20th トリビュート・コンサートありがとうございました!

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 3月17日(土) 第20回トリビュート・コンサート開催!拍手や掛け声、お供えや激励メールなどなど、温かい応援は値千金!私の心もポカポカして涙腺がゆるくなりました。
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 生前のトミー・フラナガンの名演目は、どなたもご存じのスタンダード・ナンバーはないけれど、一度聴いたら忘れられない、強烈な個性を持つ名曲ばかり!
 演奏した寺井尚之The Mainstem(宮本在浩 bass, 菅一平 drums)は、それぞれの演目の持ち味をスカっと出して魅せてくれました。耳を澄ませたくなるピアニッシモから、壁が一緒に振動するようなフォルテッシモまで一糸乱れぬダイナミクス、新しいアイデアも各所にちりばめられて、音楽をよくご存じのお客様たちの瞳がキラリ!
 今回、私が個人的に驚いたのは、通常、満員のコンサートでマイク音量を最小限にしていると、一番後ろででは、どうしても音量が微妙にしぼんでしまうのですが、今回は、奥までバランスの良いピアノ・トリオのサウンドがビシビシ届いて来たことです。
 コンサートを重ねても、演奏内容が煮え詰まって濃くならないのは、プレイヤーの努力か、聴き手の心意気か・・・芸術は片方だけでは成り立たないものと、最近つくづく感じます。前回から、お客様のひとことがきっかけで、トリビュート・コンサートにMCが沢山入るようになりました。トミー・フラナガンが亡くなってからジャズに興味を持った若いお客様のためにもよかった~♪
 なお、コンサートCD3枚組がもうすぐ出来上がります。ご希望の方はJazz Club OverSeasまでお申し込みください。演奏曲目の詳しい解説は後日HPに掲載予定です。
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<演奏曲目>

1. Bitty Ditty ビッティ・ディッティ (Thad Jones)
2. Beyond the Bluebird ビヨンド・ザ・ブルーバード (Tommy Flanagan)
3. Thelonica- Minor Mishap セロニカ~マイナー・ミスハップ (Tommy Flanagan)
4. Embraceable You- Quasimodo エンブレイサブル・ユー~カジモド (George Gershwin- Charlie Parker)
5. Sunset and the Mocking Bird サンセット&ザ・モッキンバード (Duke Ellington)
6. Eclypso エクリプソ (Tommy Flanagan)
7. Dalarna ダラーナ (Tommy Flanagan)
8.Tin Tin Deo ティン・ティン・デオ (Chano Pozo, Dizzy Gillespie, Gill Fuller)

1. That Tired Routine Called Love ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラブ (Matt Dennis)
2. They Say It’s Spring ゼイ・セイ・イッツ・スプリング (Bob Hayms)
3. Rachel’s Rondo レイチェルズ・ロンド (Tommy Flanagan)
4. Celia シリア (Bud Powell)
5. If You Could See Me Now イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ (Tadd Dameron)
6. Mean Streets ミーンストリーツ (Tommy Flanagan)
7. I’ll Keep Loving You アイル・キープ・ラヴィグ・ユー (Bud Powell)
8. Our Delight アワー・デライト (Tadd Dameron)
Encore:
With Malice Towards None ウィズ・マリス・トワード・ノン (Tom McIntosh)
Ellingtonia Medley 
A Flower Is a Lovesome Thing  ア・フラワー・イズ・ア・ラブサム・シング
Chelsea Bridge チェルシーの橋
Passion Flower パッション・フラワー
Black and Tan Fantasy 黒と茶の幻想

 24日の土曜日は、トリビュートの原点、寺井尚之ミュージックの原点とも言える、トミー・フラナガン黄金トリオ(ジョージ・ムラーツ bass, アーサー・テイラー drums)の、伝説的コンサートの秘蔵音源を聴く会開催!
 トミー・フラナガン渾身のプレイとアナウンス、涙腺のゆるくなった私と一緒にオイオイ泣きましょう!
CU

4/7(土) 東海のバディ・リッチ 林宏樹(ds)トリオ!

 東大寺のお水取りが終わると関西に春が来る!とはいえ、地震多発で、なかなかウキウキできません。皆様、いかがお過ごしですか?
 3月17日(土)は、トミー・フラナガン生誕を記念して、第20回目のトリビュート・コンサート開催します。チケットはお求めになりましたか?今回もCDを作りますので、OverSeasまでお申し込みください!今月はトリビュートの後も「トミー・フラナガン3の秘蔵音源公開イベント」、「フラナガニアトリオ・リユニオン」など、関連イベントを行いますので、ぜひお立ち寄りください。
 先日、渋い中年の紳士がおひとりでお越しになりました。ライブの休憩時間にお話を伺うと、約30年前の学生時代に、トミー・フラナガンが好きだったので、OverSeasに来られたことがあるそうです。その時、「僕のような若造は似合わない落ち着いた店だ。50になったらまた来よう!」と決意、50歳になったので、その決意をしっかり実行されたとか。「いやあ、楽しかったです。また来よう!」ですって!自分が年寄りの中古女になったのを実感しましたが、学生時代のことをずっと覚えていてくださってとても嬉しかったです。・・・とにかく店があってよかった!
 その紳士は、卒業してから仕事一筋だったけど、これからは音楽や芝居を楽しむ人生に方向転換するんだと、おっしゃっていました。寺井尚之の学生時代の音楽仲間たちも、子供さんが成人され、クローゼットに仕い込んでいた愛用楽器をチューン・アップして練習を始めたという話をよく聞きますし、寺井尚之ジャズピアノ教室も社会人バンドで活動するミュージシャンの入門が多いです。
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 英語では、ミュージシャンの昼間の仕事を” day gig” なんて言いますが、昼も夜もgigをこなして○十年、昼は会社のエラいさんとして時には中国まで駆け回り、夜は実力派ドラマーとして、三重県を本拠に全国で演奏を続けるアマチュア・ミュージシャンのヒーローがいます!「東海のバディ・リッチ」と謳われる林宏樹さんです。
 髪は白いけど、心は少年みたいに無垢で明るい林さんは、私の母校でもある、大阪府立泉陽高校、関西大学が誇りとする大先輩。とにかくドラムのテクニックが凄い!だからハイパワーのドラムソロのキレが良くて、ちっともうるさくないんです。林宏樹のプレイに鼓舞されて、最近ジャズ・ライフを再開した先輩方も!
 来る4月7日(土)、林宏樹(ds) OverSeasに出演!共演は盟友、寺井尚之(p)と、林先輩お気に入りベーシストの宮本在浩(b)です。
 今回は林トリオに、サプライズな仲間たちも参加予定。熟年のオーラとパワーに元気もらえますよ!
 ぜひ一度、ハイテク&ハイパワー・ドラマー、林宏樹(ds)を聴きに来てください!
4月7日(土) 林宏樹(ds)トリオ!
寺井尚之(p)
宮本在浩(b)
Music: 7pm-/8pm-/9pm- (入替なし)
ライブ・チャージ:¥2,625(要予約)

