寺井尚之の旅立ち:初演

 6月28日(土)、寺井尚之の新ユニット、<The Mainstem>が初めてのライブを開催しました。
看板
 ベース:宮本在浩(みやもと ざいこう)、ドラム:菅一平(すが いっぺい):ここ何年も、寺井と腕を磨いてきましたが、この日は特別な夜。唄の文句じゃないけれど、First-Nightingには心踊る魔法があります。二人とも口には出さないけど、今日の為に多くの時間と稽古を費やしたことは、音を聴けばすぐにわかった。
 

今夜の曲目:

1. Bitty Ditty (Thad Jones)
2. Out of the Past (Benny Golson)
3. A.T. (Frank Foster)
4. If You Could See Me Now (Tadd Dameron)
5. Minor Mishap (Tommy Flanagan)

1. Almost Like Being in Love( Frederick Loewe, Alan Jay Lerner)
2. I Can’t Give You Anything But Love (Jimmy McHugh,Dorothy Fields)
3. I Never Knew (Gus Kahn,Ted Fiorito)
4. If I Had You (Ted Shapiro/ Jimmy Cambell/ Reginald Connelly)
5. It’s All Right with Me (Cole Porter)

1. Let’s (Thad Jones)
2. A Blue Time (Tadd Dameron)
3. Mean What You Say (Thad Jones)
4. I Want to Talk About You (Billy Eckstein)
5. Raincheck (Billy Strayhorn)
アンコール: Cherokee (Ray Noble)

 First-Nightingは、じめじめした日本の梅雨だった。こういう日は鍵盤が重く、太鼓のチューニングは下がり、ベースも鳴りが悪くなりますが、新ユニットは雨も湿気もなんのその!プレイヤーの気迫と楽しさが伝わってきて、片隅で聴く私の心も日本晴れ!
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 <The Mainstem>の初セレクションはデトロイト・ハード・バップ!サド・ジョーンズで始まりビリー・ストレイホーンに終わるという、逃げのない王道を突き進みました。
 オープニングの“ビッティ・ディッティ”に入る前のイントロで、寺井が聴かせたのは、朗々としたガーシュイン・ナンバー“フロム・ディス・モーモント・オン”、どうやら即興で入れたらしい。つまり、「このときから、わしはメンステムで演って行く!」というアナウンスの替わりだったんですね!
 演奏に溢れる季節の趣、“Out of the Past”のルバートで、さりげなく聴こえて来た“Here’s That Rainy Day”は「やっぱり雨になってしもたなあ…」という、ピアニストの洒落たモノローグだったのかな?
寺井尚之
 寺井初演の曲<A.T.>は初演? A.T.とは勿論アーサー・テイラー(ds)のこと!ケニー・バレル(g)のアルバム、『All Day Long』の収録曲でフランク・フォスター(ts)のオリジナルです。今夜の為に、寺井が譜面を新しく書き直していました。憧れの巨匠のフィーチュア・ナンバーをプレゼントされた菅一平(ds)は、水を得た魚のように、活きのいいドラムソロを聴かせ、大喝采を浴びました。河原達人さんのMean Streetsのように、これから、この曲が彼のおハコになるのだろうか?
菅一平     宮本在浩
 ジャズ講座でフラナガンのアルバム解説をするうちに、自然にレパートリーに取り込んでしまった名曲も登場!
 エラ・フィッツジェラルドが歌った-2や5は、最近の私的ヒット曲!コール・ポーターの“It’s All Right…”のイントロとして、『モントルー’75』や『カーネギー・ホール』でエラが歌った“ビッグ・ノイズ・フロム・ウィネトカ”がピアノソロに挿入されていてニンマリ! -3,4のスタンダードは、モントルーのJATPオールスターズで、クラーク・テリー(flg,tp)やトミーのソロが印象に残るけど、解説をするだけじゃなくて、自分のプレイの栄養にしているのはさすがです。宮本在浩(b)もそんな寺井に応えて予習十分、良いラインを作って、ハーモニーがヒットします。
 
 ラストセットは、大胆にもサド・ジョーンズの極めつけ、“Let’s” から始まった。あの悪魔的なテーマが一糸乱れぬユニゾンで決まると、在浩、一平の顔に快心の笑みが浮かび、片隅から聴く私の心に爽やかな風が吹きました!えっ?寺井の顔はどうだったかって?隅から聴いていたから、顔は見えないけど、きっと表情は変わってないと思います… とにかくトリオはどんどんスイングして、色んな色合いを見せてくれた。!
 
