トミー・フラナガン・インタビューを読もう!(2)

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<巨匠たちに学ぶ>
 強い音楽的個性が人気を博し、演奏スケジュールが多忙を極め、特に必要の無い限り練習をしないという贅沢を味わっているフラナガンではあるが、かつて1940年代のデトロイトでの成長期には、常に練習していたと語る。兄ジョンソン・フラナガンJr.(ピアニストとして地元デトロイトで活動し、後進の指導にあたった。弟子にはカーク・ライトシーがいる。)に倣い、迷うことなくピアノへの道を選択したのだった。
 「ほんの幼いころ、兄がピアノを弾いてるのを見つけた。背伸びをしてなんとかピアノによじ登ろうとした。最初は、兄が家でレッスンをしているのを真似て弾こうとした。8歳の頃、まだレッスンを受けていなかったが、兄の練習曲を弾いていた。10歳で、やっとレッスンをさせてもらえるようになった。私は練習がとても好きだったので、誰も私に稽古しろとやかましく言う必要は無かった。むしろ誰かが止めないといけない程だった。『さっさと表に行って遊びなさい!』ってね。」
youngKB.jpg 当時のモーター・シティ(デトロイト)は、ツアー・ミュージシャンの仕事場として、新人アーティストの育成地として、音楽的に隆盛を極めた。ドナルド・バード(tp)、ケニー・バレル(g)、ペッパー・アダムス(bs)、カーティス・フラー(tb)、メジャー・ホリー(b)、オリヴァー・ジャクソン(ds)、ビリー・ミッチェル(ts)、ハンク(p)、サド(cor)、エルビン(ds)のジョーンズ兄弟(隣町のポンティアック育ち)、ベティー・カーター(vo)…この土地から巣立ったミュージシャンは枚挙に暇が無い。デトロイトのミュージシャンの多くは、カス・テック・ハイスクールに通った。フラナガンは1930年3月16日生まれで、同世代のローランド・ハナ(p)やアルト奏者ソニー・レッドと同じノーザン・ハイスクール卒である。
 「中学に入学する頃までには、他の楽器をかなりうまく弾ける同じ年頃の子供達が何人もいた。そんな優秀な子供達は、高校入学までに、プロとしてツアーに出れる実力をしっかり身につけていた。私が15歳の頃時、ダンスパーティに行けばジーン・アモンズ(ts)が演奏していたし、バンドのピアニストはジュニア・マンスだった。彼も15歳でツアーに出ていたんだ。そんな具合だから、いやでも一生懸命練習する様になるんだ。」フラナガンは語る。
art_tatum.jpg 「音楽的に成長するのに、戦後は良い時代だった。私はあらゆるジャズの巨人たちを間近に聴けたし、会うことだって出来た。アート・テイタムはアフターアワーズの店でしょっちゅう生で聴いた。色々なピアニストが、交代にピアノを存分に弾いた後、おもむろにテイタムがピアノの前に座ると、それまでのピアニスト全員がぶっ飛ばされた。」
Image-BillieHoliday.jpgのサムネール画像レイディ・デイも、歌唱とルックスの絶頂期に生で聴いた。私はまさに彼女に恋をしていた。バードともデトロイトで何度か共演した、私がまだ十代のときだ。」
 「高校時代、ディジー・ガレスピー楽団がデトロイトにやって来た。公演場所はパラダイス・シアターと言う大劇場で、高校から歩いて行ける距離だった。その頃までに有名なミュージシャンは全て知っていた。初めてチャーリー・パーカーをジューク・ボックスで聴いたのが1945年、15歳の時だ。
 もう、そんなジュークボックスは無くなってしまったなあ。良い音楽が流行していて、良い音楽に出会うにも、上達するにも、最高の時代だった。今は、そういう音楽が無くなって寂しいし、そういった音楽を創造した人達が亡くなった事も同じくらい寂しいね。」
John_Coltrane___Giant_Steps.jpg 1956年、ケニー・バレル(g)と共にNYのジャズシーンに進出したフラナガンにとって、デトロイトでのキャリアは大きく幸いした。NYに移って僅か数日で、トランペット奏者、サド・ジョーンズが自己リーダー作に彼を抜擢。フラナガンの26歳の誕生日には、デトロイト時代にすでに親交があったマイルス・デイヴィス(tp)とソニー・ロリンズ(ts)がレコーディングに起用した。プレスティッジのセッション(『Collector’s Items』)には、<Vierd Blues><No Line>、デイブ・ブルーベック(p)の<In Your Own Sweet Way>が収録されている。その僅か数ヵ月後、ソニー・ロリンズの代表作、『サクソフォン・コロッサス』に参加、3年後には、さらに歴史的名盤の録音でスタジオ入りする事になる。ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』であった。
<エラ・フィッツジェラルド>
poster040609-24.JPG フラナガンがNYに進出した年、代役としてエラ・フィッツジェラルドの伴奏者を務める。それがきっかけでエラは1962年に、正式にフラナガンを招聘、二人の音楽的コラボレーションが開始した。音楽監督として専任した1968-78を含めて、二人の共演は断続的に16年間続く。
 「歌手の伴奏はもう私のするべき仕事ではない。」現在のフラナガンは言う。
「だが、非常にやりがいのある仕事だった。他人の気質や趣味についてあれこれ気配りしなければならないのだから。…
 エラは文字通り仕事一筋で、年間52週のうち48週は仕事をする。我々は年に2回ヨーロッパ中をツアーした。伴奏者達には、余り自由に演奏させる機会を与えてはくれなかったがね。とにかく、世界中回ったよ。…」
 エラ・フィッツジェラルドの仕事に慣れたと思う間もなく、演奏のパターンはしょっちゅう変った。トリオで伴奏したかと思えば、次はベイシー楽団と一緒に何ヶ月か公演する。彼女にとっては大変な違いだ。ベイシーをバックに歌うコンサートの次の夜がトリオだったら、エラは私にこんな風に言った。
 『一体どうなってるのよ? 何が起こったっていうの?』
で、私はこう答える。
 『15人ほどいなくなったんだだけだよ。何かが起こったと言うのならね。』
  おかげで、どんなことがあっても、自分の演奏を高度に保持する術を学んだ。エラのエネルギーも芸術的レベルも本当に凄いものだったよ。」
(つづく)
 寺井尚之のコメント::師匠の若いときの回想は、わしが’70年代に思うことと良く似ています。師匠は、どんなときでも、誰よりも練習をしていました!騙されてはイケません!おわり
 ヨチヨチ歩きでピアノを弾いた天才トミー・フラナガン少年、子供の頃はクラシック・ピアノのレッスンを受けていました。恩師はグラディス・ディラードという女性の先生で、フォームや指使い、タッチなど大変厳しい指導で有名だったそうです。
 チャーリー・パーカーやビリー・ホリディと共演した話は、私たちも直接何度か伺ったことがあります。記念写真があればいいのですが、トミーは何度も引越ししていて、その間に紛失してしまったとか・・・残念です。
 それにしても高校のダンスパーティにジーン・アモンズとジュニア・マンスが来たら、ダンスするのを忘れて、グレーヴィーなサウンドに聴き惚れてしまうでしょうね!

 明日22(金)は河原達人(ds)リターンズ!23(土)は寺井尚之The Mainstemトリオ!お勧め料理は、自家製のバジルをふんだんに使ったチキンのジェノヴァ・ソース、やはり自家製の柔らかいナスを付け合せにしておいしいメニューを作ります。
CU

トミー・フラナガン・インタビューを読もう!

