今年の夏も、初めての出会いや再会が沢山ありました。その中には「HPやブログを観てます。やっと寺井さんを聴きに来れました!」という方々も!夏季休暇を利用して、東京から来てくださったスワさん、タナカさん、それに名古屋や甲府からお越しくださったお客様、皆さん、お元気ですか?
7月末には田井中福司(ds)さんをお招きして寺井尚之、宮本在浩と手に汗握るセッションが楽しめました。それに、かつてスーパー・フレッシュ・トリオの「銀太」としておなじみのベーシスト、現NY在住の田中裕太(b)君が一時帰国、大きな成長ぶりを、嬉しく確かめることもできました。
常連様達も、この季節は日焼けしてちょっと違った雰囲気です。 夏休みのない当店も、皆さんに楽しい気分を分けてもらいました!
一番上の写真は、7月末の猛暑日に、久々にOverSeasを訪問してくれた巨匠ドラマー、アキラ・タナさん。
アキラさんとのお付き合いはもう30年以上!OverSeasでの初演奏は、確か’80年代中盤、ウォルター・ビショップJr.(p)のトリオでしたが、すでに私達は”Heath Brothers”の一連のアルバムでの、カラフルで歯切れのいいプレイを聴いて、すっかり大ファンになっていました。
アキラさんはカリフォルニア生まれの日系2世、お父さんは、北海道からカリフォルニアに渡り、の日系人のために仏教寺院を建立した偉いお坊さん、お母さんは、皇室の歌会始に招かれたほどの歌人です。
米国人として英語で育ったアキラさんは、ハーバード大学と、ニューイングランド音大打楽器科で学位を修め、流暢な日本語は大人になってから習得したという秀才です。在学中からボストンのクラブで、ソニー・スティットを始めとする一流ミュージシャンと活躍!寺井の盟友で、同じ頃ニューイングランドでジョージ・ラッセルに指示していた布施明仁さん(g)から噂は聞いていました。
卒業後、アキラさんはNYに進出、その才能をいち早く見抜いたのがテナーの巨匠ジミー・ヒースでした。“Heath Brothers”のレギュラー・ドラマーに抜擢されてからは、J.J.ジョンソンを始め多くの一流ジャズメンと共演、その後、ルーファス・リード(b)との双頭コンボ、TanaReidを結成、ドラマーとして、またプロデューサーとして大活躍。日本のFM局のパーソナリティとしても人気を博しました。
ジミー・ヒースやジュニア・マンス達が好んで日系、アジア系のプレイヤーを起用するようになったきっかけは、アキラさんの実力と共に「和を尊ぶ」人間性に惹かれたのではないでしょうか?
ここ最近は西海岸のアジア系音楽シーンのリーダーとして、古巣のサンフランシスコを拠点に国際的な演奏活動と後進の指導を続けています。
<音の輪=Sound Circle>
今年の夏、アキラさんは、東日本大震災被災地支援の為に日系人の名手達を集めたバンド「Otonowa=音の輪」を率いて東北の被災地を中心に全国ツアーを敢行。ジャズに無縁な全ての方々に喜んでもらうために「ふるさと」など日本のメロディーをアレンジしたプログラムを用意して、岩手県陸前高田や大槌町など被災地を周り、公演したり学生達とワークショップを開催。最終日には海外特派員協会でも公演し、アキラ・タナとして単独公演もこなすというハードな日程でした。
OverSeasにやって来たアキラさんは、野外の仮設会場での演奏が多かったせいか、日焼けして一層逞しく、かっこよく見えました。
「僕達が日本の歌を演奏したらね!地元のお年寄り達が涙を流して聴いてくれたんだよ!!それから一緒に歌ってくれたの!本当に感動した!だから僕のほうが一杯涙を流しちゃった!」と、様々な場所での演奏風景や、地元の皆さんに歓待してもらった沢山の写真と、アキラさんの非日常的な演奏体験に私も感動、涙が出そうになりました。
バンドスタンドのアキラさんには近寄りがたい巨匠の風格がありますが、その素顔は本当に気さくで、威張らない人、大切な長年のお友達です。
アキラさん、久々に来てくれてありがとうございました!次回はコンサート・アーティストとしてOverSeasで演奏してくださいね!
Hi, Akira-san, we are so happy you were here! We are all waiting for you coming back to Japan!