土曜日の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に”クイーン・オブ・ソウル”ことアレサ・フランクリン登場!イェーイ!
何で?と不思議に思われる皆さん、トミー・フラナガンとアレサ・フランクリンは、’60年代、コロンビア時代と’90年代に映画音楽で2度も共演しているんです。
まだ信じられないの?そんなら、土曜の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に来てみてください。
でも気品溢れる珠玉のピアノがお好きな方は、ひょっとしたら、アレサのことをあまりご存じないかも…というわけでちょっと紹介。
<デトロイト私立ノーザン高校 2年B組>
フラナガンとフランクリンの共通キーワードはデトロイト。フラナガン(1930-2001)はデトロイトに生まれのデトロイト育ち、アレサ(1942-)はメンフィス生まれですが5歳でデトロイトに移り住み、現在もデトロイト市民です。フラナガンと年齢一回り違いますが、二人とも市立ノーザン・ハイスクールの卒業生です。ご存じのように、サー・ローランド・ハナ(p)やシーラ・ジョーダン、モータウンの重鎮、スモーキー・ロビンソンも同じノーザン高卒業生でした。
アレサの父親は米国では歴史に残るバプティスト教の宣教師、C.L.フランクリンで、デトロイトの人種差別撤廃に貢献し、キング牧師と共に公民権運動を推進した偉人でで、講話の達人としても有名です。ダイナミックに呼びかける強烈な説法は、英語が判らなくても感動できる音楽的な魅力に溢れており、何と75枚もの講和のレコードを遺しました。最初の一音から瞬時に聴く者の心を掴むアレサの歌声は、この父から受け継がれたものに違いありません。
幼いころ両親は別居、子供たちは父のフランクリン師に育てられました。小学校のときから、師がデトロイトに建立したベセル・バプティスト教会で讃美歌を歌い、あの圧倒的な歌声が育まれていきました。黒人社会を代表する名士を持つアレサの環境は、貧しい家庭で、幼いころから売春宿の使い走りをしたビリー・ホリディやエラ・フィッツジェラルドとは少し違います。ただしフランクリン師はキリスト者でありながら、娘たちが世俗的な音楽を楽しむことには寛容で、街で聴こえてくる流行歌を、自宅のピアノで弾き語りしても怒られるどころか、内外からやって来る客人たちの耳を楽しませる役割を務めていました。その中には、マーティン・ルーサー・キング牧師や、ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソン、サム・クックなど著名人が沢山おり、やがてデトロイトのフランクリン師の歌の上手い娘さんの評判が広まって、コロンビア・レコードの大プロデューサー、ジョン・ハモンドに目に留まり、コロンビアの初期の一連のアルバムで一挙スターダムに乗ります。マネージメントは父のフランクリン師でした。
<シビれる歌声>
その時代の代表作が『The Electrifying Aretha Franklin』 (1962) で、フラナガンは、マンデル・ロウ(g)やジョー・ワイルダー(tp)とともにスタジオ・ミュージシャンとして参加しています。 Electrifyingとは、感電したみたいにシビレルことです。まだ18才の若さでどこまでもワープするパワフルな歌声と、清らかな歌詞解釈が素晴らしく、無限の伸びしろを感じさせてくれます。
ちょうど、このレコーディングの頃、アレサは父の反対を押し切って最初の結婚をし、夫がマネージャーとなります。ところが私生活では、彼女に暴力をふるい、女遊びを繰り返す典型的なひどい夫であったようす。そのことを売り物にせず隠し続けていたアレサはエライね。でも、この試練が彼女の歌唱に深みを与えたと言う人も多い。事実、その夫の勧めで移籍したアトランティック・レコードで、アレサは本格的な”クイーン・オブ・ソウル”として大きく開花します。
公民権法を勝ち取った黒人のパワーを代弁するかのようなオーティス・レディングの作品”Respect”(’68)から、バート・バカラックの”小さな祈り”(’68)、南アフリカでアパルトヘイトに苦しむ人々にとって文字通りゴスペルとなった”明日に架ける橋”(’70)まで、アレサ・フランクリンでしか表現できない音楽世界、ヒットソングが山のように生まれました。ちょうど、私がアレサを好きになったのもこの頃です。まず歌声にシビれ、簡単な単語だけ聞き取れれば、アレサの全てが理解できたように感じられる歌唱は、まさに、お父さんの説教と同じような説得力があるのかも知れません。
<映画二本立て>
やがて時代はディスコ・ミュージックへと移り変わり、アレサに新たな試練が訪れます。父のフランクリン師は’79年に強盗に銃撃され、5年間も続くこん睡状態に、アレサは父を見守るためにデトロイトに定住しますが、どっこい、1980年の映画『ブルース・ブラザーズ』にカメオ出演し、”Think”の名唱で、新しいファン層をわしづかみ!アメリカ白人の黒人文化への憧憬一杯の名作映画、名場面の数々は土曜日にしっかりお見せしますよ!