 では、トリビュート・コンサートでCU!

J.J.ジョンソン北欧ツアー秘話

無題.png 今週の土曜日、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は”J.J. Johnson Live in Sweden 1957″が登場!レギュラー・バンドの演奏の緻密さ、すごさと共に、トミー・フラナガン・ファンにとっては、『OVERSEAS』録音直前の貴重な記録でもあり、講座にあたって、このヨーロッパ・ツアーのことを調べていると、色々面白い事実を発見したので、ここに書き留めておきます。
<初めてのヨーロッパ・ツアー!>
 このツアーは、スウェーデン政府の招聘によるもので、J.J.ジョンソン初めてのヨーロッパ・ツアーでした。故郷インディアナポリスの新聞“The Indianapolice Recorder “(’57 6/22付)には「地元出身トロンボニスト、スウェーデンを席巻!」と大見出しで報道されています。当時、J.J.はジャズ史上最悪の条例、NYキャバレー法のトラブルで、正式なNYでのクラブ出演に制約があったのですが、素晴らしいミュージシャンであることを海外が認めてくれたわけで、J.J.も「よっしゃ!」と気合が入ったに違いありません。何事も緻密に計画するJ.J.はツアーの前年に、まずエルヴィン・ジョーンズを誘い、エルヴィンが、タイリー・グレン(tb, vib)のバンドで一緒だったトミー・フラナガンを誘い、J.J.のバンドに参入。”J Is for Jazz”や”Dial JJ5″など、レコーディングを重ね、出発直前にはカフェ・ボヘミアに出演し、レギュラーとして体裁が十分に整ってからツアーに臨みました。トミー・フラナガンが、スウェーデンからNYに派遣されていたプロデューサー、ダールグレン氏に録音の要請を受けた後、「OVERSEAS」のアイデアを練る時間も十分あったのかも知れません。
<豪華客船の旅と新兵器!>
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 1957年6月、J.J.ジョンソン、ボビー・ジャスパー、トミー・フラナガン、ウィルバー・リトル、エルヴィン・ジョーンズ一行はNY港から船で北欧に向かいました。アルバム・ライナーでは「6月13日首都ストックホルムに到着後、翌日の14日にさっそくラジオ出演(本作1~5の演奏)」と書かれていますが、国立アメリカ歴史博物館所蔵のエルヴィン・ジョーンズの証言では「コペンハーゲンからツアーをスタートし、数日後ストックホルムへ向かった。」 とありました。とにかく、昔のことなので記憶があいまいなのかも知れません、でも、はっきりとエルヴィンが覚えているのは船旅の快適さ!数日の船旅の間はごちそう三昧で、「ヨーロッパ旅行は船に限る!」と思ったとか。
cbf5c97e6727066b97bbe8f21d397107.jpg また、このアルバムでは、トロンボニウムという耳慣れない名前の楽器が使われています。これは、J.J.の言葉を借りれば、「バリトン・ホーンとフリューゲル・ホーン、あるいはユーフォニウムとかメロフォンを足して二で割ったような楽器。」。ツアーの前年に、カイ・ウィンディングと、金管楽器メーカー「KING」の工房を訪問した際、ひょんなことから「これ持ってって使ってみなよ。」ということになり、二人で一生懸命練習して、ツアー前年にJ & Kaiで”Piece For Two Tromboniums”をレコーディングしています。スライド・トロンボーン主体で、元々ヴァルヴ楽器奏者でなかったJ.J.にとって、トロンボニウムを吹きこなし、まして自由にアドリブをするというのは「かなりの根性と稽古が必要だった。」と言いますから、折角自分の思いのままに動くようになった楽器を、このツアーで使ってみようと思っても不思議はないかも知れませんね。それとも、何らかの事情で、スライド・トロンボーンよりも使い勝手が良かったのかも知れません。
<ジャズの巨人 蚊に泣く>
 ツアーは、デンマーク、スウェーデン、フランス、オランダ、それにボビー・ジャスパーの故国、ベルギーと約3か月の長期にわたって各国を回るものでした。当時のダウンビート誌には、どこに行っても景観ばかりで、J.J.ジョンソンが「バンドのメンバーが皆で使えるように3台のカメラを購入し、毎日フィルム10本分パシャパシャと撮影し、イーストマン・コダック社(!)の利益に貢献した。」と書かれていて、時代を感じます。今なら、TwitterやFacebookのJJのアカウントに、沢山観光やグルメの写真がアップされていたかも知れませんね!
kungsan.jpg マシュマロ・レコードの上不三雄氏から、スウェーデンの公演は、ほとんどが野外だったと教えていただきました。エルヴィン・ジョーンズの証言では、スウェーデンでは、どの町にも必ず大きな公園があり、いろんなイベントが公園で開催されていたそうです。北欧の短い夏でもやはり蚊はいるようで、メンバーはどこに行っても蚊の襲撃に悩まされ続けたそうですが、どこも満員の大盛況!ストックホルムのヴぇニューは、”Kungstrad garden”(王様の公園)というところで、J.J.ジョンソンクインテットの単独公演に、なんと2万人の聴衆が詰めかけました。大群衆を前にしたエルヴィン・ジョーンズは「今夜ばかりは、スティックを落っことしちゃいけない…」と肝に銘じたそうです。
 当時J.J.ジョンソン33才、ボビー・ジャスパー31才、エルヴィン・ジョーンズ、ウィルバー・リトル29才、トミー・フラナガン27才、皆若いですから、コンサートがハネるとジャム・セッションで盛り上がりたいところ…でもストックホルムにはジャズクラブがなく、現地のミュージシャンが待つレストランでセッションが行われたそうです。ですからシンデレラのように、閉店時間の零時には解散し、NYで蓄積した睡眠不足の解消に役立ったとか…J.J.ジョンソンはその時、印象に残ったミュージシャンにスウェーデンのトロンボーン奏者、オキ・ペルソンを挙げています。
 一行は更に各地を回り、アムステルダムの名ホール、”コンセルトヘボウ”の音響の素晴らしさにJ.J.は感動!ステージで囁くと、最後部で同じように聞こえる。マイクなんて必要ない!と絶賛しました。そのコンサートの模様も、最近リリースされたので、来月の講座で解説予定です。
<クビになったエルヴィンとソニー・ロリンズの名盤>
 J.J.ジョンソンとトミー・フラナガンのファンなら、ボビー・ジャスパーとエルヴィン・ジョーンズを擁する、バランスのよいこのクインテットと、その後『J. J. in Person 』などで聴ける、弾けるようなナット・アダレイ(cor)とアルバート”トゥティ”ヒース(ds)のクインテットと、どちらが好きかで話題が盛り上がりますよね。
 寺井尚之はかねてからこんな風に断言していました。
 「J.J.みたいなきっちりしたタイプやったら、エルヴィンのドラムはリズムが流れるところがあるから、絶対アル・ヒースの方が好みやと思う。今やったらルイス・ナッシュ(ds)が好みやろうな。」これをぴったり裏付ける事実をエルヴィン・ジョーンズのインタビューに発見してびっくり仰天!
 J.J.ジョンソンは、この輝かしい楽旅が終わった途端、アルバート”トゥティ”ヒースに共演を約束し、エルヴィンにはクビを言い渡したというのです。その理由は「君はタイムキープができない。」というもので、激怒したエルヴィンは、帰国後フィラデルフィアとNJのクラブ”Red Hill Inn”のギグを消化した後、さっさと辞めてしまうのです。
 恐るべし寺井尚之!ジャズ講座の実績はダテじゃない!
sonnyrollinsvillagevanguard.jpg 1957年11月3日、「君はタイムキープができない。」ドラマーにとって最悪の言葉でクビにされたエルヴィンがNYに戻り、兄のトム(9人兄弟です)と一緒に昼間からダウンタウンでヤケ酒を飲んでいると、ベースのウィルバー・ウエアがやって来て「ソニー・ロリンズがお前のことを捜してるぞ!」と告げます。
 誘われるままヴィレッジ・ヴァンガードに行くと、ロリンズが出演中、誘われるまま、丸一日遊びで一緒に演奏してしまいました。そうしたら、その日はなんとBlue Noteのライブ・レコーディングの日だった!本来のドラマー、ピート・ラロッカではなんとなくサマにならなかったので、エルヴィンを捜していたんです。出来上がったのが、なんと、古典と謳われる『A Night At The Village Vanguard』でも、エルヴィンは遊んだだけなのでギャラは1セントもなし!
ロリンズは“Oh, man thank you.”とお礼を言っただけ、エルヴィンは“Oh, man shit!”って悪態をついただけだったんですって!
 エルヴィンがJ.J.にクビにされていなければ、ロリンズの人気アルバムも生まれてなかったというウソのような話ですが、スミソニアン歴史博物館にしっかり所蔵されています。同じアーカイブにあるJ.J.ジョンソンのインタビューや、以前ジャズ史家アイラ・ギトラーさんに教えていただいた、J.J.ジョンソンの評伝「The Musical World Of J.J. Johnson」などから、色んなことを根掘り葉掘り・・・
 というわけで、今回のLive in Swedenの後にライブ録音された『Live in Amsterdam』や『OVERSEAS』のこぼれ話は、また機会を改めて!
 土曜日は「トミー・フラナガンの足跡を辿る」にお待ちしています!
 おすすめ料理は「チキンの春野菜ソース」にします!
CU

トミー・フラナガン誕生の3月です!