 6月の名歌は、ビリー・エクスタインのバラード、I Want to Talk About You、この唄が何故6月の唄かというと、爽やかな初夏の夜、好きな人と月明かりに照らされる公園を、散歩しながら、こんな文句で愛を告白する唄なんです。
『6月の夜が素敵だとか、
月光に照らされる神秘的な小道、
そんな話はもうやめて。
僕は君の事が話したいんだ。…』

 そして、プログラムの最後は日本の梅雨のじめじめを払拭してくれる、ビリー・ストレイホーンのRaincheck! Rain Checkというのは、元々野球のゲームが雨で流れた時に配る振替券、『雨切符』のことなんです。ストレイホーンがカリフォルニアで作った曲を言われ、雨の曲なのに、どこまでも明るく軽快なスインガーで締めくくりました。
 アンコールは、想定外の“チェロキー”で客席の度肝を抜きました!ノロシの上がるのを見たインディアン達が雄叫びを上げながら攻めてくる。雄叫びが近づいたり、峠の向こうに遠ざかったり…ダイナミクス溢れるトリオのコンビネーションで、聴く者の心をわし掴みにしたまま、ライブが終わりました。
<The Mainstem>…初の船出は雨だったけど、明るい船出だった!次回は7月19日(土)、CU

コールマン・ホーキンスの話をしよう!(1)

