1月30日、寒い寒い日曜日、寺井尚之ジャズピアノ教室、20回目の発表会開催しました!
時節を反映してなのか、こじんまりしたプログラムになりましたが、山口マダムから贈られたイエロー・チューリップやガーベラは、ピアニストたちへの大エール!
マダムいつもありがとうございます!そして、川端名調律師、素敵な記念品「ピアノ型の鉛筆削り」ありがとうございました!
緊張していても、皆の日ごろの稽古の成果はしっかりと感じられ、私もすごく楽しかったです! 左はfatimaちゃん、演奏終わって最高のスマイル!演奏曲は、寺井尚之の十八番、「波止場に佇み」、固さが取れてタッチもフォームも美しくなりました!
優秀賞のhitomiさんは、凄い美人なのですが、諸事情で写真掲載できないのが残念です。
ライブに通いつめて勉強している成果が、高度なアドリブ・ソロに結実、堂々新人賞のみゆきさん、お疲れ様!いつも師匠を応援いただいているお返しに、私もいっぱい応援しました。
「最優秀賞」「努力賞」「タッチ賞」殿堂入り、ひとり横綱の風格あやめ会長、師匠の講評も笑顔で受け流せるのは余裕!でも、ライバル不在で腕を磨くのは、自分に厳しくなければいけないので、大変でしょうね。夫君 you-non氏、今回も録音&撮影ありがとうございました!
来週の披露宴が「本番」で、発表会は「リハ」だったむなぞう副会長、可愛いフィアンセの見守る中で演奏してくれました。師匠は「披露宴までは、練習終わるまで夕飯を与えないでください。」と、彼女にも愛のムチを振るうよう強く要請!
<各賞 (敬称略)>
新人賞:みゆき
努力賞:みゆき、hitomi
パフォーマンス賞:hitomi
構成賞: あやめ
アドリブ賞: むなぞう、あやめ
タッチ賞: ネネ
スイング賞: あやめ
優秀賞: hitomi
発表会は単なる通過点、レッスン生は余韻に浸る暇もなく、今日から新しい曲に取り組んでいます。
寺井尚之ジャズピアノ教室は新入生募集中!
CU
月: 2011年1月
講座本8出版 ハイライト講座のお知らせ
ジャズ講座の本、第8巻出来ました!
今日も寒いですね!OverSeasの入っている新トヤマビルは全館いつも暖かいのに、薄着で廊下に出たらひや~っ・・・、超低湿度なので、寺井尚之はピアノの周りで霧吹きに余念なし。
さて、お電話やメールで「まだですか~?」とお問い合わせいただいているジャズ講座の本、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」第8巻がやっと出来上がりました。
<フラナガン独立の真相>
今回はフラナガンがエラ・フィッツジェラルドの音楽監督から、リーダーとして独立する節目の時期、’76年から’78年の録音作品を掲載しています。当時のジャズ・メディアでは、フラナガンが独立した理由は、心臓病のためと盛んに報道されていましたが、本当のところは、フラナガンが、自分自身の音楽活動に専念したくなり、同時にエラが糖尿病で、仕事をキャンセルすることが増えたことが原因であったようです。
トミー・フラナガンは、「自分は良い伴奏者ではない。」とよく寺井に言っていました。謙虚な発言と解釈することも出来ますが、真意は「自分は伴奏者である以前にピアニストなんだ!」というプライドの婉曲語法だったのでないかと、私には思えます。
トミーは歌手としてのエラを絶賛していましたが、エラはジャズのカテゴリーではくくりきれない歌手、「喝采こそ命」の大スターであり、ストレート・アヘッドなフラナガンには、流行のポップ・ソングを積極的に取り上げるエラの姿勢は必ずしも本意に合うものではなかったのは自明。DVDなどでエラのコンサート映像を見ると、コマーシャルな題材を伴奏しているときのトミーのちょっとした表情に、そんな思いを汲み取ることが出来ます。
第8巻には、エラ+トミーのコラボレーションの最終章、『Montreux’77』が掲載。長年培われた二人のコラボの集大成を解説で実感することができます。’60年代の共演盤では聴けないスリリングなアレンジと、掛け合いの凄さは、「歌手と伴奏」なんていう概念を遥かに超えたもの!不肖私の作った歌詞対訳も併せて、どうぞお楽しみくださいね!ジャズ・スタンダードは勿論素晴らしいし、コマーシャルな歌、S.ワンダーの”You Are the Sunshine of My Life”の中に、ポップ・ソングの”小さな青リンゴ”をドカンと引用して、「お客様が私の太陽です!」とオチをつけて大喝采を頂くあたりは、正に「喝采こそ命」の面目躍如!やっぱりフラナガンと一緒のエラは凄かった!
