Mainstem: The Way You Sound Tonight (6/20)

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 本格的な梅雨到来!今夜は夜更けになると大雨が降ってます。季節のレパートリーで聴かせる寺井尚之The Mainstemにとって、低湿度の国で生まれた爽やかな6月の名曲をじめじめの大阪で演るには、それ相当の覚悟と腕が要るらしい…
<The Way You Taste Tonight>
 今夜のThe Mainstemには、朝晩肌寒い北海道から爽やかなプレゼントが届きました。摩周湖のジャック・フロスト氏が送って下さったグリーン・アスパラは日本一の味!出来立ての「蒸し豚」と、自家製ナムルに添えると、最高の Mainstemスペシャル・メニューに・・・おかげで演奏もカラっとした爽やかさが一杯!MR.JFご馳走様です!
yummy_pork_vegies.JPG  見た目もアメイジングなアスパラ!自宅で育つ菊菜の新芽でナムルを作ったら、この菊菜の栽培を教えて下さったK氏も1番テーブルに来られ、召し上がってくださいました。
 むなぞう副会長&N.Mitamura両氏がディナーを楽しむ4番テーブルで無作法にパチパチ撮影、Sorry, Boys!

<今夜の曲目>
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<1st>
1. The Way You Look Tonight 今宵の君は (Jerome Kern/ Dorothy Fields)
2. Out of the Past アウト・オブ・ザ・パスト(Benny Golson)
3. Strictly Confidential ストリクトリー・コンフィデンシャル (Bud Powell)
4. Heaven ヘヴン (Duke Ellington)
5. Pent Up House ペント・アップ・ハウス (Sonny Rollins)

1. Monk’s Dream モンクス・ドリーム (Thelonious Monk)
2. I Had a Craziest Dream アイ・ハッダ・クレイジエスト・ドリーム (Harry Warren/Mack Gordon)
3. Medley: Embraceable You ~Quasimodo
メドレー:エンブレイサブル・ユー(George & Ira Gershwin)~カシモド(Charlie Parker)
4. I Want to Talk About You アイ・ウオント・トゥ・トーク・アバウト・ユー (Billy Eckstine)
5. Lotus Blossom ロータス・ブロッサム (Kenny Dorham) 

1. Who Cares? フー・ケアズ?(George & Ira Gershwin)
2. Come Rain or Come Shine 降っても晴れても (Harold Arlen/ Johnny Mercer)
3. Sweet Georgia Brown スイート・ジョージア・ブラウン(Ben Bernie, Maceo Pincard, Kenneth Casey)
4. When Sunny Gets Blue サニーがブルーになった時 (Mervin Fisher/ Jack Segal)
5. Raincheck レインチェック(Billy Strayhorn)
Encore: With Malice Towards None ウィズ・マリス・トワーズ・ノン (Tom McIntosh)

<そういや講座で聴いたっけ!>
 The Mainstemライブは、その月のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」解説曲の寺井ヴァージョンが聴けるのもお楽しみのひとつ!
 ケニー・バロン(p)とのデュオ・アルバム『Together』で聴いた”今宵の君は”が今宵のオープナーでした。
 例の問題作『The Super Jazz Trio』からは<1-5 >Pent Up Houseを選び、The Mainstemならではの鉄壁のユニゾンが凄かった。「どうやっ!」って大見得を切ってくれて胸がスカっとしましたね!
 <3-3>は『Together』で聴いたマイルスのバップ・チューン“Dig”の原曲“Sweet Georgia Brown”、寺井が今夜の為に書き下ろしたアレンジが大好評!
 旬の曲の合間にさりげなく挟んだ、エリントンの“Heaven”では宮本在浩(b)のベースラインが光ってました。
<あの名台詞も!>
 季節に因んだ名曲はディナーも終わってリラックスした2部から聴くことが出来ました。
 まずは3曲目の”カシモド”メドレーから。「えー、なんで??」と不思議に思う方がいらっしゃるかも知れません。かつてジョージ・ムラーツ(b)時代のトミー・フラナガン3を今頃の季節、NYで聴いたときのことでした。アドリブでフラナガンがバートン・レインの“How About You”の一節を不意に引用しました。
「I Like New York in June, How About You? 僕は6月のNYが好きさ、君はどう?」って。
そうしたら、ムラーツがすかさず後の句を最高の音程と抑揚で切り返したんです。
「I Like a Gershwin tune, How About You? 僕はガーシュインの曲が好きだよ、君は?」ってね。だって“エンブレイサブル・ユー”はガーシュイン作なんだもの!
 なんて粋なんでしょう!演った本人はすぐ忘れていたかも知れないけれど、この名台詞は寺井尚之の心の中にずっと残っていて、”カシモド”メドレーの中で欠かせないフレーズになっているんです。
 続く “I Want to Talk About You”も旬な曲。バップ・バラードの白眉といえるこの作品は甘いマスクとバリトン・ボイスで、黒人初の2枚目シンガーとなったMr.Bことビリー・エクスタイン(vo.vlb tb.tp)の作品。アイドル歌手として稼いだ資金でパーカー、ガレスピー、アート・ブレイキー、ケニー・ド-ハムなど最高のバッパーを集めた夢のようなビバップ・ビッグバンドを結成したBop史の最重要人物で、サラ・ヴォーンの師匠でもあります。

billy_ecksteine.jpeg「6月の夜のことや、
ビロードの月に照らされる小道のこと、
    そんな話はもういいよ。
    君のことを話したいんだ。」

 寺井尚之はバップのアクセントで歌うビリー・エクスタインが大のお気に入り!このバラードは当時タッド・ダメロンがビッグ・バンド用にアレンジしてヒットしました。
lotus.jpg 二部のラストは、旬のハード・バップの白眉!エクスタインのバンドで腕を磨いたKDことケニー・ド-ハム(tp)の『蓮の花』!6拍子から4ビートへとギアを目まぐるしく入れ替え、ジェット・コースターみたいにスイングするThe Mainstemは最高!演奏全体を見据えながら寺井と一体になってダイナミクスを劇的に変化させる菅一平(ds)の新境地を見せつけられました。若きピアニストたちは、この曲演りたい!と口々に言っていたけど、難しいらしい・・・
<”Pitter Patter”もしくは”しとしとぴっちゃん”・・・>
 三部では「雨」の色んな情景が聴こえてきました。<3-2>「降っても晴れても」は明るい雨の景色、
 キングコールで有名な<3-4>は哀しいけれど、可愛い雨。
 

明るいサニーがブルーになると、
 瞳はグレイの曇り空。
 ピタパタ、しとしと
 雨が降りだす。
 恋に破れて、どうにもならぬ、
 私の優しいあの人は、
 もう私のところにやっては来ない。
  ・・・
 心の傷はそのうち癒える、
 新しい夢も芽生えるさ、
 新しい恋よ、恋人よ、
 急いで急いでやって来い。

 クロージングは、最高に軽快な雨、” Raincheck “、『レインチェック』はスポーツの試合などが雨で出来なくなったとき、代替に渡すチケットのことで「雨天順延」の意味でも使う言葉。NYヤンキースタジアムは今年は異例にレインチェックが多いらしい。フラナガンの名演目ですからトリビュート・コンサートでもお馴染み!湿気を吹っ飛ばすThe Mainstemのプレイに大きな拍手が!
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 アンコールもOverSeas的大スタンダード!The Other Sideなミュージシャン達にも悪意を向けてはならぬという寺井尚之の自戒の弁だったのかも…
 とはいえ、高松から1年半ぶりに来て下さったSさんの大好きな曲で「ラッキー!」と喜んで下さっていてよかった!With Maliceは文字通り、「聴いてくださる全ての方への愛の曲」です!
 次のThe Mainstemの出演は26日、今週金曜日!
私は次回も清涼感のある料理を作ってお待ちしてます。
CU