 暑中お見舞い申し上げます。
 「節電のお願い」CMが流れる大阪、電車に乗ると照明は薄暗いのに、冷房は寒いほど効いていて、不条理感は募るばかり・・・。
 トミー・フラナガンを愛する皆さんが暑さをしのげるよう、日本未公開のインタビューを連載したいと思います。
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 タイトルは「At the Top of His Game」、”ゲームのトップ”とは、「絶好調、絶頂」という意味、カナダのジャズ誌「Jazz Times」1989年8月号に掲載されたインタビュー、聴き手はケン・フランクリング。
 ジョージ・ムラーツ(b)、ケニー・ワシントン(ds)との黄金トリオで録音した“Jazz Poet”が世界中で評価され、「名脇役」から「主役」として真価が認められた時代。あの頃のトミー・フラナガンならではの深い言葉をお楽しみください。
「ただ今絶好調!トミー・フラナガン」(インタビュー:Ken Frankling)
Jazz Times ’89年8月号より 訳:寺井珠重
 トミー・フラナガンは、ピアノの妙技を磨くための練習をあえてする必要はないと感じている。毎晩仕事がある時はなおさらだ。彼は、練習しない理由として十の根拠を挙げる。彼の指先は鍵盤上を縦横無尽に疾走する為、硬いタコが出来て、爪は割れている。
 「こういうのが治るには時間がかかるんだ・・・」
 フラナガンは自分の両手をまじまじ眺めながら言う。
 「深夜帰宅し、翌朝起きてこうつぶやく。『ああ、また指に血が逆流してる!』これが痛いんだな!両手に休みをやりたいくらいだよ。私は時々、必要以上に力強く弾いてしまうんだ。それでまた痛くなる。」
 指の損傷は、最近のフラナガンの気合いと、引っ張り凧の仕事ぶりの証明である。彼は現在、ジャズ・ピアニストの最先端だ。ビル・エヴァンス、セロニアス・モンク、バド・パウエル、メアリー・ルー・ウィリアムズ、アール・ハインズというシングル・ノート・スタイルの系譜において、第一人者として安定した地位を保っている。
 1978年、16年間の長期に渡るエラ・フィッツジェラルドとの実り多き共演時代の後、フラナガンは伴奏者の役を辞すことを選んだ。以来、ソロ活動、ジョージ・ムラーツ(b)とのデュオ、ここ2年間のレギュラードラマーであるケニー・ワシントン(ds)を加えたトリオに仕事を絞り込んでいる。
 フラナガンは、どの編成も同等にやりがいがあると語る。
 「ソロ、デュオ、トリオという編成は、どれも気に入っている。私はこれらのフォーマットを交代でやるのが好きなんだ。ミュージシャンは腕が上がれば、それに見合うレベルの高い相手との共演を楽しむべきだ。」
 「我々ミュージシャンは皆、最初は一人で演奏する事から始める。そして、グループで演奏し始めると、音楽的な責任は減少し、共演者と相互に影響し合えるようになる。そしてソロに戻ると、何かが足りないように感じる。そうすると、、自分自身のプレイを、自分で聴く感覚を取り戻して、ソロという形態に自分を落ち着けなくてはならない。例えば、左手でどの位ベースノートを弾くべきかを判断する能力を取り戻さねばならないんだ。」
<ジョージ・ムラーツのこと>
gallery11.jpg 「今の私には現在ジャズ界最高のベーシスト、ジョージ・ムラーツがいる。彼と演る時には、ベース・ノートにあれこれ心を煩わせる必要はない。我々が良い領域、つまり、今迄我々が到達した事の無い高みに上る道筋は色々だ。音楽と言うものはすぐに鮮度が落ちてしまうので、注意しなくてはならない。」
  「ジョージ(ムラーツ)はオスカー・ピーターソンの所を辞めた後、しばらくエラの伴奏をしていた。そこで私は彼がどれほど良いプレイヤーなのかを知ったわけだ。彼は非常に音楽的だ。ベース奏者は、ビートを“感じさせる”のと同時に、ベース・ラインやメロディを含めたプレイを“聴かせる”ことが必要だ。彼は、そういうことを、全く苦にしない数少ないベーシストの一人だ。彼のビートの鼓動は、同時に”聴く”価値がある。また彼のイントネーションは、他の弦楽器遜色のない完璧さを備えている。」
<ジャズの詩人>
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  謙虚で穏やかな、この『ピアノの詩人』は、かつてカウント・ベイシーがシングル・ノート・スタイルのピアニストについて述べた如く、水晶の様に透明なサウンドを持っている。彼のプレイはクリアで活き活きと輝き、リリカルでありながら力強いフレーズは、強烈なバップのアクセントと、微妙なダイナミクス、思いがけなく湧き出るメロディが混ざり合ったものだ。
jackson_eric_600x200.jpg 彼がボストン地方に出演する時は、派手な広告をしなくとも常に満員の盛況だ。ラジオ番組を持つエリック・ジャクソンがWGBH-FMの自分のラジオ番組(Jazz with Eric in the Evening) のオープニングテーマ曲に、フラナガンの演奏する”ピース”を使用しているからだ。
 憂いを含んだその演奏は、フラナガン1978年録音のアルバム、(ギャラクシー)での、キーター・ベッツ(b),ジミー・スミス(ds)とのトリオのアルバムのものである。だからニュー・イングランド地方では、毎夜フラナガンの演奏がオンエアされ、作曲者ホレス・シルバーは著作料を儲けるという訳である。
(つづく)
 インタビューで「強く引きすぎて爪が割れている」という記述がありますね。Jazz Club OverSeasでも、「神様が降りてきた」ようにハードなプレイで爪を浮かせていたのを見たことがあります。でも、それは決してガンガン弾いたためではなく、最高のタッチで弾くからこそ、指に負荷がかかって爪を傷めていたのです。どんなに長時間弾きまくっても、演奏後のピアノが傷んだことはありませんでしたよ!
 追記 by 寺井尚之
 誤解をまねかいないように、4点付け加えることがあります。
(1) 誰よりもよく練習していました。
(2)指先は柔らかく、タコはありません。
(3)必要以上に「強く弾く」など、感情に左右されることはありません。常にコントロールされていました。
(4)トリオが好み。デュオ、ソロは好みでなかった。
おわり

 さて、7月16日(土)は、寺井尚之The Mainstemトリオ出演!ぜひ皆さんお越しください!
 なおメインステムのDL用新譜『Evergreen2』新発売!ダウンロードよろしくお願いいたします♪
CU

対訳ノート(31)Don’t Explain

 皆様、お元気ですか?先週はGW講座で連日名唱を聴きました!ビリー・ホリディ、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、のべ100曲が登場したことになります!
 スタンダード曲やブルースは言うに及ばず、ビバップ、シャンソン、ボサノバ、ステファン・ソンドハイムまで!ビリー・ホリディ、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエという3人の歌手を取り上げて、寺井尚之が絶好調の解説を聞かせました。(解説書があります。
 3人ともデビュー当時は美人歌手、でもきれいなだけでは終わらない。年齢を重ねるにつれ、それぞれのスタンスで、歌に新しい命を吹き込む姿に感動!聴きながら目を真っ赤にしているお客様が多く、私もウルウル・・・やっぱり皆で一緒に聴くといいなあ。講座やってよかった!
 今も、私の頭の中では、GWに聴いた色んな歌が響いています。「幸せ」にも「不幸せ」にも、本当に色んな切り口や表情があるんだ!
 今日は、講座で聴いた歌の中で、日本の歌謡曲と一番似ていた歌、ビリー・ホリディとカーメン・マクレエで聴いた“Don’t Explain”のことを書いてみたいと思います。
<私小説的ソング>
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  レディ・デイは、僅か44年間の壮絶な人生と歌が同一視されることによって、カリスマ化された。“My Man”では「何人もの女を操り、金を絞り上げ、時には殴るヒモ男でも、抱かれるだけで苦労を忘れる」可愛い女、”Fine and Mellow”では「恋をすると、賭け事や深酒に溺れる」破滅型の女・・・ビリー・ホリディには、歌の主人公と実像の境目が見つけられません。現実は必ずしもか弱い女性ではなかったとしても、それが名人芸!
 “Don’t Explain”は、男運に恵まれなかったホリデイを象徴する歌。ホリディの夫、ジミー・モンローが帰宅すると、ワイシャツの襟に口紅がついていたという実際の出来事を元にしてビリー・ホリディ自身が作った歌です。
 ホリディは”Don’t Explain”誕生秘話についてこんな風に語っています。
 「夫の襟についた口紅が目にとまった。すると夫が私の視線に気づき、延々と弁解を始めたの。私が最も耐え難いのは“嘘”、嘘をつかれるくらいなら、浮気されるほうがずっとまし!だから「風呂にお入んなさい!」と話をさえぎって言ったのよ。「Don’t Explain(言い訳はやめなさい)」って。
 その言葉(Don’t Explain)が、ずっと私のへっぽこ頭の中で響き続けていた・・・何とかこのいやな科白を忘れてしまいたい!そう思いつめるうち、醜い思い出が悲しい歌に変身して、知らず知らずに口づさんでいた。あっという間に歌が出来上がったのよ。それから、作曲家でブレーンだったアーサー・ヘルツォグが、私の歌うのを聴きながら、ピアノで音を拾い、歌詞を書きとめた。そして2,3箇所のフレーズを修正して、ソフトな感じに仕上げてくれた。」

