大阪は久しぶりの雨模様、先週「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で”Here’s That Rainy Day”を聴きました。この歌の中の「雨の日」は、「まさかあるまいと思っていた不幸」を表現する決まり文句ですが、今日の雨はカラカラに乾燥しているこの季節への恵みの雨!OverSeasも加湿器2台フル稼働中でした。
さて、先週ジョージ・ムラーツさんのベース嫁入りのご報告をした直後、兄さんから新しいオーナーに宛てた手書きの礼状が届きました。
ジョージ・ムラーツの1コーラスソロのように、達筆で心の籠った文章には、謝辞とともに、このドイツ製のベースをどれほど気に入っていたかということが書かれていました。
手紙によると、そのベースは、歴代チェコ大統領が主催するプラハ城のコンサートで、必ず使っていたものでした。
民主化以降、チェコスロバキアとチェコ共和国の初代大統領を歴任、同時に世界的な劇作家であったヴァーツラフ・ハヴェル前大統領は、チェコ民主化の象徴、左写真のように、ブラピを超知的にしたようなイイ男、チェコの政治と文芸、両方のヒーローです。共産政権下は、文人カフェで芝居をしながらバーテン稼業、同じ店でムラーツが演奏していたという若い頃からの飲み友達でした。
ハベル前大統領のジャズ好きは有名で、ビル・クリントンが米大統領としてチェコを訪問した時はサックスをプレゼントし、一緒にジャズ・ライブを楽しんだとか。
現在のクラウス大統領は、自らピアノをたしなむジャズ・ファンです。大統領府のプラハ城で「Jazz na Hradě (ジャズ アット プラハ城)」と銘打つ定期コンサートを開催し、内外の一流ミュージシャンを招き、自らMCを務めるという徹底ぶりです。
このベースが最後に出演したコンサートは、このプラハ城、共演者はハンク・ジョーンズ(p)でした。
ナチスやソ連占領など、古代から歴史的苦難の多いチェコの人々にとってジャズは、自由と民主主義の象徴!
日本にやってきたベースは、民主化政権の拠点であるプラハ城でスイングしながら、「自由」の幸せ聴衆と共に謳歌した由緒正しい名器だったのです。
1800年代にドイツで製造されたこの楽器は、いわゆる「オールド」と呼ばれるものですが、名工房のラベルはありません。でも、巨匠ムラーツが何千というベースから選び抜き、長らく愛奏することによって、その体を余すところなく震わせて演奏者に応える楽器になったのです。そして、ピアノにせよベースにせよ、木でできた楽器には魂が宿ります。
素晴らしい演奏者に心をこめて演奏されると楽器の魂が輝きます。OverSeasでトミー・フラナガンやサー・ローランド・ハナが演奏した後は、ピアノのサウンドが輝きを増し、ものすごく良く鳴ります。寺井尚之も調律の川端さんもそれを「奇跡」と言います。「ピアノが喜んでいる」としか思えない音色になるんです。逆もまた真なり。大切にすればするほど、楽器の情が深くなり、喜んだり悲しんだりするものです。
ムラーツが故国のお城で演奏する喜び、歴代大統領の感慨、一般市民の楽しさがこもった楽器、今回の嫁入り騒動中、実は嫁入り先を日本に決めたは、ムラーツ兄さんではなくて、この楽器自身だったのでは・・・と思ったこともありました。
新しいベースのオーナーは、何よりもまずムラーツが大好き、これからはムラーツ以上に愛し続けてくれることでしょう。彼は現在、彼女の類い稀なサウンドバランスに惚れ惚れしている様子です。
素晴らしいマッチング、ジョージ・ムラーツも3月にNYでカムバックが決まっています。きっと来日して、このベースに再会する日が来ることでしょう。
どうぞ末永くお幸せに!
CU
ジョージ・ムラーツ、ベースの嫁入りとカムバックのご報告
寺井尚之がHP上で告知していたジョージ・ムラーツさんの秘蔵ベースの件、良縁に恵まれ日本に嫁入りが果たされました!