寺井珠重の対訳ノート(16)/ There Will Never Be Another You

 こんにちは!
 先週の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」問題作編:には沢山ご参加いただきありがとうございました!ジャズ講座は来月から新学期、寺井尚之がリアルタイムで聴いたアーティスト達の’79以降の録音群ですから、解説がますます楽しみですね。
 今日は、レッスンや、明日の末宗俊郎(g)3などで日常的に聴くスタンダード曲、“There Will Never Be Another You”について書いてみようと思います。
<歌のお里は北国アイスランド>
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ハリー・ウォーレン&マック・ゴードンコンビ&彼らのヒット曲の演奏者達。
右端のバンドリーダー、サミー・ケイは映画Icelandに出演してAnother Youを演奏している。

 『あなたなしでは』という邦題のついている“There Will Never Be Another You”は、日本の国が「欲しがりません勝つまでは」と戦争一色だった頃(’42)の作品です。作曲ハリー・ウォーレン、作詞マック・ゴードン、このコンビは、”You’ll Never Know”やグレン・ミラー楽団のおハコ”Chattanooga Choo-Choo (チャタヌガ・チュー・チュー)”など沢山のヒット曲を作りました。このコンビのヒット曲は殆どが映画畑の作品で、“There Will Never Be Another You”のお里も、『アイスランド』という日本未公開映画の挿入歌、フィギア・スケートで何度も金メダルを取り、銀盤の女王からハリウッド・スターに転進したブロンド美人、ソニア・ヘニー主演の恋愛ミュージカルでした。
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 映画を観た事はありませんが、いかにも苦労知らずのアメリカ的戦中映画、面白いかどうかわからないけど、一応あらすじを書いておきます。
  大戦中、アメリカ海兵隊が北大西洋の国、アイスランドに上陸。女たらしの大尉、ジェームズは早速ガールハントに精を出す。アイスランドの風習を知らないジェームズは、スケート・チャンピオンのカティナ(ソニア・ヘニー)を気軽に口説いてしまう。だが、厳格な文化を持つアイスランドはアメリカとは違い、ナンパは結婚の申し込みと同じだったのだ。困ったジェームズは何とかして、カティナとその家族が婚約を破棄したくなるように、海兵隊の仲間に頼んで色々画策するのだが、最後には本当にカティナを愛してしまうのだった…
 ほんまにノー天気なストーリーですね!“There Will Never Be Another You”はジェームズがカティナに向かって歌う別れの曲だったり、ナイトクラブのシーンでバンドが演奏したりするようです。
<シンプルで柔軟な歌詞>
 “There Will Never Be Another You”は寺井尚之ジャズピアノ教室で基礎トレーニングを終えることの出来た生徒達が初めて自分のソロを考えながら稽古する曲なのですが、“カシモド”みたいに原作を研究しなくても、色々イメージを作れる題材だということは判ったかも。
 歌詞を日本語にするとこんな感じ。オリジナル判についているヴァースもつけておきました。原歌詞はこちら。

“There Will Never Be Another You”
<あなたなしでは>
曲:Harry Warren 詞:Mack Gordon

=ヴァース=
これが共に踊るラスト・ダンス
今夜のことも、すぐに昔話。
お別れに、
判って欲しいことがあるんだ。
=コーラス=
こんな素敵な夜だって
これから沢山あるだろう。
他の誰かと肩寄せ合って、
ここに来る日もきっとある。
口づさむ唄は、
他にも沢山あるさ。
心地よい春や秋、
季節は必ずめぐり来る。
でも、あなたに代わる恋人を、
決して見つけることはない。
他の誰かとキスしても、
あなたがくれたときめきを、
味わうことは二度とない。
色んな夢を見ることも、
きっとあるかも知れないが、
あなたの代わりがいないなら、
夢など叶いはしないんだ。

 Youtubeを覗いたら、歌詞に沿うダイナミクスや息継ぎが完璧な歌手、ナット・キング・コールや、ビリー・テイラー(p)3にラッセル・マローン(g)がゲストで入る、いい感じの演奏がありました。ビリー・テイラーはトミー・フラナガンとの圧巻のデュオ映像でご存知の方も多いかも…「かぶりもの」 に関係なく巨匠です!マローンのピックアップに親しみを感じるでしょう!!
<告別式でのAnother You>
 “Another You”は、ある特定のミュージシャンの「おハコ」というのがなく、実に沢山の人が演奏している分、自由に解釈できる素材。ヴァースを入れなければ、失恋の歌、求愛の歌どちらにも解釈できるし、その場にいない相手に歌いかけているとも解釈できます。
 トミー・フラナガンの告別式では、ジョージ・ムラーツが「掛け替えのない音楽パートナーを失った悲しみ」を表す曲として演奏しました。「あなたがくれたときめき」は、二人の音楽的高揚感ですね! 歌詞を読むほどに、ムラーツ兄さんの気持ちの深さを感じます。
 個人的には、無知な軽音のガキ部員だった頃、バド・パウエル(p)の『Strictly Powell』でのAnother Youで、「ピアノも歌手と同じ息遣いが出来るんだ!」とすごい衝撃を受けました。
○ ○ ○ ○ ○
 今回は、四季を問わず楽しめるスタンダード曲について書いてみましたが、土曜日は季節の懐石The Mainstem trio! 宮本在浩さんは稽古に勤しみ、菅一平さんは映画のエスメラルダに恋をして、ドラミングのイメージを飛躍的に高めているみたい。ぜひ聴きに来て下さい!
 最後にGood News! 「問題作講座」が講座本として出版される日を楽しみにする摩周湖の寺井ファン、ジャック・フロスト氏が、「皆さんで召し上がってください。」と、隣町の小清水町で取れた日本一のグリーン・アスパラをチルド便で差し入れしてくださいました。甘くてしっかりしていて、つまみ食いを我慢するのが大変です!土曜日のスペシャル、「蒸し豚」のサイドディッシュにいたしますので、ダイナマイトな風味をお楽しみください!Thank you Jack!
CU