 トミー・フラナガンの誕生月、3月到来!大阪城の梅の花も咲き始めました。皆様、風邪や花粉症は大丈夫ですか?
 今月OverSeasではトミー・フラナガン関連のイベントを数多く行います。トミー・フラナガン・ファンはもちろん、「トミー・フラナガンってイギリス人の俳優でしょ?」と半信半疑な方も、ぜひ一度お越しください!
① 3/10(土) 「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
6:30pm開講 受講料 2,625yen

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 長年、トミー・フラナガンの録音歴に沿って、アルバム紹介や音楽の解説を続ける大河ドラマ講座、誕生月に相応しく、トミー・フラナガン3の初期の名盤『OVERSEAS』を録音した時のJ.J.ジョンソン5でのスエーデン公演の模様を収録したアルバム『J.J. JOHNSON In Sweden 1957 』(マシュマロ・レコード)を一緒に楽しみます。
 上不三雄氏のライナーノートによれば、このツアーは1957年の6月から2か月にわたってスエーデン~オランダ~ベルギー~ドイツと続く長旅だったとのこと。『OVERSEAS』は、スエーデンのブッキング終了のオフ日に録音されたようですね。
 メンバーはJ.J.ジョンソン、ボビー・ジャスパー、リズム・セクションは勿論『OVERSEAS』のトミー・フラナガン、ウィルバー・リトル、エルヴィン・ジョーンズという鉄壁クインテット!優雅なアンサンブルと圧巻のソロ・プレイで強烈にスイングします。取り直しのきかないライブ録音にもかかわらず、顕微鏡で見てもシミひとつ発見できない完璧なパフォーマンス!それなのに石橋を叩いて渡る安全策なんて皆無!スリルいっぱいの大胆プレイにシビれます。
 ジャズ界のパトロン、パノニカ男爵夫人の有名な質問「三つの願いは?」J.J.ジョンソンの答えは「思いのままに演奏できるようになりたい。」でした。これが「思いのまま」でなかったとしたら、J.J.ジョンソンの目指す音楽はどんなだったんでしょう?
 『OVERSEAS』時代のトミー・フラナガン(27歳)に思いを馳せながら、寺井尚之の解説を一緒に聴きましょうね!
②3/17(土) <第20回 Tribute to Tommy Flanagan>
演奏:寺井尚之(p) メインステム:宮本在浩(b)、菅一平(ds)
7pm-/8:30pm-
前売りチケット 3,150yen
当日 3,675yen

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 当店の「法事」とも言うべき年2回のコンサート、今年はフラナガン誕生日の翌日に開催いたします。
 先週和訳したピーター・ストラウブのライナーにもあるとおり、往年のトミー・フラナガン・3はハイパワー・大型マシンと言うべき物凄いもので、「エレガント」や「控えめな」という決まり文句を遥かに超えたものでした。
 寺井尚之、宮本在浩(b)、菅一平(ds)のThe Mainstemの渾身のトリオ・プレイで、その雰囲気をほんの少しでも感じて頂ければ本望!
 おいしいお料理や飲み物と共に、ひとときご一緒いただければ私も本望です!
③3/24(土) <伝説のトミー・フラナガン・トリオ 秘蔵音源を聴く会>
開演:7pm~
参加料2,625yen

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 トミー・フラナガン生誕82周年を祝し、OverSeasの家宝音源を初公開。時は1984年12月14日、トミー・フラナガン3、日本初のクラブ・ギグ!ジョージ・ムラーツ、アーサー・テイラーとの超大型トリオの伝説のコンサートにタイムマシンでワープしましょう!
 このトリオの録音は『Thelonica/Enja』のみ。OverSeasの伝説のコンサートの曲順は以前書きました が、この上なくハードなプログラム!中でもⅠ部(セロニアス・モンク)とⅡ部(デューク・エリントン)のメドレーが圧巻です。
 このコンサートが終わった後、寺井尚之は正式にトミー・フラナガンの弟子となりました。ピアニスト、寺井尚之の原点がどういうものなのか、このコンサートを聴くと判ります。
 あの時に生まれてたあなたも、影も形もなかった君も、皆で一緒に聴きましょう!
④3/31(土) <Flanagania Trio Reunion!>
出演:フラナガニアトリオ
寺井尚之(p)
宗竹正浩(b)
河原達人(ds)
Live Charge 2,625yen 

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 寺井尚之は今年還暦!WOW! Young at Heartで今年もやりますリユニオン!
 今日もオーストラリアから、一日中『Yours truly,』を聴きながら過ごしているよと、オージー・ガールからメールが来ました。ベテランだからって枯れてませんよ。ギンギンギラギラの演奏をお聞かせします。
 フラナガニア・ファン全員集合!
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 3月の土曜日は、ぜひOverSeasでお過ごしください!
 どなたさまも心よりWELCOME!
CU