夏の楽旅で負傷し、高額な治療費用を捻出するために「愛器を日本の方に」と願ったムラーツさん、その願いをブログやTwitterやフェイスブック…様々な伝達方法でお声掛けくださった皆様、ご心配やお見舞いメールを下さったファンの皆様、本当にありがとうございました。ムラーツさん共々、心より感謝しています。数か月に渡りご心配をおかけしましたが、やっと良縁が決まりました。嫁ぎ先は、神奈川県在住のベーシスト。ムラーツの音楽をこよなく愛し、クラシックとジャズの両方で活躍されている心優しいサムライです。
12月中旬にトントン拍子に話がまとまり、これでOverSeasのミッション完了!と喜んだのですが、ムラーツ兄さんから、運送&支払完了まで、引き続き言葉の面倒を見るように指令が来て、それからが大変!
まず、運送を安全かつ経済的に行う為には、空輸とハードケースと保険が大前提ということになりました。当初のプランは、NYでムラーツが持っている上等のハードケースを一旦自費でプラハに送り、梱包するというものでしたが、なにせミイラの棺桶!空輸なら大変なコスト、船便なら大変な時間のロスがあることを認識。現地で中古ケースの調達を試みたものの、頼みにしていたプラハの友人ベーシストはあいにくツアー中。
また運賃は、個人で運送業者に依頼すると、法外な金額になることが判明。買い手の方に負担をかけぬよう、これもジョージ・ムラーツが色々苦心して、チェコの友人の会社に代行してもらうことにしました。ハードケースを捜したり、万全の保険の手配をしたり、普段の楽旅ならすべてのアレンジはプロモーターにまかせっきりのベースの巨匠が、一人で手配するのはさぞ大変だったでしょう。
慌てふためくうちに、チェコ民主化のシンボル、ハベル元大統領(ムラーツの友人です。)が逝去され、チェコ全国民が喪に服することになり、クリスマスの長期休暇を目前に、銀行も会社も業務がストップしてしまったんです。このまま新年まで街は休止状態かも…「どないしょう!!」寺井尚之とジョージ・ムラーツ、プラハの関係者、そして買ってくださった方の間でメールや文書のやり取りが続き、まるでタモリの4か国連合麻雀です。
その時の兄さんの慌て方は、ステージ上のクールな演奏ぶりからは想像もつかないほどでした。NYから夜討ち朝駆けのマシンガン現状報告、長文メールも要約すれば、「俺は一番中起きて頑張ってるのに、段取りがつかん!どないしょう?!」というものだったのですが、結局、私の翻訳作業も24時間体制…。
でも、ムラーツさんの慌てぶりは、本当にうれしい事でした。なぜなら、予約金のみの受領で楽器を搬出すると固く決めていたのです。「もしも残金が振り込まれなかったら」なんて全く想定せず、新しい持ち主のために、指板もネックも新品に交換して「とにかく年内に届けてあげたい!」と思っていたから焦ったのです。
言っておきますが、兄さんは、単なるお人よしではありません。チェコの民主化運動に対するソ連の弾圧を潜り抜け、ジャズに命を懸け、すべてを捨てて米国に逃れた人です。ムラーツは、こんなに日本人を信用してくれてるんだ!そう思って、寺井尚之と大喜びしました。後から伺ったのですが、嫁入り先もその気持ちを察し「日本人として恥ずかしくない態度を取らねば!」と肝に銘じたそうです。義侠の兄弟、ジョージ・ムラーツと寺井尚之、ベースのご縁を結んだ方も同じような心根の方だったのが不思議ですね。
ベースはフランクフルト、パリを経由して1月6日に神奈川に到着!
新しいご主人の感想です。
「オールド・ドイツというよりも外観も音もイタリアンに近いおとなしめの深い鳴りをするベースでした。やはりムラーツ氏の審美眼、好みが反映されているようです。」
「弾くたびにどんどんとその本領を発揮してきています。なんといっても1から4弦のバランスがすばらしく統一されているので非常に弾きやすい楽器になってきています。
1・2弦がうなる楽器というのは非常に珍しく理想的です。」
海を越えたベースのお嫁入り、新しいご主人も、ムラーツさんも、本当に良かったです!