coleman_hawkins_1.jpgコールマン・ホーキンス(1904-69)
  コールマン・ホーキンスの名演は、ジャズ講座で大反響を呼びました。
それを言い換えれば、私たちには当たり前のコールマン・ホーキンスの素晴らしさが、忘れられつつある証拠なのかも知れない。
 今、このブログを訪問して下さっているあなたが、最近ジャズに興味を持ったのなら、「ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンなら知ってるけど、ホーキンスて誰やねん?」と思っても、ちっとも不思議じゃない。
 だけど、ソニー・ロリンズだって、少年の頃は、サイン欲しさに、ホークの家の前で、毎日待ち伏せしてたんですよ。
 この間、お店で新じゃがをボイルしながらダイアナ・フラナガン未亡人と電話でおしゃべりしていたら、’60年代に友人に連れられてホークのアパートに何度か行ったことがあると自慢していました。
ダイアナ: 「まだトミーと親しくなる前のことだった。コールマンは、“パークウエスト・ヴィレッジ”という、当時新しく出来た高層アパートに住んでいてね、窓からセントラルパークが一望できる部屋に暮らしていた。だいたいは独りでね。家にはピアノがあって、クラシックのLPのコレクションが凄かった。」
珠:あなたから見て、コールマンはどんな人だったの?
 ダイアナ:「正に巨匠(a great master)って感じ。容易に人を寄せ付けないオーラがあって、誰にでも気さくというタイプじゃない。だけど、とっても優しい人だってことは、よく判るのよね。
 無口だけど、何か自分の意見を言うときはズバっと言った。当たり障りのないものの言い方をしない人よ。でも、奥の深い言葉だった。トミーはコールマンが大好きだったけど、別にトミーだけじゃないわ、ジャズマンなら、誰だってコールマンのことは大好きだったのよ!」
 近寄りがたいオーラがあって、優しくって、奥の深いことをズバっと言う巨匠?ダイアナ、それじゃあトミーと同じじゃないの!
 だから、ちょっとホークの話をしてみよう。
<テナーサックスの父>
 “Hawk”や“Bean”という愛称で親しまれたコールマン・ホーキンス(1904 – 1969)は、日本なら明治37年生まれの辰年で、カウント・ベイシー(p)やファッツ・ウォーラー(p)が同い年。シュール・レアリズムの鬼才、サルヴァトーレ・ダリとか、名優、笠智衆、「歌謡界の父」古賀政男もこの年に生まれた。
 ホーキンスには、“テナーサックスの父”という名前もある。
   というのも、この楽器は19世紀中ごろにベルギーのアドルフ・サックスによって発明されたのだけど、ブーブーと変てこりんな音を出す『三枚目役』専門だった。幅広のマウスピースと、堅いリードを用い、重厚な音色を開発して、音楽史上初めて、テナーサックスを、シリアスな主役を張れる『二枚目』に仕立て上げたのがコールマン・ホーキンスだからなんです。
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 コールマン・ホーキンスの写真を見ると、今では過去の遺物かも知れない『父』の風格が漂う。家の中で、一番偉くて、恐くて、頼り甲斐があって、信念に溢れる家長の姿だ。
 普通『父』は、子孫を沢山作ると、『爺さん』になり、お役目御免となるのが常ですが、ホークは違った。自分の蒔いた種から育った子孫と共に、更に音楽を開拓したんです。
   トミー・フラナガンは郵便配達夫であった父について、「ちゃんと労働をし、家庭を守り、人間としてやるべきことをきちんと子供達に教えた人」と言っていた。フラナガンのホーキンスに対する敬愛の念は、このお父さんの印象とオーバーラップする。
   スタジオ入りしてからレコード会社が決めた曲目のメモと市販の譜面だけを頼りに、その場でどんどんアレンジして、後世の私達を魅了する名盤を数多く録音した巨匠…フラナガンにとっては「音楽家としてやるべきことを、きちんと教えてくれた」音楽の父ではなかったろうか?
 コールマン・ホーキンス、どんな生い立ちだったんだろう?
 <ミズーリの天才少年>
 コールマン・ホーキンスの生地は、ミズーリ州のセント・ジョセフという町で、音楽家の母と、電気工事作業員の父の間に生まれた一人息子、大事にされました。
 西部劇でジェシー・ジェームズという銀行強盗を見たことがありますか? ブラット・ピットも演じたアメリカン・ヒーローです。彼が、賞金稼ぎと撃ち合いの末、壮絶な死を遂げた町がセント・ジョセフ。ホーキンスが、銀行を信頼せず、長年、全財産をポケットに入れ持ち歩いたのは、そのせいなのかも…。
 コールマンは5歳からチェロとピアノをみっちり稽古し、9歳の時に、たまたまプレゼントにもらったCメロディのサックスが気に入って独学で習得してしまった。
 つまり10才かそこらで、譜面が完璧に読め、ピアノもチェロもサックスも演奏できた! 即戦力!子供のときから、劇場のオーケストラに駆り出され仕事をしていた。
 後に、多くのミュージシャン達が、彼のピアノやチェロが、プロ並の腕前だったと証言している。サー・ローランド・ハナが、チェロで活動していたのも、ホーキンスの影響に違いない!
<一流ヴォードヴィルから一流楽団へ!>
 それは、ラジオすらない時代、庶民の娯楽として大人気だったのが、旅回りのヴォードヴィル・ショー。ダンスや歌、お芝居に手品やアクロバット、何でもありのヴァラエティ劇団で、サーカスみたいに巡業します。黒人のヴォードヴィルで最も人気を博していたのが、『マミー・スミス&ジャズハウンズ』という一座でした。
   12歳になると、女座長マミー・スミスさんが、ホーキンス少年のサックスの腕を見込んでスカウトにやって来ます。彼は体が大きかったので、そんな子供とは知らなかったんだって。さっき書いたように、サックスは、サーカスや、ヴォードヴィルのような演芸には重宝されたんです。
mamie_smith_jazz_hounds.jpg “マミー・スミス&ジャズハウンズ”真ん中の女性がマミー・スミスで右がホーク、左から二人目のトランペット奏者が後にエリントン楽団のスターとなった、ババ・マイリーです。
 息子を音楽学校に通わせて、立派なチェリストにしたいと思っていたお母さんは断固断り、黒人でもちゃんと教育が受けられる大都会シカゴへ息子を送り出した。その後、カンサス州都トペカのハイスクールに進学、トペカから車で1時間ほど飛ばすと、そこはジャズのメッカ、享楽の都カンサス・シティ!内地留学は、檻の中のライオンをジャングルに放つような結果となった。コールマン少年は、ルイ・アームストロングやキング・オリヴァー達がニューオリンズから持ってきたジャズのエッセンスを吸収し、どんどん実力を高める。カンサス・シティでは大学まで行ったと言われていますが、本当のところは判りません。演奏に忙しく、学費はあっても、そんな暇なかったじゃないかしら?
 18歳になると、青田刈りされていたマミー・スミスの人気一座に入り、たちまち高給取りとなります。
fletcher_henderson.jpg フレッチャー・ヘンダーソン楽団(’24) 左から2番目がコールマン・ホーキンス、3番目がルイ・アームストロング、真ん中で腰掛けているのがフレッチャー・ヘンダーソン。アメリカの人気ジャズサイト:Jerry Jazz Musician.comより。
   20歳になると、メジャーに移籍! 当時、エリントンと人気を競い合ったフレッチャー・ヘンダーソン楽団に入り、更に給料が上がった。サックスを手にして僅か10年、この楽団で、ホーキンスは豪快なテナーの音色を開発し、NYに進出、ハーレムのキングの一人になったのです。
 この楽団でオハイオに旅した時に、あのアート・テイタム(p)を聴いた事は、ホーキンス自身だけでなく、それ以降のジャズの変遷を決定付ける運命的なものになります。 ホーキンスは、テイタムのハーモニー感覚とバーラインを超えたフレージングをテナーのプレイに取り込んで、新境地を開拓したのです。その革命的なスタイルが、後にビバップが芽吹く土壌を作ったと、多くのミュージシャンは言う。
<好敵手登場!>
 ホーキンスをテナーサックスの東の正横綱とするなら、西の横綱はレスター・ヤング! 性格も、演奏スタイルも、ファッション感覚も、何もかも対照的なレスター・ヤングはホークより5才年下で、何につけてもホークと比較され、辛酸をなめた。メディアは二人を「仇同志」にしたがるけど、実際はそうではなかったらしい。
 
