
演奏:寺井尚之(p)、宮本在浩(b)

サー・ローランド・ハナ(1932-2002)はトミー・フラナガンの弟分として、何度もOverSeasで名演を聴かせ、お客様にもピアノの生徒たちにも”ハナさん”と親しまれたピアノの巨匠です。フラナガンの後を追うように亡くなって、もう23年。二人とも“超”天才でしたが、ハナさんは“昭和のお父さん”みたいで、気は短いけれど、何でも相談にのってくださる方、寺井尚之にとっては、頼りになる叔父貴でもありました。その一方、全力で音楽に立ち向かう姿は高潔そのもので、辛いことがあると、ハナさんの姿勢を思い出しては元気をもらいます。ですから、多くの方にハナさんの音楽を聴いてほしいと思います。
今日ここで再びハナさんゆかりの名曲群を寺井尚之と宮本在浩による演奏を聴くと、色々な思い出がよみがえり目頭が熱くなりました。本当にいいコンサートを開催することができ、皆様に心からお礼申し上げます。(text by 寺井珠重)
About the Tunes
=1st Set=
1. I’ve Never Been in Love Before (Frank Lesser)

オープニングは、ハナさんが愛奏したスタンダード曲で、寺井尚之+宮本在浩も日常的に演奏してきた。美しいメロディーに、しっかり句読点を付け颯爽と歌い上げるアレンジにハナさんの魅力が溢れる。
ハナさんはこの曲を何度か何度か録音しているが、中でもダイレクトカッティングで録音されたスタンダード集『Sunrise, Sunset』(’79 ロブスター)の演奏が素晴らしい。
2. Enigma (Sir Roland Hanna)

”エニグマ(謎)”は神秘的な無調のオリジナル、ダイナミックに変容しながら反復するパターンを聴いていると、奥深いサウンドの渦潮に引き込まれていくようで、深い余韻が残る。
リチャード・デイヴィス(b)、アンドリュー・シリル(ds)とのトリオによる『Three Black Kings』(’97 JFP)他、ハナさんは何度も録音。寺井は2002年に鷲見和広(b)と“Echoes of OverSeas”に収録。
3. Mean What You Say (Thad Jones)

at Jazz Club OverSeas
デトロイト・ハードバップを代表するサド・ジョーンズ作品で、ハナさんにも、兄貴分のトミー・フラナガンにもゆかりのある曲。サド・メルOrch.では、ピアノ・フィーチャー・ナンバーとしてハナさんは盛んに演奏している。寺井尚之の思い出は、ハナさんの前でこの曲を演奏したとき、たいそう誉めてくれたことだ。コンサートではハナさん流のアプローチで。
4. This Time It’s Real (Sir Roland Hanna)

ハナさんの友人に、恋多きフレンチホルン奏者がいた。新しい恋人ができたとき、彼女はハナさんにこう宣言した。-「今度こそ本物よ!-This time it’s real」-その言葉に触発されて作った作品。その恋の顛末は定かでないが、幸福感と切なさが入り混じる美しい曲で、寺井のサウンドははかなげなバラの花弁のようだ。

5. Prelude No.14 in Cm (Sir Roland Hanna)
ジョージ・ムラーツとのデュオによる『24のプレリュード集- Book2』 (’78, Salvation)に収録された、メランコリックで可憐なワルツ。このプレリュード集に注目する演奏者も増えているけれど、この空気感を再現できるのは、寺井+ザイコウのデュオだけではないかと思えるプレイだった。(隠れた名作『24のプレリュード集』については、下の補足記事をご覧ください。)
6. Prelude No. 2 in G△, Blue, Green, Brown & Black (Sir Roland Hanna)
同じく『24のプレリュード集- Book1』からの作品。「青、緑、茶色、黒」は多様な人種の瞳の色を指し、いかなる人種も神の前では平等というハナさんのメッセージがこもった前奏曲だ。ちなみにハナさんの父親は教会の宣教師である。

7. Colors from a Giant’s Kit (Sir Roland Hanna)
ハナさんの没後リリースされた未発表ソロ(IPO, 2011)のタイトル曲。ハナさんらしい活力に満ちた作品。サー・ローランド・ハナというピアノの巨人が遺した絵具箱を開けると、色彩豊かな音が一気にあふれ出る、そんなスリルを味わえるプレイだった。

Without Dynamics You Have No Music
(ダイナミクスがなければ、音楽ではない!)
‐Sir Roland Hanna
=2nd Set=

1. Ode to a Potato Plant /オード・トゥ・ア・ポテト・プラント(Sir Roland Hanna)
日本語にすれば「ジャガイモ賛歌」というところだろうか?
ハナさん持前のどこまでも明瞭なダイナミクスを持つオリジナル曲。その魅力はデュオの形式で十二分に表現できることは、今夜のプレイで証明できた。
2. A Child Is Born (Sir Roland Hanna, Thad Jones)

最も人気のあるサド・ジョーンズ作品とされているが、ハナさんによれば、サド・メル時代にハナさんが作った曲だということだ。子供への慈愛に満ちた気品あふれるメロディーとハーモニーが、寺井の絶妙なピアノタッチにぴったりで、宮本在浩のベースが波のように変化するグルーヴを支える。
3. Prelude No. 4 in Cm, München (Sir Roland Hanna)

『24のプレリュード-Book1』の1曲。ハナさんがドイツを初めて訪れたときの印象を表現した作品で、副題はドイツ最大の音楽都市“ミュンヘン”と名付けられている。
重厚なベースラインと抒情的なメロディは、どこか懐かしく、デュオが紡ぐ物語に耳を奪われる。
4. Two Cute (Sir Roland Hanna)

