NYアンダーグラウンド・レジェンド、東出(あずま いづる)さんの思い出

 OverSeas創立35周年、ここまで支えて来て下さった新旧のお客様、本当にありがとうございます。思い起こせば、数えきれない出会いと別れがありました。

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旧店舗にて、東出(as)ピアノは寺井尚之(念のため)

 かつてインターネットもない時代、OverSeasに、東出(あずま いづる)さんというアルト奏者が出演していました。NYと日本を往来しながら活躍していたバッパーで、日米共通のあだ名は”Del /デル”さん。でも私たちは尊敬を込めて東さんと呼んでいた。目にも耳にも、正真正銘のバッパー!1958年頃の生まれだったと思います。現在OverSeasに出演しているアルト奏者、岩田江さんは一世代下の後輩で、20年以上前、OverSeasで東-岩田コンビを聴いたこともあります。岩田さんもすごいプレイヤーになったなあ!

 東さんは、いつもきれいに髪を撫で付け、細身の体にビシっと上等のスーツ姿でバンドスタンドに現れました。カットタイムで足カウントを取りながら、濃密で艶のある音色、疾走感いっぱいプレイは、バップの魔力が一杯で、Now’s the Time、Mama Duke、Donna Leeで激しくスイングするかと思えば、”アダルト・タイム~”なんて言ってからBody and Soulで泣かせた。スーツでプレイしていたのは、NYの長老ジャズマンに「バッパーはギグのときはネクタイしてきっちりした格好やないといかん!」と言われたからだそうです。

azumaSCN_0051.jpg 寺井尚之も東さんが大好き!だってバッパーだから!バップの言葉で音楽の会話ができるから。いつも共演するのを楽しみにしていました。その頃はバブル時代で東出(as)さんの出演日はいつも満員!

 日本でのホームグラウンドの京都では、市川修(p)さんと盛んに共演、数々の武勇伝が大阪まで聞こえてきて、とにかく伝説の多い人だった。

 高校中退でNYに飛び出したストリート・スマート、師匠は、”チャーリー・パーカーとオーネット・コールマンの接点”と言われたポスト・バップのアルト奏者、クラレンス”C”シャープ(Cシャープ)。その師匠は「セントラルパークに住んであるねん!」と言っていた。つまりホームレス。一流なのに、おそらくはクスリの問題もあって、アンダーグラウンドの伝説的ミュージシャンだった人。NYでは、フランク・ガント(ds)やフレディ・レッド(p)、ギル・コギンズ(p)、ジャズ通ならあっと驚くような渋いミュージシャンと共演してた。アート・ブレイキーの長女でヴォーカリストのイブリン・ブレイキーが来日公演中、わざわざ東さんを訪ねてOverSeasにやって来たこともあります。

 当然東さんはバイリンガルでしたが、「八百屋」を「野菜屋」と言ったり、日本語のほうが少したどたどしかった。でも噂によれば、お父さんは立派な学者さんらしい。とはいえ、気取ったところはなく、腰が低く、後輩に優しい。ちなみに、お兄さんは京都のTボーン・ウォーカーと言われる伝説のブルーズ・ギタリスト、ますます不思議な人だった。 7月にOverSeasにやって来る名ドラマー、田井中福司さんのNY仲間でもあります。

 どんなに貧乏していても良い音楽さえ出来れば幸せ!そんな彼にとって、日本のジャズ・シーンは少々窮屈なものだったのかも知れない。かぐや姫みたいに、長く日本にいると、元気がなくなるように見え、そうすつとNYに旅だった。そんな事が何度かあって、とうとう阪神淡路大震災の前日、東さんは家族を残しNYに・・・それっきり20年が経ちました。

 東さんのことを懐かしく思うのは私たちだけではなく、実際にNYまで探しに行った人がいた!

