対訳ノート(44):Come Sunday

 さて、今月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、『Moodsville9 トミー・フラナガン・トリオ』の解説がありました。本来この『Moodsville』シリーズは、ムード・ミュージック、BGM目的。フラナガンの演奏は、制作意図にしっくり馴染むように見せかけながら、曲の持つ気骨と品格をしっかりプレイに忍ばせる、静かな炎のソロ・ピアノ!いつも聴いてるのに、講座でまたまた感動して、この演奏の元になったマヘリア・ジャクソンとエリントンの決定版を聴き、久々に対訳ノートを書きたくなりました。

<歌のお里は超大作だった>

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 ”Come Sunday”は、現在、賛美歌として教会で歌われているそうですが、元々、”エリントン、アメリカ黒人史を語る“という趣向の壮大な組曲“Black, Brown and Beige”(’43)の第一楽章“Black”の一部分でした。この楽章は、3つのパートから成り立っていて、アメリカに連れて来られた黒人奴隷達の姿を音楽で描いています。”Come Sunday”は、過酷な労働を唄う”Work Song”と、苦難の中の希望の光見出す”Light”の間のモチーフで、稀代のアルト奏者、ジョニー・ホッジスをフィーチュアしたスピリチュアル(黒人霊歌)、現在の私達におなじみの“Come Sunday”は、このパートの中の32小節を抜粋したものです。

  “Black, Brown and Beige”は、エリントンが、従来のエンタテインメント的イメージから脱却し、アーティストとして、黒人音楽の金字塔にするべく挑んだ芸術作品で、48分の超大作だった。つまり、コットンクラブに象徴される奔放で官能的なイメージとはおよそかけ離れた組曲だったんです。

 超人気バンドリーダーして不動の地位を保ちながら、40代半ばで、おまけに戦争中、しかも、黒人ミュージシャンは道化であることを強いられた人種差別時代、マネージャーの反対を押し切り、敢えて芸術的大作を発表したというのはどういうわけなのだろう? 戦時下の遊興税によってダンス・バンドが先細りになることを見越して路線変更をしたのだろうか?いえ、それよりも、この時期に勃興したビバップ同様、「ダンス・ミュージック」ではなく「鑑賞するジャズ」に向けて黒人たちが創造力を振り絞った時代、その世界のトップランナーとして当然のことをしただけだったのではないだろうか。

 ともかく、勝負を賭けたカーネギーホールのコンサートは、満員御礼ではあったものの、クラシック畑の評論家からは「話にならない低レベル」、ジャズ評論では「退屈極まりない。おもろない!さっぱりわからん。」と、ケチョンケチョンに叩かれて、この企画にずっと反対していたマネージャー、アーヴィング・ミルズと袂を分かつことになりました。

 でもエリントンは諦めなかった。

<マヘリア・ジャクソン>

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  この曲が大きな注目を集めたのは、公民権運動が全米各地に波及しつつあった1958年にリリースした“Black, Brown and Beige”改訂版。オリジナル版を大幅に短縮して、ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンが”Come Sunday”に、新しい命を吹き込んだ!

 南部の綿畑の日々の過酷な労働の中、詠み人知らずの歌として、自然に歌い継がれた「黒人霊歌」(Black Spirituals)は、アフリカと西洋の異文化融合の原点と言われています。そんな趣を湛えるこの歌詞は、基本的にエリントンが作り、オリジナル・ヴァージョンを演奏したジョニー・ホッジス(録音には不参加)とマヘリアが修正を加えたもののようです。当初エリントンは、自分の歌詞がキリスト教の規範に合わなかったらどうしようと、かなり悩んだと言われています。duke-ellington-feat-mahalia-jackson-black-brown-and-beige-1958-inlay-cover-21853.jpg

 一方、リハーサル中に、マヘリア・ジャクソンが歌うのを初めて聴いて、楽団のレイ・ナンス(tp, vln)は、感動で涙が止まらなかった!

  この録音の前日、LAのスタジオでこのアルバムの録音が行われた時、エリントンの片腕、ビリー・ストレイホーンは楽団から離れ、ジョニー・ホッジスとともに、LAから遠く離れた東海岸のフロリダにいました。この当時は、経済的な問題をクリアするためだったのか、ホッジス達は一時的に独立して公演することが許されていたのです。ところが、ぎりぎり録音の前日に、エリントンが長距離電話をかけてきて録音曲のアレンジを頼んできた!必要な編曲の中には、”Come Sunday”も含まれていて、ストレイホーンはタクシーの運転手をホテルに待たせ、徹夜で楽団用にアレンジを書き上げ、その譜面の束を運転手が全速でマイアミ空港まで飛ばし、文字通りエアメイル・スペシャルでLAのスタジオに届けました。ところが、ジャクソンをフィーチュアしたトラックでは、ストレイホーンがアレンジした楽団とのヴァージョンはボツになり、エリントンのピアノがイントロと間奏に少し入る他は、ア・カペラで歌うトラックが採用されました。ジャクソンの芳醇な声は、オーケストラ的なハーモニーが内蔵されているから、敢えて楽団を取っ払う快挙に出たのでしょうか?

 黒人霊歌(Black Spirituals)は、南部で過酷な労働に従事する奴隷達が創造した、黒人と白人の文化をつなぐ最初の架け橋であり、同時に、神を敬う歌詞の裏には、自由への願いや、逃亡に際する秘密の教えが隠されている。エリントンは、この架け橋から産まれた天才。初演から15年、公民権運動の高まりにつれ、“Black, Brown and Beige”にも、「日曜」がやってきて、”Come Sunday”は公民権を願うプロテスト・ソングとして聞こえてきます。

 

<Come Sunday>

Duke Ellington

主よ、愛する主よ
天にまします全能の神よ、
どうか我が同胞に
苦難を乗り越えさせ給え。

(くりかえし)

太陽や月は
また空に輝く。
暗黒の日にも、
雲はいつか通り過ぎる。

神は平和と慰めを、
苦しむ皆に与えられる。
日曜が来ますように。
それは我らの待ち望む日。

我らはよく疲弊する。
でも悩みは密かに届けられる。
主はそれぞれの苦悩をご存知で、
それぞれの祈りをお聞きになる。

百合は谷間に
物言わずひっそりと居るけれど
春には花を咲かせ、
鳥達はさえずる。

夜明けから、日没まで、
同胞は働き続ける。
どうか日曜が来ますように。
我らの待ち望む日曜が。

再掲:7月の旬な曲”Star-Crossed Lovers” (ビリー・ストレイホーン)

  

 7月にOverSeasで聴ける名曲に、“Star-Crossed Lovers”(不幸な星めぐりで、添い遂げることの出来ない恋人達)という、何とも美しいバラードがあります。

  日本人のピアニスト、寺井尚之は、星に阻まれた恋を「七夕」にしか会うことの出来ない姫、彦星に見立て、天の川のように瞬く幻想的なサウンドに乗せて聴かせてくれます。

<Such Sweet Thunder>

 “Star-Crossed Lovers”は、今は昔、エリザベス朝時代に出来たせつない言葉。かのシェイクスピアが、戯曲『ロメオとジュリエット』で生んだ造語です。

 400年後、デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンのコンビは、カナダの”シェイクスピア祭”の依頼で、“Such Sweet Thunder”というシェイクスピア組曲を作った。それは、マクベスやハムレットなど、シェイクスピアの作品にまつわる12曲から成るもので、もちろん“Star-Crossed Lovers”は、『ロメオとジュリエット』に因んだ曲

  組曲のタイトル・チューン、”Such Sweet Thunder”(かくも甘美なる雷鳴)は、”真夏の夜の夢”のセリフですが、「甘美なる雷」とは、エリントン楽団そのもの!この言い得て妙なネーミングはストレイホーンのアイデアかな…


  ビリー・ストレイホーン
は、バンド・メンバーから”シェイクスピア”とあだ名を付けられる程の、シェイクスピア・オタク。何しろビリーをちゃんと言うとウィリアム!4世紀前のビリー・シェイクスピアが同性に対して謳った哀切なソネットに共感したのかも・・・、ですからこの組曲のオファーに張り切ったのですが、作曲期間はたったの3週間!その間、デューク・エリントンは楽団と共に”バードランド”に出演中で、演奏の合間に曲のデッサンを書きまくる。それを元に、アパートに缶詰になったストレイホーンが、作曲と組曲の体裁を整えるという自転車操業…おまけに別の大プロジェクトを同時進行させていて、到底締め切りに間に合わない絶体絶命でした。そこで、前に作っていた“Pretty Girl”というタイトルのバラードを、”Star-Crossed Lovers”と改題して使いまわした。

シェイクスピア組曲録音風景組曲録音中のエリントンとストレイホーン

  料亭の「使いまわし」はバッシングにあうけれど、このリサイクルは大成功!キーは D♭メジャー、A(8)-B(4)-C(4)-D(6)、計22小節という優雅な変則小節で奥行きを感じさせ、色気と品格を併せ持つこの作品には、”プリティ・ガール”より”Star-Crossed Lovers”の方がずっとぴったりすると思いませんか? 