 レスター・ヤング(1909-59)
   カッティング・コンテストと呼ばれるジャムセッションの勝負が盛んに行われたカンザス・シティで、夜明けから昼過ぎまで、二人が死闘を繰り広げ、結局レスターに軍配が上がったという伝説のセッションは、後に映画になったけど、真偽はよく判ない。タイムスリップできるなら、自分の耳で確かめたい!
 文字通り相撲の横綱のように、20代前半に頂点に上り詰めたコールマン・ホーキンス、続きはまた来週! 
 最後にこの映像をぜひ観て欲しい。1945年のミステリー映画「クリムゾン・カナリー」という日本未公開のミステリー映画の一シーンです。撮影用ですが、オスカー・ペティフォード(b)、デンジル・ベスト(ds)、ハワード・マギー(tp)、サー・チャールズ・トンプソン(p)という顔ぶれの中でブロウするホーク!テナーサックスの父でありながら、若手に引けをとらないモダンなかっこよさ!バリバリのバッパーです。

CU!

寺井珠重のTiddy-Bitty

皆さん、お元気ですか?
 今週は私の周辺のちょっとしたジャズ・ニュース(tidbits)をお届けします!

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<寺井尚之 Mainstem 初Live!>
 
寺井尚之メインステム寺井尚之の新ユニット、The Mainstem Trio、いよいよ6月28日(土)にJazz Club OverSeasで初ライブを行います。
 宮本在浩(b)、菅一平(ds)の若手パートナー達と、熱のこもったリハーサルを重ねて来ました。従来とは一味違う、緊張感に満ちたソリッドなステージを聴かせてくれるはず。
『メインステム』のthe first nighting=初コンサートは、片隅で聴く私にとっても、興味津々!
 6月28日(土) 7pm-/8pm-/9pm チャージ\2,500 必ず予約してくださいね!


<当店のことではないけれど…News①> 
photo by Eddy Westveer

   寺井尚之のアニキ、ジョージ・ムラーツから「9月に会おう!」とメールが来ました。
 ジョージ・ムラーツは、今夏のジャズフェスティバル・シーズン、チェコ人のアーティスト、イヴァ・ビトヴァのグループ、リッチー・バイラーク、ハンク・ジョーンズ3の掛け持ちで、とっても忙しそうです。
 6月21日のJVCジャズフェスティバル、ハンク・ジョーンズ90歳記念コンサートを皮切りに、地元NYと、ヨーロッパ、日本を飛び回ります
 来日ツアーは、ハンク・ジョーンズ(p)3。スケジュールは、8月30日の『東京ジャズ』から、福岡、大阪、名古屋と、ビルボード、ブルーノートの大型クラブを巡演。
   来日日程は、ジョージ・ムラーツ公式HPからリンクされているJapanese Biographyの頁に載せておきました。どの公演地でも、ジョージ・ムラーツ・ファンの皆様は、ベースソロに一際大きな拍手をお願いします! 
   大阪の皆さん、ちょっと待って! この週、OverSeasに来るのを絶対忘れないようにね!
   なお、当然ですが、お問い合わせは、私や多忙なジョージ・ムラーツ自身でなく、直接お店にお願いします。  



