Cole Porter (1891-1964)
=歌のお里=
“You’d Be So Nice to Come Home To” は言わずと知れた超セレブソングライター、コール・ポーターの作詞作曲。ブロードウェイの舞台裏を描くコメディ-映画『Something to Shout About』(’43)の劇中歌で、主役、ドン・アメチーが、この歌でヒロインを口説くものの、「プレイボーイのあなたは、女の子を見れば誰でも追いかけまわしているのでしょ。」と軽くいなされる。映画はコケたけど、この歌はオスカーにノミネートされ、多くの歌手や楽団がカヴァーした。中でも映画と同年にリリースされたダイナ・ショア&ポール・ウェストン楽団のレコード(メリルのヴァージョン同様、ヴァースなし)は、ヒットチャートに18週間ランクイン、ソングライターとして最大のライバル、アーヴィング・バーリンの<ホワイト・クリスマス>を追い抜き、ポーターは大いに溜飲を下げた。ジャズ・ファンに愛され続けるヘレン・メリルのヴァージョンはそれから10年以上後に録音されたものです。
当時、この歌がヒットした理由は?
-「歌詞と哀愁を帯びたメロディーが、戦争のため、愛する人と離れて暮らす何百万という男女の共感を呼んだから。」- 伝記《Cole Porter/ A Biography (Charles Schwartz著)》より。
それなら、やっぱり歌詞を調べよう!コール・ポーター詞の特徴は、クラシックでエレガントなことばと、口語や新語が絶妙のさじ加減で混ざり合い、独特のリズムと洒落た味わいを生み出すところ。だから英語を母国語としない私たちには難しい!
=エイゴの話=
最大の難関は、巨泉さんでさえ誤ったタイトル・フレーズ、You’d Be So Nice to Come Home To、このことばで歌(Refrain)が始まり、終わる。当初、歌のタイトルには、いくつか候補があり、結果的に、このフレーズを題名とした。歌の肝!英語の意味をチェックしてみよう。
(1) You’d は、ご存知のようにYou wouldの略、ここでの wouldは、現実と異なる空想や願望を表す。
(2) You’d Be So Nice to Come Home Toの末尾の ‘To’は目的語を導く前置詞、なのに目的語自体がないのは、それが主語と同じだから。こういう場合は、目的語を入れてはだめ。受験英語サイトを見ると、そういうのは「欠落構文」と呼ぶらしい。先月見かけた、英デイリー・テレグラフ電子版の見出しが欠落構文だった。”This is the kind of music you should listen To at work. “(仕事の能率向上に役立つ音楽ジャンルはこれ!)
(3) 次によくわからないのが ’Come Home To You‘ということばの意味。‘come home’なら’家に帰る’だけど、そこに‘To you’が付くとどうなるの?私が調べた英和辞書には、イディオムとしての適切な説明はなかった。そこで、ネイティブ用の便利な無料辞書サイト、The Free Dictionary.com を調べてみる。すると、以下のような記述が!
