亡くなる2ヶ月前、’01 9月 NY, Birdlandにて、アルバート・ヒース(ds)と。
写真提供:藤岡靖洋氏
ここ数日、大阪の町もめっきり冷え込んでいます。皆さんお元気ですか?
7年前、トミー・フラナガンの訃報が届いたのも木枯しの吹く寒い朝でした・・・今週はトリビュートに先駆けて、昨日までトミー・フラナガン愛好会の石井夫妻が来られていて、色んなお話をさせて頂けてよかったー。
亡くなる前年に来日したトミー・フラナガンは、体調の波が激しく、「アンコールの拍手に応えず、ファン・サービスが悪い。」という趣旨の記事を目にしたことがありますた。実は、その時、演奏中に心臓ペースメーカーがストップするようなアクシデントに見舞われていたんです。ですから、もしも、拍手したのに、アンコールがなかったことを今も不快に思っているお客様がおられたら、どうぞ許してください。飛行機に乗るのをお医者さまから禁じられていたのに、フラナガンはどうしても日本のファンの前でプレイしたかったんです。
下はフラナガンのお葬式の時に配られたメモリアル・カードです。葬儀の後日、レキシントン街の聖ピーターズ教会で行われた告別式のプログラムには、写真と共にコンラッド・エイケンという文学者の詩が添えられていました。私の持っているプログラムは、ジミー・ヒース夫妻がFAXして下さったもので、もうかなり退色してしまい、アップロードできないのが残念です。
ダイアナが、フラナガンの告別式にとっさに選んだエイケンの詩は、日本では、ほとんど紹介されていないようです。米国ではレナード・バーンスタインなどが、この詩に沿って楽曲を創作しているらしいけどザッツ・アナザー・ストーリー。私がガラにもなく詩に興味を抱くきっかけになった詩はこんな感じ。「追憶」ってこんなものなのかな?この詩が予言したように、ダイアナが一人住むアパートは、トミーの生前そのままだ。
原文はネット上にありますよ。
Music I Heard
by Conrad Aiken
あなたと聴いた音楽は音楽を超え、
あなたとの食事は、食事を超えた;
でも今あなたはいない、全ては虚ろ;
あの頃、美しかったもの、皆朽ち果てた。
今もここにあるテーブル、ナイフやフォーク、
あなたの触れたものたち、
私は覚えている、
あなたがこのグラスを手にしていたことを。
それらのものが、あなたを偲ぶことはないにせよ、…
手触りは残ったまま、消えることはない、
あなたが、それらの道具の中で生活し、
その手や瞳で愛でたことは、
私の心に生きている;
私の追憶の中だけに、
それらの道具が、
いつもあなたを思い出す、
-なんと美しい人であったろう、なんと賢い人であったろうと。
さて、土曜日のトリビュート・コンサートは、寺井尚之のThe Main Trioを聴きながら、大いに食べて飲んで、皆でトミー・フラナガンを思い出そう!!皆で一緒に聴けるのが私の幸せ!おいしい料理作って待ってます。勿論アンコールはどんどんどうぞ!!
ENJOY!!