<ジョージ・ムラーツのカムバックが決まりました!>
そして、もう一つGOOD NEWS!ジョージ・ムラーツのカムバックが3月に決まりました!
丁度、一昨日VISAの手続きで帰国しているジョージ・ムラーツの弟子&アシスタント、石川翔太君によれば、ムラーツは順調にリハビリを続け、傍目には普通通り楽器を触れる程度まで回復しているそうです。
3月23、24日の二日間、NYリンカーンセンターのアレン・ルームで開催される、偉大なるテナー奏者たちに因んだ特別コンサート”The Music of the Tenor Masters”に出演が決まりました。メンバーはジョー・ロバーノ、ベニー・マウピン(ts)、ケニー・バロン(p)、ルイス・ナッシュ(ds)とムラーツ。
地元NYのこじんまりした会場で、なおかつ一流の演奏場所ですからカムバックには最適ですね。地元のみなさんは、ぜひ応援に行ってください!
石川翔太君は昨日OverSeasでプレイしましたが、ムラーツの弟子は肩書きだけではありません!驚くほど沢山のことを師匠から吸収しているのがわかりました。石川君は未来のジャズ界を背負って立てる逸材です!
約一か月の日本滞在中、元師匠の鷲見和広、先輩の宮本在浩など、皆に会いに時々遊びに来るそうですから、ぜひ聴いてみてくださいね!
ジョージ・ムラーツさんにも、皆さまにも、今年はずっと良い年になりますように!
寺井尚之からのご報告は、土曜日のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で改めて。
CU
コルトレーン クロニクル 写真で辿る生涯
コルトレーン・クロニクル / 写真でたどる生涯
藤岡靖洋 (著) / 菊田有一 (編集) DU BOOKS刊 ¥3.800
皆さんはジャズ・フォトグラフィーはお好きですか?
私が著作のお手伝いをしている世界的ジョン・コルトレーン研究家&コレクター、Mr. Fujiこと藤岡靖洋氏は、写真蒐集もハンパでなく、チャック・スチュワートやフランシス・ウルフなど著名写真家の名作から、ジャズメンが個人的に所蔵しているスナップまで、途方もない資金をつぎ込んだ膨大なコレクションをお持ちです。今回、貴重なコレクションから、藤岡さん自身が選りすぐった200点余りの作品が一冊の本になりました。
題して『コルトレーン・クロニクル 写真で辿る生涯』
紙も印刷もいかにも上等!さしずめNYならパークAve.の、ちょっと気取ったリッツォーリ書店に並べれば似合いそうな豪華本、でも豪華なだけではありません。コルトレーンの40年余りの生涯を目で辿れば、ジャズ界の移り変わりが一目瞭然!コンサートのチラシや、チケットなどがさり気なく挟まれ、何でもかんでもスクラップしていた子供の頃の楽しさと、シリアスなドキュメンタリーの視線が同居していて、コルトレーン・ファンでなくとも、ページをめくるのが楽しい本になっています。
小学校のクラス写真から始まり、ディジー・ガレスピー楽団でのアルト奏者時代、チャーリー・パーカー、マイルズ・デイヴィス、キャノンボール・アダレイなどジャズ史を彩ったスターたちとの共演ショット、代表アルバムの録音風景、プレイバックに耳を傾ける少し疲れた顔にも、深い味わいがありますね。世界初公開という貴重なショットにびっくりしたり、お馴染みのチャック・スチュワート作品は、印刷画質の素晴らしさで、新しい印象を受けました。年を経て変わる面構えと眼光は、コルトレーンが背負っているものも、時代と共に変化していることを教えてくれます。
レイアウトやキャプションなど細部まで凝った仕上げは編集のおかげかな?藤岡さんとチームを組む編集者は素晴らしい方ばかりと、つくづく感じました。
ベストセラー、「ジャズの殉教者」(岩波新書)を読まれた方は、見覚えのある写真も改めてクリアに観れるので、楽しさ倍増でしょうね。
岩波新書「ジャズの殉教者」では、コルトレーンが小学生のときに作った「黒人の歴史」というスクラップ・ブックのことが書かれていました。私はラッキーなことに、そのコピーを閲覧させていただいたことがあります。かつて奴隷であった自分達の歴史から始まり、その当時、様々な分野で活躍していた黒人のヒーローたちを、写真や新聞記事の切り抜きと手書きの解説で、語っていくという、それは素敵なものでした。『コルトレーン・クロニクル』に一貫して漂う少年の視線は、このスクラップ・ブックと不思議に似通っています。
『コルトレーン クロニクル 写真で辿る生涯』は、NYのディックス・ヒルズにあるコルトレーン・ホーム記念館のオフィシャルブックに指定されるそうです。
こんな豪華な本を、たった3,800円という値段で出版してくださったDU BOOKSに感謝!全部売れても赤字らしい・・・
藤岡さんの言葉を借りるなら、「こんな贅沢なもん、買わな損でっせ!」
お求めは書店のほかディスクユニオンさん、澤野工房さんなどで。
OverSeasでも閲覧できますのでぜひどうぞ!