「問題作」登場!6月13日(土)ジャズ講座

 皆さん、お元気ですか?
 前回ご紹介した生徒会セミナー、おかげさまで残席がかなり少なくなってきました。参加ご希望の方は早めにJazz Club OverSeasまでご連絡ください。
 今週の土曜日は、寺井尚之のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」開講です。
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 今回は、トミー・フラナガンディスコグラフィー中「問題作」とされる、The Super Jazz Trioの作品群の内、二作が登場します。
 ベースはジョン・コルトレーンとの共演が有名なレジー・ワークマン、何年か前、ジミー・ヒース(ts)のバンドが京都で公演したときお会いしたことがありますが、初対面でもうちとけた笑顔の素敵な紳士でした。ドラムは、ジョー・チェンバース、フレディ・ハバード(tp)やウエイン・ショーター(ts,ss)との共演作で有名なチェンバースは、以前スタンリー・カウエル(p)がNY市立大のリーマン・カレッジで教鞭を取っていた時、スタンリーの研究室で助手をやっていました。二人とも、現在はジャズ教育者として定評のある人たちです。
 トミー・フラナガンが、OverSeasでコンサートを行った時、このアルバムが原因で大騒ぎになったことがあります。詳しいことはどうぞ本番のジャズ講座でお聞きください。
 ジャズ・ミュージシャンたちは、相容れない共演者のことを、「あっち: the Other Side」、同じヴァイブレーションで演奏する味方を「こっち: This Side」と、仲間内で呼ぶことがあります。今回登場する『The Super Jazz Trio』、そして、アート・ファーマーに同じトリオを組み合わせた『Something Tasty』を講座で聴くと、きっとその言葉の意味がよく判って、気分はYeah, Man! ジャズメン!になるかも…
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 そして、もう一枚は、ケニー・バロン(p)とのピアノ・デュオ、『Together』、現在は押しも押されもしないピアノの巨匠ケニー・バロンですけれど、「トミー・フラナガンの背中を見て育ったピアニスト」という言い方をされていた時代の録音で、現在のバロンのプレイとはずいぶん違った印象を受けるかもしれませんね。
 今回も秘蔵音源を併せてお聴きかせしながら、寺井尚之が、トミー・フラナガン独立直後の秘話や、プレイから判る色んな状況を、楽しく解説する講座になるでしょう!
 講座のお奨め料理は、男の料理by 寺井尚之:「黒毛和牛の赤ワイン煮込み」、私が鶴橋市場に行って、冷凍していない最高のお肉を仕入れてきました。(重たかった~!)今回のお肉は特に上物です。こちらも乞うご期待!
寺井尚之のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
6月13日(土)6pm開場 6:30開講 (要予約
受講料:2,625 円 (税込)

CU

生徒会主催:日曜セミナーは6月28日です!

勉強会風景
 来たる6月28日(日)、稽古熱心、勉強熱心で定評のある「寺井尚之ジャズピアノ教室」生徒会がセミナーを開催いたします。
日時:2009年6月28日(日)正午~3pm(開場11:30am)
場所:Jazz Club OverSeas
受講料:2,500円

 講座の趣旨は、自分の演奏を構築する際に悩む生徒達を対象にしたものですが、一般のお客様も大歓迎!レッスンはともかく、発表会やセミナーは常にオープンハウス! 前回の生徒会講座「ジャズの歴史について」は満員札止めになりました。
<今回のテーマは今晩のおかずにも使える!>
 今回のテーマは『インタープリテーション』と片仮名になっております。Interpretationは「通訳、解釈、演出…」と色んな意味がございますが、ジャズの世界では『演奏解釈』のこと・・・と言えどそれなんやねん!?と思われる方は多いかも… 
 とはいえ、どんな芸術表現にも『インタープリテーション』はある。ジャズなら、プレイヤーが「曲」という素材に対峙して、そこから何を表現すればいいのか?というテーマ。ジャズに限らず、クラシックから演歌に至るまで、映画演劇、歌舞伎、書や絵画、グラビア・ヌード…どんな芸術、娯楽表現にも『インタープリテーション』は存在します。演奏者や、役者、監督の『インタープリテーション』のさじ加減ひとつで、同一素材でも、出来上がりの味は全く変わってきます。
 OverSeasの調理場でメニューを考えたり、今晩のおかずを作るときだって「このアスパラや、あのえんどう豆のどういうところをおいしく食べさせたいのか?」と思い悩む私。『インタープリテーション』は、音楽を演奏しない人にも、ごく身近なテーマなので、ぜひ一般の皆さんもお誘いしたいと思っています。
<意味がなければスイングしない。>
 寺井尚之のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」に出ていると、強烈にスイングしてシビれさせる一流プレイヤーには、必ず「狙い」があることが、よく判りますよね。例え、録音当日に、レコード会社に指示された曲であっても、ブレない演奏解釈をするのが一流の仕事。ジャズの醍醐味「即興演奏」を突き詰めて、わざとサイドメンに曲想を伝えないマイルスやコルトレーンの実験的演奏にも、それなりに『インタープリテーション』や「狙い」がある。楽器のテクニックがあっても、『インタープリテーション』がないと、「感心はするけど感動しない」という結果になってしまうんです。ハートのある音楽は、『インタープリテーション』なしにはあり得ないし、『インタープリテーション』がよくないと、どんな名曲でも、イケてない印象を与えてしまうんだ…
 私が歌詞対訳に熱中したのも、名歌手それぞれの『インタープリテーション』をどうにかして皆さんに伝えたかったからでした。例えば、”Don’t Explain”という愛する男の浮気に気づく女の歌を知っていますか? 本家、ビリー・ホリディなら「全てを赦すから、どうぞ私を捨てないで」という切なく哀しい女の歌になり、カーメン・マクレエが歌うと、同じ歌詞でも、後ろ手に45口径のピストルを隠し持っているような切羽詰った情景が浮かぶ…これも『インタープリテーション』の醍醐味です。
<前半はベテラン生徒が>
 前回の歴史講座は寺井尚之のワンマン・ショウでしたが、今回は、当教室で10年以上『インタープリテーション』を研究する二人のベテラン生徒たちが前半のレクチュアを担当いたします。
 むなぞう副会長
 一番バッターは、生徒会副会長むなぞうくん、あやめ会長と同期でジャズピアノ教室開設以来、寺井尚之に師事していますから、教室11年生。学生時代からOverSeasコンサートの送迎担当として、トミー・フラナガンやサー・ローランド・ハナとも親交を持ち、巨匠達から直接音楽論も語ってもらった人です。余談ですが大歌手のマリーナ・ショウにひどく気に入られ、娘の婿になって欲しいと言われたことも…
 彼がレクチュアする題材は、むなぞう副会長自身のレパートリーで、タッド・ダメロンの屈指の名バラード、“If You Could See Me Now”、トミー・フラナガンもライブで一時期盛んに演奏していましたが、寺井尚之が自分のレパートリーに取り込んでしまったせいかレコーディングが残っていない曰くつきの作品!今回は特別に、他所では決して聴けない超秘蔵音源も公開しながら解説してくれます。
あやめ会長
 二番バッターは、OverSeasでのライブ回数も生徒会最多となった師範代あやめ会長、ジャズ講座本のテープ起しを担当する教室きっての学究派、あやめさんが、潤沢な知識と情報を駆使して流暢に解説してくれるのは、スタンダード2曲、ジェローム・カーンのYesterdaysと、ビリー・ホリディの名演目Goodmorning Heartache、極めて多数のレパートリーを手中にするあやめ会長が、11年賭けて編み出した自己ヴァージョンの組み立ての秘法など、名演の数々と共に、ピアニストたち垂涎の話を聞かせてくれるでしょう!
 二人は、寺井尚之が密かに所蔵するプレミア焼酎のようなマル秘音源をたっぷりと講演に盛り込むつもりにしているようなので、ぜひお楽しみに!
<後半は真打の「波止場に佇み」で!>
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 セミナー後半は、真打寺井尚之登場!解説するのは、生徒会側のたっての希望で“I Cover the Waterfront(波止場に佇み)”一本勝負。寺井尚之の十八番でもある“波止場に佇み”は、後期トミー・フラナガン3の名盤、『Sea Changes」に収録されています。今回は、そのフラナガンの名ヴァージョンと共に、数々のアーティスト達の名演奏や、日本男児、寺井尚之ならではの“波止場に佇み”を聴きながら、様々な『インタープリテーション』が、実に多彩な「波止場の情景」を描き出せることを、爆笑の談話と共に、実感していただけることでしょう。
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 不肖「給食係」の私は、生徒会講座名物、BeBopの香り高い「特製牛すじカレー」を作ってお待ちしています。
 今回の生徒会講座は、「寺井尚之ジャズピアノ教室」で、皆がどんなことを学んでいるかも実感できる楽しいセミナーになりそうですね!
 ご予約は14日(土)までに、メールかお電話(TEL 06-6262-3940)でOverSeasまで、どうぞ!
CU