<村上春樹『国境の南、太陽の西』>

 この曲は、日本を代表する文学者、村上春樹のお気に入りでもある。所謂スタンダード曲ではないから、ジャズファンよりハルキストの方がよく知っている曲かもしれませんね。「偶然の旅人」に先んじて、’90年代初めに書いた長編、『国境の南、太陽の西』には色んな曲が登場するけど、テーマ・ソングのように、全編、エリントン楽団の”Star-Crossed Lovers”が聴こえている。というより、作者がジョニー・ホッジスのプレイそのままに、一編の長編小説を作ってみたような印象さえ受けます。

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 読んだことのない方に簡単にストーリーを説明しておきますね。

 1951年という時代には稀な一人っ子として生まれ、何となく屈折した思いを持つハジメという名前の「僕」は、小学生の時、やっぱり一人っ子で、足の不自由な女の子、「島本さん」と出会い、唯一心を通わせるのだけれど、中学に入ると別れ別れになり、別々の人生を歩む。

 次に交際したガールフレンドは「イズミ」で気立ての良い魅力的な女の子だったが、「僕」は彼女の従姉妹と同時に肉体関係を持ち、「イズミ」をひどく傷つけてしまう。誰と交際しても、「島本さん」のようには、心を通わせることが出来ない。

 30代で「僕」はやっと結婚をし、子供をもうけ、都心の洒落たジャズ・バーのオーナーとして、適当に浮気もしながら、裕福な生活を送っている。
「僕」が経営する店に赴くと、必ずハウス・ピアニストは、彼のお気に入りの曲、”Star-Crossed Lovers”を演奏するのです。そんな彼の店、”ロビンズ・ネスト”に、「島本さん」が不意に訪ねてくる。美しい大人の女性に成長した彼女も同じように、ずっと自分のことを思い続けていたのだ。

  「島本さん」は私生活を明かさず、彼の店に通い詰めたかと思えば、数ヶ月姿をくらまし消息を絶ってしまう魔性の女、まるで星の巡行のように、数ヶ月単位で近づいたり離れたりするのです。「僕」は、そんな彼女に、どうしようもなくのめりこみ、とうとう箱根の別荘で一夜を過ごす。「気持ち」だけでなく「肉体」も結ばれるのです。
 
  思いを遂げて幸せになったと思えばさにあらず….
全てを投げ打って、島本さんと人生を再出発しようとする「僕」とは逆に、島本さんは「僕」と心中することを決意していた。「僕」と死ねなかった彼女は結ばれた翌朝、忽然と姿を消してしまう… そして、何も気づいていないと思っていた「僕」の妻も、夫の恋に気づいていて、自殺を考えていた事を知らされる・・・
 
 「島本さん」を失った「僕」は、映画”カサブランカ”のリックのように、店のピアニストに向かって言う、「もう、スター・クロスト・ラバーズは弾かなくてもいいよ。」…
 

 
 結局、スター・クロスト・ラバーズは、「僕」と「島本さん」だけでなく、登場人物全員のメタファー(隠喩)で、この物語が、様々な「星」の運行を語ったものだったのだと、読んでから判ります。

 ギリシャ哲学の「エロス」の概念のように、神に引き裂かれた自分の分身を求め、過ちを犯しながら、喪失感を抱え彷徨うスター・クロスト・ラバーズ…古典的なテーマを、バブル期の東京を舞台に一気に読ませます。

リリアン・テリーの歌うStar-Crossed Lovers

 前にも書いたように、トミー・フラナガンは、《Tommy Flanagan Trio, Montreux ’77》や、《Encounter!》で演っているのですが、もう一枚、イタリアのジャズ・シンガー、リリアン・テリーとの共演作でも、フラナガンは息を呑むようなソロ・ルバートを聴かせています。このアルバムは、ピアノの役割が、単に「歌伴」というカテゴリーに納まらないほど大きいんです。歌詞は、原型の<Pretty Girl>にストレイホーンが付けた歌詞を、ほんの少し変えて、とってもうまく歌いました。
 アルバムのタイトルは《A Dream Comes True》(Soul Note ’82作)、楽曲や共演者に対する尊敬が伝わる、いい感じの作品です!

Star Crossed Lovers
 Billy Strayhorn=Duke Ellington 

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Lover boy, you with a smile,
Come spend awhile with poor little me.
Lover boy, you standing there,
Won’t you come Share my eternity?

You could make me a glad one I long to be
Instead of a sad one that you see.

Let me live for awhile,
Won’t you give just a smile?

Lover boy, you with the eyes, 
Won’t you surprise me some fine day.

愛しい人、どうぞ私に微笑みを、
あなたを想う哀れな私と
しばしの間、ご一緒に、
愛しい人、佇むあなたをただ見つめるだけ、
どうぞ永遠の愛を受け入れて。

あなたなら、幸せな夢を叶えてくれる、
寂しい私を変えられる。

しばらくだけでいいんです、
どうぞ私に生命を与えて。
微笑んでくれるだけでいいのです。

愛しい人よ、その美しい瞳で、
いつの日か、思いがけない喜びを下さいな。

 ”Star-Crossed Lovers”のメロディを胸の中に鳴らしながら、私は、店からの帰り道、夏の夜空を眺める。
 小説を読むのもよし、エリントン楽団や、トミー・フラナガン、色々聴くのもいいけれど、私はやっぱりOverSeasで7月に聴くのが好き!
 『国境の南、太陽の西』に出てくる”ロビンズ・ネスト”みたいな、一流のバーテンダーはいないし、アルマーニのネクタイを締めたハンサムなオーナーもいないけど、プレイはずっとうちの方がいいと確信しています!

 そんなStar Crossed Lovers…寺井尚之Mainstem(宮本在浩-bass 菅一平-drums)の出演は7月19日(土)と26日(土)、ぜひ聴いてみて!