CU
謹賀新年
年末雑感 2011
今年最後のレッスン日、堺筋本町は静かで、路面のお弁当屋さんも暇そうです。FBには、一足早くリゾート地の楽しい写真を載せている仲間もいて、羨ましいかぎり!今日は半日大掃除をしました。
皆様は年末いかがお過ごしですか?
昨夜はエコーズで今年最後のライブ。「ずっと来たかった!やっと来れました。」同じ言葉を、長年のお客様と、初めてのお客様からいただけるのは、年末の特典です。
2011は大変な一年でした。震災被害を受けられた皆さんとは、比べようがありませんが、311以降、全く先の見えない毎日。そして、ジャズ界でお世話になった方々と、ほんとうに沢山のお別れがありました。数えきれないほどため息をついた一年、寺井尚之の演奏する”God Bless the Child”や、末宗俊郎(g)3の” Look for a Silver Lining” がしみじみ心に響いた一年でもあります。
思いどおりにならない夜もありました。それでも、へこたれずに、真摯に音楽と向き合って、新しいレパートリーを増やしていく、宮本在浩(b)や菅一平(ds)、努力を忘れないジャズメンと、温かいお客様たちが、今年の私の背中を押し続けてくれました。
トリビュート・コンサートで、大きな喝采を受けた寺井尚之The Mainstem、皆の頬がバラ色に輝くのを見て、元気一杯!
暑い日も、寒い日も、雨が降っても、日照りでも、OverSeasのライブや講座に通ってくださったお客様、階段があり敷居が高い路地裏の店に、勇気を出してきてくださった皆さま、通りすがりで立ち寄ってくださった皆さま、ありがとうございました。遠方から季節の差し入れくださった皆さま、ありがとうございました。
このブログに感想下さったり、ライブ告知やジョージ・ムラーツのベースのことなどなど、TwitterやFB、ご自身のブログでPRしてくださったネット上のジャズ同志たち、ありがとうございました。
来年は、ライブも料理も、Jazz Club OverSeasを、もっともっと楽しんで頂けるよう、努力いたします。
『思いおこせば 恥ずかしきことの数々… 』どうぞ来年もよろしく!
みなさま、良いお年を!!
CU
クリスマス・イヴはThe Mainstemのホワイト・クリスマスで!
年末になると、久しぶりに大阪に帰ってこられたお客様をお迎えしたり、思いがけない訪問があったり、アタフタしながら楽しく一年が暮れて行きます。
今週は、ポール・ウエスト(b)さんが来られ、火曜日デュオは、河原達人(ds)、末宗俊郎(g)のお二人が加わって「浪速のデトロイト・ハードバップ・カルテット」になり、昨日は、クラリネットの名手、滝川雅弘(cl)さんの伸びやかなサウンドと、鮮やかなパーカー・フレーズで盛り上がりました。
そして12月24日(土)は今年最後の寺井尚之The Mainstemトリオ開催!寺井、宮本在浩(b)、菅一平(ds)で結成し、鉄壁のアンサンブルとダイナミクスを目指して日夜切磋琢磨しながら、The Mainstem結成から3年と3か月が経ちました。月日の経つのはやい!少年老い易く・・・にならぬよう、ザイコウ&イッペイ・リズム・チームは、ほんとに良くなりましたね!
