アンデルセン童話の人魚姫を例に出すまでもなく「片想い」はとても辛い。童話の人魚姫は、言葉を失ってから、恋と命を両方失い、「フーテンの寅」はさすらいの旅に出る。歌舞伎なら、会いたさ一心で放火したり、大蛇に変身してまで男を追いかけまわしたりする。現実世界では、ストーカーになったり、電車で関係ない人の口の中に手を突っ込んだりして逮捕されたりすることさえある。片想いは不幸だ。
でも、先週のThe Mainstemが演奏した片想いの歌、『If You Were Mine 』には、チャップリンの映画の様に、希望の星のまたたきが見え隠れして、なんとも不思議な魅力がありました。
「片想いの歌」はジャズやポップの世界では「トーチ・ソング(Torch Song)」と呼ばれてます。「報われぬ恋の炎の歌」という意味ですね。
『If You Were Mine 』はジャズ・スタンダードでと言えるほど有名ではないけどビリー・ホリディゆかりの歌。だからホリデイを愛するフランク・ウエス(ts)(『Sonny Rollins Plays」:講座本Ⅰp.86参照)やトニー・ベネット(vo)も取り上げている。
私はカーメン・マクレエのライブ盤『For Lady Day, Vol. 2』で覚えました。「次の歌は余り有名ではないけど、ビリー・ホリディの大ファンならおなじみ・・・」、そう言ってイントロなしでピアノだけをバックにメドレーで歌う。伴奏者は役不足もいいところですが、カーメンの歌に、私の心の底にある、無意識な煩悩をギュッと掴まれたようなショックに、耳が離せなくなっちゃった。こんな刑事に取り調べを受けたら、やってない犯罪でも「私の犯行です。」とすぐ自白しそう・・・「しまった!」と思いながら、結局アルバム一枚皆聴いちゃった。他のトラックでゲストに入るズート・シムス(ts)も最高!・・・若い頃からビリー・ホリディにどっぷり心酔して数十年、カーメンの音楽解釈は隅々まで発酵し、余りに鋭い表現は、もう一度聴くのが恐くなる。フラナガンに心酔する寺井尚之のプレイも後10年くらいすると、こんなに濃くなるのかな?
Carmen McRae(1920-94)
この曲は、ジョニー・マーサー作詞マット・マルネック作曲、映画《To Beat the Band》の挿入歌でした。ジョニー・マーサーは、自然なサウンドを生む歌詞と、ジャンルを問わない作詞技量でアメリカン・ポピュラー音楽史上最高のリリシストと言われています。マット・マルネックは、いくつになっても楽しめるビリー・ワイルダー映画「お熱いのがお好き」のバンド・アレンジや、あの映画でマリリン・モンローが歌ったトーチ・ソング、『I’m Thru with Love』を作曲した人です。
とはいえジャズ界では、なんといっても’35年録音の、テディ・ウイルソンOrch.に華を添えたビリー・ホリディのデビュー、いわゆる「ブランズウィック・セッション」が有名。
レディ・デイは20歳の駆け出し歌手、フレージングやタイムの取り方はすごいけど、まだまだ荒削り。でも、レコード会社に提示された聞いたこともない膨大な曲を、テディ・ウイルソンが自分のアパートでビリーと平均1曲1時間のペースで稽古して、その間にヘッド・アレンジを作って、スタジオ入りし、バンドと一発録りしたものと言われると鳥肌が立ちますね!
先週聴いたThe Mainstemのプレイは、このビリー・ホリディではなくてボビー・タッカーが伴奏する円熟したホリディを想像させてくれました。レコーディングはこれ一度しかないけれど、ライブではずっと歌っていたのかな?
もし私が村上春樹なら、『1Q84』の「青豆」のシークエンスにこの曲を入れ、「天吾」のシークエンスにマクレエがメドレーで組み合わせたもうひとつのトーチ・ソング“It’s Like Reachin’ for the Moon”を挿入していただろう。
If You Were Mine イフ・ユー・ワー・マイン
原歌詞はここに。
あなたが私のものならば
天下は私のもの、
あなたが私のものならば
素敵な事はなんでもできる。星に命令しよう、
そこにじっとして!
愛しい人の行く手を照らすよう、
頭上の星は、
皆、あなたに従うように。あなたが私のものならば、
あなたの愛だけに生きる。
あなたの殿堂に膝まずき、
私の全てを投げ出そう。あなたと引き換えなら
この心臓も、
この命も惜しくない、
死んで本望、
あなたが私のものならば。
片想いでも、相手の幸福を願える想いなら、愛されることだけを願い、うまく愛せない人よりも、むしろ幸せかも知れない。
CU