<お気に入りのピアノ>
(司):お二人は、どんなピアノを求めますか?お気に入りのピアノは?
ロジャー・ケラウェイ (以下RK):僕はブリュートナー(ドイツの最高級ブランド)だ。理由は、演奏曲の調性の有無に拘らず、あらゆる題材で、ちゃんとサウンドしてくれるから。ブリュートナーと対照的なのがベ-ゼンドルファーだ。無調の音楽だけでなく、前衛的なもの全てを嫌っているように思える。ベーゼンドルファーは、ショパンのような音楽を弾かないと、「キャーいやだ~!止めて!」てな風に鳴るんだよ。(笑)
トミー・フラナガン(以下TF):私はスタインウエイの方が好きだね。それもハンブルグ・モデルの。ハンブルグには特別な何かがある。ハンブルグモデル以外のスタインウエイは、僅かにノイズが出ることがある。だが普通の弾き方で、鍵盤をタッチしていくと収まる。ペダルを使ったとき、何かの拍子でそのゴーストのようなものをキープしてしまうのかもしれない。あんまりよく調べたことはないが、スタインウエイのある特定のモデルは、ゴーストが全然出ない。
(司):もし演奏会場のピアノが粗悪だったり、気に入らなかった場合、どのように克服し、よい演奏をするのですか?
RK:私の場合は消去法だ。弾き始めると、自分とピアノとの感じ方が判ってくる。そうしておいて、弾き方を限定する。
TF:もし、一週間のギグがあり、始めから会場のピアノが気にいらないとする。しかし、そのピアノを一週間弾かなきゃいけないとしたら、ピアノに順応することはできる。嫌なところは避けて、長所を引き出してやるという対処法もある。
例えば、ピアノがアップテンポについて行けず、良い音を出せなくても、バラードならましかもしれない。バラードはピアノの方に前かがみになって体重を掛けて弾くから。
RK:僕はその正反対の恐怖の体験もしたことがある、バラードが弾けないピアノ、アップテンポだけ良く弾けるんだ。トーンがサステインしてしまう。Oh,No!って感じだった。
TF:私もスェーデンでそんな経験をしたことがあるよ。サステイン・ペダルが止まらなくなってしまった。恐ろしいことだ・・・本番で、何人かに舞台に上がってもらって、弦を手で押さえてもらおうさえしたほどだ。(笑)演奏の真っ最中で、成す術無しだった。
(司): 数年前、ケラウエイさんが真新しいピアノを入れたクラブに出演されていた時に、「ああ、このピアノは実に若く、私は、実に年寄りだ。」とおっしゃったのを覚えてるんですが、楽器がちゃんと役割を果たすためには、ある種の成熟が必要だと思われますか?
RK:一般の人なら『どういう意味?』ということになるかもしれないな。例えばこういう話だ。『あなたをお迎えできて誠に光栄です。今日はあなたのために、新品のピアノを調達いたしました。』(笑)でも僕はこう言うだろう。『大変ありがとうございます。』そして『OH,NO!』と・・・何故なら弾き慣らされていないからだ。どんなに
長時間調律しても、だめになる可能性が大きい、ファーストセットの途中で調律が落ちてしまうかもしれない、あるいは一曲目の何音かを弾くだけで、調律がだめになるかもしれないから。
<練習方法>
(司):練習はどのようにされますか?
TF:メンタルな練習をたくさんする。鍵盤でもある程度は稽古するが、頭の中でもっと練習をしている。
(司):練習に際して、なにか哲学的システムのようなものがあるんですか?
TF:いやそういうわけじゃない。頭の中の鍵盤を弾いてみて、出てくる音をイメージしてみる。鍵盤なしで、サウンドだけメージすることもある。
(司):グレン・グールドは、ピアノのない暗い部屋にこもり、ピアノコンチェルトをの通し稽古を心の中でひたすらしたそうですね。
RK:そうだね。ただ彼は、何でも暗い部屋の中でやったんだ。(笑)
TF:目を見開いてね。いや、冗談はさておき、そこまで極端ではないが、私は身体的なコンディションによって、きちんと構えて演奏する気になれない時がしょっちゅうあるので、座って考えるだけで同じ効果をあげようというわけさ。
RK:私は「書くこと」が練習、だからやはりメンタルだ。ただし、筋肉の活動性を保つためには、弾く方が大事だ。50歳を過ぎてそのことに気がついた、昨夜はしばらくぶりで演奏した。今夜の方が力強くプレイできるはずだ。技量、というか精神的な活力はあるのだから、肉体的問題というよりも持久力だね。
<若手へのアドバイス>
(司):お二人は教えますか?
TF:いいや。
RK:文字どおり「教える」という意味ではノーだ。訓練しなければならないのなら、ずっと規則的に生徒に付いて教えなくてはならない。私は楽旅も多いし、自分のプロジェクトで作曲もしなくてはならない。だから生徒に対してよくしてやる自信がない。クリニックは好きだよ。思ったことを何でも質問してくる人達と話をするのは好きだ。マスター・クラスというのかなあ。あれは面白い。
TF:私もクリニックはやったことがある。しかしロジャーが説明したように、自分の生徒
の上達ぶりを論評してやるとか、規則的にフォローできる時間がない。常に演奏旅行が割り込んでくるから。
(司):現在の新進ミュージシャンはどう思われますか?彼等に伝えたいことはありますか?