 こういう現象を哲学者は「昇華」と呼ぶんですね!
HolidayMonroe.jpg ビリー・ホリディとジミー・モンローは1941年から44年まで結婚しています。モンローはトロンボーン奏者で、兄はハーレムのクラブ、ビバップの生地、”モンローズ”の経営者、クラーク・モンロー。ジミーは兄の店で演奏活動をしていましたが、ヘロインの密売容疑で逮捕され、ホリデイが多額の弁護費用を払う羽目になりました。男で苦労する彼女の姿と歌がシンクロして、この歌も大ヒットしたんですね。森進一の「おふくろさん」とか、昭和の歌謡曲もそういうのが多かった・・・
 「女を作ってもいい、一緒にいてくれるなら・・・」という切ない切ない歌、ホリディの歌には、男なしには生きていけない女の弱さや哀しさが漂います。
 「いい、悪いはどうでもいい。私にはあなたしかいない。」殿方は、そう言うホリデイに観音菩薩を観る。男性でなくても、「赦し」を感じるのは、私だけではないでしょう。歌詞はいくつかヴァージョンがありますが、要約するとこんな感じ。原歌詞を読みたい方はこちらをご参照ください。
ネット上で聴くことも出来ます。

<Don’t Explain>
Billie Holiday, Arthur Herzog
言い訳はいいの、
ただ、このまま一緒と言って。
帰ってくれて嬉しいの、
だから言い訳は止めて。
静かにして、
言い訳しても何もならない、
口紅の話はよしましょう、
言い訳は止めて。
人の噂に泣かされて、
あなたの浮気はお見通し、
いい悪いはどうでもいい!
一緒に居てさえくれるなら。
・・・
あなたは私の喜び、そして苦しみ
私の命はあなたのもの、
だから言い訳はやめて。

 しかし現実は違っていて、ビリー・ホリディ自身、夫がありながら、トランペット奏者のジョー・ガイと関係していた。この彼氏もモンロー同様、ヘロイン中毒、ホリディ自身がヘロインの虜になったのもこの時期でした。
 ビリー・ホリディは、トラブルを起こすホットな男ばかりを選んで付き合ってた。相手をわざと挑発して、自分からなぐられるような状況を作り出す癖があったと、伝記では言われています。
「恋すると、いけないことと、判っているのにしてしまう・・・」”Fine and Mellow”より。
<マクレエの凄み>
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 一方、カーメン・マクレエ晩年の”Don’t Explain”は、歌の印象が激変します。NYブルーノートのライブ盤“For Lady Day Vol1,2″はマクレエの最高作と言えるかもしれません。
 63歳のマクレエが歌う”Don’t Explain”に「女性のか弱さ」や「菩薩」の姿は、これっぽっちも感じられません。淡々としながら、恋に命を賭けた「覚悟」というか「凄み」が出ています。この歌が終わったら、主人公は夫をズドンと一発で殺して、自分も一緒に死のうとしているんだ!と、聞き手に確信させる瀬戸際の迫力があります。殆ど同じ歌詞を歌っているのに「女の性」が影を潜めて、人生の「覚悟」がクローズアップされるんです。
 マクレエはビリー・ホリディを愛して尊敬して、一挙一動をみつめながら成長した歌手、その結果、全く違う歌の世界を作り出した。本当に凄いことです。
 寺井尚之がトミー・フラナガンを見つめ続け、自分のスタイルで演奏していることを思うと、二つの『言い訳しないで』は、とても興味深く思えて仕方がありません。
CU

PIANO談義:トミー・フラナガン&ロジャー・ケラウエイ 連載(3)完結篇

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トミー・フラナガン(以下TF) (前回より続き) 私はわざわざ出かけていって、色々調べて、どうのこうの指図はしない。彼等は、そうしたいと思ってやっているのだからね。それが間違っていると助言するために生きているわけじゃない。もし本当に情熱があるなら、自分で道を見つけるはずだ。
<歴史に学べ>
(司):「道」ということをおっしゃいましたが、ジャズの見地から、ファッツ・ウオーラーやバド・パウエル、トミー・フラナガンを知らずして、正しい「道」は見つかるとお思いですか?
ロジャー・ケラウェイ (以下RK):「歴史の重要性」ということだね。僕は、やはり歴史を知る必要はあると思う。というのは、それはその人間の「演奏の深み」に関ってくるからだ。それがない人を聴いているから、そう言っている。どう説明してよいか判らないが、歴史を知らない人は、常に何かが足りない。ただし、歴史について完璧な知識があっても、演奏能力がないプレイヤーもいるがね。
(司):両方必要ということですね。
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RK:歴史を知って損はないよ。だから勉強なさい。私自身がジャズを演る上で、本当に深い教訓は、先人のスタイルから学んだものばかりだ。ただ腰掛けて、ルイ・アームストロングみたいにシンプルに、意味をもって演奏することができれば、どんなにいいだろう!僕は今でも、そうしようと努力している。ただ単に「伝統は必要だ」と云うだけでは、意味がない。
 「ポップ界では、音楽の事をよく知らなくとも何億と稼いでいるのだからそんなことは必要ない。」という社会と我々はずうっと戦ってきた。社会の判断はそういうもんだ。それが彼等の演奏の仕方だ。そして彼等は若い連中にこういう。「つまらないことに時間を掛ける必要はない。」と。
 ここで論じていることは、何に時間を費やすべきか?ということだろう。歴史を学ぶのに時間を費やせば、演奏の深みとなって報われる。本当の意味でピアノを演奏したいと思うのなら、楽器と演奏方法の関係を理解するため、クラシックもある程度勉強したほうがよいと僕は思う。即興演奏はそれからだ。お楽しみの前に仕事だよ。(笑)クラシックが楽しくないという意味ではないけれどね。
TF:シリアスなジャズメンはみんなクラシックが大好きだよ。ファッツ・ナバロも然り、バド・パウエル然り、我々も、昔はバッハなんか演ったものだ。音楽の歴史を知らずに、偉大なプレイヤーには成れない。それは間違いない。音楽は巡り巡っているから。良い音楽全てを愛せなければ本当に音楽を愛したことにはならない。それは、とてもためになることだ。
(司):私が十代後半の頃、ハービー・ハンコックがアイドルでした。彼は、当時25歳くらいだったと思うんですが、「良いジャズプレイヤーに成るにはどうしたらよいか?」と助言を求めたことがあるんです。そうしたら「時間がかかる、というくらいしかアドバイスできない。」と言われました。
RK:25歳にしては、かなり知的な言い方だなあ(笑)余り物事がわからない年頃なのに! 今のハンコックに同じ質問を一度してくれないかい?
TF:25年経っても、きっと答えは同じだよ!(笑)
RK:時間の長さより、中身の問題だ。人生とは経験だから。個人の体験、精神の旅路だ。経験を積めば積むほど、そのことについての知識は深まる。人間関係、ピアノ、料理・・・なんでもそうだよ。
<アート・テイタム礼賛>
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(司):理想や手本にする音楽家を持つことは必要でしょうか? 例えば、誰かをコピーしたりして、目標にする方がよいと思われますか?
TF:私は余りコピーというのをしたことがない。むしろ音楽的なコンセプトを見つける方に興味があった。最初はテディ・ウィルソンのファーストレコーディング、それからアート・テイタムに感動し、彼らの演奏を判断基準にした。そして、自分の目標を目一杯高くして、自分が完璧だと納得できるように努力した。昔も今も、アート・テイタムこそパーフェクトだと思っている。
RK:全く同感です。ピアニストたちに、お気に入りのピアニストのアンケートを取ったとしても、テイタムは「お気に入り」なんて範厨を超えた存在だ。超絶テクニックだけの問題じゃない、それはほんの一面で、演奏方法全体が完璧なんだよ。耳に聞こえることが信じられないほどだ。
TF:全く、何もかも、全てのものがそこにあるんだ!
RK:全てのハーモニー、あらゆるテクニックがどんなキーでも満ち溢れている。それに彼は、指を立てては弾かない。一度、彼が弾いているのを見たが、指を寝かせて弾いていた。どうやっているのか全く訳が判らなかった、どうやってあんなに澄み切った音が出せるのかも判らない。一度、ボストンのストリービルで弾いていたのを見たが、運指の指は平らだった。そして彼は盲目ですらあった。
TF:私は子供のとき、テイタムを間近で、丹念に観察したことがある。アフターアワーズの店(正規なナイトクラブ閉店後、朝まで営業する酒場)でね。子供はそんなところへ出入り禁止なんだが、今でもそこに行って、生で観れて良かったとつくづく思う。彼の弾いていたのは、ほとんどガラクタと言ってよいほどボロのアップライトだった。テイタムの前に彼の友人が弾いたとき、そのピアノがどれほどボロかということはよく判った。次に、テイタムがピアノの前に座ると、
ガラクタが瞬く間にグランドピアノのようにサウンドした。ピアノを変身させる事ができたんだ。凄かった。彼は大変音楽的だった。本当にひどい楽器からでも音楽を弾き出して見せた。
(司):しかし、伴奏者としてはどうでしょう?
tatum_artta_legendary_101b.jpgTF:彼は自分を聴く為に、チューニングを絞り込みすぎていて、演奏中、他の人の音が聞こえなかったんだよ。(笑)
RK:スラム・スチュワート(b)は、よくあれほど長く一緒に演っていたと思う。だって、ずっとイン・ツーで弾かなきゃいけないだろう。ベース奏者は演りようがないよね。四つで弾けないでしょ。ベースが何を演っているかすら判らない。
TF:でも彼はテイタムにとって完璧だったんだ。邪魔になることは一切しなかった。そこにベン・ウエブスター(ts)は、メロディだけを吹いた。
RK:我々はピアノから音楽を創造するテイタムのやり方全部が好きなんだろうね。思ったこともなかったが、私は彼のソロの方が好きだ。もし彼とピアノ2台で共演したとしても、テイタムは楽しめなかったろう。共演者を葬り去ったろうね。私はただ聴きたいと思うだけ。「伴奏」というのは、いい考えじゃない。伴奏はギブ・アンド・テイクだ。
TF:最近、テイタムが歌っているテープをある人がくれたんだ。
RK:テイタムが歌ってる、だって?
TF:うん、正に”アート・テイタムは歌う”さ。そこでは自分をとても上手に伴奏してるんだよ。(笑)ブルースを歌ってる、とってもシンプルで猥褻な歌詞のブルースを。歌の余白をピアノでうまく埋めている。他人のバックのようにせわしなくないんだ。彼の歌がうまく引き立つ様に、上手に綺麗にオブリガードを入れてる。だからそういうことも彼はちゃんとわかってたんだ。
(司):それでは、テイタムは自分の最もお気に入りの伴奏者であり、ソロイストであったわけですね。
RK:多分そうだ。テイタムは正にオールマイティだったんだ。
TF:同感だね!

