土曜日はTribute to Tommy Flanagan=トミー・フラナガン追悼コンサート開催!
2001年11月16日にトミー・フラナガンが亡くなって以来、誕生月3月と逝去月11月に行なってきたトリビュート・コンサート、早いもので31回目となりました!
トミー・フラナガンを一途に敬愛する寺井尚之(p)と宮本在浩(b)、菅一平(ds)のメインステム・トリオが精魂込めて演奏する名演目の数々。
トミー・フラナガンがお好きな皆様も、まだ聴いたことのない皆様も、ぜひ一度トリビュート・コンサートに来てみてくださいね。
OverSeasでは、毎月第二土曜に、トミー・フラナガンのディスコグラフィーを年代順に解説する講座「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」を続けています。 今回は、講座の下調べに使った様々な書物から、トミー・フラナガンの名言をピックアップ。数々の名盤に参加し、名伴奏者の誉れ高いトミー・フラナガン。歴史的レコーディングの一翼を担ったフラナガンの深い言葉の数々、トリビュート・コンサートのウエルカム・ドリンク代わりにどうぞ!
「サイドマン稼業:’50sを回想して」
「サイドマンのほうがずっと気楽に録音の仕事が出来る。…だが’50年代にやった多くのレコーディングはそれ程簡単ではなかったがね、何故なら頭の中で全部アレンジしなければならない。イントロもエンディングも考えて、自分のソロの心配までしなくちゃならない。だが演奏に没頭できて、自分にとっては良い時代だった。トップミュージシャン達の共演が目白押しで、凄い量の演奏をこなした。それで毛がごっそり抜けちゃったんだよ。(笑い)
リハーサルなんて殆どないさ。録音の場で全てが行われ、大抵が1セッションだった。今と大違いだ。ミュージシャンのアドリブ重視のポリシー(フラナガンがSロリンズの『サクソフォン・コロッサス始め多くの歴史的名盤に参加したレーベル、Prestigeの謳い文句)なんて関係ない!予算の問題だ。潤沢な予算のある録音の見込みなどないとわかっていたしね。(笑)
製作側も、完璧なサウンドを要求することは、あまりなかったんだ。例えば、「どこまで完璧にソロを録音するか」といった目標はなかった。今じゃ気にいらないところは編集でカットできるが、その頃の録音は、ミスも何もかも全部聞こえてしまう。だが当時はその方が好きだった。
=若いときから頑固者=
Collector’s Items / Miles Davis (Prestige ’56)
『コレクター・アイテムズ』は、マイルス・デイビスとの共演だ。<ノー・ライン>と<ヴィアード・ ブルース>というブルースを2曲と、デイブ・ブルーベックのバラード<イン・ユア・オウン・スウィート・ウエイ>を録音した。
トミー・フラナガン:「録音は私の誕生日だった。26才の誕生日、3月16日だ。マイルスはコルトレーンやフィリー・ジョー・ジョーンズとクインテットを結成する以前、デトロイトに数年間住んでいたんだ。(麻薬中毒治療のため)
その時期、デトロイトにあるクラブ《ブルーバード・イン》で彼と共演していた。私は、ビリー・ミッチェル(ts)がリーダーのハウス・バンドの一員で、マイルスは、そこにゲストとしてで数ケ月入っていた。
それは、マイルスは自分を立て直そうとしていた時期で、当時はチャーリー・パーカーの共演者として有名だった。…
そういうことがあって、私にお呼びがかかったんだ。録音セッションでは、終始いい感じで演奏した。ブルーベックの1曲(In Your Own Sweet Way)以外はね。その曲は変なきっかけで録音することになったんだ。マイルスの尻のポケットにその曲の簡単なコードのメモが入っていた。イントロのボイシングをマイルスが僕に指示したのを覚えているよ。彼は、自分が求めるものを常に正確に把握していたから、僕にこんな感じで囁いた。 (マイルスのしゃがれ声を真似て・・)「’ブロックコードを弾いてくれ。ミルト・バックナー風ではなくて、アーマッド・ジャマールみたいにな。」… でも、私はそういう弾き方が余り好きになれなかったんだ。一方、レッド・ガーランドがその奏法に飛びついた。アーマッドのプレイは大好きだけど、自分は彼のように弾きたいとは思わなかったんだ。」
=Saxophone Colossus / Sonny Rollins (Prestige ’56)=
ホーキンスの次に好きなサックス奏者
質問:歴史的名盤『サクソフォンコロッサス』でソニー・ロリンズと共演された時、スタジオ内にエクサイティングな雰囲気はありましたか?
トミー・フラナガン:「演奏曲がエクサイティングだったかどうかは覚えていない。ただ、ソニー・ロリンズとレコーディングで共演することで私は興奮していた。コールマン・ホーキンスを別にすれば、ロリンズは私が当時最も好きなサックス奏者だったから。
質問:<ブルー・セブン>が絶賛を受け、その後のロリンズは一時引退しましたが、それについて、あなたは困惑されましたか?