<珠玉のピアニストからダイヤモンドに!>
第8巻で、最も人気のあるアルバムは『Eclypso』でしょう。デトロイトの旧友エルヴィン・ジョーンズ(ds)とのリユニオン、「講座本」初登場(!)の我らがジョージ・ムラーツ(b)が織り成す、超大型ピアノ・トリオ作品は、リリース時にジャズ喫茶を席巻しました。
エラのもとから離れ、フリーランスのピアニストとしてジャズ・シーンに帰って来たトミー・フラナガン、ソロ作品、『Alone Too Long』、キーター・ベッツとのデュオでバド・パウエル作品をより洗練させる『I Remember Bebop』、もう一人の名手、ハンク・ジョーンズとの真剣勝負に手に汗握るピアノ・デュオ、『Our Delight』『More Delight』は「喜び」というよりガチンコ対決ということも、解説を読めばよく判る!この頃になると、フラナガンは「珠玉」というより、もっとアグレッシブに、大粒のダイヤモンドの輝きで聴く物を圧倒します。
リーダー作でのレパートリーに対するフラナガンのこだわりや、繊細なアレンジなど、本書を読めば、レコードをかけるのが一層楽しくなることでしょう!
寺井尚之のジャズ講座の本「トミー・フラナガンの足跡を辿る」第8巻新発売!購入後希望の方はHPをご覧の上お申し込みください。
明日はメインステム!おすすめメニューは、ポークのグリル、粒マスタードソース、クリーミーでほくほくした出来上がりにする予定です。
CU
Evergreen物語(5)NY発;月への軌道:Fly Me to the Moon
厳しい寒さが少し緩んだ感じの大阪、昨日は月がやけに明るく輝いていた!寺井尚之メインステムのアルバム、『Evergreen』のスタンダード物語、今日は『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』のお話を。
<NY山の手、高級クラブ発>
“Fly Me to the Moon”は皆さんよくご存知ですよね!羨ましいことに、作詞作曲のバート・ハワードは、これだけで一生裕福に暮らせたというほどのヒット曲です。
色々探したけど”The Blue Angel”の写真はこれだけしか見つかりませんでした。大火事になった時のニュース写真。
この曲の初演は1954年ですから、Evergreenの収録スタンダード曲中一番新しい。生まれはNYの山の手、アッパー・イーストサイド、”The Blue Angel”という高級サパークラブでした。
このお店は、ヴィレッジ・ヴァンガードの名オーナー、マックス・ゴードンが手がけたクラブの一つで、現在のヴァンガードと全く違う高級店、ミルドレッド・ベイリーや、若き日のバーブラ・ストライザンド、コメディアン時代のウディ・アレンなどが出演し、フランス人シェフによるグルメな料理と、ヨーロッパ的な趣味の良い内装で大繁盛していたそうです。映画通ならもうお分かりでしょうが、マレーネ・ディートリッヒがキャバレーの踊り子を演じて大ヒットしたドイツ映画”The Blue Angel”(嘆きの天使)にちなんだ店名です。
フェリシアと作者のバート・ハワード
作者のバート・ハワードはこのクラブによく出演していた美人歌手、フェリシア・サンダーズの専属ピアニストであり、クラブのレギュラー司会者としても活躍していました。でもフェリシアが歌ったオリジナル・ヴァージョンはワルツだったし、タイトルは、現在副題として用いられる”In Other Words”(言い換えれば)、まだまだ「月」まで届くヒットではなかった。
<ボサノバ、シナトラ、そしてロケット>
この曲がワルツから4拍子に変わったのは1962年、ジョー・ハーネルというアレンジャーが、ボサノバ・ブームに便乗して編曲し、現在まで脈々と続く演奏スタイルの基礎を作りました。
やがてTVが隆盛になり、ゆっくりフランス料理を楽しみながらショーを楽しむライフスタイルは廃れ、”The Blue Angel”は売却済、でも歌は時代の変化に乗り、さらに月に近づきます。
当時の世の中は米ソ冷戦時代真っ只中、宇宙の覇権も争って、アメリカは国を挙げてアポロ計画を推進していました。そんな’63年、フランク・シナトラが、カウント・ベイシー楽団との共演盤を製作するにあたって、クインシー・ジョーンズがスイング感一杯のアレンジを施し、メリハリのあるヴァージョンが大ヒットしました。演奏の良し悪しだけでなく、文字通り「月に連れて行って」もらえる日は近い!そう皆が感じた時代のテーマソングになったんです!