(’95 7/20 ノルウェイ、モルデにて)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
teddy_wilson_billie_holiday.jpg ピアノの巨匠達の「ピアノ談義」いかがでしたか?アート・テイタムのことを知りたい方はこちらのエントリーにどうぞ!
 「歴史」を勉強する話が出てきましたが、トミー・フラナガン自体がすでに「歴史」になっているのですから感無量です。
 話題に上ったトミーのアイドル、テディ・ウイルソン(p)は、5月3日のビリー・ホリディ講座に登場しますよ。
roger_tommy_2.JPG トミーがロジャー・ケラウエイさんやデューク・ジョーダンさんを誘ってOverSeasに遊びに来たとき(左の写真)、皆がピアノを弾いて下さったのですが、その時ケラウエイさんは、OverSeasのヤマハを弾いて、こんな風におっしゃったのを覚えています。
 「たまげたな!この小さなグランドは、何て良く鳴るんだろう!もっと大きなピアノみたいだ。」
 そうするとトミーはわが意を得たりという風に、ちょっと鼻を膨らませて、寺井尚之を指差して、社長みたいに言ったものです。
 「そうさ、こいつがちゃんとピアノのお守りをしとるからな。」

 あなたも「歴史」に倣うため、休日はGW講座にお越しになりませんか?
ぜひお待ちしていますね!
CU

PIANO談義:トミー・フラナガン&ロジャー・ケラウエイ 連載(2)