CU

第23回トリビュートCDできました。

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毎年 Jazz Club OverSeasはトリビュートが終わって瞬きすると師走です。

 トリビュート・コンサートのCDがうまく出来ましたので、お知らせします。
 23回のコンサート史上、ピアノのサウンドが最も輝き、宮本在浩(b)、菅一平(ds)の出し入れの効いたプレイで、とても良いバランスに仕上がりました。巨匠フラナガンがレギュラー・トリオとともに培った名演目、寺井尚之率いるメインステムも、ザイコウ、イッペイが「最強の二遊間」という感じのフィールディングで魅せる、強力トリオの録音となりました。

 お客様の掛け声や拍手もトリビュートならではの楽しさ!コンサートにご参加いただいたお客様にも、お越しになれなかったお客様にも、トミー・フラナガンをみんなで想う、OverSeasの空間を共に感じていただける三枚組CDになっています。
 録音からCD製作まで、毎回ボランティアでお世話くださる福西You-non+あやめ夫妻に感謝。
お申込みはメールか、ご来店の際にお願い致します。すでにご予約いただいているお客様には、来週早々、改めてご連絡いたしますので、どうぞよろしく!
 =収録曲=

<Disk 1> 曲説へ

1. Bitty Ditty ビッティ・ディッティ(Thad Jones)
2. Beyound the Blue Bird ビヨンド・ザ・ブルーバード (Tommy Flanagan)
3. Minor Mishap マイナー・ミスハップ (Tommy Flanagan)
4. Medley: Embraceable You エンブレイサブル・ユー(George Gershwin)- Quasimodo カジモド(Charlie Parker)
5. Lament  ラメント(J.J. Johnson)
6. Eclypso エクリプソ  (Tommy Flanagan)
7. Dalarna ダラーナ (Tommy Flanagan)
8. Tin Tin Deo  ティン・ティン・デオ (Chano Pozo, Gill Fuller, Dizzy Gillespie)

<Disk 2>   曲説へ

1. Let’s レッツ (Thad Jones)
2. That Tired Routine Called Love ザッツ・タイアード・ルーティーン・コールド・ラブ (Matt Dennis)
3. Thelonious Monk Medley
  Ruby, My Dear ルビー・マイ・ディア
     Pannnica パノニカ
     Thelonica セロニカ(Tommy Flanagan)
    Epistrophy エピストロフィー
    Off Minor オフ・マイナー
4. If You Could See Me Now イフ・クッド・シーシーミー・ナウ (Tadd Dameron)
5. Mean Streets ミーン・ストリーツ (Tommy Flanagan)
6. I’ll Keep Loving you アイル・キープ・ラヴィング・ユー (Bud Powell )
7. Our Delight  アワー・デライト  (Tadd Dameron)


<Disk 3>  曲説へ

1.With Malice Towards None ウィズ・マリス・トワーズ・ノン (Tom McIntosh)
2.Medley: Ellingtonia 
  Chelsea Bridge チェルシーの橋(Billy Strayhorn)
  Passion Flower パッション・フラワー (Billy Strayhorn)
  Black and Tan Fantasy 黒と茶の幻想 (Duke Ellington)
 
春、秋、恒例、トミー・フラナガン・トリビュート、応援いつもありがとうございます!次回はフラナガン・バースデー前日、2013年3月15日(土)開催!どうぞよろしく!

第15回トリビュート曲説できました。

  皆さん、先日はトリビュート・コンサートで色々お世話になりました。またトリビュート以降、師走のお忙しい中、横浜フラナガン愛好会幹部が相次いでOverSeasに激励に来てくださいました。
 書記長スドー先生、石井ご夫妻、この場を借りて心よりお礼申し上げます!ほんまにおおきに!
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 さて、師走のドタバタの中、やっと先日のトリビュート・コンサートの曲目説明が出来ました。トリビュートの演目というのはかなり限定されているのですが、どれもこれも深い作品なので曲説の種はつきません。
arthur whetsol fredi washington duke ellington black and tan fantasy.jpg“Black and Tan”より。
 今回は、アンコール:『ELLINGTONIA』の大トリ、“Black and Tan Fantasy”の元になった、デューク・エリントン楽団の短編映画<Black & Tan>の映像をネット上で発見、フラナガンが生まれる前の1929年のもので、デューク・エリントンと彼の楽団にとって初の映画出演です。エリントンの相手役をしているライトスキンの美女は、フレディ・ワシントン、エリントン楽団の名トロンボーン奏者、インディアンの血を引いた二枚目、ローレンス・ブラウンの奥さんで、エリントン楽団を有名にした禁酒法時代のハーレムの名店、「コットン・クラブ」の名華といわれたコーラス・ガール。ブラウン夫妻がハーレムを歩くと、余りのカッコよさに皆が注目したそうです。一説には、余りに白人ぽいのでハリウッドでスターダムに上り損ねたとも言われています。映像からは、初期のエリントン・サウンドの魅力やハーレム・ルネサンスの香りが伺えます。
 トリビュート曲説はこちら。http://jazzclub-overseas.com/tribute_tommy_flanagan/tunes2009nov.html
 トリビュート・コンサートは三枚組CDとして、ご希望の方にお分けしています。詳しくはOverSeasまでお問い合わせください。
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 目が充血して真っ赤になっちゃったので、本日はこれまで。
明日の荒崎3で会いましょう!サングラスかけてるかも・・・(?)
CU

Star-Crossed Loversが運んだ幸運の星:Lilian Terry

A_dream_comes_true_1.jpg A Dream Comes True/リリアン・テリー+トミー・フラナガン3(’92 Soulnote)
  先日の The Mainstem Trio のライブでは、流星が降り注ぐようにロマンチックなStar-Crossed Loversが聴けました!明日の出演は再びMainstem!こんどはどんな曲が聴けるのかが楽しみ!
 
  先日、Mainstem=7月の曲 “Star-Crossed Lovers”を紹介した際に、フラナガンと共に名唱を残したリリアン・テリーのサイトから、このレコーディングの経緯や、取り上げた歌詞について問い合わせしてみました。返事が来なくてモトモトと思っていたんですが、とっても丁寧なお返事を頂きました。
  私なんか見ず知らずの日本人、大体イタリアの歌手です、英語で返事なんて邪魔臭いだろう…と思っていたらさにあらず! 頂いたメールの内容もさることながら、品のある素晴らしい英文の手紙でした。リリアン・テリーさんは、優しそうな歌のお姉さんに見えるけど、只者ではなかった…
  ジュアン・レ・パンにて:’66のリリアンとデューク・エリントン
 
  彼女のサイトから、経歴を見てみよう。
 リリアン・テリーはエジプト、カイロ生(レディのサイトに生年月日はない。)一般には、英伊混血の歌手と言われていますが、お父さんは、英国人と言えどもイギリス諸島ではなく、英連邦の地中海の島マルタ共和国の人です、お母さんがイタリア人、リリアンはカイロ、フィレンツェで国際教育を受け、現在、イタリー、ニース、LAに居を構えるコスモポリタンです。
   イタリアきってのジャズ歌手、イタリア・ジャズのゴッドマザーと呼ばれ、エリントンやディジー・ガレスピーなど多くのジャズの巨人達と親交を結び、ヨーロッパ全土、アメリカ西海岸などで音楽活動していますが、彼女のキャリアは単なる歌手にとどまらない。
   英、伊、仏語のマルチリンガルで、各国の公館通訳、翻訳者を経て、ローマにある国連食糧農業機関本部に勤務したキャリア・ウーマンらしいから、もともと上流階級の人なのかも知れない。
  歌唱以外のジャズの業績としてはディジー・ガレスピーの回想録のイタリア語訳を手がけたり、1987年から6年間、ディジー・ガレスピー・ポピュラー・スクール・オブ・ミュージックを立ち上げ、盲人コースも設立した。現在は人間ディジー・ガレスピーについての回想録を執筆中とのことです。
 そんな才女、リリアン・テリーから来たEメールには、Star-Crossed Loversの歌詞や、トミー・フラナガンとの共演のいきさつが細かく書かれていました。こんな内容です。
●  ●  ●  ●  ●  ●
親愛なるタマエ
 私のアルバムを気に入って頂けたとは、何て素敵なことでしょう!
喜んでトミー・フラナガンと共演したいきさつをお伝えしたいと思います。
  この当時、私は、数年間レコーディングのブランクがありました。というのも、声帯を痛め、治療をして、何とか歌えるようにはなったのですが、わざわざ国内のミュージシャンと録音する意欲を失っていたのです。
  ローマでジャズ・フェスティバルが開催され、あるディナーの席でたまたま向かいの席に座ったのがトミー・フラナガンでした。長年、私は彼の歌伴に魅了されていたので、彼にそう話すと、私が歌手なのかと尋ねられました。すると、私の長年の友人、マックス・ローチが話に入ってきて、「イタリーのトップシンガーで、ヨーロッパでも指折りの歌手だ。」と言ってくれたのです。すると、「一番最近録音したLPは?」と訊かれましたので、実はここ数年レコーディングしていないこと、でも、常々素晴らしい伴奏者を持っているエラ・フィッツジェラルドを羨ましく思っていたこと、その伴奏者、トミー・フラナガンとなら、ぜひ録音したいこと、さもなければ、私はもう二度とレコーディングしないと誓う、と言ったんです。
 トミーは、喜んでくれましたが、その反面、からかわれているのではないかと思ったようです。でも、何を歌いたいのかと訊いてくれました。”I Remember Clifford”、” Round Midnight”、”Lish Life”…私の歌いたい曲を並べると、彼は更に興味を感じたようでした。