ミステリー作家のライナーノート:Sunset & The Mocking Bird

 春のトミー・フラナガン・トリビュート3月17日(土)に!
 今日は先日の第100回記念足跡講座に登場した名盤『Sunset and The Mocking Bird: Birthday Concert』のライナーノートを和訳をしてみました。
 ジャズやジャズメンの登場するミステリーを得意とする小説家ピーター・ストラウブの書き下ろし。多分、フラナガン夫人、ダイアナの希望だったんでしょう。ダイアナは読書が大好きですからね。ストラウブの著作は”Pork Pie Hat”とか”If You Could See Me Now”といったタイトルがずらり。このライナーもジャズ・ライターとは一味違う味わいです。
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 トミー・フラナガン、 67才の誕生日の夜、彼がヴィレッジ・ヴァンガードへ続く階段を下りる時の思いは、7年間に渡るルイス・ナッシュ、ピーター・ワシントンとのトリオで最高の演奏を、という、大変だが楽しい仕事以外の事はなかったろう。だが、トミー・フラナガンは思いに耽り時間を浪費するような事はしない。彼のトリオのメンバーは、常に良く反応し合い、独創性とウイットに富み、非の打ち所がなくパワフルだ。 ピアノトリオという形態を、完璧な姿で具現してみせるのである。
 その夜のフラナガンの演奏が、我々の期待を遥かに上回ったのは、次の要因が考えられる。ヴィレッジ・ヴァンガードの素晴らしい音響と、由緒ある歴史:トミーはここで演奏するのが大好きだ。だがフラナガンは年表など無意味とでも言うように無関心な態度をとる。つまるところ、たまたま誕生日に、気が付くと、巨匠として長年認められてきた者に相応しい、溢れる活力で演奏していただけの話、ということになる。
 トミー・フラナガンが現在の名声へ至る道程と業績は、しばしば誤解されているので、簡単に述べておいてもいいだろう。
  フラナガンはデトロイト近郊、コナント・ガーデンズに生まれた。そして、彼の言を借りるなら、「ピアノの椅子によじ上ることができるようになるや否や、ピアノを”いじくり”始めた。」その後、クラリネットとしばし浮気した後、小学生の時にピアノのレッスンを始める。すでにファッツ・ウォーラー、テディ・ウイルソン、アート・テイタムに馴染んでおり、ハイスクールに入学すると、ナット・コールやバド・パウエルを聴きながら、’40~’50年代にデトロイトで開花する大量のジャズの才能の一翼を担う準備を進めていた。
 やがて成長したフラナガンは、ケニー・バレル、ぺッパー・アダムス、エルビン・ジョーンズ、ジョー・ヘンダースンなど、ジャズ界に大きな変化をもたらす宿命のデトロイト・ミュージシャン達と共演する。NY進出後、僅か数週間、1956年3月に、サド・ジョーンズのアルバムでレコーディング・デビュー、3日後にはマイルス・デイビス、ソニー・ロリンズと録音。真夏にはJ.J.ジョンソン・ クインテットの一員として再びスタジオ入りし、1958年迄にコールマン・ホーキンスと共演した。
 ’50年代後半と’60年代の大部分、フラナガンは、おびただしい数のレコーディングに参加。家へ帰るより、ルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオのソファで寝泊まりした方が良かったと思うほどだ。それらのレコードは全て賞賛に値し、中にはそれ以上に価値ある作品もある。発表されたその日から「古典」となった名盤、『ソニー・ロリンズ/ サクソフォン・コロッサス(’56)』衆目一致のジャズ史上記念碑的作品『ジョン・コルトレーン- ジャイアント・ステップス(’59) 、ジーン・アモンズ作品の内、もっとも優れたアルバム『ボス・テナー(’60)』、ローランド・カークの『 アウト・オブ・ジ・アフタヌーン(’62)』 などで必要不可欠な役割を演じ、30代前半までに、ジャズピアノの伝統と音楽の発展に活発に貢献していたわけだ。
 エラ・フィッツジェラルドも彼を聴いた時、すぐにその長所を見抜き、1962~65年の間共演、3年後にはミュージカル・ディレクターとして再び彼を迎えた。以降10年間エラの所に留まり、フラナガンは、理想の伴奏者の代表であると同時に、ジャズミュージシャンといえば、ルイ・アームストロング以外聴いたことのないというような何百万のファンに愛される偉大なボーカリストの後ろに控える「2番手」として再定義され、或る種、精神的に複雑な恩恵をもこうむることになった。
  過去20余年、フラナガンの実力が目覚しい進化を遂げるのに対して、彼について書かれた評論は、その真価とはあまりにもかけ離れた、おかど違いのものであった。「エレガント」「垢抜けた」「詩的」、「控え目」「抑制の利いた」というような形容詞が余りにも頻繁に登場するせいで、チャーミングなフラナガン氏が供する音楽とはマラルメの詩のように毒にも薬にもならないもので、サロンに漂う紫煙の如きBGMと言わんばかりである。そういう固定観念は、言わせてもらえば“お笑い草”である!