24日はお日柄もよろしいので、下のエントリーに投稿した『White Christmas』を演奏するそうです。
言うまでもなく、チャーリー・パーカー→トミー・フラナガンの強烈にスイングするバップ・ヴァージョン!オリジナルなアレンジは、『 Charlie Parker and The Stars of Modern Jazz of Carnegie Hall Christmas 1949』で聴くことができます。でも、寺井尚之が聴いたトミー・フラナガン・ヴァージョンは、もっと洗練されていて、バードの録音よりも疾走感がありました。
「ホワイト・クリスマス」という歌曲の生い立ちは、下のエントリーに記したとおり、楽しく平和だった「あの頃」を思うノスタルジックなものでした。見方によれば、望郷の歌と言えるかもしれません。
勿論、ホワイト・クリスマス以外は、The Mainstemらしいソリッドな選曲になるでしょう。24日(土)はOverSeasで、Bebopなクリスマスをお過ごしください!
寺井尚之(p)メインステム:宮本在浩(b)、菅一平(ds)
演奏7pm-/8pm-/9pm-
Live Charge 2,625yen
おすすめ料理は「黒毛和牛の赤ワイン煮」!こちらは1,525円也
CU
White Christmasが愛される理由:対訳ノート(33)
激動の2011年も残り僅か、皆様いかがお過ごしですか?イルミネーションが灯りクリスマスのムードが漂う大阪の街を歩くと、O.ヘンリーのクリスマス物語「賢者の贈り物」を読みたくなります。
今回は、どなたもご存知の歌、「ホワイト・クリスマス」のことを書いてみます。この季節になると、高級ホテルのロビーから下町の商店街まで席巻する定番ソング!ビング・クロスビーのシングル盤は、全世界で少なくとも5000万枚売れたとギネスブックが認定。エルトン・ジョンが故ダイアナ妃に捧げた「Candle in the Wind」を抑え、歴史上最も売れたシングル盤に認定されているそうです。
クロスビーが最初に録音した原盤(’42)は、度重なる再プレスの為に損傷し、5年後に再録音をしたというからスゴイ!
当初、作詞作曲のアービング・バーリンは、こんなにヒットするとは思ってもみなかったとか…
<歌のお里>
“White Christmas”は元々映画の歌、と言えばダニー・ケイ&ビング・クロスビー&ローズマリー・クルーニーの映画「ホワイトクリスマス」(’54)がまず思い浮かびますが、実はもっと前、第二次大戦中、’42年の作品「ホリデイ・イン」の為に書かれた歌です。フレッド・アステアのダンスとクロスビーの甘い歌声で繰り広げるラブ・コメディ、クロスビーが最初1コーラス歌い、クリスマス・ツリーのベルや口笛と共に、恋人役のマージョリー・レイノルズと転調してデュエットする名場面はyoutubeで観ることができます。
このクリスマスのシーンは、大戦中、離れ離れでクリスマスを過ごさなければならない人々の家族愛や望郷の念を強く掻き立て、映画も歌も大ヒット!その余韻を引き継ぐ形で生まれた映画が「ホワイト・クリスマス」です。
「ホワイト・クリスマス」は、戦後のアメリカを描く映画。戦地から帰り民間人に戻った元上官は風光明媚なヴァーモントにある小さなロッジの経営者、ところがお客さんが来ず、倒産寸前。それを知ったクロスビー&ケイのボードビル・コンビが、閑散としたロッジにかつての戦友たちを呼び集め、飛び切り楽しいクリスマス・ショウを催して危機を救うという涙と笑いの人情話。
<アービング・バーリンとクリスマス>
アービング・バーリン(1888-1989)は第二のアメリカ国歌と呼ばれる「God Bless America」「Alexander Rugtime Band」など、作詞作曲した作品は約五千!ジェローム・カーンは「彼こそアメリカン・ミュージック」と賛美しました。
バーリンは貧しいロシア系移民の2世としてNYのロウワー・イーストサイドに生まれ、チャイナタウンにあるカフェのウエイター兼歌手から超一流へ上り詰めたアメリカン・ドリームの見本のような作家。その本名はイスラエル・バリン、ロシア系ユダヤ人です。ユダヤ教徒の人たちは、キリスト教のクリスマスを祝う習慣はありません。その代りに12月の25日から8日の間、古代ユダヤ人の独立の日を祝うロウソクのお祭りハヌカという行事をします。