22-LT-Duke-Hotel.jpg   Lテリーのサイトより:左からスティーヴィー・ジョーンズ、リリアン、ビリー・ストレイホーン、キモノでくつろくデューク・エリントン (’66 ジュアン・レ・パンのホテルにて)
   私は、トミーがエリントン-ストレイホーンの愛好者と知っていたので、こう言ったんです。「実はもう一曲、殆どのピアニストが演らない特別なバラードがあるんです。私は、その歌詞をビリー・ストレイホーンから特別に送ってもらったので、歌うことが出来るんです。」
 トミーはますます興味を惹かれた様子だったので、私はさらに続けました。「それは何年も前に録音された組曲で、ジョニー・ホッジス(as)が最高なんです!(トミーは殆どテーブルを乗り越えそうになっていました。)『Such Sweet Thunder』 という組曲なんですけど…」私が曲の名前を言う前に、先にトミーが当てました。「“StarCrossed Lovers”だね!!!僕も大好きなんだ!それで、君にストレイスが歌詞を送ってきたの?!
   すぐさま私たちは、お互いのスケジュールをチェックし合って、1,2日間のレコーディングの日程を決めたのです。ミラノにいる私のプロデューサーと相談して、数ヵ月後に録音しました。どの曲もリハーサルは一切なし、サウンドチェックを一回しただけです。
 サウンドチェックをして即本番、そして次の歌へ…今まで、こんなにリラックスして、共演者と一体感を感じたセッションはありませんでした。トミーと私は良い友達になり、私は彼に”クッキー・モンスター”とあだ名を付けました。だってレコーディングの間中、クッキーやビスケットをむしゃむしゃ食べちゃうんです。だから、私はあらゆる種類のクッキーをピアノの上に置いてあげました。
 もちろん、アルバム・タイトルは「A Dream Comes True: 夢が叶う」としました。
   その後、私はディジー・ガレスピー、ケニー・ドリュー、ヴォン・フリーマンたち色々なアーティストと録音しました。でも、あの時に、トミーの名人芸に応えた「私の声」を再び呼び覚ますことは叶わなかった…。
   あのLPが、成功作であったかのかどうかは判りませんが、全てはトミー・フラナガンと、彼が私の歌をよく聴いてくれたおかげ、あるいは、“私と共に”そして“私のために”演奏してくれたおかげだと思っています。私達は、ぜひもう一作、と話し合いましたが、結局、彼は私を残し、他のジャズの天使達との共演のために旅立って行きました。
   でも、あの作品を録音できたことだけで、私は十分に幸運であったと思います。だからこそ、あなたの心に触れて、メールを頂くことが出来たわけですしね。
 
   ご主人にも、私のレコードを聴いてくださった日本の皆さんにも、どうぞ宜しく!

 リリアン・テリー

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 ロメオとジュリエットに因んだ歌、「悲運の恋人達」の不幸な星は、天界を巡るうちに幸運の星と変わり、リリアン・テリーにトミー・フラナガンの名伴奏をもたらしたのだったんですね…
 
Good night, good night! parting is such sweet sorrow,
That I shall say good night till it be morrow.(ロメオ&ジュリエット第二幕三場より)
おやすみなさい、おやすみ・・・お別れとは、これほど切なく甘きもの、
それならいっそ夜明けまで、おやすみなさいと言い続けようか…

 私もいっそ夜明けまで、このブログを書き続けたいんですが、明日は、寺井尚之The Mainstem Trio 7月第二弾!! 
おやすみなさい、おやすみ・・・
CU

 
 

The Mainstemで夕涼み

ms_7_19.-1.JPG ’08 7/19(土) 於OverSeas
 ピアニスト寺井尚之が、長年の英知を総結集して大きく育てる新ユニット、The Mainstemで、爽やかなジャズの夕涼み!
 
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   毎回違う素材を、Mainstemならではのしつらえで、お客様に満足していただくには、寺井尚之(p)だけでなく、宮本在浩(b)、菅一平(ds)の、見えない努力が欠かせない。Mainstemのセカンドライブは、骨太でありながら冴え冴えしたサウンド、ダイナミクスの振幅も大きく、爽やかな後味だった。
kin%3Dmunazou-reunion.JPG “BOYS2MEN” 元寺井尚之ジャズピアノ教室のホープだった金ちゃんが、東京から久々に聴きに来て、むなぞう若頭とリユニオン!二人とも大人になったなあ…

 The MainstemSpecial Selection: 今夜の曲目
(曲目のブルーの字は、先週のジャズ講座に登場したナンバー。)
<1st Set>
1. Crazy Rhythm (Irving Caeser, Joseph Meyer, Roger Wolfe Kahn)
2. One Foot in the Gutter (Clark Terry)
3. Repetition (Neal Hefti)
4.Little Waltz (Ron Carter)
5. Well, You Needn’t (Thelonious Monk)
<2nd Set>
1. Summer Serenade (Benny Carter)~ First Trip (Ron Carter)
2. Moon & Sand (Alec Wilder)
3. Mrs. Miniver (Dexter Gordon)
4. I Cover the Waterfront (Johnny Green)
5. Old Devil Moon (Burton Lane)
<3rd Set>
1. Syeeda’s Song Flute (John Coltrane)
2. Central Park West (John Coltrane)
3. Trane Connections (Jimmy Heath)

4. Star-Crossed Lovers (Billy Strayhorn)
5. Black and Tan Fantasy (Duke Ellington)
Encore: Caravan (Juan Tizol- Duke Ellington)

 <1st Set>
 オープニングで爽快にスイングした“クレイジー・リズム”は、昨年暮に講座で取り上げてから、寺井の愛奏曲になった。
Terry-1.jpg “ワン・フット・イン・ザ・ガター”は寺井尚之が大好きなトランペッター、クラーク・テリーのオリジナル、天井の高いひんやりした教会のステンドグラスを震わせるようにブルージーなピアノのエンディングに泣けた!『溝にはまった片足』なんて、変てこなタイトルでしょ? 実は「聖者の行進」の昔、テリーが育ったセント・ルイスの街でパレードの花形だったハム・デイビスというトランペッターに捧げた曲なんです。
 ジャズ史の影には無名の巨人が沢山いるのだ!ハムは、行進の時、わざと脇の溝に滑り落ちながら、ハイノートをピリっとも狂わせずにヒットする名手!クラーク・テリー少年のヒーローだった。メロディより遥か2オクターブ上を朗々と吹くペットの音は、町中に響き渡り、10マイル先でも、「あっ、ハムだ!」と判ったというのです。テリーは、もう一曲、“Two Feet in the Gutter”という曲もハム・デイヴィスに捧げている。
    リピティションは、ニール・ヘフティのダンサブルな曲、チャーリー・パーカーの、風が吹き抜けるような名演で知られている。寺井が、宮本在浩(b)+菅一平(ds)のリズムチームの為に書き下ろしたアレンジで、今後、The Mainstemのおハコになるでしょう!

 
  1-4,5,2-1,2はこのアルバムに!
『Sugar Roy』/ロイ・ヘインズ(ds)

“リトル・ワルツ”は、モネの「睡蓮」のように光や風の「ゆらぎ」を感じさせてくれます。宮本在浩(b)のベースラインが、ピアノのサウンドに絡まる様子が素晴らしかった!
ラストのモンク・チューンには、ドラムの菅一平が、強力にパワーアップしていることを改めて思い知らされました。
<2nd Set>
 湿気で鍵盤が重い故、ことさらタッチを研ぎ澄ませているせいか、湿気を含んだせいなのか、ピアノは熟した果実のような芳香を放ちます。夕涼みにぴったりのサマー・セレナーデをプロローグに、ジャズ講座で聴いたロン・カーター(b)が印象的だったファースト・トリップで、宮本在浩さんの茶目っ気溢れる、「変則ビート」が飛び出して、講座に来られていた常連さんはニンマリ!
  