 実際のフラナガンは情熱的で、途方もなく力強いピアニストだ。そのフレーズの一つ一つにこもる気迫に気付かぬ虚けたサイドメンは、バンドスタンドから吹き飛ばされてしまう程だ。明瞭な表現や、霊感が移り変わる時の凛とした冷静さには、たしかに「エレガント」という形容があてはまるかもしれないし、「エレガント」であるならば「垢抜けて」いるのが必然とはいえ、彼の音楽は、モハメド・アリの左手と同じ位デリケートである。
  ピーター・ワシントンとルイス・ナッシュの殆どテレパシーのような助けを借り、フラナガンは自分のトリオを、彼自身のスタイルで、見事に発展させ膨らませる。トリオは気合いに溢れ、観客の注意を否やが応にも引きつけて、うねり、流れに浮揚し、しばし躊躇したかと思えば、また流れ出す。引用やほのめかしを紡ぎ出し、突然フェイントを仕掛け、情に流されず、優雅に、ひらりとかわしていく。このトリオを聴けば、他の殆どのバンドは決まり切ったことしか演っていないようにさえ思えてしまう。
 彼のトリオはどんな瞬間にも、100万分の1秒単位で動く、3人は全く同時に、寸分たがわぬ方向にターン出来るし、各人のパートがトリオのサウンドとして、コンパクトにがっちりと組み合わさっている。
tommy__flanagan.jpg 1997年3月16日、トミー・フラナガンは、隅々まで知り尽くし、意のままに操ることのできる、ハイパワー大型「ピアノトリオ」というマシンの操縦席に座ってハンドルを握り、アクセルを床まで踏み込んだ。
  サド・ジョーンズの” バード・ソング” は、チャーリー・パーカーの”バルバドス”を想起させる。フラナガンは漫画のウッドペッカーが木をつついている様なウイットで始め、ルイス・ナッシュがアート・ブレイキー的なドラムの返礼をしている間に、モンクの引用へとスムーズに移行していく。ピーター・ワシントンはベースでテナーの如く雄弁なソロをとり、ルイス・ナッシュはバースチェンジで、優れたドラマーがメロディをどれほど素晴らしく展開するのかを証明して見せる。
  トム・マッキントッシュの賛美歌的な“ウイズ・マリス・トワード・ノン” は安定感があり強烈なフラナガンのソロを導く。そのソロはテーマのメロディからダイレクトに出てきたもので、霊感を与えられたピーター・ワシントンはピアノがソロを終える前に「サンクス・フォア・ザ・メモリー」を即座に引用、あたかもビッグバンドが雄叫びを上げるような効果を生み出す。エンディングはゴスペルの聖歌隊が唄いかけてくるようだ。
  さらにトム・マッキントッシュ作品が2曲メドレーで。恐らくこれが本作のハイライトだろう。フラナガンは “バランスド・スケール” を、ルバートから始め、音符のひとつひとつの意味に輝きを与えようと、ハーモニーを探る一方、この美しいメロデイに呼吸する間を与えてやる。鐘のようなフレーズは悔恨の念へと移り変わると、音楽が自らを語り始め、ドラマの幕が開く。下降していくメロディが短いアドリブへなめらかに移行し、次に何が起こるかと緊張した空気が流れたと思いきや、突如『戦闘準備!』の号令がかかり、切れ目なく”カップベアラーズ” へと鮮やかに展開する。その緊張感は、歯切れ良く強烈なスイング感へと変化する。フラナガンのソロがハっとするようなフレーズから始まる。まるで『準備はいいかい? これから話す事があるんだよ。』と語りかけているようだ。バンドのメンバーの完璧なサポートに『神の子は皆踊る』という名文句を思い出した。
 ピーター・ワシントンがベースで語るエッセイはまるでオスカー・ペティフォードとスタン・ゲッツに同時にチャネリングしているようで、文節毎に往きつ戻りつする。トミーはルイス・ナッシュと4バースと8バース・チェンジを設定。ナッシュは当夜のライブでずっとそうなのだが、ここでも現存するスモールグループ・ドラマーのナンバー1であることを、実証してみせる。
  ラストナンバー“グッドナイト・マイ・ラブ” はシャーリー・テンプルの1936年の映画 <ストウアウェイ>の為に、ハリー・レベルとマック・ゴードンが書いた曲。フラナガンはソロでヴァースとテーマを1コーラス、シンプルに演奏する。それは彼の美点である豊かな洞察力を通して、この古臭く可愛らしい曲を高度に仕立て直し、偉大なミュージシャンだけが発見することが出来る深い感情を注入することで、この曲を芸術にまで高めた。
 聴衆に謝辞を述べた後、フラナガンは妻に向かって「どこにいるんだい? マイラブ!」と尋ね、この非常に感動的な演奏が実は、妻に対するメッセージであったことを吐露する。
 するとクラブの後ろの方から、ダイアナ・フラナガンが彼に呼びかける。「ここよっ、バード!」、それはトミーのデトロイト、ノーザン高校時代の同窓生、シーラ・ジョーダンが、チャーリー・パーカーのバルバドスにつけた歌詞、「マイルスはどこ?」という問いかけに対する答えであった。 (了)
CU

