先日のジャズ講座、沢山お越しくださってありがとうございました。
バリトン奏者、ゲイリー・スマリヤンが、尊敬するペッパー・アダムスにトリビュートしたアルバム、”Homage”は、トミー・フラナガン(p)やケニー・ワシントン(ds)の凄いプレイも聴けましたね。”Homage”(「礼」、「敬意」)というタイトルに相応しい、礼節と潔さのあるハードバップが気持ちよかった!講座の前の「相撲」の心の解説と、「ここぞ!」というバップの聴き所をジャストサイズで教えてくれるアルバム解説、一見無関係に見えるトピックが絶妙のハーモニー、この辺りが寺井尚之のジャズ講座の醍醐味です!
講座に来られる皆さんがすでにペッパー・アダムスを聴き込んでいらっしゃるのを知り、一層嬉しかったです。
Pepper Adams (1930-86)
コオロギみたいな風貌、小柄な体に似合わぬ豪放な音色と、切れ味鋭いソリッドなプレイから、”ナイフ”と呼ばれるペッパー・アダムス、出生地、ミシガン州ハイランドパークは、デトロイトの隣町、トミー・フラナガンとは亡くなるまで親友でした。トミーが心臓発作の直後に”Homage”にゲスト出演したもの、亡きペッパーのために一肌脱いだわけだったんですね。
‘若きペッパーやトミーが切磋琢磨した50年代のデトロイトは、自動車産業に多数の黒人労働者が従事しており、労働組合も人種隔離されており、人種間の軋轢から何度も暴動が起こりました。
ジャズ・シーンも大差なく、モーターシティの「白人」ジャズメンはスタン・ゲッツを、黒人たちは、言うまでもなくチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーを崇拝し、活動場所は分かれていたそうです。ペッパー・アダムスは、アイルランド系だったけれど、彼のヒーローはハリー・カーネイ(bs)やチャーリー・パーカー!故にブラック・コミュニティに入り、信条を貫いた。サー・ローランド・ハナによれば、そのためにペッパーは「何度もひどい目に遭った。」そうです。
そんな人だから、ジャズの巨人達には大変に可愛いがられた。
ペッパーの兵役中、「チャーリー・パーカーが彼をギグに連れ出すため、ペッパーの母親の主治医になりすまし、「母危篤」の電話をしてまんまと休暇を取ってくれた。」とか、「ワーデル・グレイの葬儀で、棺の担ぎ役になった。」とか、サイドメンに鉄拳制裁を食らわし、白人への暴言で有名なミンガスも「ペッパーだけにはいつも優しかった。」とか、色んな伝説があります。
逆にペッパー自身も、男気があって面倒見がよく、多くの後輩に慕われていました。
サド・メルOrch.時代の盟友、ジョージ・ムラーツ(b)も、その一人、英語が不自由だった頃、大変お世話になったそうです。後に、彼の複雑なフレージングをそっくりそのまま”Pepper”という曲に仕立て、ベースでスイスイ弾いてます。
ミュージシャンには絶大な尊敬と人望があったペッパー・アダムスですが、批評界は、必ずしもそうではなかった。故に、なかなかまとまった資料がなく、私もG先生から戴いた「ダウンビート・マガジン」そのほかのインタビュー記事しか持っていなかったのですが、昨年ついに、ある研究家の手でペッパー・アダムスのサイトが完成!
<ペッパー・アダムスの足跡を辿る>
ペッパー・アダムズ・ドット・コムの管理人はジャズ史家のゲイリー・カーナー(Gary Carner)、学生時代からペッパーを尊敬し、修士論文のテーマを「ペッパー・アダムス」にし、ペッパーが骨折のため自宅療養している間、せっせとブルックリンの家を訪ねてインタビューをしていました。
ペッパーの死後、カーナーは、トミー・フラナガンと会い、トミーからこんなことを言われました。
「亡くなる4日前にペッパーを見舞いに言ったら、傍らのテーブルに君の原稿を山のように積み上げてあった。意識が混濁しているのに、その原稿の束を指差して、しきりになにか言おうとしていたよ。本にしろって言ってたんじゃないかな・・・」
トミーの言葉に衝撃を受けたカーナーは、ペッパーの遺した音楽的遺産を守ることに、人生を捧げようと決意したそうです。
ペッパーの名盤群は例に漏れず廃盤が多い。彼の業績を守るため、オリジナル曲、全43曲を現在のミュージシャン(4枚のアルバムがありゲイリー・スマリヤンも参加しています。)で再録音しました。
伝記はスミソニアン協会より出版予定ということですが、出来たら絶対に読みます!とりあえずはペッパー・アダムス・ドット・コムディスコグラフィー、作品データ、詳細な年表など貴重な資料がどッとUPされています。
不景気だ、ジャズ斜陽だ・・・何のかんの言っていても、すごい研究者は突然表舞台に出てくるものですね!