シナトラの『Fly Me to the Moon』のテープは、アポロ10号に搭載され、乗組員の愛聴曲となり、アポロ11号で宇宙飛行士バズ・オルドリンが月面着陸した際にもかけられて、世界中に発信された!『Fly Me to the Moon』は名実共に月旅行した歌の第一号になっちゃった!
元は「言い換えれば」(In Other Words)だった曲、「言い換え」たら、月に行けたラッキー・ソング。その後もアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディング・テーマに使われ、若い世代に親しまれるエヴァーグリーンな曲です。
<フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン>
原歌詞はこちら。
詞,曲:Bart Howard
私を月に連れて行って、
星の間で遊ばせて、
木星や火星の春は
どんな風?
言い換えると、
手を握って欲しいだけ、
言い換えるとね、
キスして欲しい!心を歌で一杯に、
いついつまでも歌わせて。
あなたこそ求める人、
憧れ、魅了される人
言い換えると、
誠実でいて欲しい!
つまり、
愛してる!
このエントリーを書いている1/18は満月、『Evergreen』をダウンロードして、冬の夜空に輝くお月様に挨拶しましょう!
CU
1/25(火)「名盤サクソフォン・コロッサス/ソニー・ロリンズの真実を探る」
昨年秋から毎月開催している「楽しい講座&ライブの夕べ」、今月のお題は「名盤サクソフォン・コロッサス/ソニー・ロリンズの真実を探る」!
「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で大評判になった“サクソフォン・コロッサス”講座はもう6年以上前に遡ります。(講座本第一巻参照)
今回は、ジャズ初心者の方に判りやすく、“サクソフォン・コロッサス”の面白さ、ひいては即興演奏というジャズの醍醐味をお伝えしようと、ただ今鋭意準備中。
昨年も来日して、大阪のコンサートは完売したというソニー・ロリンズは、トミー・フラナガンと同い年でNYハーレム生まれのハーレム育ち。生家は、アーサー・テイラー(ds)やジャッキー・マクリーン(as)のご近所、当時コールマン・ホーキンス(ts)も近所に住んでいて、ソニー少年はサインをもらうために、自宅の前でホークを待ち伏せたという逸話もあります。
“サクソフォン・コロッサス”で共演したトミー・フラナガンは、’80年代に共演アルバムを録音したり、カーネギー・ホールでリユニオン・コンサートをしたり、色々ご縁がありました。
トミーが入院したとき、真っ先にお見舞いに駆けつけたのがロリンズさんだったと聞いています。
ヴィレッジ・ヴァンガードのオーナー、マックス・ゴードンは、デクスター・ゴードン、ジョニー・グリフィンなど数え切れないテナーの星が出演した内で、最も華のある奏者はロリンズだと、自伝で言い切っています。
また同じテナーのジミー・ヒースは、「ソニーは我々仲間のミュージシャンが世界中のどこにいるか、確実に把握しているが、誰もソニーの現在位置を知らない。」と神がかりっぽいことをつぶやいていました。
真面目な性格だからこそ、堂々とユーモラスな引用ができるという話も聞いたことがあります。真面目だからこそ、二度もステージから遠ざかって、修行したり瞑想したのかも知れませんね。
「サッコロなんか恥ずかしいてよう聞かんわ」と通が言うほど”サクソフォン・コロッサス”は有名盤、だけど、私は何度レコードをかけても、オープニングの”St.トーマス”でマックス・ローチ(ds)のイントロが始まるだけでわくわくするし、理屈では説明できない圧倒的な魅力を感じます。
理屈じゃない隅々まで、寺井尚之はしっかり解説、おまけに自ら演奏を聴かせ、さらに納得させてくれます!
初めてのお客様も、常連様も大歓迎です。ウィークデイ、お仕事帰り、お気軽にお立ち寄りください。
【日時】2011年 1月25日(火)7pm~9pm
【講師】トミー・フラナガン唯一の弟子、OverSeasオーナー、 寺井尚之
【受講料】One Drink付 ¥2,500 (税込\2,625) 要予約
いつもどおりお食事も用意していますので、ぜひどうぞ!
CU
寺井尚之ジャズピアノ教室発表会 1/30(日)に!