春のトミー・フラナガン・トリビュートは3月17日(土)に

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 先週は第100回「トミー・フラナガンの足跡を辿る」講座にありがとうございました。寺井尚之は、これからも、トミー・フラナガンの足跡を楽しく巡礼する所存です。変わらずご支援のほどお願い申し上げます。
 大阪も相変わらず寒いですが、日差しはほんの少し春を気配。来月の16日は、トミー・フラナガンの誕生日ですね!今年のトリビュート・コンサートは、誕生日の翌日の土曜日、3月17日に開催します。
 100回分の足跡講座に費やした努力が、トリビュート・コンサートを弾き切る肥やしになっている寺井尚之です。
 演奏はもちろんThe Mainstem!ベーシストの宮本在浩さんは、足跡講座100回フル出場の快挙!ドラムスの菅一平さんも、それに続けと皆勤中です。
 今年はどんな曲になるのでしょうか?春の展開が楽しみです!
 トリビュート・コンサートは楽しい集い!OverSeasのお父さん、ピアノの巨匠!トミー・フラナガンを思いながら、楽しい演奏と、飲み物やお料理でご一緒に!
<第20回 Tribute to Tommy Flanagan>
演奏:寺井尚之(p) メインステム:宮本在浩(b)、菅一平(ds)
7pm-/8:30pm-
前売りチケット 3,150yen
当日 3,675yen

OverSeas、トリビュートのページ
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祝100回「トミー・フラナガンの足跡を辿る」