欧米のグリーティング・カードのサイトを観ると、クリスマス・カードと共に、必ず”Happy Hanukah”カードが併載されていますよ。
町中にクリスマスのイルミネーションが灯っても、人種のるつぼ、米国は文化も宗教も多様です。ユダヤ人ミュージシャンも勿論クリスマス・イベントに出演しますし、非キリスト教徒がクリスマスを否定することはないにせよ、結婚式はキリスト教、お葬式は仏教という日本の寛容さとは別の感があります。
<非宗教のクリスマス>
さて、映画”Holiday Inn”の仕事の依頼は、新年や独立記念日の花火など、年間の大きな祝日に因んだ曲を書くことでした。その中で、バーリンが一番困ったのが「クリスマス」!何しろ、子供の時から祝ってないし、とにかく家が貧乏だったので、それどころじゃなかった…さっぱりイメージが湧きません。
そこでバーリンは、NYやLAで近所の人が飾るクリスマス・ツリーや、雪の情景を思い浮かべて、四苦八苦しながら作詞作曲。やっと出来てはみたものの、リアリティに乏しい…作者は全く満足のいくものじゃなかった。ところが、歌い手のビング・クロスビーは「これはイケルぞ!」と太鼓判を押し、それ以上のヒットになったんです。
それは何故か?
バーリンの思い描いたファンタジーが思いがけず、人々の心を打ったのです。
<心を打つ歌詞>
人々の心を掴んだのは、まず冒頭ライン、
I’m dreaming of a white Christmas, Just like the ones I used to know.(私は白銀のクリスマスを夢に見る、前によく知っていた、懐かしいクリスマス。)家を離れ従軍する兵士たち、愛する家族や恋人を戦地に送った人たち、双方にとって、宗教も民族も関係なく、”皆が前に知っていた”ホワイトクリスマスは「平和」の象徴だった!“と気づかされたんです。
クロスビーは述懐しています。「戦時中、内外の基地に慰問に行くと、真夏でも、必ずこの曲がリクエストされ、どんなラブ・ソングよりも兵士たちに受けたのがホワイト・クリスマスだった。」
同時に、「別に自分でなくとも、どんなひどい歌手が歌っても必ずヒットしただろう」と、冗談ぽく述べています。
キリスト教を超えた愛のお祭りとしてのクリスマス・ソング、そこにあるのは、白銀のイメージと、トナカイのソリの音を待ち焦がれる子供たちの生き生きした情景、そして、結びの言葉は、平和な日が来るようにという一般市民すべての願いでした。
“May your days be merry and bright,And may all your Christmases be white.”(明るく楽しい日々が来ますように。皆さんに白銀のクリスマスが訪れますように。)
White Christmas by Irving Berlin
私は白銀のクリスマスを夢に見る、
昔懐かしいクリスマス。
木々の頂きは雪にきらめき、
子供達はトナカイのベルに耳を澄ます。
白銀のクリスマスを想いながら、
クリスマスカード全てに添え書きしよう。
「あなたに明るく楽しい日々と、
白銀のクリスマスが来ますように。」
だから、「ホワイト・クリスマス」は、宗教も文化も関係なく、世界中で愛され、今夜の報道ステーションでもBGMで流れていました。
災害、原発、不況、色々大変だった私たち、今年聴く「ホワイト・クリスマス」は、より一層、深く胸に響きますね。
チャーリー・パーカーは「ホワイト・クリスマス」をBebopで演奏し、トミー・フラナガンはそれを更に洗練させたヒップなハードバップ・ヴァージョンを創りました。フラナガン・トリオの演奏はレコードとして残っていませんが、寺井尚之とThe MainstemのEvergreenにフラナガン・ヴァージョンが収録されています。iTuneでもダウンロードできますので、ぜひ聴いてみてください!そして「明るく楽しい日々と、スイングするハードバップなクリスマス」を!