「皆さんどうもありがとう!」 寺井尚之:6/6(土) 

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 6月6日はオーメンの日、楽器の日、同時に寺井尚之の誕生日!今年で57歳!!WOW!!
 寺井尚之にはずっと内緒で生徒会が企画し、知っていた少数の常連様も参加してくださって、ワインやスイーツでお祝いしました!
 前日にお祝いに来て下さった山口マダムや、お仕事で先に帰られたクニさん、記念写真に写っていませんが、ほんとに皆さんありがとうございました!
 余り沢山のお客様がサプライズ・パーティに来てくださったので、寺井尚之(p)-倉橋幸久(b)-菅一平(ds)の第一土曜トリオにとっても文字通りサプライズ!
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 生徒会の美女たちにお花や好物のお酒をプレゼントしてもらって、寺井尚之はヤバそうな表情でした。プレゼンターは、パーティの召集令状にバッパーらしく即座にヒップな返事をしてくれたヒロちゃん&師匠のファンクラブ会長を目指すみゆきちゃんの生徒会シスターズ。因みにヒロちゃんが同行したお嬢ちゃんは、菅一平(ds)のファンクラブ会長を目指しています。
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 OverSeasに楽しいひとときを運んでくれた皆様が天使の歌声で歌ってくれたバースデイ・ソングは、休学中児玉エコーズ会長のサックス演奏と共に文字通りコダマして、最高でした!
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“And the Angels Sing”
みなさん、どうもありがとうございました!!

作曲者の気持ち:”Tenderly(テンダリー)”

  先週のThe Mainstemライブ、楽しかったですね!
The Mainstemの演奏プログラムは「季節感溢れる懐石料理」と宣言する寺井尚之が、あの夜「先付け」=オープニングに選んだのがTenderlyでした。
 Tenderlyはサラ・ヴォーン(vo)ファンにとっても極めつけの名演目、在りし日のサラのコンサートは、私も毎年必ず見に行っていました。サラはコカインを常用しているという噂で、ものすごい汗かき、バスタオルでも首に巻いとけばいいのに、ピアノの中にクリネックスの箱を置いて「スポットライトが熱すぎる」とかブーブー文句を言いながら、汗をぬぐったティッシュを丸めて、ピアノの中にポイポイ…でも、Tenderlyを歌いだすと、見た目と裏腹に、魔法のそよ風が吹いてきた。
Sarah-Vaughan.jpg  整形して美人歌手として売り出した「ミュージックラフト」時代のサラ・ヴォーン
 作曲ウォルター・グロス、作詞ジャック・ローレンス、いわゆる「歌モノ」と呼ばれるスタンダードの出所は、大部分が映画やミュージカルですが、Tenderlyは最初からポップ・ソング、初演したのが芳紀22歳のサラ・ヴォーン、この歌が彼女の初ヒットとなりました。
 The Mainstemのライブの後、深夜にWebで作詞者ジャック・ローレンスのサイトを発見、そこでTenderlyにまつわる秘話も発見、作詞家自身が書いた逸話から、「曲」が「歌」に変わるとき、作曲家は複雑な心境になるんだと知って面白かった。要約するとこんなことが書いてありました。
th_jack_1950s_1.jpg  ジャック・ローレンス(1912-2001)はロシア系ユダヤ人、長期にわたって活躍した作詞家、”Tenderly”の他、”All or Nothing at All”や、映画のタイトルにもなった“Beyond the Sea“も彼の詞、本業のほかブロードウェイのプロデューサー、劇場主としても手腕を発揮した。
○ ○ ○ ○ ○
 1946年のある日、私(Jack Lawrence)は、NYの音楽出版社でハリウッド時代の旧友、歌手のマーガレット・ホワイティング、マギーと久しぶりに再会した。
 ひとしきり昔話をした後で、マギーは「ウォルター・グロスを知ってる?」と私に尋ねた。個人的には知らないが、優れたピアニストだという噂は聞いていた。彼はミュージクラフト”という小さなレコード会社の音楽監督としても仕事をしていた。
「ウォルターが物凄く良い曲を書いたのだけど、良い歌詞に恵まれなくて困ってるのよ。あなたならきっと書けると思うの。」そう言うなり、彼女はウォルターに電話をして、私を彼のオフィスに同行した。
Margaret_Whiting_48f632ed2cb2d.jpgマーガレット・ホワイティングの父は作曲家のリチャード・ホワイティング、天才歌手としてこどもの時から芸能界で活躍しており、アート・テイタムなど知己多し。
  ”ミュージクラフト”の事務所は歩いて行ける場所だった。マギーはウォルターに、例のメロディをピアノで弾いてと言い、私はたちまちその曲に惚れ込んでしまった。「歌詞を書くから譜面が欲しい」と頼むと、ウォルターは、しぶしぶといった様子で走り書きした五線紙を私にくれた。その時の彼の顔といったら、まるで体の一番大切な部分ををもぎ取られるようだったよ。
 そのメロディは私の頭にこびりついて離れなかった。滅多にそんなことはないのだが、自分の中で歌詞が勝手に出来上がって行くような感じだった。私はたった2-3日で、Tenderlyという題名も歌詞も一気に仕上げた。それで非常に興奮していたが、ウォルター・グロスに報告するのは、しばらく我慢することにした。何故なら、すぐに出来たと言えば、きっと”やっつけ仕事”だと思われ、断られるに決まっているからだ。
Tenderly_Walter_Gross.jpgウォルター・グロス(1909-67)  ピアニストとしても有名、変人作曲家アレック・ワイルダーのお気に入りだ。
 結局、10日間我慢した後、私はおもむろにグロスに電話した。そして今までの興奮をありったけ声に込めて言ったんだ。
「ウォルター、出来たよ!」
しばらく沈黙があり、彼は尋ねた。「題名は?」
「”Tenderly”だよ!」テンダリー♪ 私はあのメロディを受話器で口ずさんだ。
すると、さっきより長い沈黙が流れ、ウォルターは吐き捨てるようにこう言った。
“Tenderly”?!そんなの歌の題名じゃないよ!“Tenderly”なんて、譜面の上のほうに書く注釈じゃないか!”Play tenderly (優しく情感豊かに演奏せよ)”ってな。 」 明らかに、私の歌詞は、その時点でボツにされたのだ。郵送するから、歌詞を読んでもう一度考えて欲しいと頼んで、その時は電話を切った。
 何ヶ月経っても、ウォルター・グロスからは何の連絡もなかった。やがて、あの曲に挑戦した作詞家が大勢いたこと、全ての歌詞がボツにされたこともわかった。
 きっとあの曲は、ウォルターにとって「一番可愛いこども」だったんだ。どんな作詞家とも「こども」を共有したくないんだ…私はそう思った。
 だがその頃、私の書いた”Linda”という曲が大ヒットしていたので、Tenderlyを売り込む機会に恵まれていた。ある大手出版社の社長が、「これはいい!」と気に入ってくれて、すったもんだの末に出版することになったのだ。
 サラ・ヴォーンの初レコーディングをきっかけに、じわじわと曲の人気が上がり、Tenderlyは沢山のミュージシャンが取り上げるジャズ・スタンダードになっていった。
 思い出すのは、ウォルター・グロスがピアノで出演していたイーストサイドのクラブに立ち寄った夜のことだ。店は超満員でウォルターが登場すると、お客が口々に”Tenderlyを演ってくれ!”と声をかけた。ウォルターがリクエストに対して一礼した時、私はバーから手を振った。だが、彼は見ないふりをして、無視したよ。ヒットしても、彼の一番好きなメロディを他人と分け合うのが余程いやだったのだろう。…
○ ○ ○ ○ ○
 結局、ローレンスとグロスにとっては、マイナーレーベルのサラ・ヴォーンのささやかなヒットよりも、大スター、ローズマリー・クルーニー(今では「オーシャンズ12」のジョージ・クルーニーの叔母さんとしての方が有名?)が、メジャー・レーベル、コロンビアレコードから飛ばしたミリオン・セラーの方がずっと大きな意味があったのでしょうが、私にとっては、The Mainstemの軽快な演奏解釈や、まるで和音のように響くサラ・ヴォーンの歌が無比なんです。以前の生徒会講座でも、サー・ローランド・ハナがバックで聴かせるアルバム、『Soft and Sassy』の名唱を聴きましたよね。
 最愛のメロディに渋々歌詞を受け容れたウォルター・グロス、箱入り娘を嫁にやる心境だったのかな? でも、彼の作品のうちで、現在もスタンダード曲として演奏されているのはTenderlyだけ、曲の運命というのはわからないものですね。

