リベラルな気風を守るため、出演者には「店内でのクスリは厳禁」という業務規程を課して、できるだけヤクザとの関わりを避けたそうです。その反面、繁盛店ですから、いつも客席が静かにショウを鑑賞するわけではなかったようで、ビリー・ホリディはステージで客席に向かって、Kiss my Assとばかりに、ドレスの裾を繰り上げお尻を見せたこともあったそうです。イブニング・ドレスには下着をつけないのが普通なので、えらい騒ぎになったとか・・・
トミー・フラナガンの親友でありピアノの名手、知性と知識を兼ね備えたジャズ・ライター!我らがディック・カッツ氏がMosaicのボックス・セット、『The Complete Capitol Live George Shearing』のために書いたライナー・ノートのサワリの部分をここに和訳して掲載いたします。
同時にシアリングは“Play”という言葉の意味を知っている人でもあります。生来の音楽的センスの良さと、ボーダーレスにどんな音楽でも、自分の栄養として取り込んでしまうモダンアートのようなコラージュ、例えば、ベートーベンのピアノソナタ14番「月光」からコール・ポーターの「Night and Day」に入っていくアレンジも、シアリングが演ると、200年以上の年月を一緒にタイムスリップしているような不思議に自然な高揚感を味わうことができます。
今週の新「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、『Oscar Pettiford in Hi-Fi』から、フィル・ウッズ(as)『Pairing Off』、超人気盤、ソニー・ロリンズ『Saxophone Colossus』(前篇)まで。3枚とも、主役、脇役、双方が強烈な輝きを発散し合う名盤ばかり!
『Oscar Pettiford in Hi-Fi』は、ハープやフレンチ・ホルンを完璧にジャズに取り込むジジ・グライス(as)達編曲陣のスゴ技も聴き所!ペティフォードは自らが主催するジャムセッションに参加したNY進出直後のトミー・フラナガンの実力に、いち早く着目し起用したのでした。そのころペティフォード34才、フラナガン26才!
デニス―アデールのコンビが創作活動をしたのは、デニスが陸軍航空隊に出征するまでの僅か2年間、”Everything Happens to Me””Will You Still Be Mine?””The Night We Called It a Day”といったフランク・シナトラの名演目を沢山作りました。ほとんどが大ヒットとなり、多くはジャズ・スタンダードとして今も演奏されています。
デニス以外の作曲家との仕事で、最も有名なアデール作品は、トミー・フラナガンが『Moodsville 9』に収録している”In the Blue of the Evening”ですが、1944年以降は主にラジオやTVの連続ドラマの放送作家として大活躍、そして、’50年代からは、この曲で見せた「魔法」があまりに鮮やかだったせいなのか、本物のウォルト・ディズニー・プロダクションの一員となり、ディズニーランドをはじめ、様々なプロジェクトに関わっています。日本で公開されているアデール関連のディズニー作品は、’60年代にプロレス番組と交替で隔週放映されていた『ディズニーランド』や、アニメ作品『眠れる森の美女』、連続活劇『快傑ゾロ』など、世代によっては懐かしい名前のものがあるでしょ! 歌詞のバイブル本『Reading Lyrics』には、「ディズニーがアデールを得たことは、音楽界にとって大きな損失となった。」と結論付けています。
<ビリー・ホリディの毛皮に>
さて、ビリー・ホリディの名唱が収録されている『Lady in Satin』(’58)は、カーメン・マクレエが「LPがすり減るまで繰り返し聴くのでを、常に予備のレコードを2枚所蔵している」というほどの名盤ですが、”コートにスミレを”が生まれたきっかけも、実はビリー・ホリディ毛皮の姿だったんですって。雪の降る真冬のシカゴ、デニス&アデールが、土地の有名ジャズ・クラブ、”Mister Kelly’s”にビリー・ホリディを聴きに行ったんです。 アデールが自分の恋人のためにスミレの花束を持ってきていて、会場に入って来たホリデイは毛皮のコートを着ていた。そのとき1941年、レディ・デイ芳紀26才、この写真よりもずっと若くて毛皮がさぞ似合っていたのでしょう。 「今夜は何を唄うんだろう?」あれこれおしゃべりしているうちに、アデールがふと思いついたのが『Violets for Your Furs』というタイトル、歌詞、メロディ、ハーモニーが、Kelly’sのテーブルクロスに殴り書きされて、あっという間に一丁あがり!フランク・シナトラがすぐにレコーディングしたのだそうです。