こんにちは!一週間の始まり、マンデイ・モーニング・ブルーズになっていませんか?個人的に本年度野球シーズンは昨日でお終い。It’s Only a Ball Game!でも胸痛い…巨人ファン、中日ファンの皆様、がんばって下さい!
今月のジャズ講座、そして土曜日のThe Mainstem”のアンコールでも、胸が痛くなるしんみりした曲、”I’m Through with Love”が聴けました。For I must have you or no one~♪少しひんやりする秋風の中、ずっと鼻歌で歌ってます。これは私がジャズ・ファンになる前から知っていた歌、小汚い女子中学生の頃から何度繰り返し観ても飽きない大好きな映画の名シーンの歌だから。
<お熱いのがお好き>
『お熱いのがお好き』(Some Like It Hot)は、ナチ台頭を期に、ドイツ映画界からハリウッドに移った巨匠、ビリー・ワイルダー監督の名作コメディーのひとつ。『サンセット大通り』『情婦』『アパートの鍵貸します』『フロントページ』etc…ジャズの名盤同様、毎日観ても飽きない映画たち。中学生でも笑って泣けるし、大人になると「笑い」の奥底ある「苦さ」に、シリアスな映画では、人間の「どうしようもなさ」が深く心にささります。落語が好きで、ジャズも好きな人は、間違いなくビリー・ワイルダーにハマるでしょう。ワイルダーはネイティブな英語人でないのに、私に英語の面白さを教えてくれました。作品の凄さについて書き出せばどうにも止まらないので慎まなければ。ここでは『お熱いのがお好き』のあらすじを説明するだけにしておきます。日本語の映画予告編がYoutubeにあったよ。
時はギャング全盛の禁酒法時代、ジャズ・ミュージシャンのジョー(ts)とジェリー(b)は演奏中のキャバレーの中でマフィアの抗争を目撃してしまう。それはマフィア抗争史で有名な「ヴァレンタイン・デーの虐殺」事件!不幸にもそのおかげで二人はマフィアに狙われることに…。追っ手の目をくらますため、二人とも女装し、バンド・マンならぬバンド・ウーマンとして女性ばかりのビッグ・バンドに紛れ込み、フロリダの高級ホテルで演奏することに。楽団にいるウクレレ(!)兼ヴォーカルがグラマー美人、気はいいけど男運の悪いマリリン・モンロー、役名はシュガー・ケイン(日本語にするとサトウ・キビ子か・・・)、ジョセフィンと名乗るジョーはマリリンにひと目惚れし、ダフネに変身したジェリーは、石油富豪のお目にとまり婚約するはめに。そのうち、二人を追うマフィア一味がそのホテルで開催される「イタリア・オペラ愛好会」にやって来て、話は限りなくややこしく、オカシクなって行きます。禁酒法時代に発展したジャズの歴史に興味ある人も必見の名画といえるでしょう。
ジョーは億万長者になりすまし、シュガーとねんごろになるのですが、ギャングがいるから、ずっと男の姿ではいられない。てっきりフラれたと思い込んだシュガーが、ボロボロになった心で歌うのが”I’m Through with Love”なんです。
「男性の女装を天然色で撮影すると倫理団体から抗議が殺到する」時代ゆえ、敢えて白黒になった映画。シュガーのまとうシースルーのブラック・ドレスは映画史上最高にイヤラシく、また可愛い!当時妊娠中だったモンローの白い肌と、豊満な胸、筋トレなんか全然関係ないポニョポニョのボディと、少し人工的顔な美貌、着崩したドレスやヘアメイク、全てが計算された完璧な役作り、吹き替えでない歌唱も完璧です!余り技巧的だったりパワフルだとシーンにそぐわないし、さりとて下手ならNGですが、歌唱自体が役にぴったり合っている。モンローの模倣者は数え切れないほどいるけれど、モンローの前にも後にもこんな女優はいない!彼女のアクトには計算し尽された「型」があり「スタイル」がある。つくづく凄い女優です。因みに歌唱指導はトミー・フラナガンやジョージ・ムラーツの友達だった名伴奏者、ジミー・ロウルズ(p)だった。
名セリフや裏話など書きたいことは山ほどあるのですが、あかん!ザッツ・アナザー・ストーリー!歌について書かなくちゃ!とにかくラストのオチをご覧になって、爆笑できなかった方がおられるとすれば、余程深刻な心的問題がおありになるではと危惧する次第です。
<さり気ないからこそ悲しい歌>