<当店のことではないけれどNews② >
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  寺井尚之と同い年、20年来の仲良し、今や巨匠の風格を漂わせるドラマー、アキラ・タナがディナ・デ・ローズ(vo.p.)3で、7月下旬に来日します。
 アキラ・タナは現在サンフランシスコ在住、ジミー・ヒースの『ヒース・ブラザーズ』でデビューし、今や巨匠の風格を持つ日系ドラマーです。
  初めて会ったときは、たどたどしい日本語だったけど、今は独学でかなりのものです。
 だいぶ前、寺井尚之が、アキラさんのプレイに感動して「アキラは日本の誇りや!」と言ったら、その時は、「日本の埃(ホコリ)」と勘違いして、がっかりしてたけど、今はペラペーラのバイリンガル!
   アキラさんと寺井は、共演を願っているのですが、残念ながら正式ライブはまだ実現していない。近い将来できればいいな!
 アキラさん自身もツアーの詳細は不明らしいけど、東京は、Pit InnさんとBody& Soulさんが決まっているようです。詳細が決まれば招聘元のOffice Zooさんのサイトで公表されると思いますのでチェックしてみてください。


<ビリー・ストレイホーンあれこれ>
 

  先月Interludeに書いた、ビリー・ストレイホーン関連記事、ご感想のメールも頂戴し、ありがとうございました!
   米国のダグ・ラムゼイというジャズライターによる有名ブログ、『ダグ・ラムゼイのリフタイド』 を覗くと、偶然にも、6月6日付で、ストレイホーン関連の記事を発見。
  当Interlude同様、伝記『ラッシュ・ライフ』の話題や、数多のYoutube動画から、同じものがチョイスされていました。天国のストレイホーンが、世界中にテレパシーを送ったのかも…と、何となく嬉しい気分。
   とはいえ、ラムゼイさんがフォーカスしていたストレイホーン関連のコンサートは昨年5月にLAで開催された、ゲイの男の人達による合唱団『Gay Men’s
Chorus』によるストレイホーンへの大トリビュート・コンサートでした。カリフォルニア州で、同性婚が認められたタイミングで取り上げたのかもしれません。
 『Gay Men’s Chorus』の1時間半に渡る熱演も動画で観れます。アレンジはアラン・ブロードベント、ベースはウォルター・ノリスさんのベーシスト、プッター・スミス、サックスの中にはゲイリー・フォスターと、ジャズ畑の人達も参加してた。 Gay Men’s Chorusはゴージャスなサイト!右側のプログラム欄の一番下、『May 5, 2007』の、【View Video】をクリックしてください。
 残念なのことには、ラムゼイさんは、ゲイ・メンズ・コーラスは熱く語っても、トミー・フラナガンの『Tokyo Ricital』には何の言及もなかった。
アイ・アム・ソーリー…  


<「トミー・フラナガンの足跡を辿る」第5巻はお早めに>


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   寺井尚之ジャズ講座の新刊書「「トミー・フラナガンの足跡を辿る 第五巻」は、おかげさまで、沢山の方に読んでいただいてます。大阪近辺の読者の皆様、ぜひ一度、生「ジャズ講座」にもいらしてください。気楽な雰囲気で、本に載り切れない、というか載せられない寺井尚之の楽しい毒舌に大笑いして、おなかの皮がよじれるかもしれません。
 梅田第一ビルのレコード店、『ワルティ堂島』さんに伺ったら、講座本の新刊を予約してくださっていたお客様が丁度来店されていました。直接お話ができて嬉しかった~!
  その紳士は、講座本3のおかげで、コールマン・ホーキンスが大好きになって、『At Ease』を愛聴されているとのこと!うれしいなあ!“Poor Butterfly”が蝶々夫人の歌と知り、ますます好きになったとか!対訳係りとして光栄だなあ!
 OverSeas以外では、そのほかに『ジャズの専門店ミムラ』さんにも置いていただいていますので、ぜひどうぞ。
 講座本第5巻といえば、コールマン・ホーキンス!さっきダイアナとも、その話をしたところなので、次回はコールマン・ホーキンスについてちょっと書いてみよう!
CU  