 ムーン&サンドは、アメリカ東海岸の文化の権化みたいな、ユニークで偏屈でロマンチックな作曲家、アレック・ワイルダーの名曲。寺井のプレイで長年聴いてきましたが、今までのベスト・バージョンのひとつ!この夜のハイライトだった。ワイルダーは多分、ニューイングランドの夜の海をイメージして書いたのだろうけど、今夜のThe Mainstemのバージョンはどこの海だったのだろう…私はインド洋の離島、電気のないコテージで過ごした夜を想いました。
 Mrs.ミニヴァーも、『ザ・パンサー/デクスター・ゴードン』でジャズ講座に登場した曲、ゴードンの大きなストライドの吹きっぷりそのままに、ゆったりしたテンポでスイングしてヒップだったね!
 波止場に佇みは、寺井尚之にとって、映画の主題歌ではなく、ビリー・ホリディのおハコです。「恋人の帰りを、荒涼とした波止場で待ち望む切ない曲」ただし、ホリデイの歌う恋人は「きっと帰っては来ない」けど、寺井尚之の解釈には「希望」の光が点る。えっ?イントロのメロディがどっかで聴いた事あるけど思い出せないって? だからね、「男はつらいよ」のテーマ・ソングだったんです。こういうところが寺井イズム! 
 
 そして、ラストはオールド・デヴィル・ムーン ラテンと4ビートのギアチェンジで、ハッピーエンドに楽しく仕上げました。
 
<3rd Set>
  
 レパートリーの視点から一番惹かれたのはラスト・セット。コルトレーンの2作は、トレーンの作曲家としての偉大さを教えてくれます!ジミー・ヒースがトレーンに捧げたトレーン・コネクションズも、ライブでは滅多に聴けない名作で、聴けて良かった!
 寺井が初めてジャズを聴いたのは、予備校時代、涼みに入った真夏のジャズ喫茶での「至上の愛」だった。ジョン・コルトレーンの命日は7月。トレーンの曲は手強いけれど、バッパーが演ると、冴え冴えして色気が出るという見本だった。
 コルトレーンの世界から、いとも自然に7月の曲、スター・クロスト・ラヴァーズへ!この辺りの組み合わせが『メインステム流』!ロマンティックだけどベタベタしない、最高の七夕のバラード!
 ラストはエリントニアの極めつけ黒と茶の幻想!河原達人さんの数々の名演を見ながら覚えた菅一平のマレットさばきに目を奪わた。
 アンコールのキャラバンは、弾丸スピードのスインガー、F1スポーツカーで飛ばしながら、シフト・チェンジするのは、こんな快感なのだろうか?グルーブが変化しながら快感も加速!
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 次回のThe Mainstemは、今週の金曜日です。曲のウンチクを知らなくたって、初めてジャズを聴く人だって、フィンガー・スナップ・クラックル、きっと楽しいワンダーランド! The Mainstemにお越しやす! 
CU

寺井珠重の対訳ノート(11)スター・クロスト・ラヴァーズを聴きながら…

  

tanabata_129193679.jpg 7月になると、“Star-Crossed Lovers”(不幸な星めぐりで、添い遂げることの出来ない恋人達)という名の美しいバラードが、OverSeasで聴ます。

  寺井尚之は“Star-Crossed Lovers”に「七夕」にしか逢うことの出来ない恋人たち、織姫、彦星のイメージを重ねて、天の川のように瞬く幻想的なサウンドに乗せて聴かせてくれる。

<Such Sweet Thunder>

 “Star-Crossed Lovers”、言葉の起源は、エリザベス朝時代、文豪シェイクスピアが戯曲『ロメオとジュリエット』のために創りだしたものだった。以来『ロメオとジュリエット』の物語は、どんなに時代が変わっても愛され続けます。

 シェークスピアの時代から4世紀が経った1956年、デューク・エリントンとビリー・ストレイホーンのコンビは、カナダ、オンタリオ州で開催された”シェイクスピア・フェスティヴァル”のために、“Such Sweet Thunder”というシェイクスピア組曲を書き下ろす。それは、マクベスやハムレットなど、シェイクスピアの作品に因んだ12曲から成るもので、“Star-Crossed Lovers”は、もちろん『ロメオとジュリエット』に因んだ作品だった

 
組曲のタイトル・チューン、”Such Sweet Thunder”(かくも甘美なる雷鳴)は、”真夏の夜の夢”のセリフですが、「甘美なる雷」とは、エリントン楽団そのもの!この言いえて妙なネーミングはストレイホーンのアイデアかな…

  ビリー・ストレイホーンは、バンド・メンバーから”シェイクスピア”とあだ名を付けられる程の、シェイクスピア・オタク。何しろビリーをちゃんと言うとウィリアム!4世紀前のビリー・シェイクスピアが同性に対して謳った哀切なソネットに共感したのかも・・・、ですからこの組曲のオファーに張り切ったのですが、作曲期間はたったの3週間!その間、デューク・エリントンは楽団と共に”バードランド”に出演中で、演奏の合間に曲のデッサンを書きまくる。それを元に、アパートに缶詰になったストレイホーンが、作曲と組曲の体裁を整えるという自転車操業…おまけに別の大プロジェクトを同時進行させていて、到底締め切りに間に合わない絶体絶命でした。そこで、前に作っていた“Pretty Girl”というタイトルのバラードを、”Star-Crossed Lovers”と改題して使いまわした。

シェイクスピア組曲録音風景 組曲録音中のエリントンとストレイホーン

  料亭の「使いまわし」はバッシングにあうけれど、このリサイクルは大成功!キーは D♭メジャー、A(8)-B(4)-C(4)-D(6)、計22小節という優雅な変則小節で奥行きを感じさせ、色気と品格を併せ持つこの作品には、”プリティ・ガール”より”Star-Crossed Lovers”の方がずっとぴったりすると思いませんか?

 

<村上春樹『国境の南、太陽の西』>

 この曲は、日本を代表する文学者、村上春樹のお気に入りでもあり、ジャズファンよりハルキストの方がよく知っている曲かもしれない。村上が’90年代初めに書いた長編、『国境の南、太陽の西』には様々な曲が作品に彩りを添えているけど、エリントン楽団による”Star-Crossed Lovers”は、この長編の「愛のテーマ」的な役割として使われている。というか、村上さんは、ジョニー・ホッジスの演奏スタイルを使って、一編の長編小説を作ってみたのでないか、という印象さえ受けます。

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 読んだことのない方に簡単にストーリーを説明しておきますね。

   1951年という時代には稀な一人っ子として生まれ、何となく屈折した思いを持つハジメという名前の「僕」は、小学生の時、やっぱり一人っ子で、足の不自由な女の子、「島本さん」と出会い、唯一心を通わせるのだけれど、中学に入ると別れ別れになり、別々の人生を歩む。

 次に交際したガールフレンドは「イズミ」で気立ての良い魅力的な女の子だったが、「僕」は彼女の従姉妹と同時に肉体関係を持ち、「イズミ」をひどく傷つけてしまう。誰と交際しても、「島本さん」のようには、心を通わせることが出来ない。

  バブル時代の東京、「僕」は30代で結婚をし、子供をもうけ、都心の洒落たジャズ・バー“ロビンズ・ネスト”のオーナーとなり、適当に浮気も楽しみながら、裕福な生活を送っている。
 「僕」が経営する店に赴くと、必ずハウス・ピアニストは、彼のお気に入りの曲、”Star-Crossed Lovers”を演奏する。そんな彼の店に、美しい大人の女性に成長した「島本さん」が不意に訪ねてくる。彼女も同じように、ずっと自分のことを思い続けていたのだ。

