楽しい4月はダンスしながら去っていく、講座前の準備時間はもっとシビアに走り去る・・・.
今月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は12日(土)に開催!
今回は、ハードバップで数あるアルバムの内でも名盤中の名盤『Blues-Ette』、そしてデンマークの名門レーベル”Storyville”からリリースされ、わずか数ヶ月で廃盤となった『Tommy Flanagan Solo』、この2枚を寺井尚之が徹底的に音楽解説します。
『Blues-Ette』は、皆さんご存知のようにフラナガンと同郷デトロイト出身のトロンボーン奏者カーティス・フラー(tb)が、ジャズ界の黒田官兵衛というべき名参謀ベニー・ゴルソン(ts)とタッグを組んで録音したアルバム。大昔にラジオのジャズ番組のテーマ曲として毎週親しんだ『Five Spot After Dark』始め、テーマは勿論、アドリブまで一緒にくちづさめる。これほど親しみやすいモダンジャズ・アルバムも珍しいですよね。
寺井尚之はピアノの生徒さんたちのスイング感増強のために、このアルバムを使った自宅練習方法を強く薦めています。
『Blues-Ette』と対照的に、もう一方の『Tommy Flanagan Solo』は「幻の名盤」、発売後わずか数ヶ月で市場から撤収されてしまったからです。騒動のきっかけは、サンプル盤を聴いた寺井尚之が、CDに収録された20トラックの一部が、「フラナガンの演奏ではない。」ことに気づいたためでした。
追って、アルバムを試聴したダイアナ未亡人も寺井と同一の意見で、NYからジャズ評論家のダン・モーガンスターン氏が北欧に飛び事の真相を調査する騒動になり、結果、アルバムは市場から撤収され、現在に至るまで、再び陽の目を観ることのないという不本意な結果になってしまったんです。
Storyville レーベルは、トミー・フラナガンが1993年にデンマークの「ジャズパー賞」の授賞式のライブ・レコーディング『Flanagan’s Shenanigans』でお世話になったレコード会社で、カール・エミール・クヌセンが1952年に創設したヨーロッパ最古のジャズ・レーベルです。晩年、クヌセンは聴覚を失い、2003年に他界、問題のソロ・アルバムがリリースされた時には、代替わりしていました。
問題の音源は、カール・エミールが、’70年代に存在した”Hi-Fly”という独立系レーベルが、1974年にフラナガンを録音したテープを発掘し譲り受けたということになっています。
<謎の人物:ポール・メイヤー>
”Hi-Fly”のオーナーはポール・メイヤー氏というスイス人で、1932年生まれ、スイスでプロモーター、ジャズ・レコード・ショップのオーナーとして業界では有名であったそうです。彼は一時、アパルトヘイト体制下の南アフリカに住んでいたことがあり、南アのピアニスト、アブドゥラ・イブラヒム(ダラー・ブランド)をヨーロッパに導き、デューク・エリントンの支援を仰いで表舞台に出した立役者でもありますが、1988年に自分のレコード店で殺害されるという不幸な最期を遂げました。
”Hi-Fly”というレーベル名はメイヤーが一番好きだったピアニスト、ランディ・ウエストンの代表曲に因んで命名されており、レーベルのカタログは4枚、1947年のディジー・ガレスピー楽団の音源をアルバム化したものと、後は”Informal Solo”と銘打ったソロ・アルバムが3枚、演奏者はランディ・ウエストン、サー・ローランド・ハナそしてトミー・フラナガンで、ハナさんのLPは寺井尚之も所有しています。ところが、寺井が当時血眼になって探してもフラナガンによる”Informal Solo”は見つかりませんでした。このフラナガンのアルバムが市場に出た、或いは誰かが所有しているという事実は現在も見当たりません。そして3枚のソロ・アルバムの録音場所は、フランス人、コレット・ジャコモッティという女性の邸宅で、スイスとの国境に近い風光明媚な山村、アヌシーのスキー・ロッジであったということになっています。
ジャコモッティは、スキー・ロッジの経営者で、熱烈なジャズファンでもあり、当時メイヤー氏と懇意にしていたことから、メイヤーがジャズメンを同行すると、料理の腕をふるって温かく接待してくれた。左の写真しかネットには見当たりませんでしたが、とてもチャーミングですよね。
ランディ・ウェストンは自伝『African Rhythms』の中で、この”Informal Solo”の事を詳しく語っています。メイヤーとともにコレットのロッジを訪問すると、自宅に友人であるメルバ・リストン(tb)の大きな写真が飾られており驚いた。彼女の写真を飾っている家を初めてみたからだ。彼女は素晴らしく料理が上手で、ごちそうを頂いていると、メイヤーがここでぜひレコーディングして欲しいと、色々お世辞を使って頼み始めた。私を説得するためにフランス人ドラマー、ダニエル・ユメールも同席していた。説得されている間中、コレットは甲斐甲斐しく飲み物や食べ物を持ってきてくれ、彼女の厚意に根負けした形で、格安のギャラで録音することに同意した。すると彼らはその夜のうちにさっさと録音機材を整え、一時間のレコーディングを行った。
自伝中、ウェストンはこうも書いています。
「後になって分かったのだが、ポールはサギ師(Con Man)で、せこい男だった。私を録音するためにコレットを利用したのだ。」
ジャコモッティは、この後、ウェストンとさらに親密になり、、自らマネージャーをかって出て、フランス文化省にウェストンのコンサートを各地で開催するように取り計らい、それがきっかけでウェストンの評価は高まりました。もしアルバム騒動のときに、彼女の居所を知っていれば、フラナガンがそこで録音したのかはっきりしたのでしょうが、関係者は黙して語らず。彼女の事を私がインターネットで知ったのは、2013年の追悼記事でした。元音源の録音の関係者が、彼女の情報をくれなかったのは、フラナガンのレコーディングが実際にあったかどうかについて、確認されると具合が悪かったのでしょうか?
ダイアナはヨーロッパでジャコモッティと会ったことはあるそうですが、彼女がどんな人かはよく知らず、トミーがここで録音したかどうかも知りません。ここでソロ録音を行ったハナさんも、すでに亡くなっていたし、真相は五里霧中。
もう10年以上も前の騒動ですが、ダイアナに頼まれて、スイスから日本まで、各方面にコンタクトをとって色々な方にお話を伺ったのが昨日のことのようです。
ただし、この音源からフラナガンが語りかけてくることはたくさんあって、講座で、寺井尚之が明瞭に謎を解き明かしてくれるはずです。
経緯はどうあれ、フラナガンのソロ・ピアノ、そしてフラナガンでない演奏も、どれもこれも素晴らしい演奏ばかり! 一緒に聴くのが楽しみです。
CU
『Blues-Ette』 よりも 『Bluesette』(トゥーツ・シールマンス作曲)の方がポピュラーのように思うのですが、はて、後者は(たぶん)女の子の名前、前者は「かわいいブルース」とでもいう意味になるのでしょうか?
匿名さま:少なくとも当店OverSeasでは『Blues-Ette』の方が人気があるようです。
シールマンスさんの曲名は女性の名前なのですか?ダリアの花もBluesetteというのがあるから、そうかもしれないですね。
Blues-Etteは明らかにLittle Bluesの意味だと思います。コメントをくださって、どうもありがとうございました!ご近所でしたら、ぜひご来店くださって、お声をかけてくださいね!
So,is the “unknown” pianist Sir Roland Hanna?