コールマン・ホーキンスの肖像(4)

<親分子分>

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 左から: トミー・フラナガン、ホーキンス、メジャー・ホリー(b)、エディ・ロック(ds)

 ’50年代から’60年代にかけて、ホーキンスはしばしば若手ミュージシャンと共演している。エディ・ロック(ds)、トミー・フラナガン(p)、メジャー・ホリー(b)といった面々である。最近、彼等はホーキンスについて次のように語った。

tommy_coleman.jpg トミー・フラナガン(p)「とてもユーモアがある面白い人だった。あの独特の低音で、物凄く長い物語をとうとうと話してくれた。その声はいつだって、他の誰よりも大きくて、彼のサックスと同じだった。あらゆるジャンルの音楽を網羅し精通していた。まさしく真の巨匠だ!」

 

eddie_terai.jpg エディ・ロック(ds)「私をクラシック音楽に開眼させてくれた人だ。自分の音楽にクラシックを取り入れたのだと確信している。それによって、彼のプレイは、他のサックス奏者と一線を画したものになった。もちろん、彼が演奏したのはジャズだが、むしろクラシカルなジャズと言うべきものだった。

 彼はまたピアノを非常に愛した。いつもピアノ弾きを家に出入りさせていた。例えばジョー・ザヴィヌル、それにモンク…モンクはね、コールマンが大好きだったんだ。彼はコールマンの前では別人だったよ!奇人でも変人でもない、きちんと普通に話をしていた。」(訳注:ロックは、ホーキンスと関わり深いサー・ローランド・ハナ(p)とトリオでOverSeasに来演し、そのときのCaravanでのドラムソロはOverSeas史に残る名演。)

 メジャー・ホリー(b): 「とても博学な人だった。音楽に関係のないことでも、驚くほどよく知っていたなあ。自coleman_hawkins-major_holley.jpg動車の構造にもすごく詳しかった。ほんとだよ、だって、私は自動車工場で働いた事があるので、よく判るのさ。(訳注:メジャー・ホリーもモーターシティ、デトロイトの出身で、フラナガン達の先輩。) 芸術一般に通じていたし、花のことまで良く知ってた。洋服のセンスは完璧、ワイン通でもあった。それに料理の名人だった!シチューを作らせたら、本格的なヨーロッパ料理みたいで、ジャガイモやニンジンが丸ごと入ってるんだ。それを食べに来いと招待されて、もしも行かないものなら、えらくご機嫌斜めになった。

 彼はピアノも弾けた。それもプロ顔負けの腕だった。サックスは、ロータリー呼吸法(鼻で呼吸しながら、口中に貯めた息で吹く呼吸法、これが出来ると息継ぎなして吹き続けることができる。)が出来たから、すごく長いラインを吹くことが出来た。チェロを手にとって、とてもうまく演奏したのも一度見たことがある。それが40年ぶりに弾いたというんだから驚いた。

 彼は人を笑わせる名人で、ジョークの天才でもあった。よくセントラル・パーク・ウエストの自宅に若手連中を呼んでくれた・・・トミー・フラナガンやローランド・ハナ(p)、ルー・タバキン(ts,fl)やズート・シムス(ts)といった面々だ。

 みんなが来ると、おもむろに、クラシックのレコードを一時間ほどかけるんだ。ショパンが多かった。レコード鑑賞の後、ローランド・ハナに向かって、今かけたショパンのエチュードを弾けと言う。その頃には、ローランドは当然のことながら、しこたまブランデーを飲んで出来上がっている・・・で、後は言わないでおこう。

 時々、ホーキンスはいたずら電話をかけてきた。電話のベルが鳴り受話器を取ると、グラスの氷のカチャカチャ言う音だけが聴こえていて、遠くで笑い声がする。そしてすぐ切っちまうんだ。とても人見知りでシャイな人だったが、すごく思いやりがあった。ツアーに出ると、刑務所で服役している知り合いのミュージシャンを面会に行ったりしていた、親友かどうかは知らないけどね。そうそう、セント・ジョセフに行くと必ずお母さんを訪ねていたな。規律や道徳というものをきちんと持っている人だった。子供時代に教わった礼節を大人になってもそのまま持ち続けた人だ。若者に興味を持っていて、自分のアイデアも伝えてくれた。若い人の為に演奏したいという大いなる野望があった。私達が一緒に仕事をしたのは、2-3年の間だ。私の大切な友人でもあった。だが、もっと彼をことを良く知りたかったよ。まだまだ自分は、彼のことを本当に理解していたわけじゃない。あれほどの人を完璧に理解するためには、余りにも時間が足りなかった。」 

〈この章了〉

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