  「島本さん」は私生活を明かさず、彼の店に通い詰めたかと思えば、数ヶ月姿をくらまし消息を絶ってしまう魔性の女、まるで星の巡行のように、数ヶ月単位で近づいたり離れたりするのです。「僕」は、そんな彼女に、どうしようもなくのめりこみ、とうとう箱根の別荘で一夜を過ごし、「気持ち」だけでなく「肉体」も結ばれるのです。
 
  思いを遂げて幸せになったと思えばさにあらず….
 全てを投げ打って、島本さんと人生を再出発しようとする「僕」とは逆に、島本さんは「僕」と心中することを決意していた。「僕」と死ねなかった彼女は結ばれた翌朝、忽然と姿を消してしまう… そして、何も気づいていないと思っていた「僕」の妻も、夫の恋に気づいていて、自殺を考えていた事を知らされる・・・
 
 「島本さん」を失った「僕」は、映画カサブランカのリックのように、店のピアニストに向かって言う、「もう、スター・クロスト・ラバーズは弾かなくてもいいよ。」…
 

 
 結局、スター・クロスト・ラバーズは、「僕」と「島本さん」だけでなく、この小説に登場する全員のメタファー(隠喩)で、様々な「星」の行き違う様子を語った物語だったのだと、読んでから判るんです。
 

リリアン・テリーの歌うStar-Crossed Lovers

 前にも書いたように、トミー・フラナガンは、《Tommy Flanagan Trio, Montreux ’77》や、《Encounter!》で演っているのですが、もう一枚、イタリアのジャズ・シンガー、リリアン・テリーとの共演作でも、フラナガンは息を呑むようなソロ・ルバートを聴かせています。このアルバムは、ピアノの役割が、単に「歌伴」というカテゴリーに納まらないほど大きいんです。歌詞は、原型の<Pretty Girl>にストレイホーンが付けた歌詞を、ほんの少し変えて、とってもうまく歌いました。
 アルバムのタイトルは《A Dream Comes True》(Soul Note ’82作)、楽曲や共演者に対する尊敬が伝わる、いい感じの作品です!

Star Crossed Lovers
 Billy Strayhorn=Duke Ellington

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Lover boy, you with a smile,
Come spend awhile with poor little me.
Lover boy, you standing there,
Won’t you come Share my eternity?

You could make me a glad one I long to be
Instead of a sad one that you see.

Let me live for awhile,
Won’t you give just a smile?

Lover boy, you with the eyes,
Won’t you surprise me some fine day.

愛しい人、どうぞ私に微笑みを、
あなたを想う哀れな私と
しばしの間、ご一緒に、
愛しい人、佇むあなたをただ見つめるだけ、
どうぞ永遠の愛を受け入れて。

あなたなら、幸せな夢を叶えてくれる、
寂しい私を変えられる。

しばらくだけでいいんです、
どうぞ私に生命を与えて。
微笑んでくれるだけでいいのです。

愛しい人よ、その瞳で魔法をかけて、
いつの日か、思いがけない喜びを下さいな。

 ”Star-Crossed Lovers”のメロディを胸の中に鳴らしながら、私は、店からの帰り道、夏の夜空を眺める。
 小説を読むのもよし、エリントン楽団や、トミー・フラナガン、色々聴くのもいいけれど、私はやっぱりOverSeasで7月に聴くのが好き!
 『国境の南、太陽の西』に出てくる”ロビンズ・ネスト”みたいな、一流のバーテンダーはいないし、アルマーニのネクタイを締めたハンサムなオーナーもいないけど、プレイはずっとうちの方がいいと思う!

 そんなStar Crossed Lovers...Mainstemの演奏で7月にぜひ聴いてみて欲しい!

CU

寺井珠重の対訳ノート(9)  <Caravan>

Son_of_Sheilk.jpg  無声映画の大美男スター、ルドルフ・ヴァレンティノで大当たりした「キャラヴァン」映画、“熱砂の舞”
<キャラバン>は、寺井尚之の隠れた18番、ピアノとドラムのスリリングな掛け合いから、あのテーマが始まると、いつもお客様は大喜び!
 今月のジャズ講座では、トミー・フラナガン3の傑作アルバム『トーキョー・リサイタル(A Day in Tokyo)』の<キャラバン>が聴けた。キーター・ベッツ(b)の地響き立てて唸るようなビートと、ギラギラ光ってズバズバ時空を切る、黒澤映画のチャンバラみたいな、ボビー・ダーハム(ds)のスティックさばき、トミー・フラナガンが二人の持ち味を生かし、息を呑むようなトラックだった。
 来月のジャズ講座では、このアルバムから5ヶ月後、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで同じトリオをバックにエラ・フィッツジェラルドが歌う<キャラバン>が次回のジャズ講座で聴けます。
ella_montreux_75.JPGモントルーはスイス、レマン湖畔の高級リゾート、このジャズ・フェスは当時カジノの中で行われていたのです。
 後で付いた歌詞は、砂漠を行く愛と冒険の旅路、レマン湖でヴァカンスやつかの間のロマンスを楽しむお客様にぴったり!下はエラが歌った1コーラス目です。

Caravan
曲:Juan Tizol,Duke Ellington/詞:Bob Russell
Night
And stars above that shine so bright,
The mystery of their fading light,
That shines upon our caravan.
Sleep
Upon my shoulder as we creep
Across the sand so I may keep
This mistery of our caravan.
You are so exciting,
This is so inviting,
Resting in my arms
As I thrill to the magic charm of you
With me here beneath the blue     
My dream of love is coming true
Within our desert caravan…
 
夜の砂漠、
輝く満天の星、
流れて消える神秘の流星は、
キャラバンに降り落ちる。
私に肩にもたれて、
眠っておいで。
砂漠を進む、キャラバンの
長き旅路に、
愛の魔法から醒めぬよう。
ときめく心、
わが腕に休む君、
君の妖しい魅力に囚われる。
空の下、君と寄り添い、
恋の夢は叶う、
愛の砂漠、二人のキャラバン…
 

   星降る夜空、砂漠の海、静かに進むキャラバン隊…異国の地に繰り広げられる愛と冒険のスペクタクル!歌詞のムードは、第一次大戦後に大流行したルドルフ・ヴァレンチノのサイレント映画(上の写真!)や、後に「アラビアのロレンス」として日本でも有名になった、砂漠の英雄、T.E. ローレンスの実話などの「砂漠ブーム」を強く意識したものです。
  実際の作曲者、フアン・ティゾールは、エリントン楽団のバルブ・トロンボーン奏者です。20歳の時、プエルトリコから第一次大戦後の好景気に沸く本土に渡って来た。それは、はラジオがやっと出来た頃、間違ってもTVなんかない! 当時、庶民の娯楽は、劇場に行って、サイレント映画と“実演”つまりバンド演奏やショーを楽しむことくらい。劇場のピットOrch.の楽員がとにかく足りなかった時代。
 プエルトリコは、本土よりずっとハイレベルの音楽教育で知られ、即戦力で使える音楽家の宝庫だった。だから、大勢のプエルトリカンがスカウトされてやって来た。ティゾールもその一人です。彼も劇場映画館のオーケストラ・ピットで、ヴァレンチノが砂漠の首長(シーク)として活躍する大スペクタクル映画、「血と砂」や「熱砂の舞」に女性達が失神するほどうっとりするのを観ていたに違いない。
juan_tizol.jpgフアン・ティゾール(1900-84)
 ティゾールは、<キャラバン>(’36)の他にも<パーディド>など、楽団の為にたくさん作曲している。エリントンやストレイホーンだけでなく、こういう作品を総括したのがエリントニアなんです。
 ’29年に入団し、15年間在籍した後、ハリー・ジェームズ楽団に破格の報酬で引き抜かれましたが、’51年、ジョニー・ホッジス(as)達、主力メンバーがドドっと退団した楽団の危機に、助っ人として再加入した。
 楽団での彼の役割は、アドリブで魅了するソロイストではなく、しっかりとしたテクニックでエリントン・サウンドを支える縁の下の力持ち。ヴァイオリン、ピアノetc…あらゆる楽器に習熟していたから全体を考えプレイした。
 勿論バルブ・トロンボーンでは、どんなに速く広く音符が飛び回るパッセージでも容易く吹ける名手であったから、エリントンは彼の為に、普通のスライド・トロンボーンでは到底演奏不能なパートを書きまくった。そんなティゾールの複雑なラインとサックス陣のとのコントラストが、随一無比のエリントン・サウンドを生んだのです。
 ティゾールの長所はそれだけではありません。「規律」という楽団にとって最も大切なものを守った。本番でもリハーサルでも、仕事場に、誰よりも早く入ってスタンバイしている人だった。アメリカの一流ジャズメンは、日本よりずっと体育会系で、ファーストネームで呼び合っていても、上下関係が凄いのです。先輩が早く入っていたら、いくら「飲む=打つ=買う」三拍子揃ったバンドマンでも、おいそれ遅刻など出来ません。こういうメンバーがいると、バンマスはどんなに楽でしょうか!
 故に、ティゾールはエリントンの代わりにコンサート・マスターとして、リハーサルを仕切るほど重用されました。ですからずっと後から来て側近となったビリー・ストレイホーンと確執があったのは、むしろ当然のことですよね!
 <キャラバン>のエキゾチックなサウンドは、サハラ砂漠ではなく、西インド諸島で生まれたフアン・ティゾールのものだった! エリントンは『ビバップとは、ジャズの西インド的な解釈である。』と言っている。
 この作品にも、ビバップを予見するように、オルタードと呼ばれるスケールが多用されています。
 それは、ティゾールをエリントンに結びつけた第一次大戦から、社会の変化につれて、ビバップへと連なって行く。
 その道筋もまたInterludeにとっては、愛と冒険の一大スペクタクル!
 