RK:今共演しているエリック・アレキサンダー(ts)とジョン・スワナ(tp)について考えてみるよ。まず、どの曲でも、彼等は若いってことだな、それは本当に素敵なことだ。トランペット奏者はいつも音数が凄く多いので挫折しているが、実はそんなに悪いことじゃない。僕は言うんだ。「一つの音だけ吹くようにしてみれば?」って。きっとできるはずだ。僕はそんなことすらできない。
とにかく人生において、何か情熱を燃やすものを見つけなければ。もしそれが音楽なら、なお素晴らしい!僕は自分のやっていることに凄く情熱をもってるよ。クリニックでは、何よりもまず心構えを教えなければいけないとしょっちゅう思う。コード・チェンジをどっさり教えてあげれば、それを使っていろんなことはできる。しかし僕がみんなに伝えたいのは、「自分のやっていることが好きだ」ということ、だから「君にも自分のやってることを好きになって欲しい」という事だ。もし僕と同じことがやりたいというなら、大いに結構!でもそれが何であれ、情熱を抱いて欲しい。
TF:もし若手たちが、本当に良い演奏をしたいと願うなら、必ず進むべき道が見つかるだろう。本当に真剣なら、その道をつき進んで行くことが出来るだろう。いずれ、何か納得の行かない事にぶつかるかもしれない。そうしたら助言をしてくれる人のところへ行くといい。ロジャーでも私でも、誰でもいいさ。私達が力になれるのならね。私ならそんなふうにアドヴァイスする。
私はわざわざ出かけていって、色々調べて、どうのこうの指図はしない。彼等は、そうしたいと思ってやっているのだからね。それが間違っていると助言するために生きているわけじゃない。もし本当に情熱があるなら、自分で道を見つけるはずだ。
(司):「道」ということをおっしゃいましたが、ジャズの見地から、ファッツ・ウオーラーやバド・パウエル、トミー・フラナガンを知らずして、正しい「道」は見つかるとお思いですか?
*続きは次回!お楽しみに~
「私は教えない」と公言するトミー・フラナガンの弟子に寺井尚之がなった経緯は、だいぶ前に書きました。
GW講座は5月3日(火)~5日(木)開催。私の作った対訳とともに、ジャズの名唱をお楽しみください!
CU
月: 2011年4月
PIANO談義:トミー・フラナガン&ロジャー・ケラウエイ 連載(1)
お休みなので、古い翻訳ファイルから、トミー・フラナガンとロジャー・ケラウエイの対談記事を引っ張り出しました。
だいぶ前に後藤誠先生に読ませていただいた、「Cadence」という米国のジャズ誌、’97年4月号に掲載されていたものです。
Roger Kellaway :ロジャー・ケラウエイ (1939~) :ニックネームは「音楽的カメレオン」、ありとあらゆるジャンルで活躍しているからです。ピアニストとしては、インタビューに言及されている大巨匠、ベニー・カーターに新人の頃から可愛がられ、サド・ジョーンズやエリントン、ジャズ以外ではエルビスからヨー・ヨー・マまで、ありとあらゆるスターと共演しています。
作編曲家としては、TVや映画から交響楽まで手がけ、グラミー賞や、アカデミー賞の受賞歴もあるという凄い人です。
ピアノはとにかくテクニシャン!濃厚な味が絡み合うレッド・ミッチェル(b)とのデュオが私のお気に入りです。「100 Gold Fingers」でたびたび来日していて、モンティ・アレキサンダーとの丁々発止のピアノ・デュオは歴史的名勝負でした。’93年に、トミー・フラナガンと一緒にOverSeasに遊びに来て、演奏も聞かせてくれました。上品で知的な人、とにかく音楽を愛している!という印象があります。現在カリフォルニア在住。
聴き手は、Per Husby(パー・ハスビー) ノルウエィのジャズ・ピアニスト、この対談もノルウエィで行われました。
原文はものすごく長く、テープ起こしをベタで掲載した感じなので、抄訳にしました。
<名伴奏者として>
(司) 本日は、名伴奏者のお二人をお迎えしています。ホーン奏者や歌手のインタビューでは、よく「伴奏に求めるものは?」とお尋ねするので、逆の質問から始めましょうか?伴奏する価値のある人、ない人があると思いますが、その基準は?
ロジャー・ケラウェイ (以下RK): それは議論のテーマにはならないよ。ソロイストから伴奏者に求めることはあるだろうが、伴奏者に求めることなどありません。ホーン奏者というものは、おおむね、流れる様に吹き続けるわけですから、それがどんなプレイであれ、ぴったりする伴奏をつけるのが仕事だもの。
トミー・フラナガン(以下TF): 賛成!前もってアレンジがなければ、どうなるかは判らない。お互いの趣味の良さ次第。(笑)
(司) では、共演のオファーを受けて、「その人の伴奏ができるなら素晴らしい!」と思ったことは?
RK: 伴奏する相手によって視点を変えることが必要なので、誰と共演しようと教訓は得られると思う。今、私は若手トランペッターのジョン・スワナと共演している。彼のラインはとてもフリーだから、無理やり押さえつけたり、仕切ってはいけない、より大まかなバッキングを付けるべきだと学ぶ。ズート・シムス(ts)やクラーク・テリー(tp)の場合とは違うやり方でいく。それ
が僕の流儀だ。
TF: 私はあまりフリーな人達とは演らないが、最近ベニー・カーター(as,tp)と共演した。ある意味、非常にストレイト・アヘッドな仕事だ。彼のような名手と演る時は、相手が思うままに演れるように、つまり、できるだけフリーになれるよう、邪魔したり干渉したりしないようにしている。
RK: つまりこういうことでしょ。僕もベニーとはたくさん共演してるもの。ベニーは僕が今までに演ったうちで、最も伴奏するのが難しい人!何故なら、絶対干渉してはいけないんだからね。おまけに、彼がアドリブでどう行こうとしているのかは、絶対に予測できない。
TF:たしかに行く先は判らないが、ベニーが正しい方向に行くことは間違いない。彼はとても強力で、常に正しいことを求めているからね。コードや音楽の構成についても、ベニーは完璧と言っていい。それにあの音色!アルトサックス本来のサウンドだ。私はベニーのサウンドを聴きながら育った。そして今日でもそれは健在なんだ。
RK:全く素晴らしいことですよね。お金をもらって音楽のレッスンを受けてるようなものだ。彼は今だに何かを模索しながら演奏している。彼がどう考えているか知るすべはなく予測することはできない。
TF:伴奏について、ひとつ言っておきたい。私はよく「良い伴奏者」と呼ばれるのが厭だった。自分は良い伴奏者ではないと思っていたのでね。私は、優れた伴奏者と思えるプレイヤーを聴くのが好きだ。例えばバド・パウエル、私は彼がジャズ史上最高の伴奏者だと思う。ホーン奏者にとって完璧だ!歌伴は余り聴いたことはないが、恐らく歌手にとっても完璧だったろう。
エリス・ラーキンス(p)とジミー・ジョーンズ(p)が伴奏の手本だと、かねてから思っている。彼等は伴奏に的を絞り、自分を限定した。言わば専門職だ。
エリス・ラーキンスは’50年代のエラ・フィッツジェラルドを象徴する伴奏者、ジミー・ジョーンズは5月4日の講座のテーマ、サラ・ヴォーンの伴奏で有名。
(司):歌手と楽器演奏者の伴奏は違うと思われますか?