米国ブラック・ミュージックを代表するアレサの歌声の魅力は、その色合いの多様さです!勿論、エラ、サラ、ビリー・ホリディと言う我らがジャズ界の大歌手も、ヴォイスのカラーパレットは負けずに大きいのですが、色合いが違っていて、ソウル系の明確な転調したときの色彩変化が強烈です。
土曜日もう一つ登場するのは、1992年の映画『ハードプレイ』(原題White Men Can’t Jump)の挿入歌、”If I Lose”、これがまた素晴らしい!『サヨナラゲーム』や『タイカップ』など、ひねりの効いたスポーツ映画を得意とする監督、ロン・シェルトン作品、音楽担当がテナー奏者ベニー・ウォレスという面白い映画です。
テーマになるのはストリート・バスケットボール、1対1あるいは2対2でやる賭けバスケット・ボールのプレイヤーの話で、黒人達が「白人にはまともなバスケはできない(White Men Can’t Jump)という逆人種的偏見を逆手にとって、稼ぐ白人と黒人の二人のプレイヤーたちの泣き笑い物語。そのストーリーにぴったりの歌詞とメロディ、ウォレス作曲、監督のシェルトン作詞、もちろん映画のための書き下ろしで、アレサのふくよかなヴォイスとフレージングが堪能できます。
というわけで、土曜日はアレサの名唱や、映画の名場面集、それに、クラーク・テリー(tp, flg)の『One on One』では、フラナガンと共に、サー・ローランド・ハナ、モンティ・アレキサンダーとの名演奏も紹介します!
「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
日時:8/11 (土) 6:30pm-
受講料:¥2,625
おすすめ料理は、ソウルフルな名唱に相応しく、グレービー一杯のビーフ・カツレツをお作りします。
CU
黒人のR&B,白人のC&W
僕が青春真っ盛りの頃です。
ただし周りの多くはビートルズ、ローリング・ストーンズが
闊歩?している時代で少し、変人?扱い。
家にある音源、Otis Redding,Solomon Burke,
Percy Sledge,Wilson Pickett・・・
もちろんAretha Franklin!
“Respect” “A Natural Woman” 同じ愛を唄っても・・。
男と女の愛を超えた、人々に対する愛、愛がいっぱい。
今も手元にある愛聴盤です。
トミー・フラナガンとの関係、ビックリ!
知らないことが多すぎる・・・。」
Mukezoさま、さすがはGS!良いもの一杯聴いておられますね~
私も同じで、Rストーンズよりもアレサにグっと来る中学生でした。
同じ愛を唄っても・・。
男と女の愛を超えた、人々に対する愛、愛がいっぱい。
全く同感!牧師だったお父さんから学んだものなのかも・・・
フラナガンは、ソウル・ミュージックを是としていたかどうかは知りませんが、アレサとの共演は楽しめたと言っていました。エリントンの言葉通り、音楽にはカテゴリーはなく、「ええもん」と、それ以外のものしかないですね!