7/5(土)「楽しいジャズ講座」は、サミー・ディヴィスJr.の至芸を寺井尚之の名解説で!
私がジャズを好きになった頃は、毎週TVで『サミー・ディヴィスJr.ショウ』を放映してた。バックのビッグバンドはサミー専属ジョージ・ローズOrch. ダイアナ・ロスやミニー・リパートン・・・有名スターが毎回ゲストで出演して、ヒットソングやスタンダードを歌って踊る!楽団の中にハリー”スィーツ”エジソン(tp)やフランク・ウエス(ts)の姿を見つけたときは、宝くじに当たったみたいでそりゃ嬉しかった!
若かりしその頃は、彼の生い立ちや人生に興味を持つことすらなかったのですが、今回の映像が余りにも素晴らしく、俄然興味が・・・
サミー・ディヴィスJr.の伝記は4冊出版されていて、私が読んだのは、最も初期の”Yes, I Can”(Farrer Straus & Giroux 1965刊)、小学校にも行かずに、父親と叔父さん(のような人)のウィル・マスティンと共に、ヴォードヴィル一座の子役として、ストリップ劇場のドサ回り、従軍、激貧、想像を絶する人種差別体験、長い下積みを経て、フランク・シナトラを始め芸能界の白人の仲間達のサポートで、人種の壁を打ち破りスターになってからも、交通事故で片目を失い、結婚、宗教、政治、あらゆるところで世間の非難に晒されれながら、自分を守る術は「芸」だけだという、単なる出世物語を越えた読み物でした。
スターの自伝ですから、勿論自筆ではなくインタビューをまとめたものですが、他人や自分の「芸」に関する論評が、スカっとしていて簡潔明瞭なところは、やっぱり天才!アメリカ文化史に興味があるなら、とっても読み応えがありました。
例えばフランク・シナトラの歌唱についてはこんな感じ。「フランク・シナトラの歌は他のバンドシンガーとは全く違ってた。彼の歌い方はとてもシンプルで簡単そうなのに、彼が歌うと、その歌詞は命を得て、もやはメロディーにくっついた”おまけ”ではなくなっていた。」
貧乏で困った話、軍隊で想像を絶する人種差別に遭った体験は、彼に小便を飲ませ、密室に連れ込んでリンチする白人たちの憎悪の言葉や、ごく些細な仕草までが、虫眼鏡で過去を辿るように克明に書かれていて、ハリウッド映画のハッピーエンドなんてどこにもないタレント本です。
サミー・ディヴィスJr.は勿論ジャズのカテゴリーに収まりきれる人ではなく、ジャズメンの記述はさほど多くはないのですが、寺井尚之の大好きな往年の黒人スター、ビリー・エクスタインとの人情あふれる逸話があったので、要約しておきます。
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1946年、サミー・ディヴィスJr.のヴォードヴィル・トリオは時代の波に取り残され、仕事が入らず、家賃も食費も電気代もない、やるべき仕事は質屋とアパートの往復だけ。文字通りどん底の生活にあえいでいました。NYの寒い冬の或る日、彼が声帯模写を得意にするビリー・エクスタインがパラマンウント劇場に出演中だから、一緒に写真を撮ってもらってはどうか?記事に出来るかもしれないから、と雑誌社に勧められます。 元々知らない相手ではなかったので、恥を忍んで電話でお願いするとエクスタインは快諾してくれた。一緒にポーズを取ってもらい首尾よく2ショットを撮影。丁寧にお礼を言って退出しようとすると、Mr.B(ビリー・エクスタイン)はそれを引き止め、自分の楽屋に招き入れコーヒーをごちそうしてくれた。暮らしはどうだ?家賃は払えているのか?と親切にたずねてくれた。
実のところ、電気代節約のため冷蔵庫は開け放したまま、家の中でコートを着て台所のオーヴンの前でかろうじて暖を取る生活。自分たちが飢えるのは仕方ないが、同居する年老いたママ(実は祖母)だけには少しでも温かい食事を食べさせたい。その一心でプライドをかなぐり捨てて、Mr.Bに頭を下げて借金を願い出ます。
「B、悪いんだけど5ドルほど貸してくれませんか?少しづつ返します。貸していただけたら恩に着ます。どうぞお願いします。」
Mr.Bは何も言わずに、腕時計に目をやった。500ドルはするダイヤ付きの金時計だ、
「まあ、ついでにショウを観て行けよ。」
サミーは舞台の袖で彼の出を待ちながら激しく後悔した。「あんなこと頼むんじゃなかった。金持ちそうに見えてるけど、彼だって実は文無しかも知れないじゃないか。それとも僕にはビタ一文貸したくないのかも・・・どうせ彼には関係ないことだ。いざ金のこととなると人間てのはわからないもんだ。写真を一緒に撮っても金はかからないもんな。内心はまっぴら御免だったのかも知れないが、まあメトロノーム誌に載っても損はないだろうし・・・」
ビリー・エクスタインがステージに登場し、スポットライトでダイヤの指輪が輝いた。僕達があのダイヤを売れば一年は食べて行けるだろうよ。なのにたった5ドルで僕をここに引き止めてる。いい勉強をしたよ!本当に助けてくれる人間以外には悩みを打ち明けちゃいけないんだ。
僕はこの場から立ち去ろうとした、彼のことなんか必要じゃないってことを示すために・・・でも実際はそうじゃなかった。
僕は舞台の袖で彼の仕事振りを観た。彼は僕にはない全て持っていた。背が高くてハンサムで、自信に満ち溢れ、どんな者にでも成れた。この世界の巨人だ!トップスターだ!劇場は彼をひと目見ようとする客で満員だ。・・・そして彼のステージマナーときたら、ああ、最高のプロフェッショナルだ!
ステージを終えて戻ってきた彼に僕は挨拶した。
「B、素晴らしいショウでした。写真のこと本当にありがとうございました。僕はこれで失礼します。」
「ちょっと待てよ、ほら、忘れ物だよ。」エクスタインはさり気なく僕のポケットにお金を滑り込ませた。
僕は自分の思い違いを責め、自己嫌悪で一杯になりながら劇場を後にした。そして、親しくもない人に借金を申し込むほど落ちぶれた自分を責めた。雑踏を歩きながら、僕はポケットの中に彼が入れたものを取り出した。それはなんと100ドル札だった!
Mr.Bは僕らの窮状を察して、何も言わずに助けようとした。本当はすごく思いやりのある人で、僕のメンツを潰さないよう気遣ってくれたのだった。
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当時の100ドルと言えば、20万円位の値打ちがあったのではないでしょうか?サミー・ディヴィスJr.に男の気遣いを見せた侠客ビリー・エクスタインの伝説のビッグバンドはこの年の暮れに破産します。
左の写真はその後、1950年代に売れっ子になったサミー・ディヴィスJr.がビリー・エクスタインのショウに訪れたというニュース写真。
左端が、サミー・ディヴィスJr.が「叔父さん」と呼ぶ、ウィル・マスティン、ボスであり、同志、サミーに実の甥以上の愛情を注いだ「叔父さん」のことをサミーは一生面倒を見て、ディヴィス家の隣のお墓に埋葬されています。