「クレオパトラの夢」:Keyのおはなし

 大阪もどんより冬空です。皆様いかがお過ごしですか?
 Jazz Club OverSeasの動画チャンネルに、寺井尚之メインステムによる「クレオパトラの夢」が加わりました。もうご覧になりましたか?
<The Scene Changes>
albumcoverBudPowell-TheSceneChanges.jpg
 「クレオパトラの夢」のオリジナル・ヴァージョンは、バド・パウエルがパリに発つ直前のアルバム、『The Scene Changes』(’58)に収録されています。
 ジャケットに写っている子供は、バドの息子さん、アール・ジョン・パウエル、現在NY在住の舞台プロデューサーです。”The Scene Changes(場面転換)”というアルバム・タイトルの由来は彼にありました。パウエル夫妻は、里に彼を預けてパリに移住したのですが、生活が安定したので、パリに呼び寄せ、家族水入らずの生活が始まった直後にリリースされました。バドは、息子にアメリカという枠にはまらない生き方をして欲しいと望んでおり、彼のたっての希望で、ブルックリンから、このアルバムに参加しているアーサー・テイラー(ds)の同行で、フランスにやってきた。
 “The Scene Changes(場面転換)”とは、ピアノに対峙する父を無垢な瞳で覗き込んでいる息子の人生を表現していたのでした。アール・ジョンは5歳から10歳までの間、サルトルやボーボワールなどフランスを代表する知識人や、ジョセフィン・ベーカーを筆頭に数多くのパリ在住のセレブや、ケニー・クラーク達、ジャズの巨人達に囲まれて育ったそうです。彼のインタビューの全訳はJazz Japan Vol.4にあります。脳の疾患のため、共演者を含め一切会話をしなかったバド・パウエルも父親の愛情は普通の人と全く変らなかったんですね!
<クレオパトラの夢>
Bud+Powell.jpg
 さて、バド・パウエルの代表作品とされ、「クレオパトラの夢」という魅惑的なタイトルも手伝って、並のスタンダード・ソング以上に有名なこの曲ですが、案外演奏している人は少ないですね。それは、この曲がAm という♭がマキシムに7個付いた特殊なキーで書かれていることが理由のひとつです。
 クロード・ウィリアムソンや山本剛、穐吉敏子など、多くの著名なピアニストたちがレコーディングしているけれど、殆どが、Gm(♭2つ)やAm(♭も♯もなし)といった”ご近所”のキーに移調して演奏されています。腕のあるバップ・ピアニストなら、当然どのキーもOKのはずですが、レコーディング直前にプロデューサーから指示されたのなら仕方ない・・・
 でも、寺井尚之の動画では、オリジナル・キー、Amに忠実に、これぞバップ・ピアニスト!という華麗な演奏を繰り広げています。
 ヴォーカリストなら、自分の音域に合わせてキーを変えるのは当たり前。一昨日のイベントで寺井尚之が語っていたように、トミー・フラナガンやハンク・ジョーンズなどの名手は、”Oleo”のようなバップ・チューンですら、「緊張感を出すため」に、録音でわざをキーを変えて演奏したりする。
 そんならAmでもええやんか、と言いたくなるのですが、やっぱりAmでなければならない理由があるんです。
<キーの持つ色相>
A_flat_minor_scale.png
 かつてピアノの巨匠、生まれつきの盲目であるジョージ・シアリングは、サウンドが空気のヴァイブレーションであるならば、自分が見たことのない「色」というものは、恐らく「光のバイブレーション」だろうと、語りました。
 キー(調性)とは、その光の当たり具合を変えて、音の「色合い」を決めるものだと思えば判りやすいのではないでしょうか?クラシックの世界では、例えばベートーベンの「運命」は「交響曲第5番ハ短調(Cm)」と、タイトルにしっかり明記されて、ずっと「偉そうに」しているみたい。調性論という学問もあって、シャルパンティエとか、キルンベルガーといった調性の権威が、その色合いを言葉で説明しようとしている。
 「クレオパトラの夢」には、コードがE7、Amの二つしかないシンプルな組み立てになっているので、キーで作り出される色合いが一層大切になるわけで、やみくもに「オリジナル・キーじゃないとダメ~!」と叫ぶ石頭じゃない。
<じゃあ、Amは何色?>
cleopatra.jpg
 この質問を、演奏者、寺井尚之にそのままぶつけてみました。答えはズバリ「クレオパトラの肌の色!」威厳に満ちて美しい色合い。黒人のルーツである絶世の美女の肌の光と、寺井尚之は即答。黒人には、「音楽による肖像画」の伝統があります。作曲者バド・パウエルの心の中には、きっと琥珀色に輝くクレオパトラの肌色があったのだ。
 寺井はさらに、「この色は西洋の色彩より日本文化の持つ色合いに近い」と言います。例えば写楽の着物の色や、能衣装の色彩も、Amに近いと寺井は言う。
imgeaa970b4zikazj.jpeg noh-218.jpg
 バップと日本古来の色彩感覚が共通しているから、日本人はジャズを愛し、バッパー寺井尚之が生まれたのかもしれないな!クラシックでは、A♭m(変イ短調)はベートーベンのピアノソナタ「葬送」の第三楽章とか、「哀切」や「憂愁」を表現する色合いとして選ばれるけれど、バド・パウエルの「クレオパトラ」はもっと「壮麗」だし美しい。
 そして、これをを安直にAmに上げると、色の深みが消え去り、ペラペラの「黄色」っぽい色になり、Gmに下げると、ブルーな色相に変ると寺井は言います。その辺りは、シャルパンティエの調性論と近いかもしれません。
 Youtubeで「クレオパトラの夢」を検索すると、色々な「クレオパトラ」がありました。バド・パウエルと寺井尚之以外は、私の観た限りでは全てAm,Gmで演奏されていますから、色相の違いがよくお分かりになると思います。
 不肖、当チャンネルの寺井尚之ヴァージョンは、演奏同様、ピアノの輝きも傑出してます。ピアノのカバーが鏡のように指を写して目が回りそう。