 次回のジャズ講座は6月14日(土)、ジャズ講座の本第5巻も新発売!
CU

ビリー・ストレイホーン(1915-67) 生涯一書生

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 トミー・フラナガンは、ある午後、OverSeasで『Tokyo Recital』を聴きながら、寺井尚之に向かって言った。『ビリー・ストレイホーンは、一生エリントンの書生(a boarder)だった。そうとは書いていなくても、ストレイホーンが作ったものには、こっそりと自作と「ハンコ(stamp)」が押してあるのだ。』
 Boarder…どういうこっちゃ? フラナガンの言うBoarder…には、[下宿人]や、「寮生」というよりも、『書生』に近い意味合いが聞き取れた。そんなもんアメリカにあるのかしら? 
 ビリー・ストレイホーン…OverSeasのスタンダードナンバー、<チェルシー・ブリッジ>や<レインチェック><パッション・フラワー>の作者、なんと言っても有名なのは <A 列車で行こう>や<サテン・ドール>だ。
 トミー・フラナガン青年が、『Overseas』の録音前、街で見かけたビリー・ストレイホーンに、「今度あなたの曲を録音させていただきます。」と挨拶したら、出版社までトミーを誘い自作の譜面の束をどさっとくれた紳士だ。エリントン楽団は何度もTVで観たけど、ストレイホーンは映ってなかった…「書生さん?」どんな人なんやろう? 
 それから私は、ストレイホーンの関連する文書を手当たり次第に読んだ。丁度、’92年頃に、米ジャズ界でストレイホーン・ブームが起こり、色んな雑誌でストレイホーンの特集が組まれた。数年後、音楽ジャーナリスト、David Hajdu (日本ではデヴィッド・ハジュだけど、本当はハイドゥと読むらしい。)が書いたストレイホーン伝、『ラッシュ・ライフ』が、ジャズ界で大センセーションを巻き起こした。
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  何故なら、ビリー・ストレイホーンはゲイの市民権のない時代、ホモセクシュアル故に、正当な評価を得られなかった孤高の天才音楽家として、偉大なるデューク・エリントンの実像は、彼の天才を踏み台にして名声を得たバンド・リーダー、という構図で描いていたからだ。
 ジミー・ヒースやサー・ローランド・ハナ達、良識派は『あんな本あかんっ!』とカンカンになっていた。だけど、こっそり読みました。
  
 『生涯一書生』とは禅の言葉、楽天の監督、野村克也はそれに倣い「生涯一捕手」と言うけど、ストレイホーンは禅の境地だったのだろうか?それとも…
<いじめられっ子とヒーローの出会い> 
 ビリー・ストレイホーンは、エリントンより16才年下だ。お坊ちゃん育ちのエリントンと違い、生活は苦しかった。生まれつき体が弱く、母と祖母からは溺愛されたが、アル中で工場労働者の父から虐待され、学校では、Sissy(女っぽい男)といじめに合ったという。ただし、音楽の才は並外れていて、ピッツバーグの高校時代には、楽器なしに考えるだけでオーケストラのフルスコアを書き、いじめっ子も「天才」と一目置いた。
 ビリーはクラシック音楽家を志すのですが、黒人学生には音大への奨学金は出ない。将来の道を閉ざされたビリーは高校を中退、ジャズにクラシックと同じ美点があるのに気づき、ドラッグ・ストアでアルバイトしながら、地元でミュージシャンとして活動していた頃、エリントン楽団が町にやって来た。
 それは、ビリーが23歳の時。ビリーを応援するバンド仲間が、ツアー中のエリントンにアポを取ってくれたのだ。ピアノの腕と作詞作曲、編曲の才能に驚いたエリントンは、即編曲の仕事を与えた。<Something to Live For>は、その時に持参した作品です。
 翌年から、ビリーはNYで、エリントンの助手として仕える。エリントン楽団のテーマ、ハーレムの香り漂う<“A”列車で行こう>は、NYのエリントンを訪ねた時、手土産代わりに持参した作品で、ピッツバーグで、A列車に乗ったことのないビリーが書いたもの、最初は作風がエリントンのイメージと違うと、ボツになった作品だったのです。
 
<“A”列車で行こう>
 師匠であるエリントンが修業中のビリーに命じたことは唯一つ。「観て覚えろ (Observe)」だったと言います。
最初は、下働きのストレイホーンの存在感が一挙に高まったのは、’42年アメリカで起こった音楽戦争、『録音禁止令』のおかげだった。『録音禁止令』(Recording Ban)とは大手著作権協会ASCAPが、著作料の大幅値上げを一方的に決めた為に、音楽家協会とラジオ局が、ASCAPに属する楽曲の放送や録音を、全面的にストップしたという事件です。エリントンの曲は全てASCAP帰属だから、レコーディングもラジオ放送もできない。ところが、録音禁止令の直後にラジオ出演が入っていた。どうしても48時間以内に、エリントン名義でない大量の楽団スコアを用意しなければならない。絶体絶命だ!
 ストレイホーンと、エリントンの息子、マーサーが、不眠不休で仕事をして、何とかレパートリーの準備をする。今までの楽団のテーマ・ソング<セピア・パノラマ>に替わって使われたのが<“A”列車で行こう>で、世界中でヒットした。その間、エリントンはどうしていたかって?もちろん楽団を率いて仕事です。だからバンドリーダーであり、大作曲家というのは、例外中の例外なのです。
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<スイーピー&モンスター>
 自作曲が楽団のテーマになり、全幅の信頼を置かれたビリーは、文字通りエリントンの影武者として、演奏に多忙なエリントンの代わりに、作曲、編曲、映画やショウの監督、レコーディングのピアノ演奏に至るまでエリントン名義で担当する。寺井尚之ジャズピアノ教室で配布しているエリントン著の「ブルース教本」も実はストレイホーンの執筆だ。モンスター、スイーピーと呼び合うエリントンとストレイホーンの仕事は、どこからどこまでが区切りか本人すら判別出来ない程緊密で、今も音楽史上最高の共同作業と言われる。その事実は業界の人だけが知ることで、一般には公表されていなかったのです。
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 スポットライトが当たらない代わりに、ビリーは自由気ままな生活を享受します。兵役を免れ、偽装結婚をする必要もなく、ボーイフレンドと豪華なアパート暮らし、高価な美術品を集め、創作活動に没頭した。多くの州で同性愛が逮捕された時代、公民権法もなかった時代のことです。
 おまけに、多額の生活費用は、全てエリントン自身が決済していた。つまり、ストレイホーンに給料はなく、エリントンがポケット・マネーで彼を養っていた。フラナガンの言うように、雇用関係のない『書生』だったのです。彼がこのまま世間知らずで一生送れたらどんなに良かっただろう。
wlena.jpg  レナ・ホーンとストレイホーン
 