“I’m Through with Love”は映画で出てくる「ヴァレンタインデーの虐殺」と同年、1929年の流行歌、作曲:J.A.リビングストン&マット・マルネック、作詞:ガス・カーン。ガス・カーンは”It Had to be You”や”I’ll See You In My Dream”など、ジャズ通の方なら良くご存知の歌曲を沢山作っています。その詞は自然な語呂で鼻歌としてとても歌いやすい。大作詞家、ジョニー・マーサーは”It Had to be You”を『ベスト・アメリカン・ポピュラー・ソング!』と評しているし、「歌詞の権威」ロバート・キンボールはカーンの作風を、『気取らず、きばらず、それでいて忘れがたい(unpretentious, un-selfconscious and unforgettable)』と評している。つまり”粋”なんです。この歌も、いわゆる「大ネタ」ではないけれど、ずっと心に残ります。
内容はごく平凡な失恋ソング、”心を尽くして愛したのに、あなたは新しい恋人を作って私を捨てた。もう恋なんかしない。”おきまりのAABA形式、それなのに非凡で忘れられなくなるのはA部後半のさり気ない反復にある。”For I must have you or no one、And so I’m through with love.”日本人がここのラインをそのまま口づさんでも、ほんとに自然に発音できて、少し得意になれるでしょ!それにA部の歌詞の切れ目の全てが「ため息」とよく似合う。「一筋だった相手に捨てられた悲哀」が、32小節の間に少しずつリアルになって、大声で主張しなくても、ターンバックでは、すっかり胸がキュンとなってしまう。関西弁で言うと”じんわり”胸に染みてくる。モンローは、そういうところをとてもよく判った上で歌っているから素敵です。
このシーンをご存じない方はYoutubeでどうぞ。
そう言えばビリー・ワイルダーは女優マリリン・モンローを評してこう言ったそうです。「モンローの凄さはオッパイではない、耳だ。彼女は話の達人だ。誰よりもコメディを読み取る力がある」 確かに歌詞を読み取る力も並外れている!
<さり気なさが失われる時>
偉大な音楽家なら誰でもそうだろうけど、トミー・フラナガンは映画や舞台、楽曲に関することなら、とにかくなんでも知っていた。来日するとホテルで深夜映画をよく観てました。おまけにマリリン・モンローが大好きで、彼女の伝記が自宅の本棚の一番良い場所に陳列してあったっけ。
先日のジャズ講座で聴いたロレツ・アレキサンドリアのバージョンは、どこがモンローと違うかと言うと、上のパンチラインを、”For I must have you or no one、NOBODY“と反復する手法をとっている事。この歌にこだわりのある聴き手なら、さり気ない歌の良さが損なわれるような気がしてしまう。ライブならこれで良いかも知れないけれど、レコードで聴くと気になって仕方ない。まるで教会か政治集会のシュプレヒコールみたいに思えてしまいます。フラナガンは「そこはNo oneにしなくっちゃ、粋にならないよ」と、最高に歌詞にぴったりのソロを弾いて見せている。そういう風にしか聴こえない。
女子専用の歌に聴こえるけれど、元々ビング・クロスビーが歌い、女性ファンをシビレさせました。男性でもマット・デニスならいい感じ。歌も間奏のピアノも、押し付けがましくなく、それでいて情感がこもってる。じーんと来ます。
ストレート・アヘッドな硬派のバラードや、華々しい超難曲もいいけど、こんなさり気ない歌が、深まる秋に染みます。特に昨日のゲームを観た後は・・・
I’m Through with Love
アイム・スルー・ウィズ・ラヴ:原歌詞はこちらに
Gus Kahn /Joseph A. Livingstone, Matt Malneek
<Verse>
真心を捧げたのに、
あなたは、新しい恋人を作った。
どうすればいいの?
もう私はお払い箱、
あなたは新しい恋に夢中
捨てられた私が言えるのはこれだけ…
<Chorus>
恋はおしまい、
二度と恋はしない、
サヨナラ、恋よ
もう声をかけないでね、
あなたでなければだめだから、 For I must have you or no one
もう恋はしない。 And so I’m through with love.
心に固く鍵をかけ、
気持ちはそこにしまっておこう、
心は氷詰めにしておいた。
決して誰も愛さない、 And I mean to care for no one
もう恋はこりごり。 Because I’m through with love.
なんで気のある素振りをしたの?
どうでもよかったはずなのに。
あなたに夢中な女達に、
取り囲まれていたくせに。
春よ、さよなら、
もう元には戻れない。
私にはあなただけしかいなかった。For I must have you or no one
だからもう、 And so
恋はしない。 I’m through with love.