 演奏は寺井尚之(p)、宮本在浩(b)、菅一平(ds)、トリオ全体が写っているヴァージョンは一平チャンネルでご覧になれます。
 「クレオパトラの夢」を含めたバド・パウエル作品の譜面や楽曲の解説本もありますので、ご自分の演奏に応用できます。興味のある方はぜひどうぞ!
☆2011年 4月に訂正&更新

Evergreen物語(6) My Funny Valentine

 発表会も終わり早くも2月、デパートはバレンタイン一色ですね!だからということはないのですが、折良く“My Funny Valentine”の物語を書いてみます。
 実は3年前の2月にも、“My Funny Valentine”について書いています。ちょっとユニークなこのラブ・ソングが、シェークスピアのソネットに似ていることを見つけたのがきっかけでした。詳しいことは3年前のエントリーに書いています。
 その時、色んな方に訳詩を誉めていただいて、一層嬉しくなったのを覚えています。その節は励ましていただきありがとうございました!
<”Valentine”は人名?>
Babes_in_Arms_Logo.png
 歌のお里、ブロードウェイ・ミュージカル “Babes in Arms”は劇団を舞台にした青春ドラマ、、劇中劇でヴァレンタイン(ヴァル)という名前の男性が作ったという設定になっているこの曲を、ヒロインのスージーが、彼の名前を「a valentine=恋人」という言葉に引っ掛けて歌うことで、ヴァレンタイン君への愛を示す設定になっているんです。ややこしいね!そのためか、色々な「訳詩」のブログを拝見すると、歌自体をValentineさんへのラブ・ソングだと解釈している人が多いみたいです。
  映画ヴァージョンの”Babes in Arms”では、当時のドル箱スター、ミッキー・ルーニーが主演しているため、ヴァレンタイン君の役名が”ミッキー”に替わり、この曲は出番はありません。
<ロジャーズ&ハート>
rodgers_hart.jpg   作曲リチャード・ロジャーズ、作詞ロレンツ・ハート、二人は高校時代の親友、25年に渡るコンビ活動で、28本のショウ、映画8本、550以上の歌を作った黄金コンビです。1942年にコンビ別れしてから、ロジャーズはさらに華々しく活動を続け、「オクラホマ」や「サウンド・オブ・ミュージック」など、現在もリメイクされる作品を作りました。一方のロジャーズは酒に溺れ、2年後、失意のうちに48歳で亡くなりました。
 “My Funny Valentine”のお里である、”Babes in Arms”(’37)は、脚本も含め、コンビが全てに渡り共作した最初のミュージカルです。不思議な魅力のある歌詞にぴったりのメロディ。ターンバックで、最初のアイデアを、オクターブ上げて、ハーモニーを豊かにすることで、色合いが一変、歌詞にぴったり沿いながら、最高に盛り上がります。アレック・ワイルダーは「音楽の新しいアイデアは、歌詞によってもたらされることが多い」と言い、この歌も「歌詞が最初に作られ、曲を後付けした作品」と断言しています。(American Popular Song p.206)
 皮肉っぽさと切なさが同居する都会的な魅力で、当時、ナイトクラブの歌手は、皆がこの歌を愛唱した。あんまり頻繁に歌われすぎるので、あるNYの一流クラブでは、歌手の出演契約書にMy Funny Valentine禁止条項を入れたほどだったそうです。
<自分宛てのラブソング>
 ソネットという十四行詞の形式になっている”My Funny Valentine”、私の推理どおり、本当にシェイクスピアにヒントを得たのかどうかは判りませんが、興味深いのは、この曲のヴァース(滅多に歌う人はいない、私が知ってるのはエラ・フィッツジェラルドのソング・ブックだけ。)が、シェイクスピアを思わせる古語で書かれていることです。
hart.jpg