<迷子のスイーピー>
 スイーピーとモンスターの稀有なパートナーシップは、実の息子、マーサー・エリントンや、生え抜きのファン・ティゾールなど、多くの取り巻きとストレイホーンの間に軋轢を生じ、状況は変わっていきます。
 反面、ストレイホーンの味方には、クラーク・テリーやジョニー・ホッジス達がいた。意外にも男臭さ溢れるテナー、ベン・ウェブスターや、夭折のベーシスト、ジミー・ブラントンも親友だ。中でも仲良しだったのが絶世の美人歌手、レナ・ホーンだ。
 彼女と夫の編曲家レニー・ヘイトン(マーサー・エリントンの同窓生)は、ストレイホーンに音楽出版会社を作ろうと独立を誘う。著作権が莫大な金額を生むと教えた。世間知らずのビリーは、自分に著作権がないことに初めて愕然とするのです。まるで、リンゴを口にしたアダムとイヴの話の様に、ビリーは、気楽に思えたエリントンの庇護から独立を望むのです。
 それを知ったフランク・シナトラも、音楽監督としてビリーを好条件で引き抜こうとしますが、エリントンは、裏で手を回して計画を阻止していく。楽団のスター・プレイヤーは放出しても、スイーピーを外に出すことは徹底的に拒否したのです。時は’48年、ビッグバンド凋落の時代でエリントンが経済的に難しい時代というのを忘れてはいけません。結局、ビリーは楽団を離れて活動するのけれど、ブロードウエイも、歌の世界でも、「知名度が低い」という現実をつきつけられ挫折。放蕩息子の帰還のように、’51年にはエリントンの元に戻ります。
<ラッシュ・ライフ>
 再び二人の共同作業が始まって、更にエリントンはステイタスを高めるのですが、今度はビリー・ストレイホーンを出来るだけ前面に出して気遣いを示します。二人の第二期黄金期の代表作、『くるみ割り人形のジャズ・ヴァージョン』のジャケットに、二人の顔写真が並んでいるのは、エリントンの気遣いを象徴したものだ。それでも、抵抗勢力との確執は続いた。エリントンという大所帯にはビリー・ストレイホーンの名声は別不要なものだった。ストレイホーンが終生、名声を得られなかったのは、人間としてのエリントンより、エリントンが抱える組織の事情が大きかった。
Duke Ellington - The Nutcracker Suite
 ナット・キング・コールがヒットさせた<ラッシュ・ライフ>には、そんな彼の行き場のない思いが感じられます。
 焦燥感を紛らわせるために、父親同様、酒に溺れそうになるストレイホーンにとって、希望を与えてくれたのが、キング牧師と自由公民権運動です。フラナガンや寺井の得意とするU.M.M.Gは、同じキング牧師の支援者で、ボランティア活動に貢献したエリントンの主治医に捧げた曲なんです。でも、ワシントン大行進の頃にはストレイホーンは食道がんに侵され、今までのような享楽の生活は叶わなくなっていた。
 エリントンは、病魔と闘うストレイホーンの最期まで、経済的な援助を続けた。リノのカジノで悲報を受けた時には、その場で泣き崩れたと言う。ストレイホーンの葬儀でのエリントンの表情、エリントンの音楽と同じように、言葉では言い表せない深い思いが読み取れて、どんな名画のシーンよりも心を打たれます。
 ハイドゥの言うようにエリントンはストレイホーンを利用した打算的な人間だったでしょうか?私にはそう思えない。エリントン楽団が亡くなったストレイホーンに捧げたアルバム、『And His Mother Called Bill』(’67)を聴くと、どうしてもそうは思えないのです。
エリントンやストレイホーンを知らない人も、このアルバムは一度聴いてみて欲しい!
 エリントンは自伝にこんなことを書いています。
 「芸術家たるもの、自分の信条は、言葉であれこれ言うべきものではない。自分の作品で表現することこそ芸術家の使命なのだ。」

寺井珠重の対訳ノート(8) <Something to Live For>

Billy_strayhorn-Duke_ellington.jpeg 左:デューク・エリントン、右:ビリー・ストレイホーン 
 昨日のジャズ講座では、待望の『Tokyo Recital/ Tommy Flanagan3』を皆で聴くことが出来ました!エリントン楽団の名演をピアノトリオで演るには、キーを変え、キーター・ベッツ(b)と、ボビー・ダーハム(ds)の妙技を120%生かす…フラナガンの頭の中が講座で少し覗けた気がしました。
  寺井尚之が歌詞付きの譜面を出して解説した名曲が今も心の中で鳴っている。それは、青春の危うさと、希望の炎が、陽炎(かげろう)の様にきらめく不思議なバラード、<Something to Live For サムシング・トゥ・リブ・フォー>、OHPに出された五線紙上の歌詞が余りに小さくて、もったいなかった。だって、トミー・フラナガンのピアノは、この歌詞をストレートに歌い上げたものだったから。
 寺井の膨大な譜面には、歌詞を書き込んだものや、対訳まで横に付けているものが多い。
 ストレイホーンが二十歳になるかならない青春時代に書いたものです。デューク・エリントン=ビリー・ストレイホーンの共作とクレジットされているけど、実はストレイホーンが初めてエリントンを訪ねた際、持参した譜面の中で一番気に入られた曲だと言います。早くも翌年には、レコーディング(’39)された。現実のビリーは、ピッツバーグで暖炉も別荘もなく、アル中の父から家庭内暴力すら受けていたと言います。だけど、この作品は現実逃避のファンタジーというには、メロディも歌詞も余りに愛らしい。
 昨夜、歌詞が小さすぎて判りづらかった皆様に、それから、昨日だけよんどころない事情で来れなかった、いつもの仲間に感謝を込めて!
 
Something to Live For/ Billy Strayhorn/Duke Ellington


<Verse>
I have almost everything
 a human could desire,
Cars and houses, bearskin rugs
To lie before my fire,
But there’s something missing,
Something isn’t there,
It seems I’m never kissing
The one whom I could care for,

<Chorus>
I want something to live for,
Someone to make my life an adventurous dream
Oh, what wouldn’t I give for
Someone who’d take my life and make it seem
Gay as they say it ought to be.
Why can’t I have love like that brought to me?

My eye is watching the noon crowds,
Searching the promenade,
Seeking a clue
To the one who will someday be
My something to live for.

<ヴァース>
 人がうらやむ贅沢も、
 殆ど私は手に入れた。
 車や家や別荘も、
 熱い暖炉のその脇の、
 熊の毛皮の敷物も…
 なのに何かが欠けている。
 どうやら、私にないものは、
 本当の恋人、燃える恋。

<コーラス>
 求めるのは生きる喜び、
 冒険の夢を見せてくれる人、
 私の命を輝かせ、
 それが定めと言うのなら、
 その人のために進んで死ねる、
 そんな恋がしたいのに。

 昼間の喧騒の町、
 私は人の行きかう通りを探す。
 運命の糸口が開けるように、
 私の生きがいとなる、
 その人の手掛かりを求め。



下は、エラ・フィッツジェラルドとデューク・エリントン楽団のヴァージョン、ピアノはフラナガンが伴奏者として絶賛するジミー・ジョーンズです。
 
 トミー・フラナガンのTokyo Recital (Pablo)もぜひ聴いてみてください!これはもう、最高です。 
CU