女の言い分:リー・モーガン事件(その1)

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 北国の皆様、暴風雪の影響はいかがですか?被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。こちら大阪も日頃の寒さが身に染みます。

  リー・モーガンがイースト・ヴィレッジのクラブ、Slugs’ Saloonで、内縁の妻に射殺された1972年2月19日の夜も、みぞれ混じりの雪が降る、凍てつくような夜だったそうです。

 嫉妬に狂った毒婦の犯行だ!と勝手に決め込んでいましたが、今年発表された彼女のインタビュー『The Lady Who Shot Lee Morgan』(Larry Reni Thomas著)を読んでみると、あながちそうでもないらしい。

 

<女の履歴書>

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 モーガンを撃った女、ヘレン・モアは1926年、ノース・カロライナ州の農業地帯の生まれ。リーよりも一回り上の姉さん女房ということになります。美人で早熟だったヘレンは13才で未婚の母となり翌年にはもう一人出産、子どもたちは祖父母が自分の子として育てました。

 やがて、ヘレンはウィルミントンという都市で知り合った22才年上の男性と17才で結婚。夫はNY出身で密造酒売買に携わり、たいそう羽振りのいい結婚生活を送った。しかし、わずか2年後、夫は溺死体となり、ヘレンは19才の若さで未亡人となります。NYから夫の身内がやって来て、ヘレンをNYに連れ帰りましたが、自分の居場所はなかった。大都会で、頼る人もなく、職能もなく、黒人で、若く美しい女の子が、手っ取り早くお金を稼ぐには、夜の世界に行くしかない。モーガンの共演者ビリー・ハートは、ヘレンが娼婦だったとはっきり証言しています。同時に彼女は麻薬の運び屋もやっていた。玄人であり麻薬中毒でない黒人は、その世界では” Hip Square”と呼ばれ、商品の薬に手を付けず、女だから怪しまれることも少なかった。ドラッグの取引は、たいていハーレムのアフターアワーズのクラブで行われ、ジャズ・ミュージシャンとの付き合いも、ドラッグの売人達を通じて始まりました。特に親しかったのが、その頃ハーレムで弾き語りをしていたエッタ・ジョーンズで、ヘレンが殺人罪で告発された時も、彼女は奔走してくれました。

 ヘレンはハードバップを演奏するジャズメン達が、非常に知的で教養があることに驚きます。それにもかかわらず、彼らが白人から二重三重に搾取され、白人客しか入れない場所で演奏をしなければ生きていけない。深い人種の悩みを抱え、真面目に音楽を追求しながらも、麻薬に耽溺していく姿が不憫でたまらなくなります。

 彼らが悩みを忘れられるのは、演奏に没頭できるバンドスタンドだけ。そんな若いミュージシャン達の姿は、少女時代に産んだ子供達には叶わなかった母性本能の対象となり、時にはそれが男と女の愛になりました。

 彼女のアパートは”バードランド”のすぐそばで、ジャズメン達が仕事を終えて立ち寄るには絶好の場所、まともな食事を摂る機会のない彼らはヘレンのアパートに行けば、温かくおいしい手料理をごちそうしてもらえた。そこで麻薬をやるのだけは厳禁。若手バッパー達は53丁目の彼女のアパートを”ヘレンズ・プレイス”に呼び、ヘレンはみんなに姉御として慕われるようになります。ほとんどのミュージシャン達にとって彼女は「女性」ではなく、面倒見が良く、何でも相談できる「おばちゃん」だったんです。

<男の事情>

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 リー・モーガンが初めてヘレンのアパートを訪れたのは1960年代の始め、やっぱり真冬で、その頃ヘレンと男女の関係にあったトロンボーン奏者のベニー・グリーンが連れてきた。寒い寒いNYの冬にやってきたモーガンはジャケットしか着ていなかった。おまけに仕事帰りなのに、楽器のケースも抱えていない。

「ボクちゃん、今夜は零度よ!コートはどうしたの?」

 クスリを買うためにコートもトランペットも質入れしてしまっていたのだ。

「なんてことするの!金槌持たずに仕事に行く大工なんていないわ!それじゃ、コートとトランペットを出してあげるから一緒に質屋に行きましょう。でもお金はあげないわよ。お金を渡すと、あんたはまっ先にクスリを買っちゃうでしょ!」

 あれこれ母親のように面倒を見てくれる年上のお姐さん、モーガンは年上の彼女と一緒に居ると、とても安心できて、音楽に専念できた。一文無しになっても住む場所はあるし、食事も作ってくれる。当時のモーガンは、麻薬のせいで、たびたび仕事をすっぽかすという悪評が立ち、ギグが激減していたんです。

 或る時、先輩ミュージシャンが急死し追悼演奏を頼まれたモーガンは「悪いけど行けない。」と断ろうとしていた。理由は黒い革靴まで質入れしてしまい、履くものがなかったから・・・

 情けなくて、見ちゃいられない!

 ヘレンは彼のために知り合いのクラブに電話をして仕事を取り始めた。

「私が責任を持ってギグに行かせます。もし来なかったら私が弁償するからブッキングしてよ。」と保証人になった。

 地方のクラブに行くときは、交通の手配も怠りなく、隅々まで気を配ってあげていた。モーガンは、ヘロインを辞める薬物治療を始め、だんだんと立ち直っていきました。

 「ヘレンは大した女だ。ボロボロのモーガンがまともになってきたじゃないか!」 仲間は、ヘレンを敬愛していた。

 でも彼女がどれほど努力しても、モーガンの麻薬癖だけは断ち切ることだけはできなかった。一旦ヘロインから遠ざかり、生活が安定するにつれ、今度は、比較的依存性が少ないと言われる高級薬物、コカインに手を出すようになります。そして、ヘレンも一緒にコカインを吸うようになります。

(続く)

「女の言い分:リー・モーガン事件(その1)」への2件のフィードバック

  1. 早く続きが読みたい~!
    ウィルミントンは、フィラデルフィアの隣、デラウエア州=クリフォード・ブラウンの故郷です。

  2. 藤岡先生、コメントありがとうございます。
    興味本位になってはいけないと思い、一年以上オクラにしていた原稿を書き直しました。
    Wilmingtonという地名は米国に数個所あり、ここに登場するのはNCの都市です。宜しくお願いします。

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