Verse
我らが素晴らしき旧友をご覧あれ、
そは美の大行進、
さて我が血の巡り悪き友よ、
君、おのが姿を知らず、
空ろな額、乱れた毛髪、
美しき心を覆い隠す、
気高く、真摯、誠実だが、
いささか間抜けな男・・・

 額が薄くもしゃもしゃのバーコード頭、中身は素敵なのに、みかけが良くない「友」とは、ロレンツ・ハート自身ではないのかな?そして冒頭の麗しい「我らの友」とは、皆に好かれ尊敬された彼の幼馴染、相棒であったリチャード・ロジャーズを指しているように思えてなりません。
<ビタースイートなチョコの味>
 “上から目線”で相手の欠点ばかり言いながら、最後には「そのままでいておくれ!」と本心を吐露してしまう歌の主人公はとても切ない。相手も、そして自分自身も一生「そのまま」ではいられないことに気づく年齢なら、この歌はもっと深く、もっと切ない。
 「もしも私を想っているなら」と言うけど、本当に相思相愛なのかしら?「感じの良い巨匠」として名高いリチャード・ロジャーズとは対照的に、人付き合いが下手で、眉目秀麗でないホモノセクシャル、アル中だったロレンツ・ハートに、何となく親近感を覚える。
 色んな人がこの歌を取り上げるけど、ジャズに限らず、上手い歌手や演奏者なら本当に美しく響く歌です。そしてこの曲の持つ独特の切なさは、私が年を取るに従って、一層苦く感じられます。
 Evergreenでは、寺井尚之のタッチとハーモニーが、皮肉から切なさへのドラマを美しく語ってくれます。ぜひダウンロードして聴いてみてください!

My Funny Valentine

Richard Rodgers/Lorenz Hart
(原詞はこちら)
私のおかしな恋人さん、
優しく楽しい恋人さん、
心から私を微笑ませてくれる。
そのルックスに笑っちゃう、
どうも写真には向いてない。
でも、私が一番好きな芸術品。
スタイルはギリシャ彫刻に負けるかな?
口元も弱いかな?
その口を開けて話しても、
スマートでもない。
でも、私を想ってくれるなら、
些細なところも変えないで、
どうぞこのままいて欲しい。
あなたとの毎日が私のヴァレンタインデイ。