TF:感受性を使うということでは同じだ。
RK:主題に歌詞があるかないかが違う。
(司):歌詞を知ることは伴奏の助けになりますか?
TF: ああ、助けになると思うよ。私の場合、長年エラと仕事をした。彼女はよく知ってる歌でも、時々歌詞を忘れちゃうんだ。だから私が正しい歌詞を思い出して彼女を助けたというわけさ。(笑)
<タッチとはピアノに対する心構え!>
(司): 私は音響工学の勉強をしたんですが、私の教授は、「ピアノにタッチなんて存在しない。」と言うんですよ。サウンドを決定するのはピアノ・ハンマーのスピードで、それ以外は、どれも「思い込み」だというのですが、どう思われますか?
RK: 嘘っぱちだ!(笑)センセーはピアノを弾いた事がなかったんだろう。それとも、単にいい加減な野郎で、その講義が初めてだったのかもな。次の授業になると、「全てはタッチ次第」と言いかねないんじゃないか?君も反論すべきだったね。音の色合いやサウンドの全ては、ピアノのタッチと、ペダルの使い方で決まる。
TF: 「タッチ」というものは、単なるハンマーのスピードよりも、ずっと大事なものだ。ダイナミックス(強弱)やフレージングを決定するものだし、「楽器に対する心構え」でもある。誰が弾いても大差ないサウンドが出るエレクトリック・ピアノとは違うんだ。エレピは演奏スタイルの違いだけしか表現できない。
RK: そのとおり!ピアノとシンセサイザーはそこが決定的に違う。シンセサイザーを演奏するときは、シンセがサウンドを創る。だがピアノを弾くときは、弾く者が音を創るんだ。だからピアノという楽器は、「キーボード」のカテゴリーに入れるべきではないんだ。僕がクリニックを行うときは、区別している。
TF: エレクトリック・ピアノを何度か演奏したことはあるが、満足できたためしがない。プレイバックを聴いてみても、確かに私の演奏には違いないのだが、別に私でなくても弾けるという出来になってしまうんだなあ。(笑)
*次回は、「好きなピアノ」や「練習」の話題が登場します。乞うご期待!
なお、ベニー・カーターに興味がおありなら、伝記ブログがありますよ。
CU
OverSeas 連休の営業予定
こんにちは!皆様いかがお過ごしですか?
GWが楽しみで眠れないというハッピーな方も多いのではないでしょうか?
OverSeasの連休中の営業は変則になります。
4月29日、30日とお休みをいただき、かねてからお伝えしているように、3日~5日は、正午からイベント開催いたします。<楽しいジャズの講座>
ビリー・ホリディ、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエと、ジャズ・ヴォーカル史を代表する歌手の名唱セレクション!
遠出せずに街にいて、ゆっくりしようと思われるのでしたら、ぜひお待ちしています!連日でも、一日だけのご参加でも、勿論大歓迎です!
ご予約はEメールでどうぞ。
5/6(金)は、寺井尚之+坂田慶治(b)+今北有俊(ds):スーパー・フレッシュ・トリオ!
5/7(土)は、寺井尚之ジャズピアノ教室門下生ライブ、というより、しっかり一人前のピアニストに成長した福西綾美(p)さんのトリオです!
日曜 定休 | 4/29 祝 休業 | 4/30 (土) 臨時休業 | ||||
ジャズヴォーカル 対訳を見ながら楽しもう!各日 3,150yen | ||||||
(月) | 5/3(火)正午~ | 5/4(水)正午~ | 5/5(木)正午~ | 5/6(金) 7pm~ | 5/7(土) 7pm~ | |
レ ッ ス ン | ビリー・ホリデイ | サラ・ヴォーン | カーメン・マクレエ | SFT 寺井尚之(p) 坂田慶治(b) 今北有俊(ds) | 福西綾美(p) 宮本在浩(b) 菅一平(ds) |
CU
<ゴールデンウィーク楽しいJAZZの講座>予告編:カーメン・マクレエ
<ゴールデン・ウィークの楽しいJAZZの講座>最終日5月5日のテーマはカーメン・マクレエ!ジャズ・シンガーの代名詞、“ミス・ジャズ”と称されるカーメン・マクレエ!その半世紀を超えるキャリアの内、寺井尚之が選りすぐった名唱を、不肖私の作った対訳と共にご一緒に聴ければ嬉しいです。
カーメン・マクレエ(1920-1994)
若きカーメンとサミー・デイヴィスJr.、講座では掛け合い漫才みたいな楽しいデュエット乞ご期待♪
カーメン・マクレエは、アメリカ黒人を象徴する街、ハーレムに生まれ育った生粋のNY子。ハーレムに住む黒人はジャマイカ出身者が多く、カーメンの両親もそうでした。カリブの血を引く若き日の並外れた美貌は、何ともいえない粋な風情が漂って深川の芸者さんみたい!