寺井珠重の対訳ノート(10) / Here’s That Rainy Day

 
nakara-jun-ichi-a_girl_in_rain.JPG 中原淳一画

梅雨です!
 寺井尚之の演奏する、ビリー・ストレイホーンの軽快な<Raincheck>や、“しとしと”じゃなく“ピタパタ”と降る雨の<When Sunny Gets Blue>などがお楽しみの季節!でも、湿気で鍵盤が重くなるので、変幻する音色で勝負するピアニストには結構たいへんらしい…
 昨夜も雨! 
 OverSeasの出演は、寺井尚之=鷲見和広のデュオ、“Echoes (エコーズ)”。“Echoes”には“笑点”みたいな習性があって、プレイ中、いつの間にか『今日のお題』というのが出来てしまいます。
 この日のお題は童謡、「あめふり」。各曲のテーマでもアドリブでもバッキングでも、手を変え品を変え、キーを変えリズムを変え、“ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン”がピアノから、ベースから出てきて、お客様達は爆笑! 「ネタ合わせ」なしのBOP漫才だ。思い切り笑わせておいてから、ビリー・ホリディのナンバーで、しっかり泣かせてくれるところはかつての松竹新喜劇流。
 お客様の強い要望があり、“Echoes”のレパートリーはおおむね一定しているのだけど、演奏の内容は毎回大きく変わる。だから不思議なことに、鮮度が全然落ちないのです。
 それに“Echoes”のプレイは、一種の表現音楽で、色んなイメージを見せてくれる。相合傘のポーギー&ベス、ずぶ濡れのトム&ジェリーから、スイングしながら指を鳴らすピンク・パンサーまで多種多様!…山中湖の「森の中の絵本館」で、エコーズのCDをよくかけて頂いているのも当然だ!
echoes.JPG  エコーズ:寺井尚之&鷲見和広
<ダブル・ミーニングな洒落た歌>
 絵本と言えば、この日本の梅雨時に、憂い顔の美少女が目に浮かぶジャズ・スタンダードが<ヒアーズ・ザット・レイニー・デイ Here’s That Rainy Day>なんです。
  大昔の高校時代、鉄壁のジャズコーラス“シンガーズ・アンリミテッド”とオスカー・ピーターソン3(ベースはジョージ・ムラーツ!)の最高に気持ちのいいアルバム、『In Tune』で、初めて知った歌だった。

   in_tune.jpg

 対訳を付けたのは、ずっと後になってからで、昨年の夏、<Ella in Humburg>をジャズ講座で取り上げた時。エラ・フィッツジェラルドも歌詞解釈の根っこは『In Tune』と一緒で、乙女のビタースイートな心象風景が伝わるものだった。フランク・シナトラがエヴァ・ガードナーを追憶する姿より、私には、中原淳一や竹久夢二の描く、大人でも子供でない、微妙な年頃の少女達の姿が心に浮かぶ。
 歌詞はジョニー・バークという作詞家のものなんですが、「寂しい」とか「孤独」という常套句を巧みに避けながら、「Rainy Day」ということばのダブル・ミーニングをうまく使って一編の詞にしている。
 “rainy”(雨降りの)という単語を引くと、どの英和辞典にも “for a rainy day”(万一の場合に備えて)という熟語が載っているでしょう。えっ?載ってない!? そんな辞書はヤギにあげなはれ。“万が一の雨の日”(a rainy day)は、貯蓄とか保険の話によく登場する色気のない言葉なんです。例えば、いざという時に備えて貯蓄する為の、倹約方法を紹介するサイトのタイトルになったりする。
 
歌を日本語にすると、こんな感じになりました。 
Here’s That Rainy Day/ Johnny Burke-Jimmy Van Heusen




Maybe
I should have saved
  those leftover dreams;

Funny,
But here’s that rainy day.

Here’s that rainy day
They told me about,
And I laughed at the thought
 that it may turn out this way.

Where is that worn-out wish
 that I threw aside
After my lover was so near?

Funny, how love becomes a cold rainy day
And Funny, that rainy day is here.