come home to someone or something
to arrive home and find someone or something there.( 帰宅して、’to’以下の人、あるいはそれ以外の何かを見つけること)
これだ!‘Come Home To You’とは、「自分の家に帰ると、あなたが居る。」という意味だったのだ。つまりYou’d Be So Nice to Come Home Toは、「僕が家に帰ったとき、もしも、誰かが僕の家に居てくれるとするなら、そして、その誰かが、もしも君なら、すごく素敵だろうなあ…」となり、直訳すると、詩的と言うには程遠い、やたらと回りくどい愛の表現になるのだった。
巨泉さんは、この題名の正しい意味は『あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ』としていた。そして、大戦下でヒットしたのは、『戦争のために、愛する人と離れ離れで暮らす何百万という男女の心にアピールした』から。どうやら、ずいぶん近づいてきたみたい。
それでは、この言葉は、映画のように、男から女への口説き文句であり、「早く戦争が終わって、恋人の待つ故郷へ、或いは妻の待つ家に戻りたい!」という男たちの気持ちを語る歌なのだろうか?十年ほど前、私はそう確信し、『Ella at Juan Les Pain』でエラが快唱するこの歌の対訳を作ったのだけど…もう一度しっかり確かめておこう。
=ネイティブに訊いてみた=
持つべきものは友!米国に進出する日本企業のために、膨大な和英翻訳をこなすプロ中のプロフェッショナルであり、サックスでジャズ、ヴァイオリンでクラシックと幅広い音楽活動を続ける私の翻訳パートナー、ジョーイ・スティールさん(在サウス・カロライナ)は、私の疑問をいつも解決してくれる魔法使い。日英の比較言語とジャズの両方に精通するジョーイさんに、歌詞の本当の意味を訊いてみた。日本語検定一級の彼でも、英語のニュアンスを伝えるのは英語。驚いたことに、これは「プロポーズの言葉」だと、教えてもらいました。以下は要約。
1.要するに、プロポーズの歌だよ。
2.この歌の時代は、男性が外に出て働き、女性は主婦、というのが一般的だった。’仕事で疲れて家に帰った僕を、君が迎えてくれれば、どんなにいいだろう!’言い換えれば‘一緒になろう、結婚して!’ってこと。明らかに、男性から女性に向けた歌詞だよ。もちろん女性が歌っても問題ないけどね。
3.結婚したカップルの間で、夫が妻にこのセリフを言う?それは、絶対あり得ない。例え離れ離れの夫婦でも考えられない。勿論、夫が戦地に居る夫婦がこの歌詞にグッとくるというのは、十分納得できるけどね。あくまで、「日常の夫婦生活に戻る」という意味じゃない。一緒に住もう、結婚しよう、という意味。
*英語に関する質問サイトに日本人が投稿した同様の質問に対して、英国人女性がやはり「プロポーズ」という言葉で説明していたから、一般論として間違いないでしょう。
=リアリティ・ギャップ=
結局のところ、「帰ってくれたら嬉しいわ」よりも「あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ」の方が正しいけれど、英語を母国語とする人々の意味するところよりも広義だった。言語のリアリティ・ギャップは至る所にある。状況証拠に気を取られずに、謙虚にならなければと自戒。
一方、戦時中の男女の心をわしづかみにした歌の陰には、コール・ポーターの秘められたリアリティがあった。ポーターはバーリンと並ぶほどの愛国者として知られているけど、自分が戦地に居たわけじゃない。ポーターはすでに50才を過ぎ、落馬事故によって両足の自由を奪われて5年の歳月が経っていた。それどころか、真珠湾攻撃が勃発したのは、左足の再度の大手術とリハビリからようやく退院した翌月だった。
今の言葉で言うとLGBTだったポーターの奔放な男性遍歴の中でも、最愛の恋人(の一人)とされるネルソン・バークリフト(右写真 Getty Imagesより)は、この歌は’僕たちの歌’、つまり二人のロマンスを基に作られたと証言している。
ダンサー、俳優、振付師であったバークリフト(1917-1993)は、ポーターより二回り年下だ。二十歳そこそこで俳優を目指しヴァージニア州からNYにやって来た。ポーターと親密になったのは、ブロードウェイで役が付き始めた’41年頃だ。芸能界の超大物で大金持ちのポーターは、彼にとって、願ってもない後ろ盾だったはず。
ポーターは、この若者に夢中になった。足の自由を奪われ、合併症に苦しむポーターの目に、若く健康でしなやかな肉体を持つ美青年は、愛らしく眩しいものだったに違いない。ポーターから彼に送られた膨大な手紙や電報は、デート場所を記した走り書きのメモに至るまで、ポーターの死後公表されていて、一部を伝記で読むことができる。
