Evergreen物語(3) 名曲物語「枯葉」

 寒い日が続きますね!大雪被害のニュースを観ていると他人事とは思えません。海外から頂く新年の挨拶メールも、ヨーロッパ、NY、世界中大雪で大変みたいです。YAS竹田は大晦日ブルックリンの自宅で雪に埋まった車を掘り出している間に風邪ひいたとか…お大事にね!
 さて、今日のEvergreen物語は「枯葉」のお話。皆さんもご存知のように、「枯葉」はフランス生まれの曲が超スタンダードになった不思議な例ですね。ぜひダウンロードして聴きながら読んで下さい。
 なにしろ有名曲だけに、エピソードも枯葉のごとく積もり積もってどっさりあります。一昨年、ジャック・プレヴェールの深い追憶と哀しみに満ちたオリジナル詞や、日本の美学が感じられる中原淳一の歌詞、そして、ジョニー・マーサー作のライトタッチの英語詞を比較しながら「枯葉」のイメージにもお国柄があることを「東西枯葉事情」 に紹介しました。
<Mr.B と寺井尚之>
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 私が一番シビれた「枯葉」は、本家イヴ・モンタンの熟年ヴァージョンでしたが、バッパー寺井尚之の一番のお気に入りは、ビリー・エクスタイン72歳のラスト・レコーディング、『Billy Eckstine Sings with Benny Carter』です。散り行く枯葉の一片ごとに、人生の断片が垣間見えるような、年代もののワインのように深みのある歌唱です。
 ジャズ講座にお越しになると、寺井は、よくエクスタインを聴かせて、「まるで”水戸黄門の印籠”ですな。平伏したくなります!」と、突然アヴァンギャルドな断定をするので面食らうかも知れませんから説明しておきましょう。
BillyEckstineBand_ThompsonGillespieParker_Pittsburgh1944.jpg左からラッキー・トンプソン、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、ビリー・エクスタイン
 ビリー・エクスタイン(1914-93)はアール・ハインズ楽団の歌手として出発しました。サラ・ヴォーン(vo)の師匠として有名ですが、Mr.Bの愛称で人気を博した男性版ブラック・ビューティの先駆け的スターです。やがて芸の幅を広げるために、トロンボーンなどの楽器をたしなむ内、ジャズの新しい潮流、Bebopの虜になり、アイドルの座に飽き足らず、自分で楽団を設立。それが伝説的ビバップ・ビッグ・バンド、「ビリー・エクスタインOrch.」です。歌手活動をして資金を注ぎ込みながらも僅か数年で経済的に破綻してしまったバンドですが、そのラインナップはチャーリー・パーカー(as)、ディジー・ガレスピー(tp)、ケニー・ド-ハム(tp)、アート・ブレイキー(ds)、デクスター・ゴードン(ts)など、Bebopのドリーム・チーム!つまりビリー・エクスタインのバリトン・ヴォイスの歌唱にはBebopのエッセンスが一杯!ですから、寺井には「水戸黄門の印籠」のように感じるわけなんです。『Evergreen』の「枯葉」は流麗なピアノ・サウンドに、エクスタイン的な渋さが聴こえてきますよ!
<Somethin’ Else>
220px-Somethin'_Else-jpg.jpg 「枯葉」を一躍ジャズ・スタンダードにしたアルバムと言えば、やはりキャノンボール・アダレイ(as)5の『Somethin’ Else』(’58)。キャノンボールはマイルズ・デイヴィス五重奏団のメンバーで、このアルバムも実質的にマイルズのリーダー作であることは明らかです。当時マイルズはコロンビアと専属契約関係にあり、BlueNoteレーベルでは、リーダーとしてクレジットできないという事情がありました。
 この「枯葉」の演奏解釈は、アメリカ版の「ひと夏の恋への惜別」よりも、ずっとブルーです。道端に山となって掃き寄せられた落ち葉を、追憶と後悔に喩えるプレベールのオリジナル歌詞に近い深みを感じます。
 その訳はきっとマイルズと、パリのサンジェルマンが生んだスター、ジュリエット・グレコとの恋に関係があるのだと思えてなりません。
<ジュリエット・グレコ>
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 ところで、ジュリエット・グレコはご存知ですか?私が子供の時はフランスの歌手もよく来日してTVに出ていたから、グレコも’70年代によく観ました。黒ずくめの衣装で厚化粧のシャンソン歌手のおばさんの印象だったけど、若い時の写真を見ると、清純そうな凄い美少女で、びっくりしました。
 グレコはマイルズよりひとつ年下、’27生まれのフランス人、母親はレジスタンス運動家で、大戦後インドシナに移住、彼女は祖母に育てられました。その美貌ゆえ、戦後、パリの文化人が集まる街、サンジェルマン・デプレの女王として、サルトルやボリス・ヴィアン、メルロ・ポンティといったフランスを代表する知識人たちに可愛がられ、カリスマ的な人気を得ます。女優として活躍すると同時に’49年に歌手デビュー、シャンソン界のスターとして現在も活動中。
 パリの知識階級の例に漏れず、彼女もナチ占領時代から大のジャズ・ファンでした。ナチはジャズを敵性音楽として禁止していたため、ジャズを聴くのも命がけ、占領下、パリの人々にとってジャズは「自由」を象徴するものだったのですね。だから、戦後、パリでジャズが大流行し、バド・パウエルやケニー・クラークなど、多くのバッパーがパリに移住したわけです。彼女がマイルスと恋愛関係にあったとは聞いたことがあったけど、2006年、英ガーディアン誌に掲載された、グレコののインタビューを読んで、「枯葉」はマイルズにとって、二人の恋を象徴する曲だったのではないかと強く感じました。
<マイルズとジュリエット>
 ガーディアン誌のインタビューによれば、二人の出会いはマイルズが始めてパリ・コンサートを行った1949年のこと。二人とも22歳、まだ歌手ではなく、サンジェルマンの女王と言われ、ぼつぼつ映画に出演し始めた頃です。フランス・ジャズ界の大物ギタリスト、サッシャ・ディステルに連れられて劇場の二階席から初めて観たマイルズの印象は、「ジャコメッティの彫刻のようで、本当に美しい男性だった。当時はまだクラシックな服装で、着こなしは完璧だった。」と語っています。
 コンサートの後、皆で一緒に食事に行き、彼女は英語を話せないし、マイルスはフランス語を話せないのに、瞬く間に恋に落ちたのだそうです。その時、ジャズは決して歌えないけれど「マイルズと一緒に歌いたい」と願った彼女は、その年に歌手デビューを果たし、2年後には、ジュリエット・グレコの歌う「枯葉」も大ヒットします。
 遠距離恋愛は続き、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」の音楽にマイルズが起用されたのも、グレコの後押しがあったからとも言われています。
 二人の破局は、グレコがNYの最高級ホテル、ウォルドルフ・アストリアに出演した時に起こりました。公民権法成立以前、人種差別があからさまに行われていた時代です。彼女はその時のことを次のように語っています。
「私はスイート・ルームに泊まっていて、彼をディナーに招待した。部屋に入ってきた給仕長が、マイルズを見た時の表情はなんとも言えないものだった。おかげで散々な食事になり、彼は私から去ってしまったの。
 翌朝の4時、電話がかかって来た。彼は泣いていたわ。
『もう別れよう。この国で僕達はやって行けない。』
 その時、自分が取り返しのつかないことをしてしまったと判ったの。一生忘れることが出来ない奇妙な敗北感を味わった。
 パリで一緒にいるときは、彼が黒人と意識することすらなかったのに、アメリカでは、肌の色の問題が露骨に私につきまとっていた。」