  ひょっとしたら
 見残した夢は捨てないで、
 貯めておいたら良かったね;

 おかしいな、
 まさかの時が来るなんて。

 今日みたいな雨のこと、
 いつか皆が言っていて、
 そんなはずはないと、
 笑い飛ばしていたのにね。



 使い古しの擦り切れた望み、
 あれはどこに行ったっけ?
 恋人ができてから、
 置き去りにしちゃったの。

 恋に冷たい雨がつきものなんて、
 おかしいよ、
 まさかの雨が降っちゃった。




 しっとり、しんみり、愛らしい歌でしょう!
 
「雨の日」が来ないと、人間は成長しないのかも知れない。若さに溢れたこの歌の主人公は、青春の輝きに満ちていて、何も失った事がない。だから大人があれこれ言っても、耳なんか貸さなかった。ひょっとしたら、恋人にも、ちょっぴりひとりよがりなところがあったのかも知れない。

 初めての失恋は、大変なショック!だけど、泣くだけ泣いた後、「雨」が彼女を、大人にしてくれる。「まさかの雨」は、大事な「恵みの雨」なんだ。若いときに「まさかの雨」に降られないまま、いい年になってしまうと、なにかと大変かもしれない。この主人公も、やがて「雨の日」を、やがて懐かしむ日が来るかも知れない。ひょっとしたら、これからも、「雨の日」はやって来るのだから。
<ジョニー・バーク>
   もちろん<Here’s That Rainy Day>はアメリカ生まれ、’53年(昭和28年)のブロードウェイ・ミュージカルの歌らしい…だけどその興行はたった6回の公演で大コケしたそうだから、殆ど観た人はいないはずで、後にスタンダードになったそうです。
 この歌を作ったのはジミー・ヴァン・ヒューゼン(曲)とジョニー・バーク(詞)の名コンビ。このチームはブロードウェイよりもハリウッドの映画畑で成功した。ビング・クロスビーとボブ・ホープの「珍道中」シリーズと言って「フーテンの寅」のように長続きしたコメディー映画の為に、わんさか歌を作ったのでした。ですからジョニー・バークの作品のほぼ半分は、「珍道中」シリーズのもので、寺井尚之やトミー・フラナガン・ファンの皆さんが大好きなバラード、<But Beautiful>も、実は<Road to Rio>(日本の題名も最高!『南米珍道中』)の中の曲なんです。
 <But Beautiful>もやっぱり、ダブル・ミーニングの言葉遊びが効いている。「(恋は)美しい、素晴らしい」というのと、「(哀しくても、楽しくても、失恋しても)べつにいいじゃん、ええやんか、よか!」という、Beautifulの両義性をうまーく使って、粋な歌詞にしているのだけど、ザッツ・アナザー・ストーリー! また詳しく書きたいと思ってます。
takehisa-yumeji.JPG竹久夢二画集の表紙
 
  ご存知のように、昭和の歌謡曲は雨=失恋というのが定型句だけど、室町時代の能楽に遡ると「雨」はとっても心地よい「音楽的」なコンセプトになる。
 「雨月」という作品は、「屋根に降り落ちる雨の音を、もっと楽しみたいから軒の屋根を葺こう」と言うおじいさんと、「月光をもっと楽しみたいから、軒は取っ払ってしまいましょう」とおばあさん、老夫婦が古家の茅葺の屋根を巡り、言い争いをするのです。
昔の日本人はHipだったんだ!
CU

FlanaganiaからMainstemへ:寺井尚之の旅立ち

 Jazz Club OverSeasの看板として、15年間の長きに渡り、皆様にご愛顧頂いたフラナガニアトリオが、先日5月30日のライブを区切りに活動休止となりました。最後の演奏曲は奇しくも“Caravan”、長い旅路への乾杯の歌か…粋だね!
kawahara-1.JPG    flanagania-final-4.JPG 横浜フラナガン愛好会から贈られたワインで乾杯!
 このトリオのレギュラー・ドラマーとして絶大な人気を誇った河原達人(ds)さんと寺井尚之の共演歴は33年だから半端ではない。レギュラーとしての活動期間はバリー・ハリス(p)とリロイ・ウィリアムス(ds)もかなわないだろう。
mc-terai.JPG    kawahara-4.JPG  KD-kawahara-1.JPG  KD-kawahara-2.JPG
右側の2枚は、埼玉から駆けつけてくださったKD氏から送って頂いたショットです!ありがとうございました!!