カーメンがジャズ界に入るきっかけは、5/3に講座で取り上げるビリー・ホリディと、彼女の音楽監督的役割を勤めた女性、アイリーン・キッチングスとの出会いでした。ホリディは譜面が読めなかったため、新曲が出来ると、譜面の読めるカーメンがホリデイに歌って聞かせる仕事をしていたのです。
「ビリーとアイリーンがいなければ、今の自分はない」というのがカーメンの口癖。5日の講座で、カーメンがビリー・ホリディにトリビュートしたアルバム『For Lady Day』の深い思い入れのある名唱とMCがお楽しみになれます。
<多彩なレパートリーと歌詞解釈>
カーメンのレパートリーは有名無名に拘らず多種多彩!スタンダードは言うに及ばす、シャンソンや、ビートルズ、ポール・サイモンなどコンテンポラリーなアメリカン・ソング、またビバップに精通した歌手しか歌えないセロニアス・モンク作品など、世界中のありとあらゆる名歌名曲を取り上げ、素材の持つ思いがけない味を出し、聴く者を虜にしました。
カーメンの歌唱の特徴を、ネット上で検索すると、日本では「ジャズボーカルの四天王」とか「ハスキーな歌声」や「しっとり語りかける渋さ」という表現が多いですね。でも、英語圏でカーメンが絶賛されるところは、「歌詞解釈の深さ」なんです。その辺りを対訳で、お楽しみいただければ嬉しいです!
カーメン自身は、歌詞の大切さについてこんな風に語っています。
“言葉は私にとって、とても大事。私の場合、歌詞が一番で、メロディはその次。自分が歌うかどうかは歌詞を読んで決める。だって、お客さんに納得してもらえる鍵は、歌詞が握っているの。女優と同じように、自分が演じたい役柄ってものがあるのよ。”
それでは、カーメン・マクレエが演じたい役柄とは?若い頃は都会的で洗練された美人女優でした。サミー・デイヴィスJrとのデュエットは、まさにスター男優を彩る美人女優そのものです。やがて、年齢を重ねるにつれ、女優と同じように、役柄はどんどん変化していきます。トーチソングと呼ばれる実らぬ恋の歌を粋に歌うのが、若い頃からカーメンのオハコでしたが、60年代中盤からは、ビタースイートの「苦味」が増して、女の「業」というようなものが見えてくる。やがて、例えば命を賭けた恋人に裏切られたり、運命が自分の味方をしてくれなくても、自分の道を貫く強い女へと変化していきます。晩年は、「女」の枠を超え、ひとりの「人間」として歌う。その姿勢は、今回のビリー・ホリディやサラ・ヴォーンと全く違う。ビリー・ホリディを終生アイドルとしたからこそ、マクレエならではのアプローチを見出せたのかもしれませんね。
カーメン・マクレエの歌詞解釈の深さが判っていただけるよう、対訳も精一杯努力してみました。対訳を作るため、彼女の歌にどっぷり浸っていた時期は、胸が張り裂けそうに痛くなりました。どん詰まりの失恋の歌で、彼女がばっさりフレーズを切る時、聴く者の心もザックリいかれます。その辺りを名伴奏者として有名なノーマン・シモンズは、こんな風に語っています。
「カーメンは独特な歌いまわしで緊張感を盛り上げた。息継ぎの空白に強いインパクトがあり、次のフレーズまで、絶妙の行間を作り出す。伴奏者はそういう空白には、普通パルスを刻むものなのだが、彼女の場合はそうしてはいけない。彼女が止まると、私は彼女が新しいフレーズを切り出すまで待つ。彼女にとって「沈黙」は音楽の一部だった。彼女の伴奏をすることによって、私は「間」を作るとことを学んだ。」
<両性的魅力>
カーメン・マクレエは生涯に2度結婚しています。20代で、ビバップの創始者の一人であるドラマー、ケニー・クラークが最初の夫となりましたが、1年ほどで破局。10年後、共演ベーシスト、アイク・アイザックスが二度目と夫となります。一バイセクシャルであったとも言われており、晩年の歌唱を聴くとやはりそう感じずにはいられません。
いずれにしても個人的なセクシャリティは別にして、チャーリー・パーカーにせよ、デューク・エリントンにせよ、優れた音楽は「男っぽい」や「女らしい」を遥かに超越した魅力があるものですよね。
以前、カーメン・マクレエのセミナーを開催したときは、OHP映写機のライトがアウトになって、予備電球がなく、皆様に多大なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
5月5日は、棒指しながらOHPで対訳をご覧いただきますので、ぜひ宜しくお願いします!