Tenderly
Jack Lawrence/ Walter Gross

The evening breeze
Caressed the trees
Tenderly.
The trembling trees
Embraced the breeze
Tenderly.
Then you and I
Came wandering by
And lost in a sigh
Were we.
The shore was kissed
By sea and mist
Tenderly.
I can’t forget
How two hearts met
Breathlessly.
Your arms opened wide
And closed me inside-
You took my lips,
You took my love
So tenderly.
夕暮れのそよ風は、
木々を撫でた、
優しくね。
そよぐ木立は
そよ風にキスをした、
優しくね。
ちょうどそこに、
あなたと私が通りがかり、
ため息の中
夢中で我を忘れたの。
砂浜は
大波小波にキスされた、
優しくね。
二人の心が触れ合って
息が止まりそうだったあのときを、
どうしても忘れられないの。
あなたは腕を大きく開き、
私を包み込んでくれた、
そして私のくちびるも、
私の愛も奪ったの、
とても優しくね。

 明日は色んなスタンダード曲が楽しめる鉄人デュオ!ピアノは寺井尚之、ベースは中嶋明彦(b)でお送りします。
 私は、おいしいチキン・ローストやトマトソースを仕込んで待ってます!
CU

Oh Lawd, I’m on My Way ,  田中裕太ラスト・セッション 5/30

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 プレイと裏腹な寺井尚之の愛想なさと、若手ジャズメンの豊かな表情で人気を博した、スーパー・フレッシュ・トリオ(SFT)は、銀太君こと、田中裕太(b)がNY修業に旅立つため、今回をもってしばらくお休みです。
SFT03.JPG  思えば、銀太君とOverSeaの出会いは、寺井の優秀なお弟子さんだった、きんだいご君(現在、東京在住)が、関学時代にジャズ研の後輩としてライブに連れてきたのがきっかけでした。誰にでもあだ名を付けたがる寺井尚之が、その日から、「金の後輩やから、おまえは銀太、きんさん、ぎんさんや」と勝手に名前をつけたのだった。 当時の関学ジャズ研の人たちは、それ以外にも、寺井尚之に、銅三、スズ、アル美、トタンなど、色んな名前をつけられた人たちがいるけど、今でもジャズをやっているのかな?
yuta_tanaka418.JPG 卒業してサラリーマンになった銀ちゃんに、「会社を辞めてプロのミュージシャンになりたい。」と相談されたときは、一生懸命止めたけど、昔の寺井尚之と同じように、やっぱりジャズの道に突っ走っちゃった。
 NYに行った所でNobodyで終わる人は沢山いるし、インフルエンザや女難、クスリ難など、あらゆる苦難や誘惑に打ち克って、多くのものを得て欲しい・・・と、おばちゃんは余計な心配ばかりしているけど、That’s Life! がんばって勉強してください!
Imaky_sft.JPG 一方、この夜もフラナガニアトリオで観た技の盗みっぷりを披露したドラマー、今北有俊くんは、素晴らしい師を持ったことでメキメキ腕を上げてます。そういえば、TVに良く出ている脳科学者が「上達の一番の秘訣はメンター(師)を持つこと。」と言ってたっけ。今北君は、今後もOverSeasに出演しますので、皆様どうぞ声援をお願いします。
kg48.JPG銀太君のポストを引き継ぐよう、皆に期待されてます!kgことベーシスト坂田慶二に応援よろしく!
 これから寺井尚之(p)-坂田慶治(b)ー今北有俊(ds)でじっくりトリオを組み、6月27日(土)に出演いたします。

 銀太君、I’ll Be Seeing You!
 OverSeasのヤングライオンズを今後ともどうぞよろしく!
CU

耳もお腹もTasty! The Mainstem 5/29(金)

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 五月後編のThe Mainstemトリオは、先週バックスクリーンに満塁ホームランをかっ飛ばしたフラナガニアトリオに続く打順、でもプレッシャーでボテボテのショート・ゴロを打ったりしなかった。レギュラー・トリオでしか聴けない手堅いファインプレーでしっかり魅せました。
 懐石料理を目指すメイントリオに相応しく、グルメな彩りを添えてくれたのが、お客様が差し入れてくださった旬の食材!
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 遥か摩周湖のホテルで、トミー・フラナガンや寺井尚之を楽しむジャック・フロスト氏からは、北の大地で育ったドーンと逞しいグリーン・アスパラガス、箕面のピアニスト、マチルダ農場からは有機栽培のえんどう豆とスナップえんどう!野菜ってこんなに甘かったんだ!
 アスパラガスやビーンズの写真を撮ろうと思っていたのに、キッチンに入ると料理に熱中してすっかり忘れてました…
 最高の食材は名曲と同じ、「こんな風に食べてね」と、材料が料理の仕方を教えてくれます。鶴橋市場のお肉屋さんで、最高の国産ポーク・ロースの塊を花びらみたいに薄~くスライスしてもらってパスタにアンサンブルしたら、それぞれの甘みが組み合わさって自然においしくなりました!最高の差し入れには、いくら感謝しても足りません!
ms_09_may_29.JPGThe Mainstem Trio: 寺井尚之(p)、宮本在浩(b)、菅一平(ds)
 The Mainstemライブは、旬の食材と共に、この時期、この季節に聴きたい曲がずらりと並びました。

今夜の曲目

1.テンダリー (Walter Gross/ Jack Lawrence)
2.時さえ忘れて (Richard Rodgers/ Lorenz Hart)
3.レイズ・アイデア (Ray Brown)
4.エリントンの迷い牛 (Jimmy Heath)
5.バウンシング・ウィズ・バド (Bud Powell)
<2nd>
1. ザ・タッド・ウォーク (Tadd Dameron)
2. ソー・ビーツ・マイ・ハート・フォー・ユー (Pat Ballard)
3. グリーン・ワイン (Benny Carter)
4. 恋の気分で (Dorothy Fields, Jimmy McHugh)
5. ストロード・ロード (Sonny Rollins)
<3rd>
1. レッツ (Thad Jones)
2. グランド・ストリート (Sonny Rollins)
3. スターアイズ (Gene DePaul/ Don Raye)
4. ブルース・フォー・サルカ (George Mraz)
5. スクラップル・フロム・ジ・アップル (Charlie Parker)
Encore; ウィステリア (George Mraz)