寒い寒い日曜日、寺井尚之ジャズピアノ教室発表会のリハーサルを行いました。
限られた持ち時間で、ピアニストたちが共演者に自分の演奏解釈と、どうサポートしてほしいかを、簡潔に伝えて、ピアノ・トリオとしてのプレイを完成させるというレッスンです。
自由曲の演奏者対象なので、皆なかなか落ち着いていたし、前のリハーサルより進歩しているのを聴けると、外野の私も嬉しいです!
発表会は1月30日(日)正午- PM3:00
プログラムはこちら!
入門を考えていらっしゃる方、外部の方もご見学いただけます。(チケット 2,000円)
本番もがんばって応援しますよ!
CU
Jazz Poet →The Mainstem
新春ジャズ講座に遂に待望の『Jazz Poet』が登場!寒い夜にも拘らず、沢山お集まり頂きありがとうございました。
- Raincheck
- Lament
- Willow Weep for Me
- Caravan
- That Tired Routine Called Love
- Glad to Be Unhappy
- St. Louis Blues
- Mean Streets
- *I’m Old Fashioned (add)
- *Voce A Buso(add)
ジャズ詩人”Jazz Poet”という言葉は、元々、雑誌”The New Yorker”でトミー・フラナガンの特集記事が出た時の見出しでした。”The New Yorker”は「知的で洗練されたNY」を具現する大人の雑誌。長年ジャズコラムを担当していたホイットニー・バリエットが名付け親。フラナガン夫妻は、コマーシャリズムの影響を受けない”The New Yorker”のバリエットの評論と、このニックネームをとても気に入っていて、自己プロデュースのこのアルバムのタイトルにしたんです。
日本では、フラナガンの代表作は今も『Overseas』ですが、米国では『Jazz Poet』の方がずっと評価が高い。メジャーのレコード会社製作でないのに、ビルボード誌「最優秀ジャズ・アルバム」やグラミーにノミネートされ、ダウンビートやジャズ・タイムズの人気投票で一位になった。’90年代の新しいジャズ・ファンに、フラナガンのバップの香りと、気品ある演奏スタイルが受け容れられたのだと、ジャーナリストのM.J. Andersenは述べています。
上のオリジナルLPのジャケット写真は、数あるトミー・フラナガンのポートレートの中でも最もトミーの個性が出ていて素敵ですよね。実はこのポートレートを撮影したのはジャズ写真家ではなく、リチャード・デイビス(!)というモード系フォトグラファー、落ち着いた錆色のプリントとパノニカの令嬢ベリットの特徴あるレタリング、すっきりしたジャケットデザインも、フラナガンの音楽スタイルにしっくり合っています。
リチャード・デイビスの撮影したファッション写真はRichard Avedonをガサツにした感じ。Poetのポートレートの方がよく見えるのは被写体のせいなのかな・・・
講座では、寺井尚之がトミー・フラナガンに頂いた原盤のLP、その後出たCD、フラナガンの意に反して発売されてしまった『Please, Requeat Again』というタイトルの日本盤のジャケット・デザインや曲順を比較しながら、タイムレス原盤LPには、フラナガンの配慮が隅々に行き届いていたことを実感できました!掲示板にむなぞうくんが書いていたけど、曲順は本当に大切ですね!
エリントン楽団やマット・デニスなど、収録曲のオリジナル・ヴァージョンと『Jazz Poet』を聴き比べ、フラナガンがどの部分を取り入れてアレンジしているのか、録音後『Jazz Poet』の収録曲が、バンドスタンドでどのように発展していったのかを見つめていた寺井尚之の解説を聞いていると、フラナガンのアートはピカソやダ・ビンチに負けないほど、日々進化していると判り、面白かった~
演奏は、どれもこれも肩の力が抜けていて、いとも容易に聴こえるけれど、実際は各メンバー(ジョージ・ムラーツ、ケニー・ワシントン)に卓抜した技量があり、レギュラーで活動しているからこそ出来るプレイであることが、講座で改めてよく判りました。
「灼熱の砂漠をエアコン完備の駱駝に乗って旅をしているように爽快なCaravan」という寺井尚之の名言に場内爆笑!
来月の講座は『Beyond the Bluebird』をたっぷり解説いたします。当時のフラナガンを公私に渡って知っている寺井尚之だからこその、面白くてためになる解説が聞けますよ。2月12日(土)は予定を空けておいてくださいね!
そして今週(土)は寺井尚之The Mainstemのライブです。『Jazz Poet』の名曲の数々を演奏予定!こちらも絶対聴き逃せません。こちらもぜひお待ちしています!