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 トミー・フラナガンの全ディスコグラフィーを時系列に聴きながら、その人生と音楽を検証する大河シリーズ、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」、OverSeasで毎月第二土曜日に開催してきた恒例イベントが今週の土曜日で、第100回を迎えます。
 寺井尚之が足跡講座を企画したときは、「そんなんおもろない!」「終わるまで店があるかどうかわからん」「寺井さんが生きてる間に終了するんかい?」と反対噴出、喧々諤々(ケンケンガクガク)になりました。
 結局、「わしは師匠のためにやるんや!」と、寺井が強行突破、初回は2003年11月、最初に取り上げたのが”Kenny Burrell Vol.2″、以降、毎月第二土曜日に休講なし。
 「ジャズ名盤事典」に載ってる有名盤から、非売品の超稀少盤まで、傑作から凡作まで、時代背景や、録音のいきさつ、各ミュージシャンとフラナガンのかかわりといった状況証拠から、全収録曲のキーや構成、ソロのまわし方、歌詞のあるものは全て対訳を作り、「これぞ!」の聴きどころを仔細に解説し、足かけ9年。
 ここまで続けてこられたのは、ひとえに参加くださるお客様の応援と、ジャズ評論家、後藤誠氏の後方支援のおかげです。それがなければ、僅か数回で終わっていたでしょう。
 一般的にはB級評価でも、素晴らしいアルバムだと判ったり、超名盤でも、あっと驚くエラーを見つけたり、回を重ねるたびに楽しみも深くなって来ます。何よりも出席してくださるお客様と一緒に、音楽の深さを分かち合うのは、本当に楽しいです!
 講座の準備には途方もない時間と労力が必要ですが、それが寺井尚之のプレイの肥やしになっているように思います。生講座だけでなく、本も楽しみにしていただいているのも、ありがたいことです。
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default.jpeg 第100回記念「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、お日柄も良く(?)フラナガン・トリオのライブ盤、『Sunset & the Mockingbird – Birthday Concert 』が登場!
 1997年3月16日、67歳の誕生日を迎えるトミー・フラナガンは、ピーター・ワシントン、ルイス・ナッシュのトリオで、丁度NYのヴィレッジ・ヴァンガードに出演。最終セットが終了すると、小さなケーキがステージに運ばれ、客席がハッピー・バースデーの大合唱になり、円熟したプレイと、バースデーの和気藹々の雰囲気!
 アルバムの英文ライナーノートは、ジャズメンが登場するミステリー小説で有名なピーター・ストラウブ。講座が終わってから訳文を載せましょうか。
bp1-095c1.jpg 100回記念講座では、番外のお楽しみに、’89年夏にNYリンカーン・センター、アリス・タリー・ホールで開催した特別コンサート”バド・パウエルに捧ぐ”でのフラナガン・トリオ(ジョージ・ムラーツ、ケニー・ワシントン)の名演奏の解説を予定しています!
 このコンサートは、前半がジミー・ヒース(ts)+スライド・ハンプトン(tb)の10ピース楽団が、このコンサートの為の書き下ろしアレンジでパウエルの曲を演奏、後半はバド・パウエル直系と言われるバリー・ハリス(p)のソロ、ウオルター・デイヴィスJr.(p)&ジャッキー・マクリーン(as)のデュオ、そして、トミー・フラナガン+ジョージ・ムラーツ(b)+ケニー・ワシントン(ds)のトリオと、オールスターによるバド・パウエル三昧。よだれが出るようなコンサートですね!入場料僅か$25也。
 当時のNYタイムズに、コンサートを控えたフラナガンのコメントがあったので読んでおきましょう。
 「バド・パウエルは、アート・テイタム以降、モダン・ジャズ・ピアノに最大の影響を与えた。彼のプレイは非常に明快で、完璧にスイング感する。ゆえに、後のピアニストが学ぶべき規範となった。
 その演奏は、独特の感覚だ。バラードなら、たとえば”Polka Dots and Moonbeams”の深遠なムードは余人の追及を許さない。また彼のオリジナル作品は、真の傑作揃いだ。
 今回のコンサートで、私が演奏するのは ‘Celia,’ ‘So Sorry Please’ そして ‘Bouncing With Bud,’ 、それらは他の出演者が演奏しないということだったので選んだ。どれも非常に難しい曲ばかりだし、バド・パウエルならではの、他に例の見ない作品ばかりだ。バドのフレージング感は独特で、それが難曲の所以だ。彼の書く長尺のラインを弾き切るには、ラフマニノフを演奏するのと同じで、かなりの筋力を必要とする。
 彼のリズムセンスは、モンクと共通している。メロディにリズムの全てが内包されている。つまり、メロディのアクセントが必然的にリズムを生み出す。だから、聴けばすぐに、パウエルだとわかるのだ。」

 『リズムとメロディが必然的にぴったり結びつく特有の感覚』:トミー・フラナガンは、モンクやパウエルを語る際、この言葉をたびたび繰り返していました。果たしてそれがそんなものなのか?自分の耳で確かめてみませんか?
 ジャズ講座第100回は、2月11日 6:30pm開講。受講料 2,625円です。初めての方でも、お楽しみになれますよ。ぜひお待ちしています!
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セロニアス・モンクの真実

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 子供の時、NHKの音楽番組で観たセロニアス・モンクの衝撃は忘れません!人里離れた山奥に住む仙人がチャイナ帽とメガネをかけてる!コワイ顔つきで「ど・れ・に・しようかな…?」と逡巡するように鍵盤を叩く様子は、それまで観たリヒテルやアシュケナージと全く違う世界。見た目もサウンドもなんかカッコイイ!”Blue Monk”演奏後のインタビューで発した言葉。「私は常に鍵盤にない音を模索しています。」ゲージュツ家や!子供をジャズの世界に引っ張り込むのに充分な殺し文句でした。
 セロニアス・モンクが、警察署長という黒人エリートの息子として生まれ、6歳でピアノを始めたハーレム・ストライドの達人であり、ショパンやラフマニノフを演奏した人であったこと。先日の芸術史をしっかり踏まえたうえで、従来の音楽理論を革新した人であったと知るのは、それから何年も経ってからでした。
<虚像×実像=リアリティ>
picture-10.pngニカ男爵夫人とモンク
 セロニアス・モンクの奇行は、自分の音楽をアピールするためのパフォーマンス、そして自己武装の鎧として始まったものだった。ファッションや言動を含め、全てをアートにしてしまう、ヴィジュアル系アーティストの先駆者であったのかも知れません。でも、モンクには、レデイ・ガガのようなイメージ戦略チームもなく、マイルス・デイヴィズを大きくした石岡瑛子のようなアート・ディレクターも雇わず、全てを自分でプロデュースした。
monk200305_033b_depth1.jpg 世俗を超越したポーズとは裏腹に、モンクには、妙に人間臭い、というか「カワイイ」エピソードが多い。例えば、エスカイヤ・マガジンの歴史的記念写真、”A Day in Harlem“(’58)の撮影時、「大人数の中、どんな服を着れば一番目立つか?」と、迎えの車を待たせ、衣装選びに延々と時間をかけたとか・・・
 インタビュー中、トイレに行って帰って来なかったり、意味不明の言葉を吐く一方、大尊敬している巨匠たち、デューク・エリントンやコールマン・ホーキンスの前では、常識ある一般人として丁寧に会話をしていたと、エディ・ロックたち、ジャズ・ミュージシャンは証言しています。
 ディジー・ガレスピーと
 やがて、モンクは、自由でいるために身に付けた鎧に囚われてしまう。最後には精神を病み引退。それは彼の最愛の弟子、自分の作品の「理想の演奏者」であったバド・パウエルを失ったためだったのでしょうか?パウエルが脳を病んだのが、モンクをかばい警官に殴打されたためだったのでしょうか?あるいは、自分が成し遂げた革命的音楽理論が足かせになり、袋小路に突き当たってしまったせいなのか?色んな伝記や資料を読んでも、その辺りは亡羊としてはっきりしません。
monk_nellie_trane.jpgネリー夫人、ジョン・コルトレーンと。モンクはコルトレーンにとって、多くのことを隅々まで懇切丁寧に教えてくれる師匠だった。
 モンクに寄り添い、彼を最もよく理解した人たち、妻のネリーや、守護神パノニカ夫人、以心伝心の完璧な共演者であったチャーリー・ラウズ、みんなモンクの秘密を持ったまま、お墓に入ってしまいました。
 自由に成るために創造したものによって潰される、まるでギリシャ悲劇のように、抗いがたい宿命が恐ろしくもあります。
 最近話題のジャズ本、”バット・ビューティフル”(ジェフ・ダイヤー著、村上春樹訳)、ハルキストのドラマー、河原達人さんは、「もしセロニアス・モンクが橋を造っていたら」という章がとても気に入ったそうです。この本が、これまた虚実混合であることも象徴的なのかも知れません。
 虚実を併せた矛盾の中にモンク・ミュージックの真実があるということ、日曜日にOverSeasで開催する「映像で辿るジャズの巨人」で、寺井尚之の解説を聞きながら、セロニアス・モンクの黄金カルテットの演奏をご覧になると、より実感されると思います。
 日曜のお昼、よかったらぜひご一緒にDVDを見ませんか?
<映像で観るジャズの巨人達>
【日時】2月5日(日)12pm~2:30pm (開場 11:30am)
【会場】Jazz Club OverSeas E-mail : info@jazzclub-overseas.com 

