8月のメモワール

お盆休みはゆっくりとお過ごしですか?
 こちらは、寺井尚之ジャズピアノ教室の発表会が月末にあるので、それまでは休日返上、ピアニスト達は、初出場から余裕のベテラン達まで、皆とっても頑張って、良いプレイをしています!
  それでお盆のお参りだけしてきました。この時期、昭和3年生まれの実家の母親は、大阪大空襲や、軍需工場からの帰り道、十三で玉音放送を聴いた話をする。誰かに話さずにはいられないのかも知れない。私がチャランポランな学生生活を謳歌した年頃に、家を焼かれ、身内を戦争に取られ、青春どころか、工場で長時間働いていたのだ。
  私という人間は、大戦がなければこの世に存在していない。母の実家が焼け、郊外に転居しなければ、父と出会って、親の反対を押し切り嫁入りすることもなかったろうから、私も生まれなかったのです…
  トミー・フラナガンや、サー・ローランド・ハナは、第二次大戦中は中学生だったけれど、朝鮮戦争の際はキャリアを中断し戦地に送られた。トミーにもハナさんにも、「君の家族は大戦でどんな目にあったのか?」と訊かれたことがあります・・・
<ビバップと第二次大戦>
 寺井尚之とJazz Club OverSeasがこよなく愛するビバップも、第二次大戦の社会状況が大きな役割を果たしている。それまでのジャズはビッグバンド、ダンスバンドが主流だったのですが、戦時中は、ダンス・ホールに莫大な遊興税が課され、ツアーの交通手段であるバスやガソリンを調達することが困難になっていった。その上、若くて元気な楽団員はごっそり徴兵されるから人手不足。
 その為に、ダンスをせず“鑑賞する為”の“シリアスな”小編成のコンボのジャズ、つまりビバップの隆盛を促進したのだと、ビバップの創始者のひとり、マックス・ローチ(ds)は語っています。
  
   
左:グレン・ミラー、右:ジャック・ティーガーデン
 インディアンの血を引くトロンボーンの巨匠、ジャック・ティーガーデン(tb)は4ヶ月の間になんと17名の楽団員を徴兵されたそうです。一方、アーティ・ショウやグレン・ミラーなど白人バンドリーダーは、精力的に外地に慰問のツアーをし、海軍バンドを率いたショウは南方で日本軍から17回爆撃され、空軍バンドを率いたグレン・ミラーはご存知のように、英国海峡で消息を絶ちました。
<従軍ジャズメンとビバップ>
zoot sims photo:by pail slaughter     テナーの勇者、ズート・シムズは、戦時中テキサス、サン・アントニオで従軍中、黒人クラブでNYから演奏に来ていたビリー・テイラー(p)トリオの面々と知り合い、ビバップの虜になります。テキサスの名産品(?)マリワナと交換に、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーの新譜をNYから送ってもらいながら、新しい音楽をなんとか聴くことが出来たらしい。
Art_Pepper_by_Ray_Avery_medium.jpg    アート・ペッパーは、ビバップの興隆期、ヨーロッパに駐屯し、捕虜の移送をしていた。その頃、レコードで初めて聴いたディジー・ガレスピーの“Oop Bop Sh’Bam”の余りの革新性と速さに、“ビバップ”という言葉すら知らなかったけれど「胃痛と吐き気がした。」と告白しています。

<日本人の知らない戦時中のブラック・ミュージシャン達>
 大戦中の米国には、まだ人種差別が歴然としてありました。当時、徴兵された黒人達はおよそ100万人、内半数が外地の前線に派兵された。黒人は一番危険な前線に送られ、割り当てられる任務は過酷なのに、アメリカ国民として当然の権利は認められない。彼らが軍隊で受けた人種差別の過酷さが、黒人の人種意識を目覚めさせ、ジャズだけでなく、後の公民権運動を加速したと言われています。だってドイツ人捕虜が食事する出来る食堂に、有色人種のアメリカ兵は入れないのですから、どちらが味方なのかわけが判りません。
 ディジー・ガレスピー(tp)は、はっきりこう言っている。
「大戦中の黒人の敵は、ドイツ人ではなかった。我々の尊厳を無視し、体力的にも倫理的にも、ダメージを与える白人達が本当の敵だった。アメリカが自国の憲法を守らず、我々を人間として扱わないのなら、アメリカの国策などくそ食らえだ!」
  大都会NYで活躍する黒人ミュージシャン達も、一旦徴兵されれば、人種差別のきつい南部のキャンプ地に送られるかもしれない。その後は前線に送られ、腕や足の一本や二本なくなるかも…そんなことはまっぴらだ!
  若いジャズメンたちは徴兵を免れる為に、住所変更を繰り返したり、それでもダメな時は、ホモセクシュアルや精神異常を装ったり、なんとか徴兵を免れるため、あの手この手を使った。
 
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ジョー・ニューマンと、ビリー・ホリディ

  カウント・ベイシーOrch.の花形トランペット奏者で、トミー・フラナガンがプレスティッジ時代によく共演したジョー・ニューマンは、覚醒剤と睡眠薬を両方飲んで徴兵検査で不合格になろうと試みて、副作用で死にそうになり、友人のビリー・ホリディが彼女の自宅で3日間看護してくれたおかげで一命を取り留めたそうです。
 バップ・トランペット奏者、ハワード・マギーは、入隊検査で、誇大妄想の演技をして、まんまと不適格の審査を勝ち取った。
  徴兵を回避し、洒落たファッションに身を包み、白人女性と交際し、ヒップな言葉を話す、そしてポケットにはお金が一杯・・・黒人ミュージシャンは、一部の白人の憎悪の対象となり、その結果バド・パウエルやセロニアス・モンクが、白人警官にこん棒で殴打されるような事件を招く遠因になったと言われています。
  もちろん、全員が徴兵から逃げられるはずもなく、戦時下、米軍のフットボール選手とジャズメンは、ドリーム・チームだった。
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アル・グレイ&クラーク・テリー
  イリノイ州の海軍訓練センターには、フラナガンと同じデトロイト出身のアル・グレイ(tb)や、どんなややこしい譜面も即座に暗譜する達人ドラマー、オシー・ジョンソンが二段ベッドの上と下、その他、クラーク・テリー(tp)や、カウント・ベイシー楽団のメンバーがごっそり集まっていた。このセンターには、一線級のミュージシャンばかりでいくつも楽団があり、その内のひとつはグアムに送られた。
 al%20grey%20in%20navy.jpg  Ira Gitler著:「Swing to Bop」より: マサチューセッツで、当時の海軍バンド:アル・グレイの姿は他のトランペット奏者に隠れています。
アル・グレイ(tb)はそんな状況下、内地に留まるために、軍のバンド競技会で、何度も賞を獲得し、ボストンやミシガンのダンスバンドや軍楽隊に所属、除隊したその日にベニー・カーター楽団に入団するという離れ業をやっています。
 ジミー・ヒース(ts)のお兄さんであり、モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)の一員であったベーシスト、パーシー・ヒース(b)は、タスカジー飛行訓練学校という、黒人エリート学校出身の空軍パイロットでしたが、戦地に出るまでに戦争が終わり除隊したので、「一人も殺さずにすんだ。」そうです。
  戦勝国アメリカとはいえ、ジャズ講座に登場する黒人ミュージシャン達は、色々苦労をしていたんですね。
 戦後、米軍の占領下で、日本人のジャズメンたちは驚くほどの富を得たそうですが、ザッツ・アナザー・ストーリー。
 ご先祖様の苦労のおかげで今在る自分に感謝しつつ… 
今月もOverSeasは休みなく平常営業です!
CU

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