ブログにご無沙汰している私も、ミミズのようにノコノコ地上に出てきました。
上の素敵な作品は、パブロ・ピカソによるエラ・フィッツジェラルドのポートレート。作品の下に「エラ・フィッツジェラルドへ-友ピカソより、’70 5/28」と献辞が書かれています。
でもエラのマネージャー、大プロモーターだったノーマン・グランツの伝記によれば、ピカソとエラは一度も会ったことがなかった。
この絵が描かれた頃、エラはトミー・フラナガン・トリオと共にヨーロッパ・ツアーの真っ最中。その頃ピカソは御年89才、南仏アンティーブのお城をアトリエにしていた。(現在この街にはピカソ美術館があります。)ピカソの大ファン、大コレクターで自分のレコード会社に「パブロ」という名前までつけちゃったグランツは、ピカソ邸にしばしば昼食に招かれ、親交を深めたそうです。そのジュアン・レ・パンで、エラさん達のオフ日がありました。
グランツは、自分の最高の芸術品であるエラさんを、偉大なるピカソに紹介するチャンス到来、あわよくばポートレートを描いてもらおう!とばかりに、エラさんをピカソ邸に連れて行こうとしました。
並のセレブなら、雑誌記者に連絡して、おめかしをしてすっ飛んで行くところですが、エラさんはそうじゃなかった。”ファースト・レディ・オブ・ザ・ソング”は、権力や名声に媚を売ったりしなかった。とにかく「社交」が大嫌い。だから、グランツにこう言ったんだそうです。
「ノーマン、今日は忙しいの。ストッキングのほころびや、他にも縫いものが色々あるの。だから、出かけられない。」
この話を聞いたパブロ・ピカソは大笑い、まだ見ぬエラを大いに気に入った。何しろピカソは、セレブ嫌い、権力者嫌いなことではエラに一歩も引けを取らない反骨のアーティストだったからだ。
それでササっと描き上げたのが上のドローイング。後にジョー・パスとポール・スミス(p)3とのコンサート・ポスターに使われました。
えっ!何故トミー・フラナガンとのコンサートじゃなかったのって?
それは、トミー・フラナガンもまた権力者ノーマン・グランツにちっとも媚びへつらわない、反骨の人だったからです。それはまた別の機会に。
私はエラが大好き、あの甘く優しい声、その中から時々現れるヒリヒリするような熱さ、貴婦人の様に完璧な発音に交じるベランメエの啖呵、底抜けに明るい青空から覗く深い深いインディゴ・ブルー…
あなたがトミー・フラナガンを連れて’75年に来日しなければ、このブログも存在しませんでした。
エラさん、お誕生日おめでとうございます!!