Evergreen_cover.JPGのサムネール画像のサムネール画像

 皆様にも幸せなヴァレンタインデーを!
CU

第20回 寺井尚之ジャズピアノ教室発表会


 1月30日、寒い寒い日曜日、寺井尚之ジャズピアノ教室、20回目の発表会開催しました!
 時節を反映してなのか、こじんまりしたプログラムになりましたが、山口マダムから贈られたイエロー・チューリップやガーベラは、ピアニストたちへの大エール!
 マダムいつもありがとうございます!そして、川端名調律師、素敵な記念品「ピアノ型の鉛筆削り」ありがとうございました!
fatima-1.JPG 緊張していても、皆の日ごろの稽古の成果はしっかりと感じられ、私もすごく楽しかったです! 左はfatimaちゃん、演奏終わって最高のスマイル!演奏曲は、寺井尚之の十八番、「波止場に佇み」、固さが取れてタッチもフォームも美しくなりました!
kameda-1.JPG 優秀賞のhitomiさんは、凄い美人なのですが、諸事情で写真掲載できないのが残念です。
 ライブに通いつめて勉強している成果が、高度なアドリブ・ソロに結実、堂々新人賞のみゆきさん、お疲れ様!いつも師匠を応援いただいているお返しに、私もいっぱい応援しました。
20th_ayame-1.JPG「最優秀賞」「努力賞」「タッチ賞」殿堂入り、ひとり横綱の風格あやめ会長、師匠の講評も笑顔で受け流せるのは余裕!でも、ライバル不在で腕を磨くのは、自分に厳しくなければいけないので、大変でしょうね。夫君 you-non氏、今回も録音&撮影ありがとうございました!
20th_munazou-1.JPG 来週の披露宴が「本番」で、発表会は「リハ」だったむなぞう副会長、可愛いフィアンセの見守る中で演奏してくれました。師匠は「披露宴までは、練習終わるまで夕飯を与えないでください。」と、彼女にも愛のムチを振るうよう強く要請!
<各賞 (敬称略)>
新人賞:みゆき
努力賞:みゆき、hitomi
パフォーマンス賞:hitomi
構成賞: あやめ
アドリブ賞: むなぞう、あやめ
タッチ賞: ネネ
スイング賞: あやめ
優秀賞: hitomi

 発表会は単なる通過点、レッスン生は余韻に浸る暇もなく、今日から新しい曲に取り組んでいます。
 寺井尚之ジャズピアノ教室は新入生募集中!
CU

講座本8出版 ハイライト講座のお知らせ

 講座本第8巻 発刊に際し、来る2月8日(火)に、新刊収録の名演奏をピックアップしたハイライト講座開催!
hisayuki_terai_lecture_live.JPG
「トミー・フラナガンの足跡を辿る」第8巻出版記念
【日時】2月8日(火)7pm~9:30pm 
【講師】 寺井尚之
【受講料】One Drink付 ¥2,500 (税込\2,625)  要予約 

 ご予約はOverSeasまで!
イベント関連サイト
night_234x60.gif

ジャズ講座の本、第8巻出来ました!

 今日も寒いですね!OverSeasの入っている新トヤマビルは全館いつも暖かいのに、薄着で廊下に出たらひや~っ・・・、超低湿度なので、寺井尚之はピアノの周りで霧吹きに余念なし。
kouzahon_8.JPG
 さて、お電話やメールで「まだですか~?」とお問い合わせいただいているジャズ講座の本、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」第8巻がやっと出来上がりました。
<フラナガン独立の真相>
 今回はフラナガンがエラ・フィッツジェラルドの音楽監督から、リーダーとして独立する節目の時期、’76年から’78年の録音作品を掲載しています。当時のジャズ・メディアでは、フラナガンが独立した理由は、心臓病のためと盛んに報道されていましたが、本当のところは、フラナガンが、自分自身の音楽活動に専念したくなり、同時にエラが糖尿病で、仕事をキャンセルすることが増えたことが原因であったようです。
 トミー・フラナガンは、「自分は良い伴奏者ではない。」とよく寺井に言っていました。謙虚な発言と解釈することも出来ますが、真意は「自分は伴奏者である以前にピアニストなんだ!」というプライドの婉曲語法だったのでないかと、私には思えます。
 トミーは歌手としてのエラを絶賛していましたが、エラはジャズのカテゴリーではくくりきれない歌手、「喝采こそ命」の大スターであり、ストレート・アヘッドなフラナガンには、流行のポップ・ソングを積極的に取り上げるエラの姿勢は必ずしも本意に合うものではなかったのは自明。DVDなどでエラのコンサート映像を見ると、コマーシャルな題材を伴奏しているときのトミーのちょっとした表情に、そんな思いを汲み取ることが出来ます。
ella_montreux77.jpg 第8巻には、エラ+トミーのコラボレーションの最終章、『Montreux’77』が掲載。長年培われた二人のコラボの集大成を解説で実感することができます。’60年代の共演盤では聴けないスリリングなアレンジと、掛け合いの凄さは、「歌手と伴奏」なんていう概念を遥かに超えたもの!不肖私の作った歌詞対訳も併せて、どうぞお楽しみくださいね!ジャズ・スタンダードは勿論素晴らしいし、コマーシャルな歌、S.ワンダーの”You Are the Sunshine of My Life”の中に、ポップ・ソングの”小さな青リンゴ”をドカンと引用して、「お客様が私の太陽です!」とオチをつけて大喝采を頂くあたりは、正に「喝采こそ命」の面目躍如!やっぱりフラナガンと一緒のエラは凄かった!
<珠玉のピアニストからダイヤモンドに!>
eclypso.jpg 第8巻で、最も人気のあるアルバムは『Eclypso』でしょう。デトロイトの旧友エルヴィン・ジョーンズ(ds)とのリユニオン、「講座本」初登場(!)の我らがジョージ・ムラーツ(b)が織り成す、超大型ピアノ・トリオ作品は、リリース時にジャズ喫茶を席巻しました。
 エラのもとから離れ、フリーランスのピアニストとしてジャズ・シーンに帰って来たトミー・フラナガン、ソロ作品、『Alone Too Long』、キーター・ベッツとのデュオでバド・パウエル作品をより洗練させる『I Remember Bebop』、もう一人の名手、ハンク・ジョーンズとの真剣勝負に手に汗握るピアノ・デュオ、『Our Delight』『More Delight』は「喜び」というよりガチンコ対決ということも、解説を読めばよく判る!この頃になると、フラナガンは「珠玉」というより、もっとアグレッシブに、大粒のダイヤモンドの輝きで聴く物を圧倒します。
 リーダー作でのレパートリーに対するフラナガンのこだわりや、繊細なアレンジなど、本書を読めば、レコードをかけるのが一層楽しくなることでしょう!
 寺井尚之のジャズ講座の本「トミー・フラナガンの足跡を辿る」第8巻新発売!購入後希望の方はHPをご覧の上お申し込みください。
 明日はメインステム!おすすめメニューは、ポークのグリル、粒マスタードソース、クリーミーでほくほくした出来上がりにする予定です。
CU