<ゴールデンウィークの楽しいJAZZの講座>
ジャズ・ヴォーカルの女王達を対訳を見ながら楽しもう。
【日時】5月3日(火)=ビリー・ホリディ
5月4日(水)=サラ・ヴォーン
5月5日(木)=カーメン・マクレエ
正午~3:30pm (要予約)
【講師】トミー・フラナガン唯一の弟子、OverSeasオーナー、 寺井尚之
【受講料】各日¥3,150 (税込) 飲食代別
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Bravo!”コルトレーン ジャズの殉教者”
先月出版された岩波新書”コルトレーン ジャズの殉教者”(藤岡靖洋氏著)が、ベストセラーとして快進撃!資料翻訳などお手伝いさせていただいた私もすごく嬉しいです。
藤岡さんは、トム・クルーズ主演映画”ヴァニラ・スカイ”に映像提供したり、英文の専門書2冊をすでに上辞、コルトレーンの権威として世界的!海外では”Fuji”と呼ばれる藤岡さんは、OverSeasのご近所、黒門市場の老舗呉服屋さんのご主人です。和服姿でバイクに乗って駆け回るインパクトは、ファラオ・サンダーズも真っ青!私がそれまで持っていた慶應ボーイのイメージは大きく覆されました。本書で詳しく語られているサイーダさん(”Syeeda’s Song Flute”で有名な、義理の娘さん)を連れて来店して下さったこともありました。
コルトレーンを単にジャズメンとしてだけでなく、その人間像に迫るため、リスニング・ルームを飛び出して、世界中のコルトレーンゆかりの地を行脚し、親戚縁者からご近所さんに至るまで、ありとあらゆる取材を敢行、その歳月は20余年、机上データ以上に、藤岡さんがつぎ込んだ膨大な労力と時間が、ぎゅっと凝縮されて掌サイズの新書になっているのですから、内容が充実しないはずがありません。
私がまず感動したのは著者のエネルギッシュな筆致!全くジャズを知らない人にも、「コルトレーンのええとこを伝えたろう!」という熱意と迫力が伝わってくるし、語句説明など、隅々まで、配慮が行き渡っていますよね。
今まで私たちが知らなかった私生活や女性関係だけでなく、アメリカの歴史や社会の様相もわかり易く述べられているし、ジャズ・クラブやロフトで形成されるNYのジャズのコミュニティも歴史に沿ってしっかり解説。だから初心者から通まで参考になるデータが一杯です。マイルズやモンク、ロリンズなど、トレーン周辺の音楽家や、共演者との関わりもしっかり解説されている。
黒人ジャズメン=ドラッグ+人種差別という構図は、聞き飽きるほどのステレオタイプだけど、本書はそんなレベルを遥かに超え、奴隷時代や南北戦争時代の「アンダーグラウンド・レイルロード」から「公民権運動」に至るまで、人種闘争の歴史的変遷についてしっかり述べた日本のジャズ書は珍しい!
私は幼稚園がキリスト系だったため、4才の時からキング牧師が身近な存在でしたので、個人的にはその辺りがかなり嬉しかったです。
我らがトミー・フラナガンは、「Giant Steps」でウィントン・ケリーの助っ人として共演、後にトリオで同名のコルトレーン集(Enja, ’82)をリリースしました。当然、寺井尚之もコルトレーン作の愛奏曲が一杯!寺井尚之は「至上の愛」の音楽解説をサポートさせていただいて、自分も新しい発見をして楽しかったらしい。Youtubeでは、寺井のSyeeda’s Song FluteやCentral Park Westなどが観れますよ。
私は、藤岡さんから送られる英文の断片や、色んな質問が滅法面白く、犬がフリスビーを追いかける如く、その都度翻訳などをメールで送り返すという作業を繰り返していただけ・・・それが執筆のための作業であることも最初は全然知りませんでした。昨年暮れ、初めて新書執筆とジョン・コルトレーン・インタビューズ(シンコー・ミュージック刊)のためと知ってびっくりでした。
英書を執筆されるほど英語に堪能な藤岡さんに、翻訳の白羽を立てていただいたのは大変光栄なこと!何よりもコルトレーンへの理解が深まれば、それ以上の幸せはありません!
“My Favorite Things”や”『バラード』ばかり聴くのは、コルトレーンの本意ではないはずですから。
(エンディングは藤岡さんスタイルで!)岩波新書”コルトレーン-ジャズの殉教者”は800円とお手ごろですが、内容はスーパーリッチでっせ!
マイドオオキニ!
<ゴールデンウィーク楽しいJAZZの講座>予告編:サラ・ヴォーン
大阪の街は造幣局「桜の通り抜け」が始まりました。皆様はいかがお過ごしですか?
連休中、5月4日(水)のお昼、OverSeasでは、寺井尚之がサラ・ヴォーン選りすぐりの歌唱を、不肖私の作った<ゴールデン・ウィークの楽しいJAZZの講座>を開催いたします。ジャズ初心者大歓迎!ぜひご予約の上お越しくださいね!
エラ・サラ・カーメンと称される、ヴォーカルの御三家の一人サラ・ヴォーンは、ハリウッドの” ウォーク・オブ・フェイム”に名前が刻まれる数少ないジャズ歌手の一人。現代もビールや乗用車のCMで「ラヴァーズ・コンチェルト」など、サラの歌声が使われるのは、きっとハイクラスでセクシーなインパクトのせいですね!
サラ・ヴォーンは、日本の大女優、高峰秀子さんと同じ、1924年3月27日生まれ、生地はNYマンハッタンからハドソン川を渡ったNJのニューアークという街です。
18歳の時、ハーレム・アポロ劇場のアマチュア・コンテストに優勝し、歌手兼ピアニストとしてアール・ハインズ楽団に入団、スター街道が始まりました。その頃のサラ・ヴォーンは、左の写真のように、歯並びが悪く、やせっぽちのいかり肩、歌はうまいが、美人とは程遠かった。アール・ハインズ楽団はゴージャスな一流バンド、音楽だけでなく、ルックスの良さでもトップを誇った。ですからサラの入団が決まったとき、アール・ハインズは気が狂ったんじゃないかと噂になったそうです。楽団一の男前で女性ファンを熱狂させたのが、専属歌手のビリー・エクスタイン、サラは彼からバップ的奏法を習得、エクスタインはサラにとって、生涯の師でありアニキとなったのです。