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<お気に入りのピアノ>
(司):お二人は、どんなピアノを求めますか?お気に入りのピアノは?
ロジャー・ケラウェイ (以下RK):僕はブリュートナー(ドイツの最高級ブランド)だ。理由は、演奏曲の調性の有無に拘らず、あらゆる題材で、ちゃんとサウンドしてくれるから。ブリュートナーと対照的なのがベ-ゼンドルファーだ。無調の音楽だけでなく、前衛的なもの全てを嫌っているように思える。ベーゼンドルファーは、ショパンのような音楽を弾かないと、「キャーいやだ~!止めて!」てな風に鳴るんだよ。(笑)
トミー・フラナガン(以下TF):私はスタインウエイの方が好きだね。それもハンブルグ・モデルの。ハンブルグには特別な何かがある。ハンブルグモデル以外のスタインウエイは、僅かにノイズが出ることがある。だが普通の弾き方で、鍵盤をタッチしていくと収まる。ペダルを使ったとき、何かの拍子でそのゴーストのようなものをキープしてしまうのかもしれない。あんまりよく調べたことはないが、スタインウエイのある特定のモデルは、ゴーストが全然出ない。
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(司):もし演奏会場のピアノが粗悪だったり、気に入らなかった場合、どのように克服し、よい演奏をするのですか?
RK:私の場合は消去法だ。弾き始めると、自分とピアノとの感じ方が判ってくる。そうしておいて、弾き方を限定する。
TF:もし、一週間のギグがあり、始めから会場のピアノが気にいらないとする。しかし、そのピアノを一週間弾かなきゃいけないとしたら、ピアノに順応することはできる。嫌なところは避けて、長所を引き出してやるという対処法もある。
 例えば、ピアノがアップテンポについて行けず、良い音を出せなくても、バラードならましかもしれない。バラードはピアノの方に前かがみになって体重を掛けて弾くから。
RK:僕はその正反対の恐怖の体験もしたことがある、バラードが弾けないピアノ、アップテンポだけ良く弾けるんだ。トーンがサステインしてしまう。Oh,No!って感じだった。
TF:私もスェーデンでそんな経験をしたことがあるよ。サステイン・ペダルが止まらなくなってしまった。恐ろしいことだ・・・本番で、何人かに舞台に上がってもらって、弦を手で押さえてもらおうさえしたほどだ。(笑)演奏の真っ最中で、成す術無しだった。
(司): 数年前、ケラウエイさんが真新しいピアノを入れたクラブに出演されていた時に、「ああ、このピアノは実に若く、私は、実に年寄りだ。」とおっしゃったのを覚えてるんですが、楽器がちゃんと役割を果たすためには、ある種の成熟が必要だと思われますか?
RK:一般の人なら『どういう意味?』ということになるかもしれないな。例えばこういう話だ。『あなたをお迎えできて誠に光栄です。今日はあなたのために、新品のピアノを調達いたしました。』(笑)でも僕はこう言うだろう。『大変ありがとうございます。』そして『OH,NO!』と・・・何故なら弾き慣らされていないからだ。どんなに
長時間調律しても、だめになる可能性が大きい、ファーストセットの途中で調律が落ちてしまうかもしれない、あるいは一曲目の何音かを弾くだけで、調律がだめになるかもしれないから。
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<練習方法>
(司):練習はどのようにされますか?
TF:メンタルな練習をたくさんする。鍵盤でもある程度は稽古するが、頭の中でもっと練習をしている。
(司):練習に際して、なにか哲学的システムのようなものがあるんですか?
TF:いやそういうわけじゃない。頭の中の鍵盤を弾いてみて、出てくる音をイメージしてみる。鍵盤なしで、サウンドだけメージすることもある。
(司):グレン・グールドは、ピアノのない暗い部屋にこもり、ピアノコンチェルトをの通し稽古を心の中でひたすらしたそうですね。
RK:そうだね。ただ彼は、何でも暗い部屋の中でやったんだ。(笑)
TF:目を見開いてね。いや、冗談はさておき、そこまで極端ではないが、私は身体的なコンディションによって、きちんと構えて演奏する気になれない時がしょっちゅうあるので、座って考えるだけで同じ効果をあげようというわけさ。
RK:私は「書くこと」が練習、だからやはりメンタルだ。ただし、筋肉の活動性を保つためには、弾く方が大事だ。50歳を過ぎてそのことに気がついた、昨夜はしばらくぶりで演奏した。今夜の方が力強くプレイできるはずだ。技量、というか精神的な活力はあるのだから、肉体的問題というよりも持久力だね。
<若手へのアドバイス>
(司):お二人は教えますか?
TF:いいや。
RK:文字どおり「教える」という意味ではノーだ。訓練しなければならないのなら、ずっと規則的に生徒に付いて教えなくてはならない。私は楽旅も多いし、自分のプロジェクトで作曲もしなくてはならない。だから生徒に対してよくしてやる自信がない。クリニックは好きだよ。思ったことを何でも質問してくる人達と話をするのは好きだ。マスター・クラスというのかなあ。あれは面白い。
TF:私もクリニックはやったことがある。しかしロジャーが説明したように、自分の生徒
の上達ぶりを論評してやるとか、規則的にフォローできる時間がない。常に演奏旅行が割り込んでくるから。
(司):現在の新進ミュージシャンはどう思われますか?彼等に伝えたいことはありますか?
RK:今共演しているエリック・アレキサンダー(ts)とジョン・スワナ(tp)について考えてみるよ。まず、どの曲でも、彼等は若いってことだな、それは本当に素敵なことだ。トランペット奏者はいつも音数が凄く多いので挫折しているが、実はそんなに悪いことじゃない。僕は言うんだ。「一つの音だけ吹くようにしてみれば?」って。きっとできるはずだ。僕はそんなことすらできない。
 とにかく人生において、何か情熱を燃やすものを見つけなければ。もしそれが音楽なら、なお素晴らしい!僕は自分のやっていることに凄く情熱をもってるよ。クリニックでは、何よりもまず心構えを教えなければいけないとしょっちゅう思う。コード・チェンジをどっさり教えてあげれば、それを使っていろんなことはできる。しかし僕がみんなに伝えたいのは、「自分のやっていることが好きだ」ということ、だから「君にも自分のやってることを好きになって欲しい」という事だ。もし僕と同じことがやりたいというなら、大いに結構!でもそれが何であれ、情熱を抱いて欲しい。
TF:もし若手たちが、本当に良い演奏をしたいと願うなら、必ず進むべき道が見つかるだろう。本当に真剣なら、その道をつき進んで行くことが出来るだろう。いずれ、何か納得の行かない事にぶつかるかもしれない。そうしたら助言をしてくれる人のところへ行くといい。ロジャーでも私でも、誰でもいいさ。私達が力になれるのならね。私ならそんなふうにアドヴァイスする。
 私はわざわざ出かけていって、色々調べて、どうのこうの指図はしない。彼等は、そうしたいと思ってやっているのだからね。それが間違っていると助言するために生きているわけじゃない。もし本当に情熱があるなら、自分で道を見つけるはずだ。
(司):「道」ということをおっしゃいましたが、ジャズの見地から、ファッツ・ウオーラーやバド・パウエル、トミー・フラナガンを知らずして、正しい「道」は見つかるとお思いですか?
*続きは次回!お楽しみに~
 「私は教えない」と公言するトミー・フラナガンの弟子に寺井尚之がなった経緯は、だいぶ前に書きました。
GW講座は5月3日(火)~5日(木)開催。私の作った対訳とともに、ジャズの名唱をお楽しみください!
CU

PIANO談義:トミー・フラナガン&ロジャー・ケラウエイ 連載(1)

 お休みなので、古い翻訳ファイルから、トミー・フラナガンとロジャー・ケラウエイの対談記事を引っ張り出しました。
 だいぶ前に後藤誠先生に読ませていただいた、「Cadence」という米国のジャズ誌、’97年4月号に掲載されていたものです。
KAbe-lg.jpgRoger Kellaway :ロジャー・ケラウエイ (1939~) :ニックネームは「音楽的カメレオン」、ありとあらゆるジャンルで活躍しているからです。ピアニストとしては、インタビューに言及されている大巨匠、ベニー・カーターに新人の頃から可愛がられ、サド・ジョーンズやエリントン、ジャズ以外ではエルビスからヨー・ヨー・マまで、ありとあらゆるスターと共演しています。
 作編曲家としては、TVや映画から交響楽まで手がけ、グラミー賞や、アカデミー賞の受賞歴もあるという凄い人です。
 ピアノはとにかくテクニシャン!濃厚な味が絡み合うレッド・ミッチェル(b)とのデュオが私のお気に入りです。「100 Gold Fingers」でたびたび来日していて、モンティ・アレキサンダーとの丁々発止のピアノ・デュオは歴史的名勝負でした。’93年に、トミー・フラナガンと一緒にOverSeasに遊びに来て、演奏も聞かせてくれました。上品で知的な人、とにかく音楽を愛している!という印象があります。現在カリフォルニア在住。

per_husby.jpg聴き手は、Per Husby(パー・ハスビー) ノルウエィのジャズ・ピアニスト、この対談もノルウエィで行われました。
 原文はものすごく長く、テープ起こしをベタで掲載した感じなので、抄訳にしました。