Evergreen物語(5)NY発;月への軌道:Fly Me to the Moon

lunar-landing-1a.jpg
 厳しい寒さが少し緩んだ感じの大阪、昨日は月がやけに明るく輝いていた!寺井尚之メインステムのアルバム、『Evergreen』のスタンダード物語、今日は『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』のお話を。
<NY山の手、高級クラブ発>
 “Fly Me to the Moon”は皆さんよくご存知ですよね!羨ましいことに、作詞作曲のバート・ハワードは、これだけで一生裕福に暮らせたというほどのヒット曲です。
07blue1.jpg色々探したけど”The Blue Angel”の写真はこれだけしか見つかりませんでした。大火事になった時のニュース写真。
 この曲の初演は1954年ですから、Evergreenの収録スタンダード曲中一番新しい。生まれはNYの山の手、アッパー・イーストサイド、”The Blue Angel”という高級サパークラブでした。
 このお店は、ヴィレッジ・ヴァンガードの名オーナー、マックス・ゴードンが手がけたクラブの一つで、現在のヴァンガードと全く違う高級店、ミルドレッド・ベイリーや、若き日のバーブラ・ストライザンド、コメディアン時代のウディ・アレンなどが出演し、フランス人シェフによるグルメな料理と、ヨーロッパ的な趣味の良い内装で大繁盛していたそうです。映画通ならもうお分かりでしょうが、マレーネ・ディートリッヒがキャバレーの踊り子を演じて大ヒットしたドイツ映画”The Blue Angel”(嘆きの天使)にちなんだ店名です。
FeliciaSanders.jpg HowardBart.jpg フェリシアと作者のバート・ハワード
 作者のバート・ハワードはこのクラブによく出演していた美人歌手、フェリシア・サンダーズの専属ピアニストであり、クラブのレギュラー司会者としても活躍していました。でもフェリシアが歌ったオリジナル・ヴァージョンはワルツだったし、タイトルは、現在副題として用いられる”In Other Words”(言い換えれば)、まだまだ「月」まで届くヒットではなかった。
<ボサノバ、シナトラ、そしてロケット>
fly_me_jo_harnell.jpg この曲がワルツから4拍子に変わったのは1962年、ジョー・ハーネルというアレンジャーが、ボサノバ・ブームに便乗して編曲し、現在まで脈々と続く演奏スタイルの基礎を作りました。
 やがてTVが隆盛になり、ゆっくりフランス料理を楽しみながらショーを楽しむライフスタイルは廃れ、”The Blue Angel”は売却済、でも歌は時代の変化に乗り、さらに月に近づきます。
sinatra_basie.jpg 当時の世の中は米ソ冷戦時代真っ只中、宇宙の覇権も争って、アメリカは国を挙げてアポロ計画を推進していました。そんな’63年、フランク・シナトラが、カウント・ベイシー楽団との共演盤を製作するにあたって、クインシー・ジョーンズがスイング感一杯のアレンジを施し、メリハリのあるヴァージョンが大ヒットしました。演奏の良し悪しだけでなく、文字通り「月に連れて行って」もらえる日は近い!そう皆が感じた時代のテーマソングになったんです!
 シナトラの『Fly Me to the Moon』のテープは、アポロ10号に搭載され、乗組員の愛聴曲となり、アポロ11号で宇宙飛行士バズ・オルドリンが月面着陸した際にもかけられて、世界中に発信された!『Fly Me to the Moon』は名実共に月旅行した歌の第一号になっちゃった!
 元は「言い換えれば」(In Other Words)だった曲、「言い換え」たら、月に行けたラッキー・ソング。その後もアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディング・テーマに使われ、若い世代に親しまれるエヴァーグリーンな曲です。

<フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン>
原歌詞はこちら。
詞,曲:Bart Howard
私を月に連れて行って、
星の間で遊ばせて、
木星や火星の春は
どんな風?
言い換えると、
手を握って欲しいだけ、
言い換えるとね、
キスして欲しい!

心を歌で一杯に、
いついつまでも歌わせて。
あなたこそ求める人、
憧れ、魅了される人
言い換えると、
誠実でいて欲しい!
つまり、
愛してる!

 このエントリーを書いている1/18は満月、『Evergreen』をダウンロードして、冬の夜空に輝くお月様に挨拶しましょう!
CU

1/25(火)「名盤サクソフォン・コロッサス/ソニー・ロリンズの真実を探る」

 昨年秋から毎月開催している「楽しい講座&ライブの夕べ」、今月のお題は「名盤サクソフォン・コロッサス/ソニー・ロリンズの真実を探る」
terai_sonny.JPG
 「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で大評判になった“サクソフォン・コロッサス”講座はもう6年以上前に遡ります。(講座本第一巻参照)
 今回は、ジャズ初心者の方に判りやすく、“サクソフォン・コロッサス”の面白さ、ひいては即興演奏というジャズの醍醐味をお伝えしようと、ただ今鋭意準備中。
 昨年も来日して、大阪のコンサートは完売したというソニー・ロリンズは、トミー・フラナガンと同い年でNYハーレム生まれのハーレム育ち。生家は、アーサー・テイラー(ds)やジャッキー・マクリーン(as)のご近所、当時コールマン・ホーキンス(ts)も近所に住んでいて、ソニー少年はサインをもらうために、自宅の前でホークを待ち伏せたという逸話もあります。
 “サクソフォン・コロッサス”で共演したトミー・フラナガンは、’80年代に共演アルバムを録音したり、カーネギー・ホールでリユニオン・コンサートをしたり、色々ご縁がありました。
 トミーが入院したとき、真っ先にお見舞いに駆けつけたのがロリンズさんだったと聞いています。
s-rollins.jpg ヴィレッジ・ヴァンガードのオーナー、マックス・ゴードンは、デクスター・ゴードン、ジョニー・グリフィンなど数え切れないテナーの星が出演した内で、最も華のある奏者はロリンズだと、自伝で言い切っています。
 また同じテナーのジミー・ヒースは、「ソニーは我々仲間のミュージシャンが世界中のどこにいるか、確実に把握しているが、誰もソニーの現在位置を知らない。」と神がかりっぽいことをつぶやいていました。
 真面目な性格だからこそ、堂々とユーモラスな引用ができるという話も聞いたことがあります。真面目だからこそ、二度もステージから遠ざかって、修行したり瞑想したのかも知れませんね。
 「サッコロなんか恥ずかしいてよう聞かんわ」と通が言うほど”サクソフォン・コロッサス”は有名盤、だけど、私は何度レコードをかけても、オープニングの”St.トーマス”でマックス・ローチ(ds)のイントロが始まるだけでわくわくするし、理屈では説明できない圧倒的な魅力を感じます。
 理屈じゃない隅々まで、寺井尚之はしっかり解説、おまけに自ら演奏を聴かせ、さらに納得させてくれます!
 初めてのお客様も、常連様も大歓迎です。ウィークデイ、お仕事帰り、お気軽にお立ち寄りください。
night_234x60.gif【日時】2011年 1月25日(火)7pm~9pm 
【講師】トミー・フラナガン唯一の弟子、OverSeasオーナー、 寺井尚之
【受講料】One Drink付 ¥2,500 (税込\2,625)  要予約
 いつもどおりお食事も用意していますので、ぜひどうぞ!
CU