CU
さすがの演奏!J.J. Johnson In Sweden 1957
昨日は「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で“Sea Changes”を皆で一緒に聴きました。
アルバム録音直後にOverSeasでライブを行ったときの思い出や、終演後のアメイジングな練習風景など、皆一緒にOverSeasの旧店舗にタイムスリップした気分。月蝕に「Eclypso」を聴くと魔法が起こるのかもしれません!
参加くださった皆様、本当にありがとうございました。
さて、トリビュート・コンサートの前に、マシュマロレコードの上不さんから999枚限定の貴重なLPの差し入れが!
それは<J.J. Johnson In Sweden 1957>
収録の全11曲の内、Track1-5は、トミー・フラナガンがウィルバー・リトル(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)と『Overseas』を録音したスエーデン・ツアーの2日目に録音されたもので、残りはNYとNJの録音だそうです。詳しくはネット上のライナーをどうぞ。
上不三雄氏直筆のライナー・ノートによれば、『Overseas』を産んだJ.J.ジョンソン5の楽旅は2ヶ月に及ぶもので、コンサートの殆どが野外の公園であったそうです。ライナーにはツアー日程が仔細に掲載されていて興味深いです。J.J.のクインテットがベルギーでTV出演した映像が残っているとあるので、ぜひ観てみたいですね!
トミー・フラナガンの話では、『Overseas』の録音スタジオは、ストックホルムを襲った豪雨で浸水しひどい状態だったといいます。そうすると野外公演は主体のツアーは大幅な予定変更を強いられたものだったのかも知れませんね。ダイアナに聞いてみなければ!
クインテットのメンバーは、J.J.Johnson(tb,trombonium),Bobby Jaspar(ts,fl),Tommy Flanagan(p),Wilbur Little(b),Elvin Jones(ds).という布陣。傑作『Dial J.J.5』のような端整でダイナミックなアンサンブルが楽しめます。
J.J.ジョンソンは、普通のスライド・トロンボーンと、トロンボニュームというヴァルブ・トロンボーンに似た楽器を使っていて、一番上のジャケット写真にも写っています。
寺井尚之も『J.J. Johnson In Sweden 1957』に大満足。
「最高の録音であるとは言えないが、さすがのレギュラー・コンボ!さすがのJ.J.ジョンソン!音楽の内容が素晴らしい!
ライブ録音もスタジオも、どれをとってもマスター・テイクや!これはすごい!!」と、nbsp;口を極めて絶賛していました。J
.J.ジョンソン・ファン、トミー・フラナガン・ファンは必携ですね!
収録曲もJ.J.ジョンソン・ファンならお好みのものばかり!
1. Thou Swell (R.Rodgers)
2. Undecided (C.Shavers)
3. Never Let Me Go (J.Linvingston)
4. It’s Only a Paper Moon (H.Arlen)
5. A Night in Tunisia (D.Gillespie)
6. Solar (M.Davis)
7. Thad Ben Wess (T.Jones)
8. It’s All Right with Me (C.Porter)
9. Undecided (C.Shavers)
10. Chasin’ the Bird -take 2 (C.Parker)
11. Chasin’ the Bird -take4,5 (C.Parker)
「7.サド・ベン・ウエスだけ知らないなあ・・・」と思ったあなたはJ.J.ジョンソン検定合格です!これは、サド・ジョーンズのBird Songですよ!
LPは重量盤で999枚限定、急がないと売り切れ間近かも…アナログ・プレイヤーのない方はCDもあるのでご安心ください。ジャケット写真のトミーがカッコイイね!
ハマの親分、上不さま、ありがとうございます!
J.J.ジョンソン・クインテットの第一期黄金時代を記録した<J.J. Johnson In Sweden 1957> Check it!
