大型連休!いかがお過ごしですか?休日には、あれも読もう、これも観ようと企てても、なかなか思うように行きません。That’s Life。
5月4日(土)は、正午よりコールマン・ホーキンスの映像講座開催!
3月末にリリースされた、トミー・フラナガンとジャッキー・バイアードの新譜、『The Magic of 2』の付録ブックレットにダン・モーガンスターンの、楽しくてテンポの良い名文が添えられていました。その中に「トミー・フラナガンは、コールマン・ホーキンスが亡くなるまで面倒を見た。」という事も、ちゃんと書いてありました。
どんな世界でも、いったん落ち目になったら、それまでチヤホヤしていた取り巻きも、何じゃかんじゃ言いながら離れていく。特にDog Eat Dogの音楽や映画の世界はキツい、という話を聞きますが、コールマン・ホーキンスとトミー・フラナガン達の関係は、そんな浅はかなものではなかった。映像に薫る風格を観ると、そういうところも実感できるように思います。
今年の3月に、ジャズ・ジャーナリスト、テッド・パンケンが、トミー・フラナガン・トリビュートとして、1994年に、NYのFM局、WKCRで行ったインタビューのテキストをブログに公開してくれました。嬉しいですね!この中にも、フラナガンが観た”ザ・巨匠” コールマン・ホーキンス像が活き活きと描かれていました。
5日に映像を観て頂く前に、抜書きしておきます。いずれ、全文和訳して「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で配布したいです。
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<出会い>
私がコールマン・ホーキンスと初めて出会った場所は”バードランド”だ。
実は、マイルズ・デイヴィスが紹介してくれた。彼は人を引きあわせる名人だ。
マイルズが、あの独特の声で「コールマン、トミー・フラナガンを知ってるかい?」と言うと、ホーキンスは、「ああ、勿論知ってるよ。」と言ってくれた。
実は一度もちゃんと会ったことがなかったし、私はたいそう驚いた。同時に、そう言ってもらえたのが嬉しかった。どこで私のプレイを聴いてくれたのかは知らないが、彼はデトロイトのピアニストが好きだったから。
私は、レコードをずっと聴いてきたから、コールマン・ホーキンスのレパートリーは、かなりよくわかっていた。ロイ・エルドリッジと、7thアヴェニューにあった”メトロポール”という店でよく演奏していて、私もそこで一緒に演らせてもらった。それから、JATPで6週間の英国ツアーをした。おかげで、かなりまとまりのよいグループになったんだ。メジャー・ホリー(b)、エディ・ロック(ds)と私のリズムセクションでね。(一番上の写真)
<若手の擁護者>
彼の音楽力に敬服したなあ。まさに、「歩く音楽百科事典」だった。そういうところを、常に目の当たりにしたよ。市販の楽譜を、初見で録音するような仕事をしょっちゅうやったが、コールマンはどんな音符記号でもへいちゃらだ。瞬時に曲の隅々まで見通すことができて、パート譜が頭のなかに出来上がる。おまけに、そういう録音は1テイク録りだ。優れたテナー奏者というものは、録音の心構えというのがしっかりしていて、そういう人ほど、どんなレコーディングでも1テイク以上録りたがらないということを学んだ。コールマン・ホーキンスもそういう種類のミュージシャンだった。あの有名な”Body and Soul”もおそらく1テイクだよ。二度とはできない演奏だ。
それにしてもすごい音楽家だ!
もう一つ私が好きなところは、コールマン・ホーキンスのおかげで、セロニアス・モンクが、あれほど大物になれたということ。コールマンはモンクを引き立て、多くの人に聴いてもらうチャンスを作った最初の後ろ盾だ。ご存知のように、ディジー・ガレスピー、ファッツ・ナヴァロ、マイルズ・デイヴィスといった多くの若手にも胸襟を開いて、彼らを有名にした。
オフ・ステージでは、人間としての手本だった。だらしなくない酒の飲み方から、服の着こなしまで教わった。彼はベスト・ドレッサーだったもの。酒の趣味も最高だ。私は音楽的にも人間的にも、たくさんのことをコールマン・ホーキンスから学んだ。
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めっぽう喧嘩が強くて、ガラの悪い水兵をぶっ飛ばした!ワインやコニャック片手に、サヴィル・ロウで誂えた上等の背広とイタリアの帽子が似合う大親分、男が惚れる男の中の男!コールマン・ホーキンス「楽しいジャズ講座」は5月4日正午より開催!
CU