CU
Evergreen物語(4)恋は終わり、唄は続く: I’m Thru with Love
お正月明け、やっぱり寒いですね!十日戎の賑わいから離れ、Evergreen物語を書いています。
今日は第4曲目、“I’m Thru with Love”のお話ですが、昨年10月『Evergreen』の録音よりずっと前、対訳ノートに、マリリン・モンローの映画『お熱いのがお好き』に因むお話を、お調子に乗って沢山書きました。
<A Song of Great Depression>
“I’m Thru with Love”が最初にヒットしたのも、『お熱いのがお好き』の時代設定も1931年、アメリカは禁酒法時代、’そして世界恐慌(Great Depression)真っ只中です。
米国では、成人男子の内、4人に一人が失業していたそうですから、今の不況よりも厳しかったかも知れません。大学を出た人たちが、教会が出してくれる食事を求めて列を成して並んでいたという時代。今頃の寒さに耐えるのは、さぞ厳しかったことでしょう。
そして、不況の時代を反映した当時のポップ・ソングは、“Songs of Great Depression”(恐慌時代の歌)と呼ばれています。
例えば”I’m Thru with Love”と同じくビング・クロスビーの歌った“Brother, Can You Spare a Dime”はこんな歌詞です。
「俺もひと旗上げようと、
鉄道やビル建設でがんばった。
今じゃパンをめぐんでもらうため
長い列に並ぶ始末。
なあ、ブラザー、
お前と俺は友達だろ、
10セント貸してくれ。」
日本でも、小津安二郎の映画から、「大学は出たけれど」というのが流行語になっていたそうで、閉塞感は現代と共通しているように思えます。
“Depression”には、「不況」と「絶望」、両方の意味がありますから、“I’m Thru with Love”は二重の意味で、”A Song of Great Depression”ですね!
<恋は終われど名演は続く>
“I’m Thru with Love”の作曲者J.Aリビングストンが、ポール・ホワイトマン楽団の専属アレンジャーであったことを考えると、恐らくは楽団のレパートリーであったのだろうと思います。そして楽団のスター歌手だったビング・クロスビーのブランズウィック盤が、’31年、ヒット・チャートの第三位にランクされています。
クロスビーは、マイクの発達で、声を張り上げずにソフトに歌う「クルーナー唄法」のパイオニアですが、この頃はまだまだ、バンドシンガーらしい感じがします。ダンス・ミュージックで、露骨な「貧乏」感はないものの、「春にさよならを言おう。もう二度と恋はしない。」という男性の脱Love宣言は、時代が反映しているのかも。
寺井尚之が大好きなマット・デニスのヴァージョンは、クロスビーのヴァージョンが、もっと粋でモダンな雰囲気に磨き上げられています。25年の歳月を経た分、進化と発展があります。
そして寺井尚之の『Evergreen』は、粋なマット・デニスに、バップの香りが更に加わった感じ!ビング・クロスビー、マリリン・モンロー、マット・デニスと、名作の系譜をずっと辿りながら、『Evergreen』を聴くと、楽しみが一層深まります。
もうお聴きになりましたか?
CU
Evergreen物語(3) 名曲物語「枯葉」
寒い日が続きますね!大雪被害のニュースを観ていると他人事とは思えません。海外から頂く新年の挨拶メールも、ヨーロッパ、NY、世界中大雪で大変みたいです。YAS竹田は大晦日ブルックリンの自宅で雪に埋まった車を掘り出している間に風邪ひいたとか…お大事にね!