  税理士として多くのクライアントを抱え、山のようなアポイントとデスクワークをこなす傍ら、15年間、毎回、曲目を総入れ替えするフラナガニアのライブに付き合い、年2回のトリビュート・コンサートをこなすのは、並大抵のことではなかったはずです。
 以前は、月2回ペースで行っていたフラナガニアも、ここ半年は月一回のみのお楽しみ。リハーサルすらままならなくなっていました。それでも、あれだけの演奏レベルを保つことが出来たのは、「二人が過ごした歳月」のおかげだったのだろう。
 最後の舞台挨拶:「50歳になってドラムを叩くのは大変なことです。皆さんも50になったら判るでしょう。」は、同い年として深く受け止めました。
 河原達人:スタンダードの歌詞の「美の壺」を、音楽的にも文学的にも正しく理解した稀有なドラマー、寺井尚之のフレーズを先読み出来た理解者。巧みなタムの使い方や、音量のコントロール、「可愛い」という日本語の最良の意味での装飾音の数々に、他のドラマーは驚愕した。テクニックをひけらかす「目立ちたがり屋」でなく、アニタ・オデイ(vo)の最良のパートナー、ジョン・プール(ds)のように、聴く者の心をそっと静かに揺さぶり、コンサートが終わっても、温かく爽やかな余韻が尾を引くプレイだった。
kawahara-2.JPGフラナガン愛好会からワインと共に贈られたユニフォームに手を通す河原達人氏 
 私にとって河原達人は、一緒にお酒を飲んで一番楽しくおもろい人!ガサツではなく繊細な、真の意味での関西人!「教養」というものが、「知ってても知らんでも、実生活に全くカンケーのない素敵なもの」であるならば、河原達人ほど教養のある人を私は知りません。もしも突然に、和田誠と三谷幸喜から「飲みに行こう」と誘われたって、迷わず私は河原達人と飲みに行く!自分の美点を、決してひけらかしたり、威張ったりしないところは、彼のドラミングと同じだ。河原さんが、人知れず、「こいつ嫌いや」と思う人はいるかも知れないけど、河原さんのことを「嫌い」な人なんてこの世にいないはずだ。
young_tatsuto_kawahara.JPG遊びに来たトミー・フラナガンと一緒にセッションした後に。(’93)
 良き父であり夫であり、税理士の先生でありながら、音楽しか頭にない独立独歩の無頼派ピアニストで天衣無縫の変わり者、寺井尚之と、よくぞこれまで付き合っていただいたと拝みたい。これからは、気の向いたときに、OverSeasで気楽なセッションを続けながら、菅一平さん(ds)たち後輩の教科書役、お目付け役でいてほしい!
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 今月からは、新ユニット、“The Mainstem”(メインステム)で、スマートで集中力に溢れる斬新な演奏をお聴かせします。
 ベースは、このところ逞しさが付き、大化けしてきた宮本在浩(b)と、折り目正しい性格が、そのままビートに反映する菅一平(ds)
 ”The New Trio” で、ビバップのビッグバンド時代の大ネタ、“ラ・ロンド・スイーツ”(別名 Two Bass Hit)や“マンテカ”、ファッツ・ウォーラーの古典をビバップで疾走する“ジターバグ・ワルツ”など、大胆にスイングするピアノ・トリオの斬新さは、すでに新局面を予感させ、新しいお客さまのハートを掴んでいる。
 “メインステム”という名前は、ジャズの深いリズムとハーモニーを、大河の潮流や、大木の逞しい幹に例えたデューク・エリントンの曲に因んだものです。
 “The Mainstem”、今日、56歳になった寺井尚之のデトロイト・バップ大行進はどんどん続く!
 
 寺井の口癖は、「季節の懐石」のようなプレイ。だけど、どこぞの老舗のように使いまわしはしないよ! だいたい、お客様に食べ残しされるものなんて、絶対に作らない所存。「ご立派なお献立でございました」なんて言われるのはイヤだ!
 「あー、おいしかった!明日も元気モリモリや。」と言っていただけるものをお聴かせします!
 記念すべき初演は6月28日(土)7pm- 勿論Jazz Club OverSeasにて!
 
CU