トミー・フラナガン:「全然!ソニーはほとんどシャイといっていい人間だったからね。だから音楽からも、バンドスタンドからも離れた。彼をインタビューに引っ張り出そうとしても凄く難しいと思うよ。彼はステージでも、イナイナイバーみたいに顔を隠して上がるくらいシャイな人だった。聴衆に余り近付きたがらなかった。
まあ、あれほど素晴らしいミュージシャンなのだから、例え<ブルー・セブン>が絶賛されても、どうってことはないさ。(笑) 実際の彼はあの演奏よりもっとすごいのだから。
=The Incredible Jazz Guitar / Wes Montgomery (’60)=
西洋音楽の教義に縛られないミュージシャン
トミー・フラナガン:「ウエスの噂はよく聞いていた。レコーディングする前から伝説的存在だった。ピックを使わずに親指だけでプレイするギター弾きとして、噂は良く聞いていた。コーラス毎に次々とコードを付けをして、同じ事は二度と繰り返さないとね。このセッションでも、彼は正にその通りだった。それほどインクレディブルだったんだ。
録音でのウエスは、噂に聞いていたことは全て実際にやってのけた。それにもかかわらず、ウエスは自分の腕前についてとてもシャイなところがあった。
『Wow! 凄いや!もう一度聞いてみようよ!』『Wow! 本当に君が弾いてるのかい!信じられない!』…そんな風に誉められるのを嫌がった。自分の超絶技巧やプレイについて話をしたがらなかった。
おかしな奴だった。「譜面が読めない」という理由だけで、自分を良いミュージシャンだと思っていなかった。読めないミュージシャンには良くあることなんだ。素晴らしいミュージシャンなのに、読めないからといって、自分を卑下してしまう。エロール・ガーナーもその一人だ。彼等は言わばその分野の第一人者なのに!だって殆どのミュージシャン達は西洋音楽を勉強し、理論に束縛される。アカデミックな教義に縛られていないというのは、素晴らしい事なのに。」
=Giant Steps / John Coltrane (Atlantic ’60)=
ジャイアント・ステップスは録音用の曲だった。
トミー・フラナガン 「コルトレーンは、”自分の創ったシステムを用いてレコーディングし、成果を挙げたい。”と私に録音コンセプトを説明してくれた。その言葉どおり、彼は“ジャイアント・ステップス”と同種の進行を用い、何曲も録音した。だがその内の何曲かは収録すらされなかった。我々が全く出来なかったからだ。曲のテンポがどれもこれも速過ぎて、到底1セッションで様になるものではなかった。」
「何故、レコード会社はたった1回のセッションでアルバム一枚全部作ってしまおうとするのかね?理解できないよ。あのようなハードな音楽を1日8時間もぶっ続けに演るのは、死ぬほど大変なんだ。それに自分のやっていることをきちんと把握していなければ命取りだ。勿論、トレーンはちゃんとわかっていたがね 。」
「私はコルトレーンが“ジャイアント・ステップス”をライブで演ったのを聴いたことがない。“ジャイアント・ステップス”は録音のための曲だったのだ。彼はそのシステムを他の曲にも応用した。それは少し変則的なもので、おおむねマイナー7th~メジャー7th~メジャーとつながる。つまりメジャー~メジャー~メジャーという音楽をやろうとしたのだろう。
「そういう音楽は演奏者の考え方を変えてくれる。考えを変えないと演奏できないからだ。もし自分に用意ができていなかったり、テンポが早すぎれば考えることすらできない。”ジャイアント・ステップス”とはそういう音楽なんだ。演奏者をエキサイトさせてくれる。そしてトレーンに“OK,おまえもなかなかやるな!“と言ってもらえれば、なおさらだ!」
トミー・フラナガンは無口な人でしたが、時たま、外交辞令以上のドキっとするような発言が様々な文献に残っています。今回のエントリーは、”Jazz Spoken Here”(Wayne Enstice, Paul Rubin共著)と ”Jazz Lives”(Michel Ullman著)を参考にしました。どちらも、ジャズ講座準備の際、ジャズ評論家、後藤誠先生にお借りしたもの。後藤先生、ありがとうございます!
ウエス・モンゴメリーを「アカデミックな教義に縛られない」アーティストという発言が出てきます。ヨーロッパ西洋音楽に対するフラナガンの複雑な思いは、トリビュートで聴くデューク・エリントン音楽や、トミー・フラナガンのブラック・ミュージックへの憧憬とリンクしていきます。
では土曜日のトリビュート・コンサート、寺井尚之メインステムの演奏をお楽しみに!
CU