私の手元にある様々なインタビューを読むと、ギネスを痛飲し、文学に精通していたペッパーの発言はすごく面白い!多くの文学者や詩人を生んだアイルランドのDNAを感じます。ただ演奏と同じで、言葉の洪水!草稿をまとめるのは、よほど大変だろうと思います。
最後に、ペッパーが最高に尊敬するチャーリー・パーカーに関するコメントを引用しておきますね。’86の”Cadence(ケーデンス)”というジャズ雑誌に掲載されたもの。インタビューは、カーナー氏です。この発言から、チャーリー・パーカーとトミー・フラナガンの共通点や、デトロイト・バッパーたちの方向性が感じ取れます。
「ああ、クソッ! 彼は最高のプレイヤーだ。
だが、彼の音楽はまだ充分には認められていないと思う。世間の連中が彼を「名手」と言ったところで、その革新性と尊厳を充分理解している人間がどれほどいるのか疑問だ。
チャーリー・パーカーは非常に多面的な音楽家だ。ある時はむき出しの荒々しさを愛し、わざと雑なアクセントやフレージングでと吹いてみせる。そうかと思えば、いきなり自分本来の洗練されたアクセントとフレージングへ戻って行く。それが彼流なんだ。
バードは、自分のプレイの中に20世紀音楽の全歴史を構築した。彼の演奏は、クラシックから、初期のジャズ、サックスの教則本(笑)まで、ありとあらゆる音楽要素を取り入れている。
それも、わざとらしいやり方でなく、あくまでさりげなく、包括的な音楽言語、文脈にしている。それこそ、僕が目指すところさ。
僕も利用可能な全ての音楽言語でアプローチしたいと思ってる。・・・ただしそれで生計を立てようとすると問題だ。生計のために頼るべき人たちの大半は、そういう音楽を理解できないから。」
来月のジャズ講座ではトミー・フラナガンの白眉のソロ・プレイが聴けますよ!ぜひお楽しみに~
CU
石川翔太さんのアルバム『Diversfied Triangle』でPepper(George Mraz) を聞いたのが初めてでした!翔太さんのベースはまるでバリトンサックスを思わせるふうでした!Mrazの作曲ということで、その時は、PepperってVillage Vanguard Sessionsの Art Pepperのことかなぁ・・・とあれこれ検索して、寺井氏のLive Report
http://jazzclub-overseas.com/report/mraz.html
を拝読し、Pepper Adams を知りました!今回のtamaeさんの記事も大変興味深い読ませていただきました!ありがとうございます!
http://www.youtube.com/watch?v=6lPgzqrvHHw
(Thad Jones – Mel Lewis Jazz Orchestra “Us” )
akeminさま、先日はピーター・ワシントンさんの写真ありがとうございます。余震が頻繁にあって、ご苦労されているのではないですか?
しょうたん君のアルバムもお聴きになっているとは嬉しいです。「バリトンみたい」って感じられるのは非凡!!
映像では何度も観ていますが、とうとう生で聴くことが出来なくて残念です。
サド&メルOrch.よ永遠に!
初めまして。アダムスのバリトン、最高ですね!何時、聴いても痺れてしまう。テナーより人間的に響くのは俺だけじゃ無いだろう?
まんちんたん様、はじめまして!
ほんとにアダムスのバリトンは「もうバリトンじゃない」くらい痺れますよね!
OverSeasで毎月やってる「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、これから色々とアダムスが登場しますので、またブログに書きますね。
大阪に来ることがあったら、ぜひ覗いてみてください。