<名伴奏者として>
(司) 本日は、名伴奏者のお二人をお迎えしています。ホーン奏者や歌手のインタビューでは、よく「伴奏に求めるものは?」とお尋ねするので、逆の質問から始めましょうか?伴奏する価値のある人、ない人があると思いますが、その基準は?
ロジャー・ケラウェイ (以下RK):  それは議論のテーマにはならないよ。ソロイストから伴奏者に求めることはあるだろうが、伴奏者に求めることなどありません。ホーン奏者というものは、おおむね、流れる様に吹き続けるわけですから、それがどんなプレイであれ、ぴったりする伴奏をつけるのが仕事だもの。
トミー・フラナガン(以下TF):   賛成!前もってアレンジがなければ、どうなるかは判らない。お互いの趣味の良さ次第。(笑)
(司) では、共演のオファーを受けて、「その人の伴奏ができるなら素晴らしい!」と思ったことは?
RK: 伴奏する相手によって視点を変えることが必要なので、誰と共演しようと教訓は得られると思う。今、私は若手トランペッターのジョン・スワナと共演している。彼のラインはとてもフリーだから、無理やり押さえつけたり、仕切ってはいけない、より大まかなバッキングを付けるべきだと学ぶ。ズート・シムス(ts)やクラーク・テリー(tp)の場合とは違うやり方でいく。それ
が僕の流儀だ。
TF: 私はあまりフリーな人達とは演らないが、最近ベニー・カーター(as,tp)と共演した。ある意味、非常にストレイト・アヘッドな仕事だ。彼のような名手と演る時は、相手が思うままに演れるように、つまり、できるだけフリーになれるよう、邪魔したり干渉したりしないようにしている。
Benny_Carter.jpgRK: つまりこういうことでしょ。僕もベニーとはたくさん共演してるもの。ベニーは僕が今までに演ったうちで、最も伴奏するのが難しい人!何故なら、絶対干渉してはいけないんだからね。おまけに、彼がアドリブでどう行こうとしているのかは、絶対に予測できない。
TF:たしかに行く先は判らないが、ベニーが正しい方向に行くことは間違いない。彼はとても強力で、常に正しいことを求めているからね。コードや音楽の構成についても、ベニーは完璧と言っていい。それにあの音色!アルトサックス本来のサウンドだ。私はベニーのサウンドを聴きながら育った。そして今日でもそれは健在なんだ。
RK:全く素晴らしいことですよね。お金をもらって音楽のレッスンを受けてるようなものだ。彼は今だに何かを模索しながら演奏している。彼がどう考えているか知るすべはなく予測することはできない。
TF:伴奏について、ひとつ言っておきたい。私はよく「良い伴奏者」と呼ばれるのが厭だった。自分は良い伴奏者ではないと思っていたのでね。私は、優れた伴奏者と思えるプレイヤーを聴くのが好きだ。例えばバド・パウエル、私は彼がジャズ史上最高の伴奏者だと思う。ホーン奏者にとって完璧だ!歌伴は余り聴いたことはないが、恐らく歌手にとっても完璧だったろう。
 エリス・ラーキンス(p)とジミー・ジョーンズ(p)が伴奏の手本だと、かねてから思っている。彼等は伴奏に的を絞り、自分を限定した。言わば専門職だ。
エリス・ラーキンスは’50年代のエラ・フィッツジェラルドを象徴する伴奏者、ジミー・ジョーンズは5月4日の講座のテーマ、サラ・ヴォーンの伴奏で有名。
(司):歌手と楽器演奏者の伴奏は違うと思われますか?
TF:感受性を使うということでは同じだ。
RK:主題に歌詞があるかないかが違う。
(司):歌詞を知ることは伴奏の助けになりますか?
TF: ああ、助けになると思うよ。私の場合、長年エラと仕事をした。彼女はよく知ってる歌でも、時々歌詞を忘れちゃうんだ。だから私が正しい歌詞を思い出して彼女を助けたというわけさ。(笑)
<タッチとはピアノに対する心構え!>
tommy200809070.jpg
(司): 私は音響工学の勉強をしたんですが、私の教授は、「ピアノにタッチなんて存在しない。」と言うんですよ。サウンドを決定するのはピアノ・ハンマーのスピードで、それ以外は、どれも「思い込み」だというのですが、どう思われますか?
RK嘘っぱちだ!(笑)センセーはピアノを弾いた事がなかったんだろう。それとも、単にいい加減な野郎で、その講義が初めてだったのかもな。次の授業になると、「全てはタッチ次第」と言いかねないんじゃないか?君も反論すべきだったね。音の色合いやサウンドの全ては、ピアノのタッチと、ペダルの使い方で決まる。
TF: 「タッチ」というものは、単なるハンマーのスピードよりも、ずっと大事なものだ。ダイナミックス(強弱)やフレージングを決定するものだし、「楽器に対する心構え」でもある。誰が弾いても大差ないサウンドが出るエレクトリック・ピアノとは違うんだ。エレピは演奏スタイルの違いだけしか表現できない。
RK: そのとおり!ピアノとシンセサイザーはそこが決定的に違う。シンセサイザーを演奏するときは、シンセがサウンドを創る。だがピアノを弾くときは、弾く者が音を創るんだ。だからピアノという楽器は、「キーボード」のカテゴリーに入れるべきではないんだ。僕がクリニックを行うときは、区別している。
TF: エレクトリック・ピアノを何度か演奏したことはあるが、満足できたためしがない。プレイバックを聴いてみても、確かに私の演奏には違いないのだが、別に私でなくても弾けるという出来になってしまうんだなあ。(笑)
 *次回は、「好きなピアノ」や「練習」の話題が登場します。乞うご期待!
 なお、ベニー・カーターに興味がおありなら、伝記ブログがありますよ。
CU

Bravo!”コルトレーン ジャズの殉教者”

 先月出版された岩波新書”コルトレーン ジャズの殉教者”(藤岡靖洋氏著)が、ベストセラーとして快進撃!資料翻訳などお手伝いさせていただいた私もすごく嬉しいです。
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 藤岡さんは、トム・クルーズ主演映画”ヴァニラ・スカイ”に映像提供したり、英文の専門書2冊をすでに上辞、コルトレーンの権威として世界的!海外では”Fuji”と呼ばれる藤岡さんは、OverSeasのご近所、黒門市場の老舗呉服屋さんのご主人です。和服姿でバイクに乗って駆け回るインパクトは、ファラオ・サンダーズも真っ青!私がそれまで持っていた慶應ボーイのイメージは大きく覆されました。本書で詳しく語られているサイーダさん(”Syeeda’s Song Flute”で有名な、義理の娘さん)を連れて来店して下さったこともありました。
 コルトレーンを単にジャズメンとしてだけでなく、その人間像に迫るため、リスニング・ルームを飛び出して、世界中のコルトレーンゆかりの地を行脚し、親戚縁者からご近所さんに至るまで、ありとあらゆる取材を敢行、その歳月は20余年、机上データ以上に、藤岡さんがつぎ込んだ膨大な労力と時間が、ぎゅっと凝縮されて掌サイズの新書になっているのですから、内容が充実しないはずがありません。
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 私がまず感動したのは著者のエネルギッシュな筆致!全くジャズを知らない人にも、「コルトレーンのええとこを伝えたろう!」という熱意と迫力が伝わってくるし、語句説明など、隅々まで、配慮が行き渡っていますよね。
 今まで私たちが知らなかった私生活や女性関係だけでなく、アメリカの歴史や社会の様相もわかり易く述べられているし、ジャズ・クラブやロフトで形成されるNYのジャズのコミュニティも歴史に沿ってしっかり解説。だから初心者から通まで参考になるデータが一杯です。マイルズやモンク、ロリンズなど、トレーン周辺の音楽家や、共演者との関わりもしっかり解説されている。
 黒人ジャズメン=ドラッグ+人種差別という構図は、聞き飽きるほどのステレオタイプだけど、本書はそんなレベルを遥かに超え、奴隷時代や南北戦争時代の「アンダーグラウンド・レイルロード」から「公民権運動」に至るまで、人種闘争の歴史的変遷についてしっかり述べた日本のジャズ書は珍しい!
 私は幼稚園がキリスト系だったため、4才の時からキング牧師が身近な存在でしたので、個人的にはその辺りがかなり嬉しかったです。
John-Coltrane-Giant-steps.jpg 我らがトミー・フラナガンは、「Giant Steps」でウィントン・ケリーの助っ人として共演、後にトリオで同名のコルトレーン集(Enja, ’82)をリリースしました。当然、寺井尚之もコルトレーン作の愛奏曲が一杯!寺井尚之は「至上の愛」の音楽解説をサポートさせていただいて、自分も新しい発見をして楽しかったらしい。Youtubeでは、寺井のSyeeda’s Song FluteCentral Park Westなどが観れますよ。
 私は、藤岡さんから送られる英文の断片や、色んな質問が滅法面白く、犬がフリスビーを追いかける如く、その都度翻訳などをメールで送り返すという作業を繰り返していただけ・・・それが執筆のための作業であることも最初は全然知りませんでした。昨年暮れ、初めて新書執筆とジョン・コルトレーン・インタビューズ(シンコー・ミュージック刊)のためと知ってびっくりでした。
 英書を執筆されるほど英語に堪能な藤岡さんに、翻訳の白羽を立てていただいたのは大変光栄なこと!何よりもコルトレーンへの理解が深まれば、それ以上の幸せはありません!
“My Favorite Things”や”『バラード』ばかり聴くのは、コルトレーンの本意ではないはずですから。
 (エンディングは藤岡さんスタイルで!)岩波新書”コルトレーン-ジャズの殉教者”は800円とお手ごろですが、内容はスーパーリッチでっせ!
マイドオオキニ!

