久々に駆けつけてくださった懐かしいお顔、初めてのお客様、いろいろ楽しいご縁ができるのも、トリビュート・コンサートご利益です!
皆様、応援ありがとうございました。
『OVERSEAS』でおなじみの”Beats Up”から、アンコールのエリントン・メドレーまで、フラナガンの演目は、所謂スタンダード・ソングが少ないので、毎回、曲目説明をHPに出しています。ぜひご一読ください。
今回は、ジャズ評論家&名カメラマン、後藤誠氏の写真のおかげで、かっこよくUPできました。後藤先生ありがとうございます!
トリビュート・コンサート、アンコールで聴いた、”Black and Tan Fantasy”がまだ耳にこだましています。この曲は「黒と茶の幻想」というアートな邦題。デューク・エリントン・コットン・クラブOrch.のヒット曲、短編映画では、美しいダンサーが、病を押して愛するエリントンのためにダンス踊り死んでいく・・・ああ、美人薄命・・・という半分悲劇仕立て。幻想的ではあるけれど、”ブラック&タン”の意味はあまりよくわからなかったのです。
最近、モータウン以前のデトロイトのジャズ史、”Before Motown”のBebop以前の章を詳しく読むと、“Black and Tan” という言葉の意味が詳しく書かれていて目からうろこでした。
<Black and Tan>
“Black and Tan “という言葉は、この曲が生まれた1920年代にできた言葉だそうです。“Black”は「黒人」、そして茶色というよりはむしろ「小麦色」、「褐色」を意味する“Tan”は、「褐色の美女」ではなく「白人」を指す。すなわち“Black and Tan “ は「黒人&白人」だというのです。現在は米国人にもわからない言葉です。
1920年代以前は、売春宿のサロンではない一般社会では、”ジャズ”のような音楽さえ、白人の聴衆は白人の演奏を聴くのがふつうでした。それが、第一次大戦後に、「ハーレム・ルネサンス」と呼ばれる黒人文化の開花期が訪れ、白人の間でも、ジャズや文学など、黒人の文化がとてもかっこいい、おしゃれなものとしてもてはやされるようになり、白人客のために、黒人たちのダンスや音楽を聞かせるキャバレーやバーが流行しました。それが“Black and Tan “ なんですって!
フラナガンの生地、デトロイトでも、 第一次大戦後、“Black and Tan “の店は、パラダイス・バレーで繁盛しましたが、なんといっても全米一の“Black and Tan “ はNYハーレムの”コットン・クラブ”、そこで“Black and Tan Fantasy”が生まれた! 当時“Black and Tan “の主役は、楽団ではなく、褐色の踊り子たちが繰り広げるセクシーなショウでした!衣装は限りなく裸に近く、ジャングルをイメージしたもの。 白人にとっては、黒人=アフリカのジャングルというステレオタイプを逸脱すると、売れなかった。だから、エリントンもジャングル・ミュージックを演るしかなかったんですね。
エリントンという人は、最初は春歌みたいなのを演っていて、だんだん「芸術家」に化けていく。それも桁外れの芸術家に化けるのだからモンスターですね!エリントン楽団は“Black and Tan “仕様 、白人のお客向けのレパートリー・ブックと、同胞の黒人向けのブックの二通りのレパートリーを装備して、演奏活動を行っていたのです。
視点を変えると、”Black and Tan”こそが、ジャズ芸術が一般社会に認知される出発点であったのだと”Before Motown”は結論付けています。”Black and Tan”の営業形態はさまざまで、「コットンクラブ」は白人専用高級クラブ、有色人種はお客になれなかった。でも、客席も人種混合というのも数多くあったそうです。
エリントンは、白人社会の偏見を受容しながら、芸を荒らすどころか、逆に新しい「芸術」を作っていったというのが、すごいですね!