのように男性の歌、”Lady, Be Good”をそのまま歌うタイプではありません。ホリデイのブレーン達は、ホリデイの私生活スキャンダルと、歌唱の個性をうまく使って、“Good Morning Heartache”“Don’t Explain”など、ホリデイ自身を想起させるシグネーチュア・ソングを次々とヒットさせたんですね。日本の歌手にも、私生活を想起させる歌でヒットを飛ばした歌手は沢山いますが、死後50年以上経っても「私だけに歌いかけてくる」ような錯覚を与えるほどのリアリティはあるのかな?ビリー・ホリディの歌う歌はどれを聴いても、私宛ての親展メッセージのようで、不思議に心を捉えます。寺井尚之は、「そんな状況やったら、わしが何とかしたるやないか!」と一肌脱ぎたくなるらしい。
<レディ・ディ菩薩:赦しの美学>
 そして、ビリー・ホリディの歌唱の稀有なところは、歌を聴いているだけで、自分の過ちが「赦された」ような気持ちになれること。
 例えば、前述の“Don’t Explain”は、夫のワイシャツについた口紅で浮気に気づいた妻の歌、普通ならワイシャツだけでなく、旦那の顔までズタズタになってしまうかも知れないところですが、歌の主人公は「言い訳しなくてもいいの」と言う。極めつけはこのライン〝Right or wrong don’t matter when you’re with me, Sweet〟(善悪なんてどうでもいい、愛するあなたが一緒なら)これは、正義と真実が最優先のアメリカでは、ほとんど反社会的かも知れない。〝Right or wrong don’t matter〟タイガー・ウッズやビル・クリントンでなくても、人はWrongなことをしでかすのもの、レディ・デイは菩薩のように、許しと癒しを与えます。
Hinton_Billie_Holiday.jpgLady In Satinの 録音に参加したベーシスト、ミルト・ヒントンは、プレイバックを聴いて声の衰えを痛感する悲痛な表情をカメラで捉えた。
 先週リリアン・テリーで聴いた“You’ve Changed”はホリディ晩年のLP『Lady in Satin』に収録されています。当時のホリデイには往年の輝く声は失われているけれど、逆に歌詞表現のニュアンスは声を補って余りあるほど甘くて苦い。聴くたびに感動してしまいます。ホリデイの崇拝者、カーメン・マクレエは生前このレコードを絶賛していて「LPが擦り切れるから、予備に何枚も持っている。」と言ってたっけ。彼氏の心変わりを嘆きながら、最後の節でこう歌う。〝あなたは変わった、もう私が知ってた天使じゃない。今更別れようと言う必要なんてない。終わったのよね。〟別れにつきもののゴタゴタもなく、向こうの方から終結宣言してくれる。だからと言って、彼女のところに舞い戻ったとしても、「言い訳なしで」元の鞘に戻れそう。
 きっと”You’ve Changed”の主人公は、別れた後、この後で”落ち葉を焼く煙の臭い”や”船の汽笛”に彼を思い出しながら”These Foolish Things”を歌うんだろうな!
 Right or Wrong doesn’t matter・・・恋に落ちること自体、善悪や理屈とは関係のないものかも知れない・・・
 昨年秋のトリビュート・コンサートで聴けた“Easy Living”も、勿論ホリデイ的「赦し」の歌です。傍目には男に利用されているとしか見えない女性が主人公、彼女は愚かな自分と恋した相手を同時に赦す。「あなたの為に生きることこそ気楽な人生(Easy Living)…惚れた人のために苦労しても構わない。愛する人に尽くすと生きることが楽になるから…」
 どんな過ちを犯しても、観音さまとビリー・ホリディは赦してくれる。レディ・デイの唄を聴いていると、そんな気持ちになります。とはいえ、私生活の彼女は、必ずしもそうではなかったようですが、ザッツ・アナザー・ストーリー。
 トミー・フラナガンがこよなく愛し、大きく影響されたビリー・ホリディ、トリビュート・コンサートでも、ホリデイゆかりのレパートリーが聴けるでしょう。
 トリビュート・コンサートは残席わずかですので、お早めに!
明日は末宗俊郎(g)トリオ!そしてあさって土曜日は久々のSFT。KG&イマキーが寺井尚之と共にフレッシュなプレイをお聴かせいたします。
CU