 オープニングのTenderlyは丁度この季節にぴったり、サラ・ヴォーンのおハコでした。夕暮れ時のそよ風を、恋人の優しい愛撫に例えた愛らしい歌詞をサラが歌うと何とも言えず官能的。今夜は風のように爽やかにスイング。
 I Didn’t Know What Time It Was(時さえ忘れて)も旬の曲、『触れ合う君の手、そのぬくもりは、五月の季節…』という一節を覚えていますか? 5月16日はバラードで、今回はイントロにTime after Timeをさりげなくあしらい、ミディアムテンポで料理しました。
 レイ・ブラウン(b)の代表曲、Ray’s Ideaでは宮本在浩(b)のモダンなボトムラインに、久々に聴けたジミー・ヒース(ts.fl)の名曲、Ellington’s Strayhornでは、菅一平(ds)の柔軟なドラミングに唸りました。
 セカンド・セットは、ベニー・カーター(as,comp,arr,)の作品Green Wineが今夜のパスタにぴったりで、ソムリエみたいな選曲だった!名盤、The Kingのフラナガンのソロも忘れられないけど、今夜も快演!現在のワイン道で”グリーン・ワイン”と言えば、オーガニック・ワインのことらしいですが、この曲が出来た頃は、ポルトガル産のヴィーニョ・ヴェルデ(緑のワイン)のように、熟成させない若いワインのことだったみたい。ビバリー・ヒルズに住んでいた王様ベニー・カーターはワイン通だったのかも…
 ラスト・セットには、今月のジャズ講座で感動した『Ballads & Blues』から3曲(3-3,4,5)が立て続けに演奏されて、客席も大喜び。どれも寺井尚之の日常的愛奏曲、OverSeasの大スタンダードですから、レギュラーならではのこなれたプレイが一層光ります!
 旬の選曲に絡まるハード・バップは、前回のThe Con Manに続き、今回はLet’sなど、ワインに例えればキリリと冷えたシャブリかな?超辛口の厳しい曲ばかり。寺井尚之が自分自身に対して上げたハードルの高さは凄まじいものがありました。それにしっかり応えたザイコウ&一平のリズム・チームはさすがですね!
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 そして、私が一番聴きたかった五月の曲、Wisteria(藤)がアンコールに聴けました。
 寺井尚之は「徹底的に緻密に考え抜いたすごい曲や!ジョージ・ムラーツは天才や!!」と言います。壁に飾ってあるムラーツ兄さん直筆の譜面を寺井に持ってきてくれたのは、確か’87だったと思います。
 神秘的な藤の花は、日本だけではなく欧米にもあって、藤棚もあるみたい。私の実家にも小さな藤棚があり、今頃の季節になると、白や紫の花が咲きこぼれました。お転婆だった子供の頃、木登りして観察すると、花の陰のツルになぜか目がついていて、私と視線が合っちゃった・・・実は白っぽい蛇が巻き付いていたんです・・・それ以来、私にとって藤は、美しさと怖さが共存する魔性の花。この曲の艶やかさと幽玄さ、和音の膨らみはスラブ的、ドボルザーク的でありながら、どこか懐かしい東洋的なメロディに魅了されます。
 五月の後半のThe Mainstemは、心にも舌にも嬉しいグルメなライブになりました。来て下さったお客様、それにジャック・フロストさま、マチルダさま、どうもありがとうございました。
 6月の寺井尚之The Mainstem trioは、20日(土)と26日(金)、その時分はしとしと梅雨? それともゲリラ豪雨? 皆様のお越しをお待ちしています!
CU

ラジオ・プラハで聞くジョージ・ムラーツ。



 10日ほど前に、ジョージ・ムラーツのアシスタント、しょうたんからムラーツ師匠のインタビューがラジオ・プラハのWEBで聞けますよ、とメールをもらいました。
 私がブックマークしているトニー・エマーソン氏のジャズブログ、“Prague Jazz”と同じ日の知らせだった。しょうたんの調査力恐るべし!
 早速、聞いてみると、故国で語るジョージ・ムラーツは日米のメディアとは違っていて、日本のイチローみたいに、ジャズのメジャー・リーガーとして活躍するチェコ人としての顔が垣間見える興味深いものでした。
 インタビュアーのイアン・ウィロービの英語はヨーロピアン・イングリッシュでなく、アメリカンで凄く上手!一方ムラーツ兄さんは、いつものベランメエ・イングリッシュじゃなく、東欧紳士風でかっこいい!
 ラジオ・プラハの英語テキスト&音源はここにあります。
 日本語にしたので、お楽しみください。
『現代のチェコを代表する名士に、くつろいだ雰囲気で話を聞くインタビュー番組One on One: より:』
<ジョージ・ムラーツ・インタビュー>
インタビュアー:Ian Willoughby イアン・ウィロービ
 ジョージ・ムラーツ(本名イルジ・ムラージュ、南ボヘミア地方、ピーセック生)氏は、少なくとも、彼が共演して来たミュージシャンの顔ぶれから考えれば、ジャズ史上最も成功したチェコ人と言えるだろう。ベースの巨匠、ムラーツの共演者リストは、ディジー・ガレスピー、スタン・ゲッツ、オスカー・ピーターソン、チェット・ベイカー、そしてチャーリー・ミンガスなど、正にジャズ人名辞典の様相を呈している、
   更に氏は千枚以上のアルバムに参加。ニューヨークを本拠に活躍するジョージ・ムラーツが最近プラハに滞在して機会に、ジャズとの出会いなど、色々なお話を伺いました。