寺井尚之ジャズピアノ教室発表会 1/30(日)に!

rehearsal_1_16.JPG
 寒い寒い日曜日、寺井尚之ジャズピアノ教室発表会のリハーサルを行いました。
 限られた持ち時間で、ピアニストたちが共演者に自分の演奏解釈と、どうサポートしてほしいかを、簡潔に伝えて、ピアノ・トリオとしてのプレイを完成させるというレッスンです。
 自由曲の演奏者対象なので、皆なかなか落ち着いていたし、前のリハーサルより進歩しているのを聴けると、外野の私も嬉しいです!
 発表会は1月30日(日)正午- PM3:00 
プログラムはこちら!
入門を考えていらっしゃる方、外部の方もご見学いただけます。(チケット 2,000円)
 本番もがんばって応援しますよ!
CU

Jazz Poet →The Mainstem

 新春ジャズ講座に遂に待望の『Jazz Poet』が登場!寒い夜にも拘らず、沢山お集まり頂きありがとうございました。
jazzpoet.jpg

  1. Raincheck
  2. Lament
  3. Willow Weep for Me
  4. Caravan
  5. That Tired Routine Called Love
  6. Glad to Be Unhappy
  7. St. Louis Blues
  8. Mean Streets
  9. *I’m Old Fashioned (add)
  10. *Voce A Buso(add)

 ジャズ詩人”Jazz Poet”という言葉は、元々、雑誌”The New Yorker”でトミー・フラナガンの特集記事が出た時の見出しでした。”The New Yorker”は「知的で洗練されたNY」を具現する大人の雑誌。長年ジャズコラムを担当していたホイットニー・バリエットが名付け親。フラナガン夫妻は、コマーシャリズムの影響を受けない”The New Yorker”のバリエットの評論と、このニックネームをとても気に入っていて、自己プロデュースのこのアルバムのタイトルにしたんです。
 日本では、フラナガンの代表作は今も『Overseas』ですが、米国では『Jazz Poet』の方がずっと評価が高い。メジャーのレコード会社製作でないのに、ビルボード誌「最優秀ジャズ・アルバム」やグラミーにノミネートされ、ダウンビートやジャズ・タイムズの人気投票で一位になった。’90年代の新しいジャズ・ファンに、フラナガンのバップの香りと、気品ある演奏スタイルが受け容れられたのだと、ジャーナリストのM.J. Andersenは述べています。
 上のオリジナルLPのジャケット写真は、数あるトミー・フラナガンのポートレートの中でも最もトミーの個性が出ていて素敵ですよね。実はこのポートレートを撮影したのはジャズ写真家ではなく、リチャード・デイビス(!)というモード系フォトグラファー、落ち着いた錆色のプリントとパノニカの令嬢ベリットの特徴あるレタリング、すっきりしたジャケットデザインも、フラナガンの音楽スタイルにしっくり合っています。
richard_davis_photo.jpg