Sea Changes登場!「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
土曜日は月例「トミー・フラナガンの足跡を辿る」を開催!激動の2011年の締めくくりは『Sea Changes』一本勝負。トミーが、このアルバムを録音直後に、「ダラーナを演ったぞ!」と、寺井尚之に電話してきたというのは、OverSeasでは有名な話ですが、その際、電話に出た私には「“Sea changes”ちゅう意味、タマエはちゃんと分かってるんやろな。」と念を押されました。
“Sea changes”は、「海の様相が一変する」→「大変換」というイディオムであります。それは、もちろん過去の名盤”Overseas”に引っかけたものですが、「単なるリメイクやパロディではなく、円熟した今の私を聴いてくれ!」というフラナガンの強い主張を感じますよね。
『Sea Changes』は、OverSeasにとっても記念すべきアルバムです。録音の2か月後に来日、アルバムと同じトリオでOverSeasに出演し、このアルバムからも沢山演奏してくれました。当時のコンサートの模様は後藤誠氏の取材でジャズライフ誌1996年9月号に掲載されました。
記事のタイトルは「円熟にして絶頂!」、下右の写真のキャプションには「なんと場内禁煙」なんて書いてあるのが20世紀ですね。
トリオのメンバー、ピーター・ワシントン(b)、ルイス・ナッシュ(ds)は、先日も野々市のジャズ・ワークショップで来日したばかり。当時は新進気鋭の若手と言われた二人も、現在は巨匠の風格ですね。後藤誠氏により近影も、講座でご紹介します。
土曜日の講座では、収録作品の隅々まで知る寺井尚之が、この一枚に絞って徹底解説。自ら録音した”Dlarana”では、その「構成」の秘密について、未公開音源を含め、様々な実例を検証しながら徹底解説いたします。トミー・フラナガンはOverseasが最高!というファンのみなさんやミュージシャンたちにもぜひぜひ参加していただきたいです。
そして本年、講座をご贔屓頂いた皆様には、お歳暮代わりに、トミー・フラナガンの秘蔵音源を聴いていただきます。真の意味でのアーティストは、シンプルな題材からどのように霊感を得て、自分の音楽を創造していくのか?
「ワーク・オブ・ゴッド」という表現が相応しい創造過程は、音楽だけでなく全ての芸術へのヒントになるかも知れません。
「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は12月10日(土)6:30pmより。(受講料¥2,625)
初めての客様も大歓迎ですよ。
おすすめ料理は体がポカポカする「ハーレム風ポークビーンズ」の予定です。
CU!
In Walked Gentlemen!
大阪の街もクリスマスの装いになってきました!皆様、いかがお過ごしですか?
まずは嬉しいニュースから!
その1. 先日札幌からお越しくださったデューク松田さんの人気ブログ、デューク アドリブ帖に、OverSeas訪問記が掲載されました。題して“大阪「OverSeas」に青春のあの頃を見た”、アドリブ帖には、いつも沢山コメントが入り、まるでカフェでジャズ談義をしているみたいな和やかムード!心優しいデュークさん、どうもありがとうございました!
その2. 昨夜の”エコーズ”にひょっこり現れた紳士!関西ジャズ界のVIP、大塚善章さんでした。
お土産に、トミー・フラナガンと善章さんが参加されているアルバム、”Ella in Japan”を持ってきてくださって、寺井尚之も大感激!おんぼろ携帯で撮ったので写真が小さくてすみません…
’64年のエラ・フィッツジェラルド&トミー・フラナガン3来日時に、ステージを分かち合われたとは、本当にすごいです!
間近で聴く、トミー・フラナガンのサウンドは「タッチに陰影があり、立体的な絵画の様だった。」
「エラ・フィッツジェラルドは明るくて、トミー・フラナガンは、物静かな人やったなあ。」
「ジャム・セッションやってたら、後ろからロイ・エルドリッジ(tp)が入ってきてねえ。気持ちよかった~!」
コンサートで共演された時の貴重な証言や、大塚さんが一番尊敬されているホレス・シルヴァーやアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのお話など、いろいろ伺いながら、夜が更けていきました。
大塚さんは、1934年生れですから、トミーより4歳年下、レザー・ジャケットの下は鮮やかなブルーのセーターで、小学校の時、TVで観た「古谷充とフレッシュマン」のイメージと全然変わりません。
「今でも勉強や!」という姿勢が若々しさの秘訣かもしれませんね。
大塚先生、ご来店ありがとうございます!またいろいろと勉強させてくださいね!
CU