<醜いアヒルの子から美人歌手へ>
独立後、タッド・ダメロン書き下ろしの名バラード”If You Could See Me Now”など、多くのヒットを飛ばし、ライブ・シーンでは、「人種混合」のリベラルなポリシーで、流行のさきがけとなった<カフェ・ソサエティ>(ビリー・ホリディに「奇妙な果実」を歌わせたのもこのクラブです。)を本拠に、どんどん知名度を上げます。
ニューアークのイモねえちゃんは、華やかなスポットライトを浴び、見違えるように垢抜けて行きます。それは、最初の夫ジョージ・トレッドウエルの功績でもありました。トランペット奏者であったトレッドウエルは’47年に結婚してから、マネージャー兼財務管理者に専念、サラの収入から大枚$8000投資して、サラ・ヴォーン改造計画を実行したのです。まず鼻と歯を整形し、発音レッスンを受けさせ、見た目も歌唱も洗練させた。トレッドウエルはなかなかセンスの良い人で、彼女の髪をショートカットにし、ゴテゴテしたドレスの代わりに、NYっぽいスッキリしたファッションにスタイリング、お洒落で憎らしいほど歌のうまい美人歌手、”サッシー”を作り上げたジャズのピグマリオンでした。19世紀の伝説的名女優、サラ・ベルナールから、”The Divine Sarah”(聖なるサラ)というキャッチフレーズもちゃっかり拝借しています。
<夫は変われど、歌唱は不変>
サラ・ヴォーンの私生活はエラ・フィッツジェラルドと対照的に「遊び好き」、酒も煙草もガブガブ、スパスパ、その上、マリワナはおろか、コカインの量もハンパじゃなかったといいます。サラにマリワナやコカインを教わったという後輩ミュージシャンはジャズ界にたくさんいるみたい!結婚離婚歴は公式には4回、ミュージシャン、ヤクザ、会計士など、職種も人種もさまざまです。サラは、例え稼ぎをピンハネされようとも、その時々のダーリンに誠心誠意マネージメントさせる主義、ジョージ・ウエインたち大物からオファーがあっても全て断った。ノーマン・グランツに一切の仕事を任せたエラとは、ビジネスセンスも正反対ですね。
レコーディングの第一期黄金時代は、’50~’60年代の”マーキュリー””エマーシー””ルーレット”からの録音群、”Poor Butterfly”、”Misty” クリフォード・ブラウン(tp)との”バードランドの子守唄”、ビリー・エクスタインとのデュエット集など、歴史的名唱を残しました。’70年代以降は、レコーディングよりコンサート活動に主体を置きましたが、CBSの”ガーシュイン・ライブ”や、「枯葉」など一連のパブロ盤は、生で観たサラ・ヴォーンとオーバーラップして、思い出深いものばかりです。
<ミュージシャンはサラが大好き!>
サー・ローランド・ハナ(p)は’60年代中盤にサラの伴奏者として活動し、’70年代サラが自分でプロデュースした名盤『枯葉』でもリユニオンしています。
「普段、歌手の伴奏は好きではないが、サラはミュージシャンとして素晴らしかったから、金のためでなく、心から喜んで共演した。」
ハナさん以外にもサラ・ヴォーンを崇拝するミュージシャンは、たくさんいます。レッド・ミッチェル(b)、ジミー・ヒース(ts)、ウォルター・ノリス(p)・・・枚挙にいとまがありません。ジミーは、サラ・ヴォーンを聴くと、「テナーなんか辞めて歌手になりたいと思うほどだ。」と言っている。
それは、彼女がピアニストとして器楽的な思考が出来ることと無関係ではないように思えます。マルチオクターブの豊かな声を、ビバップの高度な理論に裏打ちされたハーモニー感覚で、器楽奏者が舌を巻くようなフレージングを実現した。
譜面が読めないのに、ミュージシャンに大きな影響を与えたビリー・ホリディ(5/3)と、聞き比べれば更に面白いですね!
<終生美人歌手>
寺井尚之は、「声だけ聴いてたら、どんな美人やろう!!と、判っていてもダマサレる」と言う。
対訳係りとして、もうひとつ強調したいのは、彼女の官能的な魅力です。それは、ナンシー・ウィルソンとかダイアナ・ロスみたいな「ウッフン」系のセクシー・ヴォイスとは違う。もっとハードでヘヴィー級!『枯葉』に収録されている”アイランド”で、R-15指定のエロスを感じてください!
私が観たステージ上のサラ・ヴォーンは、「デラ・リーズ(同輩の黒人ヴォーカリスト)です」と可愛く自己紹介し、ハンカチーフではなくティッシュで、グリースみたいな汗をぬぐいまくった。伴奏が気に入らないと「ギャラあげないわよ」とジョークを言い、客席のリクエストには「Not Tonight!」とすごむ。
だけど、ひとたび歌い出せばアンコールの”Send in the Clowns”まで、絢爛たる美人に変身、圧倒的歌唱力で終生「美人」を貫いた稀有な歌手。彼女の愛称Sassyは、「小生意気な娘」の意味だった。死ぬまで、Sassy でDivineだったサラ・ヴォーンよ、永遠に!
ヴォーカル通もオペラ・ファンも、まだ聴いたことがない人も、ぜひ5月4日、来て見てください!
<ゴールデン・ウィークの楽しいJAZZの講座>
【日時】2011年5月4日(水)
正午~3:30pm
【講師】トミー・フラナガンの唯一の弟子 寺井尚之
【受講料】各日¥3,150 (税込) 要予約
CU
ペッパー・アダムス追記
先日のジャズ講座、沢山お越しくださってありがとうございました。
バリトン奏者、ゲイリー・スマリヤンが、尊敬するペッパー・アダムスにトリビュートしたアルバム、”Homage”は、トミー・フラナガン(p)やケニー・ワシントン(ds)の凄いプレイも聴けましたね。”Homage”(「礼」、「敬意」)というタイトルに相応しい、礼節と潔さのあるハードバップが気持ちよかった!講座の前の「相撲」の心の解説と、「ここぞ!」というバップの聴き所をジャストサイズで教えてくれるアルバム解説、一見無関係に見えるトピックが絶妙のハーモニー、この辺りが寺井尚之のジャズ講座の醍醐味です!