 母同様、地下組織と関わりを持っていたグレコは、恋人がコンプレックスに苦しんでも、それに負けるヤワな女性ではないはず。米国の黒人差別は、そんな彼女を震撼させるほどのものだったのでしょうね。
「別れてから、サルトルが、どうして私達が結婚しなかったのかとマイルズに尋ねたんですって。マイルズはこう答えたそうよ。『彼女を不幸せにするには、余りにも深く愛していたから。』プレイボーイの常套句みたいだけど、彼は人種差別のことを言っていたの。私を連れて米国に行けば、私が非難され、笑い者にされると判っていたから。」

 ジュリエットは「誰もが憧れるような、本当に素晴らしい恋愛」と言い、マイルズの伝記では「本当に愛したのはジュリエット・グレコだけ」とあります。実際、二人の親交はマイルズの死の直前まで続いたそうです。
「亡くなる数ヶ月前に、私の家に来てくれた。彼が客間でくつろいでいる間に、ちょっと私がベランダに出て庭を眺めていると、例の悪魔みたいな笑い声が聞こえてきた。私が振り向いてどうしたの?って訊いたら、あの人はこう言った。
『世界のどこにいようと、後姿だけで、すぐに君だと判るよ!』

 マイルズが初めてジュリエットの歌を聴いたのは、二人が別れた1957年のホテルのショウ、そこで彼女は「枯葉」を歌ったに違いありません。そして『Somethin’ Else』が録音されたのは翌年(’58)だったのです。
greco_astoria.jpg’57年、アストリアホテルに出演中のジュリエット。
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 先日、サンパウロのブラジル人ジャーナリストの方から、寺井尚之の演奏についてこんな感想を頂きました。
「あなたにはトミー・フラナガンの影響だけでなく、日本文化に裏打ちされた、寺井尚之という個性がしっかりある。だから好きなのです。」
 寺井尚之の「枯葉」、ぜひ聴いてみてくださいね!
見る人もなくて散りぬる奧山の 紅葉は夜の錦なりけり (古今集 紀貫之)
CU

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