<ジャズとの出会い>
ジョージ・ムラーツ(以下GM):「ターボルのハイスクールに通っていた頃、幸運にも学校にジャズバンドがあったんです、当時ジャズバンドがあったなんて不思議だね。プラハ音楽院に入学した頃は、市内にジャズクラブが三軒あり、ほとんど毎晩演奏していました。」
聴き手:イアン・ウィロービ(以下IW):「当時のジャズは、ビッグビット(’60年代にチェコで流行したギター主体のポップ・ミュージック)以前の、かっこいい若者向け音楽だったのでしょうか?
GM:「まあ、そういうことですね。」
IW:「あなたがジャズに魅了されたきっかけは?」
GM:「13歳くらいだったと思うんだけど、日曜になると(ラジオで)オペレッタなどの軽音楽の放送があってね、どういう風の吹き回しか、ある日ルイ・アームストロングの1時間番組があったんだ。勿論、あの独特の歌も放送されました。いつもはクラシックの声楽ばかりなのに、よくこんな声がラジオ放送されたもんだ!と子供心に不思議でね。(笑)
  でも、その日に聴いた音楽のうちで一番気に入ってしまって、それを機にジャズにのめりこんだんです。
IW:「では、ムラーツさんの楽器はアコースティック・ベースですが、ベースを演奏されるようになったのは、どうしてなんですか?」
GM:「それも単なる偶然だったんです。7歳の頃からバイオリンを習っていたんですが、その後は専らクラリネットやサックスを演ってたんです。ところが、バンドのベーシストときたら…名前は言いませんが、良い奴なんだけど、常にミスノートだけを選んで弾くという、ある意味天才だったんだ。偶然でもいいから、一度くらいは、まともな音が弾けるだろう?ってくらい凄まじいものだった。
  それで僕が、練習の合間に彼のベースを拝借して弾いてみたら、意外に難しくなかった。ベースの音色が気に入ってしまって…それでベース奏者になったんです。」
vaclav_havel.jpgハヴェル前大統領(1936-)は、劇作家としても欧米で絶大な人気のある文人政治家
 IW:「何かの本で読んだのですが、カレル橋の脇にあるカフェ・バー・シアター『欄干の上』劇場で、ハヴェル前大統領が舞台監督していた時期、ムラーツさんもそこで演奏されていたそうですね。ハヴェル前大統領とは、個人的にお付き合いされていたんですか?」
GM: 「ええ、ええ、そうです!当時僕はバーの方で演奏していてね、僕達が延々と演奏を続けるもんで、酒場のおばさんがカウンターで仕事するのに疲れきっちゃうと、彼が交代してバーテンをやっていました。
 それ以来、僕は彼に頼まれてよく演奏していたんですが、昨年久しぶりで再会できて、とても嬉しかったです。その時は、彼の著書を頂きました。今でもファースト・ネームで呼び合う仲です。」
Na_zabradli.jpg由緒ある文人カフェ・シアター、「 Divadlo Na zábradlí 欄干の上劇場」
<渡米して>
IW:「では、あなたが渡米されNYにお住まいになったいきさつについてお話を伺いたいのですが。」
GM:「渡米する前はドイツに住み、ミュンヘンにあったジャズクラブ、”ドミシル”で演奏していました。そのうち、ボストンにあるバークリー音楽院から奨学金が出ましてね。丁度あのロシア人達が戦車で侵攻してきた時です。’68年の8月でした。それで、奨学金を使ってあちらに行ったんです。まあ、行った甲斐がありました。」
IW:「当時はアメリカに滞在していただけなんですか?」
GM:「ええ、まあそうです。」
IW: 「アメリカでミュージシャンとして名を成すというのは大変でしょう?私などには音楽の世界、ましてニューヨークでは、よほど激しい競争に勝ち抜かないといけないだろうと思えるのですが。」
GM;「僕の出発点はNYでなくボストンだったんです。幸いにも向こうの人たちは、すでに僕のことを知ってくれていました。というのも、留学前にすでに何枚かレコードを録音していましたから。それに、ウィーンでフリードリヒ・グルダ(訳注:ウィーン生まれのピアニスト、作編曲家、クラシック音楽家ながらジャズにも造詣深かった。)が主催するコンクールにも出場していたし。おかげでキャノンボール・アダレイ、J.J.ジョンソン、ロン・カーター、ジョー・ザヴィヌル、メル・ルイス、アート・ファーマー・・・色んな人たちに出会えました。
 実のところ、渡米後すぐに演奏活動を始めました。’69年にはディジー・ガレスピーのバンドに入り、やがて、オスカー・ピーターソンから誘われ、約二年間、彼のトリオで演奏しました。」
IW:「ムラーツさんの共演者リストを拝見すると、ジャズ人名辞典さながらですね。そのキャリアのうちで、”自分は成功したんだ!これが頂点だ”と思われた瞬間はありますか?」
GM;「いや、そういうのは特にないですよ。これが頂点だ!みたいに思ってしまうと、もうバタンキューで、その先に進めなくなりますから。(笑)達成感なんて持っちゃいけません。」
<膨大なレコーディング>
IW:「これも何かで読んだんですが、ムラーツさんはなんと約900枚のアルバムに参加しておられるそうですね。数十年も経つとご自分のレコーディングについて記憶は曖昧になるものでしょうか?」
GM: 「レコーディングについては、僕自身よりもずっと詳しい人たちがいますからね。僕は今までの録音アルバムを全部所有していませんしね。全く覚えていないアルバムが出てくることはしょっちゅうです。
  多分900枚以上あるのじゃないかな?千枚よりはずっと多いですよ。現時点で1100~1200枚だと思います。WEB上に僕のディスコグラフィーが載っていたんだけど、10年ほど前で、はっきりは覚えていないが確か880か860枚ほど掲載されていたなあ。
  勿論、そのリストから脱落しているアルバムもあったし、それ以降何枚もレコーディングしているから、千枚以上はあると思います。」
IW: 「その内、ムラーツさんにとって特に意義深いアルバムはありますか?」
GM :「幸運なことに、僕は非常に多くの巨匠達と共演することができました。特に楽しかったのは、ジョー・ヘンダーソン(ts)のピアノレス・トリオ、ドラムがアル・フォスターだった時。それにトミー・フラナガンかな…僕は今、断続的にハンク・ジョーンズ(p)と活動していますけどね。勿論、ビッグバンドも思い出に残っています。サド・ジョーンズ-メル・ルイスOrch….いいバンドでした。」
gallery9.jpg  スタン・ゲッツ、チェット・ベイカーと;G.Mraz公式サイトより。
IW: 「本当に多くの人たちと共演されていますよね。各ミュージシャンのスタイルや音楽に順応するというのは難しいですか?」
GM: 「いや、それほどでもありません。ただ、共演者が一つのスタイルに固執している場合は問題です。僕がそれ以外のことを演ると当惑させていまいますからね。色んなことを演ってみるのが好きなたちだから。」
IW:「ムラーツさんはご自分のカルテットも率いておられますね。いわゆるサイドマンと、リーダーで自分の音楽を演るという、二つの仕事のバランスをとるというのは難しいことですか?」
GM: 「ある意味、大変ですね。僕自身は、サイドマンでいる方がずっと気楽ですよ。ビジネスについてあれこれ苦労しなくてもいいですから。サイドマンとしての仕事の依頼は多いですしね。
 しかし、再びリーダーとしての活動も始めるつもりです。いろいろのアイデアもあるし、新曲もいくつか用意しているしね。自分の音楽が出来るうちに、やっておくのがよいと考えています。」
<チェコ名を変えたのは何故?>
IW:「これだけはお伺いしたかったのですが、ムラーツさんがご自分の名前を”ジョージ”にされたのはいつだったんですか?」
GM:「いやあ、この名前も私のアイデアではないんです。英語名の”ジョージ”にしたのは二つの理由があります。第一の理由は、ギャラは大体小切手で受け取るでしょう。その場合、あっちで僕の名前を正しいスペルで書いてくれる人がいないので、何度も小切手を切りなおしてもらわないと、ギャラをもらえないという状況だったんです。
 おまけに、ボストン時代にシティ・バンクに口座を開こうとした時なんか、名義人を記載するのに”Mraz”という苗字だけで15分もかかってしまったんです。ファースト・ネームの”Jiri”(イルジ)に至っては、どうしても正しく書いてもらえず、とうとう諦めました。『Georgeでいいです。』ってね。(笑)」
IW:「アメリカ人には、”Jiri”というのが、そんな難しい名前なんですか?」(訳注:チェコでは”Jiri”は、例えば一郎のように、最もありふれた男性名。)
GM:「難しすぎるね。僕が親しくなった女の子達を別にすれば(笑)、アメリカ人でこの名前を完璧に判ってくれたのは、ウィリス・コノーヴァー(米国の海外向け放送、VOAのジャズ番組のアナウンサー兼プロデューサー)だけだよ。彼だけは正しくJiriと言ってくれたんだけどなあ。」
(了)
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 ファンの皆さんならご存知のエピソードが多いけど、故郷で語ると少し趣が違っていて、楽しめたのではないでしょうか?
 チェコの盟友ピアニスト、エミル・ヴィクリッキー(p)のHPに、日本のヴィーナス・レコードプロデゥースで、ジョージ・ムラーツ、ルイス・ナッシュ(ds)とトリオのアルバムをNY録音したニュースが出ていたと後藤誠氏よりお知らせいただきました。ジョージ・ムラーツ兄さんのプレイはチェコ訛りかNY訛りかどっちやろ?興味津々です。
 明日はThe Mainstem!
 ブログを読んでくださっている寺井ファン、ジャック・フロスト氏よりの差し入れ=北の大地のアスパラガスや、箕面マチルダ農園の豆類をパスタにして待ってます。
お楽しみに~!
CU

LAコンフィデンシャル: 土曜日も楽しかった!