さて、今日のEvergreen物語は「枯葉」のお話。皆さんもご存知のように、「枯葉」はフランス生まれの曲が超スタンダードになった不思議な例ですね。ぜひダウンロードして聴きながら読んで下さい。
なにしろ有名曲だけに、エピソードも枯葉のごとく積もり積もってどっさりあります。一昨年、ジャック・プレヴェールの深い追憶と哀しみに満ちたオリジナル詞や、日本の美学が感じられる中原淳一の歌詞、そして、ジョニー・マーサー作のライトタッチの英語詞を比較しながら「枯葉」のイメージにもお国柄があることを「東西枯葉事情」 に紹介しました。
<Mr.B と寺井尚之>
私が一番シビれた「枯葉」は、本家イヴ・モンタンの熟年ヴァージョンでしたが、バッパー寺井尚之の一番のお気に入りは、ビリー・エクスタイン72歳のラスト・レコーディング、『Billy Eckstine Sings with Benny Carter』です。散り行く枯葉の一片ごとに、人生の断片が垣間見えるような、年代もののワインのように深みのある歌唱です。
ジャズ講座にお越しになると、寺井は、よくエクスタインを聴かせて、「まるで”水戸黄門の印籠”ですな。平伏したくなります!」と、突然アヴァンギャルドな断定をするので面食らうかも知れませんから説明しておきましょう。
左からラッキー・トンプソン、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、ビリー・エクスタイン
ビリー・エクスタイン(1914-93)はアール・ハインズ楽団の歌手として出発しました。サラ・ヴォーン(vo)の師匠として有名ですが、Mr.Bの愛称で人気を博した男性版ブラック・ビューティの先駆け的スターです。やがて芸の幅を広げるために、トロンボーンなどの楽器をたしなむ内、ジャズの新しい潮流、Bebopの虜になり、アイドルの座に飽き足らず、自分で楽団を設立。それが伝説的ビバップ・ビッグ・バンド、「ビリー・エクスタインOrch.」です。歌手活動をして資金を注ぎ込みながらも僅か数年で経済的に破綻してしまったバンドですが、そのラインナップはチャーリー・パーカー(as)、ディジー・ガレスピー(tp)、ケニー・ド-ハム(tp)、アート・ブレイキー(ds)、デクスター・ゴードン(ts)など、Bebopのドリーム・チーム!つまりビリー・エクスタインのバリトン・ヴォイスの歌唱にはBebopのエッセンスが一杯!ですから、寺井には「水戸黄門の印籠」のように感じるわけなんです。『Evergreen』の「枯葉」は流麗なピアノ・サウンドに、エクスタイン的な渋さが聴こえてきますよ!
<Somethin’ Else>
「枯葉」を一躍ジャズ・スタンダードにしたアルバムと言えば、やはりキャノンボール・アダレイ(as)5の『Somethin’ Else』(’58)。キャノンボールはマイルズ・デイヴィス五重奏団のメンバーで、このアルバムも実質的にマイルズのリーダー作であることは明らかです。当時マイルズはコロンビアと専属契約関係にあり、BlueNoteレーベルでは、リーダーとしてクレジットできないという事情がありました。
この「枯葉」の演奏解釈は、アメリカ版の「ひと夏の恋への惜別」よりも、ずっとブルーです。道端に山となって掃き寄せられた落ち葉を、追憶と後悔に喩えるプレベールのオリジナル歌詞に近い深みを感じます。
その訳はきっとマイルズと、パリのサンジェルマンが生んだスター、ジュリエット・グレコとの恋に関係があるのだと思えてなりません。
<ジュリエット・グレコ>
ところで、ジュリエット・グレコはご存知ですか?私が子供の時はフランスの歌手もよく来日してTVに出ていたから、グレコも’70年代によく観ました。黒ずくめの衣装で厚化粧のシャンソン歌手のおばさんの印象だったけど、若い時の写真を見ると、清純そうな凄い美少女で、びっくりしました。
グレコはマイルズよりひとつ年下、’27生まれのフランス人、母親はレジスタンス運動家で、大戦後インドシナに移住、彼女は祖母に育てられました。その美貌ゆえ、戦後、パリの文化人が集まる街、サンジェルマン・デプレの女王として、サルトルやボリス・ヴィアン、メルロ・ポンティといったフランスを代表する知識人たちに可愛がられ、カリスマ的な人気を得ます。女優として活躍すると同時に’49年に歌手デビュー、シャンソン界のスターとして現在も活動中。
パリの知識階級の例に漏れず、彼女もナチ占領時代から大のジャズ・ファンでした。ナチはジャズを敵性音楽として禁止していたため、ジャズを聴くのも命がけ、占領下、パリの人々にとってジャズは「自由」を象徴するものだったのですね。だから、戦後、パリでジャズが大流行し、バド・パウエルやケニー・クラークなど、多くのバッパーがパリに移住したわけです。彼女がマイルスと恋愛関係にあったとは聞いたことがあったけど、2006年、英ガーディアン誌に掲載された、グレコののインタビューを読んで、「枯葉」はマイルズにとって、二人の恋を象徴する曲だったのではないかと強く感じました。
<マイルズとジュリエット>