Evergreen物語(7) :My One & Only Love

 いよいよ大スタンダード登場!今日のテーマは”My One & Only Love”、寺井尚之ジャズピアノ教室ではトニック・マイナーの原理を勉強する課題曲Ⅱでもあります。
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 ミュージシャンが「マイ・ワン」と犬みたいに呼び、時にはアドリブの途中で”Polkadots & Moonbeams”と間違える危険性をはらむ曲、私が出会ったのは、勉強するふりをしてラジオばかり聴いてた高校時代、FMラジオのジャズ番組で聴いたロレツ・アレキサンドリアの『The Great』というアルバムで、ピアノはウィントン・ケリーでした。後にトミー・フラナガン3とリメイクしていることからも、ロレツの十八番であったことが判ります。初めて聴いたロレツ・アレキサンドリアの声は、爽やかでセクシー、当時、英語はまるきり判ってなかったけど、最初の”The very thought of you…”と最後の”My one & only love”だけは聞き取れて、うまい歌手やん!ええ歌や!と、新鮮かつ単純すぎる感動を覚えました。その直後、TVの音楽番組で、司会の藤岡琢也さんが北村英二(cl)さんを紹介した言葉で、ワン&オンリーが「随一無比」を表す決まり文句と知ったけど、受験勉強には何の足しにもならなかった。
lorez_the great.jpg  <img src="http://jazzclub-overseas.com/blog/tamae/assets_c/2011/03/My_one_and_only_love_2-thumb-150×149-1929.jpg" width="150" height="149"

<One & Onlyじゃなかった歌詞>
 歌のお里は、映画や演劇ではなく純粋なポップソング、作曲はイギリス出身のソングライターで、バンドリーダー、ガイ・ウッド、最初はジャック・ローレンスが詞をつけた“Music Beyond the Moon”(’47)という曲だったんです。バリトン・ヴォイスのヴィック・ダモンが人気の出始めた頃レコーディングしたのですが、ヒットはしなかった。
 それから5年後、ガイ・ウッド同様イギリス出身で、同じように作詞作曲どちらも出来るソングライター、ロバート・メリンが歌詞をリニューアル、フランク・シナトラがレコーディングしたら、あっという間に大ヒット、ジャズ・スタンダードになって、今も歌い継がれているんです。つまりMy One & Only Loveは皮肉にもワン&オンリーではなかったというわけ。
 “Music Beyond the Moon”を”My One & Only Love”にしたらヒットしたのはどうしてなのか?必ずしもヴィック・ダモンよりシナトラの方がずっとスターだったから、だけではないように思えます。シナトラのシングル盤ではB面だったし、今もスタンダードとして、ジャズだけでなく、ロッド・スチュワートなど、多くのシンガー、ミュージシャンに受け継がれているというのは、やっぱり、歌詞とメロディとハーモニーが三位一体の魅力を醸し出すからではないでしょうか?
<ラブ・シーンが見える>
FullScale_17_e98ae.jpg 高名なジャズ評論家ベニー・グリーンに「戦後のバラードのうちで最も精巧に作り上げられたバラード」と言わしめた”My One & Only Love”、形式は一般的なA-A-B-A形式ですが、通常聴かせどころとなるサビ(B)の方が、変化に富んだAのパートよりも控え目で、不思議な緊張感を醸し出すところが、洒落た雰囲気の秘密なのかもしれません。
 同様に歌詞も、A-2のパートがパンチラインになっていて、聴く者の心を掴みます。「四月」とか「そよ風」とかラブソングの定番になっている言葉が並ぶA-1から、A-2に入ると、冒頭の“The shadows fall and spread…”から、一気に歌の情景にリアリティが生まれる仕掛けになっている。ところがネット上を閲覧すると、数多ある訳詩の殆どが、このシンプルな節を「周りの景色に長い影が落ちる」と解釈し、「夕暮れになると」とか「夜の帳が下りると」とか、単に「夕方」として日本語訳化されている。そうしてしまうと、リアリティがしぼんでしまい、ありきたりな印象になってしまうのが少し残念です。
 本当は、自分達のシルエットが、「実物よりも長く大きく広がって、恋の不思議なムードも同じように増幅されている」ということを歌っているんです。
 静かな夜、デートの帰り道に、抱き合う自分たちのシルエットが目に入る、思わず気分がたかまって唇を重ねる恋人達、二人の影は重なって…という映画の1シーンのような情景が、たった2つのシラブルから浮かび上がってくるという仕掛け!うまいな...そう思うと、再びロレツの爽やかな色気のある声を思い出しました。男の歌を女が歌う、その効果が最大限に発揮されていますね。
 寺井尚之にとっては、アート・テイタム&ベン・ウェブスターの名演が一番印象的で、Evergreenでも、その辺りが感じられるので、ぜひ聴いてみてください。楽曲や歌詞の良さが判ると、聴くのも楽しいし、演るのもまた楽しいですよね!演奏者たちのために自筆楽譜もお分けしていますが、マイワンはサンプルとして無料でダウンロードできますので、ぜひこの機会に!そして他の譜面もどうぞ!

<My One & Only Love>
曲: Guy B. Wood/ 詞:Robert Mellin
今回は敢えて原曲の歌詞も日本語の前に掲載しておきました。
Evergreen_cover.JPGのサムネール画像
The very thought of you makes my heart sing
Like an April breeze on the wings of spring
And you appear in all your splendor,
My one and only love.
The shadows fall and spread their mystic charms. 
In the hush of night while you’re in my arms,
I feel your lips so warm and tender, 
My one and only love.

The touch of your hand is like heaven, 
A heaven that I’ve never known.
The blush on your cheek  
Whenever I speak
Tells me that you are my own.

You fill my eager heart with such desire, 
Every kiss you give sets my soul on fire,
I give myself in sweet surrender,
My one and only love.

君への想いに心が躍る、
春の翼に乗って来る四月の風の如く。
やがて輝く君が現れる、
かけがえのない恋人よ。

二人の影は長くなり、
恋の不思議を映し出す、
しんとした夜更け、
君をこの腕に抱き、
交わす唇は温かく優しい、
かけがえのない恋人よ。

その手に触れるだけで夢心地、
初めて知る天国、
話しかけると、
紅く染まる頬が、
君の気持ちを教えてくれる。

君はハートを欲望で満たす、
キスした数だけ心に火がともる。
喜んで降参!
かけがえのない恋人に。


 もうすぐホワイト・デーですね!寺井尚之のEvergreenを聴きながら、二人で影法師を眺めるのはいかがですか?

