講座で配布用の資料として、講座の為にJ.J.ジョンソンの、インタビュー(1995年)の日本語訳を作ってみました。そこで何度も登場する言葉は、「論理的で明瞭であること」〔withlogic and with clarity ] 『Dial J.J.5』でも「論理性」と「明瞭性」が、そのまま音符になってスイングしてますよね!ディジー・ガレスピーの依頼で作編曲した大作『Perceptions』にせよ、スモール・コンボにせよ、曖昧さを徹底的に排除する「論理性」&「明瞭性」は終始一貫しています。
そのため、当局からキャバレー・カードを剥奪され、NYのクラブ出演は極端に制限されていた。『Dial J.J.5』でフラナガンが共演していた頃は、NYではマフィア経営の”カフェ・ボヘミア”に土壇場のライブ予告という形で、不定期出演するのみ、通常はNYの川向う、ニュージャージーの『Red Hill Inn』を本拠にしていました。
リベラルな気風を守るため、出演者には「店内でのクスリは厳禁」という業務規程を課して、できるだけヤクザとの関わりを避けたそうです。その反面、繁盛店ですから、いつも客席が静かにショウを鑑賞するわけではなかったようで、ビリー・ホリディはステージで客席に向かって、Kiss my Assとばかりに、ドレスの裾を繰り上げお尻を見せたこともあったそうです。イブニング・ドレスには下着をつけないのが普通なので、えらい騒ぎになったとか・・・
トミー・フラナガンの親友でありピアノの名手、知性と知識を兼ね備えたジャズ・ライター!我らがディック・カッツ氏がMosaicのボックス・セット、『The Complete Capitol Live George Shearing』のために書いたライナー・ノートのサワリの部分をここに和訳して掲載いたします。
同時にシアリングは“Play”という言葉の意味を知っている人でもあります。生来の音楽的センスの良さと、ボーダーレスにどんな音楽でも、自分の栄養として取り込んでしまうモダンアートのようなコラージュ、例えば、ベートーベンのピアノソナタ14番「月光」からコール・ポーターの「Night and Day」に入っていくアレンジも、シアリングが演ると、200年以上の年月を一緒にタイムスリップしているような不思議に自然な高揚感を味わうことができます。
今週の新「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、『Oscar Pettiford in Hi-Fi』から、フィル・ウッズ(as)『Pairing Off』、超人気盤、ソニー・ロリンズ『Saxophone Colossus』(前篇)まで。3枚とも、主役、脇役、双方が強烈な輝きを発散し合う名盤ばかり!
『Oscar Pettiford in Hi-Fi』は、ハープやフレンチ・ホルンを完璧にジャズに取り込むジジ・グライス(as)達編曲陣のスゴ技も聴き所!ペティフォードは自らが主催するジャムセッションに参加したNY進出直後のトミー・フラナガンの実力に、いち早く着目し起用したのでした。そのころペティフォード34才、フラナガン26才!