1942年、バークリフトはポーターの元を離れて、陸軍に入隊した。耐え難い寂しさを味わうのは専らポーターだった。逞しい若者がわんさか居る軍隊、勿論、軍隊にはゲイも居る。いろいろ浮名を流す年下の恋人の帰りを待つポーターは、“僕Myの可愛いlittle兵隊soldierさんboy“に宛てて、残された寂しさや、臆面もない愛の言葉、時には嫉妬や非難の言葉を書き送っている。ポーターはLAとNYに複数の屋敷を所有し(戦前はパリにも)、ビヴァリーヒルズに近いブレントウッドの邸宅には、バークリフト専用の部屋が用意されていた。
コール・ポーターの時代のアメリカでは、同性愛は違法、だから彼の嗜好はひた隠しにされた。リンダという妻を娶り、妻との「友情」は美化され語り継がれているけど、真相は本人しかわからない。彼はしばしば夫婦旅行にボーイフレンドを同行させることもあった。お気に入りのボーイフレンドを自宅近所のアパートに囲ったり、セレブ達で共同経営する高級クラブの支配人に据え、そこで別の男の子とデートしたり・・・毎日昼間から、プールサイドで男だけのパーティ三昧…私のような庶民には、面倒臭いとしか思えないけど、セレブだけに許されるゴージャスな享楽を謳歌した。実際のとこと、24時間介護してくれる使用人なしでは、トイレや着替えも難しいことも、ひた隠しにした。
彼の恋の相手は、このバークリフトだけでなく、ロシア人建築家からトラック運転手まで、数え切れないほどいたけれど、一生を共にする相手には恵まれず、孤独な死を迎えている。
戦時下の大多数の男女と、コール・ポーターの事情には、少しばかりのギャップがあるけれど、<You’d Be So Nice to Come Home To>が、大きな共感を巻き起こしたのは、ドロドロの愛憎を上手にクローゼットにしまい込み、美しいところだけを見せるという、プロフェッショナルなソングライターとしての手腕の賜物だったのか?或いは、戦地に行った愛する人への想いは、誰でも同じということなのだろうか?
=暖炉のメタファー=
コール・ポーターの権威、ロバート・キンボールの解説に、この疑問に対するヒントがあった。〝当初、この曲には複数の仮題が付けられていて、その中の一つが<Something to Keep Me Warm (僕を温め続けてくれるもの)>である。”というのです。恐らく、このタイトルがボツになったのは、アーヴィング・バーリンによる’30年代のヒット曲、<I’ve Got My Love To Keep Me Warm >を連想させるからでしょう。もしも、このタイトルだったら、歌手たちは、二行目の“You’d be so nice by the fire”を強調して歌ってたかも。この言葉、単純に訳せば「暖炉のそばの君は素敵だろうな。」になる。でも、この歌が「プロポーズの言葉」であるからには、「暖炉のそばの君」の意味はとても深い。
寒い冬の夜、一人暮らしの我が家に帰ると、家の中は暗くて寒い。でも「君」と一緒になれば、明かりが灯り、暖炉で温まった家が「僕」を待っていてくれる。
赤々と燃える暖炉は、仕事の疲れを癒し、すさんだ心を温めてくれる「君」の象徴、コール・ポーターが、いくつ屋敷を所有し、どれほど恋をしようとも、母親以外の誰に求めても得られなかった、「ぬくもり」の象徴ではなかったのかな?
=You’d be So Nice to Come Home To=
作詞作曲 Cole Porter (1943)
You’d be so nice to come home to,
You’d be so nice by the fire,
While the breeze, on high, sang a lullaby,
You’d be all that I could desire,
Under stars, chilled by the winter,
Under an August moon, burning above
You’d be so nice,
You’d be paradise to come home to and love.
家に帰って、君が出迎えてくれたなら、とても素敵だろうな。
暖まった暖炉のそばに君が居れば、もう最高だろうな。
心地良く吹くそよ風が子守歌を歌ってくれても、
僕の願いは君と一緒になることだけ。
凍てつく冬の星の下、
8月の燃える月の下、
いつも君と一緒なら、素敵だろうな、
最高に幸せだろうな、
僕を待つ、愛する伴侶が君ならば。
戦争を体験した昭和の文化人、大橋巨泉さんは、「遊び」を、トコトン真面目に追及する楽しさを教えてくれました。この対訳ノートを、大橋巨泉さんに捧げます。合掌
- 参考文献
COLE PORTER / A Biography by William McBrien / Alfred A. Knopf 1998刊
The Complete Lyrics of Cole Porter by Robert Kimball / Da Capo Press 1992刊
Cole Porter: A Biography by Charles Schwartz / Da Capo Press 1979刊