講座に来られる皆さんがすでにペッパー・アダムスを聴き込んでいらっしゃるのを知り、一層嬉しかったです。
Pepper Adams (1930-86)
コオロギみたいな風貌、小柄な体に似合わぬ豪放な音色と、切れ味鋭いソリッドなプレイから、”ナイフ”と呼ばれるペッパー・アダムス、出生地、ミシガン州ハイランドパークは、デトロイトの隣町、トミー・フラナガンとは亡くなるまで親友でした。トミーが心臓発作の直後に”Homage”にゲスト出演したもの、亡きペッパーのために一肌脱いだわけだったんですね。
‘若きペッパーやトミーが切磋琢磨した50年代のデトロイトは、自動車産業に多数の黒人労働者が従事しており、労働組合も人種隔離されており、人種間の軋轢から何度も暴動が起こりました。
ジャズ・シーンも大差なく、モーターシティの「白人」ジャズメンはスタン・ゲッツを、黒人たちは、言うまでもなくチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーを崇拝し、活動場所は分かれていたそうです。ペッパー・アダムスは、アイルランド系だったけれど、彼のヒーローはハリー・カーネイ(bs)やチャーリー・パーカー!故にブラック・コミュニティに入り、信条を貫いた。サー・ローランド・ハナによれば、そのためにペッパーは「何度もひどい目に遭った。」そうです。
そんな人だから、ジャズの巨人達には大変に可愛いがられた。
ペッパーの兵役中、「チャーリー・パーカーが彼をギグに連れ出すため、ペッパーの母親の主治医になりすまし、「母危篤」の電話をしてまんまと休暇を取ってくれた。」とか、「ワーデル・グレイの葬儀で、棺の担ぎ役になった。」とか、サイドメンに鉄拳制裁を食らわし、白人への暴言で有名なミンガスも「ペッパーだけにはいつも優しかった。」とか、色んな伝説があります。
逆にペッパー自身も、男気があって面倒見がよく、多くの後輩に慕われていました。
サド・メルOrch.時代の盟友、ジョージ・ムラーツ(b)も、その一人、英語が不自由だった頃、大変お世話になったそうです。後に、彼の複雑なフレージングをそっくりそのまま”Pepper”という曲に仕立て、ベースでスイスイ弾いてます。
ミュージシャンには絶大な尊敬と人望があったペッパー・アダムスですが、批評界は、必ずしもそうではなかった。故に、なかなかまとまった資料がなく、私もG先生から戴いた「ダウンビート・マガジン」そのほかのインタビュー記事しか持っていなかったのですが、昨年ついに、ある研究家の手でペッパー・アダムスのサイトが完成!
<ペッパー・アダムスの足跡を辿る>
ペッパー・アダムズ・ドット・コムの管理人はジャズ史家のゲイリー・カーナー(Gary Carner)、学生時代からペッパーを尊敬し、修士論文のテーマを「ペッパー・アダムス」にし、ペッパーが骨折のため自宅療養している間、せっせとブルックリンの家を訪ねてインタビューをしていました。
ペッパーの死後、カーナーは、トミー・フラナガンと会い、トミーからこんなことを言われました。
「亡くなる4日前にペッパーを見舞いに言ったら、傍らのテーブルに君の原稿を山のように積み上げてあった。意識が混濁しているのに、その原稿の束を指差して、しきりになにか言おうとしていたよ。本にしろって言ってたんじゃないかな・・・」
トミーの言葉に衝撃を受けたカーナーは、ペッパーの遺した音楽的遺産を守ることに、人生を捧げようと決意したそうです。
ペッパーの名盤群は例に漏れず廃盤が多い。彼の業績を守るため、オリジナル曲、全43曲を現在のミュージシャン(4枚のアルバムがありゲイリー・スマリヤンも参加しています。)で再録音しました。
伝記はスミソニアン協会より出版予定ということですが、出来たら絶対に読みます!とりあえずはペッパー・アダムス・ドット・コムディスコグラフィー、作品データ、詳細な年表など貴重な資料がどッとUPされています。
不景気だ、ジャズ斜陽だ・・・何のかんの言っていても、すごい研究者は突然表舞台に出てくるものですね!
私の手元にある様々なインタビューを読むと、ギネスを痛飲し、文学に精通していたペッパーの発言はすごく面白い!多くの文学者や詩人を生んだアイルランドのDNAを感じます。ただ演奏と同じで、言葉の洪水!草稿をまとめるのは、よほど大変だろうと思います。
最後に、ペッパーが最高に尊敬するチャーリー・パーカーに関するコメントを引用しておきますね。’86の”Cadence(ケーデンス)”というジャズ雑誌に掲載されたもの。インタビューは、カーナー氏です。この発言から、チャーリー・パーカーとトミー・フラナガンの共通点や、デトロイト・バッパーたちの方向性が感じ取れます。
「ああ、クソッ! 彼は最高のプレイヤーだ。
だが、彼の音楽はまだ充分には認められていないと思う。世間の連中が彼を「名手」と言ったところで、その革新性と尊厳を充分理解している人間がどれほどいるのか疑問だ。
チャーリー・パーカーは非常に多面的な音楽家だ。ある時はむき出しの荒々しさを愛し、わざと雑なアクセントやフレージングでと吹いてみせる。そうかと思えば、いきなり自分本来の洗練されたアクセントとフレージングへ戻って行く。それが彼流なんだ。
バードは、自分のプレイの中に20世紀音楽の全歴史を構築した。彼の演奏は、クラシックから、初期のジャズ、サックスの教則本(笑)まで、ありとあらゆる音楽要素を取り入れている。
それも、わざとらしいやり方でなく、あくまでさりげなく、包括的な音楽言語、文脈にしている。それこそ、僕が目指すところさ。
僕も利用可能な全ての音楽言語でアプローチしたいと思ってる。・・・ただしそれで生計を立てようとすると問題だ。生計のために頼るべき人たちの大半は、そういう音楽を理解できないから。」
来月のジャズ講座ではトミー・フラナガンの白眉のソロ・プレイが聴けますよ!ぜひお楽しみに~
CU
<ゴールデンウィーク楽しいJAZZの講座>予告編:ビリー・ホリディ
大阪の桜は満開で、こんな時期だからこそ、儚げな美しさが一層心に染みます。皆様いかがお過ごしですか?