ガーディアン誌のインタビューによれば、二人の出会いはマイルズが始めてパリ・コンサートを行った1949年のこと。二人とも22歳、まだ歌手ではなく、サンジェルマンの女王と言われ、ぼつぼつ映画に出演し始めた頃です。フランス・ジャズ界の大物ギタリスト、サッシャ・ディステルに連れられて劇場の二階席から初めて観たマイルズの印象は、「ジャコメッティの彫刻のようで、本当に美しい男性だった。当時はまだクラシックな服装で、着こなしは完璧だった。」と語っています。
コンサートの後、皆で一緒に食事に行き、彼女は英語を話せないし、マイルスはフランス語を話せないのに、瞬く間に恋に落ちたのだそうです。その時、ジャズは決して歌えないけれど「マイルズと一緒に歌いたい」と願った彼女は、その年に歌手デビューを果たし、2年後には、ジュリエット・グレコの歌う「枯葉」も大ヒットします。
遠距離恋愛は続き、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」の音楽にマイルズが起用されたのも、グレコの後押しがあったからとも言われています。
二人の破局は、グレコがNYの最高級ホテル、ウォルドルフ・アストリアに出演した時に起こりました。公民権法成立以前、人種差別があからさまに行われていた時代です。彼女はその時のことを次のように語っています。
「私はスイート・ルームに泊まっていて、彼をディナーに招待した。部屋に入ってきた給仕長が、マイルズを見た時の表情はなんとも言えないものだった。おかげで散々な食事になり、彼は私から去ってしまったの。
翌朝の4時、電話がかかって来た。彼は泣いていたわ。
『もう別れよう。この国で僕達はやって行けない。』
その時、自分が取り返しのつかないことをしてしまったと判ったの。一生忘れることが出来ない奇妙な敗北感を味わった。
パリで一緒にいるときは、彼が黒人と意識することすらなかったのに、アメリカでは、肌の色の問題が露骨に私につきまとっていた。」
母同様、地下組織と関わりを持っていたグレコは、恋人がコンプレックスに苦しんでも、それに負けるヤワな女性ではないはず。米国の黒人差別は、そんな彼女を震撼させるほどのものだったのでしょうね。
「別れてから、サルトルが、どうして私達が結婚しなかったのかとマイルズに尋ねたんですって。マイルズはこう答えたそうよ。『彼女を不幸せにするには、余りにも深く愛していたから。』プレイボーイの常套句みたいだけど、彼は人種差別のことを言っていたの。私を連れて米国に行けば、私が非難され、笑い者にされると判っていたから。」
ジュリエットは「誰もが憧れるような、本当に素晴らしい恋愛」と言い、マイルズの伝記では「本当に愛したのはジュリエット・グレコだけ」とあります。実際、二人の親交はマイルズの死の直前まで続いたそうです。
「亡くなる数ヶ月前に、私の家に来てくれた。彼が客間でくつろいでいる間に、ちょっと私がベランダに出て庭を眺めていると、例の悪魔みたいな笑い声が聞こえてきた。私が振り向いてどうしたの?って訊いたら、あの人はこう言った。
『世界のどこにいようと、後姿だけで、すぐに君だと判るよ!』
マイルズが初めてジュリエットの歌を聴いたのは、二人が別れた1957年のホテルのショウ、そこで彼女は「枯葉」を歌ったに違いありません。そして『Somethin’ Else』が録音されたのは翌年(’58)だったのです。
’57年、アストリアホテルに出演中のジュリエット。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
先日、サンパウロのブラジル人ジャーナリストの方から、寺井尚之の演奏についてこんな感想を頂きました。
「あなたにはトミー・フラナガンの影響だけでなく、日本文化に裏打ちされた、寺井尚之という個性がしっかりある。だから好きなのです。」
寺井尚之の「枯葉」、ぜひ聴いてみてくださいね!
見る人もなくて散りぬる奧山の 紅葉は夜の錦なりけり (古今集 紀貫之)
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Evergreen物語(2)変るものと変らないもの As Time Goes By
Evergreen物語、第二話は”As Time Goes By”、「時の過ぎゆくままに」という邦題がついていますが、歌詞を読むと「時は過ぎても」という方がしっくり来るかもしれません。『Evergreen』で、寺井尚之のピアノはまるで歌詞が聴こえてくるようです。
<映画 Casablanca>
“As Time Goes By”は、何といっても、映画「カサブランカ」で有名になった曲。とはいえ、若いお方は「カサブランカ」(’43)なんて見たことも聞いたこともないとか・・・。「カサブランカ」は、芸術映画でもないし、史上最高の名作とも思えませんが、常にアメリカ映画ベスト100に入っている人気映画、何度観ても観飽きない。確かに戦意高揚映画であるかも知れないけれど、「スタイル」がある。だからこそ、ウディ・アレンなど、後に色んな映画作家がパロディにしたくなる力があります。人物描写は類型的だし、二人の男性に愛される美しいヒロイン、イングリッド・バーグマンのどっちつかずな態度も勘に触るかもしれませんが、結末が決まっていないまま撮影していたから仕方ない。日本語字幕には納得いかないヴァージョンもありけど、現代もよく使われる名文句が一杯なので英語の勉強にもなる。何よりもボガートの醸し出すダンディズムが最高!