ヴァイオリンの巨匠、ステファン・グラッペリが、ハナ+ムラーツ+メル・ルイス(ds)と組んだアルバム『Stephane Grappelli Meets the Rhythm Section』(Black Lion, ‘75)に収録。軽やかで気品にあふれる作品で、寺井とザイコウの息の合ったユニゾンが心地よい。
5. Story Often Told Seldom Heard (Sir Roland Hanna)

タイトルは「よく語られるのに、滅多に聞いてはもらえぬ物語」という意味。
ハナさんは1962年、NYのジャズクラブ《ファイヴ・スポット》で、異才セロニアス・モンクが出演する際、幕間に演奏する対バンのピアニストを務め、演奏を聴かずざわつくお客の前でプレイするという辛酸をなめた。憂愁と高潔さの漂う作風は、そんな体験がもとになっているのかもしれない。後に、ハナさんはソロ・アルバム『Round Midnight』(Town Crier, ‘87)にこの曲の決定版となる演奏を収録し、このCDを寺井に送ってくれた。今夜のプレイは、そんなハナさんの誠意に対する返礼だ。
6. What Does It Matter? (George Mraz)

ジョージ・ムラーツ作のソフトで官能的なボサノバ。デュオ『Sir Elf Plus 1』(’78, Choice)、ニューヨーク・ジャズ・カルテット(NYJQ)のアルバム『Surge』(’76, Enja)に収録。NYJQの来日コンサートでも演奏されている。
ムラーツによれば、何気なく発した言葉-「それがどうしたんだい?(What Does It Matter?)」が、なぜか曲名としてクレジットされていたという。今夜は、宮本在浩によるベースの美技をフィーチャーして演奏。
7. Time for the Dancers (Sir Roland Hanna)

ハナさんの愛奏曲で、トリオによる同名アルバム(Progressive, ‘77)はじめ、色々なアプローチで何度も録音、ハナさんはOverSeasでも演奏している。
「この曲はどんなダンサーをイメージすればよいのですか?」と寺井が尋ねると、「どんなダンサーでもいい。ヒサユキちゃんの好きなイメージで演奏しなさい。」とハナさんは答えた。
「じゃあ、ハナさんが白鳥の湖を踊っているところを…」というとハナさんは苦笑していたが、今日もやはりそのイメージで、エンディングにはチャイコフスキーの一節が入った。
8. Mediterranean Seascape (Sir Roland Hanna)

邦題は“地中海の情景”-アフリカ~中近東~ヨーロッパと、人やモノが往来する地中海、その潮風、海流の変化、多様な音楽文化が融合する様子を見事に描ききった壮大な作品。
寺井がこの曲を演奏するようになったきっかけは、ハナさんが自分のプレイを採譜して、寺井にプレゼントしてくれたことだった。現在は、寺井-宮本デュオによる、夏の名演目として人気がある。
NYJQの日本公演アルバム『In Concert in Japan』(Salvation, ‘75)やソロ『Round Midnight』に収録。
Encore: Summertime (George Gershwin)

ハナさんとジョージ・ムラーツのデュオ・アルバム『Porgy and Bess』 (’76 Trio Records)の印象的なオープニング曲。今夜は「五木の子守歌」を引用して、ハナさんと寺井のスタイルが絶妙にシンクロしていた。
余談だが、寺井は2000年頃、長らく共演していないハナ+ムラーツのコンビを復活させるべく尽力、二人の快諾を得て、あと一息というところまでこぎつけたが、ハナさんは病に倒れ実現できなかったことがいまも悔やまれる。

補足:隠れた名盤:『24 Preludes of Roland Hanna)(24のプレリュード集』について。―


『24 Preludes of Roland Hanna』は、1976年6月と翌1977年10月に録音、ショパンやドビュッシーの「24の前奏曲」に倣い、12曲を一巻とする2枚のLPとして発表された。著作権とリリース元はCTIの傍系レーベル”Salvation”だが、実質的なプロデュースは当時ハナームラーツを強力にプッシュした故石塚孝夫氏と日本のキング・レコードで、日本限定盤だったため、世界的に認知されなかったことが惜しまれる。
録音のいきさつ: ある日、旧知のレコード会社CTIを通じ、ハナさんは日本でプレリュード集を録音しないかと打診された。てっきりドビュッシーかショパン作の前奏曲集の録音だと思いこんだハナさんはクラシックの練習に勤しんだが、共演者のジョージ・ムラーツと来日してみると、制作サイドが求めているのは既存のクラシック曲ではなく、ハナさん自身の作曲によるプレリュード集だったことが判明!当然ながら、限られた時間内に24曲も準備するのは到底無理だと断ったものの、専用のピアノ室を提供され、数日間、作曲に没頭することになる。

ずっとスタインウェイ一辺倒だったハナさんだが、専用室に用意されたピアノはベーゼンドルファーだった。だが、そのピアノに触れた瞬間、霊感が宿り、音楽がとめどなく生まれてきた。そのピアノに魂が宿り、ピアノに導かれるまま、次々と作品が湧き出たという。その結果、わずか4日間で作曲と録音が仕上がった。
録音後に掲載された”Contemporary Keyboard”誌のインタビューで、ハナさんは、過去の膨大な録音キャリア中でも、自分の最高の演奏を捉えた録音は『24のプレリュード集』だと語っている。