Evergreen物語(5)NY発;月への軌道:Fly Me to the Moon

lunar-landing-1a.jpg
 厳しい寒さが少し緩んだ感じの大阪、昨日は月がやけに明るく輝いていた!寺井尚之メインステムのアルバム、『Evergreen』のスタンダード物語、今日は『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』のお話を。
<NY山の手、高級クラブ発>
 “Fly Me to the Moon”は皆さんよくご存知ですよね!羨ましいことに、作詞作曲のバート・ハワードは、これだけで一生裕福に暮らせたというほどのヒット曲です。
07blue1.jpg色々探したけど”The Blue Angel”の写真はこれだけしか見つかりませんでした。大火事になった時のニュース写真。
 この曲の初演は1954年ですから、Evergreenの収録スタンダード曲中一番新しい。生まれはNYの山の手、アッパー・イーストサイド、”The Blue Angel”という高級サパークラブでした。
 このお店は、ヴィレッジ・ヴァンガードの名オーナー、マックス・ゴードンが手がけたクラブの一つで、現在のヴァンガードと全く違う高級店、ミルドレッド・ベイリーや、若き日のバーブラ・ストライザンド、コメディアン時代のウディ・アレンなどが出演し、フランス人シェフによるグルメな料理と、ヨーロッパ的な趣味の良い内装で大繁盛していたそうです。映画通ならもうお分かりでしょうが、マレーネ・ディートリッヒがキャバレーの踊り子を演じて大ヒットしたドイツ映画”The Blue Angel”(嘆きの天使)にちなんだ店名です。
FeliciaSanders.jpg HowardBart.jpg フェリシアと作者のバート・ハワード
 作者のバート・ハワードはこのクラブによく出演していた美人歌手、フェリシア・サンダーズの専属ピアニストであり、クラブのレギュラー司会者としても活躍していました。でもフェリシアが歌ったオリジナル・ヴァージョンはワルツだったし、タイトルは、現在副題として用いられる”In Other Words”(言い換えれば)、まだまだ「月」まで届くヒットではなかった。
<ボサノバ、シナトラ、そしてロケット>
fly_me_jo_harnell.jpg この曲がワルツから4拍子に変わったのは1962年、ジョー・ハーネルというアレンジャーが、ボサノバ・ブームに便乗して編曲し、現在まで脈々と続く演奏スタイルの基礎を作りました。
 やがてTVが隆盛になり、ゆっくりフランス料理を楽しみながらショーを楽しむライフスタイルは廃れ、”The Blue Angel”は売却済、でも歌は時代の変化に乗り、さらに月に近づきます。
sinatra_basie.jpg 当時の世の中は米ソ冷戦時代真っ只中、宇宙の覇権も争って、アメリカは国を挙げてアポロ計画を推進していました。そんな’63年、フランク・シナトラが、カウント・ベイシー楽団との共演盤を製作するにあたって、クインシー・ジョーンズがスイング感一杯のアレンジを施し、メリハリのあるヴァージョンが大ヒットしました。演奏の良し悪しだけでなく、文字通り「月に連れて行って」もらえる日は近い!そう皆が感じた時代のテーマソングになったんです!
 シナトラの『Fly Me to the Moon』のテープは、アポロ10号に搭載され、乗組員の愛聴曲となり、アポロ11号で宇宙飛行士バズ・オルドリンが月面着陸した際にもかけられて、世界中に発信された!『Fly Me to the Moon』は名実共に月旅行した歌の第一号になっちゃった!
 元は「言い換えれば」(In Other Words)だった曲、「言い換え」たら、月に行けたラッキー・ソング。その後もアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディング・テーマに使われ、若い世代に親しまれるエヴァーグリーンな曲です。

<フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン>
原歌詞はこちら。
詞,曲:Bart Howard
私を月に連れて行って、
星の間で遊ばせて、
木星や火星の春は
どんな風?
言い換えると、
手を握って欲しいだけ、
言い換えるとね、
キスして欲しい!

心を歌で一杯に、
いついつまでも歌わせて。
あなたこそ求める人、
憧れ、魅了される人
言い換えると、
誠実でいて欲しい!
つまり、
愛してる!

 このエントリーを書いている1/18は満月、『Evergreen』をダウンロードして、冬の夜空に輝くお月様に挨拶しましょう!
CU

Evergreen物語(2)変るものと変らないもの As Time Goes By

 Evergreen物語、第二話は”As Time Goes By”、「時の過ぎゆくままに」という邦題がついていますが、歌詞を読むと「時は過ぎても」という方がしっくり来るかもしれません。『Evergreen』で、寺井尚之のピアノはまるで歌詞が聴こえてくるようです。
<映画 Casablanca>
casablanca-1.jpg
 “As Time Goes By”は、何といっても、映画「カサブランカ」で有名になった曲。とはいえ、若いお方は「カサブランカ」(’43)なんて見たことも聞いたこともないとか・・・。「カサブランカ」は、芸術映画でもないし、史上最高の名作とも思えませんが、常にアメリカ映画ベスト100に入っている人気映画、何度観ても観飽きない。確かに戦意高揚映画であるかも知れないけれど、「スタイル」がある。だからこそ、ウディ・アレンなど、後に色んな映画作家がパロディにしたくなる力があります。人物描写は類型的だし、二人の男性に愛される美しいヒロイン、イングリッド・バーグマンのどっちつかずな態度も勘に触るかもしれませんが、結末が決まっていないまま撮影していたから仕方ない。日本語字幕には納得いかないヴァージョンもありけど、現代もよく使われる名文句が一杯なので英語の勉強にもなる。何よりもボガートの醸し出すダンディズムが最高!
casablanca_movie_image_ingrid_bergman_and_humphrey_bogart.jpg 舞台は、言うまでもなくモロッコのカサブランカ、第二次大戦中にナチを逃れ、アメリカ亡命を目指す人々が集まる酒場の主人リックは過去ある男、酒場ではリックを心から慕う黒人ピアニスト、サムが弾き語りをして人気を博している。ある夜リックの店にレジスタンス運動のリーダー、ラズロとやって来たのは、リックの昔の恋人、イルザだった。ナチはラズロを逮捕し収容所に送ろうとするが…、戦争に翻弄されるさまざまな人間模様が描かれます。酒場の主人といっても、ハンフリー・ボガート扮するリックはトレンチ・コートや白いタキシードが似合う苦みばしったいい男、カサブランカが帽子やトレンチが必要なほど寒いのかどうかはわかりませんが、とにかくカッコイイから気にしない!そして最後は愛するイルザをラズロと飛行機に乗せて自由世界へ逃がすんです。
 “As Time Goes By”はリックとイルザが愛し合ったパリの思い出の曲として、映画全編に流れる。とはいえ、この曲は映画の10年前に、ブロードウェイで余りヒットしなかったお芝居の為にハーマン・ハップフェルドが作詞作曲した既存の曲。ややこしい話ですが、「カサブランカ」の脚本自体が、未公演戯曲のリサイクルで、”As Time Goes By”はその段階で劇中歌に指定されていた曲だったのです。映画演劇の世界でも、リメイクやリサイクルは日常茶飯事なんですね。
Play-it-again-sam-casablanca.jpg 映画音楽を担当したマックス・スタイナーは撮影の途中で、ハップフェルドの作った”As Time Goes By”をカバーするのを止めて自作曲に差し替えようと提案します。でも撮影の事情で、差し替えが実現しなかったため、そのまま”As Time Goes By”をモチーフにして全編に使い、素晴らしい効果を挙げています。戦時映画のためなのか、脚本は戦況に合わせて書き換えられ、監督すら結末を知らずに撮影していたそうですが、出来上がってみれば、愛国心やロマン主義に訴えかける作品として大ヒット!アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞をゲット!製作のワーナー・ブラザーズは、ピアニスト、サム役のドゥーリー・ウィルソンに”As Time Goes By”をレコーディングさせ、更にヒットさせたかったのですが、折りしもアメリカ音楽史上有名なレコーディング・ストライキの時代で、無念の涙を呑んだそうです。
<変われないもの>
 歌の内容は、「世の中がどれほど変ろうとも、絶対に不変のものがある。いつの世も恋する者の思いは一緒!」というロマン派。ですから、戦争や自由主義の弾圧といった映画のシチュエーションにぴったりだったんですね!
 でもよく考えてみれば、これは2011年という時代に、一層相応しい歌に思われて仕方ありません。自国の政治も世界情勢も刻々と変り、気候も変るこの時代だからこそ、「変らないものがある」事を思い出すと励まされます。
 寺井尚之メインステムは、A節の「キッス」や「溜息」を本当に上手に表現していますよ!
巨匠ビリー・テイラーも暮れに亡くなり、美しいタッチのピアニストは絶滅危惧種。でも、大事なことは変らない、と思いたいですね!

<As Time Goes By>
by Herman Hupfeld
原歌詞はこちら(対訳で省略したヴァースも付いています。)
これだけは覚えておこう、
いつの世もキッスはキッス、
愛の溜息も同じこと、
大事なことは変わらない、
時が流れても。

恋人たちの囁きは、
今でもやはり”アイ・ラヴ・ユー”、
必ずそうと決まってる、
これから何が起こっても、
変わらない事はある。

月の光や恋の歌は、
時代遅れにならないし。
情熱に燃える心、
嫉妬や憎悪も同じこと。
女には男、
男には妻がなくてはならぬ、
それを誰も否定できない。

歴史は今も繰り返す、
愛と栄光の闘いを。
行動か死を!と決起する。
でも、世界はいつの日も、
恋人達には優しいもの。
時が流れても。

 デトロイト・ハードバップ・ロマン派、寺井尚之の演奏するロマン派スタンダード・ナンバー!ぜひダウンロードして聴いてみて下さいね!
 昔の映画好きな私の性癖も「変われない」、時が流れても・・・
 Evergreen物語、次回は「枯葉」についてのお話を!
CU