舞台は、言うまでもなくモロッコのカサブランカ、第二次大戦中にナチを逃れ、アメリカ亡命を目指す人々が集まる酒場の主人リックは過去ある男、酒場ではリックを心から慕う黒人ピアニスト、サムが弾き語りをして人気を博している。ある夜リックの店にレジスタンス運動のリーダー、ラズロとやって来たのは、リックの昔の恋人、イルザだった。ナチはラズロを逮捕し収容所に送ろうとするが…、戦争に翻弄されるさまざまな人間模様が描かれます。酒場の主人といっても、ハンフリー・ボガート扮するリックはトレンチ・コートや白いタキシードが似合う苦みばしったいい男、カサブランカが帽子やトレンチが必要なほど寒いのかどうかはわかりませんが、とにかくカッコイイから気にしない!そして最後は愛するイルザをラズロと飛行機に乗せて自由世界へ逃がすんです。
“As Time Goes By”はリックとイルザが愛し合ったパリの思い出の曲として、映画全編に流れる。とはいえ、この曲は映画の10年前に、ブロードウェイで余りヒットしなかったお芝居の為にハーマン・ハップフェルドが作詞作曲した既存の曲。ややこしい話ですが、「カサブランカ」の脚本自体が、未公演戯曲のリサイクルで、”As Time Goes By”はその段階で劇中歌に指定されていた曲だったのです。映画演劇の世界でも、リメイクやリサイクルは日常茶飯事なんですね。
映画音楽を担当したマックス・スタイナーは撮影の途中で、ハップフェルドの作った”As Time Goes By”をカバーするのを止めて自作曲に差し替えようと提案します。でも撮影の事情で、差し替えが実現しなかったため、そのまま”As Time Goes By”をモチーフにして全編に使い、素晴らしい効果を挙げています。戦時映画のためなのか、脚本は戦況に合わせて書き換えられ、監督すら結末を知らずに撮影していたそうですが、出来上がってみれば、愛国心やロマン主義に訴えかける作品として大ヒット!アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞をゲット!製作のワーナー・ブラザーズは、ピアニスト、サム役のドゥーリー・ウィルソンに”As Time Goes By”をレコーディングさせ、更にヒットさせたかったのですが、折りしもアメリカ音楽史上有名なレコーディング・ストライキの時代で、無念の涙を呑んだそうです。
<変われないもの>
歌の内容は、「世の中がどれほど変ろうとも、絶対に不変のものがある。いつの世も恋する者の思いは一緒!」というロマン派。ですから、戦争や自由主義の弾圧といった映画のシチュエーションにぴったりだったんですね!
でもよく考えてみれば、これは2011年という時代に、一層相応しい歌に思われて仕方ありません。自国の政治も世界情勢も刻々と変り、気候も変るこの時代だからこそ、「変らないものがある」事を思い出すと励まされます。
寺井尚之メインステムは、A節の「キッス」や「溜息」を本当に上手に表現していますよ!
巨匠ビリー・テイラーも暮れに亡くなり、美しいタッチのピアニストは絶滅危惧種。でも、大事なことは変らない、と思いたいですね!
<As Time Goes By>
by Herman Hupfeld
原歌詞はこちら(対訳で省略したヴァースも付いています。)
これだけは覚えておこう、
いつの世もキッスはキッス、
愛の溜息も同じこと、
大事なことは変わらない、
時が流れても。恋人たちの囁きは、
今でもやはり”アイ・ラヴ・ユー”、
必ずそうと決まってる、
これから何が起こっても、
変わらない事はある。月の光や恋の歌は、
時代遅れにならないし。
情熱に燃える心、
嫉妬や憎悪も同じこと。
女には男、
男には妻がなくてはならぬ、
それを誰も否定できない。
歴史は今も繰り返す、
愛と栄光の闘いを。
行動か死を!と決起する。
でも、世界はいつの日も、
恋人達には優しいもの。
時が流れても。
デトロイト・ハードバップ・ロマン派、寺井尚之の演奏するロマン派スタンダード・ナンバー!ぜひダウンロードして聴いてみて下さいね!
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CU