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春節のOverSeas

 大阪の街は、旧正月=春節休暇で中国や韓国からやってきたツーリストが一杯!ガイドブックとカメラを携えて、皆さん楽しそう。
 OverSeas北京支局長のK氏が、春節休暇を利用して火、水、連日でライブを聴きに来てくださいました。
 トリビュート・コンサートをご家族で楽しんで下さる様子をご存じの皆さんも多いと思います。大きなおプロジェクトを任されて、北京駐在も早4年!もう日常の仕事も採用面接も中国語でなさっているというのがスゴイ!
goods.JPG お正月の北京の街の写真を拝見すると、氷点下13度で寒そうですが、爆竹や花火は中華街みたいだし、お寺や縁日は京都みたい。マクドは日本と一緒です。因みに現在は人民服の人は一人もいないらしい…
 上は沢山の北京グッズ土産!右上の「福」と「龍」のポスターみたいなものは、旧正月のオーナメント、玄関に逆さに貼っておくと「福」が来るというので貼ってみたら、効果てきめん!お客様が一杯来てくださいました。
 左上のが現地の女性誌、VIVI中国版も!全頁オールグラヴィアでコスメは資生堂や日本製品が一杯です。
 スナック菓子は現地で人気の激辛フード、「麻辣花豆(マーラーピーナツ)」、唐辛子と山椒がビリビリに辛くて、ビールのおつまみに最高でした。瞬く間に完食したので味見はできません。あしからず・・・
 支局長のご実家は埼玉なのですが、独身時代から大阪出張のたびに訪問してくださった長年の常連様。久々にお目にかかると、親戚が来た気分!火曜日デュオは菅一平(ds)も駆けつけてくれましたよ。
 懐かしい大きな拍手を頂いて、メインステムもエコーズも嬉しく輝く演奏になりました!
beijinP1040808.JPG 現地の方々としっかりコミュニュケートされている支局長に、中国事情を伺うと、マスコミを通じて私が持っていたステレオタイプとは、ずいぶん違う北京の姿が見えてきました!
 支局長、どうもありがとうございます。可愛い奥様とお嬢ちゃんたちによろしく!どうぞゆっくり骨休めしてください!
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ムラーツ弟子、石川翔太、東京参上。

 毎日寒いですね!
 大阪の街は春節休暇のせいか、デジカメ持った中国からのお客さんが一杯!路地裏ジャズクラブ探訪ツアーしたい人、ぜひOverSeasにどうぞ!
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 さて、われらがアニキ、ジョージ・ムラーツの弟子であり、パーソナル・アシスタントを務める石川翔太君が、春節ではなくVISA取得手続きで一時帰国中です。実家は神戸ですが、現在、友人を訪ねて、東京に滞在中。
 しょうたんこと石川君は、音楽家一家に生まれました、お父様はアロージャズオーケストラの元リードアルト奏者、石川正義氏。日本では神田芳郎氏、鷲見和広氏に師事。
 ムラーツ同様、バークリー音楽院に奨学生として留学し一昨年卒業、ベース科:Outstanding Performer(傑出した演奏者) Award, ジャズ作・編曲科よりチャールス・ミンガス賞受賞という優等生です。詳細は彼のHPに!
 29日(日)高田馬場「Jazz Spot Intro」さんで開催される定例ジャムセッションに参上し、ムラーツ直伝の技を披露する予定。現場にはジャズ講座でおなじみの後藤誠氏もチェックに来られるそうです。
 私も参上して「しょうたん、がんばりや~」と掛け声かけに行きたいところですが、彼の将来のために遠慮しておきましょう。
 お江戸の皆様、どうぞ応援のほど、宜しくお願い申し上げます。
1月29日(日) 7:30pm頃に伺う予定です。
Jazz Spot Intro :東京都新宿区高田馬場2-14-8 NTビルB1
TEL 03-3200-4396

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