Jazz Club OverSeasでは、連休中、5月3日~5日の正午より、<楽しいJAZZの講座>を開催いたします。お題は「ジャズ・ヴォーカルの女王達」、ビリー・ホリディ、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、ジャズ史上に輝く3人りの名唱を、不肖私の作った対訳と共に、寺井尚之が、歌の楽しさを解説いたします。
お休みのお昼のひとときを、心に染みる名唱と寺井尚之のトークで過ごしませんか?
Billie Holiday (1915-59)
初日のヒロインは、時代を超えて心を捉え、ジャンルを超えて、多くのミュージシャンに影響を与え続けるビリー・ホリディ!
娼婦の母親、感化院の少女時代、ドラッグや人種差別、バイセクシャル、不幸な結婚の繰り返し、壮絶な44年間の人生は確かにスターに相応しい。だけど、ビリー・ホリディは「奇妙の果実」だけではないのです。
ホリデイの歌は、聴く者ひとりひとりの心の奥底に語りかけてくる。心の奥に鍵をかけてしまいこんでしまった色々なことが、呼び覚まされるような気がします。私たちがしてしまった色んな「いけないこと」をビリー・ホリディは赦し、癒してくれる。
ホリデイの歌唱は、満開の桜のように、人の心を酔わせてくれます。「散り行く哀しさ」が秘められているからこそ、余計に愛しくなるのです。
対訳係りとしては、そんなところが歌詞の意味から感じていただければいいなと思っています。3日連続でも、一日だけでもノー・プロブレム!ジャズ・ファン、ヴォーカリストだけでなく、ご興味がおありでしたらぜひお越しください。
初めてのお客様も大歓迎!お一人でもグループでもぜひどうぞ!
<ゴールデンウィークの楽しいJAZZの講座>
ジャズ・ヴォーカルの女王達を対訳を見ながら楽しもう。
【日時】5月3日(火)-5月5日(木)
正午~3:30pm (要予約)
【講師】トミー・フラナガン唯一の弟子、OverSeasオーナー、 寺井尚之
【受講料】各日¥3,150 (税込) 飲食代別
海外ジャズメンより:震災お見舞い(7) from Peter Washington
Peter Washington 石川県 野々市 ワークショップにて: by courtesy of Mrs. Akemi Takase
I’m hurt by the tragedy that has befallen your beautiful country.
I’ve spent some of the happiest days of my life in Japan and the tragedy somehow
touches me, too…
Thank you for the warmth, love and kindness you have shown us all in
the past, and will show us in the future. It means everything.
Kindest Regards,
Peter Washington
皆さんの美しい国が襲われた悲劇に、僕も心を痛めています。
来日するたび、僕は人生で最高に幸せな日々を送ることができました。ですから、この悲劇に、なんともいえない思いを抱いています。
僕達は、日本の皆さんにお世話になってきました。今まで僕達の音楽を愛し、温かく親切にしていただいて、本当にありがとう。必ず日本は立ち直り、これからもジャズを愛し続けて下さると確信しています。
ピーター・ワシントン/ベーシスト
若きベースの巨匠、ピーター・ワシントンから、震災のお見舞いメッセージが到着しました。
’64年、カリフォルニア生まれ、22歳の時にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに入団し、NYジャズ・シーンで脚光を浴び、’91年にトミー・フラナガン・トリオに加入し、トミーが亡くなる時まで、ステージ上でも、ステージを降りてからも、誠心誠意フラナガンに尽くしてくれました。Jazz Club OverSeasには、トミー・フラナガン3、ビル・シャーラップ3で来演。
アメリカ人にしてはすごく物静か、真面目で勉強熱心!血縁関係はないけど同姓のケニー・ワシントン(ds)とのコンビは、ビル・シャーラップ、ベニー・グリーンなど、数え切れないミュージシャンをサポートする、現在最強リズム・チームです。
強力で安定感のある彼のビートは、ダグ・ワトキンスを生で聴けたら、こんな風だったのかなと思わせる。一休さんみたいな可愛いお顔にそぐわないほど、どっしりした巨匠の風格がありますね。
ピーター、メッセージありがとうございました!元気な日本に帰ってきて、一緒に好物の鰻を食べましょう!ファンは素晴らしい演奏を、そして後輩たちは厳しく説教してもらうのを待っています。
CU
追伸:今こそ音楽を!from George Mraz
米国でも大きく報道されている、日本の「自粛」ムードに胸を痛めるジョージ・ムラーツから、音楽を愛する皆さんと音楽関係者に宛ててメッセージが届きました。
ムラーツは、ソビエト占領下のチェコで、ジャズを続けるために命を張った男。逆境の中の音楽の力を、身に染みて知っている男からの伝言です。
“Music is one of the things that always can help people in times of crises.
It is not just entertainment, it is something that can get people together in their suffering.
People should not feel guilty about going out to listen to music.
It has a healing effect and should be considered as such.”
from George Mraz, Bassist
(訳) 音楽は危機的な時期にいる人たちをいつも助けるもの。
単なる娯楽ではありません。
音楽とは、苦境にある人々の心をひとつにしてくれるもの。
だから音楽を聴きに行くのに罪悪感はいらない。
音楽には癒しの効果がある。今こそ音楽を聴いてください。
ジョージ・ムラーツ / ベーシスト
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
Jazz Club OverSeasにて。
「音楽は癒し」とありますが、ジョージ・ムラーツの生音には、「癒し」以上の魔力があります。その演奏を傍で聴くと、真っ白な繭玉の中にいるサナギってこんな気持ちかなと思ってしまう。どんなに良い録音でも、生音の全ての周波を記録することは出来ないから、一番快い周波数がカットされてしまうのだとか。ジョージ・ムラーツがこの次に来日したときは、ぜひ間近で聴いてください。
私たちJazz Club OverSeasも、生演奏が命!ジョージ・ムラーツの応援に応えられるよう、人の心を癒し、元気になれる生演奏をお届けできるよう、精一杯がんばります!