1619215_317237571734394_2314342218057315847_n.jpg左:東出さん、中央:写真提供感謝!DJ有田弘慶氏、右:unknown 

 
 関西でDJとして活躍している有田弘慶さんは何度か渡米して、二年越しで東さんを発見!東さんは、あれからずっとNYのディープな場所でセッションし、ストリートで演奏を続けていた!これまでの人生で、今が一番最高の音を出せるようになったと充実しているらしい。

その間に、私も東さんの近況をよく知る方と出会い、とても不思議なめぐり合わせを感じました。

 有田さんがFBにこの写真をアップした数日後、こんどは東さんの奥さんとお会いした!彼女はとても素敵なお顔で、素晴らしい人だった。なんかすごく懐かしく、親戚に出会えた気分になりました!あの頃幼子だった息子さんは、一流大学を卒業後、現在は大きな会社に勤務されていて、何度もNYで家族の再会をしていると伺い嬉しかった!

 この出会いをお膳立てしてくれたのが、東さんのお弟子さんのアルト奏者で時計修理のエキスパート。腕時計と心の時計を同時に修理してもらって感謝するのみです。

 東さんゆかりの方々は、彼がもうすぐ帰ってきそうな予感がすると言います。東さんがインターネットでこの記事を見ることはないでしょうが、もしも帰ってきたらまたOverSeasで寺井と一緒に共演してくれる日が来ますように!

*6/12 更新記録:東さんのご家族に頂いた情報を元に、フリガナ表記(あずま いずる いづる)など若干修正を加えました。東出さんのジャズライフについては、今後も書いていきたいと思います。

「NYアンダーグラウンド・レジェンド、東出(あずま いづる)さんの思い出」への8件のフィードバック

  1. 昔、ジャズを知らなかった頃、オーバーシーズの窓越しに、東出さんの姿を見て、興奮したのを思い出します。

  2. 1990年頃、大学生だった私は、住んでいた京都で東さんのライブを聴きに行ったことがあります。一回は、自分の大学の軽音楽部のビッグバンドと共演したもの、もう一回は市内のRAGだったかどこかのライブハウスでのセッションでした。確かに面白い日本語を話す人で、音楽よりもそれを楽しみに聴きに行った覚えがあります。私の仲間内ではしばらく東語録を語ることが流行ってました(笑)。ご健在なんですね~。想像通りのお人柄で、楽しい記事でした。ありがとうございます!

  3. inachangさま、コメントありがとうございました。「inachangのお気楽な投げ釣り覚書」ブログもとても楽しく拝見させていただきました。東さんのファンはまだ周りに多いので、FBで紹介させていただきますね。
    いつかinachangさまとご一緒に東さんのライブが聴ける日が来ればいいなあ!

  4. こんにちは!
    とても懐かしい東さんの記事に感激しました。ジャズを始めた頃に一緒に居ました。NYに行ってからの情報はありましたが、最近どうしているのか全然分かりません。もし何か
    情報があるのでしたら是非教えて頂きたいと思います。
    ちなみに、私は今北海道在住です。宜しくお願いします。

  5. 日本のジャズ・ミュージシャンで千曲以上暗譜している人って誰がいる?

    先日,「日本のジャズ・ミュージシャンで千曲以上暗譜している人って誰がいる?」という話になり,東京だとスガダイロー(プロ),関西だとニューオリンズ・ラスカルズ(アマチュア)だという話になった. アルト・サックスの東出(AZUMA “DEL” Iduru)さんが中学を卒業してハーレムに渡った時.チャーリー・パーカーのNow The Timeを練習してジャム・セッションに行ったら,ホストにF#で演奏をされ,「顔を洗って出直せ!」と洗礼を受けた.日本だとNow The Timeと言え…

  6. 東出さん懐かしいです。昔々京都のろくでなしで目の前で頭から爪先までチャーリーパーカーな彼の演奏を聴きました。チャーリーパーカーよりも古い楽器を使っているんじゃないかと思えるアルトサックスは音の鳴りも悪くぶったまげました。30年以上前ですかね?

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