 
<The Day After>
 5月23日土曜日のライブは寺井-倉橋幸久(b)-菅一平(ds)3、軽やかにスイングする倉橋さんのビートに支えられ、寺井のピアノが縦横無尽にスイング、一平さんのドラムが華やかに色を添える爽快なプレイでした!
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 The Day After, フラナガニアトリオの翌日・・・あの方もこの方も昨日お越しになっていたしなあ・・・土曜日常連のあの方も、最近は週末になると実家の山口県に帰ってらっしゃるしなあ・・・と、私はウィークエンド・ブルース。
 だけど希望を捨ててはいけない!午後に美しい女性の声で予約電話が・・・
「今夜は営業していらっしゃいますか?お席はまだありますでしょうか?」
私:「は・・・はいっ!席ですか?あっ・・・あります!!!一杯ありますよー!」
「???」
<LA Confidential>
 やがてロングへアー輝く美女西岡さんと、彼女をスマートにエスコートする俳優さんみたいな長身の紳士が現れた。ワイン片手にトリオのプレイを楽しむカップルは、映画の1シーンみたい!
 その男性は「ロスアンジェルスから来た寺井さんファンです。」と、響きの良い素敵な声で自己紹介。
「実は私、トミー・フラナガンの甥っこさんと親友なんです。」
私:「ひょっとしてスコットさんですか? 」
「ああ、そうですよ!あなた御存知なんですか!?」
 ロン・長谷川さんはLA在住40年、なんと元LA市警アジア特捜隊捜査官(!)という経歴の方!ロス市警=LAPDといえば「刑事コロンボ」を連想してしまいますが、ロンさんはビヴァリーヒルズのパーティにタキシード姿で潜入捜査しても絵になる紳士。ハードボイルドやなあ!
 NYでこんなニートな日本人に出会ったことない・・・西海岸は私にとってはまだ見ぬ異国の地、ロンさんは邦人の企業や個人の安全管理や国際犯罪組織の専門家として日米の橋渡しをしておられるそうです。仕事柄、現在も古巣のLA市警と密接に連絡を取り合っていて、LAPD側のパートナーがトミー・フラナガンの甥のスコット・バトラーさんだったんです!トミー・フラナガンの親族、スコットさんは現在LA市警の敏腕刑事、頭のよさと、誰にも好かれる人柄で、事件の記者会見をするスポークスマンのような役割をこなしているらしい。
 英語なら「甥(nephew)」と言ってしまうけど、実はスコットさんはトミーの兄、ジョンソン・フラナガンのお孫さんにあたる人だから日本語なら「はとこ」かな?ジョンソン・フラナガンはデトロイトで活躍したジャズ・ピアニスト、トミーがよちよち歩きの頃からピアノを始めたのも、このお兄さんの影響だったんです。
tommy_flanagan_overseas.jpg スコットは確かアトランタ・オリンピックの前年、1995年にOverSeasに寺井尚之を訪ねて来てくれた。というのも、彼はその当時広島県尾道市で英語教師として勤務していて、帰国時にフラナガン夫妻から「帰るまでにぜひOverSeasのヒサユキに挨拶しておくように。」と言われたんです。その時の彼はスリムでトミーと面立ちがそっくり、トミー+デビューした頃のジョシュア・レッドマン(ts)みたいな感じだった。当時の写真もあるけど、現在の刑事という立場を考え、公開は自粛します。
 フラナガンの親族ながら、スコットは余りジャズが好きでなく、子供の頃LAでトミー叔父さんが演奏する時に、親戚縁者で聴きに行くのが「いやだった~」とバチ当たりなことを言ってたなあ・・・でも、トミーに似た笑顔が素敵で、遠い親戚がはるばる会いにきてくれたような懐かしい印象が残っています。
<優しき伴侶を>
 ロンさんによれば、現在彼は40歳、スキン・ヘッドで、丁度EP盤Overseasのジャケ写真のトミーと目鼻がとてもよく似ているそうです。
 そういえば、スコットが来たときに、寺井がさんざん脅かしてたっけ・・・「トミーが禿げて来たのは20代後半やで。君も気いつけや~。」スコットさんが現在スキンヘッドなのはそのことと関係があるのだろうか?
 ロンさんのGood Newsは、スコットが未婚であること、その理由は、「本物の日本女性をめとりたいと熱望しているから、なかなか見つからない」のだそうです。
 アメリカではビジネス上のパートナーでもプライベートにはノータッチが常識ですが、ロンさんとスコットは親戚みたいな間柄で、トミーの姪にあたるスコットのお母さんともすごく親しくされているそうです。ですからロンさんは、何とかスコットに日本でお嫁さんを世話してやりたいと思っておられるんですね。日本人だな~!
 詳しく話を伺うと、スコットの思い描く日本女性は亭主関白を受け容れる貞淑で清楚なジャパニーズ・レイディ、ひょっとしたら尾道時代に、あの美しい町を舞台にした「東京物語」のヒロイン、原節子みたいな理想の女性に出会ったのかしら?
 私の周りを見回せど、ジャズピアノ教室生徒さんたちも大部分がミセスだし、それより今の日本に彼の求めるヤマトナデシコがいるかどうかが、非常に不透明です。ヤマトナデシコと日本タンポポは見つけるのが難しい・・・フラナガン一族になりたい女性で「私ならリクエストに応えられる!」というPatientな方がいらっしゃいましたら、ぜひ私までご一報ください。なお、スコットさんは日本語に堪能です。
 Bad Newsは、DNAに関わりなく、スコットさんが相変わらず、ジャズに殆ど興味がないこと・・・
   逆にロンさんは熱烈なジャズ・ファン、LAでは専ら、老舗 「The Jazz Bakery」でライブを楽しんでいらっしゃるとか。捜査力を駆使し廃盤も沢山所持するレコード・コレクターです。
 スコットさんの近況だけでなく、新人刑事だった頃担当された三浦和義ロス事件についても色んな秘話を聞かせてくださって、仕事を忘れ、思わず身を乗り出して聞き込んでしまいました。 最近の思いがけない事件の幕切れでマスコミが騒然とした時は、コメンテイターとして色んなニュース番組に出ていらしゃったので、皆さんもTVで彼を観たことがおありかも・・・
ron_hasegawa.JPG  左から寺井、ロン長谷川氏、倉橋幸久(b)、謎のナニワ美人、西岡さん、菅一平(ds)
&nbspロンさん、西岡さん、OverSeasにきてくださってありがとうございました。その上、どっちがお客様か判らないくらい楽しませていただいて更にありがとうございました。
 心ある皆さま、頑張ってスコットのお嫁さんを一緒に捜しましょう!キーワードは「大和なでしこ」「原節子」ですからね。
CU