リチャード・デイビスの撮影したファッション写真はRichard Avedonをガサツにした感じ。Poetのポートレートの方がよく見えるのは被写体のせいなのかな・・・
 講座では、寺井尚之がトミー・フラナガンに頂いた原盤のLP、その後出たCD、フラナガンの意に反して発売されてしまった『Please, Requeat Again』というタイトルの日本盤のジャケット・デザインや曲順を比較しながら、タイムレス原盤LPには、フラナガンの配慮が隅々に行き届いていたことを実感できました!掲示板にむなぞうくんが書いていたけど、曲順は本当に大切ですね!
 エリントン楽団やマット・デニスなど、収録曲のオリジナル・ヴァージョンと『Jazz Poet』を聴き比べ、フラナガンがどの部分を取り入れてアレンジしているのか、録音後『Jazz Poet』の収録曲が、バンドスタンドでどのように発展していったのかを見つめていた寺井尚之の解説を聞いていると、フラナガンのアートはピカソやダ・ビンチに負けないほど、日々進化していると判り、面白かった~
 演奏は、どれもこれも肩の力が抜けていて、いとも容易に聴こえるけれど、実際は各メンバー(ジョージ・ムラーツ、ケニー・ワシントン)に卓抜した技量があり、レギュラーで活動しているからこそ出来るプレイであることが、講座で改めてよく判りました。
「灼熱の砂漠をエアコン完備の駱駝に乗って旅をしているように爽快なCaravan」という寺井尚之の名言に場内爆笑!
 来月の講座は『Beyond the Bluebird』をたっぷり解説いたします。当時のフラナガンを公私に渡って知っている寺井尚之だからこその、面白くてためになる解説が聞けますよ。2月12日(土)は予定を空けておいてくださいね!
 そして今週(土)は寺井尚之The Mainstemのライブです。『Jazz Poet』の名曲の数々を演奏予定!こちらも絶対聴き逃せません。こちらもぜひお待ちしています!
CU

Evergreen物語(4)恋は終わり、唄は続く: I’m Thru with Love

 お正月明け、やっぱり寒いですね!十日戎の賑わいから離れ、Evergreen物語を書いています。
 今日は第4曲目、“I’m Thru with Love”のお話ですが、昨年10月『Evergreen』の録音よりずっと前、対訳ノートに、マリリン・モンローの映画『お熱いのがお好き』に因むお話を、お調子に乗って沢山書きました。
rvacteurs-_some-like-it-hot-_monroe-curtis-et-lemmon19589b83.png
<A Song of Great Depression>
 “I’m Thru with Love”が最初にヒットしたのも、『お熱いのがお好き』の時代設定も1931年、アメリカは禁酒法時代、’そして世界恐慌(Great Depression)真っ只中です。
 米国では、成人男子の内、4人に一人が失業していたそうですから、今の不況よりも厳しかったかも知れません。大学を出た人たちが、教会が出してくれる食事を求めて列を成して並んでいたという時代。今頃の寒さに耐えるのは、さぞ厳しかったことでしょう。
 そして、不況の時代を反映した当時のポップ・ソングは、“Songs of Great Depression”(恐慌時代の歌)と呼ばれています。
 
 例えば”I’m Thru with Love”と同じくビング・クロスビーの歌った“Brother, Can You Spare a Dime”はこんな歌詞です。
「俺もひと旗上げようと、
鉄道やビル建設でがんばった。
今じゃパンをめぐんでもらうため
長い列に並ぶ始末。
なあ、ブラザー、
お前と俺は友達だろ、
10セント貸してくれ。」

 日本でも、小津安二郎の映画から、「大学は出たけれど」というのが流行語になっていたそうで、閉塞感は現代と共通しているように思えます。
 “Depression”には、「不況」と「絶望」、両方の意味がありますから、“I’m Thru with Love”は二重の意味で、”A Song of Great Depression”ですね!
<恋は終われど名演は続く>
Bing_Crosby_Biography_2.jpg
 “I’m Thru with Love”の作曲者J.Aリビングストンが、ポール・ホワイトマン楽団の専属アレンジャーであったことを考えると、恐らくは楽団のレパートリーであったのだろうと思います。そして楽団のスター歌手だったビング・クロスビーのブランズウィック盤が、’31年、ヒット・チャートの第三位にランクされています。
 クロスビーは、マイクの発達で、声を張り上げずにソフトに歌う「クルーナー唄法」のパイオニアですが、この頃はまだまだ、バンドシンガーらしい感じがします。ダンス・ミュージックで、露骨な「貧乏」感はないものの、「春にさよならを言おう。もう二度と恋はしない。」という男性の脱Love宣言は、時代が反映しているのかも。
my_melancholy_baby_matt_dennis.jpg
Evergreen_cover.JPG 寺井尚之が大好きなマット・デニスのヴァージョンは、クロスビーのヴァージョンが、もっと粋でモダンな雰囲気に磨き上げられています。25年の歳月を経た分、進化と発展があります。
 そして寺井尚之の『Evergreen』は、粋なマット・デニスに、バップの香りが更に加わった感じ!ビング・クロスビー、マリリン・モンロー、マット・デニスと、名作の系譜をずっと辿りながら、『Evergreen』を聴くと、楽しみが一層深まります。
 もうお聴きになりましたか?
CU